短編・中編
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
オンリーワンの運命論
『――あなたは俺の運命の人』
現代に、そんなロマンチックな台詞を真向から告げられる展開が起こるものかと、耳を疑った。サラリとした艶めく黒髪に、切れ長の涼し気な目元、高い鼻に薄い唇……いわゆる美形には違いない。
生まれてこの方、男性に甘い言葉を囁かれたことなど一度もないけど、女子ならやっぱ憧れるものだ。それが一言一句、自分だけに向けれたものならば尚更。初対面の際、森山くんは私の手を握ってそう告げた。
……しかし、また別の日にバスケ部まで向かう途中、校舎内でサッカー部のマドンナ的マネージャーに同じ台詞を告げて軽くあしらわれているのを目撃した。どうやらこの海常高校の女子生徒からすると、森山くんの求愛行動は鉄板ネタとして扱われているらしく珍しい光景ではないようだ。残念なイケメンと呼ばれている。
口をポカンと開けたまま立ち止まって遠くから眺める私の後ろを黄瀬くんが通り、「またやってるッスねぇ」と淡々とした口調で苦笑して通り過ぎて行った。森山くんの運命は、そこらへんに転がり過ぎている。
私も、転がってるうちのひとつ?
五月の夕空がやけに美しかった始まりの日の事は、今でも鮮明に思い出せる。
私の通う大学から海常高校まで徒歩三十分程度。食後の運動にはちょうどいいこの距離を、大学の先生から用事を頼まれる都度訪れていた。入学当初からお世話になっている先生がバスケ部の顧問も務めていて、その先生と海常バスケ部の武内監督が親しい間柄らしい。時折、練習試合を組むこともあり、急ぎの資料等は小間使いとして渡しに来ているというわけだ。ホントならメールやPDFとかデータを送り合ってやり取りして欲しい。しかし、未だに紙資料を愛用する先生は結構いる。
最初は頼まれたものを渡すだけ……そう思ってバスケ部を覗いてみたら、高校レベルとは思えない部内のミニゲームに圧倒され、試合終了まで見入ってしまった。
監督も選手の動きを逐一チェットしながら声を掛けている。試合中はさすがに話しかけずらいので、終わった後に頼まれたものを渡しに行こうと、靴を体育館の入り口付近に置いてから歩き出そうとした時だった。
肩からタオルをかけた青年に声を掛けられ、回り込まれ、あっという間に私の一回り小さな手は一回り大きな両手に握るように包まれていた。
“『はじめまして、おキレイなお嬢さん。あなたは俺の運命の人』”
驚きながら見上げて目が合えば、ナンパに及ぶような男には見えなかった。さっきまで部内試合に出て活躍していた選手だ。額に浮かんだ汗が光っている、清潔感のあるクールな美男子。爽やかだなぁと瞬きを数回してる内に、名前も知らない彼のユニフォームの襟が後方にグイッと伸びた。キャプテンらしき人にドヤされながら引っ張られて離され、私の握られていた手も開放された。
「あぁ、森山センパイのはいつものことっスから。気にしないで」
背後から呆れ声と共に話しかけられて振り返れば、金髪にピアスの似合うこれまた凄いイケメン男子。ミニゲームで特にたくさん点を獲っていた選手。きっとこのチームのエースだ。監督に話しかける前に、自己紹介とさっきの二人の名前を親切丁寧に教えてくれたのは黄瀬くんだった。
ひとまず会釈してから監督に預かっていた書類を渡し、私はもう一度、ベンチでスポドリを飲んでいる黄瀬くんに話しかけに行った。
「あの…!」
何か用?と、小首を傾げる彼に自然と顔が紅潮してしまう。まずい!と思いつつも自分では止められない胸の動悸と、朱が昇る感覚。息を吸って声を出す前に、黄瀬くんは髪をかきあげた。イケメンだけがやっていいモテ仕草。またファンが増えたかもしれないなぁ……なんて雰囲気の所作だったので、人知れず胸中で謝っておいた。黄瀬くんのプライドを傷つけたいワケじゃないけど、伝えないといけないことがある。興味があるのは目前のキラキラ男子ではなかった。
「その、森山センパイのこと、もっと教えてもらえますか?」
予想だにしてない私からのお願いに、彼は目を丸くしていた。自分に関することを聞かれると思っていたのだろう。一瞬、呆然としていたが、驚き顔もイケメンのままだった。まるでモデルのようなカッコよさ。後にすぐ知ることになったが、本当にモデルだった。
