短編・中編
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ビタースイート・ラプソディ
キラキラと細やかな星が彼女を纏う。
目を擦ってみてもゆっくり瞬きをしても、見つめるたびにそれは変化しない。
彼女が特別輝いているように僕の瞳には映る。
こうなったのは、いつからだろう。
“いつ”というのはハッキリと思い出せないまま、もうすぐ夏が終わろうとしていた。
原因は分かっていた。これは一種の、病と呼べる。その名称は―――
「火神くん、ほっぺがリスみたいになってるよ!」
土曜日の部活での休憩中。涼しい木陰で昼食をとっていた火神くんの横に琴音さんは座っていた。
火神くんの食べる量は相変わらず尋常じゃなく、コンビニ弁当に加えてパンも数個買ってきている。
総菜パンをぺろりと平らげた後に甘いパンを口いっぱいに頬張っていたのだ。
「つっつきたくなっちゃう。ねぇ、黒子くん」
フフ、と笑ってこちらに降ってきたので、僕は小首をかしげる仕草を見せて受け流した。
火神くんのほっぺなんてつっつきたくないです。
むしろ、琴音さんの白くて柔らかそうな頬の方が触りたいなぁと、出来もしないことを心の中で願った。
セミが元気よく鳴いている夏も、もうすぐ終わる。
今年も熱中症になるほどの猛暑だったが、木陰に入れば涼しくて時々風が吹けば心地よい。
体育館の方が熱がこもっているので、夏はここで休憩をとったほうが快適だった。
火神くんの隣には琴音さん、そして二人のすぐ向かいに僕がいる。
3人で固まって芝生の上に腰を下ろしている昼食の時間。この位置からだと、琴音さんがどんな表情なのかよく分かる。
彼女が火神くんに向ける視線の中に混じる色が、特別な色だということ。
彼女は火神くんに恋をしている。
気づいていないのは好意を向けられている火神くん本人ぐらいだろう。
近くにいたら誰だって気づくほど、彼女は分かりやすかった。
…そして、僕は彼女に恋をしている。
臨時マネージャーとしてバスケ部にやってきた琴音さんとは、幼い頃の僕と一度遭遇していた。
そして、琴音さんは全中の試合で僕を見てずっと覚えていてくれた人だった。
あれだけ存在感を薄くしている――もともと薄いのもあるけれど――にも関わらず覚えててくれた人がいたなんて、驚いた。
そんなことを言われて、僕が彼女に興味を持たないはずがなかった。
彼女に特別な意図はないとしても、「覚えていた」と告げられたときからすでに、僕が彼女を好きになる布石は打たれていたのかも知れない。
ふわり、と、彼女が笑うと周りの空気まで澄んでいくような感覚を覚えたのは突然だった。
それ以来、気になってますます目で追うようになり、キラキラと彼女が輝いて見え、笑顔と目が合ったなら、心臓はうるさく高鳴りだした。
この病は、すぐに「恋」だと気付いた。
彼女が僕を覚えていてくれたことに思い上がって、恋だと勘違いしているだけじゃないかと何度か自問自答はした。
けれど勘違いじゃなかった。
今までちゃんとした恋をしたことがなかったけれど、自分の恋を自覚できないほど僕はマヌケじゃない。
マヌケじゃない…けれど、後悔していることが1つ。
もっと早くにこの恋を自覚していれば、少しでも運命が変わっていたはずだ。
なにせ、僕が彼女への気持ちに自覚した時、すでに彼女は火神くんに思いを寄せていたのだ。
世界は思うように上手くはいかないのだけれど、思っていた以上に残酷だ。
淡々とした無念がじわじわと心の中に溶けていった。
あなたの好きな人が、僕が知らない人であればよかったのにと思う反面、火神くんに惹かれる理由はすごく分かるだけに、やりきれない気持ちばかり募った。
「おい、そんだけしか食わねーのかよ?午後ヘバんなよ」
弁当もパンもすべて食べ終えた火神くんが、まだサンドイッチを食べている僕を一瞥して呆れていた。
ご飯時にたまに同じツッコミをされるが、僕の小食は今に始まったことでないので気にかけないでほしいところだ。
