短編・中編
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One spring day
-2.告白- ※黒子視点
――『もうだいじょうぶ!私がテっちゃんを守ってあげるからね』
般若のお面をかぶった人物どこからともなく春の風と共に颯爽と現れ、声ですぐその人物が琴音だと分かった。
5歳の時、近所の公園で上級生にからかわれて泣いていた僕を助けてくれた。
奇声を発して威嚇する琴音を見て、僕に意地悪をしてきた彼らの方が恐怖で震えてギャンギャンと泣き出していた。
あれはヒーローのつもりだったんだろうか。一生忘れられない思い出になったが思い返すたびに笑ってしまう。
…いつだって琴音は僕の味方で助けてくれる。いつか僕も、一人の男としてキミを守りたい。
ふと、そんな昔のことを思い出してしまうのは、あの頃と同じ季節がやって来たからだろう。
思い返す度に、あの般若のお面は一体どこで手に入れたのかと不思議に思う。
滑稽なヒーローだったけど、助けに来てくれたときは勇気ある行動に憧れを抱いたものだ。
昔の回想をしつつ歩いていたせいで、曲がるはずの道を真っ直ぐ歩いてきてしまったことに今気がついた。
…相当、疲れてる。その自覚はあったが、情けないなと思いつつ少し行き過ぎた道をまた戻った。
春の夜はあっと言う間に涼しくなり、昼との気温差で体調を崩す人も多そうだ。冷たい風が頬を掠めて、僕は街灯が照らす人気のない夜道を歩いているが、一歩一歩が重く感じてため息をついた。――家まで、あと少し。
帝光バスケ部の一軍に混ざって練習するようになり3ヶ月以上は経つが、あのハードさには未だ慣れない。
最初の頃のように練習中に吐くことはなくなったが、想像以上に激しく体力を消耗するので毎日帰り道はぐったりしてしまう。
入部して早々から一軍入りした青峰くん、緑間くん、紫原くん、そして一年生にして副主将を務めている赤司くんは、ハードな練習に少しも音を上げたりしないので感心してしまう。
僕も彼らの足を引っ張らないように頑張らなければ。
通常の練習を終えた後に居残り練習をするも、最後の数分は気力だけで立っている時もしばしばで体は正直に疲労を訴えていた。
もっと、もっと強くならないと。そのために一日終えた後の休息も重要になってくる。
ハードな練習後は食欲も失せるが、無理にでも食べないと。体作りに必要な栄養素を摂ることが重要だとマネージャーの桃井さんも言っていたし、帰ったらしっかり夕飯を食べよう。
明日は土曜日なので授業自体は休みだが、午前中いっぱいは部活だ。
午後から体育館の点検ががあるそうなので、明日は居残り練習も出来ない。
その代わりにたまには気分転換に出かけるのもいいだろう。
体を休ませる時間に使ってもいいし、久々に図書館にでもいこうかと色々な予定が頭を巡る。
琴音も誘ってみよう。昔から一緒にいるせいで、どこかへ出かけるなら声をかけることも当たり前のようになっている。
幼馴染という関係が普通の感覚を麻痺させている気がした。
僕が赤ん坊の頃に、彼女は隣に引っ越して来た。お互い一人っ子ということもあり、しょっちゅう一緒に遊んだりして本当に長い時間を共に過ごしてきた。
僕より3つ上の琴音に対して、小さい頃は頼れる姉のような存在だと思っていた。
しかし今は、歳のわりに幼い内面を持つ彼女より、僕の方が年上みたいな感覚だ。
「ごちそうさまでした」
帰宅する頃には食欲も湧いてきて、一人遅めの夕飯を食べると僕は早々に自室へ向かった。
階段を上り二階に上がっていると、今日も1日が終わっていくんだなと安堵する。
廊下を月明かりが照らして僕は窓の外を見上げた。
満月…ならば、僕の部屋も月明かりが照らしてくれるだろう。月光浴はリラックスにも効果があると聞いたことがある。多分、だけど。
ガチャリとドアを開けると、僕より先にリラックスしている人物が一人、1つしかないベッドで寝そべっていた。その姿は月明かりに照らされている。
