短編・中編
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dramatic salvation
ウィンターカップ決勝戦――洛山は誠凛に負け、準優勝という結果となった。
“開闢の帝王”と呼ばれた洛山の敗北は受け入れがたいものの、死力を尽くした両校の戦いには誰しも胸を打たれただろう。かく言う、マネージャーとして同行した私もその一人だ。それでも、今まで選手たちの努力を近くで見てきたからこそ、洛山に勝って欲しかった。
洛山バスケ部員で囲まれた周囲からは悔し泣きの声が聴こえる。私も、横並びで座っていたマネージャー達と抱き合って涙した。
コートサイドのベンチにはマネージャーは一人しか入れない。試合終了の挨拶をして戻ってくる選手らに駆け寄って傍にいたかったが、それは叶わなかった。だが、樋口先輩の代わりに私がそこに居たとして、どんな言葉をかけていいのかわからなかっただろう。
ただただ泣いてばかりで、励ますことも慰めることも出来ず、役に立ちはしなかったと思う。それでも居たかったんだ――赤司くんの傍に。
粛々と閉会式が終わるまで悔しさで胸の痛みは静まらず、涙は途切れ途切れになりつつも収まることはなかった。
東京体育館の選手控室兼ロッカールームにレギュラー陣と一軍の控え選手を集め、監督から何やら試合後のミーティングがあったらしい。マネージャーの私たちは別行動で、引率教諭に連れられ連泊しているホテルに先に戻ることになったのでその内容は詳細は知らされていないが、いつも厳しい白金監督からの労いの言葉であって欲しいと人知れず願った。
同室になったマネージャーの中には三年生もいて、これまでの思い出をぽつりぽつりと語り合った。軽い気持ちで入部したらガチ部活で何度か辞めようと思ったこと、勉強と部活の両立が大変だったこと、とある部員に片思いしていたこと、アシスタントコーチに恋していたこと……と、しんみりしていたはずなのに、話がいろんな方向に逸れて恋バナにまで発展した。『洛山のマネージャーでよかった』と三年の先輩が告げた時、ぽろりと涙が流れてしまった。
「来年も彼らを支えてあげてね」
寂しそうに笑う先輩に、目頭が熱くなり鼻の奥がツンとする。頷いて、またみんなで寄り添い合って泣いて、緊張の糸が解けたようにその夜は深く眠りについた。悔しくて眠れないかと思っていたのに。人間て不思議だ。悔しくても悲しくても、泣き疲れもするしお腹も空くのだから。
…結局、赤司くんにメッセージを送れなかった。
ホテルのベッドの上、腫れぼったくなった瞼を閉じれすぐに意識が遠のいていった。心残りをひとつ残して。
□ □ □
「おはよう、昨日は眠れたかい?」
翌朝、朝食会場で赤司くんに挨拶がてら呼び止められ、解散後にホテルのロビーで待ち合わせする事になった。
朝早く起きて冷たい水で目を冷やしたから、少しはマシな顔になっていただろうか。それでも何だか目が合わせられないまま、私は了解の返事をした。
年の瀬ということもあり、ウィンターカップが終了した翌日からは現地解散となり、そのまま冬休みとなるのが恒例だ。
いくら強豪校とは言え、この連戦の後に学校に戻って即練習という無慈悲なことはしなかった。ちなみに、バスケ部以外の生徒は既に冬休みに突入しいる頃だ。
洛山バスケ部は各地方から優秀な選手をスカウトしているので、京都出身でない生徒も多い。その為、解散後の予定は自由行動としている。予め希望する部員には復路分の新幹線代は渡されていた。京都にそのまま帰る部員もいれば、もともと都内出身でそのまま東京に残り実家へ泊まったりする部員もいるからだろう。
各々がホテルを後にする中、私はロビーで赤司くんを待っているが内心はザワザワと落ち着かない。昨日は一言もメッセージを送れず、夜になって会いに行くことも出来ず、朝も挨拶だけで終わってしまい、…どんな言葉をかけようかと緊張してしまう。