「火神くんこそ、食べ過ぎで午後練の時に吐いたりしないで下さい」
「誰が吐くか!!」
彼はさらに声のボリュームをあげて言い返してきた。
苦笑しつつ琴音さんがまぁまぁと僕たちを交互に見ながら仲裁に入ってきた。
本気で喧嘩をしているわけじゃないと分かりつつも、思わず火神くんの怒鳴り声で動いてしまうんだろう。
火神くんとはバスケ以外では本当に会話が噛み合わない。共通点もほとんどない。会話すると喧嘩腰になることの方が多い。
だけど、僕が惹かれた『光』はやっぱり彼で、僕が何度も救われたのは紛れもない事実だ。
性格は合わないけれど、火神くんのよさは知っている。正直者で、まっすぐで、曲がらない。
自分をしっかり持っていて、芯がブレなとても強い人だ。
琴音さんが火神くんに惹かれてしまうのも、分かる。近くにいれば仕方ないことなのかもしれない。
「倒れても吐いても、ちゃんと介抱してあげるからね」
冗談めかして笑いながら言う琴音さんをみて、火神くんは調子が狂ういった様子で顔をしかめて、唇を少し尖らせていた。
琴音さんは人一倍、優しい。
彼女は大学生で、大学での授業やバイトがあるにも関わらず、できるだけ僕らをサポートしたいといつも一生懸命だ。
臨時マネージャーとして彼女をみんな認めている。もちろん、火神くんも、わざわざ口に出したりはしないが内心では感謝してるはずだ。
そんな人に、好意を向けられていると知ったら、どうなるだろう。
十中八九、火神くんも彼女を好きになる、と思うのは僕が琴音さんを好きで、贔屓目に見ているからだろうか。
いいや、そんなはずはない。彼女の魅力に気づいたら火神くんだって――。
火神くんが琴音さんに目を向けると、彼女の口元が不自然に歪んだので、緊張しているのが分かった。
向かいに座っている僕からすれば、二人の位置は近すぎる。この木陰が狭いのがいけないのか。
「頼りにしてるぜ、マネージャー」
「僕も頼りにしてます」
彼に続くように僕も告げると、彼女は嬉しそうに笑って照れていた。
年上だけれど、素直な表情が可愛らしく見えてしまう。そう見えてしまうのも全てこの病のせいだろうか。
3人で過ごす時間は、嬉しくもあり、時々苦い気持ちも混ざり合う。
――恋とは苦く、甘く、人を狂わせる。
珍しく読んだ恋愛小説の、印象的な冒頭の一行が頭を過ぎった。
本当にその通りだなと、目の前ではにかむ彼女を見つめながら僕は思う。
火神くんを想う彼女の味方になって話を聞いてあげられたらそうしたい。
だが、それは無理だ。応援なんて、とてもできない。
僕が自分の感情を割り切れるぐらい大人だったなら、何か違っていたのか。
彼女の助けになってあげられたかな。「もしも」の話を考えたところであまり意味はないのだけれど。
□ □ □
それから数日後、部活帰りに二人を見かけた。
校門のところで琴音さんが火神くんを引き留めて、何やら話しかけている様子だった。
思わず僕は木の影に身を潜めた。反射的に隠れてしまったから、タイミングを見てからじゃないと出るに出られなくなってしまった。
この木から校門まで距離があるので二人の際の内容まではわからないが、動きは確認できた。
琴音さんが身振り手振り何か伝えているようだ。そして彼女は鞄から紙のようなものを取り出すとそれを火神くんに見せた。
…形と大きさからして、何かのチケットだと、すぐに分かった。
それから彼女が何か言おうとする前に火神くんは首を横に振って一言、二言返した。
彼女は差し出したチケットを引っ込めて、遠慮がちに手を胸の前で仰ぐように振っている。
「大丈夫、気にしないで」といった仕草。火神くんは申し訳なさそうに小さく会釈して、そのまま校門を出て去っていった。
会話が聞こえなくとも見ていてわかった。
映画か何かに誘ったが、断られてしまったんだ。
映画にしろコンサートにしろ、火神くんは正直だから自分が興味のないジャンルのことであれば遠慮なく断る。
逆に、興味がないまま行ったとしたら申し訳ないと思った彼の謙虚な気持ちもあったのだろう。
