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その他いろいろ

幸せすぎたバッドエンド


 罪に罪を重ねてきた。
 これまでに救ってきた数多の怨霊よりも遥かに沢山の人を斬ってきて、それは私と言う人間が死ぬ瞬間まで続いていくのだ。
 どんな罰を持ってもしてもこの大罪は許されないだろうことは、とうの昔に分かっていた。死ぬときはきっとろくな死に方はしないだろうということも、覚悟していた。
 役人に捕まって磔にされるか打ち首にされるか、それとも戦場で斬られて腸を撒き散らすか炎に焼かれるか、いずれにしても、結末は惨たらしい死であることに変わりはなく、そう考えればそれがどんな形であっても一向に構わないとすら思ったものだ。
 重要なのは戦という大量虐殺を死ぬまで続けることであり、それは愛しいあの人を私の傍に留め置く唯一の方法だった。
 そう。私が怖いのは死などではなく、愛しい彼を失ってしまうということなのだ。
 その為だけに、犯して、侵して、今に至る。
殺した人たちを、その奪ったしまった未来を思っても、痛むような繊細で優しい心は既になかった。この道を選び取ったあの瞬間に、どこか遠くへ捨ててしまった。
そうして、共にいくつもの死線を潜ってきた仲間にさえ、剣を向けた。
対峙した瞬間には腹の底が冷えて、切り捨てたときには嘔吐した。けれども、不思議なことに涙は一滴も出なかった。
彼らを待ち受ける死という結末から逃れようと足掻いていた時期もあったというのに、その結末を私自身が導くなど、皮肉にもほどがある。いっそ滑稽だ。
一言で済ませるならば、私は狂っているのだ。
愚かな道化であれば、まだ可愛らしくもあっただろう。
けれど私は、恋に狂った鬼でしかない。戦を求める武士たちにとっては、英雄として祭り上げられていたけれど。



そして、終わりは突然やってきた。



どうしてその戦を始めたのか、私は覚えていない。
戦こそが目的であり、その始まりも手段も終わりも、興味など欠片もなかったから。
いつもと同じように町を攻め、寺に立て篭もった生き残った連中を片付けるために、木造の建物に火をかけた。
それでもしぶとく抵抗を続けるのが癇に障り、止める声を無視して単身で燃え盛る寺に乗り込んだ。
本堂には八つの死体が転がっていて、炎で滑る光を放つ血にまみれた床の上に、先生が一人だけ立っていた。手には血を滴らせる抜き身の曲刀があった。彼一人で残りの武士を片付けたのだろう。
赤い炎に照らされる彫の深い顔立ちや、周りを舞う火の粉の効果で普段よりもずっと綺麗に見えて、心臓の鼓動がどきどきと早くなる。
ちゃき、と軽い音を立てて、先生は剣を納めた。

「先生」

笑って駆け寄るよりも、彼の動きの方が早かった。
鬼の一族だけが使える、瞬間移動。

「せん、せ」

驚きすぎたのか、彼のやり方が上手かったからなのか、不思議と痛みはほとんど感じなかった。
腹の柔らかい部分に、深々と短刀が刺さっている。
それを刺した人の名を、呼ぶ。

「せん、せ」

音が遠い。
腹が熱い。
目が霞む。
足から力が抜けて、立っていられない。
脱力して重たいはずの体を、先生がしっかりと抱きとめてくれた。
燃える匂いと血の匂いの中にいるはずなのに、先生の匂いがする。
痛みはなく、心は穏やかだ。何故、とか、裏切られた、とか、そんな感情は沸いてこない。
悲しいのは、これできっと、もうあの人の名を呼んだり、存外に柔らかい金の巻き毛に触ったり、あの人に名を呼ばれたり、頭を撫でてもらうことはないという事実で、心配なのは、激しく燃えるこの寺から彼が無事に脱出できるのかどうかだった。

「すき。せんせい。わたし、は、あ、あなたが、すき」

体を抱きしめる腕に、力が篭った。
抱き返したくても、もう、私の腕は上がらない。
先生の顔を見たくても、もう、顔を上げることもできず、ただ彼の胸に頬を押し付けていることしかできない。
血を失って急速に体が冷たくなっていくのが分かるのに、汗が噴き出すし、刺された部分だけは灼熱だ。
ぽたり、ぽたり、と頬に水滴が落ちてきた。
泣いているのは、空か、あの人か。
もう、それも分からない。

「せん、せ」

世界と引き換えてもいいと思った人。
罪で縛り付けてしまった人。
好きな人。
すきすぎて、おかしくなってしまうくらい、すきなひと。

「せ、んせ。わたし、ね。しぬときは、せんせいに、ころされたかった、の。それが、のぞみ、だったの」

愛する人の手で、終われるなんて。
上等すぎる終わり方で、この上もなく幸せだ。
幸せすぎて胸がいっぱいだ。



せんせい。
だいすき。



腹の灼熱は、いつの間にかなくなっていた。
それに気づいたとき、私もまた、終わったのだった。



2008.07.20
修正

2008.07.09
初出 ブログにて


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