短編・中編
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サンセットキス
全中も終わり夏休み明けの始業式の午後、三年の俺たちはバスケ部を引退した。
俺もみんなも涙はなく、悔いのない顔で最後の挨拶をし、主将の赤司に部を頼むと肩を叩いた。
帝光は全中連覇を果たし、俺が主将の間も無事その伝統を守れたことに今は安堵している。
自分以上に“理念”や“伝統”を守るということ。
帝光バスケ部に入部した時から常について回る覚悟だった。
だが、もういいんだ。俺たちはここで、退く。
引退で寂しさを感じているのはもちろんだが、どこか開放感も同時に感じていた。
終わった途端に、自分でも知らぬ間に随分、重いプレッシャーを抱えていたことに気づいた。
大丈夫だ、これからは赤司がいる。頼りになるあいつらがいる。
化け物じみた才能で来年も全中優勝は約束されているだろう。
――そして俺には『受験』という次のプレッシャーが待っていた。
ずっと好きだった子に最近やっと告白…っぽいことをして、付き合いはじめることが出来たってのに、これから受験シーズンとは…厄介だ。
夏前に都内のバスケの強豪校からスカウトを受けスポーツ推薦での入学も考えていたけれど、俺は家から近い公立高校を一般受験することに決めていた。
なかなか頭のいい学校なので、推薦枠ではまず俺は通れない。
バスケから離れるわけじゃない。次の場所でもきっと俺はバスケ部に入部するだろう。
強豪校は魅力的だが、家から遠い場所ならば諦めた方がいい。親のこともあって高校は家から近い方がいいと決めていたから。
それに、何の偶然か――琴音も俺と同じ高校を目指しているらしい。
家から近いし、学びたい学科があるというのが理由らしい。てっきり俺たちは別の高校へ進むのかと思っていた。
そりゃ都内に住んでれば偶然同じ高校を目指す確率の方が低いだろうから。…高校でも、一緒に居られるな。
「私も頑張らないとなぁ。今の学力じゃギリギリだって言われちゃったよ」
今日は放課後、実力テストを踏まえて担任との進路相談が行われた日だった。
並んで歩く夕暮れの帰り道、琴音は苦笑いを見せた。
「部活も引退ってのにこれからは猛勉強か。…はぁ、滅入っちまうな」
俺も同じく、今の学力じゃギリギリだと言われた。ただ、得意科目を伸ばせば見込みは充分あるといいアドバイスももらった。
これからが頑張りどころだ。1日1日無駄にできないがもちろん息抜きも必要だから、たまには図書館で勉強とかじゃなく、二人でどっか出かけるのも必要だよな、と、心の中だけで思い俺は琴音の横顔を見た。
見てるだけで癒される顔、してる。可愛いと感じるのは好きだからなのか、可愛いから好きなのか…。
長い間微妙な距離感にいた相手がいざ自分の彼女となると、付き合いはじめてからも現実味が湧かない日が何日かあった。
だが、もうこいつは俺の――
「修ちゃんなら大丈夫だよ」
目の前でふわりとやわらかく笑う、俺の彼女。
そう言ってもらえると本当に大丈夫な気がしてきたのだから、俺の現金な奴だ。
おう、と素っ気無く返すと、琴音は嬉しそうにはにかんでいた。
あの曲がり角を曲がったら手を繋ごう。
まだ付き合って間もないせいか、こう、タイミングを決めないと上手く出来ない。
大事に大事にし過ぎたせいだと思う。
グッと手を引き寄せて握ると、俺の手にすっぽり包まれた小さな手が熱を帯びて、微かに指を動かした。
主将になった時からバスケ部を引退するまではバスケ一筋でいようと誓ったものの、琴音の指先のあたたかさに、もっと早くこうしていればよかったと思わずにはいられない。