火神くんの姿が見えなくなるまで彼女はその場に立って、人知れず項垂れていた。
断られてショックだったんだろう。
僕がもっと早く彼女の味方になってあげれば、火神くんのこともアドバイスできただろう。
けれど僕はそれをしなかった。
していれば、彼女が落ち込むことがなかったかもしれないのに、何故か心は安堵で満ちていた。
火神くんが、彼女の誘いを断ったことに心底安心していた。
火神くんは案の定、まだ彼女の好意にも、ましてや魅力にも気づいてないと今、確信がもてたからだ。
「琴音さん」
木の影から出て、後ろからゆっくりと近づいて声をかけると、琴音さんはビクリと肩を震わせて驚いていた。
そして僕の姿をみて「黒子くんかぁ、びっくりした」と安心して目を閉じた――のも束の間、彼女はバチリと目を見開き今度は僕に驚愕した表情を向ける。
「…い、今の見てた?」
「いえ、たった今来たばかりなので何も…。何かあったんですか?」
「あ、ううん、何でもないの」
何も見ていないと嘘をつく僕を信じて、琴音さんは笑って誤魔化した。
彼女は正直だから、嘘をつくのも下手だ。
そんな不器用なところも僕は彼女の長所だと捉えている。
帰り道も同じ方向だし、一緒に帰ろうということになり僕たちは並んで歩いた。
ありふれた日常の出来事や部活のことをお互いに話したり聞いたり、幸せな時間だ。もし、琴音さんが恋人だったなら、彼女が部活に来る度に一緒に帰れる特権が得られるんだなと思った。
火神くんの話題が出た時の彼女は嬉しそうで、心の奥がその度に疼いた。
「……あの、ね」
そろそろ分かれ道が近づいてきた頃、琴音さんは考えたように沈黙してから、切り出してきた。
鞄から2枚のチケット取り出し、僕の前に見せてくる。ああ、これは、さっきのチケットだ。
「知り合いからたまたまもらった映画のチケットが2枚余ってるんだけど、よかったらいる?」
彼女は本当に嘘をつくのが下手だ。そのチケットは琴音さんが火神くんわざわざ映画に誘うために買ったものだろう。
僕に譲ってくれるのは、火神くんに断られてしまったからだ。断られたのがショックだから、もう映画も見たくないということなのだろうか。
僕がじっと見つめていると、琴音さんも僕にまっすぐ視線を向けた後、眉をハの字にいて寂しそうに笑った。
寂しい気持ちを誤魔化したつもりなのか、それとも、僕に心の内を見透かされたのを悟って自嘲したのか、分からない。
前者でも後者でもどちらでも僕が考えていることは変わらなかった。
――僕なら、あなたにそんな顔をさせないのに。
楽しい時間を共有するだけじゃなく、寂しい時は寄り添って手を握っていたい。
いつでも琴音さんが笑っていられるように。
「ありがとうございます」
極力、いつも通りの声色でお礼を告げ、僕はチケットを受け取った。
本当に僕が彼女の想うならば、彼女の恋が成就するのを願うべきだ。彼女の幸せを願うべきだ。
好きな人の幸せを願えないなんて、僕ってこんなに嫌な奴だったのかと、自分自身に失望した。
だけど、自分の心に嘘をつくことはできない。彼女への気持ちも日に日に大きくなって、もう止められない。
――僕は、
僕は、ずっと、
つけ入る隙を狙っていたんだ。
火神くんが琴音さんの好意に気づいていてない間は、僕にもチャンスが訪れる。
彼女の心に寂しさが生じて揺らぐ瞬間があると、そこに付け入ることができれば僕に気持ちが向く可能性があると…信じて待っていた。
今が、その時だ。
この気持ちを、手放すことはできない。叶わない恋だとわかっていても、諦めるなんて到底できない。
ゆっくりと静かに琴音さんの手を取ると、僕は一度受け取ったチケットの片方を渡した。
琴音さんが不思議そうに小首をかしげて瞬きをした刹那、彼女より先に話し出さねばと本能が頭の中で訴えていた。
わかってる。僕が先に口を開いて、畳みかける。
目の前にやってきたチャンスは、いつも最後だと思って必死に掴まなくてはならないのだから。
