短編・中編
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Crossing
遡ること二ヶ月前のバレンタインの日、たまたま部室に早く向かった俺がドアを開けたら、そこにはすでにマネージャーの汐見が、いた。
今日はやけに早いなと思ったのも束の間、そいつは俺の顔を見るなり「あっ!」と声を出し、何かを大事そうに抱えてこちらに寄ってくる。
いつもと様子が違ったので、俺は後ろ手で部室のドアを閉めつつ訝しげに目の前にいる人物を見つめた。
そわそわと落ち気がない様子…は、いつものことなんだが、こう、微妙に何かいつもとは違う。
俺が目を細めて見つめるとその視線に肩をビクッと震わせていたので、その挙動は子猫を連想した。
小さい。改めてみるとこいつ、小さい。
まぁ多分女子の平均身長なんだろうけど、俺から見ると女子は全員小さい。
目を左右にきょろきょろさせながら、汐見は俺に至近距離でパスを出すみたいに両手を伸ばした。
「深い意味はないから…!」
丁寧にラッピングされたそれを、俺の胸にドン!、と押しつけると、汐見は足早に部室を出て行った。
声は震え顔は真っ赤になっているのを俺は見逃さなかったし、そいつが去って行った後もその姿が脳裏に焼き付いて、その日の部活中は何度も思い浮かべた。
バカじゃない限り渡された『それ』が何かなんてわかる。
俺でもわかる。チョコレートだ。
深い意味がないなら顔を真っ赤にすんな!…って一喝してやればよかったのに。
その時の俺は咄嗟に声が出てこなかったし、そんな間もくれずにあいつは風のような速さで去っていってしまったから。
普段動きがトロいくせに何だってあんな素早い動きを見せたのか謎だ。つーか普段からそんぐらいキビキビ素早く動けよって話だ。
部活の後、汐見はバレンタインの毎年恒例で部員たちに小さなチョコを配り始めていた。
俺がもらったものよりラッピングも質素で小さい、いわゆる義理チョコだ。
あいつは部活前に何事もなかったかのように配るもんだから、俺も何食わぬ顔でその義理チョコももらっといた。
帰宅してから汐見からもらったチョコの包装を丁寧に開けた。
というのも、ラッピングがやけに丁寧にされていたものだからこっちもビリビリと破いて開けるワケにはいかなかったからだ。
顔を真っ赤にして渡されたチョコはなんと手作りだったので、さすがに驚いた。味もまぁまぁ美味しかった。
…んで、後日。
これに対してお返しをしないのも悪いだろうと思い、ホワイトデーは駅前でテキトーに買ったクッキーの詰め合わせを渡したら、汐見はポカンと開いた口をしばらく閉じるのを忘れていたアホ面を見せた。
わざわざ部室で二人きりになるのを狙って渡したのに、汐見は「わ、私に?」とドモりながら驚きやがったので俺は頬をつねってやった。
周りにお前以外いるか、ボケ。
相変わらずの俺の毒舌にもあいつはヘラリと笑っていた。
本当に本当に嬉しい、と俺が渡したお返しを抱きしめていた。…恥ずかしい奴。
しかし、こんなに喜んでもらるならお返しをあげてよかったと思った。
素直な気持ちを口に出す代わりに、いつまでも喜んでいる汐見に「いつまでも騒いでんじゃねェ」と、また俺は毒を吐いた。
□ □ □
桜の季節がやってきて生意気な一年坊主たちが入部して練習に来るでさえ、秀徳バスケ部の練習はキツイ。
そんじょそこらのバスケ部には及ばないハードな練習の日々が待っている。
その練習のキツさから練習後に外にでてゲェゲェ吐いてる奴も少なくはない。
一日一日とと経過してく度に1人辞め、また1人辞め。結局残るのは根性と忍耐力ががある奴だけだった。
東の王者と呼ばれ、全国でもベスト8入りを果たすような強豪校と分かって入部したんなら、練習が数倍キツイことぐらい想定して来いよと、辞めていった奴らに対し思う。
並大抵の努力じゃここの練習についていくことさえ難しい。
ふるいにかけられ残った奴らをみれば、当たり前のように今年の春から入部したキセキの世代・緑間が残っていた。
入部というのも違うか。『獲得』としたと言ったほうが正しいらしい。
