P3P まとめ
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おかえりなさい
帰ってくるのか来ないのか、そんな相手を公子は一人で待っていた。
人ではなく、形を持った死となり、最期には少女の手で打ち倒され、命を賭した業によって封印された彼を。
記憶を取り戻した仲間たちが帰還を諦めていても、他の人たちから相変わらず彼の記憶がすっぽり抜け落ちていても、彼女だけは彼の帰還を無条件に信じていて、いつのころからか休日の学校に忍び込み、屋上の石造りのベンチに仰向けに寝転がって彼を待つのが習慣になっていた。
ここで会おうと約束を交わしたわけではないが、もしも彼が帰ってくるのならば、それはこの場所以外に思いつかない。タルタロスであった、この場所以外に。
「私が待ってるんだから、早く戻ってこいってのよ」
呟きながら、組んで枕代わりにしていた腕を空に向かって伸ばす。痺れてじりじりと疼く。
きらりと左手の薬指に嵌めた銀色のリングが煌いて、その眩しさに目を閉じると、暗闇の中で伸ばした手に温もりが触れるのを感じた。
驚いて目を開ける。
「人を待ってたの?」
それまで真っ青な空しかなかった空間に人の顔があった。
寝転がった公子を覗き込むようにする顔は逆光で翳ってその表情をはっきりとは伺えない。
けれど、その声には聞き覚えがある。聞き間違いようの無い、ずっとずっと聞きたかった声。
言おうと思っていた言葉は全部どこかに飛んでいってしまった。
「うん。待ってたの」
「君みたいな可愛い子を待たせるなんて、酷い相手だね」
「……私が可愛いかどうかは置いておくとして、私もそう思う」
「その相手って、どんな人?」
「優しくって、女の子が大好きで、ちょっとエッチで、ロマンチストで、私のことを大切な人って言ってくれる、大好きな人」
「……それって、君の恋人?」
「まあ、平たく言えば」
「そんな変わった人が好きなの?」
「変わった人っていうか、君のことだよ」
「えっ!?」
「なんでそこで驚くの」
「だって、恋人を待っていたんでしょ?」
「うん」
「なのに、ボクを待ってた?」
「うん」
「恋人って、ボク?」
「あれだけ好きだ愛してる許されない恋だって口説いておいて、何寝ぼけたこと言ってるの?」
「いや、だってほら、あれとかそれとかいろいろあって、ボクのことなんて嫌いになってすっかり忘れてるだろうなって」
「嫌われたり忘れたりしててほしかったみたいに聞こえるんだけど」
「悲しいけどね。ボクを引きずって幸せを逃すくらいなら、忘れてほしかっ」
一瞬で頭に血が上るのを感じて、少女はベンチから跳ね起きた。
できるだけその勢いを殺さないように両足でしっかりと踏ん張ると上半身にひねりを加え、腕を鞭のようにしならせたそれは唸りを上げて彼に襲いかかり、間を置かずして痛烈な音があたりに響いた。
衝撃に耐えきれなかった彼は吹っ飛ばされ尻もちをつき、平手を食らって赤くなる頬に手を当てた。大きな目には痛みのためか潤んでいた。
そんな少年を見下ろして、少女は腕を組んで仁王立ちになる。
思い切りひっぱたいて手の平を覆うじんじんとした痛みは不思議と遠い。痛みを凌駕するほどの感情が公子の内に渦巻いていた。
「いたた……」
「ったり前よっ! 痛いように叩いたんだからっ!」
「……泣いてるの?」
「怒ってるの! ずっと待ってたのになかなか来なくて、やっと来たと思ったら振られたと思い込んでたとか忘れてほしかったとかホントもうなんなのアンタ! 待ってたのは私の勝手だけどそれをバカにする気なの? なんで指輪つけてるかとかちっとは考えたらどうよ! アンタを覚えてて辛いとか思ったら言われるまでもなくアンタなんて忘れて他の男と付き合ってるわよ! これでもモテるんだからっ!」
「……ごめん」
「ごめんじゃないでしょ! もっと他に言うべきこととかやるべきこととかあんでしょうが!」
彼は立ち上がり、捲くし立てて息を荒げる公子の顔にそっと手を伸ばす。
頬を伝う涙を親指で拭って、未だ水滴を溜めている目元に唇を落とし、少女の小さな体をきつく抱きしめた。
動作の全てが優しくて、まるで氷が溶けていくように彼女の怒りもすっかり溶かされてしまった。
抱きしめられた苦しさに体を捩ると、二つの体に挟まれていた腕が自由になり、その両手を少年の背中に回す。
手の平の痛みも、抱きすくめられる苦しさも、耳元に感じる吐息も、己の腕がしっかりと捕まえている背中も、全部が現実だと訴えている。
もしもこれが夢なら、なんて性質の悪い幸せな悪夢だ。死ぬまで目覚めなくていい。
けれど、これは夢じゃない。
彼は、ここにいる。
理由なんてどうでもいい。宇宙の法則が乱れようが御伽噺のような愛の力だと言われようが神様が起こしてくれた奇跡だろうが、彼が存在しているというその一点が紛れもない事実であれば、あとは全部瑣末なことだ。
「ただいま、公子ちゃん」
