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その他いろいろ

あいをこいたいよるのはなし



 小柄で整った容姿。豊満な胸と細くくびれた腰。力を入れれば簡単にへし折れそうな腕や白い首。暖かくていい匂いのするなめらかで瑞々しい肌。愛嬌があって、あまり賢しくない従順な女。
 アスタリオンがヴァンパイア・スポーンになる前は、そんな女を好んで夜を共にしていた。
 結婚や家庭を持つなど考えられなかったから、どの女とも当然長続きはしなかった。
 愛や恋なんてものは一時の感情の昂りで、情熱など簡単に冷めるし神の御前に永遠を誓っても容易く裏切る。
 痴情のもつれに起因する事件をいくつか担当したこともあり、そんな事が理由で命を奪われたり一生を棒に振ったりなど馬鹿馬鹿しいと鼻でせせら笑っていたものだ。
 それが。

 大柄な体躯としっかりとした凛々しい顔立ち。形の良い胸は申し分なく大きいが、続く腹筋はしっかりと鍛えられて引き締まっていて、両手斧を軽々と振り回す腕は並の男よりもずっと太くて逞しい。
 頭は良くないんだと笑っていたが、学習機関で学ぶような知識が足りないだけで、己で考えて判断ができる、決して脳みそまで筋肉でできているような馬鹿でも阿呆でもなかった。……戦いになると途端に理性を失ってしまうが。
 愛嬌とは無縁。素直ではあるが従順さなどは火に焚べたのか微塵もない。
 聡い会話は楽しめたし、からりとして裏表のない性格も悪くないが、こちらの都合も考えずにほいほいと面倒事を引き受けてくる厄介さにはげんなりとさせられた。使いっ走りのような事をさせられたり、血みどろの戦いに明け暮れたり、だ。
 大事な血液の供給源の確保といざと言う時の盾代わりという思惑がなければ近づくことはない、本来なら絶対にアスタリオンが相手にしないタイプであった。
 それなのに。