「占拠されてしまいました…」
起こさないように小声で呟いて、僕は鞄を床に置いた。
毎日のように僕の部屋に遊びに来ては、時々僕が帰ってくるのを待てずに寝てることがあるので特に驚いたりはしない。それに、玄関に彼女のサンダルも置いてあったし。
琴音は寝息を立ててすうすうと気持ちよさそうに眠っていた。小さい頃は、お互いの家に行ったり来たりして、ゲームしたりどこかに遊びに行ったり、隣の家なのに泊まったりしていた。
ただ、中学になってからは僕が琴音の部屋に遊びに行くことはなくなった。何故だか胸の奥がザワついて彼女の部屋にいると落ち着かなかった。
その時は、この気持ちの正体をまだ知らずにいたけれど、僕が彼女の部屋に遊びに行かなくなった事に対して、琴音からも両親からも、特に誰からも何も言われなかった。思春期だからかな、程度に思われたんだろうか。
その解釈で正しいことは正しい。代わりに琴音から僕の部屋に遊びに来ることが多くなって…現状に至る。
『たくましくなったね。昔はあんなに小さくてね…かわいくてね…』
始業式の日の朝、久々に琴音が玄関まで僕を迎えに来て途中駅まで一緒に通学した日があった。
その時に琴音に言われたのだ。自覚はなかったが、たくましく見えていたなんてはじめて知った。
だが、キミだけじゃない。僕もそんな風にキミを見ている。
その言葉、そっくりそのまま返しますと伝えたかった。
深呼吸をしてベッドに近づけば、布団もかけずに仰向けになって琴音は眠っていた。
枕元には栞が挟んである小説が置いてあった。僕が勧めた小説を途中まで読んでいたようだ。
彼女の服装は薄手のトップス、ショートパンツに素足。
窓が少し開いていてそこから冷たい風が流れ込んできていた。風邪でも引くつもりなのだろうか。
音を立てないように静かに窓を閉めながらも視線は琴音から動かせない。
長い睫、桃色の頬に、ふっくらした唇、呼吸に合わせて上下する胸、大胆に剥き出しになった足…どこもかしこも柔らかそうだ。
男性と明らかに違う、女性の身体。毎日のように会っていたとしても、その変化は明らかに見て分かる。
琴音が日々、大人びた顔立ち、女性の体付きに育っていくのを見て、こう無防備に自分のベッドで眠っているのを目の当たりにすると目のやり場に困って心臓が鼓動する。今までだって意識せざるを得ないことがしばしばあった。
『幼馴染』――というのを言い訳に向かい合うことを避けていた感情が、僕の中には存在する。沸々と熱を帯びていく気持ちが心の中にあった。
ベッドの脇に座ってあどけない顔を覗き込んで、指で額にかかっている前髪をそっと撫でると、琴音はう~んと唸ってからパチリと目を開けた。
「あっ…、テっちゃんお帰りぃ…。待ってようと思ってたのに本読んだら眠くなっちゃって…」
上半身を起こし腕を上げて伸びをしながら、琴音は力が入らない笑い方で僕の方に顔を向けた。
寝起きなのでまだ視点が定まってない様子だ。
「そんな無防備な格好で寝てると僕に襲われますよ」
「…ほんとに?テっちゃんがそんな冗談言うなんて珍しいね」
冗談だと思っているのか、笑いながら琴音は僕の頬に自分の頬を擦り寄せてきた。
寝起きの温かい体温が伝わってきて自分の肌が粟立つのが分かった。
ふっくらした頬の弾力を感じて、全神経が自分の頬に向かっていく。本当に襲ってしまいたくなる。
きっと琴音は、僕のことを“弟”ぐらいにしか思っていないのだろう。だからこんな挑発的なことが出来るんだ。
だが彼女を恨む事は出来ない。自我が芽生える前からずっと傍で過ごしてきたし、一緒に育ってきたのだ。
こんなのは軽いスキンシップの1つに過ぎない。
琴音を女性として意識してしまう僕の方がどうかしてる。恨むべきは自分の性質だ。情けなくて思わずため息が漏れてしまう。
すると琴音は、擦り寄せていた頬を離して距離をとった。
「テっちゃん今日は特に疲れてるみたいだからそろそろ戻ろうかな。私の部屋すぐそこだしジャンプすれば一瞬で行けるのになぁ」