「おかえり、綾時」
もう離さない。
2010.01.09
初出
帰ってくるのか来ないのか、そんな相手を公子は一人で待っていた。
人ではなく、形を持った死となり、最期には少女の手で打ち倒され、命を賭した業によって封印された彼を。
記憶を取り戻した仲間たちが帰還を諦めていても、他の人たちから相変わらず彼の記憶がすっぽり抜け落ちていても、彼女だけは彼の帰還を無条件に信じていて、いつのころからか休日の学校に忍び込み、屋上の石造りのベンチに仰向けに寝転がって彼を待つのが習慣になっていた。
ここで会おうと約束を交わしたわけではないが、もしも彼が帰ってくるのならば、それはこの場所以外に思いつかない。タルタロスであった、この場所以外に。
「私が待ってるんだから、早く戻ってこいってのよ」
呟きながら、組んで枕代わりにしていた腕を空に向かって伸ばす。痺れてじりじりと疼く。
きらりと左手の薬指に嵌めた銀色のリングが煌いて、その眩しさに目を閉じると、暗闇の中で伸ばした手に温もりが触れるのを感じた。
驚いて目を開ける。
「人を待ってたの?」
それまで真っ青な空しかなかった空間に人の顔があった。
寝転がった公子を覗き込むようにする顔は逆光で翳ってその表情をはっきりとは伺えない。
けれど、その声には聞き覚えがある。聞き間違いようの無い、ずっとずっと聞きたかった声。
言おうと思っていた言葉は全部どこかに飛んでいってしまった。
「うん。待ってたの」
「君みたいな可愛い子を待たせるなんて、酷い相手だね」
「……私が可愛いかどうかは置いておくとして、私もそう思う」
「その相手って、どんな人?」
「優しくって、女の子が大好きで、ちょっとエッチで、ロマンチストで、私のことを大切な人って言ってくれる、大好きな人」
「……それって、君の恋人?」
「まあ、平たく言えば」
「そんな変わった人が好きなの?」
「変わった人っていうか、君のことだよ」
「えっ!?」
「なんでそこで驚くの」
「だって、恋人を待っていたんでしょ?」
「うん」
「なのに、ボクを待ってた?」
「うん」
「恋人って、ボク?」
「あれだけ好きだ愛してる許されない恋だって口説いておいて、何寝ぼけたこと言ってるの?」
「いや、だってほら、あれとかそれとかいろいろあって、ボクのことなんて嫌いになってすっかり忘れてるだろうなって」
「嫌われたり忘れたりしててほしかったみたいに聞こえるんだけど」
「悲しいけどね。ボクを引きずって幸せを逃すくらいなら、忘れてほしかっ」
一瞬で頭に血が上るのを感じて、少女はベンチから跳ね起きた。
できるだけその勢いを殺さないように両足でしっかりと踏ん張ると上半身にひねりを加え、腕を鞭のようにしならせたそれは唸りを上げて彼に襲いかかり、間を置かずして痛烈な音があたりに響いた。
衝撃に耐えきれなかった彼は吹っ飛ばされ尻もちをつき、平手を食らって赤くなる頬に手を当てた。大きな目には痛みのためか潤んでいた。
そんな少年を見下ろして、少女は腕を組んで仁王立ちになる。
思い切りひっぱたいて手の平を覆うじんじんとした痛みは不思議と遠い。痛みを凌駕するほどの感情が公子の内に渦巻いていた。
「いたた……」
「ったり前よっ! 痛いように叩いたんだからっ!」
「……泣いてるの?」
「怒ってるの! ずっと待ってたのになかなか来なくて、やっと来たと思ったら振られたと思い込んでたとか忘れてほしかったとかホントもうなんなのアンタ! 待ってたのは私の勝手だけどそれをバカにする気なの? なんで指輪つけてるかとかちっとは考えたらどうよ! アンタを覚えてて辛いとか思ったら言われるまでもなくアンタなんて忘れて他の男と付き合ってるわよ! これでもモテるんだからっ!」
「……ごめん」
「ごめんじゃないでしょ! もっと他に言うべきこととかやるべきこととかあんでしょうが!」
彼は立ち上がり、捲くし立てて息を荒げる公子の顔にそっと手を伸ばす。
頬を伝う涙を親指で拭って、未だ水滴を溜めている目元に唇を落とし、少女の小さな体をきつく抱きしめた。
動作の全てが優しくて、まるで氷が溶けていくように彼女の怒りもすっかり溶かされてしまった。
抱きしめられた苦しさに体を捩ると、二つの体に挟まれていた腕が自由になり、その両手を少年の背中に回す。
手の平の痛みも、抱きすくめられる苦しさも、耳元に感じる吐息も、己の腕がしっかりと捕まえている背中も、全部が現実だと訴えている。
もしもこれが夢なら、なんて性質の悪い幸せな悪夢だ。死ぬまで目覚めなくていい。
けれど、これは夢じゃない。
彼は、ここにいる。
理由なんてどうでもいい。宇宙の法則が乱れようが御伽噺のような愛の力だと言われようが神様が起こしてくれた奇跡だろうが、彼が存在しているというその一点が紛れもない事実であれば、あとは全部瑣末なことだ。
「ただいま、公子ちゃん」
「おかえり、綾時」
もう離さない。
2010.01.09
初出