黄金主とだれか。
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Beautiful Name
「贈り物は何がいいですか」
あまり良いとは言えない顔色と充血した白目、その下の濃い隈から睡眠不足なのだろうと察することはできた。
ずいと近づけてくるレティシアの顔は真剣を通り越して絶望的ですらあり、鬼気迫るものを感じてレムオンは心ならずものけぞった。女は二人の間にある机に乗り上がってさらに身を乗り出して男に迫る。
「な、何の話だ。突然」
「明日の、兄上のお誕生日の話です」
唐突にも程がある。
ふらりと世界が回るような錯覚を覚えた。
「俺が無理難題を口にしたらどうするつもりだったんだ。聞くのなら、もっと早いうちにするべきだろう」
「いや、その、いろいろと考えたり人に聞いたりしているうちにこんな時期になってしまいまして……で、ですね。何か欲しいものはないんですか? 何だって差し上げますよ」
「いや、特にはないが。お前の好きなものを選んで……いや、なんでもない。とりあえず机から降りろ」
不意に去年の悪夢を思い出し、こめかみを押さえた。被害は最小限だったとは言え精神的ダメージは大きく、思い出すだけでも頭痛の種だ。
宝物庫の奥に厳重に封印してしまいこんでいたそれを処分しようと何度も考えたが、女給たちの必死の懇願により(曰く、「本当に祟られたりしたらどうするんですか」)庭の片隅に小さな祠を作ってそこに安置されている。幸い、今のところ凶事も吉事も起こっていない。もしかしたら、己の与り知らぬところで何がしか起こっているのかもしれなかったが、知りたいとは到底思えなかった。
そんな事件があったことを思えば、次に何が来るのか恐ろしくて迂闊なことは言えない。
レティシアはレティシアでその件を気にしているらしく、だからこそこうして悩み、尋ねてくるのだろう。
「気にするな。俺はお前のその気持ちで十分だ」
「私が気にするんです!」
だん、と強く机を叩いた。どうやら悩みは深く、相当彼女を苛んでいるらしい。去年の失敗を挽回するがために張り切っているのか、それとは関係なく気持ちが先走っているのかはレムオンにも窺い知れなかった。
そこまで真剣に考えられているのなら、きちんと答えねばなるまい。
ふむ、と男は思案する。
大抵の物なら、彼の手中にある。大陸に名を轟かせる名工の鍛え上げた剣。緻密な意匠の施された鎧。共に地を駆ける駿馬。絵画や彫像と言った調度品に宝石などの貴金属は国の立て直しのために相当数を手放したが、もともと執着があったわけではないし今でも十分な数を所有している。ならば美酒美食はどうかと言えば、これらも料理人らの手によって作り出されるし、酒も蔵にたっぷりと用意されている。
己の思うとおりに手に入らぬものがあるとすれば、それは有能な部下と肩を並べられる友であるが、それは人から与えられるものではないのだから口にするだけ無駄である。
そうなると、どうしても欲しい、と思えるものが見当たらない。
しばらく考えて、思いついた言葉がぽつりと口からこぼれた。
「……名前、か?」
「はっ?」
「うむ、そうだな。名前がいい」
「名前、ですか?」
「そろそろ『兄上』ではなく、名前で呼んでくれ。それが俺への贈り物だ」
「それって、つま、り……」
理解するのにたっぷり二十秒。
顔を真っ赤にするのに一秒。
混乱の極みに口をぱくぱくさせて六秒。
そして絶叫。
「むっ、ムリムリムリムリっ!」
「何故?」
「だっ、そんな、恥ずかしい! 今までずっと兄上だったのに、そ、それがいきなり名前だなんて!!」
「何でもくれるんだろう? それとも、口からでまかせか?」
「女に二言はありません!」
「なら、言えるな?」
切れ長の目の細めて、薄い唇は楽しそうに弧を描く。
挑発だと分かっていても女は首を縦に振り、すぐに後悔することになる。
「レ、レレ、ム…… レム、レム、オいやああああやっぱり恥ずかしいぃっ!」
奇声を上げて、顔を覆う。髪の毛の隙間から覗く耳は真っ赤だ。
慌てふためく様が可愛く思えて殺しきれない笑いがくつくつと漏れた。
手をどけると、やはり羞恥に赤くなった顔があった。涙目で、泣きそうな表情をしている。
「ほ、他のにしましょうよ! うん。竜の生け捕りとか。兄上の嫌いなあの人の首を取って来るとかの方がよっぽどお祝いらしいですし!」
「竜など獲って帰ってこられても飼えないぞ。後者に至っては論外だ」
なんでもいい、と言わなくて良かったと心底思ったレムオンである。
万が一にも来年の誕生日に卵か竜の子を持って帰ってきたときの対応を今から考えておかなくてはならない。
「本番は明日からだが、今のうちに慣れておいた方が良いと思うぞ」
「明日からって……ずっと名前で呼べってことですか」
「当然だ」
聞くんじゃなかった、と女は唇を尖らせた。
無理強いをさせたいわけではないが、今一番欲しいものはこれしかない。譲れない部分だ。
「俺は、他の誰でもない、お前の口から名前を聞きたい」
「……ずるい言い方」
机を回り込んで、男の傍に立つ。
顔は未だ赤く、目は涙に潤んでいるが、決心した輝きが宿っている。
「ちょっとずつ慣れていきますけど、い、今はこれが精一杯です」