部内でも個人的なワガママは許されないはずが、こいつだけは監督から一日3回までの我儘を許されているらしい。
3回越えたら俺は容赦なくパイナップルで頭を殴るだろう。
一年が入部してきたということは、例外なく俺は進級し三年になった。
汐見も三年。これがこの学校で過ごす最後の年になる。
一年では同じクラスになり、マネージャーとしてバスケ部に入部してきたあいつとは教室でも部活でも顔を合わせることになった。
かといって特別仲がいいわけじゃない。普通だ。
二年はクラスは離れたが部活は同じなので顔を合わせることがあるわけで、三年もクラスは同じにはならなかったが、以下同文。
あのバレンタインの出来事から、俺達の間に特に何も起こっていない。
そりゃあちょっとは動揺はしたが、あいつはバスケ部の“マネージャー”だ。俺にとってその存在は変わらなかった。
――強いて理由をあげるとすれば、俺にはすでに心に決めた人がいるからだ。
人は彼女たちを『アイドル』と呼ぶ。まぁ、俺もそう呼ぶけど。
その中でもみゆみゆは、俺の推しメンで癒しで心の支えだ。テレビに出るとわかれば録画を欠かさず、ライブには特製団扇と法被を着てみゆみゆを全力で応援した。時々、その公演にマミリンが出るとわかれば大坪も誘って一緒に連れてったりした。
アイドルなんて興味なさそうに見えるのに意外だねとか、アイドルオタク?とか、よく言われるが余計なお世話だ。
興味があって何が悪い。好きで何が悪い、と、間も与えず詰め寄れば必ず俺をからかう連中はたいてい黙る。
現時点で俺は女子への興味をみゆみゆ一点に注いでいるわけだ。
だから、俺がマネージャーからチョコをもらったところでどうこうなる予感もなかったし、部員がマネージャーに惚れるというベタな展開は避けたい。
…避けたかった。
避けたかったんだよ、できればな。
□ □ □
「宮くん、スタメン入りおめでとう」
部活終わりに外の手洗い場で顔を洗っている時、声がすぐ横から聞こえた。
タオルで顔を拭って声のした方向を見るとそこには汐見が立っていた。
いつからそこに居たんだ?水音で足音も気配も気づかなかった。
ただ、「宮くん」と俺のことを呼ぶのはこの学校でもたった一人だから、呼び方だけで誰かっていう判別はつく。
今日は練習後のミーティングで監督からスタメンが発表があった日で、とうとう俺は選ばれた。
レギュラーになれたのが去年の夏、それからスタメンにはなかなか選んでもらえず…思い返せば長い道のりだった。
正直、胸がつまりそうなほど嬉しかった。
今までの努力が報われた。やっと、やっとだ。
ちょうど、嬉し涙が出そうだったので顔を洗って誤魔化していたところにやって来るとは、汐見は間がいいのか悪いのか、分からない奴だ。
スタメンの決定は大きく分けて1年で2回。インターハイに向けての春と、WCに向けての秋だ。
春になると一年が入部し、監督が個人の能力を把握した上でスタメンが決定されるのは4月後半。
試合によって多少構成が変わる場合もあるが、基本はこれでいくというメンバーが決まるのだ。
一年から頑張ってきてもなかなか勝ち取ることができず、二年ではレギュラー入りがいいとこで、スタメンには選ばれなかった。
先にスタメン入りし主将にも推薦されていた大坪や、同じく二年にして選ばれた木村を見て焦りを感じてたから、やっと横に並べた、と思った。
目に涙を浮かべながら、汐見は柔らかく優しい声で告げてきた。
「頑張ってきてよかったね…!本当におめでとう…本当によかった…」
グッ、と心臓が直接鷲づみされたように、俺はあいつを前にして数秒間、全ての動きを止めていた気がする。
瞬きも出来ていたかさえ記憶にない。
汐見は、…唇を震わせて今にも泣きだしそうな顔をしていた。
そして、その顔色は、二ヶ月前のバレタインにチョコを渡してきた時のようにみるみる赤くなっていった。
「おう」と小さく返事をすると、あいつの大きな目から零れ落ちそうだった涙がついにぼろぼろと溢れ出した。
そんでもって、間髪を容れず声を上げて泣き始める。
うえええん、うえええんとか言って、う、うるせぇ…!
