ソウルクレイドル まとめ
冬よ、終わらないで
オステカの町からの帰り道、寒い寒いと思っていたらふわりと白い塊が降ってきた。
何かと思わず灰色の空を見上げれば、無数のそれが降ってくる。
思わず手を広げてそれらを受け止めてみれば、一瞬で無色透明な液体に変わった。髪や服につくそれはちっとも溶けずに少しずつ降り積もっていくのに。
好奇心を押さえられずにぺろりと手のひらの水滴を舐めてみたが案の定何の味もせず、つまらなく思いながら濡れた手をコートで拭いた。
紙袋を持っている左手は冷たくなりすぎて痛くなり、右手に持ち替えて息を一つかけてからポケットに突っ込んだ。体の芯から冷えてきてぶるりと震え、コートの襟を締め直してから、足を動かすのを再開させた。
転んだりしないように気をつけながら、袋を落としたりしないように右手に力を込めながら。
「おせえっ!」
村の入り口あたりに立つ人影を視認したと同時に怒鳴られた。
一番いそうにない人物がいたことに私は心底驚いて、まだだいぶ距離があるのにはっきりと聞こえるほどの怒声なのだから彼は相当ご立腹なのだろうと考えて駆け出した。
近づいてみれば、思ったとおりに彼は不機嫌そうな顔をしていた。
「何してるの、ギグ」
「そりゃあこっちの台詞だっつーの! オレ様を待たせるたぁいい度胸じゃねぇかコラ!」
「……待っててくれてたの?」
問いかけると、ギグはしまったという顔をして一瞬沈黙した。
けれどすぐに。
「待ってねぇ!」
と力一杯に否定された。
言っていることが違っていて、少し首を傾げてしまった。
「でも今待た」
「言ってねえ言ってねえ言ってねえ! オレ様がここにいるのはアレだ、暇潰しの散歩であって断じてテメェを待ってたわけじゃねぇっ!」
その慌てぶりに笑いが殺しきれなかった。
頭や肩にうっすら積もった雪とイライラと歩き回ったであろう足跡しか新雪の上にはない事から察するに、少なくとも雪が降る前からこの場にいた事になるわけだが、どうやらそんな事はちっとも頭に入っていないらしい。
かわいいなあ。
以前そう口にしたらとても不機嫌になられたことがあったので、今回は言わないでおくことにした。言いたくて口がむずむずする。
「そうだね、ギグが待つなんて有り得ないもんね」
「……んだよ、その気色わりぃ笑顔は」
「ううん。なんでもない」
「けっ! 気まぐれ起こすんじゃなかったぜ。帰る!」
「ああごめんギグ。これで機嫌直して?」
ずっと持っていた紙袋を差し出すと、訝しそうな顔をしながらそれを受け取って、中を覗いて歓声を上げてくれた。
「おおおおっ!? こりゃリタリーんトコのクリスマス限定ホタポタケーキじゃねーか!」
「うん。一応、クリスマスプレゼントね。ギグへの」
「よっく手に入れたな相棒! よーしさっきのことは水に流してやるぜ!」
現金だなと呆れるも、こぼれるのは苦笑ではなくて穏やかな微笑だった。喜ぶギグを見ていると、それだけでこっちまで嬉しくなってくるから不思議だ。心がぽかぽかする。
とは言え、いくら心が温かくなっても雪を降らせるような冬の空の下にいれば体温はどんどん奪われていく。寒い。特に袋を持っていた右手は冷えすぎて、もう痛みの感覚が遠い。真っ赤で、心なしかむくんで見える。ポケットに入れていた左手でさすってみても、白くなる息を吹きかけてみても、やはり感覚は鈍かった。間違いなく霜焼けだ。きっと後から痒くなる。
手袋をはめておくんだったと後悔して小さな溜め息をつくと、ギグがこちらを振り返った。
「手ぇ、どうかしたんかよ?」
「ちょっと冷えちゃって。ほら」
コートのポケットに入れられている彼の左手を引っ張り出して軽く握ると、小さく呻いて顔をしかめられた。
ギグの左手もあまり暖かくはなかったが、私の手よりはずっとマシだ。
急速に彼の手が冷えていくのは、私が彼の体温を奪っている証拠だった。
「早く帰って、あったかいお茶でケーキ食べよ」
凍える手を僅かでもほぐしてくれる温もりに少しばかり未練を覚えながらギグの手を離して、家に帰ろうと歩きだしたら、突然右手を掴まれた。
驚いて振り返ると、なにやら複雑そうな顔をしている彼と目が合った。
「ギグ?」
「くれてやる」
「え?」
「だーかーらー! オレ様の左手とポケット、相棒にくれてやるっつってんだよ!」
乱暴に言うと、ギグは握ったままの私の手ごと自分のコートのポケットに手を突っ込んで歩き出した。
何が起こっているのかまだよく理解できないまま、引っ張られて転ばないようにと私も足を動かした。分かるのは、ギグに握られた手が暖かいということだけだ。
「アレだ。クリスマスプレゼントってやつだ。オレばっかり貰ってんのも、アレだからよ」
そうつっけんどんに言う彼は私より少しばかり先に立つために、どんな表情をしているのかは分からない。
ただ、かすかに見える頬や耳が赤くなっている事からある程度は想像できる。
ああ、本当になんて可愛い人なんだろう。
「ギグ」
「あんだよ」
「ありがとう」
「………おう」
「えへへ暖かいね」
「………おう」
冬よ、終わらないで。