確かに、僕の部屋に続くベランダから外に出て、すぐ目の前には琴音の部屋に繋がっているバルコニーがあった。
時々、お互い外に出て話したりしたこともある。僕も琴音の部屋に遊びに行った時は、よくバルコニーで紅茶を飲みながら読書を楽しませてもらっていた。春は日差しがぽかぽかしてとても心地よい場所だ。…にしても、未だに『ジャンプして部屋に戻る』なんて発想、捨てていなかったのか。
高校二年にもなって本当に琴音は変わらない。
「ダメですよ。戻るなら玄関から戻って下さい」
「はいはい、わかってます」
「琴音は運動神経も鈍いから落っこちそうです」
「テっちゃんひどい!気にしてるのに…!」
目を固く瞑って抗議してくる琴音がまるで子供みたいだ。他愛のないやりとりで頬が緩み、心が癒されていく。
無意識に僕から離れていった彼女の手を引いてもう一度近づけば、今度は自分から琴音の頬に寄せた。
ピタリと頬同士がくっついて伝わる体温。接触部分から鼓動さえ伝わってしまいそうだと錯覚した。
今思っていることを支離滅裂に言葉にしてしまおうか、と思った。
しかし、まだ自分の気持ちが固まっていないというのに、曖昧なまま口にしたところで一体何になる。
自分らしからぬ行動を不思議に思ってか、察したように琴音も自分から頬をしっかりと擦り付けてきた。
彼女は僕のことを心配している。僕が動揺していることはいとも簡単に気づかれてしまったのだ。
当たり前だ…隠し事なんて出来るはずもない。
今までずっと、長い時間を共に過ごしてきたのだから、互いの感情の機微ぐらい手に取るように分かってしまうのかも知れない。
――ならば、告げてもいいだろうか。
「キミもいつか…、誰かの大切な人になって、この部屋から去って行くんでしょうか」
意図せず自分の声色に悲しみが混ざった。一度発してしまった言葉は相手に届いてしまっただろう。
互いにどんな顔をしているのか見えない体勢のまま、僕はゆっくり瞳を閉じた。
例え僕たちが別々の人生を歩んでいくとしても――『幼馴染』であることは変わらない。
過ごした思い出も時間も消えるわけじゃない。だから悲しくないのだと、すんなりと受け入れらたのなら楽なのに。
この恋は一過性のものだと割り切ることが出来たら楽なのに。
僕にはそれは無理だ。到底出来ない。
この伝わってくる琴音の温かさを誰かに奪われるなんて、耐えられない。
「去らないよ?だってその“誰か”って、私はテっちゃんだと思ってるから」
軽く明るい口調で返され、予想もしていなかった答えに僕は目を見開いた。
「…合ってる?」
寄せていた頬を離し、ゆっくりとした動きで琴音に向き合う。彼女も僕の方に向き直り、自然と対面する姿勢になった。
そんな、頷く以外に選択肢がない訊き方をされてはもう退路もないじゃないか。
琴音は時々、天然を武器に僕に意地悪してくることをすっかり忘れていた。
見上げてくる大きな瞳に僕の姿が映し出され、月明かりが反射して思わず目を細めた。
それから彼女はまるで照れる様子もなく、8年前、僕と琴音との間で交わした約束の事を淡々と話しはじめた。覚えてる?と聞かれて、僕は素直に肯定した。
忘れるはずもない。恥ずかしながら僕は、そんなことを大胆にも宣言していた。
思えばあの頃から今に至るまで、気持ちのレールは琴音へ真っ直ぐと伸びその上を辿って僕は今日まで来た。
ずっと傍にいてくれた幼馴染に、純粋に恋心を抱き続けて生きてきたんだ。
約束を信じてずっと待っているのだと、琴音は僕本人の前で屈託なく笑う。
悩んでいた心のも靄が一気に晴れていき、僕も声を立てて笑ってしまった。僕はキミが幼馴染でよかったと心から思う。
今日が二人の関係が変わる日になるなんて思ってもみなかった。望んでいたはずのターニングポイントは突然だ。
…ずっと傍にいたい。幼馴染として、そしてこれからは一人の男として――