私が恋に落ちたのは森山くんの方。
何度同じシーンが繰り返されたとしても、森山くんを好きになっていると思う。運命というワードに縛られてるだけ?――だとしても、落ちた場所からは簡単には抜け出せやしない。
□ □ □
好きなタイプは『セクシーなお姉さん』らしいが、ビビッときたら年上年下問わず。出来ればセクシーが好ましいというが服装なのか体型なのか?何を以てしてなのかハッキリしたことは分からず。苦手なタイプは『チャラすぎる女の子』のようで、じゃあ複数の女子に“運命の人!”と告げながら口説くのはどうなのか?自分のチャラさについては?と聞いてみたら、俺は一人一人に真剣だからチャラくないとのことだった。
これも全部、黄瀬くんに頼んでリサーチしてもらった森山くんの情報になる。異性の好み含め、家族構成や好きな食べ物の事など少しずつ教えてもらい始めてから二カ月程度が経過していた。
「……何か話したそうな感じ?今日は体育館の空調機の点検あるんで、部活早めに終わるッスよ」
「いいの?相談したいこともあったから助かる」
貴重な休憩時間を割いてわざわざ私のところまで話しに来てくれた後、黄瀬くんは相槌の代わりに片目を瞑って見せた。現役イケメンモデルの眩しいウインクを真向から浴び、砂になりそうな気持ちだ。もし黄瀬くんが私の本命だったなら、既に砂になって海常高校のグラウンドに撒かれてるだろう。
周囲の女子生徒からの視線が痛いが、多少平然としてられるのは、私が海常高校の生徒ではなく大学生だからだ。校内で私服で居るのだから、他校の生徒か外部からの来訪者だというのは一目瞭然。幸い、監督とも時々話してる姿を認識しているからか、あからさまに突っかかって来る女子もいなかった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
海常高校の裏手にある通りを抜けて、少し歩いたところに穴場のカフェがある。
日々女子からの熱い視線を受け、追われる人気者の黄瀬くんの心休まる行きつけの場所らしい。確かに高校生が選ぶにはちょっとレトロな空間。ソファ席で向かい合いカフェラテを飲みながら、相談を打ち明けた。
体育館で会う度に声をかけてきてくれた森山くんが、ここ最近は話しかけて来なくなったのだ。
“やはり琴音さんとは運命を感じます”とか、
“今日はあなたの為に練習頑張ります”とか、
“女神のように美しくて目が離せない”とか、…らしい台詞を聞いていない。
二週間前、勇気を出して私からデートに誘って出かけた日を境に、会話が挨拶程度になってしまった。好きそうな服装のアドバイスや、交際前の二人でも周りやすいデートコースなどを教えてもらって、準備万端にして、当日だって緊張しつつも楽しい時間を過ごせたはずだった。なのに――
「楽しんでたの私だけだったのかも……次はないよ……」
「でも、次行きたいとことか話題に出たりしたんスよね?」
「きっと社交辞令だったんだよ。何かダメだったかな?気に障ることしちゃってたかなぁ」
「うーん、フェミニストの森山センパイに限ってはよほどの事でないと地雷はないと思うっスけど…。前日だってデートのこと、他の部員にも自慢げに話してたっスよ」
ストローでグラスの氷をくるくるとかき混ぜれば、底に沈んだガムシロップが溶け込んでいく。気が晴れないまま、喉を潤しても溜息が出るばかりだ。黄瀬くんは気休めのつもりで言ってない。周囲に話していたというのも真実だろう。それならば何故、その日を境に話しかけに来なくなってしまったんだろうかと謎が深まる。
私から話しかけに行っても森山くんはいつもの調子を見せることはなく、メールをしようかと思っても、妙な距離感を感じるせいで送るにも送れず、どうしたらいいものかと何も解決しないまま時間だけが過ぎて行った。
二人で向かい合って、首を傾げながら何がいけなかったのか考えても答えが出ない。いや、認めたら悲しいから考えないようにしていただけで、答えはもう出ているのかも知れない。
森山くんから見たら私は運命の人じゃなかったってだけ。それだけの話だ。
店のドアベルがカランと鳴って、来客の音を知らせる。ふと見覚えのある制服姿に心臓が跳ねた後、視界はハッキリと捉えた。その人物は、渦中の人――森山くんだった。