俺はこいつを大事に思っていた。こいつも俺のことを好きでいてくれたおかげで今、こうして幸せなひとときを過ごしているわけだが、こいつが他の男を好きになる可能性だって充分あったわけだ。
本当によかった。他の男と付き合ったりしてなくて、琴音が俺のことをずっと見ていてくれて、本当によかった。
――この間、引退のおつかれ会でチームメイトから言われた事をを思い出す度に、俺はヒヤリと身体を強張らせてしまう。
思い出したくなくても記憶に残っちまった。
□ □ □
バスケ部引退後、三年だけでおつかれ会をやった。三軍も一軍も関係なく、マネージャーも参加で三年だけで集まると、結構な人数になった。
3年間、部活の時間を共に過ごしただけあって思い出話に花が咲き盛り上がった。
きっとこんな大勢で集まれるのはこの先あるかどうかわからないとみんな分かっていた。
受験が落ち着いた頃に、卒業式の前後にまた集まれる奴だけ集まれたらいいなとは思うが。
さすが、帝光バスケ部のマネージャーを努めていただけあって、女子陣はおつかれ会でもテキパキと動いていた。
たまたま琴音が俺にジュースをを渡しに来たのを見た奴らが、あいつが去った後に俺をからかいはじめたので咽せてしまった。
「汐見とはちゅーした?」
「……てめぇ」
連中はニヤニヤした顔を向けてきたので俺は全てを察した。
俺が琴音と付き合いはじめたことはまだ誰にも言ってないはずなのに、雰囲気で分かるんだよと言われた。
隠していたはずなのに察しのいい一部の奴らには気づかれていたみたいだ。
それに、俺たち以外にもどうやらマネージャーと付き合い始めてる奴らがちょくちょくいるらしい。
特に、引退した翌週からカップルが増えたらしい。それはプレッシャーからの開放感からなのか。
「虹村はもっとセクシーなお姉さんタイプ的なのが好みかと思ってたけど、何で汐見?」
「俺は好きになった奴がタイプなんだよ。お前に汐見のよさを知られたくもねぇ。誰が教えるか」
「…普段は下の名前で呼んでるくせに余所余所しいな~」
「うるせぇ!」
思わず力が入り、中身を飲み干した紙コップがぐしゃっと手の中で潰れた。
こいつら怒らせたいのか、俺を。それとも羨ましいのか。
女子達が1つのテーブルに集まって今度はピザを切り分けてくれている。
例え、大勢で集まっても琴音は後ろ姿を見ただけでどこにいるのかすぐに分かる。
俺の背後からの視線にも気づかず、あいつは楽しそうに笑っていた。
前だって、俺はあいつを好きだったから可愛くは見えたけど、付き合いはじめるようになって、距離感が近づいて特別な存在になってからはもっと可愛いと感じる。
ふわふわと柔らかそうな頬も、笑うと出来るえくぼも印象的に映る。
惚気は聞かねーからなと言われて、誰がお前らに惚気るかと毒突けば、こんなことを言い返されてしまった。
「汐見のこと狙って奴も多いたみたいだぜ。お前の知らないところで告白とかされてたんじゃねーの?」
「え…」
「虹村もそこそこモテてたんだろうけど、お前は主将って立場だったからなかなか近づけないイメージがあったせいであんま告られなかったろうけどさ、汐見は気さくだし近づきやすいじゃん?」
「……マジか」
聞いた瞬間、表情がピシリと固まってしまった。そして自分が如何に危機感が足りなかったのか思い知る。
そうか、そうだな、その通りだ。こんなに部員がたくさんいる中に女子マネージャーの割合は全体の1割。
帝光バスケ部は部員の練習も厳しいが、女子マネの忙しさもハンパない。
3年間、監督や俺たちの要望や期待にも応えて本当によく頑張ってくれたと思う。一際、彼女らが部員らにとって輝いて見えるわけで――そりゃ、そうか。
琴音を狙っていた奴らもいたわけだ。
