短編・中編
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FINAL DISTANCE
俺らももうすぐ引退だな、と呟いたその声は夏の夜空に溶けていった。
立ち止まって上を見上げれば星がキラキラと瞬いていて、夏の夜空は特別キレイだ。
そうだね、と、相槌を打ちながら私はまた修ちゃんに並んで歩きだした。
私よりも頭1個分以上背の高い彼を見上げれば、その見慣れた横顔に心が安堵した。
黙っている時、癖なのか無意識に唇を尖らせたその顔はアヒルみたいでかわいい。
修ちゃんとこうして並んで歩く帰り道も、あとわずかなのかな。
夏に近づくにつれて心に押し寄せてくる切なさは、現実を忘れさせてくれなかった。
引退したくない気持ちもあるけれど、胸を締め付ける理由はまた別にある――私と彼との“距離”だ。
並んで歩くも彼の歩幅のが大きくて、私より半歩先を歩いているこの距離は、出会った時からずっと変わらないままだった。
彼に気付かれずに後ろから横顔を盗み見るには絶好の場所なのだけども、いつしか並んで歩きたいと願うようになっていた。
最近、修ちゃんとの会話の中にやたらと『引退』という言葉が出てくるのも無理もない。
私たち三年は来月の全中が終わった後、3年間、自分の全てを賭けてきたバスケ部を引退するのだ。
日に日に強く意識してしまうのはきっとバスケ部を去らなければならないのがとても名残惜しいからだ。
帝光バスケ部を主将としてみんなをまとめてきた努力やプレッシャーは並大抵のものではなかったと思う。
長い間打ちこんできたものを手放す日は『引退』という形で誰にでも訪れるのだが、覚悟はしていても寂しさや悔しさ、胸がぽっかりと空いたような虚無感を感じるはずだ。それは主将の修ちゃんだけではない。三年生全員。
もちろん、マネージャーという役割を担ってきた私も例外じゃなかった。
「さみしいね」
ぼそっとした声を修ちゃんの背中に投げかけると、歩くペースが少しだけ遅くなった。
それに合わせて私もペースダウンして、私の半歩先を歩く修ちゃんとの距離は一定を保つ。
「仕方ねぇだろ。順番だ、順番」
視線さえ私の方を見ないまま修ちゃんはぶっきらぼうに言った。また唇を尖らせてため息をついているその姿は私の目には愛おしく映る。
こんなとりとめない会話もつい先日したような気がする。いや、確かにした。覚えてる。
きっと彼も気付いてるんだろうけど、言わずにはいられないんだろう。
最近すごく、1日1日が短く感じる。
バスケ部専用の体育館にさえ近づくことがなくなってしまうだろう。
毎日聞いたボールの音、バッシュのスキール音もしばらくは耳からは離れてくれないだろうけれど、気持ちの切り替えが遅れると今度は勉強に差し支える。引退後、やや遅れてスタートする受験勉強が私たちには待っているのだ。
修ちゃんだって、心の底じゃ『仕方ない』なんて大人みたいに割りきれてないことはお見通しだ。
私だって割り切れてなんか無い。
3年間打ちこんできたものを手放して、去ることも、
待ったなしでやってくる高校受験を迎え撃つことも、
修ちゃんとの曖昧な距離も――
いい言い方をすれば『幼馴染』、そうでなければ『近所の友達』――それが私と修ちゃんの間柄。
幼馴染と言うと聞こえはいいが、そこまで幼い頃からいつでもどこでも一緒!みたいなベッタリした付き合いではなかった。
時々、一緒に遊んだりもしたが、修ちゃんは友達がたくさんいたから私と遊ぶのは時々だった。
そして、歳を重ねるごとに私と遊ぶ回数は減っていった。
男の子は男の子同士でつるんで遊んだほうがやっぱり楽しいだろうし、小学校高学年から修ちゃんはバスケに夢中になっていたから。
部活に加えて、小6までは近所のミニバスクラブに所属していたので平日休日問わずとにかく忙しそうに見えた。
思い出したように時々遊ぼうと誘ってきたと思えばやっぱりバスケで、シュートもドリブルもヘタクソな私はもっぱらディフェンス役ばかりしていたなぁ。あんなおろおろしたディフェンスしか出来なかったけど、少しは修ちゃんの練習になったんだろうか。
修ちゃんは中学に入学して益々多忙になるも、年に4回、決まって私を連れて行って出かけてくれる時期があった。
3カ月に一度、季節の花を見に、バスに乗って隣町の大きな公園まで連れて行ってくれるのだ。
帝光のバスケ部で何倍も忙しくなっている今でさえ、それは続いていた。
何故、そんなことをしてくれているのか、…全てはあの一言がはじまりだ。
小学校4年の遠足でその場所に行った時、「他の季節はどんな花が咲くのかな。見てみたいな」と、何気なく私が告げた。
何かを催促したつもりもなかった。美しい花を見て、ただ感じたままのことが口から出ただけだった。
しかし、彼の受け取り方は違った。私が催促したように聞こえてしまったのだ。
彼は、真剣な顔をして「わかった!」と、大きく頷き、それ以来、定期的に季節の花を見せ私を連れて行ってくれるのだ。
それが続いて、今でも続いて、来年には私たちも高校生だ。
高校生にもなって、何故に遊園地でなく公園?
