黄金主とだれか。
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君に捧げる愛の言葉
遅々として進まないロストール、ディンガルの和平条約の会議に男の不快指数はぐんぐん上昇し、相手国の皇帝代理と宰相を前にして不愉快そうな顔を隠そうともしなくなった。しかしそれは相手の宰相も同様で、眉間に深く刻まれた縦皺がそれを雄弁に物語っている。
皇帝代理であるザギヴも苛立ちはしているのだろうが彼らのようにそれを顔には出していない。筆頭主席であるティアナは柔和な微笑を崩していないが静かな怒気を纏っているのは誰の目にも明らかで、会議に同席している両国の他の官僚に至っては四人の間に飛び散る冷たい火花を感じ取り、決死の覚悟で休憩を提案することしか出来なかった。
「いっそ結婚なされば宜しいんですわ」
怒っていてなお、ティアナの所作は完璧に優雅であった。カップに伸ばされる指の動きですら乱暴なところは見られない。
以前であれば癇癪を起こしていたところだが、成長したものだなと密かに感心していたレムオンは怪訝そうな目を向けた。
「……は?」
「レムオン様とレティシア様がご結婚されれば、ディンガルもあの方を皇帝に擁立など無茶なことは控えるでしょう」
それは怒りに任せての発言のはずだった。だが、口に出してみるとそれは存外に良い案のように思えた。否、良い案どころではない。これ以上の上策などあろうか。
ティアナは一人頷きながら言葉を続けた。
「廃嫡されたとは言えレムオン様はリューガ家を背負われていたお方。エリエナイ公でいらしたときの功績は大きいですし、加えてあの最後の戦いにも参加されてレティシア様を支えられました。更にはあの方が絶大な信頼と好意を寄せていることは紛れもない事実。だからこそ、こうして政界へと戻られても誰も文句は言えないのです。政略的に考えてお二人のご結婚は大きな利になります」
「おい」
「と言う事で、今すぐご婚約なさってください」
十数年もの間想い続けていた相手からにっこりと微笑まれながらさっさと結婚しろと言われるのは、既に心が彼女になくとも堪えるものなのだとレムオンは初めて知った。知りたくも無かった。
思いの外に繊細な心に大打撃を受けた男は顔を覆いそうになるのを抑え、カップに手を伸ばすことで誤魔化した。唇をつけた白磁は滑らかで、口の中に流れ込んでくる紅茶は温かく良い香りだった。ほのかな甘みもあり、傷ついた心がほんの少しだけ癒えた気がする。
「……勝手に話を進めるな」
「あら、レムオン様はレティシア様がお嫌い?」
「そうは言っていない」
「なら良いではありませんか」
「俺は良くても、あれがどう思っているかは分からんだろうが」
「つまり、レムオン様はレティシア様とご結婚なさる意志がある、と?」
「無くは、ないが」
「そこは正直にあるとおっしゃって下さいな」
「……大分いい性格になったな、ティアナ」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。では、最後にご本人に確認を取りましょうか」
ちりん、と卓の上に置かれていた小さな呼び鈴を鳴らすと続きの間の扉が開かれ、そこに立つ人物を目にしたレムオンは椅子を倒して立ち上がった。
騒ぎの中心人物であるレティシアが立っていた。どの辺りからかは定かではないが、恐らく結婚するのしないのの話は聞いていたに違いない。
「本当は三人でお茶でも思っておりましたけれど、気が変わりましたわ」
「待てティアナ!」
「それでは、邪魔なティアナは退散いたします。ごゆっくりどうぞ。うふふ」
優雅に二人に礼をすると、女は男の制止の声を完全に無視して部屋から出て行った。
レティシアが一歩を踏み出し、二人の距離が縮んだ。
「兄上、私」
さらにもう一歩。
距離が縮むごとに心臓の鼓動が早くなる。大きく脈打って痛いくらいだ。
「待て」
少しずつ近づいてくるレティシアを制し、レムオンが一歩を踏み出す。
大きな窓から入る陽光が、空気中に漂う細かな埃に反射してきらきらと輝くのが美しい。
彼女がいると、それだけで世界が色鮮やかになる。彼女も、己がいるだけで世界が美しく見えてくれていたらどれだけ嬉しいか。
「どうせ聞いていたんだろう」
「その……はい」
「ならやり直しだ。成り行きで返事などされたくない」
レティシアに近づくと、その足元に跪き、恭しくその手を取った。
刺繍針を持つよりも剣を振るうことのほうが似合う手だ。女らしい柔らかさもしなやかさも無い、節くれ立って肉刺だらけの無骨な手はお世辞にも美しいとは言えない。だが、男にとっては世界で一番大切な手だ。己を闇から救い上げてくれた、愛しい手。
己の本性を知ってから生涯誰にも言うことなどないと思っていた言葉を捧げるなら、それはこの手の主しかいない。たとえ断られたとしても、そこに後悔はない。
「俺の―――……」
