短編・中編
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恋風二重奏
大学の先生に頼まれて、海常高校のバスケ部の監督に渡す資料を体育館に持って行ったタイミングで、渡すべき人の姿はそこはなかった。体育館では大勢の部員達が練習をしているようだ。
少し待つと休憩時間になったので、私はそのタイミングを狙って、傍にいた部員に『キャプテンはどの方ですか?』と尋ねた。
その部員が指差した方を見ると、黒髪短髪の、眉毛も顔立ちも凛々しい青年。
「あの人がキャプテンの笠松先輩です」
名前までは聞いたつもりはなかったのだが、部員は丁寧に教えてくれた。ドリンクを飲んで、ふぅと息をついた笠松くんが私の視線に気づいて、目が合った……数秒後、彼は顔を真っ赤にして固まった。
――これが、彼との最初の出会いである。
海常バスケ部主将、三年。全国でも有名な名選手で、ポジションはPG……と、そこまで教えてくれた森山くんの肩を容赦なく笠松くんが背後からパンチした。ドムッという鈍い音に森山くんは苦痛に顔を歪めて体勢を崩す。
「余計なこと言ってんじゃねぇ!」
怒鳴る笠松くんと、痛い目にあってるのに面白がって笑っている森山くん。仲が良いんだか悪いんだかよくわからないけれど、レギュラー同士には特に確かな信頼があるんだろうなと感じた。
大学の先生からのお使いで私が何度か体育館に通うようなってから、五回目ぐらいで森山くんにナンパされた。
黄瀬くん目当てで海常高校の女子が体育館入口に詰め寄る中、一人だけ私服姿の私は来る度に目立っていたのだろう。
森山くんは笠松くんの説明をした後サラリと自己紹介をしてきた。私がおろおろしてたら笠松くんがやってきて、…で、さっきの肩パンチに繋がる。ひとしきり二人のやりとりを見てから、私は笠松くんに資料を渡した。
「これ、監督に渡しておいてください」
「あぁ、はい…了解」
視線をわざと私から逸らして資料だけ受け取ると、彼はベンチの方へ資料を置きに行った。初めて会った日以来、目も合わせてもらえない。気に障るようなことをした覚えもないので、うーんと唸っていると森山くんがこっそり耳打ちして教えてくれた。
「高校に入学してから今まで、女子と一度もまともに話したことがなければ、集合写真に写る女子を直視できないほど女の子が苦手なんですよ、あいつ。俺にはまったくもって理解できない……」
キリッとした表情で言うが、あまりカッコイイ台詞ではない。
森山くんは女の子が大好きだからそりゃ理解できるわけもないだろう。
しかしそれを聞いた途端、目を見開いて驚いた。そんなレベルで女子が苦手って、そんな人この世にいたのか。学校行事や授業で異性とどうしても話さなければならない場面がでてくるはずだが。必要最低限に言葉を交わすのみ、そういうことだろう。
それでも、何度が用事がある度に一言二言交わすうち、目は泳ぎつつも笠松くんはついに目を逸らさなくなってくれた。森山くんや黄瀬くんからいいアドバイスをもらったんだろうか。それとも慣れただけなのか。
それからというもの、私と笠松くんは他愛のない話を少しする程度には仲良くなった…と、一方的に感じてる。笠松くんは緊張しすぎて初めはしどろもどろの会話だったが、最近ではちゃんと会話のキャッチボールが出来てきた気がして、何だか嬉しい。
警戒心が強くなかなか懐くことがなかったネコが、やっと懐いてくれたのような、そんな喜びに似てる。ネコに例えてごめんなさい、と私は内心で笠松くんに謝った。
□ □ □
他の大学もそうだが、私の通う大学も季節ごとにオープンキャンパスという行事を開催している。手伝う学生は主に二、三年がメインだが、何故か私も手伝うことになってしまった。と言っても、私もまだ入学したばかり。主に請け負った仕事は、オープンキャンパス期間内に来れなかった方への個別の構内見学の案内だ。
