短編・中編
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神様にお願い
湯島駅から地上に出てすぐ見える春日通りという大きな道路沿い、ゆるい坂道を上がっていくと突然、街の中にその目的地は現れた。
『湯島天満宮』――通称・湯島天神。学問の神様がいると言われている有名な神社だ。
主に受験生に大変人気のある神社で、年末になると絵馬掛にはびっしりと合格祈願の絵馬が並んでいるそうだ。
…というのも聞いた話。私もこれからはじめて訪れる場所なのだ。
隣で並んで歩く彼は丁寧にその神社について、相変わらず淡々とした口調で説明してくれた。
私が解らないことがあれば逐一、しっかり説明してくれるその真面目さと優しさは昔から少しも変わっていない。
頭1個分以上、私より背が高い真ちゃんをすぐ隣で見上げながら、私は嬉しくて笑みが零れてしまう。
「…さっきから何をニヤついている」
「別に、なんでもないよー」
怪訝な視線を向けられても私は懲りずに笑っていた。
嬉しいのを我慢する必要なんてどこにもない。
――本日晴天、今日は真ちゃんと湯島天神へおでかけだ。
□ □ □
春日通りを途中で左に曲がり、少し真っ直ぐ進んだところに石で出来た鳥居がある。
随分年季が入ったそこをくぐり抜けて、私たちは境内へと進んだ。
今年は早めに梅雨入りしたというのに、どういうわけか今日は雲1つない青空が広がり、気温も過ごしやすく、風が吹くと心地よい。
土曜日の昼間なので混んでいるかと思いきや、家族連れやカップル、お年寄りがチラホラいるだけで境内はとても静かだった。
空気も清々しく、ここが街の中にある場所だということを思わず忘れてしまう。
…癒されるなぁ。
ここに入るまで私に説明していた真ちゃんも、今は口を閉ざしている。
神社の神聖な空気で心身ともに浄化させているんだろうか。
横顔をチラリと盗み見れば相変わらず端正な顔立ちだった。
スクエア型の黒縁眼鏡のせいで、もともと知的な真ちゃんがさらに知的に見えた。
真ちゃんが1才の頃、私が隣へ引っ越してきたので、もう14年も隣人同士。
幼馴染として過ごし成長を見守り続けて14年――とうとうこんなにイケメンになってしまった。とても感慨深い。
あんなに小さかったのに背だってぐんぐん伸びちゃって、今じゃ私の方が大きかった時なんて遥か昔に思えた。
不意に真ちゃんがこちらを見たので目が合ってしまったけれど、私は今までの彼の成長過程を回想していたのをを誤魔化すように苦笑した。
「はじめて来たけどキレイな神社だね。もっと早く誘ってくれればよかったのに」
そう告げると真ちゃんは首を横に振って溜息をついた。
「休みがなかなか合わなかったから、仕方ないのだよ」
意地悪で言ったわけではないので別にショックとか受けたりはしない。彼の言う通りだ。
秀徳高校に入った今でも忙しいけれど、彼が忙しい日々を送るようになったのはもっと前からだ。
バスケの強豪校である帝光中に入学してから真ちゃんはますます本格的にバスケに打ち込んでいった。
私も高校に入ってからバイトや勉強に明け暮れていたので、なかなかゆっくりと二人でどこかへ行く機会がなかった。
その代わりに、私が真ちゃんの家へ押し掛けては部屋でお話したり寛いだりしていたので、わりと会っていた方だけども。
昔から隣の家で、家族同士も仲が良いので、遊びに行くのも真ちゃんの部屋に入るのも、我ながら遠慮がなかったなとは思う。
しかし、今日のおでかけは久々で、珍しくも彼が一週間前に誘ってきたのだ。
学校の体育館に業者点検が入るため土曜日の練習が中止になり1日オフになったそうで、湯島天神に行くから予定が会えば一緒に来るか、と。
もちろん、他ならぬ真ちゃんからのお誘いに私はその場ですぐにOKした。
そして本日、シュートの練習は毎日欠かせない真ちゃんは、朝早く起きてストリートコートで練習とトレーニングをこなしてから我が家の玄関先まで迎えに来てくれた。
毎日欠かさずなんて、本当にすごいなぁ。
キセキの世代と呼ばれる逸材で紛れもない才能を持ちながらも、真ちゃんに驕りも油断もなく、そんな努力家なところも私は尊敬している。