「たまに二人で寄り道してるのを見たって、他の部員から聞いてたんだが……ホントだったんだな」
入店するなり彼はどの席にも着かず、私と黄瀬くんをすぐに見つけると座席付近までやって来た。いつもの柔らかい表情とは違い、不自然な微笑みだった。
「森山くん…!?」
「尾行するつもりはなかったんですが、学校出る時に二人を見かけて……、店の外から見えなかったんで、つい……黄瀬もスマン、邪魔した」
「ま、待って森山センパイ。邪魔とかじゃないから!勘違いしてるっス!」
「安心しろ。誰にも言わないさ。後輩の恋路を邪魔するほど俺は野暮じゃない」
静かに告げ、森山くんは踵を返して店を出て行ってしまった。呆気に取られて何も言えず、動けなかった。一体何が起きたのか理解するまで数秒固まった後、黄瀬くんの『琴音センパイ!』という呼び声でハッと我に返った。確かに、森山くんの情報を教えてもらったり相談に乗ってもらうという目的で、黄瀬くんと一緒に話す時間が増えたことは周囲にも知られていたんだろう。何せ、黄瀬くん自身が目立つ存在なのだ。隠すのも無理があった。
一番誤解されたくない人に誤解されてしまった。
ただ、誤解された事より、森山くんが追って来た理由より、すぐに去って行ってしまった事の方にショックを受けていた。勘違いだとしても、黄瀬くんと交際してるのだとあっさりと受け入れたのだから、彼の中で“私”の立ち位置はその程度だったってことだ。目の奥がジンとして水の膜を張って、視界が滲んでいく。
「琴音センパイ、追わないとダメっス!泣くのは後!」
「だ、だって……多分もう、嫌われ……」
「嫌いな女の子の恋愛事情をわざわざ確かめに来る男なんていないッスよ?いいから、ちゃんと伝えて来て。俺、ここで待ってるから。森山センパイと二人で戻っておいで」
目を細めて笑うと、黄瀬くんは椅子から立ち上がって私の背中を軽く叩いた。手の甲で涙を拭って、椅子から立ち上がると私は鞄も持たずに店から飛び出していた。
多分、黄瀬くんから助言をくれなかったら、森山くんを自分からデートに誘うことも出来なかっただろう。応援してくれる人がいるのに立ち止まっていてはいけない。結果がどうあれ応援してくれた人にも報いないといけない。
来た道を走って戻って森山くんの後ろ姿を見つけた時、ちょうど橙が沈んで空色が群青に変わる頃に重なり、チカチカと街灯が点灯し始めていた。
・・・・・・
「待って!森山くん!」
地面を蹴って走って追いついて、息切れを整えつつ、思わず彼の制服の袖口を掴んでいた。中腰になって肺いっぱいに空気を吸い込み、フゥと吐き出し、落ち着きながら見上げれば森山くんは驚いていた。私一人で追ってくると思ってなかったんだろう。
「あの、色々話したいこと…まとまってないし、こんなとこで突然ごめん。全部、聞いて欲しい。私、黄瀬くんと付き合ってない。森山くんの事でアドバイス貰ってただけで……」
袖から手を放し背筋を伸ばして視線を送ると、森山くんも振り返ってこちらに向き直ってくれた。久々に真正面から見た彼の顔は、相変わらず整っていて、美形で、初めて会った日から私の心を捉えて離さない。一目惚れって本当に、厄介だ。
「私が好きなのは森山くんだから。初めて会った日から、ずっと。一目惚れだったの。森山くんの中で私は、たくさん居る運命の相手のうちの一人に過ぎないんだと思う。でも、私にとっては運命の相手は一人でいい。森山くんだけが、好き。大好きなんです」
心に秘めていた気持ちが案外すんなりと声に出して伝えられたことに、自分が一番驚いてる。もっと顔が熱くなって、しどろもどろになって震えた声で……相手に告白する機会があるのならそんなシーンを思い浮かべたのに、全然違う。当たり前のように好きでいたらから、揺るがない当然の感情をただ事実として伝えてるよう。不思議と冷静だった。多分、この伝え方は可愛げがないだろうな。
「一緒に出掛けた日から、森山くんが余所余所しくなったのは分かってる。何か気に障ることをしたなら謝るから。気をつけるから。だから、まだ諦めなくてもいいかな。もっと一緒に話したり、遊びに行ったり、まだまだたくさん森山くんのこと知りたいの」
――教えて欲しい。好きな女の子のタイプや、苦手な女の子のタイプ、好きな食べ物、家族構成…もっともっと、それ以上に。