はぁ、と深くため息をついて俺は項垂れた。ずっと微妙な距離感のままあいつを待たせて、俺は自分がよかれと思ったタイミングで思いを伝えた。
まるで独りよがりだ。これは琴音が俺を待っていてくれなかったらただのバカな男になるところだった。
そうならなかったのは、琴音が他の奴からの告白も振り切って俺を信じていたからだろう。頭が上がらない。
そんな簡単なことさえ、今になって気づくなんて。しかも、チームメイトの一言から。
募っていた想いだけ先に伝えておけばよかったんだ。不安にさせたまま待たせちまった事に、申し訳なさがじわじわと心の中に染みこんでくる。
「はい、これ虹村くんの分だよ」
もやもやしている心の内を知らぬまま、琴音は俺のところまで切り分けたピザを皿に乗せて持ってきてくれた。
あいつもみんなの前では俺のことを“虹村くん”と呼んだ。やんわりと俺を呼ぶ声が心に刺さる。
悪かった、と、今すぐ抱きしめたかったがみんながいる前じゃそんなことも出来しない。
おう、と素っ気なく返事をして差し出されたそれを受け取るので精一杯だった。
何が“けじめ”だ。
□ □ □
「修ちゃん。ボーッとしてどうしたの?」
おつかれ会でのことを思い返していたら、気づけば帰り道のルートから逸れてまったく別の場所を歩いていた。
ハッとして立ち止まり、周囲を見渡せば知らない住宅街。時々、手を繋いで遠回りして帰ることがあるが俺の様子がおかしいことに琴音は気が付いたようだ。
頭の中で先日の事を回想してたら知らない道まで来ちまった。
まぁ、本来のルートからそう遠くは来ていないはずだから戻るのは簡単だ。琴音の手に力が籠もり不安が伝わってくる。
目を丸くして不思議そうに俺を見つめて、小首をかしげていた。
――“遅いよ”とか、“待ちくたびれた”とか、そんなこと一切言ってこなかったな、お前は。
昔から人一倍優しい性格で、遠慮がちで、目立つか目立たないかで言えばクラスじゃ目立たない方のお前だったけど、俺はちゃんと見てたよ。だから好きになった。家が近所ってことや、幼い頃に出会えた事が偶然だとしても、好きになったのは必然だったんじゃないかと今ではそう感じてる。
ふと、人気のない路地が視界に入ったので俺が先に歩き出し、少し強引に琴音の手を引いた。ここなら目立たない、か。
向かい合うと、俺より身長も体も遙かに小さいこいつが小動物みたいだ。
視線を合わせるために琴音が上を向けばどうしたって上目遣いになって、その瞳の中に夕陽のオレンジ色がゆらゆらと煌めく。
ドッ、と心臓が跳ねた。
何も言わず、手を繋いだまま俺は背中を屈めると琴音の唇と自分の唇を重ねていた。
頭で考えるより先に体が動いてしまっていた。
「…わりぃ」
小声で呟くと顔を真っ赤にした琴音が首を横に振っていた。数秒触れてすぐ離した唇は柔らかく、甘い香りがした。
流れで、勢いで、はじめて触れちまった。琴音に不愉快な思いはさせなかったかとキスした後で今更だが心配になった。
「何で謝るの?もう私は修ちゃんの彼女だよ」
「いや、にしても唐突だったかなーと…」
「唐突でも嬉しいよ。私はずっとこうしたかった」
へへ、と笑う顔が可愛すぎてさらに俺の鼓動は加速していく。
…おま、おまえ、それを今、言うか。このタイミングで。
自然と俺の顔にも熱が昇っていった。照れるのは柄じゃねーが、こいつを相手にしたらどうしたって回避できない事だろ。
昔からそんな素直なところが可愛かった。変わらないでいてくれて嬉しい。逆に、俺はお前から見てどう映っているのか。
お前が好きになった俺は今でも変わってないって思っていていいのか。
俺はまた鼻先を近づけると琴音から先に目を閉じたので、もう一度唇を重ねた。