要するに、申込を受けたらその都度校内を案内してあげるだけの簡単なお仕事。オープンキャンパス期間内に来た方がカリキュラムの詳しい説明会なども受けられるため、たいていはその期間に集中するのだが、施設案内だけは個別にも受け付けている、というわけだ。
これまた先生からの頼まれて受けたのだが、いい加減自分の人の良さにも呆れてきた。お世話になっているし、これからもお世話になるであろう先生とはいえ、頼み方が上手いから良いように働かされている。話しているうちに断れない雰囲気に持ち込まれているのだ。しかしここで先生に恩を売っておいたほうが、後々の万が一のピンチに助けてもらえるかも……と、自分に言い聞かせ納得しておくことにする。
桜も散り、新緑の季節を迎えようという時期に、“彼”はうちの大学にやってきた。オープンキャンパスの期間を過ぎた頃に一人の学校見学の申し込み。
私が案内係として大学の門までいくと、そこにいたのは笠松くんだった。海常高校の制服の子がひとり、ポツンと立っていたのですぐに分かった。まさか、見学希望者が笠松くんだったなんて驚いたが、思わず頬が緩む。
「見学希望者の方ですか?」
「あぁ。はい…――え?」
わざとらしく、少しだけ声のトーンを高くして背後から話しかけると、笠松くんは振返りざまに目を見開いた。
「あんたが案内係か!?」
「うん。そうだよ」
「あ、いや、その……先輩が案内係です、か?」
「言い直さなくていいよ。そもそも歳もひとつしか変わらないんだし、見知った顔だし堅苦しい敬語はなしなし」
ニッコリと笑うと笠松くんは後ずさって、小さく頷いた。
どうやらこれからは敬語はなしでお話してくれるみたいだ。
・・・
・・・・・
・・・・・・
ひたすら広い構内を二人で歩く。といっても、並んでではなく、私が少し先を歩いて誘導して、パンフレットを見ながら説明して案内した。広場に講堂、食堂、などなど。案内は何度かこなしたのでもうすっかり慣れてしまった。細かく回っていると時間も足りないので、大まかな説明といくつかの場所だけ回るように先生に指示されている。
ちょうど一年前、私もオープンキャンパスで見学をしたときに、案内してもらいながら心が躍ったのをつい昨日のことのように覚えていた。まさか、案内する側になる日が来るなんて。しかも顔見知りにマンツーマンで。
一通り見学が終わった後、私は笠松くんを連れてある場所へ向かった。案内係のマニュアルには書いていないけれど、バスケ部が練習している体育館へ。ちょうど練習風景が見れる頃だったし、笠松くんならきっと見ておきたいはずだ。私は特に余計なことを言わずに案内することにした。
「やっぱすげぇな…、大学生は」
「笠松くんも来年はここで練習してるのかも知れないね。名選手だから、うちの大学のバスケ部も期待してると思うよ。監督も笠松くんに是非来て欲しいって言ってたし」
「期待されるような器でもねぇんだけどな、本当は」
監督というのは、私にいつも海常バスケ部まで届け物を頼む大学の先生のことだ。“期待されるような器じゃない”と、謙遜する笠松くんの肩を軽く小突くと、彼はオーバーなまでに慌てて私から離れた。そんなに驚くようなことしたかな?と不思議に思いつつも私は続けた。
「バスケの月刊誌に載るぐらいの名選手なのに、期待するなって方が無理でしょ」
「な、なんで知って……」
「黄瀬くんが教えてくれたの」
「……あの野郎、余計なことを」
怒りを表情に露わにして笠松くんは『後でシバく』と、低い声で呟いていた。以前からバスケを見ること自体はそこそこ好きだし、ルールも知っていた。先生の小間使いとして海常バスケ部に通うようになり、お使いがてら練習風景やミニゲームを見るようになってから、前よりもバスケが好きになった気がする。といっても、バスケの月刊誌を買うほどではない。