その場所に行くことさえ違和感はないのだけれど。私は花が好きだから楽しい。でも、修ちゃんは…どうなんだろう。
例えば、修ちゃんが謎の義務感でその約束を守り続けていたとしても、私には「もういいよ」って、辞めさせるようなことは言わない。
申し訳ないと思う以上に、二人でおでかけすることを私はすごく楽しみしているから。
いつからか、会う度に背が延びて顔が大人びていく彼を目の当たりにすると胸騒ぎがして落ち着かなかった。
出会った頃、同じぐらいだった身長もいつのまにか追い抜かされた。
しばらく会えない期間が続くと会いたいなと願うようになった。
当たり前のように同じ中学へ行き、私はもっと近くで修ちゃんを応援したいとバスケ部のマネージャーになり、結果、部員たちを支えた3年間の思い出は私の中でかけがえのないものになった。
修ちゃんがバスケをはじめていなかったら私もマネージャーを志望することはなかっただろう。感謝したいぐらいだ。
ゆるやかな坂道をゆっくりと歩いて行くように、当たり前のように私は修ちゃんを好きになった。
そもそもあの日から、そうなるように仕向けられたとしか思えない。
花が見たいと告げた私の目をまっすぐ見て、修ちゃんが頷いたあの日から、今日までずっと感情の糸が繋がっているんだ。
果たしてこの気持ちが一方的なものなのかどうか、たった一言、投げかけてみればいい話だ。
『修ちゃんは私のことどう思ってるの?』、と、一言。
この、たった一言で全てが分かるというのに。
――だが、それも出来ずに早数年も流れてしまって、結局のところ今歩いている二人の距離感のままだ。
不意に漏れたため息を聞かれてしまい、彼は立ち止まって私を一瞥した。
視線がバチリと合い、心臓が人知れず高鳴る。
ツリ目とアヒル口。子供の頃の面影そのまんまで、この特徴は変わらない。しかし15歳になった彼はスポーツマン体型で、顔の骨格も細く、背も高いので贔屓目なしにカッコよく成長している。中学の間は1度も同じクラスにならなかったから分からないけど、女の子にもモテるんじゃないかな。
「まぁそんなに思いつめんなよ」
私が引退のことで溜め息をついたのかと勘違いした修ちゃんは、フォローの言葉をくれた。
違うのに。今のため息は引退のことでついた溜め息じゃなかったけど、私はとりあえず返事をした。
そして再び前を向いて歩き始めた修ちゃんの少し後ろを歩いた。
大きな背中にはTEIKOの文字。
夜道でもその淡い水色の文字はくっきりと確認できた。200人以上もの部員がいるバスケの強豪校・帝光中学。
そのバスケ部の主将を背負うなんて、すごいことなんだ。努力家で、人一倍責任感が強くて、仲間思い出、いつも優しい修ちゃん。
凛々しく逞しく成長していく姿に見惚れてしまう。
彼の隣でずっと歩いていきたいなんて、私が望んだところで既に叶わないような人になっているのかもしれない。
あと少しでお互いの家に着くという頃、気の抜けた声で修ちゃんはさっきの続きとばかりに話し始めた。視線は、前を向いたままだ。
「引退したら三年だけでお疲れ会みたいなの、やるか」
「いいね、楽しそう。マネージャーも参加していい?」
「当たり前のこと聞くなよ。していいに決まってんだろ。むしろ三年は全員強制参加で」
ふふ、と私が笑うとつられて修ちゃんも笑ったような気がした。元・主将命令で三年は全員集まれそうかな。
現キャプテンの赤司くんと修ちゃんでは全くタイプが違う。修ちゃんは感情的だしすぐ怒るし。もう今は辞めちゃったけど、灰崎くんなんて部活をサボる度によく修ちゃんにボコボコにされていた。
本人は『俺は主将なんて性分じゃねーんだよ』って自分を過小評価していたけど、そんなことない。
みんなを引っ張っていく姿は立派だった。憧れている後輩もたくさんいたことだって、私は知っている。
「…っとその前に、つけなきゃならんけじめもあるが」
突然、彼は小声になったけれど、私は聞き逃さなかった。
少し後ろにいる私にも聞こえる程度の声量。その中に緊張の色が混じっているのが分かる。
「けじめ?」
聞き返しても沈黙で返されてしまった。