フロントから少し離れた場所で、彼は監督と話をしてからこちらに向かって歩いてきた。都内にやって来た当日は洛山のジャージ姿だった赤司くんも、今日は私と同じく制服を着ていた。
「待たせたね。じゃあ行こうか」
「えっ、あ、赤司くん…?」
「ホテルの駐車場に車を待たせてある」
さりげなく私が肩にかけていたボストンバッグを代わりに持ち、誘導するように赤司くんは足早にホテルを出た。
慌ててついて行くと駐車場には真っ黒なリムジンが停まっており、運転手と思われるスーツを着た男性がサイドドアを開けて待っていた。赤司くんに手招きされるままに後部座席に乗り込むと、車内の広さに驚いた。これがリムジン…ゆったり広々とした空間、革張りのシートの乗り心地の良さに圧倒されてる間に私の隣に赤司くんが乗って来て、間もなく車は発進した。
「このまま浅草方面に向かう予定だ。荷物はオレの実家に届けてもらう。泊まりに必要なものも一式揃えさせておこう」
こちらから質問する前に淡々と告げる赤司くんに呆気に取られつつも、頭の片隅で瞬時に整理が始まる。
浅草方面?それは前に私が観光してみたいって言ってた場所。
赤司くんの実家に泊まり?これは知らない、聞いてない。
「そんな、いきなりご実家に泊まるだなんて…!一緒に観光できるのは嬉しいよ?でも帰らないとうちの家族も心配するし」
「先程連絡したら、“娘がお世話になります”とのことで了承を頂いているよ」
「……赤司くん、いくら何でも準備よすぎない?」
眉間に皺を寄せて一瞥すると、彼は小さく笑った。赤司くんの性格上、その用意周到さは今に始まったことではないと改めて実感する。コーチ経由でうちの親の連絡先を聞いたのだろう。帰ったら絶対冷やかされる。
反論を諦め項垂れる私を見て満足気に頷いてから、彼は流れていく景色に視線を向けた。都内出身の赤司くんにとっては珍しくもない風景だが、私は二年生にしてウィンターカップへ同行したのが初めてだったので、東京に来ることも観光も初だった。懐かしむように風景を楽しむ彼の横顔を盗み見て、ふと“彼”の変化に気づく。
『オレの実家』という台詞――“一人称”が変わっていたし、金色の左目が右目と同じ赤色に変化している。
そして何より、微笑む表情に柔らかさが増していた。
確かに私は赤司くんの“彼女”だが、世間的なカップルより長く時間を共にしたわけではない。部活以外の時間でも出来るだけ彼と過ごしたが客観的に見ればそれは僅かな時間。多忙な赤司くんが私と一日一緒に過ごせるデートは数える程度だった代わりに、主なデートは部活の帰り道だった。
それでも分かる。以前の赤司くんとは少し違うってコト。
…聞いてもいいのかな。
緊張で喉が詰まる。ゴクリと唾を飲み込む微かなその音で彼の視線は風景から私に戻り、戸惑いで目が泳いでいる事に気づかれた。
膝の上で固く握ってる手の上に、そっと一回り大きな手が置かれた。
「琴音、気づいているね」
優しく名前を呼ばれただけなのに不思議と涙が出そうになるのは何故だろう。本戦に入ってからは極力、選手の集中の邪魔をしないようにとメッセージだけで応援を伝えていた。赤司くんにも何となく近づき難かったから。
「知りたがってることは全て話そう。いや、オレがキミに知っていて欲しいんだ」
ゆっくりと視線を交わして頷くと、意を決したように彼は告げた。
自分の中に、もう一人自分の存在があることを。決勝の終盤から“もう一人の自我”を抑え、中学以前の自分に戻ったことを。
真剣に丁寧に話し始める言葉ひとつひとつ、まるで喉に刺さった棘を抜いていく作業のように感じた。ずっと心の奥に仕舞っていた秘め事のように。
すぐに理解することは難しかったが、いつ、どの時の赤司くんも私に優しかった…この真実だけは変わらない。
