黄金主とだれか。
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最低で最高のハッピーバースデイ
誰かに呼ばれる声で意識が浮上する。
薄く目を開くと、溢れる眩い光と、その光の中にあるには不似合いな不安そうな女の顔が目に飛び込んできた。
「良かった。気づきました?」
「レティシア……? 俺は……」
「ああ、まだ起きない方が」
頭の下の柔らかな感触の正体に慌てて上半身を起こそうとするとぐわんと目が回って、そのまま後ろに倒れてレティシアの太ももに逆戻りとなった。
「いいですよ」
「……そのようだ」
今すぐにでも頭をずり落としたいのだが、弱りきった体にはそれだけの力もない。
そもそも、ここはどこで、どうして俺が倒れていて、それをこいつが膝枕などしているのか。
思い出そうとするが、頭の中は靄がかかって上手く記憶を辿れない。
「驚きましたよ。私、人通りがほとんどないからこの廊下よく使うんですけど、兄上が倒れてるんですもん。良かったですね、通りかかったのが私で」
倒れていた。
そうだ。俺は倒れたのだ。
ここ一月以上続く激務に体がついに耐え切れなくなり、城の廊下を移動中に意識を失ってしまった。
いや、それだけが理由でもないか、と自嘲的な笑いが込み上げてくるのを飲み込んだ。
この事がノヴィンやエリスの耳に入れば不調を理由に俺を一時的に政治から外すくらいのことはやりかねない。
情けない話だ。己の体調管理すらできないとは。それも敵陣のど真ん中で醜態を晒してしまった。
「全くだ。誰かに見られていないだろうな」
「そのへんは抜かりなく。私が来てからは人は通ってないですし、念のためにインビジブルの魔法使ってますから、周りからは見えないはずです」
「そうか」
その言葉に少しだけ安堵する。
気が抜けたのか、大きな窓から差し込む光が暖かくて心地良いからか、再び瞼が重く下がってくる。体の方もだるさのあまり言うことを聞かないようで、大人しくその欲求に従った。
ふとレティシアの指が頬に触れてくる。
血の気を失って冷たくなった肌にその熱さが心地いい。
「最近」
声に閉じていた瞼を薄く開く。
レティシアの顔は微笑んではいたが、どこか憂いや痛みを含んだように見えた。
「血を飲んでいないでしょう」
断定的な問いに、すぐに返答できなかった。
俺の沈黙は即ち肯定であると、浅くない付き合いとなった女は知っている。
そして真実、最後に血を飲んだのは何時だったなど忘れてしまうほど前で、今日倒れた一番の理由もそれだ。
「私の血でよければ飲みます?」
「いらん。余計な気を遣うな」
「まあまあ。誕生日の贈り物だと思ってくださいよ」
誕生日。
俺がこの世に生まれ落ちた日。
忌まわしい言葉。忌まわしい記念日。
忙しさにかまけてすっかり忘れていた、今日という日。
否。忘れるために政務に没頭していたのだと、今更ながらに気がついた。忙しく動き回っていれば、誰もそんな話題を持ち出そうとはしないから。
無意識に見たくないものから目を逸らそうと、聞きたくない言葉から耳を塞ごうとしていた己の弱さに辟易して、重いため息をついた。
「余計にいらん。俺の誕生日など忘れろ。一年で一番反吐の出る日だ」
「そう言わずに。めでたい日じゃないですか」
「どこがだ」
めでたいと思うのは世界に誕生を祝福され、光の中で生きることを許された者達だけだ。
世界に忌まわれ、本来なら闇に生きるべき種にある俺には呪いのようなものでしかない。
頑なな俺の態度に呆れたのか、レティシアは小さく嘆息する。
すると彼女は腰に下げていた小さなナイフを抜き、自分の人差し指の先に刃を当てると躊躇う事なく横に引いた。
ぷつりと薄い皮膚が切り裂かれ、そこから溢れ出した紅玉の如く赤い液体が珠を結ぶ。
常人には感じられない程僅かな血臭を嗅ぎ取ると、不愉快なはずの鉄錆の匂いは熟れて腐り落ちる寸前の果実のような濃厚な甘い香りにしか感じられず、ごくりと喉を鳴らしてしまった。
目線もそれから外せない。
指先が近づいてくる。
強烈な飢餓感と、喉の渇きに気が狂いそうになる。
「な、にを」
「実力行使です」
言うなり指を口に突っ込まれた。
じわりじわりと小さな傷口から湧いてくる血液が口内を浸食していく。
たまらずに唾液に溶けたそれを嚥下してしまえば、どうしようもない程の飢餓感に抗えない。
引き抜こうと女の手に掛けたはずの己の手はそれを果たすことは叶わず、それどころか逃がさないようにとしっかりと掴んでしまう有り様だ。あるいは縋りついているようにも見えるだろうか。
ぢゅ、と音が鳴るほど強く吸い、それでも溢れる血が足りないと傷口に舌をねじ込み傷口を広げようとすれば、舌先に感じる肉の感触に背筋がぞわりとした。
足りない。足りない。まだ足りない。
欲しい。欲しい。この女の全てが。
鋭く尖った牙を突き立てろ。
指先ではなく柔らかな首筋に突き立てて、全てを喰らい尽くしてしまえ―――!