「アスタリオン? どうした?」
 名前を呼ばれて意識が引き戻された。
 細くない首に唇を這わせたままで止まってしまっていた事を訝しがられたのだろう。
 誤魔化すようにちゅ、と強く吸って体を離す。体重の移動で古いベッドがギシリと軋んだ。
「いや、何でもない」
「何でもなくはないだろう。気が乗らないとか実は満腹だったなら、無理に誘いに乗る必要はないんだぞ」
 適当に煙に巻こうといつもの様におどけた様子で肩をすくめて見せて、口を開いて……一つ大きくため息をつくだけで、結局何も言えなかった。
 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は、嘘も誤魔化しも許してくれそうに無い。
 誠実である事を求められているのではなく、単純に体調を心配されているだけなのが分かってしまっては折れるしかなかった。
「どうしてこんなにお前が欲しいのかと、思ってな」
 それは一体、いつの頃からだっただろうか。
 嫌悪する事も、嘯く愛にのぼせる事も、肉欲にも溺れる事もなく、ただただきらきらとした目で見つめられてしまえば、嘘と打算で築いた偽りの恋人関係に嫌気がさすようになったのだ。耐えきれなくて、心の内を全部曝け出したのはそれ程前のことではない。
 手を繋ぐことの暖かさ、心を寄り添わせる事の充足感、そして互いに愛し合う喜びを教わり、孤独と憎悪だけだった世界が俄かに色づいた。アスタリオンは知らなかった幸福を覚えてしまった。
 それだけで、十分過ぎる程だったのに。
 心も、体も、血も、肉も、最期にこぼれる吐息さえ、全部欲しいとカラカラに干からびている部分が訴えるのだ。
 己の強欲さに自嘲してしまう。
「欲しいと思われてるんなら良かったが、それは他に美味い血を飲んでないからじゃないのか? もっとお前の口に合う血が見つかれば、私じゃなくても良くなるんじゃ?」
「そう言う事じゃない」
「いったっ!」
 女の額をぴしりと指で弾いてやる。
 普段、最前線に踊り出で剣で斬られても魔術の炎に焼かれても獣の爪で裂かれても嬉しそうに笑う姿を知っているのだから、痛みを訴える言葉は説得力が皆無である。
 じゃあなんだって言うんだよ、と女は額をさすりながら唇を尖らせた。アスタリオンだって教えて欲しいくらいなのだ。そんな事は言わないが。
「お前の血は、どんな美酒よりも俺を満たして酔わせる」
「ははっ! それは光栄だな」
 それならほら、と笑って自ら首筋を晒すその仕草は己の命を差し出しているのだという自覚がまるでない。酒を勧めてくるような気安さだ。あれをやったのは自分ではあるが、一度は失血死寸前までいった事を覚えていないのかと頭が痛くなる思いだ。
 信頼を、されているのだろうか。二度と同じ事はやらないと。
 それとも、試されているのか。次はないぞ、と。
 何度も突き刺した牙の跡にそっと触れて指の腹ですり、と撫でればくすぐったそうに身を捩る。
 女の首筋に顔を埋め、ちろと肌を舐めて空気を深く吸う。舌先に感じるのは汗の味で、鼻腔を刺激するのはわずかに残る血の匂いだ。今日も彼女は全身を敵の血でべったりと赤く染め上げていたな、と返り血に塗れてぎらぎらと目を輝かせて笑っていた姿を思い出す。川での水浴びと安物の石鹸程度ではどうしようもなかったらしい。
 軽く肩を押せば、承知とばかりに女の体がゆっくりと倒れる。ぎしぎしと音を立てて揺れる大きな体に見合った体重を受け止めるには、このベッドはいささか古すぎて不安になる。
 ついでに耳たぶを甘噛みすれば、ふふと笑う声が耳のすぐそばで聞こえた。
「まるでセックスのお誘いみたいだな。その気はないんじゃなかったのか?」
「まだ、な。だが、お前がどんな反応をするのかには興味がある。吸血は何度もしてきたが、セックス自体はほんの数回だろう?」
「中途半端な刺激で私が欲求不満になって、他の連中に襲いかかっても知らないぞ」
 その一言に動揺して、小さくだがびくと体が跳ねてしまった。
 彼女が離れてしまうのだと想像するだけでも、心臓が締め付けられる思いがする。
 悪ふざけの冗談だとは分かっていても、もしも。もしも、彼女が本当に自分から離れていってしまうとしたら。その時自分は、一体どうなってしまうのか。自由を手にしたとしても、あの孤独に戻るなど、嫌だ。
 のそりと顔を上げると、ばつの悪そうな表情を浮かべる女と目が合い、高速で逸らされた。きょろきょろと目を泳がせている。
「あー……その、すまない。意地が悪いと言うか、最低な言い方をした。そんな不安そうにするな」
 背中に大きな手が回されて、ぐずる子供をあやす様にぽんぽんと叩かれて、ぎゅうときつく抱きしめられた。
 それまであった隙間が埋められ、お互いの薄い衣服越しに感じる体温はあたたかくて体温の低い自分の肌もゆるゆると温まっていくようだ。
「欲しいのはお前だけだよ。他はいらない。」
 曝け出された首筋に、今度こそ牙を突き立てた。皮膚を裂いて穴を穿つと、あまい血がとくりと溢れ出して頭がくらくらとした。
 女の口から小さく吐息が零されて、背中に回された手が強くシャツを掴んだ。それらが痛みや衝撃の為だけでは無いことは、幾つもの夜を経験してきて知っている。
 カラカラの土に水が染み込むように、渇きが潤されていく。飢えが満たされていく。
 欲しいものをくれるのはいつだってこの女だったし、この女以外ではダメなのだ。
 何も強要せず、何も求めず、どうしても譲れない部分以外の大体のことはこうして寄り添って受け入れてくれるから、そういうところに深く深く、落ちてしまうのだった。





2024.05.24
くるっぷにて


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