告白と呼ぶには長すぎる語りのようになってしまい、はたと気付いた時には二人の間に沈黙が流れ、留めていた恥ずかしさが急に押し寄せて顔が赤くなっていく。
……言った。言ってしまった。
すると、森山くんは口元に手をあてて小さく笑い出した。
「俺の運命の人は想像以上に大胆ですね。男の俺の立場がないじゃないですか。本当は全部、俺から伝えないといけないことなのに」
一歩近づいて来て初めて会った時のように私の両手を握り、森山くんは口角を上げて私を見つめた。彼の瞳が、潤んでる気がした。
「可愛い女の子やキレイな女性がいたら、運命を感じて条件反射で声を掛けてきました。けど、琴音さんとデートした日からそんな台詞は出て来なくなったんです。会話が素っ気なくなったのも、あなたを意識し始めていつもの調子が出なかったからで……、ちょうどその頃に部内で黄瀬と琴音さんの噂が流れて、勝手に妬いて、前より話しかけ難くなって、気づいたんです。琴音さんへの気持ちは他の女子に向けていた好意と違ったんだって。例え小指に赤い糸がたくさん巻かれていたとしても――」
森山くんは一度手を放すと、右手の小指を立てて、私の右手の小指に絡めた。
「手繰り寄せたいのはこの糸だけだ」
群青の空の下、街灯に照らされた彼の優しく笑う表情が、綺麗で見とれてしまう。全部、聞き逃さなかった。普段は甘い台詞を軽々と口にする森山くんでも、好きな子を意識して上手く話せなくなることがあるだという、年相応の男の子らしい一面を知った。しかもその相手が、私だなんて夢みたいだ。もう夢でもいい。夢なら、醒めるな。けれど、喜びで心が満ちて、瞬きの度に伝う涙の熱が、これは現実だと教えてくれる。
彼に出会うまでは『運命』なんて信じたりしなかった。所詮は恋人が交わす甘い会話の中にしかない。ハッピーエンドを迎えた人たちの結果論に使われるものだと。それでも、一目惚れした彼と想いが重なった今日を機に、見えない力を信じざるを得ない。
「私で、…いいの?森山くんが好みの『セクシーなお姉さん』とは程遠いよ?」
「“好みのタイプは琴音さん”、になりますから。安心してください」
「……う、うん、それは素直に嬉しいな」
「さぁ、俺たちの仲を取り持ってくれた世話焼きな後輩に報告に行きましょうか」
結ばれた小指は解かれ、森山くんは私の隣に並びながら、手を繋ぎ直した。離れないようしっかりと指を絡め合う、恋人の繋ぎ方だ。
私だけ顔が赤くなってるのずるいなって思って、背伸びして顔を覗き込めば不意に視線を逸らされた。何だ、よく見たらしっかり耳が赤くなってるじゃないか。心許ない夜の灯りの下でも、色白の彼では隠しようがない。余裕そうに見えて全然そんなことないんだなって、可愛く思えて仕方なかった。
踵を上げたついでに、繋いでる手を引き寄せて自分の方へ屈ませ唇を頬に近づけた。彼が目を見開いて驚いたのは、触れたのとほぼ同時。
「………、後で倍にして返します。なんだったら黄瀬の前で」
「さすがにそれは恥ずかしいかなぁ」
自分から告白したのも、好きな人の頬にキスをしたのも生まれて初めてだ。これからも、私の初めては森山くん唯一人に捧げ、惜しむことなく愛を与えていこう。倍返しされるのだって楽しみのひとつ。
だって、あなたは運命の人。あなただけが、私の運命の人。
『――あなたは俺の運命の人』
現代に、そんなロマンチックな台詞を真向から告げられる展開が起こるものかと、耳を疑った。サラリとした艶めく黒髪に、切れ長の涼し気な目元、高い鼻に薄い唇……いわゆる美形には違いない。
生まれてこの方、男性に甘い言葉を囁かれたことなど一度もないけど、女子ならやっぱ憧れるものだ。それが一言一句、自分だけに向けれたものならば尚更。初対面の際、森山くんは私の手を握ってそう告げた。
……しかし、また別の日にバスケ部まで向かう途中、校舎内でサッカー部のマドンナ的マネージャーに同じ台詞を告げて軽くあしらわれているのを目撃した。どうやらこの海常高校の女子生徒からすると、森山くんの求愛行動は鉄板ネタとして扱われているらしく珍しい光景ではないようだ。残念なイケメンと呼ばれている。
口をポカンと開けたまま立ち止まって遠くから眺める私の後ろを黄瀬くんが通り、「またやってるッスねぇ」と淡々とした口調で苦笑して通り過ぎて行った。森山くんの運命は、そこらへんに転がり過ぎている。
私も、転がってるうちのひとつ?