個人的な興味で、私が黄瀬くんに笠松くんのことを聞いたら月バスのことを教えてくれたのだ。だから、黄瀬くんがシバかれるのはちょっと可哀想だな。
「私が笠松くんのことを黄瀬くんに聞いたの。だから、シバかないであげて?」
両手の平を合わせてお願いすると、笠松くんは少し間をおいてからため息で返事をした。“了解”って意味だろうと、私は都合よく受け取っておいた。
それからしばらく体育館での練習を見ていたら、タイミングよくやってきたバスケ部の監督が笠松くんと私を見つけ、立ち話が始まった。予想通り、笠松くんに『来年は是非、うちの大学のバスケ部に』とスカウトし、スポーツ推薦の話なども持ちかけていた。
さすが、私のような一般生徒を小間使いにしてしまうほどに話す調子が上手い……というか、自分のペースに持ち込むのが上手い先生だ。実際、説明も上手で、笠松くんも真剣に話を聞いていたようだった。
先生との話が終わった後、私たちは体育館を後にした。バスケ部の様子が見れて彼も満足そうだった。
キャンパス内にあるベンチに座って笠松くんに待ってもらってる間に、私は自販機でパックのジュースを買ってきて、ひとつを笠松くんに渡した。
「これで案内は終わりです。おつかれさま。これ、どうぞ」
「どうも」
ジュースを受け取ると小さく会釈して私と笠松くんはそれを飲みながら、フゥと一息ついた。やはり、顔見知りといっても多少緊張はした。上手く説明出来ていただろうか、不手際はなかっただろうかと今日の自分のやり方を思い返してみる。
授業のカリキュラムについての詳しい説明は、どうしてもオープンキャンパスでの実施になるから、今日は本当に案内だけになってしまった。詳しいカリキュラムについては、また秋に開催されるからその時に来てね、と伝えると、彼は頷いた。
「案内には体育館は対象外だったんだけど、行ってよかった。笠松くん、バスケ部を見る時すごく真剣だったね」
「わざわざ気ィ使ってもらって、すんません」
「敬語はなしでいいって」
「あ、悪ぃ…。でも、礼はちゃんと敬語でないと」
言い終えると、ズズズという音がした。急いでジュースを飲んだ笠松くんは紙パックを近くの3mぐらい先のゴミ箱に投げ込む。
弧を描いて外すことなくゴミ箱へ入った紙パック。さすが現役バスケ部。コントロール力もすごい。
「今日はありがとうございました」
ベンチに座ったまま、こちらに体を向けて頭を下げる笠松くん。
すごく律儀で、真面目な性格が伺える。
案内係を何度かこなしてきたが、こんなにキッチリと感謝されたのは初めてだ。先生に頼まれるがままこの仕事をやっているが、請け負った甲斐があったなぁとしみじみ思った。
“どういたしまして”――と返したかったが、それじゃあ普通過ぎるし、何だか目の前の生真面目な少年を私はからかいたくなってしまった。
笠松くんが顔を上げるタイミングを合わせてグイッと体ごと詰め寄って顔を近づけると、彼は「うわぁ!」と声を上げた。
そしてまた、一瞬でベンチの隅っこまで下がって私と距離をとる。
どうにも、今日は会ったときから距離をとられている事が多い。
校門で会った時にニッコリ笑ったら後ずさりされ、体育館で肩を小突いただけで距離を取られた。森山くんの情報通り、本当に女の子が苦手みたい。
「お礼を言うときはちゃんと人の目を見て言うんだよ?」
隅っこにいる笠松くんにさらに詰め寄り、私は満面の笑みを向けながら小首を傾げると、彼はドモりながらも一生懸命に私の目を見て、お礼をもう一度言った。笠松くんの目が泳いでいる。
「あ、あり、ありが、うございま、した!」
「ふふっ、どういたしまして!」
一生懸命目を合わせようとしてくれているが一秒と耐えきれず、その視線は宙と私を交互に見ていた。まるでロボットがバグったような言い方に、私は吹き出して笑った。彼はついに紅潮してしまい、その様子が可愛く見える。
それは後輩のような、弟のような、はたまた別の意味で――?