繋いでる手の熱も、体温も上昇していく。唇から漏れる息が聞こえた時、もっと深くと貪りたくなる衝動を俺は内心で無理矢理殺した。
名残惜しく唇を離すと琴音の目が潤んでいた。熱に浮かされたみたいな表情を見てゾクリと肌が粟立つ。
誰にも見せたくない。こいつのこんな顔は俺だけが知ってればいいことだから。誰にも教えてやるつもりはないけど。
甘ったるい空気が二人の間に流れるも、この手の空気は得意じゃない。
しかし、伝えたい事を伝えたい時に告げずに先延ばしにしても、何1つ良いことなんてない。息を吸って深呼吸をひとつしてから、琴音に視線を落とした。
「ずっと待っててくれてありがとな。もう不安にさせたりしねーから。だから、…俺について来い」
背中に汗が伝い、告白したあの日と同じぐらい緊張してる、俺。
あの日だってしれっと言ったけど、ホントは緊張しまくってた。会話の流れで告げることができたのは運がよかっただけで。緊張が悟られたらカッコ悪いなと、正直、心臓バクバクだった。
すると、琴音はプハッと吹き出して笑いはじめた。
予想外の反応に驚き、俺は言葉に詰まってついいつものクセで唇を尖らせた。拗ねている表情に見えたのか、琴音はすかさずフォローしてくる。
「ごめんごめん!」
「…けっこーマジなだったんだけどな」
「だってあまりにも言うことが男らしくて、修ちゃんらしいなぁって。私が好きになった修ちゃんのままだなって思って嬉しくなっちゃって…」
息が、止まるかと思った。ギャグにされんのかと思ったら、違った。
瞬きを二度三度繰り返す俺を覗き込んで、琴音はまたフフ、と口元を緩ませていた。
そんなに嬉しいことを言ってくれるなよ。俺は、まだ何にもお前にしてやれてねぇってのに。
ふわり、と、残暑の温い風が二人の間を通り抜けた。
真夏だったならば、好きな女の笑顔と声と暑さに浮かされて何をしでかしたか分かったもんじゃなかったとこだろう。9月でよかった。
俺の胸に額をくっつけて寄り添うこいつを、繋いでいない方の手を背中に回して抱きしめた。
まだ暑さが残る季節にさらに暑くなることをやってらぁと、可笑しくなるが、そりゃそうするさ、男なら。抱きしめずにはいられない。
「ずっと修ちゃんについていくよ」
小さな声が聞こえた。まるで俺の心臓に直接囁かれたみたいだった。こんなにピタリと俺の胸に寄り添っているのだから当然、異常なほど速い俺の鼓動も聞かれちまっている。情けない、けれど。これは、この心音の速さはお前のせいだ。
気持ちを告げた日に、俺からの言葉が頭の中でリフレインする。
――『随分時間がかかっちまった。でもその分、ちゃんと大切にすっから」』、って。俺のバカ野郎が。
時間をかけて大切にされてたのは俺の方だろ。もうとっくの昔から。これから生きていく中で、辛いことも悲しいこともあるだろう。
でも俺は、琴音が傍にいてくれるなら怖くはない。何が起きても前向きでいられる気がするんだ。
遠回りした分の近道なんてない。ただゆっくり一緒に歩んで行ければいいと、そう思う。
「琴音」
抱きしめたまま呼びかければ、琴音は顔を上げた。
目の中に映ってる俺の顔ときたら、耳まで赤くして何とも情けない面をしてる。
「9月もまだ暑ィな」
「…そうだね」
顔を近づければあいつの顔に俺の影がかかる。ゆっくりと瞼が降りていき、琴音の長い睫は白い肌によく映えた。
唇が触れるまで1ミリの距離で動きを止めた。地面に映る俺たちも影も、あと3秒以内には重なるだろう。
遠くの空で蝉の声が響いている。外だ、ここは外なわけだ。人気がない場所とはいえ、外で、何をやってんだ俺は、俺たちは。
でも今は冷静な思考など頭の片隅へ追いやってしまえばいい。ただこうしていたい。夕陽が落ちるまであと少し、暗くなるまでは。