しかし、まさかデートのお誘いがあるなんて…嬉しくて楽しみで、わくわくして今日を迎えたのだ。
気合いをいれて普段着ないような余所行きの服を着てきてしまったぐらいだ。
幼馴染なので、パジャマ姿もジャージ姿もパッとしない普段着も既に見られているから、よほど鈍感でなければ今日、私がオシャレしてきたことぐらい真ちゃんにだってわかるだろう。
丸襟で薄ピンク色の清楚なワンピース。普段シュシュで束ねている髪も今日は下ろしてきた…けど、まだ、特に何も言われていない。
ちょっとくらいはドキドキしてくれていることを祈る。
少しでも意識して欲しくて。時々でいいから、ちゃんと女の子として見てくれているのかな。
□ □ □
参拝前に手水場に寄ると、真ちゃんは私がちゃんと覚えていないのを察して先に手順を追ってやってみせてくれた。
右手に柄杓を持ち、左手を洗い、左手に持ち替えて右手を洗い、右手で水をためて口をすすぐ。
さらに右手を洗い、先程口をすすいで吐き出したところに水をかけて流す…真ちゃんは慣れた感じでこなしていた。
さすが、参拝し慣れているようだ。
私はそれを見ながら真似をした。
左手を洗った時に指のテーピングが見えたので、相変わらずの徹底ぶりは変わってないのだなぁと安心した。
真ちゃんの得意とする3ポイントシュートは爪のかかり具合が重要だと言う。
日常でもその爪のケアは徹底しなければならないため、左手の指に常にテーピングを巻いているのだ。
手水場を左にして真っ直ぐ進むとすぐに参拝する場所に辿り着いた。
そのまま正面に立つと、真ちゃんは私の両肩を後ろから掴んで、体ごと右に移動させた。
「参拝において真正面はエネルギーが高すぎると言われている。左右どちらかに移動した方がいい」
「…真ちゃん、ホントによく知ってるんだねぇ。感心しちゃう」
「運気を纏う場所の作法だからな。知っていて当たり前だ」
私が正直に褒めてフフ、と笑うと真ちゃんは照れ隠しか、ゴホンと咳払いをした。
そして、二拝二拍一拝。それぐらいは私も知っている。決めてきたお願いは1つ。
――真ちゃんのいるチームがウィンターカップで優勝できますように。
もし私のお願いしたことを知られたら、『人が頼んだ運に頼って優勝できるほど甘くないのだよ』とか言われちゃうかな。
それは承知の上だ。真ちゃんもいつも言ってるじゃないか。
“人事は尽くした。あと要因があるとすれば“運だけ”だと。
その運の補正のために毎日のようにおは朝占いのラッキーアイテムを持ち歩いてるぐらい。
ならば、その“運の補正”とやらに私も少しでも力添え出来ますように。
ささやかだけれども、私にはそれぐらいしか出来ることがないから。
もし私が同じ学校にいたなら、マネージャーとして毎日、傍で支えてあげられるのになって何度も思った。
真ちゃんがバスケで忙しくなるほど、会える時間が限られ、その度に遠くに感じる。同い年だったらよかったのに。
学問の神様にウィンターカップ優勝のお願いなんてどうしたもんかって感じだけど、…まぁきっと、届くと信じるしかない。
真ちゃんは何をお願いしたのかな。
気になったけれど、聞きたいという好奇心は胸の内に押し留めて、私たちは参拝の後、境内を散歩した。
木の長椅子があったので、私がそこに腰掛けると、真ちゃんは少し間をおいた後「少しここで待っていろ」と言って、私が小さく頷いたのを確認してから、神社の入り口の方へ歩いていった。
彼を待っている間に、雲ひとつない青空に手の平を向けて、ぐぐっと力いっぱい背伸びをする。
時間がゆっくり流れていく感覚が心地よかった。周囲を見ると、和風庭園のような一角があり、そこの池には小さな亀がいた。
ふと亀と目が合ったような気がして、ほのぼのと和む。
親子連れや一眼レフで写真を撮っている人がチラホラいる程度で、とても静か。
穏やかな空気と神社の清らかさに心が癒されていくようだ。
五分も経たないうちに戻ってきた真ちゃんは、社務所で買ってきたものを私に見せてくれた。
「あ…、これ」
格言が書かれている、湯島天神の鉛筆。
特に、『自信は努力から』…なんて、すごく真ちゃんっぽい。
「テスト勉強前は俺はこの鉛筆を使っているんだが、だいぶ前からストックがなくなっていたところだ」