俺の好きなみゆみゆは決してそんな泣き方をしない。
そんなしゃくり上げて泣きだしだりしない。
ただ、泣いてるこいつを見ているとズキズキと胸が痛んだ。
“本当によかった”と大泣きして喜ぶ姿は、お受験に合格した我が子を見守る母のようだ。
そんだけ自分事のように泣いてまで喜んでくれるこいつは、ずっと俺を見ていてくれたんだと悟った。
ちゃんと頑張っている姿を見ていてくれた奴がいた。
俺の心の矢印がアイドルに向いている間にも、こいつの矢印はオレに向いていたのか。
胸の奥に火が灯ったみたいにぼうっと熱くなる。
しかしこれだけ声をあげて泣かれてしまうと何事かと見に来た奴に誤解されてしまう。
高尾なんてこの場に来てみろ、『宮地さんがマネージャー泣かしてる!』なんつってさらに誤解を招くこと間違いなしだ。
その誤解は半年ぐらいネタにされてからかわれそうだ。
その度に高尾をたぬきの信楽焼で殴りたくなる衝動を抑えるのは俺の心労に関わるからそれだけは嫌だ。俺が疲れる。
こいつがこんなに泣きやがるもんだから俺は自分が先程まで嬉し泣きしかけていたことを忘れそうになった。
目から出そうだった嬉し涙はとっくに引っ込んでしまった。
「おい」
ぶっきら棒に声をかけると、小さな肩がビクリと震えたのでまた、小さな猫を連想してしまった。
確か、あのバレンタインの時にも子猫を連想した気がする。そもそもこいつはいちいちビックリしすぎなんだよ。
「こっち側はきれいだから、これ使え」
先ほど自分が使った面を畳んで内側にし、まだ使ってないきれいな面を外側にしてタオル渡すと、汐見は泣いたまま俯いて視線だけタオルに向けた。しばらくして小さく会釈すると、汐見はタオルで涙を拭いはじめた。
それでも、ひっく、ひっくとしゃくり上げる声を止めてくれないから、思わずため息が漏れた。
俺だって女子がこんな目の前で号泣しているのを見るのははじめてだし、ましてやこいつの泣き顔なんて初めて見て驚いてる。
ただ、驚くよりも達観する気持ちが上回っていた。
部員がマネージャーに恋をするのもその逆も、そんなベタな展開は避けたいはずだったのに。
避けられるはずもない。俺が素っ気なかろうが、みゆみゆに気持ちが向いていようが、本当に俺のことをずっと見ていてくれる一生懸命なこの女に想われて、どうやって避けられるか。
みゆみゆを応援しながらも、汐見の気持ちに応える選択肢だってあったはずなのに。
俺がそれ選ばなかったのは、きっと、スタメンでない俺は胸を張れなかったから…自信がなかったからだ。
でも、もう今日、俺はスタメンに選ばれた。
こんなにも近くで真っ直ぐ応援してくれていたこいつを、俺が受け止めない理由もなくなってしまったってわけだ。
「いい加減泣き止めよ」
呆れたような口調で言うと、ズビ、と鼻をすすった音で相槌打たれた。
ちなみにみゆみゆはそんな相槌、絶対に打たないだろう。こいつは本当に俺が好きなのか?と不思議に思うことがある。
好きな男に鼻すすって相槌打つやつがあるか?けど、仕方ない。何を言おうがもう手遅れだ。
汐見が俺のことを好きなのは明確で、俺もその気持ちに応えたいと思う自分に気づいてしまったのだから。
「だ、だって嬉しくて…宮くんすごい努力して、う、えええ」
「うるせー泣くな!」
「う、う、うえええ」
「泣き止まねぇと木村の軽トラで――」
「……轢く?」
汐見は急にピタリと泣き止んだと思ったら今度は不安そうに眉を寄せた。
そんなに轢かれたくないのか。誰でも轢かれたくないだろうけど。
直前まで泣いてたはずなのにそれが絶妙なタイミングで止まったものだから、反射的に俺は吹き出して笑ってしまった。
ブフォ!なんて、高尾の笑い声もどきが出ちまった。
来年は…、深い意味をもってバレンタインチョコを貰おうか。
俺からよこせと言ったらなら、今度は喜んで笑顔で渡してくれるだろうか。
「軽トラでお前を掻っ攫う。黙って俺に攫われてろ」
この一言を告げて数秒、汐見はロボットのように固まった後、その言葉の真意に気づくとまた別の理由で嬉し泣きをはじめるのだった。
――って、また泣くのかよ!いい加減うるせェ!