「せっかくなので、僕と一緒に観に行きませんか?ちょうど観たかった映画なんです」
キラキラと細やかな星が彼女を纏う。
目を擦ってみてもゆっくり瞬きをしても、見つめるたびにそれは変化しない。
彼女が特別輝いているように僕の瞳には映る。
こうなったのは、いつからだろう。
“いつ”というのはハッキリと思い出せないまま、もうすぐ夏が終わろうとしていた。
原因は分かっていた。これは一種の、病と呼べる。その名称は―――
「火神くん、ほっぺがリスみたいになってるよ!」
土曜日の部活での休憩中。涼しい木陰で昼食をとっていた火神くんの横に琴音さんは座っていた。
火神くんの食べる量は相変わらず尋常じゃなく、コンビニ弁当に加えてパンも数個買ってきている。
総菜パンをぺろりと平らげた後に甘いパンを口いっぱいに頬張っていたのだ。
「つっつきたくなっちゃう。ねぇ、黒子くん」
フフ、と笑ってこちらに降ってきたので、僕は小首をかしげる仕草を見せて受け流した。
火神くんのほっぺなんてつっつきたくないです。
むしろ、琴音さんの白くて柔らかそうな頬の方が触りたいなぁと、出来もしないことを心の中で願った。
セミが元気よく鳴いている夏も、もうすぐ終わる。
今年も熱中症になるほどの猛暑だったが、木陰に入れば涼しくて時々風が吹けば心地よい。
体育館の方が熱がこもっているので、夏はここで休憩をとったほうが快適だった。
火神くんの隣には琴音さん、そして二人のすぐ向かいに僕がいる。
3人で固まって芝生の上に腰を下ろしている昼食の時間。この位置からだと、琴音さんがどんな表情なのかよく分かる。
彼女が火神くんに向ける視線の中に混じる色が、特別な色だということ。
彼女は火神くんに恋をしている。
気づいていないのは好意を向けられている火神くん本人ぐらいだろう。
近くにいたら誰だって気づくほど、彼女は分かりやすかった。
…そして、僕は彼女に恋をしている。
臨時マネージャーとしてバスケ部にやってきた琴音さんとは、幼い頃の僕と一度遭遇していた。
そして、琴音さんは全中の試合で僕を見てずっと覚えていてくれた人だった。
あれだけ存在感を薄くしている――もともと薄いのもあるけれど――にも関わらず覚えててくれた人がいたなんて、驚いた。
そんなことを言われて、僕が彼女に興味を持たないはずがなかった。
彼女に特別な意図はないとしても、「覚えていた」と告げられたときからすでに、僕が彼女を好きになる布石は打たれていたのかも知れない。
ふわり、と、彼女が笑うと周りの空気まで澄んでいくような感覚を覚えたのは突然だった。
それ以来、気になってますます目で追うようになり、キラキラと彼女が輝いて見え、笑顔と目が合ったなら、心臓はうるさく高鳴りだした。
この病は、すぐに「恋」だと気付いた。
彼女が僕を覚えていてくれたことに思い上がって、恋だと勘違いしているだけじゃないかと何度か自問自答はした。
けれど勘違いじゃなかった。
今までちゃんとした恋をしたことがなかったけれど、自分の恋を自覚できないほど僕はマヌケじゃない。
マヌケじゃない…けれど、後悔していることが1つ。
もっと早くにこの恋を自覚していれば、少しでも運命が変わっていたはずだ。
なにせ、僕が彼女への気持ちに自覚した時、すでに彼女は火神くんに思いを寄せていたのだ。
世界は思うように上手くはいかないのだけれど、思っていた以上に残酷だ。
淡々とした無念がじわじわと心の中に溶けていった。
あなたの好きな人が、僕が知らない人であればよかったのにと思う反面、火神くんに惹かれる理由はすごく分かるだけに、やりきれない気持ちばかり募った。
「おい、そんだけしか食わねーのかよ?午後ヘバんなよ」
弁当もパンもすべて食べ終えた火神くんが、まだサンドイッチを食べている僕を一瞥して呆れていた。
ご飯時にたまに同じツッコミをされるが、僕の小食は今に始まったことでないので気にかけないでほしいところだ。
「火神くんこそ、食べ過ぎで午後練の時に吐いたりしないで下さい」