眼鏡のブリッジ部分を人差し指で上げて位置を調節しながら、彼はそう教えてくれた。
この鉛筆、見覚えのあるデザイン…それは当たり前のことだった。
真ちゃんが去年、この鉛筆を家まで届けに来てくれたことがあったからだ。
ちょうど夏休み前の、受験勉強が本格的にはじまる頃に。
自分も全中の試合を控えて忙しいはずなのに、私を励ましに来てくれたのだ。
格言鉛筆と真ちゃんの応援もあって、私は本来自分のレベルよりも高い大学に無事受かることが出来たのだ。
「去年、真ちゃんが私にくれた鉛筆のおかげで大学も受かったんだよ。ありがとうね」
「運を補正するアイテムを渡しただけだ。俺は何もしていない。受かったのはお前の努力の賜物なのだよ」
「そうやって誉めてくれるの、真ちゃんだけだよ」
喜びで胸がいっぱいになり、私が笑顔になると真ちゃんも控えめだけれども小さく微笑んだ。
あ、やっと今日はじめて笑ってくれた。
途端、花のつぼみが突然花を咲かせたみたいに、穏やかな空気に色がついて明るくなる。
心が、ときめきと共に温かくなる。
やはり、この気持ちは…間違いない。
久々のデートなのでおめかししたりドキドキしたり楽しみだったり。
それは“久々のおでかけだから”って以外にもちゃんと理由があった。
…真ちゃんを異性として意識してる。
顔に熱が昇りそうになって、なるべく平常心を保とうとしている私に、彼は手を差し伸べてきた。
キョトンとして固まっていると、座っている膝に乗せていた手を力強く掴んで私を椅子から立たせた。
さっさとしろ!、とでも言いたげに真ちゃんは私の手を引いたまま自分の方に引き寄せる。
その大胆さに心臓が高鳴っておさまらない。
手を繋ぐぐらい、小さい頃に何度もしてきたはずだから動揺することもないのに。
…でも、何だって、今、このタイミングで?
万が一にも、ドキドキが見透かされていたりして…なんて、結局、私の顔は紅潮してしまい真ちゃんに不思議そうな目を向をられてしまった。その類の視線をもらうのって、今日何回目だろう?
「何を赤くなっている」
「べ、別に!なんでもない…」
首をかしげて怪訝そうにしていたが、真ちゃんはまたすぐいつもの平静な表情に戻った。
「そろそろ正午になる。とりあえずここから出るぞ」
そのまま手を引かれて神社を出てから、私より一回り大きい手もすごく温かいことに気がついた。
実は緊張、してるのは私だけじゃなかったりして。そうだったらいい。真ちゃんも、私みたいに緊張してたらいいのに。
今日はすごくいい天気。
このまま帰るのは勿体ないと思ってたら、彼の方から『何か食べて帰るか』と言ってきてくれた。
以心伝心、なんて都合のいいように受け取って、私は元気よく返事をした。
今日、湯島天神まで誘われた時から考えていたことがある。
格言鉛筆を買うことだけが彼の目的だとしたら、別にいつだって一人でも行けただろうに。ストックがなくなったのを口実に私を誘ってくれた、とか…思っちゃったりして…。
ポジティブ思考も度が過ぎると幸せだなと我ながら自覚はしているが、その方が明るく生きられるのでよしとしておく。
隣の彼を見上げながらギュッと手を握ると、真ちゃんも顔を傾けて私の顔を覗き込むように見つめてきた。
「どうかしたか?」と、返事のような意図で手を握り返された。
眼鏡越しに見える下睫が何ともキレイで、羨ましい。並んでいて女の私の方が見劣りするぐらい、真ちゃんは綺麗だ。
「今日ってデートだよね?」
ほんの少し勇気を出して、私は尋ねた。
ドッドッ、と心臓の鼓動が早鐘を打ち、緊張が高まって唇が乾きそう。真ちゃんはため息をついた後、わざわざ立ち止まった。
そして、手は繋いだままでこう言い返してきたのだ。
「違うのか?」
私の頬がさらに紅く染まったのは言うまでもない。
恥ずかしがることもなくハッキリと告げた彼は、赤面することもなくいつものように涼しげな表情のままだ。
時々、この幼馴染みというポジションが贅沢過ぎて、心が震える。
この距離にいて、真ちゃんを好きにならないなんてその方がよっぽど不自然だ。これからきっと、秘めたる気持ちは今よりもっと大きく育っていつか告げる日が来るだろう。
