ソウルクレイドル まとめ

貴方のためにできること




 ぞくり、とこれまでに感じたことの無いほどの悪寒が走る。
 それの正体は分からないが、ギグは言い知れぬ恐怖に反射的に座っていた椅子ごと床に転がり、体勢を立て直した。
 全身から冷や汗と常人であれば当てられたら発狂しかねないほどの殺気を放ってみれば、そこに立つのは赤い髪の少女だった。

「なっ相棒!?」
「と、突然どうしたの?」
「今……いいや、なんでもねぇ」

 得体の知れない恐怖を感じた、とは口が裂けても言えなかった。彼にも譲れない矜持というものがある。 死を総べるものとして恐れられてきた己が、不確かな何かに怯えたなどあってはならない事実だ。
 気のせいだ、とギグはそれを片付けることに決めた。あんな感情を覚えていても、不愉快なだけだ。

「そう? 調子悪かったら、ちゃんと言ってね」
「だーいじょーぶだってーの。それよか、何か用か?」
「あ、ええと、あのね。料理、作ってみたんだ」
「ああ料理なぁ……は?」

 イロイロと少女と結びつかない単語が当の本人の口から紡がれ、ギグの思考を奪う。

「ええと、ほら、あれだよ。たまには作ってみるのもいいかなーって思って。旅の間も食事当番はずっとダネットとかで、私全然やってなかったじゃない。だから、久しぶりに作ってみたの」

 そういえば、確かにリベアが料理をした覚えはない。
 何故かダネットが全て取り仕切っていたし、リタリーが同行するようになってからは彼が主に食事の面倒を見てくれていた。
 もっとも、旅の間にそんな面倒な当番がリベアに回ってきたら、間違いなくギグが断っていた。

「それで、ええと、ギグ、良かったら、えっと…………食べてくれない?」
「へえ、オレ様のために作ってくれたってワケか?」
「そそそんなんじゃなくて! ひ、久しぶりに作ったら量とか間違っちゃったみたいで作りすぎたのね! そそそれで、もしもギグがまだご飯とか食べてなくてお腹空いてるようなら……」

 顔を真っ赤にして、裏返る声で、少し潤んだ目で、緊張した面持ちで、祈るように両手をきつく組んで。

「食べて?」

 ギグに断れるはずも無かった。



………



 最初に感じたのは、異臭だった。
 香ばしいを通り越した、焦げ臭い、と表現できる匂いだ。
 疑問には思ったが、軽く首をひねるだけで済ませた。だが、戻ってきたリベアの手にあるものを見て、ギグは己の目を疑った。
 リベアがトレイに乗せて運んできたものは、どう見ても「料理」と呼べる代物ではなかった。食べ物……口に含んで平気なモノなのかすら、怪しい。

「さあ、いっぱい食べてね!」

 食べる? コレを?
 流石にこれは、愛の試練を乗り越えた二人でも無理だ。
 だって、死ぬ。絶対に、間違いなく、口に入れたその瞬間、死を総べるものが迎えに来る。
 いや、自分こそが死を総べるものなのだからそれは変だ。それなら己が死んだ時は一体誰が迎えに来るのだろう、まさかまたガジルじゃねーだろうな、なんて現実を見たくない一心で別のことを考える。
 それでも、否応もなくリベアの作った「料理」という名のおぞましい悪魔は、目に見えない匂いという触手をギグに伸ばしてくる。
 左手にフォークを、右手にナイフを持って、ギグは真っ青になって俯き、ブルブルと震えた。頬を一筋の汗が流れる。もちろん冷や汗だ。
 過去にこれほど生命の危機を感じたことがあっただろうか。レナに敗れたあの時でさえ、今ほどの恐怖を感じた覚えは無い。
 つまり、これは。

「…………く」
「く?」
「くえるかーーーー!!!!」
「うわわわ!?」

 テーブルを、思いっきりひっくり返した。
 リベアは驚きながらも、宙を待った料理をしっかりと確保していた。

「何するの!」
「そりゃこっちの台詞だ! オレを殺す気か、あぁ!?」
「何それ!」
「ソレのどこが料理だっつーんだよ! ただの消し炭じゃねーか!」
「失礼な! ちょっと焦げた魚じゃない」
「それをちょっとと言うなら、全焼の家だってボヤ扱いだ! つか、なんだそのドブ池の水は!」
「スープでしょ。いろんな野菜を入れて煮込んだ、野菜スープ」
「生ゴミだろ、浮いてんの!」
「そんなもの入れるわけないじゃない。人に食べてもらうのに」
「なら、そっちのドロッドロに溶けてんのは!?」
「あ、それは自信作。焼きホタポタのシロップかけ。大変だったんだよー」
「何で焼いたものが溶解すんだよ!?」
「もうっ! なんでそんなに文句ばっかり言うの? ギグのためにがんばって作ったのに!」
「その心はありがたいがこんなもん食ったら死ぬ! 間違いなく、絶対に! ……つーか、さっき作りすぎたとか言ってなかったか?」
「うううるさいうるさーい! そんなの何だっていいの! そこまで言われたら、本当にそうなるか確かめてやるっ!」

 ぱちん、とリベアが指を弾くと何処からともなくダネットとレナが現れた。
 ダネットは体を、レナは口をがっしりと押さえる。じたばたと全力で逃れようとするが、びくともしない。逃げられない。ダネットとレナは何が面白いのか笑っている。

「可哀想な気がしないでもありませんが、これも試練だと思って諦めなさい」
「いや~あれを食べるだなんて、キミ見直したよ。私だったら絶対にごめんだね」
「そう言えば昔、アイツの料理を食べたドラゴンの雛が失神したのは、未だにこの里の語り草ですよ」
「うっわ。雛でもドラゴンだろ? それを昏倒させるって、かなりのモノだね」

 それはもう、兵器と言っても差し支えないだろう。
 ギグは必死に抵抗するも、それは徒労に終わる。
 そうか、あの悪寒はコレを予感してのことだったのか、と口に無理矢理ねじ込まれた「料理」とやらの悲劇的な味によって消えていく意識で、そう思い至る事ができたのであった。



 その後、リベアの料理を食べさせられたギグはたっぷり五日間寝込み、リベアにリタリーの元へ料理の修業に行くように命じたという。



2008.03.23
修正

2007.05.02
初出 ブログにて



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