2008.12.21
初出
オステカの町からの帰り道、寒い寒いと思っていたらふわりと白い塊が降ってきた。
何かと思わず灰色の空を見上げれば、無数のそれが降ってくる。
思わず手を広げてそれらを受け止めてみれば、一瞬で無色透明な液体に変わった。髪や服につくそれはちっとも溶けずに少しずつ降り積もっていくのに。
好奇心を押さえられずにぺろりと手のひらの水滴を舐めてみたが案の定何の味もせず、つまらなく思いながら濡れた手をコートで拭いた。
紙袋を持っている左手は冷たくなりすぎて痛くなり、右手に持ち替えて息を一つかけてからポケットに突っ込んだ。体の芯から冷えてきてぶるりと震え、コートの襟を締め直してから、足を動かすのを再開させた。
転んだりしないように気をつけながら、袋を落としたりしないように右手に力を込めながら。
「おせえっ!」
村の入り口あたりに立つ人影を視認したと同時に怒鳴られた。
一番いそうにない人物がいたことに私は心底驚いて、まだだいぶ距離があるのにはっきりと聞こえるほどの怒声なのだから彼は相当ご立腹なのだろうと考えて駆け出した。
近づいてみれば、思ったとおりに彼は不機嫌そうな顔をしていた。
「何してるの、ギグ」
「そりゃあこっちの台詞だっつーの! オレ様を待たせるたぁいい度胸じゃねぇかコラ!」
「……待っててくれてたの?」
問いかけると、ギグはしまったという顔をして一瞬沈黙した。
けれどすぐに。
「待ってねぇ!」
と力一杯に否定された。
言っていることが違っていて、少し首を傾げてしまった。
「でも今待た」
「言ってねえ言ってねえ言ってねえ! オレ様がここにいるのはアレだ、暇潰しの散歩であって断じてテメェを待ってたわけじゃねぇっ!」
その慌てぶりに笑いが殺しきれなかった。
頭や肩にうっすら積もった雪とイライラと歩き回ったであろう足跡しか新雪の上にはない事から察するに、少なくとも雪が降る前からこの場にいた事になるわけだが、どうやらそんな事はちっとも頭に入っていないらしい。
かわいいなあ。
以前そう口にしたらとても不機嫌になられたことがあったので、今回は言わないでおくことにした。言いたくて口がむずむずする。
「そうだね、ギグが待つなんて有り得ないもんね」
「……んだよ、その気色わりぃ笑顔は」
「ううん。なんでもない」
「けっ! 気まぐれ起こすんじゃなかったぜ。帰る!」
「ああごめんギグ。これで機嫌直して?」
ずっと持っていた紙袋を差し出すと、訝しそうな顔をしながらそれを受け取って、中を覗いて歓声を上げてくれた。
「おおおおっ!? こりゃリタリーんトコのクリスマス限定ホタポタケーキじゃねーか!」
「うん。一応、クリスマスプレゼントね。ギグへの」
「よっく手に入れたな相棒! よーしさっきのことは水に流してやるぜ!」
現金だなと呆れるも、こぼれるのは苦笑ではなくて穏やかな微笑だった。喜ぶギグを見ていると、それだけでこっちまで嬉しくなってくるから不思議だ。心がぽかぽかする。
とは言え、いくら心が温かくなっても雪を降らせるような冬の空の下にいれば体温はどんどん奪われていく。寒い。特に袋を持っていた右手は冷えすぎて、もう痛みの感覚が遠い。真っ赤で、心なしかむくんで見える。ポケットに入れていた左手でさすってみても、白くなる息を吹きかけてみても、やはり感覚は鈍かった。間違いなく霜焼けだ。きっと後から痒くなる。
手袋をはめておくんだったと後悔して小さな溜め息をつくと、ギグがこちらを振り返った。
「手ぇ、どうかしたんかよ?」
「ちょっと冷えちゃって。ほら」
コートのポケットに入れられている彼の左手を引っ張り出して軽く握ると、小さく呻いて顔をしかめられた。
ギグの左手もあまり暖かくはなかったが、私の手よりはずっとマシだ。
急速に彼の手が冷えていくのは、私が彼の体温を奪っている証拠だった。
「早く帰って、あったかいお茶でケーキ食べよ」
凍える手を僅かでもほぐしてくれる温もりに少しばかり未練を覚えながらギグの手を離して、家に帰ろうと歩きだしたら、突然右手を掴まれた。
驚いて振り返ると、なにやら複雑そうな顔をしている彼と目が合った。
「ギグ?」
「くれてやる」
「え?」
「だーかーらー! オレ様の左手とポケット、相棒にくれてやるっつってんだよ!」
乱暴に言うと、ギグは握ったままの私の手ごと自分のコートのポケットに手を突っ込んで歩き出した。
何が起こっているのかまだよく理解できないまま、引っ張られて転ばないようにと私も足を動かした。分かるのは、ギグに握られた手が暖かいということだけだ。
「アレだ。クリスマスプレゼントってやつだ。オレばっかり貰ってんのも、アレだからよ」
そうつっけんどんに言う彼は私より少しばかり先に立つために、どんな表情をしているのかは分からない。
ただ、かすかに見える頬や耳が赤くなっている事からある程度は想像できる。
ああ、本当になんて可愛い人なんだろう。
「ギグ」
「あんだよ」
「ありがとう」
「………おう」
「えへへ暖かいね」
「………おう」
冬よ、終わらないで。
2008.12.21
初出