「……っは」
そんな甘く暗い衝動を最後に残った理性を総動員して押さえ込めたのは、レティシアの白い首筋に今まさに牙を突き立てようとする瞬間だった。
薄皮一枚隔てた向こう側から匂い立つ、芳醇な葡萄酒のような香りの誘惑に脳が焼き切れそうになるほどの抵抗をして、ようやく肌に浅く食い込んだ牙を引き剥がすことができた。
苦しい息を重く吐き出し、疲労の溜まった体を支えきれずにレティシアの肩に頭を落とした。
恐ろしいことに、いつ体を起こしたのか、どうやって起きたのか、まったく覚えていない。全て衝動に支配されて動いていた。己の体が己のものではないようで、吐きそうだ。
ぐったりとした背中に、しなやかな腕が回される。
「ハッピーバースデイ、兄上。貴方が生まれてきてくれて、私は幸せです」
これほど自己嫌悪で最低な気分にさせるくせに、最高の高揚感を覚えた誕生日の記憶はこの二十数年間の中にはない。
喰い殺されそうになったというのに変わらずに笑いながら俺を優しく抱きしめる義妹が、慈悲深い聖女のようにも残酷な魔女のようにも思えた。
2010.06.20
初出
誰かに呼ばれる声で意識が浮上する。
薄く目を開くと、溢れる眩い光と、その光の中にあるには不似合いな不安そうな女の顔が目に飛び込んできた。
「良かった。気づきました?」
「レティシア……? 俺は……」
「ああ、まだ起きない方が」
頭の下の柔らかな感触の正体に慌てて上半身を起こそうとするとぐわんと目が回って、そのまま後ろに倒れてレティシアの太ももに逆戻りとなった。
「いいですよ」
「……そのようだ」
今すぐにでも頭をずり落としたいのだが、弱りきった体にはそれだけの力もない。
そもそも、ここはどこで、どうして俺が倒れていて、それをこいつが膝枕などしているのか。
思い出そうとするが、頭の中は靄がかかって上手く記憶を辿れない。
「驚きましたよ。私、人通りがほとんどないからこの廊下よく使うんですけど、兄上が倒れてるんですもん。良かったですね、通りかかったのが私で」
倒れていた。
そうだ。俺は倒れたのだ。
ここ一月以上続く激務に体がついに耐え切れなくなり、城の廊下を移動中に意識を失ってしまった。
いや、それだけが理由でもないか、と自嘲的な笑いが込み上げてくるのを飲み込んだ。
この事がノヴィンやエリスの耳に入れば不調を理由に俺を一時的に政治から外すくらいのことはやりかねない。
情けない話だ。己の体調管理すらできないとは。それも敵陣のど真ん中で醜態を晒してしまった。
「全くだ。誰かに見られていないだろうな」
「そのへんは抜かりなく。私が来てからは人は通ってないですし、念のためにインビジブルの魔法使ってますから、周りからは見えないはずです」
「そうか」
その言葉に少しだけ安堵する。
気が抜けたのか、大きな窓から差し込む光が暖かくて心地良いからか、再び瞼が重く下がってくる。体の方もだるさのあまり言うことを聞かないようで、大人しくその欲求に従った。
ふとレティシアの指が頬に触れてくる。
血の気を失って冷たくなった肌にその熱さが心地いい。
「最近」
声に閉じていた瞼を薄く開く。
レティシアの顔は微笑んではいたが、どこか憂いや痛みを含んだように見えた。
「血を飲んでいないでしょう」
断定的な問いに、すぐに返答できなかった。
俺の沈黙は即ち肯定であると、浅くない付き合いとなった女は知っている。
そして真実、最後に血を飲んだのは何時だったなど忘れてしまうほど前で、今日倒れた一番の理由もそれだ。
「私の血でよければ飲みます?」
「いらん。余計な気を遣うな」