五月の夕空がやけに美しかった始まりの日の事は、今でも鮮明に思い出せる。
私の通う大学から海常高校まで徒歩三十分程度。食後の運動にはちょうどいいこの距離を、大学の先生から用事を頼まれる都度訪れていた。入学当初からお世話になっている先生がバスケ部の顧問も務めていて、その先生と海常バスケ部の武内監督が親しい間柄らしい。時折、練習試合を組むこともあり、急ぎの資料等は小間使いとして渡しに来ているというわけだ。ホントならメールやPDFとかデータを送り合ってやり取りして欲しい。しかし、未だに紙資料を愛用する先生は結構いる。
最初は頼まれたものを渡すだけ……そう思ってバスケ部を覗いてみたら、高校レベルとは思えない部内のミニゲームに圧倒され、試合終了まで見入ってしまった。
監督も選手の動きを逐一チェットしながら声を掛けている。試合中はさすがに話しかけずらいので、終わった後に頼まれたものを渡しに行こうと、靴を体育館の入り口付近に置いてから歩き出そうとした時だった。
肩からタオルをかけた青年に声を掛けられ、回り込まれ、あっという間に私の一回り小さな手は一回り大きな両手に握るように包まれていた。
“『はじめまして、おキレイなお嬢さん。あなたは俺の運命の人』”
驚きながら見上げて目が合えば、ナンパに及ぶような男には見えなかった。さっきまで部内試合に出て活躍していた選手だ。額に浮かんだ汗が光っている、清潔感のあるクールな美男子。爽やかだなぁと瞬きを数回してる内に、名前も知らない彼のユニフォームの襟が後方にグイッと伸びた。キャプテンらしき人にドヤされながら引っ張られて離され、私の握られていた手も開放された。
「あぁ、森山センパイのはいつものことっスから。気にしないで」
背後から呆れ声と共に話しかけられて振り返れば、金髪にピアスの似合うこれまた凄いイケメン男子。ミニゲームで特にたくさん点を獲っていた選手。きっとこのチームのエースだ。監督に話しかける前に、自己紹介とさっきの二人の名前を親切丁寧に教えてくれたのは黄瀬くんだった。
ひとまず会釈してから監督に預かっていた書類を渡し、私はもう一度、ベンチでスポドリを飲んでいる黄瀬くんに話しかけに行った。
「あの…!」
何か用?と、小首を傾げる彼に自然と顔が紅潮してしまう。まずい!と思いつつも自分では止められない胸の動悸と、朱が昇る感覚。息を吸って声を出す前に、黄瀬くんは髪をかきあげた。イケメンだけがやっていいモテ仕草。またファンが増えたかもしれないなぁ……なんて雰囲気の所作だったので、人知れず胸中で謝っておいた。黄瀬くんのプライドを傷つけたいワケじゃないけど、伝えないといけないことがある。興味があるのは目前のキラキラ男子ではなかった。
「その、森山センパイのこと、もっと教えてもらえますか?」
予想だにしてない私からのお願いに、彼は目を丸くしていた。自分に関することを聞かれると思っていたのだろう。一瞬、呆然としていたが、驚き顔もイケメンのままだった。まるでモデルのようなカッコよさ。後にすぐ知ることになったが、本当にモデルだった。
私が恋に落ちたのは森山くんの方。
何度同じシーンが繰り返されたとしても、森山くんを好きになっていると思う。運命というワードに縛られてるだけ?――だとしても、落ちた場所からは簡単には抜け出せやしない。
□ □ □
好きなタイプは『セクシーなお姉さん』らしいが、ビビッときたら年上年下問わず。出来ればセクシーが好ましいというが服装なのか体型なのか?何を以てしてなのかハッキリしたことは分からず。苦手なタイプは『チャラすぎる女の子』のようで、じゃあ複数の女子に“運命の人!”と告げながら口説くのはどうなのか?自分のチャラさについては?と聞いてみたら、俺は一人一人に真剣だからチャラくないとのことだった。
