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その他いろいろ

世界は恋に殉じるだろう


 火と血と焼ける肉の匂いが、まだ空気中に漂っている。冷たい風が吹いてそれらを散らしていくが、それでも臭いはなかなか薄れない。
 夕日によって世界は赤く染められていき、どうしてもそれが町を滅ぼした炎と血を連想させる。
 大きな戦いで勝利を収めたあとで軍全体が高揚していたが、大将である彼女には歓喜も熱狂もなく、静かに焼け落ちた町を見つめていた。
 彼女のすぐ横に影か幽鬼のように佇む男は、少女の横顔を静かに見つめていた。
 その日の夕刻に攻め落としたのは、決して小さくない町だった。
 激しい抵抗に軍を率いる少女は顔を曇らせることなく火責めを指示し、結果多くの人間が死んだ。武士も、坊主も、貴族も、町人も、なんの区別もなく死んでいった。
 もしもまだ平家が存続していれば、この戦で死んでいった者たちも怨霊となっていたのだろうか。そして傍らに立つこの少女は、以前と同じように悲しい存在である彼らをその深い慈しみでもって救ったのだろうか。
 否。断じて否。
 何故なら、全ての悲しみを救うべく戦いの中に身をおいてきた彼女こそが、今この世に戦乱をもたらしているのだ。身勝手極まりない、薄汚れていながら純粋な己の願いのためだけに。
 男の遥か下方にある少女の顔が彼の視線に気づいたのか、頭一つ分以上背丈の高い彼を仰ぎ見た。見上げてくる大きな目は、彼が初めて出会ったあの頃と変わることなく、真っ直ぐで美しい。だからこそ、狂っているのが彼女なのか、己なのか、この世界なのか、分からなくなる。

「どうかしましたか? 私の顔に、何か?」
「血がついている」

 言われて頬を擦ってみるが、赤い液体は取れる気配を見せない。
 己の手を見てから、彼女は男を見てにこやかに笑う。

「乾いちゃって取れないみたいです。あ、心配いりませんよ。返り血ですか、ら」

 男は黒の手袋を嵌めたまま、彼女の頬にこびりついた血に触れた。
 壊れ物を扱うかのようにそっと優しく指で拭ってみたが、本人の言うように乾いてしまって取れそうにない。

「そのようだな」

 触れた手を引こうとすると、彼女の白い手が伸びてきてそれを阻んだ。

「先生、頭、撫でてもらってもいいですか?」
「……それが、お前の望みなら」

 辿ってきた幾つもの運命のどこかでそうしたように、優しく頭を撫でてさらりとした絹糸のような髪を梳いた。
 それだけなのに、彼女は嬉しそうに目を細めて微笑んだ。まるで、それこそが至福だと言わんばかりに。
 罪を犯そうと、犯し続けようと、男は改めて心に決めた。
 何よりも、世界よりも大切な彼女が幸せであることが、彼のたった一つの願いだったから。



2008.06.05
修正

2008.5.23
初出 ブログにて


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