でも聞こえてしまったんだし、そして、もしかしたらなんて期待が微かに、一瞬で生まれてしまった。
あの角を曲がったらもう家に着いてしまう。このまま何もないのかな――その時、修ちゃんはハッキリとした口調で沈黙を破った。
「俺が知る限り、お前そこまで鈍くないって思ってたんだけどな。まぁ、でも、それは別にいい」
こちらを見ようともせず視線は前に向いたまま、修ちゃんは後ろに伸ばしてきた。目前に大きな手の平。
ハードな練習のせいで指にも手の平にも固そうなタコが出来ている。バスケットボールをたくさん触ってきた手。男の人の手だ。
私たちは、出会ってからただの1度も手を繋いだことはなかった。こんな風に手を後ろに伸ばしてきてくれたことはない。
今、修ちゃんはどんな顔をしてるんだろう。半歩後ろにいる私からじゃ見えない。後ろ向いてくれないのは、わざと自分の顔を見せないため?
「これで解れよ」
男らしい一言に、私の口元がついに歪んだ。頬が緩んで、相手はこちらを見ていないがお構いなしにニッコリと笑ってしまう。
修ちゃんの目には、いつから私が恋愛対象として映っていたんだろう。記憶を辿っても特にピンとくることが思い当たらず、分からない。
じゃあ、年に4回おでかけしてくれていたのも義務感からではなかったってことになる。あの日から全部、私のために?
巡る思いはたくさんあるが、ただ1つわかるのは、この手を私が修ちゃんの手をしっかりと握り返すべきってことだ。
けじめをつけたかったのは私も一緒なんだ。
指の先から修ちゃんの掌に触れると、熱かった。柄にもなく緊張して、彼がドキドキしてくれていたら嬉しい。
ずっと握りたかった手に静かに手を重ね、私も握り返した。これで解って、と、同じことを思った。
“けじめ”、というからにはしっかりとした告白を、部活を引退した後に私に伝えてくれる…といいなぁ。
手と手の熱を分け合って歩いて、そこの角を曲がったら到着しちゃう――だが、彼は方向を変えなかった。
修ちゃんは角を曲がらずにそのまま真っ直ぐ歩いたので、私も手を引かれそのまま歩く。遠回りして帰るの?なんて野暮なことは聞かない。
「わたし、ずっと、ずっとこうしたかった」
「おう」
素直に告げると、修ちゃんの手に力がこもった。顔も手も熱くて、頭がぼうっとしてきたけど、絶対にこの手は離したくない。
小学生のころから、やることなすこといちいち男らして、そういうところも魅力的なんだ。
例え手を繋いでなくたって、何も言わずについていきたくなるような、男気だ。
「随分時間がかかっちまった。でもその分、ちゃんと大切にすっから」
心地いい静けさが包む夜の道で、耳に心地よい修ちゃんの声が響いた。
そうか、お互いの手を少し伸ばせば、最後の距離も埋まるんだ。もっと早く、自分から勇気を出すべきだった。
修ちゃんも私と同じことを思っているんだと、思う。でも、もう大丈夫。悔いることはない。全てはこれからなんだという期待で胸が熱くなった。
望んだ恋が手の中に在ることに、胸が震える。
夏の夜に幸せが満ちていき、体中にあたたかい熱が巡るのを感じながら私は目を閉じた。
一歩踏み出して隣に並ぶまで、あと少し。新しいスタートラインはすぐ目の前だ。
俺らももうすぐ引退だな、と呟いたその声は夏の夜空に溶けていった。
立ち止まって上を見上げれば星がキラキラと瞬いていて、夏の夜空は特別キレイだ。
そうだね、と、相槌を打ちながら私はまた修ちゃんに並んで歩きだした。
私よりも頭1個分以上背の高い彼を見上げれば、その見慣れた横顔に心が安堵した。
黙っている時、癖なのか無意識に唇を尖らせたその顔はアヒルみたいでかわいい。
修ちゃんとこうして並んで歩く帰り道も、あとわずかなのかな。
夏に近づくにつれて心に押し寄せてくる切なさは、現実を忘れさせてくれなかった。
引退したくない気持ちもあるけれど、胸を締め付ける理由はまた別にある――私と彼との“距離”だ。
並んで歩くも彼の歩幅のが大きくて、私より半歩先を歩いているこの距離は、出会った時からずっと変わらないままだった。