大好きな真ちゃん、あなたの願いがどうか叶いますようにと、私はもう一度神様に祈るように目を閉じた。
湯島駅から地上に出てすぐ見える春日通りという大きな道路沿い、ゆるい坂道を上がっていくと突然、街の中にその目的地は現れた。
『湯島天満宮』――通称・湯島天神。学問の神様がいると言われている有名な神社だ。
主に受験生に大変人気のある神社で、年末になると絵馬掛にはびっしりと合格祈願の絵馬が並んでいるそうだ。
…というのも聞いた話。私もこれからはじめて訪れる場所なのだ。
隣で並んで歩く彼は丁寧にその神社について、相変わらず淡々とした口調で説明してくれた。
私が解らないことがあれば逐一、しっかり説明してくれるその真面目さと優しさは昔から少しも変わっていない。
頭1個分以上、私より背が高い真ちゃんをすぐ隣で見上げながら、私は嬉しくて笑みが零れてしまう。
「…さっきから何をニヤついている」
「別に、なんでもないよー」
怪訝な視線を向けられても私は懲りずに笑っていた。
嬉しいのを我慢する必要なんてどこにもない。
――本日晴天、今日は真ちゃんと湯島天神へおでかけだ。
□ □ □
春日通りを途中で左に曲がり、少し真っ直ぐ進んだところに石で出来た鳥居がある。
随分年季が入ったそこをくぐり抜けて、私たちは境内へと進んだ。
今年は早めに梅雨入りしたというのに、どういうわけか今日は雲1つない青空が広がり、気温も過ごしやすく、風が吹くと心地よい。
土曜日の昼間なので混んでいるかと思いきや、家族連れやカップル、お年寄りがチラホラいるだけで境内はとても静かだった。
空気も清々しく、ここが街の中にある場所だということを思わず忘れてしまう。
…癒されるなぁ。
ここに入るまで私に説明していた真ちゃんも、今は口を閉ざしている。
神社の神聖な空気で心身ともに浄化させているんだろうか。
横顔をチラリと盗み見れば相変わらず端正な顔立ちだった。
スクエア型の黒縁眼鏡のせいで、もともと知的な真ちゃんがさらに知的に見えた。
真ちゃんが1才の頃、私が隣へ引っ越してきたので、もう14年も隣人同士。
幼馴染として過ごし成長を見守り続けて14年――とうとうこんなにイケメンになってしまった。とても感慨深い。
あんなに小さかったのに背だってぐんぐん伸びちゃって、今じゃ私の方が大きかった時なんて遥か昔に思えた。
不意に真ちゃんがこちらを見たので目が合ってしまったけれど、私は今までの彼の成長過程を回想していたのをを誤魔化すように苦笑した。
「はじめて来たけどキレイな神社だね。もっと早く誘ってくれればよかったのに」
そう告げると真ちゃんは首を横に振って溜息をついた。
「休みがなかなか合わなかったから、仕方ないのだよ」
意地悪で言ったわけではないので別にショックとか受けたりはしない。彼の言う通りだ。
秀徳高校に入った今でも忙しいけれど、彼が忙しい日々を送るようになったのはもっと前からだ。
バスケの強豪校である帝光中に入学してから真ちゃんはますます本格的にバスケに打ち込んでいった。
私も高校に入ってからバイトや勉強に明け暮れていたので、なかなかゆっくりと二人でどこかへ行く機会がなかった。
その代わりに、私が真ちゃんの家へ押し掛けては部屋でお話したり寛いだりしていたので、わりと会っていた方だけども。
昔から隣の家で、家族同士も仲が良いので、遊びに行くのも真ちゃんの部屋に入るのも、我ながら遠慮がなかったなとは思う。
しかし、今日のおでかけは久々で、珍しくも彼が一週間前に誘ってきたのだ。
学校の体育館に業者点検が入るため土曜日の練習が中止になり1日オフになったそうで、湯島天神に行くから予定が会えば一緒に来るか、と。
もちろん、他ならぬ真ちゃんからのお誘いに私はその場ですぐにOKした。
そして本日、シュートの練習は毎日欠かせない真ちゃんは、朝早く起きてストリートコートで練習とトレーニングをこなしてから我が家の玄関先まで迎えに来てくれた。
毎日欠かさずなんて、本当にすごいなぁ。
キセキの世代と呼ばれる逸材で紛れもない才能を持ちながらも、真ちゃんに驕りも油断もなく、そんな努力家なところも私は尊敬している。
しかし、まさかデートのお誘いがあるなんて…嬉しくて楽しみで、わくわくして今日を迎えたのだ。