これも全部、黄瀬くんに頼んでリサーチしてもらった森山くんの情報になる。異性の好み含め、家族構成や好きな食べ物の事など少しずつ教えてもらい始めてから二カ月程度が経過していた。
「……何か話したそうな感じ?今日は体育館の空調機の点検あるんで、部活早めに終わるッスよ」
「いいの?相談したいこともあったから助かる」
貴重な休憩時間を割いてわざわざ私のところまで話しに来てくれた後、黄瀬くんは相槌の代わりに片目を瞑って見せた。現役イケメンモデルの眩しいウインクを真向から浴び、砂になりそうな気持ちだ。もし黄瀬くんが私の本命だったなら、既に砂になって海常高校のグラウンドに撒かれてるだろう。
周囲の女子生徒からの視線が痛いが、多少平然としてられるのは、私が海常高校の生徒ではなく大学生だからだ。校内で私服で居るのだから、他校の生徒か外部からの来訪者だというのは一目瞭然。幸い、監督とも時々話してる姿を認識しているからか、あからさまに突っかかって来る女子もいなかった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
海常高校の裏手にある通りを抜けて、少し歩いたところに穴場のカフェがある。
日々女子からの熱い視線を受け、追われる人気者の黄瀬くんの心休まる行きつけの場所らしい。確かに高校生が選ぶにはちょっとレトロな空間。ソファ席で向かい合いカフェラテを飲みながら、相談を打ち明けた。
体育館で会う度に声をかけてきてくれた森山くんが、ここ最近は話しかけて来なくなったのだ。
“やはり琴音さんとは運命を感じます”とか、
“今日はあなたの為に練習頑張ります”とか、
“女神のように美しくて目が離せない”とか、…らしい台詞を聞いていない。
二週間前、勇気を出して私からデートに誘って出かけた日を境に、会話が挨拶程度になってしまった。好きそうな服装のアドバイスや、交際前の二人でも周りやすいデートコースなどを教えてもらって、準備万端にして、当日だって緊張しつつも楽しい時間を過ごせたはずだった。なのに――
「楽しんでたの私だけだったのかも……次はないよ……」
「でも、次行きたいとことか話題に出たりしたんスよね?」
「きっと社交辞令だったんだよ。何かダメだったかな?気に障ることしちゃってたかなぁ」
「うーん、フェミニストの森山センパイに限ってはよほどの事でないと地雷はないと思うっスけど…。前日だってデートのこと、他の部員にも自慢げに話してたっスよ」
ストローでグラスの氷をくるくるとかき混ぜれば、底に沈んだガムシロップが溶け込んでいく。気が晴れないまま、喉を潤しても溜息が出るばかりだ。黄瀬くんは気休めのつもりで言ってない。周囲に話していたというのも真実だろう。それならば何故、その日を境に話しかけに来なくなってしまったんだろうかと謎が深まる。
私から話しかけに行っても森山くんはいつもの調子を見せることはなく、メールをしようかと思っても、妙な距離感を感じるせいで送るにも送れず、どうしたらいいものかと何も解決しないまま時間だけが過ぎて行った。
二人で向かい合って、首を傾げながら何がいけなかったのか考えても答えが出ない。いや、認めたら悲しいから考えないようにしていただけで、答えはもう出ているのかも知れない。
森山くんから見たら私は運命の人じゃなかったってだけ。それだけの話だ。
店のドアベルがカランと鳴って、来客の音を知らせる。ふと見覚えのある制服姿に心臓が跳ねた後、視界はハッキリと捉えた。その人物は、渦中の人――森山くんだった。
「たまに二人で寄り道してるのを見たって、他の部員から聞いてたんだが……ホントだったんだな」