彼に気付かれずに後ろから横顔を盗み見るには絶好の場所なのだけども、いつしか並んで歩きたいと願うようになっていた。
最近、修ちゃんとの会話の中にやたらと『引退』という言葉が出てくるのも無理もない。
私たち三年は来月の全中が終わった後、3年間、自分の全てを賭けてきたバスケ部を引退するのだ。
日に日に強く意識してしまうのはきっとバスケ部を去らなければならないのがとても名残惜しいからだ。
帝光バスケ部を主将としてみんなをまとめてきた努力やプレッシャーは並大抵のものではなかったと思う。
長い間打ちこんできたものを手放す日は『引退』という形で誰にでも訪れるのだが、覚悟はしていても寂しさや悔しさ、胸がぽっかりと空いたような虚無感を感じるはずだ。それは主将の修ちゃんだけではない。三年生全員。
もちろん、マネージャーという役割を担ってきた私も例外じゃなかった。
「さみしいね」
ぼそっとした声を修ちゃんの背中に投げかけると、歩くペースが少しだけ遅くなった。
それに合わせて私もペースダウンして、私の半歩先を歩く修ちゃんとの距離は一定を保つ。
「仕方ねぇだろ。順番だ、順番」
視線さえ私の方を見ないまま修ちゃんはぶっきらぼうに言った。また唇を尖らせてため息をついているその姿は私の目には愛おしく映る。
こんなとりとめない会話もつい先日したような気がする。いや、確かにした。覚えてる。
きっと彼も気付いてるんだろうけど、言わずにはいられないんだろう。
最近すごく、1日1日が短く感じる。
バスケ部専用の体育館にさえ近づくことがなくなってしまうだろう。
毎日聞いたボールの音、バッシュのスキール音もしばらくは耳からは離れてくれないだろうけれど、気持ちの切り替えが遅れると今度は勉強に差し支える。引退後、やや遅れてスタートする受験勉強が私たちには待っているのだ。
修ちゃんだって、心の底じゃ『仕方ない』なんて大人みたいに割りきれてないことはお見通しだ。
私だって割り切れてなんか無い。
3年間打ちこんできたものを手放して、去ることも、
待ったなしでやってくる高校受験を迎え撃つことも、
修ちゃんとの曖昧な距離も――
いい言い方をすれば『幼馴染』、そうでなければ『近所の友達』――それが私と修ちゃんの間柄。
幼馴染と言うと聞こえはいいが、そこまで幼い頃からいつでもどこでも一緒!みたいなベッタリした付き合いではなかった。
時々、一緒に遊んだりもしたが、修ちゃんは友達がたくさんいたから私と遊ぶのは時々だった。
そして、歳を重ねるごとに私と遊ぶ回数は減っていった。
男の子は男の子同士でつるんで遊んだほうがやっぱり楽しいだろうし、小学校高学年から修ちゃんはバスケに夢中になっていたから。
部活に加えて、小6までは近所のミニバスクラブに所属していたので平日休日問わずとにかく忙しそうに見えた。
思い出したように時々遊ぼうと誘ってきたと思えばやっぱりバスケで、シュートもドリブルもヘタクソな私はもっぱらディフェンス役ばかりしていたなぁ。あんなおろおろしたディフェンスしか出来なかったけど、少しは修ちゃんの練習になったんだろうか。
修ちゃんは中学に入学して益々多忙になるも、年に4回、決まって私を連れて行って出かけてくれる時期があった。
3カ月に一度、季節の花を見に、バスに乗って隣町の大きな公園まで連れて行ってくれるのだ。
帝光のバスケ部で何倍も忙しくなっている今でさえ、それは続いていた。
何故、そんなことをしてくれているのか、…全てはあの一言がはじまりだ。
小学校4年の遠足でその場所に行った時、「他の季節はどんな花が咲くのかな。見てみたいな」と、何気なく私が告げた。
何かを催促したつもりもなかった。美しい花を見て、ただ感じたままのことが口から出ただけだった。
しかし、彼の受け取り方は違った。私が催促したように聞こえてしまったのだ。
彼は、真剣な顔をして「わかった!」と、大きく頷き、それ以来、定期的に季節の花を見せ私を連れて行ってくれるのだ。
それが続いて、今でも続いて、来年には私たちも高校生だ。
高校生にもなって、何故に遊園地でなく公園?