全中も終わり夏休み明けの始業式の午後、三年の俺たちはバスケ部を引退した。
俺もみんなも涙はなく、悔いのない顔で最後の挨拶をし、主将の赤司に部を頼むと肩を叩いた。
帝光は全中連覇を果たし、俺が主将の間も無事その伝統を守れたことに今は安堵している。
自分以上に“理念”や“伝統”を守るということ。
帝光バスケ部に入部した時から常について回る覚悟だった。
だが、もういいんだ。俺たちはここで、退く。
引退で寂しさを感じているのはもちろんだが、どこか開放感も同時に感じていた。
終わった途端に、自分でも知らぬ間に随分、重いプレッシャーを抱えていたことに気づいた。
大丈夫だ、これからは赤司がいる。頼りになるあいつらがいる。
化け物じみた才能で来年も全中優勝は約束されているだろう。
――そして俺には『受験』という次のプレッシャーが待っていた。
ずっと好きだった子に最近やっと告白…っぽいことをして、付き合いはじめることが出来たってのに、これから受験シーズンとは…厄介だ。
夏前に都内のバスケの強豪校からスカウトを受けスポーツ推薦での入学も考えていたけれど、俺は家から近い公立高校を一般受験することに決めていた。
なかなか頭のいい学校なので、推薦枠ではまず俺は通れない。
バスケから離れるわけじゃない。次の場所でもきっと俺はバスケ部に入部するだろう。
強豪校は魅力的だが、家から遠い場所ならば諦めた方がいい。親のこともあって高校は家から近い方がいいと決めていたから。
それに、何の偶然か――琴音も俺と同じ高校を目指しているらしい。
家から近いし、学びたい学科があるというのが理由らしい。てっきり俺たちは別の高校へ進むのかと思っていた。
そりゃ都内に住んでれば偶然同じ高校を目指す確率の方が低いだろうから。…高校でも、一緒に居られるな。
「私も頑張らないとなぁ。今の学力じゃギリギリだって言われちゃったよ」
今日は放課後、実力テストを踏まえて担任との進路相談が行われた日だった。
並んで歩く夕暮れの帰り道、琴音は苦笑いを見せた。
「部活も引退ってのにこれからは猛勉強か。…はぁ、滅入っちまうな」
俺も同じく、今の学力じゃギリギリだと言われた。ただ、得意科目を伸ばせば見込みは充分あるといいアドバイスももらった。
これからが頑張りどころだ。1日1日無駄にできないがもちろん息抜きも必要だから、たまには図書館で勉強とかじゃなく、二人でどっか出かけるのも必要だよな、と、心の中だけで思い俺は琴音の横顔を見た。
見てるだけで癒される顔、してる。可愛いと感じるのは好きだからなのか、可愛いから好きなのか…。
長い間微妙な距離感にいた相手がいざ自分の彼女となると、付き合いはじめてからも現実味が湧かない日が何日かあった。
だが、もうこいつは俺の――
「修ちゃんなら大丈夫だよ」
目の前でふわりとやわらかく笑う、俺の彼女。
そう言ってもらえると本当に大丈夫な気がしてきたのだから、俺の現金な奴だ。
おう、と素っ気無く返すと、琴音は嬉しそうにはにかんでいた。
あの曲がり角を曲がったら手を繋ごう。
まだ付き合って間もないせいか、こう、タイミングを決めないと上手く出来ない。
大事に大事にし過ぎたせいだと思う。
グッと手を引き寄せて握ると、俺の手にすっぽり包まれた小さな手が熱を帯びて、微かに指を動かした。
主将になった時からバスケ部を引退するまではバスケ一筋でいようと誓ったものの、琴音の指先のあたたかさに、もっと早くこうしていればよかったと思わずにはいられない。
俺はこいつを大事に思っていた。こいつも俺のことを好きでいてくれたおかげで今、こうして幸せなひとときを過ごしているわけだが、こいつが他の男を好きになる可能性だって充分あったわけだ。