ちょうど浅草に着く少し前に赤司くんは話し終えた。それに対して私は気の利いた言葉をかけることは出来なかったが、ただ静かに頷いて聞いていた。知っていて欲しいと言った通り、彼は私に反応を求めているわけではなかった。赤司くんが話してくれた内容の対して私から伝えたいことがあるにせよ、少しばかり思考を巡らせる時間が必要だなと思った。
大通りから外れた駐車場で車は止まり、運転手の方がわざわざドアを開けて私と赤司くんを下ろしてくれた。まるでお嬢様の扱いだ。
ポカンとして口を開けて空を見上げれば冬の快晴と、ここから目視できる風景と言えば…右手に雷門、左手にスカイツリー。
「……ひとつだけいい?」
「ああ、何だい?」
「この流れで、やっぱり今から観光するの!?」
思わず声を張り上げてしまったが、驚く様子もなく赤司くんは苦笑した。
「何を今更。せっかく東京に来たんだ。『スカイツリーに行きたい、もんじゃ焼きを食べたい』と前に話していただろう?」
「そりゃ行きたいし食べたいけど!でも…、ウィンターカップも終わったばっかりだし、その……いいのかな」
「今は冬休みで、帰省中に恋人と観光をしているだけだ。何も問題ないじゃないか」
首を横に振って冷静に告げてくる声色に、“赤司くんの言うことはいつも正しい”と脳が反射的に聞き入れてしまう。
そりゃそうだけど…、と胸中で独り言ちてもその後に続く反論が出て来ない時点で私の負けだ。口ごもる私の手を取って赤司くんは歩き出した。
「とりあえず浅草寺にでも行ってみようか」
まさかウィンターカップ決勝の翌日に都内で制服デートをすることになるなんて、夢にも思わなかった。
一回り大きい手を握り返すと、顔が熱くなってくる。状況を鑑みても、浮かれてしまうのが不謹慎な気がするのに心が躍ってしまう。
自分のことを“オレ”と呼ぶ赤司くんと過ごす、初めての時間。
さっきは私のことを『恋人』と呼んでくれたけど、変わらず好きでいてくれてる?
義理でそう呼んだだけだとしたら、もう、このデートが最後になるのかも知れない。素敵な思い出を残すなら、気持ちを切り替えて楽しんだ方が、きっといい。
・・・
・・・・・
・・・・・・
冬の日没は早い。あっという間に橙と群青のグラデーションだった空色に、深い濃紺が広がって夜が来る。
浅草の定番コースを回ってお昼はもんじゃ焼きを食べた後、初めて人力車に乗ってスカイツリー方面へ。
隅田川沿いを歩いて新しくオープンしたカフェで一休みし、暗くなってきたらスカイツリーの展望台へ上って夜景を見る……という観光フルコースだ。
もんじゃ焼きは初めて食べたけど美味しすぎて様々な味を頼んでいたらいつの間にか5人前ぐらい平らげてしまって、赤司くんに笑われた。
都内出身の彼だが、もんじゃ焼きは同じくはじめて食べたみたいで、たこ焼き同様ふーふーして食べてる姿が新鮮で可愛らしかった。
心底楽しかった。行きたかった場所に好きな人と行けることも、赤司くんが丁寧に案内してくれたことも。
手際のいい彼は頃合いを見て迎えの車を呼んでくれていたみたいで、再びリムジンに乗って到着した場所は――豪邸。門構えから敷地内の和風庭園まで、漫画で見たことがあるお金持ちの家そのものだった。赤司くんのご実家は日本でも有名な名家だと聞いたことがあるので、心構えはしていたが…。実際に都内の一等地でこの規模の敷地を目の当たりにすると驚いてしまう。
泊まらせて頂くならばご家族にご挨拶をせねばと背筋を伸ばしていると、お父様はお仕事で年始までは不在だのことだった。
少しだけ庭をぐるりと歩いてから案内されたのは、敷地内の中にある『離れ』と呼ばれる客人が宿泊する用の場所だった。赤司くんに続いて入ると、そこは『離れ』と呼ぶには広すぎるメゾネットタイプの部屋。ファミリー向けかと思うほど豪華で充分なリビングにダイニングにアイランドキッチン。大型テレビにスピーカーまである。お風呂は一階と二階にあり、二階は檜の露天風呂らしい。…これはもはや、一軒家タイプのお宿では?