入店するなり彼はどの席にも着かず、私と黄瀬くんをすぐに見つけると座席付近までやって来た。いつもの柔らかい表情とは違い、不自然な微笑みだった。
「森山くん…!?」
「尾行するつもりはなかったんですが、学校出る時に二人を見かけて……、店の外から見えなかったんで、つい……黄瀬もスマン、邪魔した」
「ま、待って森山センパイ。邪魔とかじゃないから!勘違いしてるっス!」
「安心しろ。誰にも言わないさ。後輩の恋路を邪魔するほど俺は野暮じゃない」
静かに告げ、森山くんは踵を返して店を出て行ってしまった。呆気に取られて何も言えず、動けなかった。一体何が起きたのか理解するまで数秒固まった後、黄瀬くんの『琴音センパイ!』という呼び声でハッと我に返った。確かに、森山くんの情報を教えてもらったり相談に乗ってもらうという目的で、黄瀬くんと一緒に話す時間が増えたことは周囲にも知られていたんだろう。何せ、黄瀬くん自身が目立つ存在なのだ。隠すのも無理があった。
一番誤解されたくない人に誤解されてしまった。
ただ、誤解された事より、森山くんが追って来た理由より、すぐに去って行ってしまった事の方にショックを受けていた。勘違いだとしても、黄瀬くんと交際してるのだとあっさりと受け入れたのだから、彼の中で“私”の立ち位置はその程度だったってことだ。目の奥がジンとして水の膜を張って、視界が滲んでいく。
「琴音センパイ、追わないとダメっス!泣くのは後!」
「だ、だって……多分もう、嫌われ……」
「嫌いな女の子の恋愛事情をわざわざ確かめに来る男なんていないッスよ?いいから、ちゃんと伝えて来て。俺、ここで待ってるから。森山センパイと二人で戻っておいで」
目を細めて笑うと、黄瀬くんは椅子から立ち上がって私の背中を軽く叩いた。手の甲で涙を拭って、椅子から立ち上がると私は鞄も持たずに店から飛び出していた。
多分、黄瀬くんから助言をくれなかったら、森山くんを自分からデートに誘うことも出来なかっただろう。応援してくれる人がいるのに立ち止まっていてはいけない。結果がどうあれ応援してくれた人にも報いないといけない。
来た道を走って戻って森山くんの後ろ姿を見つけた時、ちょうど橙が沈んで空色が群青に変わる頃に重なり、チカチカと街灯が点灯し始めていた。
・・・・・・
「待って!森山くん!」
地面を蹴って走って追いついて、息切れを整えつつ、思わず彼の制服の袖口を掴んでいた。中腰になって肺いっぱいに空気を吸い込み、フゥと吐き出し、落ち着きながら見上げれば森山くんは驚いていた。私一人で追ってくると思ってなかったんだろう。
「あの、色々話したいこと…まとまってないし、こんなとこで突然ごめん。全部、聞いて欲しい。私、黄瀬くんと付き合ってない。森山くんの事でアドバイス貰ってただけで……」
袖から手を放し背筋を伸ばして視線を送ると、森山くんも振り返ってこちらに向き直ってくれた。久々に真正面から見た彼の顔は、相変わらず整っていて、美形で、初めて会った日から私の心を捉えて離さない。一目惚れって本当に、厄介だ。
「私が好きなのは森山くんだから。初めて会った日から、ずっと。一目惚れだったの。森山くんの中で私は、たくさん居る運命の相手のうちの一人に過ぎないんだと思う。でも、私にとっては運命の相手は一人でいい。森山くんだけが、好き。大好きなんです」
心に秘めていた気持ちが案外すんなりと声に出して伝えられたことに、自分が一番驚いてる。もっと顔が熱くなって、しどろもどろになって震えた声で……相手に告白する機会があるのならそんなシーンを思い浮かべたのに、全然違う。当たり前のように好きでいたらから、揺るがない当然の感情をただ事実として伝えてるよう。不思議と冷静だった。多分、この伝え方は可愛げがないだろうな。