本当によかった。他の男と付き合ったりしてなくて、琴音が俺のことをずっと見ていてくれて、本当によかった。
――この間、引退のおつかれ会でチームメイトから言われた事をを思い出す度に、俺はヒヤリと身体を強張らせてしまう。
思い出したくなくても記憶に残っちまった。
□ □ □
バスケ部引退後、三年だけでおつかれ会をやった。三軍も一軍も関係なく、マネージャーも参加で三年だけで集まると、結構な人数になった。
3年間、部活の時間を共に過ごしただけあって思い出話に花が咲き盛り上がった。
きっとこんな大勢で集まれるのはこの先あるかどうかわからないとみんな分かっていた。
受験が落ち着いた頃に、卒業式の前後にまた集まれる奴だけ集まれたらいいなとは思うが。
さすが、帝光バスケ部のマネージャーを努めていただけあって、女子陣はおつかれ会でもテキパキと動いていた。
たまたま琴音が俺にジュースをを渡しに来たのを見た奴らが、あいつが去った後に俺をからかいはじめたので咽せてしまった。
「汐見とはちゅーした?」
「……てめぇ」
連中はニヤニヤした顔を向けてきたので俺は全てを察した。
俺が琴音と付き合いはじめたことはまだ誰にも言ってないはずなのに、雰囲気で分かるんだよと言われた。
隠していたはずなのに察しのいい一部の奴らには気づかれていたみたいだ。
それに、俺たち以外にもどうやらマネージャーと付き合い始めてる奴らがちょくちょくいるらしい。
特に、引退した翌週からカップルが増えたらしい。それはプレッシャーからの開放感からなのか。
「虹村はもっとセクシーなお姉さんタイプ的なのが好みかと思ってたけど、何で汐見?」
「俺は好きになった奴がタイプなんだよ。お前に汐見のよさを知られたくもねぇ。誰が教えるか」
「…普段は下の名前で呼んでるくせに余所余所しいな~」
「うるせぇ!」
思わず力が入り、中身を飲み干した紙コップがぐしゃっと手の中で潰れた。
こいつら怒らせたいのか、俺を。それとも羨ましいのか。
女子達が1つのテーブルに集まって今度はピザを切り分けてくれている。
例え、大勢で集まっても琴音は後ろ姿を見ただけでどこにいるのかすぐに分かる。
俺の背後からの視線にも気づかず、あいつは楽しそうに笑っていた。
前だって、俺はあいつを好きだったから可愛くは見えたけど、付き合いはじめるようになって、距離感が近づいて特別な存在になってからはもっと可愛いと感じる。
ふわふわと柔らかそうな頬も、笑うと出来るえくぼも印象的に映る。
惚気は聞かねーからなと言われて、誰がお前らに惚気るかと毒突けば、こんなことを言い返されてしまった。
「汐見のこと狙って奴も多いたみたいだぜ。お前の知らないところで告白とかされてたんじゃねーの?」
「え…」
「虹村もそこそこモテてたんだろうけど、お前は主将って立場だったからなかなか近づけないイメージがあったせいであんま告られなかったろうけどさ、汐見は気さくだし近づきやすいじゃん?」
「……マジか」
聞いた瞬間、表情がピシリと固まってしまった。そして自分が如何に危機感が足りなかったのか思い知る。
そうか、そうだな、その通りだ。こんなに部員がたくさんいる中に女子マネージャーの割合は全体の1割。
帝光バスケ部は部員の練習も厳しいが、女子マネの忙しさもハンパない。
3年間、監督や俺たちの要望や期待にも応えて本当によく頑張ってくれたと思う。一際、彼女らが部員らにとって輝いて見えるわけで――そりゃ、そうか。
琴音を狙っていた奴らもいたわけだ。
はぁ、と深くため息をついて俺は項垂れた。ずっと微妙な距離感のままあいつを待たせて、俺は自分がよかれと思ったタイミングで思いを伝えた。