唖然と部屋の中を見渡していると、赤司くんはダイニングの椅子に座るよう促した。
「飲み物なら冷蔵庫とそこに…いや、何か食べるものを用意させようか」
「た、たくさん食べ歩きもしたしお腹いっぱいだから大丈夫だよ」
気遣いが嬉しくて、せめてコーヒーは私が入れようと座る前にキッチンにあるコーヒーメーカーに近づくと、ふと背後にピタリとくっつく体温。
「琴音」
名前を呼ばれるのと同時に、気が付くと後ろから赤司くんに抱きしめられていた。どのボタンを押せばいいのかと迷っていた指が止まる。こんな風に抱きしめられたのはいつぶりだろうか。彼の体温が懐かしい。今の赤司くんも私を好きでいてくれてるんだと安心して胸が熱くなる。
「あの、遅くなっちゃったけど…、ウィンターカップお疲れ様」
「ああ、ありがとう」
「来年はうちが勝とうね」
「勿論そのつもりだよ」
「私もマネージャーの仕事もっと頑張るから」
伝えたかった言葉をひとつずつ、声にして届ける度に抱きしめられる腕の力が弱まって解けていく。
「そうか、来年……」
私が振り返ってお互いに向かい合うと、赤司くんはポツリと呟いて薄く微笑んでいた。色んな感情が溶けて混ざっているみたいな違和感のある笑みだ。
ウィンターカップの優勝を逃した悔しさ。完璧さが欠けた自身への失望。過去の仲間に負けて本来の自分へ戻れた安堵。倒される事を待ち望んでいたはずなのに、確かに感じる寂しさ――主観ではあるが、そんな風に感じ取れた。リムジンの中で聞いた『もう一人の存在』の話が前提にあるのならば、今、彼の心の中が様々な想いで溢れていることは予想出来た。
自分の掌に視線を落とし一度ギュッと握って開いてから、私の指は赤司くんの左頬にそっと触れた。
燃えるような赤い髪と同じ色の瞳の色…、見つめられるといつも照れてしまうけど、今だけはそうはいかない。
右頬に唇を寄せてキスをすると、彼はビクリと体を震わせて目を見開いた。
気づくはずだろう。部活の帰り道に私を家の前まで送ってくれた後、赤司くんが決まって私にしてくれる所作を真似したものなのだから。一人称を“僕”と呼んでいた赤司くんの、お決まりの別れ際のキス。
「忘れないよ。赤司くんと過ごした思い出、全部」
数秒我慢したけど、頬が紅潮していくのが自分でも分かった。やっぱりだめだ、照れてしまう。誤魔化すように笑うと赤司くんは今度は正面から私を抱きしめた。先程のような優しい力ではなく、痛いぐらい強く。
眉をひそめた切なげな彼の表情を、その一瞬を、視界に捉えて見逃さなかった。頬へのキスの意味を、言葉と共に受け取ってくれたんだと悟った。
耳の近くでひゅっと息を吸い込む音が聴こえた。くっついた体から鼓動がお互いに重なり合って、どちらの心臓の音かわからない程に混ざり合う。ドクンドクンと脈打つ心音に重なって、胸が軋む音が聞こえてくるみたい。キシキシと、まるで泣き声のよう。きっと赤司くんは泣いていない――泣いていないはずだ。
「キミを好きになってよかった……」
消えてしまいそうな小さな声に応えるように、彼の背に手を添えて撫でてからゆっくりと両腕を回した。私の方こそ好きになってくれてありがとうって気持ちで胸がいっぱいになる。
赤司くんの苦悩や感情のすべてを理解することは難しい。でも傍にいて抱きしめることは出来る。ずっとずっと、寂しくないように。
ウィンターカップ決勝戦――洛山は誠凛に負け、準優勝という結果となった。
“開闢の帝王”と呼ばれた洛山の敗北は受け入れがたいものの、死力を尽くした両校の戦いには誰しも胸を打たれただろう。かく言う、マネージャーとして同行した私もその一人だ。それでも、今まで選手たちの努力を近くで見てきたからこそ、洛山に勝って欲しかった。