ごくシンプルに気持ちを伝えるために、僕は息を吸い込んだ。目の前の大切なキミへ、思いの丈を打ち明けよう。
-2.告白- ※黒子視点
――『もうだいじょうぶ!私がテっちゃんを守ってあげるからね』
般若のお面をかぶった人物どこからともなく春の風と共に颯爽と現れ、声ですぐその人物が琴音だと分かった。
5歳の時、近所の公園で上級生にからかわれて泣いていた僕を助けてくれた。
奇声を発して威嚇する琴音を見て、僕に意地悪をしてきた彼らの方が恐怖で震えてギャンギャンと泣き出していた。
あれはヒーローのつもりだったんだろうか。一生忘れられない思い出になったが思い返すたびに笑ってしまう。
…いつだって琴音は僕の味方で助けてくれる。いつか僕も、一人の男としてキミを守りたい。
ふと、そんな昔のことを思い出してしまうのは、あの頃と同じ季節がやって来たからだろう。
思い返す度に、あの般若のお面は一体どこで手に入れたのかと不思議に思う。
滑稽なヒーローだったけど、助けに来てくれたときは勇気ある行動に憧れを抱いたものだ。
昔の回想をしつつ歩いていたせいで、曲がるはずの道を真っ直ぐ歩いてきてしまったことに今気がついた。
…相当、疲れてる。その自覚はあったが、情けないなと思いつつ少し行き過ぎた道をまた戻った。
春の夜はあっと言う間に涼しくなり、昼との気温差で体調を崩す人も多そうだ。冷たい風が頬を掠めて、僕は街灯が照らす人気のない夜道を歩いているが、一歩一歩が重く感じてため息をついた。――家まで、あと少し。
帝光バスケ部の一軍に混ざって練習するようになり3ヶ月以上は経つが、あのハードさには未だ慣れない。
最初の頃のように練習中に吐くことはなくなったが、想像以上に激しく体力を消耗するので毎日帰り道はぐったりしてしまう。
入部して早々から一軍入りした青峰くん、緑間くん、紫原くん、そして一年生にして副主将を務めている赤司くんは、ハードな練習に少しも音を上げたりしないので感心してしまう。
僕も彼らの足を引っ張らないように頑張らなければ。
通常の練習を終えた後に居残り練習をするも、最後の数分は気力だけで立っている時もしばしばで体は正直に疲労を訴えていた。
もっと、もっと強くならないと。そのために一日終えた後の休息も重要になってくる。
ハードな練習後は食欲も失せるが、無理にでも食べないと。体作りに必要な栄養素を摂ることが重要だとマネージャーの桃井さんも言っていたし、帰ったらしっかり夕飯を食べよう。
明日は土曜日なので授業自体は休みだが、午前中いっぱいは部活だ。
午後から体育館の点検ががあるそうなので、明日は居残り練習も出来ない。
その代わりにたまには気分転換に出かけるのもいいだろう。
体を休ませる時間に使ってもいいし、久々に図書館にでもいこうかと色々な予定が頭を巡る。
琴音も誘ってみよう。昔から一緒にいるせいで、どこかへ出かけるなら声をかけることも当たり前のようになっている。
幼馴染という関係が普通の感覚を麻痺させている気がした。
僕が赤ん坊の頃に、彼女は隣に引っ越して来た。お互い一人っ子ということもあり、しょっちゅう一緒に遊んだりして本当に長い時間を共に過ごしてきた。
僕より3つ上の琴音に対して、小さい頃は頼れる姉のような存在だと思っていた。
しかし今は、歳のわりに幼い内面を持つ彼女より、僕の方が年上みたいな感覚だ。
「ごちそうさまでした」
帰宅する頃には食欲も湧いてきて、一人遅めの夕飯を食べると僕は早々に自室へ向かった。
階段を上り二階に上がっていると、今日も1日が終わっていくんだなと安堵する。
廊下を月明かりが照らして僕は窓の外を見上げた。
満月…ならば、僕の部屋も月明かりが照らしてくれるだろう。月光浴はリラックスにも効果があると聞いたことがある。多分、だけど。
ガチャリとドアを開けると、僕より先にリラックスしている人物が一人、1つしかないベッドで寝そべっていた。その姿は月明かりに照らされている。
「占拠されてしまいました…」