そっと男の耳に唇を寄せて、その名を吐息に乗せて囁いた。
2009.06.19
初出
「贈り物は何がいいですか」
あまり良いとは言えない顔色と充血した白目、その下の濃い隈から睡眠不足なのだろうと察することはできた。
ずいと近づけてくるレティシアの顔は真剣を通り越して絶望的ですらあり、鬼気迫るものを感じてレムオンは心ならずものけぞった。女は二人の間にある机に乗り上がってさらに身を乗り出して男に迫る。
「な、何の話だ。突然」
「明日の、兄上のお誕生日の話です」
唐突にも程がある。
ふらりと世界が回るような錯覚を覚えた。
「俺が無理難題を口にしたらどうするつもりだったんだ。聞くのなら、もっと早いうちにするべきだろう」
「いや、その、いろいろと考えたり人に聞いたりしているうちにこんな時期になってしまいまして……で、ですね。何か欲しいものはないんですか? 何だって差し上げますよ」
「いや、特にはないが。お前の好きなものを選んで……いや、なんでもない。とりあえず机から降りろ」
不意に去年の悪夢を思い出し、こめかみを押さえた。被害は最小限だったとは言え精神的ダメージは大きく、思い出すだけでも頭痛の種だ。
宝物庫の奥に厳重に封印してしまいこんでいたそれを処分しようと何度も考えたが、女給たちの必死の懇願により(曰く、「本当に祟られたりしたらどうするんですか」)庭の片隅に小さな祠を作ってそこに安置されている。幸い、今のところ凶事も吉事も起こっていない。もしかしたら、己の与り知らぬところで何がしか起こっているのかもしれなかったが、知りたいとは到底思えなかった。
そんな事件があったことを思えば、次に何が来るのか恐ろしくて迂闊なことは言えない。
レティシアはレティシアでその件を気にしているらしく、だからこそこうして悩み、尋ねてくるのだろう。
「気にするな。俺はお前のその気持ちで十分だ」
「私が気にするんです!」
だん、と強く机を叩いた。どうやら悩みは深く、相当彼女を苛んでいるらしい。去年の失敗を挽回するがために張り切っているのか、それとは関係なく気持ちが先走っているのかはレムオンにも窺い知れなかった。
そこまで真剣に考えられているのなら、きちんと答えねばなるまい。
ふむ、と男は思案する。
大抵の物なら、彼の手中にある。大陸に名を轟かせる名工の鍛え上げた剣。緻密な意匠の施された鎧。共に地を駆ける駿馬。絵画や彫像と言った調度品に宝石などの貴金属は国の立て直しのために相当数を手放したが、もともと執着があったわけではないし今でも十分な数を所有している。ならば美酒美食はどうかと言えば、これらも料理人らの手によって作り出されるし、酒も蔵にたっぷりと用意されている。
己の思うとおりに手に入らぬものがあるとすれば、それは有能な部下と肩を並べられる友であるが、それは人から与えられるものではないのだから口にするだけ無駄である。
そうなると、どうしても欲しい、と思えるものが見当たらない。
しばらく考えて、思いついた言葉がぽつりと口からこぼれた。
「……名前、か?」
「はっ?」
「うむ、そうだな。名前がいい」
「名前、ですか?」
「そろそろ『兄上』ではなく、名前で呼んでくれ。それが俺への贈り物だ」
「それって、つま、り……」
理解するのにたっぷり二十秒。
顔を真っ赤にするのに一秒。
混乱の極みに口をぱくぱくさせて六秒。
そして絶叫。
「むっ、ムリムリムリムリっ!」
「何故?」
「だっ、そんな、恥ずかしい! 今までずっと兄上だったのに、そ、それがいきなり名前だなんて!!」
「何でもくれるんだろう? それとも、口からでまかせか?」
「女に二言はありません!」
「なら、言えるな?」
切れ長の目の細めて、薄い唇は楽しそうに弧を描く。
挑発だと分かっていても女は首を縦に振り、すぐに後悔することになる。
「レ、レレ、ム…… レム、レム、オいやああああやっぱり恥ずかしいぃっ!」
奇声を上げて、顔を覆う。髪の毛の隙間から覗く耳は真っ赤だ。
慌てふためく様が可愛く思えて殺しきれない笑いがくつくつと漏れた。
手をどけると、やはり羞恥に赤くなった顔があった。涙目で、泣きそうな表情をしている。
「ほ、他のにしましょうよ! うん。竜の生け捕りとか。兄上の嫌いなあの人の首を取って来るとかの方がよっぽどお祝いらしいですし!」
「竜など獲って帰ってこられても飼えないぞ。後者に至っては論外だ」
なんでもいい、と言わなくて良かったと心底思ったレムオンである。
万が一にも来年の誕生日に卵か竜の子を持って帰ってきたときの対応を今から考えておかなくてはならない。
「本番は明日からだが、今のうちに慣れておいた方が良いと思うぞ」
「明日からって……ずっと名前で呼べってことですか」
「当然だ」
聞くんじゃなかった、と女は唇を尖らせた。
無理強いをさせたいわけではないが、今一番欲しいものはこれしかない。譲れない部分だ。
「俺は、他の誰でもない、お前の口から名前を聞きたい」
「……ずるい言い方」
机を回り込んで、男の傍に立つ。
顔は未だ赤く、目は涙に潤んでいるが、決心した輝きが宿っている。
「ちょっとずつ慣れていきますけど、い、今はこれが精一杯です」
そっと男の耳に唇を寄せて、その名を吐息に乗せて囁いた。
2009.06.19
初出