まるで独りよがりだ。これは琴音が俺を待っていてくれなかったらただのバカな男になるところだった。
そうならなかったのは、琴音が他の奴からの告白も振り切って俺を信じていたからだろう。頭が上がらない。
そんな簡単なことさえ、今になって気づくなんて。しかも、チームメイトの一言から。
募っていた想いだけ先に伝えておけばよかったんだ。不安にさせたまま待たせちまった事に、申し訳なさがじわじわと心の中に染みこんでくる。
「はい、これ虹村くんの分だよ」
もやもやしている心の内を知らぬまま、琴音は俺のところまで切り分けたピザを皿に乗せて持ってきてくれた。
あいつもみんなの前では俺のことを“虹村くん”と呼んだ。やんわりと俺を呼ぶ声が心に刺さる。
悪かった、と、今すぐ抱きしめたかったがみんながいる前じゃそんなことも出来しない。
おう、と素っ気なく返事をして差し出されたそれを受け取るので精一杯だった。
何が“けじめ”だ。
□ □ □
「修ちゃん。ボーッとしてどうしたの?」
おつかれ会でのことを思い返していたら、気づけば帰り道のルートから逸れてまったく別の場所を歩いていた。
ハッとして立ち止まり、周囲を見渡せば知らない住宅街。時々、手を繋いで遠回りして帰ることがあるが俺の様子がおかしいことに琴音は気が付いたようだ。
頭の中で先日の事を回想してたら知らない道まで来ちまった。
まぁ、本来のルートからそう遠くは来ていないはずだから戻るのは簡単だ。琴音の手に力が籠もり不安が伝わってくる。
目を丸くして不思議そうに俺を見つめて、小首をかしげていた。
――“遅いよ”とか、“待ちくたびれた”とか、そんなこと一切言ってこなかったな、お前は。
昔から人一倍優しい性格で、遠慮がちで、目立つか目立たないかで言えばクラスじゃ目立たない方のお前だったけど、俺はちゃんと見てたよ。だから好きになった。家が近所ってことや、幼い頃に出会えた事が偶然だとしても、好きになったのは必然だったんじゃないかと今ではそう感じてる。
ふと、人気のない路地が視界に入ったので俺が先に歩き出し、少し強引に琴音の手を引いた。ここなら目立たない、か。
向かい合うと、俺より身長も体も遙かに小さいこいつが小動物みたいだ。
視線を合わせるために琴音が上を向けばどうしたって上目遣いになって、その瞳の中に夕陽のオレンジ色がゆらゆらと煌めく。
ドッ、と心臓が跳ねた。
何も言わず、手を繋いだまま俺は背中を屈めると琴音の唇と自分の唇を重ねていた。
頭で考えるより先に体が動いてしまっていた。
「…わりぃ」
小声で呟くと顔を真っ赤にした琴音が首を横に振っていた。数秒触れてすぐ離した唇は柔らかく、甘い香りがした。
流れで、勢いで、はじめて触れちまった。琴音に不愉快な思いはさせなかったかとキスした後で今更だが心配になった。
「何で謝るの?もう私は修ちゃんの彼女だよ」
「いや、にしても唐突だったかなーと…」
「唐突でも嬉しいよ。私はずっとこうしたかった」
へへ、と笑う顔が可愛すぎてさらに俺の鼓動は加速していく。
…おま、おまえ、それを今、言うか。このタイミングで。
自然と俺の顔にも熱が昇っていった。照れるのは柄じゃねーが、こいつを相手にしたらどうしたって回避できない事だろ。
昔からそんな素直なところが可愛かった。変わらないでいてくれて嬉しい。逆に、俺はお前から見てどう映っているのか。
お前が好きになった俺は今でも変わってないって思っていていいのか。
俺はまた鼻先を近づけると琴音から先に目を閉じたので、もう一度唇を重ねた。
繋いでる手の熱も、体温も上昇していく。唇から漏れる息が聞こえた時、もっと深くと貪りたくなる衝動を俺は内心で無理矢理殺した。