起こさないように小声で呟いて、僕は鞄を床に置いた。
毎日のように僕の部屋に遊びに来ては、時々僕が帰ってくるのを待てずに寝てることがあるので特に驚いたりはしない。それに、玄関に彼女のサンダルも置いてあったし。
琴音は寝息を立ててすうすうと気持ちよさそうに眠っていた。小さい頃は、お互いの家に行ったり来たりして、ゲームしたりどこかに遊びに行ったり、隣の家なのに泊まったりしていた。
ただ、中学になってからは僕が琴音の部屋に遊びに行くことはなくなった。何故だか胸の奥がザワついて彼女の部屋にいると落ち着かなかった。
その時は、この気持ちの正体をまだ知らずにいたけれど、僕が彼女の部屋に遊びに行かなくなった事に対して、琴音からも両親からも、特に誰からも何も言われなかった。思春期だからかな、程度に思われたんだろうか。
その解釈で正しいことは正しい。代わりに琴音から僕の部屋に遊びに来ることが多くなって…現状に至る。
『たくましくなったね。昔はあんなに小さくてね…かわいくてね…』
始業式の日の朝、久々に琴音が玄関まで僕を迎えに来て途中駅まで一緒に通学した日があった。
その時に琴音に言われたのだ。自覚はなかったが、たくましく見えていたなんてはじめて知った。
だが、キミだけじゃない。僕もそんな風にキミを見ている。
その言葉、そっくりそのまま返しますと伝えたかった。
深呼吸をしてベッドに近づけば、布団もかけずに仰向けになって琴音は眠っていた。
枕元には栞が挟んである小説が置いてあった。僕が勧めた小説を途中まで読んでいたようだ。
彼女の服装は薄手のトップス、ショートパンツに素足。
窓が少し開いていてそこから冷たい風が流れ込んできていた。風邪でも引くつもりなのだろうか。
音を立てないように静かに窓を閉めながらも視線は琴音から動かせない。
長い睫、桃色の頬に、ふっくらした唇、呼吸に合わせて上下する胸、大胆に剥き出しになった足…どこもかしこも柔らかそうだ。
男性と明らかに違う、女性の身体。毎日のように会っていたとしても、その変化は明らかに見て分かる。
琴音が日々、大人びた顔立ち、女性の体付きに育っていくのを見て、こう無防備に自分のベッドで眠っているのを目の当たりにすると目のやり場に困って心臓が鼓動する。今までだって意識せざるを得ないことがしばしばあった。
『幼馴染』――というのを言い訳に向かい合うことを避けていた感情が、僕の中には存在する。沸々と熱を帯びていく気持ちが心の中にあった。
ベッドの脇に座ってあどけない顔を覗き込んで、指で額にかかっている前髪をそっと撫でると、琴音はう~んと唸ってからパチリと目を開けた。
「あっ…、テっちゃんお帰りぃ…。待ってようと思ってたのに本読んだら眠くなっちゃって…」
上半身を起こし腕を上げて伸びをしながら、琴音は力が入らない笑い方で僕の方に顔を向けた。
寝起きなのでまだ視点が定まってない様子だ。
「そんな無防備な格好で寝てると僕に襲われますよ」
「…ほんとに?テっちゃんがそんな冗談言うなんて珍しいね」
冗談だと思っているのか、笑いながら琴音は僕の頬に自分の頬を擦り寄せてきた。
寝起きの温かい体温が伝わってきて自分の肌が粟立つのが分かった。
ふっくらした頬の弾力を感じて、全神経が自分の頬に向かっていく。本当に襲ってしまいたくなる。
きっと琴音は、僕のことを“弟”ぐらいにしか思っていないのだろう。だからこんな挑発的なことが出来るんだ。
だが彼女を恨む事は出来ない。自我が芽生える前からずっと傍で過ごしてきたし、一緒に育ってきたのだ。
こんなのは軽いスキンシップの1つに過ぎない。
琴音を女性として意識してしまう僕の方がどうかしてる。恨むべきは自分の性質だ。情けなくて思わずため息が漏れてしまう。
すると琴音は、擦り寄せていた頬を離して距離をとった。
「テっちゃん今日は特に疲れてるみたいだからそろそろ戻ろうかな。私の部屋すぐそこだしジャンプすれば一瞬で行けるのになぁ」