「まあまあ。誕生日の贈り物だと思ってくださいよ」
誕生日。
俺がこの世に生まれ落ちた日。
忌まわしい言葉。忌まわしい記念日。
忙しさにかまけてすっかり忘れていた、今日という日。
否。忘れるために政務に没頭していたのだと、今更ながらに気がついた。忙しく動き回っていれば、誰もそんな話題を持ち出そうとはしないから。
無意識に見たくないものから目を逸らそうと、聞きたくない言葉から耳を塞ごうとしていた己の弱さに辟易して、重いため息をついた。
「余計にいらん。俺の誕生日など忘れろ。一年で一番反吐の出る日だ」
「そう言わずに。めでたい日じゃないですか」
「どこがだ」
めでたいと思うのは世界に誕生を祝福され、光の中で生きることを許された者達だけだ。
世界に忌まわれ、本来なら闇に生きるべき種にある俺には呪いのようなものでしかない。
頑なな俺の態度に呆れたのか、レティシアは小さく嘆息する。
すると彼女は腰に下げていた小さなナイフを抜き、自分の人差し指の先に刃を当てると躊躇う事なく横に引いた。
ぷつりと薄い皮膚が切り裂かれ、そこから溢れ出した紅玉の如く赤い液体が珠を結ぶ。
常人には感じられない程僅かな血臭を嗅ぎ取ると、不愉快なはずの鉄錆の匂いは熟れて腐り落ちる寸前の果実のような濃厚な甘い香りにしか感じられず、ごくりと喉を鳴らしてしまった。
目線もそれから外せない。
指先が近づいてくる。
強烈な飢餓感と、喉の渇きに気が狂いそうになる。
「な、にを」
「実力行使です」
言うなり指を口に突っ込まれた。
じわりじわりと小さな傷口から湧いてくる血液が口内を浸食していく。
たまらずに唾液に溶けたそれを嚥下してしまえば、どうしようもない程の飢餓感に抗えない。
引き抜こうと女の手に掛けたはずの己の手はそれを果たすことは叶わず、それどころか逃がさないようにとしっかりと掴んでしまう有り様だ。あるいは縋りついているようにも見えるだろうか。
ぢゅ、と音が鳴るほど強く吸い、それでも溢れる血が足りないと傷口に舌をねじ込み傷口を広げようとすれば、舌先に感じる肉の感触に背筋がぞわりとした。
足りない。足りない。まだ足りない。
欲しい。欲しい。この女の全てが。
鋭く尖った牙を突き立てろ。
指先ではなく柔らかな首筋に突き立てて、全てを喰らい尽くしてしまえ―――!
「……っは」
そんな甘く暗い衝動を最後に残った理性を総動員して押さえ込めたのは、レティシアの白い首筋に今まさに牙を突き立てようとする瞬間だった。
薄皮一枚隔てた向こう側から匂い立つ、芳醇な葡萄酒のような香りの誘惑に脳が焼き切れそうになるほどの抵抗をして、ようやく肌に浅く食い込んだ牙を引き剥がすことができた。
苦しい息を重く吐き出し、疲労の溜まった体を支えきれずにレティシアの肩に頭を落とした。
恐ろしいことに、いつ体を起こしたのか、どうやって起きたのか、まったく覚えていない。全て衝動に支配されて動いていた。己の体が己のものではないようで、吐きそうだ。
ぐったりとした背中に、しなやかな腕が回される。
「ハッピーバースデイ、兄上。貴方が生まれてきてくれて、私は幸せです」
これほど自己嫌悪で最低な気分にさせるくせに、最高の高揚感を覚えた誕生日の記憶はこの二十数年間の中にはない。
喰い殺されそうになったというのに変わらずに笑いながら俺を優しく抱きしめる義妹が、慈悲深い聖女のようにも残酷な魔女のようにも思えた。
2010.06.20
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