洛山バスケ部員で囲まれた周囲からは悔し泣きの声が聴こえる。私も、横並びで座っていたマネージャー達と抱き合って涙した。
コートサイドのベンチにはマネージャーは一人しか入れない。試合終了の挨拶をして戻ってくる選手らに駆け寄って傍にいたかったが、それは叶わなかった。だが、樋口先輩の代わりに私がそこに居たとして、どんな言葉をかけていいのかわからなかっただろう。
ただただ泣いてばかりで、励ますことも慰めることも出来ず、役に立ちはしなかったと思う。それでも居たかったんだ――赤司くんの傍に。
粛々と閉会式が終わるまで悔しさで胸の痛みは静まらず、涙は途切れ途切れになりつつも収まることはなかった。
東京体育館の選手控室兼ロッカールームにレギュラー陣と一軍の控え選手を集め、監督から何やら試合後のミーティングがあったらしい。マネージャーの私たちは別行動で、引率教諭に連れられ連泊しているホテルに先に戻ることになったのでその内容は詳細は知らされていないが、いつも厳しい白金監督からの労いの言葉であって欲しいと人知れず願った。
同室になったマネージャーの中には三年生もいて、これまでの思い出をぽつりぽつりと語り合った。軽い気持ちで入部したらガチ部活で何度か辞めようと思ったこと、勉強と部活の両立が大変だったこと、とある部員に片思いしていたこと、アシスタントコーチに恋していたこと……と、しんみりしていたはずなのに、話がいろんな方向に逸れて恋バナにまで発展した。『洛山のマネージャーでよかった』と三年の先輩が告げた時、ぽろりと涙が流れてしまった。
「来年も彼らを支えてあげてね」
寂しそうに笑う先輩に、目頭が熱くなり鼻の奥がツンとする。頷いて、またみんなで寄り添い合って泣いて、緊張の糸が解けたようにその夜は深く眠りについた。悔しくて眠れないかと思っていたのに。人間て不思議だ。悔しくても悲しくても、泣き疲れもするしお腹も空くのだから。
…結局、赤司くんにメッセージを送れなかった。
ホテルのベッドの上、腫れぼったくなった瞼を閉じれすぐに意識が遠のいていった。心残りをひとつ残して。
□ □ □
「おはよう、昨日は眠れたかい?」
翌朝、朝食会場で赤司くんに挨拶がてら呼び止められ、解散後にホテルのロビーで待ち合わせする事になった。
朝早く起きて冷たい水で目を冷やしたから、少しはマシな顔になっていただろうか。それでも何だか目が合わせられないまま、私は了解の返事をした。
年の瀬ということもあり、ウィンターカップが終了した翌日からは現地解散となり、そのまま冬休みとなるのが恒例だ。
いくら強豪校とは言え、この連戦の後に学校に戻って即練習という無慈悲なことはしなかった。ちなみに、バスケ部以外の生徒は既に冬休みに突入しいる頃だ。
洛山バスケ部は各地方から優秀な選手をスカウトしているので、京都出身でない生徒も多い。その為、解散後の予定は自由行動としている。予め希望する部員には復路分の新幹線代は渡されていた。京都にそのまま帰る部員もいれば、もともと都内出身でそのまま東京に残り実家へ泊まったりする部員もいるからだろう。
各々がホテルを後にする中、私はロビーで赤司くんを待っているが内心はザワザワと落ち着かない。昨日は一言もメッセージを送れず、夜になって会いに行くことも出来ず、朝も挨拶だけで終わってしまい、…どんな言葉をかけようかと緊張してしまう。
フロントから少し離れた場所で、彼は監督と話をしてからこちらに向かって歩いてきた。都内にやって来た当日は洛山のジャージ姿だった赤司くんも、今日は私と同じく制服を着ていた。
「待たせたね。じゃあ行こうか」
「えっ、あ、赤司くん…?」
「ホテルの駐車場に車を待たせてある」