別の感情が芽生える可能性があると、予感はしていた。
「……あんまからかわないでくれ」
「え?」
右手で頭を押さえて項垂れながら、深いため息をつきながら言う笠松くんに、私の笑っていた声は止まった。ふうーーっという長いため息だった。まるで嫌な儀式が終わった後のような、疲労困憊具合。集合写真の女子もまともに見れないほど女の子が苦手な笠松くんにとって、至近距離で一応女である私の目を見るのは至難の業だっただろう。
「俺が女が苦手っていうことも森山あたりから聞いてんだろ?」
「うん、森山くんが教えてくれたの。からかってごめんね。…怒った?」
「怒っちゃいねぇよ。ただ、カッコ悪いだろ。こんなことで、いちいち、こんな反応」
そしてもう一度ため息。まさか、女の子が苦手だということを自分自身で気にしていたとは。まぁ、気にしないはずもないか。
女の子が好きな森山くんに、女の子にモテモテの黄瀬くんが近くにいては、女の子にまつわる話題も必然的に振られるわけで、その度に苦手意識を自覚してしまうのだろう。
森山くんなんて毎日女の子の話題を持ちかけてきそうだ。私がもし男で、笠松くんと同じ性格だったなら、森山くんの話にノイローゼ気味になってしまうかも知れない。
「カッコ悪くないよ?むしろ、かわいいと思う。あと、笠松くんのカッコイイところも練習とかで見てるから、何ていうか、カッコイイもかわいいも両方持ち合わせてて、ずるい」
はぁ?と、素っ頓狂な声を上げると同時に、項垂れていた頭を上げて笠松くんは私の方を見た。お互いの距離が思ったより離れていないことに気づき、彼は再び肩をビクリと震わせた。
ベンチの隅っこに固まって座っている二人。警戒心が強い笠松くん。まるで私がオオカミでで、彼が子犬のようではないか。
子犬というより、どちらかといえば、なかなか懐かないネコだが。
やはり、ついついネコに例えてしまう。
とりあえずこの近い距離じゃ笠松くんの警戒は解けそうにないので、私は元の位置まで戻って座り直した。
しばらく空を見ながらぼーっとしてお互い沈黙してたが、この静かな空気は自然に流れ、嫌な感じがしなかった。先に沈黙を破ったのは笠松くんの方だった。
「前から思ってたけど、あんたやっぱ変わってんな」
視線は上に向けたままで、ポツリと呟いたそれは空に吸い込まれていった。
「そもそも女が苦手な俺が話せる時点で、結構な珍種なのかもしれねぇ」
「珍種って……、先輩に向かって失礼だよ!」
「はいはい、すんません」
「もう、敬語は使わないでいいってば」
「どっちみち何か言われんのかよ、俺は」
クッと喉を鳴らして笑った笠松くんに、私は心の奥から熱いものが込み上げてきた。一言二言、交わす程度には仲良くなったつもりだったが、決して『談笑』をしたことがなかった。
要するに、笠松くんは私の前で笑ったことがなかったのだ。だけど今、笑った。視線は空に向けたままだったが、顔をしかめて笑ったのを横目で確認した。ふわりと、あたたかい風が胸の中を通り抜けていく――これを、“恋の予感”と呼ぶならばしっくり来る。
「また練習見に行ってもいいかな?今度は、監督のお使いじゃなくて、個人的に」
笠松くんの方に顔を向けて告げると、彼は素っ気ない声で「別にいいけど」と、返してきた。頬が緩む。口角が上がる。嬉しくて、目をギュッと瞑りたくなったのを私は我慢して、力一杯頷いた。
“恋の予感”?……そんな、なまっちょろいものじゃなかった。これは恋だ。今、この瞬間に、私は笠松くんに恋をしたんだ。
一方的なこの感情に気づいてしまった途端、フィルタがかかったように笠松くんが映る。恋に落ちると、彼も、見える景色も変わってしまうなんて――、と内心でロマンチックなことをらしくもなく思ったりして。
「ただし、森山とか黄瀬に絡まれないように気を付けること」
ふと、先程の付け足しとばかりに笠松くんは告げた。
私の頭に過ぎったのは、鼓動を速くする疑問。
……その条件の提示は、キャプテンとして?それとも、笠松くん個人として?