名残惜しく唇を離すと琴音の目が潤んでいた。熱に浮かされたみたいな表情を見てゾクリと肌が粟立つ。
誰にも見せたくない。こいつのこんな顔は俺だけが知ってればいいことだから。誰にも教えてやるつもりはないけど。
甘ったるい空気が二人の間に流れるも、この手の空気は得意じゃない。
しかし、伝えたい事を伝えたい時に告げずに先延ばしにしても、何1つ良いことなんてない。息を吸って深呼吸をひとつしてから、琴音に視線を落とした。
「ずっと待っててくれてありがとな。もう不安にさせたりしねーから。だから、…俺について来い」
背中に汗が伝い、告白したあの日と同じぐらい緊張してる、俺。
あの日だってしれっと言ったけど、ホントは緊張しまくってた。会話の流れで告げることができたのは運がよかっただけで。緊張が悟られたらカッコ悪いなと、正直、心臓バクバクだった。
すると、琴音はプハッと吹き出して笑いはじめた。
予想外の反応に驚き、俺は言葉に詰まってついいつものクセで唇を尖らせた。拗ねている表情に見えたのか、琴音はすかさずフォローしてくる。
「ごめんごめん!」
「…けっこーマジなだったんだけどな」
「だってあまりにも言うことが男らしくて、修ちゃんらしいなぁって。私が好きになった修ちゃんのままだなって思って嬉しくなっちゃって…」
息が、止まるかと思った。ギャグにされんのかと思ったら、違った。
瞬きを二度三度繰り返す俺を覗き込んで、琴音はまたフフ、と口元を緩ませていた。
そんなに嬉しいことを言ってくれるなよ。俺は、まだ何にもお前にしてやれてねぇってのに。
ふわり、と、残暑の温い風が二人の間を通り抜けた。
真夏だったならば、好きな女の笑顔と声と暑さに浮かされて何をしでかしたか分かったもんじゃなかったとこだろう。9月でよかった。
俺の胸に額をくっつけて寄り添うこいつを、繋いでいない方の手を背中に回して抱きしめた。
まだ暑さが残る季節にさらに暑くなることをやってらぁと、可笑しくなるが、そりゃそうするさ、男なら。抱きしめずにはいられない。
「ずっと修ちゃんについていくよ」
小さな声が聞こえた。まるで俺の心臓に直接囁かれたみたいだった。こんなにピタリと俺の胸に寄り添っているのだから当然、異常なほど速い俺の鼓動も聞かれちまっている。情けない、けれど。これは、この心音の速さはお前のせいだ。
気持ちを告げた日に、俺からの言葉が頭の中でリフレインする。
――『随分時間がかかっちまった。でもその分、ちゃんと大切にすっから」』、って。俺のバカ野郎が。
時間をかけて大切にされてたのは俺の方だろ。もうとっくの昔から。これから生きていく中で、辛いことも悲しいこともあるだろう。
でも俺は、琴音が傍にいてくれるなら怖くはない。何が起きても前向きでいられる気がするんだ。
遠回りした分の近道なんてない。ただゆっくり一緒に歩んで行ければいいと、そう思う。
「琴音」
抱きしめたまま呼びかければ、琴音は顔を上げた。
目の中に映ってる俺の顔ときたら、耳まで赤くして何とも情けない面をしてる。
「9月もまだ暑ィな」
「…そうだね」
顔を近づければあいつの顔に俺の影がかかる。ゆっくりと瞼が降りていき、琴音の長い睫は白い肌によく映えた。
唇が触れるまで1ミリの距離で動きを止めた。地面に映る俺たちも影も、あと3秒以内には重なるだろう。
遠くの空で蝉の声が響いている。外だ、ここは外なわけだ。人気がない場所とはいえ、外で、何をやってんだ俺は、俺たちは。
でも今は冷静な思考など頭の片隅へ追いやってしまえばいい。ただこうしていたい。夕陽が落ちるまであと少し、暗くなるまでは。
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