確かに、僕の部屋に続くベランダから外に出て、すぐ目の前には琴音の部屋に繋がっているバルコニーがあった。
時々、お互い外に出て話したりしたこともある。僕も琴音の部屋に遊びに行った時は、よくバルコニーで紅茶を飲みながら読書を楽しませてもらっていた。春は日差しがぽかぽかしてとても心地よい場所だ。…にしても、未だに『ジャンプして部屋に戻る』なんて発想、捨てていなかったのか。
高校二年にもなって本当に琴音は変わらない。
「ダメですよ。戻るなら玄関から戻って下さい」
「はいはい、わかってます」
「琴音は運動神経も鈍いから落っこちそうです」
「テっちゃんひどい!気にしてるのに…!」
目を固く瞑って抗議してくる琴音がまるで子供みたいだ。他愛のないやりとりで頬が緩み、心が癒されていく。
無意識に僕から離れていった彼女の手を引いてもう一度近づけば、今度は自分から琴音の頬に寄せた。
ピタリと頬同士がくっついて伝わる体温。接触部分から鼓動さえ伝わってしまいそうだと錯覚した。
今思っていることを支離滅裂に言葉にしてしまおうか、と思った。
しかし、まだ自分の気持ちが固まっていないというのに、曖昧なまま口にしたところで一体何になる。
自分らしからぬ行動を不思議に思ってか、察したように琴音も自分から頬をしっかりと擦り付けてきた。
彼女は僕のことを心配している。僕が動揺していることはいとも簡単に気づかれてしまったのだ。
当たり前だ…隠し事なんて出来るはずもない。
今までずっと、長い時間を共に過ごしてきたのだから、互いの感情の機微ぐらい手に取るように分かってしまうのかも知れない。
――ならば、告げてもいいだろうか。
「キミもいつか…、誰かの大切な人になって、この部屋から去って行くんでしょうか」
意図せず自分の声色に悲しみが混ざった。一度発してしまった言葉は相手に届いてしまっただろう。
互いにどんな顔をしているのか見えない体勢のまま、僕はゆっくり瞳を閉じた。
例え僕たちが別々の人生を歩んでいくとしても――『幼馴染』であることは変わらない。
過ごした思い出も時間も消えるわけじゃない。だから悲しくないのだと、すんなりと受け入れらたのなら楽なのに。
この恋は一過性のものだと割り切ることが出来たら楽なのに。
僕にはそれは無理だ。到底出来ない。
この伝わってくる琴音の温かさを誰かに奪われるなんて、耐えられない。
「去らないよ?だってその“誰か”って、私はテっちゃんだと思ってるから」
軽く明るい口調で返され、予想もしていなかった答えに僕は目を見開いた。
「…合ってる?」
寄せていた頬を離し、ゆっくりとした動きで琴音に向き合う。彼女も僕の方に向き直り、自然と対面する姿勢になった。
そんな、頷く以外に選択肢がない訊き方をされてはもう退路もないじゃないか。
琴音は時々、天然を武器に僕に意地悪してくることをすっかり忘れていた。
見上げてくる大きな瞳に僕の姿が映し出され、月明かりが反射して思わず目を細めた。
それから彼女はまるで照れる様子もなく、8年前、僕と琴音との間で交わした約束の事を淡々と話しはじめた。覚えてる?と聞かれて、僕は素直に肯定した。
忘れるはずもない。恥ずかしながら僕は、そんなことを大胆にも宣言していた。
思えばあの頃から今に至るまで、気持ちのレールは琴音へ真っ直ぐと伸びその上を辿って僕は今日まで来た。
ずっと傍にいてくれた幼馴染に、純粋に恋心を抱き続けて生きてきたんだ。
約束を信じてずっと待っているのだと、琴音は僕本人の前で屈託なく笑う。
悩んでいた心のも靄が一気に晴れていき、僕も声を立てて笑ってしまった。僕はキミが幼馴染でよかったと心から思う。
今日が二人の関係が変わる日になるなんて思ってもみなかった。望んでいたはずのターニングポイントは突然だ。
…ずっと傍にいたい。幼馴染として、そしてこれからは一人の男として――
ごくシンプルに気持ちを伝えるために、僕は息を吸い込んだ。目の前の大切なキミへ、思いの丈を打ち明けよう。