気合いをいれて普段着ないような余所行きの服を着てきてしまったぐらいだ。
幼馴染なので、パジャマ姿もジャージ姿もパッとしない普段着も既に見られているから、よほど鈍感でなければ今日、私がオシャレしてきたことぐらい真ちゃんにだってわかるだろう。
丸襟で薄ピンク色の清楚なワンピース。普段シュシュで束ねている髪も今日は下ろしてきた…けど、まだ、特に何も言われていない。
ちょっとくらいはドキドキしてくれていることを祈る。
少しでも意識して欲しくて。時々でいいから、ちゃんと女の子として見てくれているのかな。
□ □ □
参拝前に手水場に寄ると、真ちゃんは私がちゃんと覚えていないのを察して先に手順を追ってやってみせてくれた。
右手に柄杓を持ち、左手を洗い、左手に持ち替えて右手を洗い、右手で水をためて口をすすぐ。
さらに右手を洗い、先程口をすすいで吐き出したところに水をかけて流す…真ちゃんは慣れた感じでこなしていた。
さすが、参拝し慣れているようだ。
私はそれを見ながら真似をした。
左手を洗った時に指のテーピングが見えたので、相変わらずの徹底ぶりは変わってないのだなぁと安心した。
真ちゃんの得意とする3ポイントシュートは爪のかかり具合が重要だと言う。
日常でもその爪のケアは徹底しなければならないため、左手の指に常にテーピングを巻いているのだ。
手水場を左にして真っ直ぐ進むとすぐに参拝する場所に辿り着いた。
そのまま正面に立つと、真ちゃんは私の両肩を後ろから掴んで、体ごと右に移動させた。
「参拝において真正面はエネルギーが高すぎると言われている。左右どちらかに移動した方がいい」
「…真ちゃん、ホントによく知ってるんだねぇ。感心しちゃう」
「運気を纏う場所の作法だからな。知っていて当たり前だ」
私が正直に褒めてフフ、と笑うと真ちゃんは照れ隠しか、ゴホンと咳払いをした。
そして、二拝二拍一拝。それぐらいは私も知っている。決めてきたお願いは1つ。
――真ちゃんのいるチームがウィンターカップで優勝できますように。
もし私のお願いしたことを知られたら、『人が頼んだ運に頼って優勝できるほど甘くないのだよ』とか言われちゃうかな。
それは承知の上だ。真ちゃんもいつも言ってるじゃないか。
“人事は尽くした。あと要因があるとすれば“運だけ”だと。
その運の補正のために毎日のようにおは朝占いのラッキーアイテムを持ち歩いてるぐらい。
ならば、その“運の補正”とやらに私も少しでも力添え出来ますように。
ささやかだけれども、私にはそれぐらいしか出来ることがないから。
もし私が同じ学校にいたなら、マネージャーとして毎日、傍で支えてあげられるのになって何度も思った。
真ちゃんがバスケで忙しくなるほど、会える時間が限られ、その度に遠くに感じる。同い年だったらよかったのに。
学問の神様にウィンターカップ優勝のお願いなんてどうしたもんかって感じだけど、…まぁきっと、届くと信じるしかない。
真ちゃんは何をお願いしたのかな。
気になったけれど、聞きたいという好奇心は胸の内に押し留めて、私たちは参拝の後、境内を散歩した。
木の長椅子があったので、私がそこに腰掛けると、真ちゃんは少し間をおいた後「少しここで待っていろ」と言って、私が小さく頷いたのを確認してから、神社の入り口の方へ歩いていった。
彼を待っている間に、雲ひとつない青空に手の平を向けて、ぐぐっと力いっぱい背伸びをする。
時間がゆっくり流れていく感覚が心地よかった。周囲を見ると、和風庭園のような一角があり、そこの池には小さな亀がいた。
ふと亀と目が合ったような気がして、ほのぼのと和む。
親子連れや一眼レフで写真を撮っている人がチラホラいる程度で、とても静か。
穏やかな空気と神社の清らかさに心が癒されていくようだ。
五分も経たないうちに戻ってきた真ちゃんは、社務所で買ってきたものを私に見せてくれた。
「あ…、これ」
格言が書かれている、湯島天神の鉛筆。
特に、『自信は努力から』…なんて、すごく真ちゃんっぽい。
「テスト勉強前は俺はこの鉛筆を使っているんだが、だいぶ前からストックがなくなっていたところだ」
眼鏡のブリッジ部分を人差し指で上げて位置を調節しながら、彼はそう教えてくれた。