後者だったとしたら、存外、恋に落ちたのは私だけではなかったのかも。再びあたたかい風が胸の中を――今度は通り抜けることなく留まった。もっともっと、風の温度は熱を帯びていく。
大学の先生に頼まれて、海常高校のバスケ部の監督に渡す資料を体育館に持って行ったタイミングで、渡すべき人の姿はそこはなかった。体育館では大勢の部員達が練習をしているようだ。
少し待つと休憩時間になったので、私はそのタイミングを狙って、傍にいた部員に『キャプテンはどの方ですか?』と尋ねた。
その部員が指差した方を見ると、黒髪短髪の、眉毛も顔立ちも凛々しい青年。
「あの人がキャプテンの笠松先輩です」
名前までは聞いたつもりはなかったのだが、部員は丁寧に教えてくれた。ドリンクを飲んで、ふぅと息をついた笠松くんが私の視線に気づいて、目が合った……数秒後、彼は顔を真っ赤にして固まった。
――これが、彼との最初の出会いである。
海常バスケ部主将、三年。全国でも有名な名選手で、ポジションはPG……と、そこまで教えてくれた森山くんの肩を容赦なく笠松くんが背後からパンチした。ドムッという鈍い音に森山くんは苦痛に顔を歪めて体勢を崩す。
「余計なこと言ってんじゃねぇ!」
怒鳴る笠松くんと、痛い目にあってるのに面白がって笑っている森山くん。仲が良いんだか悪いんだかよくわからないけれど、レギュラー同士には特に確かな信頼があるんだろうなと感じた。
大学の先生からのお使いで私が何度か体育館に通うようなってから、五回目ぐらいで森山くんにナンパされた。
黄瀬くん目当てで海常高校の女子が体育館入口に詰め寄る中、一人だけ私服姿の私は来る度に目立っていたのだろう。
森山くんは笠松くんの説明をした後サラリと自己紹介をしてきた。私がおろおろしてたら笠松くんがやってきて、…で、さっきの肩パンチに繋がる。ひとしきり二人のやりとりを見てから、私は笠松くんに資料を渡した。
「これ、監督に渡しておいてください」
「あぁ、はい…了解」
視線をわざと私から逸らして資料だけ受け取ると、彼はベンチの方へ資料を置きに行った。初めて会った日以来、目も合わせてもらえない。気に障るようなことをした覚えもないので、うーんと唸っていると森山くんがこっそり耳打ちして教えてくれた。
「高校に入学してから今まで、女子と一度もまともに話したことがなければ、集合写真に写る女子を直視できないほど女の子が苦手なんですよ、あいつ。俺にはまったくもって理解できない……」
キリッとした表情で言うが、あまりカッコイイ台詞ではない。
森山くんは女の子が大好きだからそりゃ理解できるわけもないだろう。
しかしそれを聞いた途端、目を見開いて驚いた。そんなレベルで女子が苦手って、そんな人この世にいたのか。学校行事や授業で異性とどうしても話さなければならない場面がでてくるはずだが。必要最低限に言葉を交わすのみ、そういうことだろう。
それでも、何度が用事がある度に一言二言交わすうち、目は泳ぎつつも笠松くんはついに目を逸らさなくなってくれた。森山くんや黄瀬くんからいいアドバイスをもらったんだろうか。それとも慣れただけなのか。
それからというもの、私と笠松くんは他愛のない話を少しする程度には仲良くなった…と、一方的に感じてる。笠松くんは緊張しすぎて初めはしどろもどろの会話だったが、最近ではちゃんと会話のキャッチボールが出来てきた気がして、何だか嬉しい。
警戒心が強くなかなか懐くことがなかったネコが、やっと懐いてくれたのような、そんな喜びに似てる。ネコに例えてごめんなさい、と私は内心で笠松くんに謝った。
□ □ □
他の大学もそうだが、私の通う大学も季節ごとにオープンキャンパスという行事を開催している。手伝う学生は主に二、三年がメインだが、何故か私も手伝うことになってしまった。と言っても、私もまだ入学したばかり。主に請け負った仕事は、オープンキャンパス期間内に来れなかった方への個別の構内見学の案内だ。