「誰が吐くか!!」
彼はさらに声のボリュームをあげて言い返してきた。
苦笑しつつ琴音さんがまぁまぁと僕たちを交互に見ながら仲裁に入ってきた。
本気で喧嘩をしているわけじゃないと分かりつつも、思わず火神くんの怒鳴り声で動いてしまうんだろう。
火神くんとはバスケ以外では本当に会話が噛み合わない。共通点もほとんどない。会話すると喧嘩腰になることの方が多い。
だけど、僕が惹かれた『光』はやっぱり彼で、僕が何度も救われたのは紛れもない事実だ。
性格は合わないけれど、火神くんのよさは知っている。正直者で、まっすぐで、曲がらない。
自分をしっかり持っていて、芯がブレなとても強い人だ。
琴音さんが火神くんに惹かれてしまうのも、分かる。近くにいれば仕方ないことなのかもしれない。
「倒れても吐いても、ちゃんと介抱してあげるからね」
冗談めかして笑いながら言う琴音さんをみて、火神くんは調子が狂ういった様子で顔をしかめて、唇を少し尖らせていた。
琴音さんは人一倍、優しい。
彼女は大学生で、大学での授業やバイトがあるにも関わらず、できるだけ僕らをサポートしたいといつも一生懸命だ。
臨時マネージャーとして彼女をみんな認めている。もちろん、火神くんも、わざわざ口に出したりはしないが内心では感謝してるはずだ。
そんな人に、好意を向けられていると知ったら、どうなるだろう。
十中八九、火神くんも彼女を好きになる、と思うのは僕が琴音さんを好きで、贔屓目に見ているからだろうか。
いいや、そんなはずはない。彼女の魅力に気づいたら火神くんだって――。
火神くんが琴音さんに目を向けると、彼女の口元が不自然に歪んだので、緊張しているのが分かった。
向かいに座っている僕からすれば、二人の位置は近すぎる。この木陰が狭いのがいけないのか。
「頼りにしてるぜ、マネージャー」
「僕も頼りにしてます」
彼に続くように僕も告げると、彼女は嬉しそうに笑って照れていた。
年上だけれど、素直な表情が可愛らしく見えてしまう。そう見えてしまうのも全てこの病のせいだろうか。
3人で過ごす時間は、嬉しくもあり、時々苦い気持ちも混ざり合う。
――恋とは苦く、甘く、人を狂わせる。
珍しく読んだ恋愛小説の、印象的な冒頭の一行が頭を過ぎった。
本当にその通りだなと、目の前ではにかむ彼女を見つめながら僕は思う。
火神くんを想う彼女の味方になって話を聞いてあげられたらそうしたい。
だが、それは無理だ。応援なんて、とてもできない。
僕が自分の感情を割り切れるぐらい大人だったなら、何か違っていたのか。
彼女の助けになってあげられたかな。「もしも」の話を考えたところであまり意味はないのだけれど。
□ □ □
それから数日後、部活帰りに二人を見かけた。
校門のところで琴音さんが火神くんを引き留めて、何やら話しかけている様子だった。
思わず僕は木の影に身を潜めた。反射的に隠れてしまったから、タイミングを見てからじゃないと出るに出られなくなってしまった。
この木から校門まで距離があるので二人の際の内容まではわからないが、動きは確認できた。
琴音さんが身振り手振り何か伝えているようだ。そして彼女は鞄から紙のようなものを取り出すとそれを火神くんに見せた。
…形と大きさからして、何かのチケットだと、すぐに分かった。
それから彼女が何か言おうとする前に火神くんは首を横に振って一言、二言返した。
彼女は差し出したチケットを引っ込めて、遠慮がちに手を胸の前で仰ぐように振っている。
「大丈夫、気にしないで」といった仕草。火神くんは申し訳なさそうに小さく会釈して、そのまま校門を出て去っていった。
会話が聞こえなくとも見ていてわかった。
映画か何かに誘ったが、断られてしまったんだ。
映画にしろコンサートにしろ、火神くんは正直だから自分が興味のないジャンルのことであれば遠慮なく断る。
逆に、興味がないまま行ったとしたら申し訳ないと思った彼の謙虚な気持ちもあったのだろう。
火神くんの姿が見えなくなるまで彼女はその場に立って、人知れず項垂れていた。