さりげなく私が肩にかけていたボストンバッグを代わりに持ち、誘導するように赤司くんは足早にホテルを出た。
慌ててついて行くと駐車場には真っ黒なリムジンが停まっており、運転手と思われるスーツを着た男性がサイドドアを開けて待っていた。赤司くんに手招きされるままに後部座席に乗り込むと、車内の広さに驚いた。これがリムジン…ゆったり広々とした空間、革張りのシートの乗り心地の良さに圧倒されてる間に私の隣に赤司くんが乗って来て、間もなく車は発進した。
「このまま浅草方面に向かう予定だ。荷物はオレの実家に届けてもらう。泊まりに必要なものも一式揃えさせておこう」
こちらから質問する前に淡々と告げる赤司くんに呆気に取られつつも、頭の片隅で瞬時に整理が始まる。
浅草方面?それは前に私が観光してみたいって言ってた場所。
赤司くんの実家に泊まり?これは知らない、聞いてない。
「そんな、いきなりご実家に泊まるだなんて…!一緒に観光できるのは嬉しいよ?でも帰らないとうちの家族も心配するし」
「先程連絡したら、“娘がお世話になります”とのことで了承を頂いているよ」
「……赤司くん、いくら何でも準備よすぎない?」
眉間に皺を寄せて一瞥すると、彼は小さく笑った。赤司くんの性格上、その用意周到さは今に始まったことではないと改めて実感する。コーチ経由でうちの親の連絡先を聞いたのだろう。帰ったら絶対冷やかされる。
反論を諦め項垂れる私を見て満足気に頷いてから、彼は流れていく景色に視線を向けた。都内出身の赤司くんにとっては珍しくもない風景だが、私は二年生にしてウィンターカップへ同行したのが初めてだったので、東京に来ることも観光も初だった。懐かしむように風景を楽しむ彼の横顔を盗み見て、ふと“彼”の変化に気づく。
『オレの実家』という台詞――“一人称”が変わっていたし、金色の左目が右目と同じ赤色に変化している。
そして何より、微笑む表情に柔らかさが増していた。
確かに私は赤司くんの“彼女”だが、世間的なカップルより長く時間を共にしたわけではない。部活以外の時間でも出来るだけ彼と過ごしたが客観的に見ればそれは僅かな時間。多忙な赤司くんが私と一日一緒に過ごせるデートは数える程度だった代わりに、主なデートは部活の帰り道だった。
それでも分かる。以前の赤司くんとは少し違うってコト。
…聞いてもいいのかな。
緊張で喉が詰まる。ゴクリと唾を飲み込む微かなその音で彼の視線は風景から私に戻り、戸惑いで目が泳いでいる事に気づかれた。
膝の上で固く握ってる手の上に、そっと一回り大きな手が置かれた。
「琴音、気づいているね」
優しく名前を呼ばれただけなのに不思議と涙が出そうになるのは何故だろう。本戦に入ってからは極力、選手の集中の邪魔をしないようにとメッセージだけで応援を伝えていた。赤司くんにも何となく近づき難かったから。
「知りたがってることは全て話そう。いや、オレがキミに知っていて欲しいんだ」
ゆっくりと視線を交わして頷くと、意を決したように彼は告げた。
自分の中に、もう一人自分の存在があることを。決勝の終盤から“もう一人の自我”を抑え、中学以前の自分に戻ったことを。
真剣に丁寧に話し始める言葉ひとつひとつ、まるで喉に刺さった棘を抜いていく作業のように感じた。ずっと心の奥に仕舞っていた秘め事のように。
すぐに理解することは難しかったが、いつ、どの時の赤司くんも私に優しかった…この真実だけは変わらない。
ちょうど浅草に着く少し前に赤司くんは話し終えた。それに対して私は気の利いた言葉をかけることは出来なかったが、ただ静かに頷いて聞いていた。知っていて欲しいと言った通り、彼は私に反応を求めているわけではなかった。赤司くんが話してくれた内容の対して私から伝えたいことがあるにせよ、少しばかり思考を巡らせる時間が必要だなと思った。