「一緒に出掛けた日から、森山くんが余所余所しくなったのは分かってる。何か気に障ることをしたなら謝るから。気をつけるから。だから、まだ諦めなくてもいいかな。もっと一緒に話したり、遊びに行ったり、まだまだたくさん森山くんのこと知りたいの」
――教えて欲しい。好きな女の子のタイプや、苦手な女の子のタイプ、好きな食べ物、家族構成…もっともっと、それ以上に。
告白と呼ぶには長すぎる語りのようになってしまい、はたと気付いた時には二人の間に沈黙が流れ、留めていた恥ずかしさが急に押し寄せて顔が赤くなっていく。
……言った。言ってしまった。
すると、森山くんは口元に手をあてて小さく笑い出した。
「俺の運命の人は想像以上に大胆ですね。男の俺の立場がないじゃないですか。本当は全部、俺から伝えないといけないことなのに」
一歩近づいて来て初めて会った時のように私の両手を握り、森山くんは口角を上げて私を見つめた。彼の瞳が、潤んでる気がした。
「可愛い女の子やキレイな女性がいたら、運命を感じて条件反射で声を掛けてきました。けど、琴音さんとデートした日からそんな台詞は出て来なくなったんです。会話が素っ気なくなったのも、あなたを意識し始めていつもの調子が出なかったからで……、ちょうどその頃に部内で黄瀬と琴音さんの噂が流れて、勝手に妬いて、前より話しかけ難くなって、気づいたんです。琴音さんへの気持ちは他の女子に向けていた好意と違ったんだって。例え小指に赤い糸がたくさん巻かれていたとしても――」
森山くんは一度手を放すと、右手の小指を立てて、私の右手の小指に絡めた。
「手繰り寄せたいのはこの糸だけだ」
群青の空の下、街灯に照らされた彼の優しく笑う表情が、綺麗で見とれてしまう。全部、聞き逃さなかった。普段は甘い台詞を軽々と口にする森山くんでも、好きな子を意識して上手く話せなくなることがあるだという、年相応の男の子らしい一面を知った。しかもその相手が、私だなんて夢みたいだ。もう夢でもいい。夢なら、醒めるな。けれど、喜びで心が満ちて、瞬きの度に伝う涙の熱が、これは現実だと教えてくれる。
彼に出会うまでは『運命』なんて信じたりしなかった。所詮は恋人が交わす甘い会話の中にしかない。ハッピーエンドを迎えた人たちの結果論に使われるものだと。それでも、一目惚れした彼と想いが重なった今日を機に、見えない力を信じざるを得ない。
「私で、…いいの?森山くんが好みの『セクシーなお姉さん』とは程遠いよ?」
「“好みのタイプは琴音さん”、になりますから。安心してください」
「……う、うん、それは素直に嬉しいな」
「さぁ、俺たちの仲を取り持ってくれた世話焼きな後輩に報告に行きましょうか」
結ばれた小指は解かれ、森山くんは私の隣に並びながら、手を繋ぎ直した。離れないようしっかりと指を絡め合う、恋人の繋ぎ方だ。
私だけ顔が赤くなってるのずるいなって思って、背伸びして顔を覗き込めば不意に視線を逸らされた。何だ、よく見たらしっかり耳が赤くなってるじゃないか。心許ない夜の灯りの下でも、色白の彼では隠しようがない。余裕そうに見えて全然そんなことないんだなって、可愛く思えて仕方なかった。
踵を上げたついでに、繋いでる手を引き寄せて自分の方へ屈ませ唇を頬に近づけた。彼が目を見開いて驚いたのは、触れたのとほぼ同時。
「………、後で倍にして返します。なんだったら黄瀬の前で」
「さすがにそれは恥ずかしいかなぁ」
自分から告白したのも、好きな人の頬にキスをしたのも生まれて初めてだ。これからも、私の初めては森山くん唯一人に捧げ、惜しむことなく愛を与えていこう。倍返しされるのだって楽しみのひとつ。
だって、あなたは運命の人。あなただけが、私の運命の人。