断られてショックだったんだろう。
僕がもっと早く彼女の味方になってあげれば、火神くんのこともアドバイスできただろう。
けれど僕はそれをしなかった。
していれば、彼女が落ち込むことがなかったかもしれないのに、何故か心は安堵で満ちていた。
火神くんが、彼女の誘いを断ったことに心底安心していた。
火神くんは案の定、まだ彼女の好意にも、ましてや魅力にも気づいてないと今、確信がもてたからだ。
「琴音さん」
木の影から出て、後ろからゆっくりと近づいて声をかけると、琴音さんはビクリと肩を震わせて驚いていた。
そして僕の姿をみて「黒子くんかぁ、びっくりした」と安心して目を閉じた――のも束の間、彼女はバチリと目を見開き今度は僕に驚愕した表情を向ける。
「…い、今の見てた?」
「いえ、たった今来たばかりなので何も…。何かあったんですか?」
「あ、ううん、何でもないの」
何も見ていないと嘘をつく僕を信じて、琴音さんは笑って誤魔化した。
彼女は正直だから、嘘をつくのも下手だ。
そんな不器用なところも僕は彼女の長所だと捉えている。
帰り道も同じ方向だし、一緒に帰ろうということになり僕たちは並んで歩いた。
ありふれた日常の出来事や部活のことをお互いに話したり聞いたり、幸せな時間だ。もし、琴音さんが恋人だったなら、彼女が部活に来る度に一緒に帰れる特権が得られるんだなと思った。
火神くんの話題が出た時の彼女は嬉しそうで、心の奥がその度に疼いた。
「……あの、ね」
そろそろ分かれ道が近づいてきた頃、琴音さんは考えたように沈黙してから、切り出してきた。
鞄から2枚のチケット取り出し、僕の前に見せてくる。ああ、これは、さっきのチケットだ。
「知り合いからたまたまもらった映画のチケットが2枚余ってるんだけど、よかったらいる?」
彼女は本当に嘘をつくのが下手だ。そのチケットは琴音さんが火神くんわざわざ映画に誘うために買ったものだろう。
僕に譲ってくれるのは、火神くんに断られてしまったからだ。断られたのがショックだから、もう映画も見たくないということなのだろうか。
僕がじっと見つめていると、琴音さんも僕にまっすぐ視線を向けた後、眉をハの字にいて寂しそうに笑った。
寂しい気持ちを誤魔化したつもりなのか、それとも、僕に心の内を見透かされたのを悟って自嘲したのか、分からない。
前者でも後者でもどちらでも僕が考えていることは変わらなかった。
――僕なら、あなたにそんな顔をさせないのに。
楽しい時間を共有するだけじゃなく、寂しい時は寄り添って手を握っていたい。
いつでも琴音さんが笑っていられるように。
「ありがとうございます」
極力、いつも通りの声色でお礼を告げ、僕はチケットを受け取った。
本当に僕が彼女の想うならば、彼女の恋が成就するのを願うべきだ。彼女の幸せを願うべきだ。
好きな人の幸せを願えないなんて、僕ってこんなに嫌な奴だったのかと、自分自身に失望した。
だけど、自分の心に嘘をつくことはできない。彼女への気持ちも日に日に大きくなって、もう止められない。
――僕は、
僕は、ずっと、
つけ入る隙を狙っていたんだ。
火神くんが琴音さんの好意に気づいていてない間は、僕にもチャンスが訪れる。
彼女の心に寂しさが生じて揺らぐ瞬間があると、そこに付け入ることができれば僕に気持ちが向く可能性があると…信じて待っていた。
今が、その時だ。
この気持ちを、手放すことはできない。叶わない恋だとわかっていても、諦めるなんて到底できない。
ゆっくりと静かに琴音さんの手を取ると、僕は一度受け取ったチケットの片方を渡した。
琴音さんが不思議そうに小首をかしげて瞬きをした刹那、彼女より先に話し出さねばと本能が頭の中で訴えていた。
わかってる。僕が先に口を開いて、畳みかける。
目の前にやってきたチャンスは、いつも最後だと思って必死に掴まなくてはならないのだから。
「せっかくなので、僕と一緒に観に行きませんか?ちょうど観たかった映画なんです」