要するに、申込を受けたらその都度校内を案内してあげるだけの簡単なお仕事。オープンキャンパス期間内に来た方がカリキュラムの詳しい説明会なども受けられるため、たいていはその期間に集中するのだが、施設案内だけは個別にも受け付けている、というわけだ。
これまた先生からの頼まれて受けたのだが、いい加減自分の人の良さにも呆れてきた。お世話になっているし、これからもお世話になるであろう先生とはいえ、頼み方が上手いから良いように働かされている。話しているうちに断れない雰囲気に持ち込まれているのだ。しかしここで先生に恩を売っておいたほうが、後々の万が一のピンチに助けてもらえるかも……と、自分に言い聞かせ納得しておくことにする。
桜も散り、新緑の季節を迎えようという時期に、“彼”はうちの大学にやってきた。オープンキャンパスの期間を過ぎた頃に一人の学校見学の申し込み。
私が案内係として大学の門までいくと、そこにいたのは笠松くんだった。海常高校の制服の子がひとり、ポツンと立っていたのですぐに分かった。まさか、見学希望者が笠松くんだったなんて驚いたが、思わず頬が緩む。
「見学希望者の方ですか?」
「あぁ。はい…――え?」
わざとらしく、少しだけ声のトーンを高くして背後から話しかけると、笠松くんは振返りざまに目を見開いた。
「あんたが案内係か!?」
「うん。そうだよ」
「あ、いや、その……先輩が案内係です、か?」
「言い直さなくていいよ。そもそも歳もひとつしか変わらないんだし、見知った顔だし堅苦しい敬語はなしなし」
ニッコリと笑うと笠松くんは後ずさって、小さく頷いた。
どうやらこれからは敬語はなしでお話してくれるみたいだ。
・・・
・・・・・
・・・・・・
ひたすら広い構内を二人で歩く。といっても、並んでではなく、私が少し先を歩いて誘導して、パンフレットを見ながら説明して案内した。広場に講堂、食堂、などなど。案内は何度かこなしたのでもうすっかり慣れてしまった。細かく回っていると時間も足りないので、大まかな説明といくつかの場所だけ回るように先生に指示されている。
ちょうど一年前、私もオープンキャンパスで見学をしたときに、案内してもらいながら心が躍ったのをつい昨日のことのように覚えていた。まさか、案内する側になる日が来るなんて。しかも顔見知りにマンツーマンで。
一通り見学が終わった後、私は笠松くんを連れてある場所へ向かった。案内係のマニュアルには書いていないけれど、バスケ部が練習している体育館へ。ちょうど練習風景が見れる頃だったし、笠松くんならきっと見ておきたいはずだ。私は特に余計なことを言わずに案内することにした。
「やっぱすげぇな…、大学生は」
「笠松くんも来年はここで練習してるのかも知れないね。名選手だから、うちの大学のバスケ部も期待してると思うよ。監督も笠松くんに是非来て欲しいって言ってたし」
「期待されるような器でもねぇんだけどな、本当は」
監督というのは、私にいつも海常バスケ部まで届け物を頼む大学の先生のことだ。“期待されるような器じゃない”と、謙遜する笠松くんの肩を軽く小突くと、彼はオーバーなまでに慌てて私から離れた。そんなに驚くようなことしたかな?と不思議に思いつつも私は続けた。
「バスケの月刊誌に載るぐらいの名選手なのに、期待するなって方が無理でしょ」
「な、なんで知って……」
「黄瀬くんが教えてくれたの」
「……あの野郎、余計なことを」
怒りを表情に露わにして笠松くんは『後でシバく』と、低い声で呟いていた。以前からバスケを見ること自体はそこそこ好きだし、ルールも知っていた。先生の小間使いとして海常バスケ部に通うようになり、お使いがてら練習風景やミニゲームを見るようになってから、前よりもバスケが好きになった気がする。といっても、バスケの月刊誌を買うほどではない。