遡ること二ヶ月前のバレンタインの日、たまたま部室に早く向かった俺がドアを開けたら、そこにはすでにマネージャーの汐見が、いた。
今日はやけに早いなと思ったのも束の間、そいつは俺の顔を見るなり「あっ!」と声を出し、何かを大事そうに抱えてこちらに寄ってくる。
いつもと様子が違ったので、俺は後ろ手で部室のドアを閉めつつ訝しげに目の前にいる人物を見つめた。
そわそわと落ち気がない様子…は、いつものことなんだが、こう、微妙に何かいつもとは違う。
俺が目を細めて見つめるとその視線に肩をビクッと震わせていたので、その挙動は子猫を連想した。
小さい。改めてみるとこいつ、小さい。
まぁ多分女子の平均身長なんだろうけど、俺から見ると女子は全員小さい。
目を左右にきょろきょろさせながら、汐見は俺に至近距離でパスを出すみたいに両手を伸ばした。
「深い意味はないから…!」
丁寧にラッピングされたそれを、俺の胸にドン!、と押しつけると、汐見は足早に部室を出て行った。
声は震え顔は真っ赤になっているのを俺は見逃さなかったし、そいつが去って行った後もその姿が脳裏に焼き付いて、その日の部活中は何度も思い浮かべた。
バカじゃない限り渡された『それ』が何かなんてわかる。
俺でもわかる。チョコレートだ。
深い意味がないなら顔を真っ赤にすんな!…って一喝してやればよかったのに。
その時の俺は咄嗟に声が出てこなかったし、そんな間もくれずにあいつは風のような速さで去っていってしまったから。
普段動きがトロいくせに何だってあんな素早い動きを見せたのか謎だ。つーか普段からそんぐらいキビキビ素早く動けよって話だ。
部活の後、汐見はバレンタインの毎年恒例で部員たちに小さなチョコを配り始めていた。
俺がもらったものよりラッピングも質素で小さい、いわゆる義理チョコだ。
あいつは部活前に何事もなかったかのように配るもんだから、俺も何食わぬ顔でその義理チョコももらっといた。
帰宅してから汐見からもらったチョコの包装を丁寧に開けた。
というのも、ラッピングがやけに丁寧にされていたものだからこっちもビリビリと破いて開けるワケにはいかなかったからだ。
顔を真っ赤にして渡されたチョコはなんと手作りだったので、さすがに驚いた。味もまぁまぁ美味しかった。
…んで、後日。
これに対してお返しをしないのも悪いだろうと思い、ホワイトデーは駅前でテキトーに買ったクッキーの詰め合わせを渡したら、汐見はポカンと開いた口をしばらく閉じるのを忘れていたアホ面を見せた。
わざわざ部室で二人きりになるのを狙って渡したのに、汐見は「わ、私に?」とドモりながら驚きやがったので俺は頬をつねってやった。
周りにお前以外いるか、ボケ。
相変わらずの俺の毒舌にもあいつはヘラリと笑っていた。
本当に本当に嬉しい、と俺が渡したお返しを抱きしめていた。…恥ずかしい奴。
しかし、こんなに喜んでもらるならお返しをあげてよかったと思った。
素直な気持ちを口に出す代わりに、いつまでも喜んでいる汐見に「いつまでも騒いでんじゃねェ」と、また俺は毒を吐いた。
□ □ □
桜の季節がやってきて生意気な一年坊主たちが入部して練習に来るでさえ、秀徳バスケ部の練習はキツイ。
そんじょそこらのバスケ部には及ばないハードな練習の日々が待っている。
その練習のキツさから練習後に外にでてゲェゲェ吐いてる奴も少なくはない。
一日一日とと経過してく度に1人辞め、また1人辞め。結局残るのは根性と忍耐力ががある奴だけだった。
東の王者と呼ばれ、全国でもベスト8入りを果たすような強豪校と分かって入部したんなら、練習が数倍キツイことぐらい想定して来いよと、辞めていった奴らに対し思う。
並大抵の努力じゃここの練習についていくことさえ難しい。
ふるいにかけられ残った奴らをみれば、当たり前のように今年の春から入部したキセキの世代・緑間が残っていた。
入部というのも違うか。『獲得』としたと言ったほうが正しいらしい。
部内でも個人的なワガママは許されないはずが、こいつだけは監督から一日3回までの我儘を許されているらしい。