大通りから外れた駐車場で車は止まり、運転手の方がわざわざドアを開けて私と赤司くんを下ろしてくれた。まるでお嬢様の扱いだ。
ポカンとして口を開けて空を見上げれば冬の快晴と、ここから目視できる風景と言えば…右手に雷門、左手にスカイツリー。
「……ひとつだけいい?」
「ああ、何だい?」
「この流れで、やっぱり今から観光するの!?」
思わず声を張り上げてしまったが、驚く様子もなく赤司くんは苦笑した。
「何を今更。せっかく東京に来たんだ。『スカイツリーに行きたい、もんじゃ焼きを食べたい』と前に話していただろう?」
「そりゃ行きたいし食べたいけど!でも…、ウィンターカップも終わったばっかりだし、その……いいのかな」
「今は冬休みで、帰省中に恋人と観光をしているだけだ。何も問題ないじゃないか」
首を横に振って冷静に告げてくる声色に、“赤司くんの言うことはいつも正しい”と脳が反射的に聞き入れてしまう。
そりゃそうだけど…、と胸中で独り言ちてもその後に続く反論が出て来ない時点で私の負けだ。口ごもる私の手を取って赤司くんは歩き出した。
「とりあえず浅草寺にでも行ってみようか」
まさかウィンターカップ決勝の翌日に都内で制服デートをすることになるなんて、夢にも思わなかった。
一回り大きい手を握り返すと、顔が熱くなってくる。状況を鑑みても、浮かれてしまうのが不謹慎な気がするのに心が躍ってしまう。
自分のことを“オレ”と呼ぶ赤司くんと過ごす、初めての時間。
さっきは私のことを『恋人』と呼んでくれたけど、変わらず好きでいてくれてる?
義理でそう呼んだだけだとしたら、もう、このデートが最後になるのかも知れない。素敵な思い出を残すなら、気持ちを切り替えて楽しんだ方が、きっといい。
・・・
・・・・・
・・・・・・
冬の日没は早い。あっという間に橙と群青のグラデーションだった空色に、深い濃紺が広がって夜が来る。
浅草の定番コースを回ってお昼はもんじゃ焼きを食べた後、初めて人力車に乗ってスカイツリー方面へ。
隅田川沿いを歩いて新しくオープンしたカフェで一休みし、暗くなってきたらスカイツリーの展望台へ上って夜景を見る……という観光フルコースだ。
もんじゃ焼きは初めて食べたけど美味しすぎて様々な味を頼んでいたらいつの間にか5人前ぐらい平らげてしまって、赤司くんに笑われた。
都内出身の彼だが、もんじゃ焼きは同じくはじめて食べたみたいで、たこ焼き同様ふーふーして食べてる姿が新鮮で可愛らしかった。
心底楽しかった。行きたかった場所に好きな人と行けることも、赤司くんが丁寧に案内してくれたことも。
手際のいい彼は頃合いを見て迎えの車を呼んでくれていたみたいで、再びリムジンに乗って到着した場所は――豪邸。門構えから敷地内の和風庭園まで、漫画で見たことがあるお金持ちの家そのものだった。赤司くんのご実家は日本でも有名な名家だと聞いたことがあるので、心構えはしていたが…。実際に都内の一等地でこの規模の敷地を目の当たりにすると驚いてしまう。
泊まらせて頂くならばご家族にご挨拶をせねばと背筋を伸ばしていると、お父様はお仕事で年始までは不在だのことだった。
少しだけ庭をぐるりと歩いてから案内されたのは、敷地内の中にある『離れ』と呼ばれる客人が宿泊する用の場所だった。赤司くんに続いて入ると、そこは『離れ』と呼ぶには広すぎるメゾネットタイプの部屋。ファミリー向けかと思うほど豪華で充分なリビングにダイニングにアイランドキッチン。大型テレビにスピーカーまである。お風呂は一階と二階にあり、二階は檜の露天風呂らしい。…これはもはや、一軒家タイプのお宿では?