その場所に行くことさえ違和感はないのだけれど。私は花が好きだから楽しい。でも、修ちゃんは…どうなんだろう。
例えば、修ちゃんが謎の義務感でその約束を守り続けていたとしても、私には「もういいよ」って、辞めさせるようなことは言わない。
申し訳ないと思う以上に、二人でおでかけすることを私はすごく楽しみしているから。
いつからか、会う度に背が延びて顔が大人びていく彼を目の当たりにすると胸騒ぎがして落ち着かなかった。
出会った頃、同じぐらいだった身長もいつのまにか追い抜かされた。
しばらく会えない期間が続くと会いたいなと願うようになった。
当たり前のように同じ中学へ行き、私はもっと近くで修ちゃんを応援したいとバスケ部のマネージャーになり、結果、部員たちを支えた3年間の思い出は私の中でかけがえのないものになった。
修ちゃんがバスケをはじめていなかったら私もマネージャーを志望することはなかっただろう。感謝したいぐらいだ。
ゆるやかな坂道をゆっくりと歩いて行くように、当たり前のように私は修ちゃんを好きになった。
そもそもあの日から、そうなるように仕向けられたとしか思えない。
花が見たいと告げた私の目をまっすぐ見て、修ちゃんが頷いたあの日から、今日までずっと感情の糸が繋がっているんだ。
果たしてこの気持ちが一方的なものなのかどうか、たった一言、投げかけてみればいい話だ。
『修ちゃんは私のことどう思ってるの?』、と、一言。
この、たった一言で全てが分かるというのに。
――だが、それも出来ずに早数年も流れてしまって、結局のところ今歩いている二人の距離感のままだ。
不意に漏れたため息を聞かれてしまい、彼は立ち止まって私を一瞥した。
視線がバチリと合い、心臓が人知れず高鳴る。
ツリ目とアヒル口。子供の頃の面影そのまんまで、この特徴は変わらない。しかし15歳になった彼はスポーツマン体型で、顔の骨格も細く、背も高いので贔屓目なしにカッコよく成長している。中学の間は1度も同じクラスにならなかったから分からないけど、女の子にもモテるんじゃないかな。
「まぁそんなに思いつめんなよ」
私が引退のことで溜め息をついたのかと勘違いした修ちゃんは、フォローの言葉をくれた。
違うのに。今のため息は引退のことでついた溜め息じゃなかったけど、私はとりあえず返事をした。
そして再び前を向いて歩き始めた修ちゃんの少し後ろを歩いた。
大きな背中にはTEIKOの文字。
夜道でもその淡い水色の文字はくっきりと確認できた。200人以上もの部員がいるバスケの強豪校・帝光中学。
そのバスケ部の主将を背負うなんて、すごいことなんだ。努力家で、人一倍責任感が強くて、仲間思い出、いつも優しい修ちゃん。
凛々しく逞しく成長していく姿に見惚れてしまう。
彼の隣でずっと歩いていきたいなんて、私が望んだところで既に叶わないような人になっているのかもしれない。
あと少しでお互いの家に着くという頃、気の抜けた声で修ちゃんはさっきの続きとばかりに話し始めた。視線は、前を向いたままだ。
「引退したら三年だけでお疲れ会みたいなの、やるか」
「いいね、楽しそう。マネージャーも参加していい?」
「当たり前のこと聞くなよ。していいに決まってんだろ。むしろ三年は全員強制参加で」
ふふ、と私が笑うとつられて修ちゃんも笑ったような気がした。元・主将命令で三年は全員集まれそうかな。
現キャプテンの赤司くんと修ちゃんでは全くタイプが違う。修ちゃんは感情的だしすぐ怒るし。もう今は辞めちゃったけど、灰崎くんなんて部活をサボる度によく修ちゃんにボコボコにされていた。
本人は『俺は主将なんて性分じゃねーんだよ』って自分を過小評価していたけど、そんなことない。