3回越えたら俺は容赦なくパイナップルで頭を殴るだろう。
一年が入部してきたということは、例外なく俺は進級し三年になった。
汐見も三年。これがこの学校で過ごす最後の年になる。
一年では同じクラスになり、マネージャーとしてバスケ部に入部してきたあいつとは教室でも部活でも顔を合わせることになった。
かといって特別仲がいいわけじゃない。普通だ。
二年はクラスは離れたが部活は同じなので顔を合わせることがあるわけで、三年もクラスは同じにはならなかったが、以下同文。
あのバレンタインの出来事から、俺達の間に特に何も起こっていない。
そりゃあちょっとは動揺はしたが、あいつはバスケ部の“マネージャー”だ。俺にとってその存在は変わらなかった。
――強いて理由をあげるとすれば、俺にはすでに心に決めた人がいるからだ。
人は彼女たちを『アイドル』と呼ぶ。まぁ、俺もそう呼ぶけど。
その中でもみゆみゆは、俺の推しメンで癒しで心の支えだ。テレビに出るとわかれば録画を欠かさず、ライブには特製団扇と法被を着てみゆみゆを全力で応援した。時々、その公演にマミリンが出るとわかれば大坪も誘って一緒に連れてったりした。
アイドルなんて興味なさそうに見えるのに意外だねとか、アイドルオタク?とか、よく言われるが余計なお世話だ。
興味があって何が悪い。好きで何が悪い、と、間も与えず詰め寄れば必ず俺をからかう連中はたいてい黙る。
現時点で俺は女子への興味をみゆみゆ一点に注いでいるわけだ。
だから、俺がマネージャーからチョコをもらったところでどうこうなる予感もなかったし、部員がマネージャーに惚れるというベタな展開は避けたい。
…避けたかった。
避けたかったんだよ、できればな。
□ □ □
「宮くん、スタメン入りおめでとう」
部活終わりに外の手洗い場で顔を洗っている時、声がすぐ横から聞こえた。
タオルで顔を拭って声のした方向を見るとそこには汐見が立っていた。
いつからそこに居たんだ?水音で足音も気配も気づかなかった。
ただ、「宮くん」と俺のことを呼ぶのはこの学校でもたった一人だから、呼び方だけで誰かっていう判別はつく。
今日は練習後のミーティングで監督からスタメンが発表があった日で、とうとう俺は選ばれた。
レギュラーになれたのが去年の夏、それからスタメンにはなかなか選んでもらえず…思い返せば長い道のりだった。
正直、胸がつまりそうなほど嬉しかった。
今までの努力が報われた。やっと、やっとだ。
ちょうど、嬉し涙が出そうだったので顔を洗って誤魔化していたところにやって来るとは、汐見は間がいいのか悪いのか、分からない奴だ。
スタメンの決定は大きく分けて1年で2回。インターハイに向けての春と、WCに向けての秋だ。
春になると一年が入部し、監督が個人の能力を把握した上でスタメンが決定されるのは4月後半。
試合によって多少構成が変わる場合もあるが、基本はこれでいくというメンバーが決まるのだ。
一年から頑張ってきてもなかなか勝ち取ることができず、二年ではレギュラー入りがいいとこで、スタメンには選ばれなかった。
先にスタメン入りし主将にも推薦されていた大坪や、同じく二年にして選ばれた木村を見て焦りを感じてたから、やっと横に並べた、と思った。
目に涙を浮かべながら、汐見は柔らかく優しい声で告げてきた。
「頑張ってきてよかったね…!本当におめでとう…本当によかった…」
グッ、と心臓が直接鷲づみされたように、俺はあいつを前にして数秒間、全ての動きを止めていた気がする。
瞬きも出来ていたかさえ記憶にない。
汐見は、…唇を震わせて今にも泣きだしそうな顔をしていた。
そして、その顔色は、二ヶ月前のバレタインにチョコを渡してきた時のようにみるみる赤くなっていった。
「おう」と小さく返事をすると、あいつの大きな目から零れ落ちそうだった涙がついにぼろぼろと溢れ出した。
そんでもって、間髪を容れず声を上げて泣き始める。
うえええん、うえええんとか言って、う、うるせぇ…!