唖然と部屋の中を見渡していると、赤司くんはダイニングの椅子に座るよう促した。
「飲み物なら冷蔵庫とそこに…いや、何か食べるものを用意させようか」
「た、たくさん食べ歩きもしたしお腹いっぱいだから大丈夫だよ」
気遣いが嬉しくて、せめてコーヒーは私が入れようと座る前にキッチンにあるコーヒーメーカーに近づくと、ふと背後にピタリとくっつく体温。
「琴音」
名前を呼ばれるのと同時に、気が付くと後ろから赤司くんに抱きしめられていた。どのボタンを押せばいいのかと迷っていた指が止まる。こんな風に抱きしめられたのはいつぶりだろうか。彼の体温が懐かしい。今の赤司くんも私を好きでいてくれてるんだと安心して胸が熱くなる。
「あの、遅くなっちゃったけど…、ウィンターカップお疲れ様」
「ああ、ありがとう」
「来年はうちが勝とうね」
「勿論そのつもりだよ」
「私もマネージャーの仕事もっと頑張るから」
伝えたかった言葉をひとつずつ、声にして届ける度に抱きしめられる腕の力が弱まって解けていく。
「そうか、来年……」
私が振り返ってお互いに向かい合うと、赤司くんはポツリと呟いて薄く微笑んでいた。色んな感情が溶けて混ざっているみたいな違和感のある笑みだ。
ウィンターカップの優勝を逃した悔しさ。完璧さが欠けた自身への失望。過去の仲間に負けて本来の自分へ戻れた安堵。倒される事を待ち望んでいたはずなのに、確かに感じる寂しさ――主観ではあるが、そんな風に感じ取れた。リムジンの中で聞いた『もう一人の存在』の話が前提にあるのならば、今、彼の心の中が様々な想いで溢れていることは予想出来た。
自分の掌に視線を落とし一度ギュッと握って開いてから、私の指は赤司くんの左頬にそっと触れた。
燃えるような赤い髪と同じ色の瞳の色…、見つめられるといつも照れてしまうけど、今だけはそうはいかない。
右頬に唇を寄せてキスをすると、彼はビクリと体を震わせて目を見開いた。
気づくはずだろう。部活の帰り道に私を家の前まで送ってくれた後、赤司くんが決まって私にしてくれる所作を真似したものなのだから。一人称を“僕”と呼んでいた赤司くんの、お決まりの別れ際のキス。
「忘れないよ。赤司くんと過ごした思い出、全部」
数秒我慢したけど、頬が紅潮していくのが自分でも分かった。やっぱりだめだ、照れてしまう。誤魔化すように笑うと赤司くんは今度は正面から私を抱きしめた。先程のような優しい力ではなく、痛いぐらい強く。
眉をひそめた切なげな彼の表情を、その一瞬を、視界に捉えて見逃さなかった。頬へのキスの意味を、言葉と共に受け取ってくれたんだと悟った。
耳の近くでひゅっと息を吸い込む音が聴こえた。くっついた体から鼓動がお互いに重なり合って、どちらの心臓の音かわからない程に混ざり合う。ドクンドクンと脈打つ心音に重なって、胸が軋む音が聞こえてくるみたい。キシキシと、まるで泣き声のよう。きっと赤司くんは泣いていない――泣いていないはずだ。
「キミを好きになってよかった……」
消えてしまいそうな小さな声に応えるように、彼の背に手を添えて撫でてからゆっくりと両腕を回した。私の方こそ好きになってくれてありがとうって気持ちで胸がいっぱいになる。
赤司くんの苦悩や感情のすべてを理解することは難しい。でも傍にいて抱きしめることは出来る。ずっとずっと、寂しくないように。