みんなを引っ張っていく姿は立派だった。憧れている後輩もたくさんいたことだって、私は知っている。
「…っとその前に、つけなきゃならんけじめもあるが」
突然、彼は小声になったけれど、私は聞き逃さなかった。
少し後ろにいる私にも聞こえる程度の声量。その中に緊張の色が混じっているのが分かる。
「けじめ?」
聞き返しても沈黙で返されてしまった。
でも聞こえてしまったんだし、そして、もしかしたらなんて期待が微かに、一瞬で生まれてしまった。
あの角を曲がったらもう家に着いてしまう。このまま何もないのかな――その時、修ちゃんはハッキリとした口調で沈黙を破った。
「俺が知る限り、お前そこまで鈍くないって思ってたんだけどな。まぁ、でも、それは別にいい」
こちらを見ようともせず視線は前に向いたまま、修ちゃんは後ろに伸ばしてきた。目前に大きな手の平。
ハードな練習のせいで指にも手の平にも固そうなタコが出来ている。バスケットボールをたくさん触ってきた手。男の人の手だ。
私たちは、出会ってからただの1度も手を繋いだことはなかった。こんな風に手を後ろに伸ばしてきてくれたことはない。
今、修ちゃんはどんな顔をしてるんだろう。半歩後ろにいる私からじゃ見えない。後ろ向いてくれないのは、わざと自分の顔を見せないため?
「これで解れよ」
男らしい一言に、私の口元がついに歪んだ。頬が緩んで、相手はこちらを見ていないがお構いなしにニッコリと笑ってしまう。
修ちゃんの目には、いつから私が恋愛対象として映っていたんだろう。記憶を辿っても特にピンとくることが思い当たらず、分からない。
じゃあ、年に4回おでかけしてくれていたのも義務感からではなかったってことになる。あの日から全部、私のために?
巡る思いはたくさんあるが、ただ1つわかるのは、この手を私が修ちゃんの手をしっかりと握り返すべきってことだ。
けじめをつけたかったのは私も一緒なんだ。
指の先から修ちゃんの掌に触れると、熱かった。柄にもなく緊張して、彼がドキドキしてくれていたら嬉しい。
ずっと握りたかった手に静かに手を重ね、私も握り返した。これで解って、と、同じことを思った。
“けじめ”、というからにはしっかりとした告白を、部活を引退した後に私に伝えてくれる…といいなぁ。
手と手の熱を分け合って歩いて、そこの角を曲がったら到着しちゃう――だが、彼は方向を変えなかった。
修ちゃんは角を曲がらずにそのまま真っ直ぐ歩いたので、私も手を引かれそのまま歩く。遠回りして帰るの?なんて野暮なことは聞かない。
「わたし、ずっと、ずっとこうしたかった」
「おう」
素直に告げると、修ちゃんの手に力がこもった。顔も手も熱くて、頭がぼうっとしてきたけど、絶対にこの手は離したくない。
小学生のころから、やることなすこといちいち男らして、そういうところも魅力的なんだ。
例え手を繋いでなくたって、何も言わずについていきたくなるような、男気だ。
「随分時間がかかっちまった。でもその分、ちゃんと大切にすっから」
心地いい静けさが包む夜の道で、耳に心地よい修ちゃんの声が響いた。
そうか、お互いの手を少し伸ばせば、最後の距離も埋まるんだ。もっと早く、自分から勇気を出すべきだった。
修ちゃんも私と同じことを思っているんだと、思う。でも、もう大丈夫。悔いることはない。全てはこれからなんだという期待で胸が熱くなった。
望んだ恋が手の中に在ることに、胸が震える。
夏の夜に幸せが満ちていき、体中にあたたかい熱が巡るのを感じながら私は目を閉じた。
一歩踏み出して隣に並ぶまで、あと少し。新しいスタートラインはすぐ目の前だ。