俺の好きなみゆみゆは決してそんな泣き方をしない。
そんなしゃくり上げて泣きだしだりしない。
ただ、泣いてるこいつを見ているとズキズキと胸が痛んだ。
“本当によかった”と大泣きして喜ぶ姿は、お受験に合格した我が子を見守る母のようだ。
そんだけ自分事のように泣いてまで喜んでくれるこいつは、ずっと俺を見ていてくれたんだと悟った。
ちゃんと頑張っている姿を見ていてくれた奴がいた。
俺の心の矢印がアイドルに向いている間にも、こいつの矢印はオレに向いていたのか。
胸の奥に火が灯ったみたいにぼうっと熱くなる。
しかしこれだけ声をあげて泣かれてしまうと何事かと見に来た奴に誤解されてしまう。
高尾なんてこの場に来てみろ、『宮地さんがマネージャー泣かしてる!』なんつってさらに誤解を招くこと間違いなしだ。
その誤解は半年ぐらいネタにされてからかわれそうだ。
その度に高尾をたぬきの信楽焼で殴りたくなる衝動を抑えるのは俺の心労に関わるからそれだけは嫌だ。俺が疲れる。
こいつがこんなに泣きやがるもんだから俺は自分が先程まで嬉し泣きしかけていたことを忘れそうになった。
目から出そうだった嬉し涙はとっくに引っ込んでしまった。
「おい」
ぶっきら棒に声をかけると、小さな肩がビクリと震えたのでまた、小さな猫を連想してしまった。
確か、あのバレンタインの時にも子猫を連想した気がする。そもそもこいつはいちいちビックリしすぎなんだよ。
「こっち側はきれいだから、これ使え」
先ほど自分が使った面を畳んで内側にし、まだ使ってないきれいな面を外側にしてタオル渡すと、汐見は泣いたまま俯いて視線だけタオルに向けた。しばらくして小さく会釈すると、汐見はタオルで涙を拭いはじめた。
それでも、ひっく、ひっくとしゃくり上げる声を止めてくれないから、思わずため息が漏れた。
俺だって女子がこんな目の前で号泣しているのを見るのははじめてだし、ましてやこいつの泣き顔なんて初めて見て驚いてる。
ただ、驚くよりも達観する気持ちが上回っていた。
部員がマネージャーに恋をするのもその逆も、そんなベタな展開は避けたいはずだったのに。
避けられるはずもない。俺が素っ気なかろうが、みゆみゆに気持ちが向いていようが、本当に俺のことをずっと見ていてくれる一生懸命なこの女に想われて、どうやって避けられるか。
みゆみゆを応援しながらも、汐見の気持ちに応える選択肢だってあったはずなのに。
俺がそれ選ばなかったのは、きっと、スタメンでない俺は胸を張れなかったから…自信がなかったからだ。
でも、もう今日、俺はスタメンに選ばれた。
こんなにも近くで真っ直ぐ応援してくれていたこいつを、俺が受け止めない理由もなくなってしまったってわけだ。
「いい加減泣き止めよ」
呆れたような口調で言うと、ズビ、と鼻をすすった音で相槌打たれた。
ちなみにみゆみゆはそんな相槌、絶対に打たないだろう。こいつは本当に俺が好きなのか?と不思議に思うことがある。
好きな男に鼻すすって相槌打つやつがあるか?けど、仕方ない。何を言おうがもう手遅れだ。
汐見が俺のことを好きなのは明確で、俺もその気持ちに応えたいと思う自分に気づいてしまったのだから。
「だ、だって嬉しくて…宮くんすごい努力して、う、えええ」
「うるせー泣くな!」
「う、う、うえええ」
「泣き止まねぇと木村の軽トラで――」
「……轢く?」
汐見は急にピタリと泣き止んだと思ったら今度は不安そうに眉を寄せた。
そんなに轢かれたくないのか。誰でも轢かれたくないだろうけど。
直前まで泣いてたはずなのにそれが絶妙なタイミングで止まったものだから、反射的に俺は吹き出して笑ってしまった。
ブフォ!なんて、高尾の笑い声もどきが出ちまった。
来年は…、深い意味をもってバレンタインチョコを貰おうか。
俺からよこせと言ったらなら、今度は喜んで笑顔で渡してくれるだろうか。
「軽トラでお前を掻っ攫う。黙って俺に攫われてろ」
この一言を告げて数秒、汐見はロボットのように固まった後、その言葉の真意に気づくとまた別の理由で嬉し泣きをはじめるのだった。
――って、また泣くのかよ!いい加減うるせェ!