個人的な興味で、私が黄瀬くんに笠松くんのことを聞いたら月バスのことを教えてくれたのだ。だから、黄瀬くんがシバかれるのはちょっと可哀想だな。
「私が笠松くんのことを黄瀬くんに聞いたの。だから、シバかないであげて?」
両手の平を合わせてお願いすると、笠松くんは少し間をおいてからため息で返事をした。“了解”って意味だろうと、私は都合よく受け取っておいた。
それからしばらく体育館での練習を見ていたら、タイミングよくやってきたバスケ部の監督が笠松くんと私を見つけ、立ち話が始まった。予想通り、笠松くんに『来年は是非、うちの大学のバスケ部に』とスカウトし、スポーツ推薦の話なども持ちかけていた。
さすが、私のような一般生徒を小間使いにしてしまうほどに話す調子が上手い……というか、自分のペースに持ち込むのが上手い先生だ。実際、説明も上手で、笠松くんも真剣に話を聞いていたようだった。
先生との話が終わった後、私たちは体育館を後にした。バスケ部の様子が見れて彼も満足そうだった。
キャンパス内にあるベンチに座って笠松くんに待ってもらってる間に、私は自販機でパックのジュースを買ってきて、ひとつを笠松くんに渡した。
「これで案内は終わりです。おつかれさま。これ、どうぞ」
「どうも」
ジュースを受け取ると小さく会釈して私と笠松くんはそれを飲みながら、フゥと一息ついた。やはり、顔見知りといっても多少緊張はした。上手く説明出来ていただろうか、不手際はなかっただろうかと今日の自分のやり方を思い返してみる。
授業のカリキュラムについての詳しい説明は、どうしてもオープンキャンパスでの実施になるから、今日は本当に案内だけになってしまった。詳しいカリキュラムについては、また秋に開催されるからその時に来てね、と伝えると、彼は頷いた。
「案内には体育館は対象外だったんだけど、行ってよかった。笠松くん、バスケ部を見る時すごく真剣だったね」
「わざわざ気ィ使ってもらって、すんません」
「敬語はなしでいいって」
「あ、悪ぃ…。でも、礼はちゃんと敬語でないと」
言い終えると、ズズズという音がした。急いでジュースを飲んだ笠松くんは紙パックを近くの3mぐらい先のゴミ箱に投げ込む。
弧を描いて外すことなくゴミ箱へ入った紙パック。さすが現役バスケ部。コントロール力もすごい。
「今日はありがとうございました」
ベンチに座ったまま、こちらに体を向けて頭を下げる笠松くん。
すごく律儀で、真面目な性格が伺える。
案内係を何度かこなしてきたが、こんなにキッチリと感謝されたのは初めてだ。先生に頼まれるがままこの仕事をやっているが、請け負った甲斐があったなぁとしみじみ思った。
“どういたしまして”――と返したかったが、それじゃあ普通過ぎるし、何だか目の前の生真面目な少年を私はからかいたくなってしまった。
笠松くんが顔を上げるタイミングを合わせてグイッと体ごと詰め寄って顔を近づけると、彼は「うわぁ!」と声を上げた。
そしてまた、一瞬でベンチの隅っこまで下がって私と距離をとる。
どうにも、今日は会ったときから距離をとられている事が多い。
校門で会った時にニッコリ笑ったら後ずさりされ、体育館で肩を小突いただけで距離を取られた。森山くんの情報通り、本当に女の子が苦手みたい。
「お礼を言うときはちゃんと人の目を見て言うんだよ?」
隅っこにいる笠松くんにさらに詰め寄り、私は満面の笑みを向けながら小首を傾げると、彼はドモりながらも一生懸命に私の目を見て、お礼をもう一度言った。笠松くんの目が泳いでいる。
「あ、あり、ありが、うございま、した!」
「ふふっ、どういたしまして!」
一生懸命目を合わせようとしてくれているが一秒と耐えきれず、その視線は宙と私を交互に見ていた。まるでロボットがバグったような言い方に、私は吹き出して笑った。彼はついに紅潮してしまい、その様子が可愛く見える。
それは後輩のような、弟のような、はたまた別の意味で――?