煌く世界でレティシアは小さく、けれど嬉しそうに頷いた。
2009.08.11
初出
遅々として進まないロストール、ディンガルの和平条約の会議に男の不快指数はぐんぐん上昇し、相手国の皇帝代理と宰相を前にして不愉快そうな顔を隠そうともしなくなった。しかしそれは相手の宰相も同様で、眉間に深く刻まれた縦皺がそれを雄弁に物語っている。
皇帝代理であるザギヴも苛立ちはしているのだろうが彼らのようにそれを顔には出していない。筆頭主席であるティアナは柔和な微笑を崩していないが静かな怒気を纏っているのは誰の目にも明らかで、会議に同席している両国の他の官僚に至っては四人の間に飛び散る冷たい火花を感じ取り、決死の覚悟で休憩を提案することしか出来なかった。
「いっそ結婚なされば宜しいんですわ」
怒っていてなお、ティアナの所作は完璧に優雅であった。カップに伸ばされる指の動きですら乱暴なところは見られない。
以前であれば癇癪を起こしていたところだが、成長したものだなと密かに感心していたレムオンは怪訝そうな目を向けた。
「……は?」
「レムオン様とレティシア様がご結婚されれば、ディンガルもあの方を皇帝に擁立など無茶なことは控えるでしょう」
それは怒りに任せての発言のはずだった。だが、口に出してみるとそれは存外に良い案のように思えた。否、良い案どころではない。これ以上の上策などあろうか。
ティアナは一人頷きながら言葉を続けた。
「廃嫡されたとは言えレムオン様はリューガ家を背負われていたお方。エリエナイ公でいらしたときの功績は大きいですし、加えてあの最後の戦いにも参加されてレティシア様を支えられました。更にはあの方が絶大な信頼と好意を寄せていることは紛れもない事実。だからこそ、こうして政界へと戻られても誰も文句は言えないのです。政略的に考えてお二人のご結婚は大きな利になります」
「おい」
「と言う事で、今すぐご婚約なさってください」
十数年もの間想い続けていた相手からにっこりと微笑まれながらさっさと結婚しろと言われるのは、既に心が彼女になくとも堪えるものなのだとレムオンは初めて知った。知りたくも無かった。
思いの外に繊細な心に大打撃を受けた男は顔を覆いそうになるのを抑え、カップに手を伸ばすことで誤魔化した。唇をつけた白磁は滑らかで、口の中に流れ込んでくる紅茶は温かく良い香りだった。ほのかな甘みもあり、傷ついた心がほんの少しだけ癒えた気がする。
「……勝手に話を進めるな」
「あら、レムオン様はレティシア様がお嫌い?」
「そうは言っていない」
「なら良いではありませんか」
「俺は良くても、あれがどう思っているかは分からんだろうが」
「つまり、レムオン様はレティシア様とご結婚なさる意志がある、と?」
「無くは、ないが」
「そこは正直にあるとおっしゃって下さいな」
「……大分いい性格になったな、ティアナ」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。では、最後にご本人に確認を取りましょうか」
ちりん、と卓の上に置かれていた小さな呼び鈴を鳴らすと続きの間の扉が開かれ、そこに立つ人物を目にしたレムオンは椅子を倒して立ち上がった。
騒ぎの中心人物であるレティシアが立っていた。どの辺りからかは定かではないが、恐らく結婚するのしないのの話は聞いていたに違いない。
「本当は三人でお茶でも思っておりましたけれど、気が変わりましたわ」
「待てティアナ!」
「それでは、邪魔なティアナは退散いたします。ごゆっくりどうぞ。うふふ」
優雅に二人に礼をすると、女は男の制止の声を完全に無視して部屋から出て行った。
レティシアが一歩を踏み出し、二人の距離が縮んだ。
「兄上、私」
さらにもう一歩。
距離が縮むごとに心臓の鼓動が早くなる。大きく脈打って痛いくらいだ。
「待て」
少しずつ近づいてくるレティシアを制し、レムオンが一歩を踏み出す。
大きな窓から入る陽光が、空気中に漂う細かな埃に反射してきらきらと輝くのが美しい。
彼女がいると、それだけで世界が色鮮やかになる。彼女も、己がいるだけで世界が美しく見えてくれていたらどれだけ嬉しいか。
「どうせ聞いていたんだろう」
「その……はい」
「ならやり直しだ。成り行きで返事などされたくない」
レティシアに近づくと、その足元に跪き、恭しくその手を取った。
刺繍針を持つよりも剣を振るうことのほうが似合う手だ。女らしい柔らかさもしなやかさも無い、節くれ立って肉刺だらけの無骨な手はお世辞にも美しいとは言えない。だが、男にとっては世界で一番大切な手だ。己を闇から救い上げてくれた、愛しい手。
己の本性を知ってから生涯誰にも言うことなどないと思っていた言葉を捧げるなら、それはこの手の主しかいない。たとえ断られたとしても、そこに後悔はない。
「俺の―――……」
煌く世界でレティシアは小さく、けれど嬉しそうに頷いた。
2009.08.11
初出