この鉛筆、見覚えのあるデザイン…それは当たり前のことだった。
真ちゃんが去年、この鉛筆を家まで届けに来てくれたことがあったからだ。
ちょうど夏休み前の、受験勉強が本格的にはじまる頃に。
自分も全中の試合を控えて忙しいはずなのに、私を励ましに来てくれたのだ。
格言鉛筆と真ちゃんの応援もあって、私は本来自分のレベルよりも高い大学に無事受かることが出来たのだ。
「去年、真ちゃんが私にくれた鉛筆のおかげで大学も受かったんだよ。ありがとうね」
「運を補正するアイテムを渡しただけだ。俺は何もしていない。受かったのはお前の努力の賜物なのだよ」
「そうやって誉めてくれるの、真ちゃんだけだよ」
喜びで胸がいっぱいになり、私が笑顔になると真ちゃんも控えめだけれども小さく微笑んだ。
あ、やっと今日はじめて笑ってくれた。
途端、花のつぼみが突然花を咲かせたみたいに、穏やかな空気に色がついて明るくなる。
心が、ときめきと共に温かくなる。
やはり、この気持ちは…間違いない。
久々のデートなのでおめかししたりドキドキしたり楽しみだったり。
それは“久々のおでかけだから”って以外にもちゃんと理由があった。
…真ちゃんを異性として意識してる。
顔に熱が昇りそうになって、なるべく平常心を保とうとしている私に、彼は手を差し伸べてきた。
キョトンとして固まっていると、座っている膝に乗せていた手を力強く掴んで私を椅子から立たせた。
さっさとしろ!、とでも言いたげに真ちゃんは私の手を引いたまま自分の方に引き寄せる。
その大胆さに心臓が高鳴っておさまらない。
手を繋ぐぐらい、小さい頃に何度もしてきたはずだから動揺することもないのに。
…でも、何だって、今、このタイミングで?
万が一にも、ドキドキが見透かされていたりして…なんて、結局、私の顔は紅潮してしまい真ちゃんに不思議そうな目を向をられてしまった。その類の視線をもらうのって、今日何回目だろう?
「何を赤くなっている」
「べ、別に!なんでもない…」
首をかしげて怪訝そうにしていたが、真ちゃんはまたすぐいつもの平静な表情に戻った。
「そろそろ正午になる。とりあえずここから出るぞ」
そのまま手を引かれて神社を出てから、私より一回り大きい手もすごく温かいことに気がついた。
実は緊張、してるのは私だけじゃなかったりして。そうだったらいい。真ちゃんも、私みたいに緊張してたらいいのに。
今日はすごくいい天気。
このまま帰るのは勿体ないと思ってたら、彼の方から『何か食べて帰るか』と言ってきてくれた。
以心伝心、なんて都合のいいように受け取って、私は元気よく返事をした。
今日、湯島天神まで誘われた時から考えていたことがある。
格言鉛筆を買うことだけが彼の目的だとしたら、別にいつだって一人でも行けただろうに。ストックがなくなったのを口実に私を誘ってくれた、とか…思っちゃったりして…。
ポジティブ思考も度が過ぎると幸せだなと我ながら自覚はしているが、その方が明るく生きられるのでよしとしておく。
隣の彼を見上げながらギュッと手を握ると、真ちゃんも顔を傾けて私の顔を覗き込むように見つめてきた。
「どうかしたか?」と、返事のような意図で手を握り返された。
眼鏡越しに見える下睫が何ともキレイで、羨ましい。並んでいて女の私の方が見劣りするぐらい、真ちゃんは綺麗だ。
「今日ってデートだよね?」
ほんの少し勇気を出して、私は尋ねた。
ドッドッ、と心臓の鼓動が早鐘を打ち、緊張が高まって唇が乾きそう。真ちゃんはため息をついた後、わざわざ立ち止まった。
そして、手は繋いだままでこう言い返してきたのだ。
「違うのか?」
私の頬がさらに紅く染まったのは言うまでもない。
恥ずかしがることもなくハッキリと告げた彼は、赤面することもなくいつものように涼しげな表情のままだ。
時々、この幼馴染みというポジションが贅沢過ぎて、心が震える。
この距離にいて、真ちゃんを好きにならないなんてその方がよっぽど不自然だ。これからきっと、秘めたる気持ちは今よりもっと大きく育っていつか告げる日が来るだろう。
大好きな真ちゃん、あなたの願いがどうか叶いますようにと、私はもう一度神様に祈るように目を閉じた。