別の感情が芽生える可能性があると、予感はしていた。
「……あんまからかわないでくれ」
「え?」
右手で頭を押さえて項垂れながら、深いため息をつきながら言う笠松くんに、私の笑っていた声は止まった。ふうーーっという長いため息だった。まるで嫌な儀式が終わった後のような、疲労困憊具合。集合写真の女子もまともに見れないほど女の子が苦手な笠松くんにとって、至近距離で一応女である私の目を見るのは至難の業だっただろう。
「俺が女が苦手っていうことも森山あたりから聞いてんだろ?」
「うん、森山くんが教えてくれたの。からかってごめんね。…怒った?」
「怒っちゃいねぇよ。ただ、カッコ悪いだろ。こんなことで、いちいち、こんな反応」
そしてもう一度ため息。まさか、女の子が苦手だということを自分自身で気にしていたとは。まぁ、気にしないはずもないか。
女の子が好きな森山くんに、女の子にモテモテの黄瀬くんが近くにいては、女の子にまつわる話題も必然的に振られるわけで、その度に苦手意識を自覚してしまうのだろう。
森山くんなんて毎日女の子の話題を持ちかけてきそうだ。私がもし男で、笠松くんと同じ性格だったなら、森山くんの話にノイローゼ気味になってしまうかも知れない。
「カッコ悪くないよ?むしろ、かわいいと思う。あと、笠松くんのカッコイイところも練習とかで見てるから、何ていうか、カッコイイもかわいいも両方持ち合わせてて、ずるい」
はぁ?と、素っ頓狂な声を上げると同時に、項垂れていた頭を上げて笠松くんは私の方を見た。お互いの距離が思ったより離れていないことに気づき、彼は再び肩をビクリと震わせた。
ベンチの隅っこに固まって座っている二人。警戒心が強い笠松くん。まるで私がオオカミでで、彼が子犬のようではないか。
子犬というより、どちらかといえば、なかなか懐かないネコだが。
やはり、ついついネコに例えてしまう。
とりあえずこの近い距離じゃ笠松くんの警戒は解けそうにないので、私は元の位置まで戻って座り直した。
しばらく空を見ながらぼーっとしてお互い沈黙してたが、この静かな空気は自然に流れ、嫌な感じがしなかった。先に沈黙を破ったのは笠松くんの方だった。
「前から思ってたけど、あんたやっぱ変わってんな」
視線は上に向けたままで、ポツリと呟いたそれは空に吸い込まれていった。
「そもそも女が苦手な俺が話せる時点で、結構な珍種なのかもしれねぇ」
「珍種って……、先輩に向かって失礼だよ!」
「はいはい、すんません」
「もう、敬語は使わないでいいってば」
「どっちみち何か言われんのかよ、俺は」
クッと喉を鳴らして笑った笠松くんに、私は心の奥から熱いものが込み上げてきた。一言二言、交わす程度には仲良くなったつもりだったが、決して『談笑』をしたことがなかった。
要するに、笠松くんは私の前で笑ったことがなかったのだ。だけど今、笑った。視線は空に向けたままだったが、顔をしかめて笑ったのを横目で確認した。ふわりと、あたたかい風が胸の中を通り抜けていく――これを、“恋の予感”と呼ぶならばしっくり来る。
「また練習見に行ってもいいかな?今度は、監督のお使いじゃなくて、個人的に」
笠松くんの方に顔を向けて告げると、彼は素っ気ない声で「別にいいけど」と、返してきた。頬が緩む。口角が上がる。嬉しくて、目をギュッと瞑りたくなったのを私は我慢して、力一杯頷いた。
“恋の予感”?……そんな、なまっちょろいものじゃなかった。これは恋だ。今、この瞬間に、私は笠松くんに恋をしたんだ。
一方的なこの感情に気づいてしまった途端、フィルタがかかったように笠松くんが映る。恋に落ちると、彼も、見える景色も変わってしまうなんて――、と内心でロマンチックなことをらしくもなく思ったりして。
「ただし、森山とか黄瀬に絡まれないように気を付けること」
ふと、先程の付け足しとばかりに笠松くんは告げた。
私の頭に過ぎったのは、鼓動を速くする疑問。
……その条件の提示は、キャプテンとして?それとも、笠松くん個人として?
後者だったとしたら、存外、恋に落ちたのは私だけではなかったのかも。再びあたたかい風が胸の中を――今度は通り抜けることなく留まった。もっともっと、風の温度は熱を帯びていく。