短編・中編
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はじまりの福音
暑い夏が過ぎ、涼しい秋が訪れようとしている。
季節の変わり目の空気のいい香りがする頃、私が決まってやることは本屋で文庫本を数冊まとめ買いすることだ。過ごしやすい秋の夜長に読む用に数冊、表紙やあらすじを読んで気に入ったものを選んで購入するのだ。
最寄り駅の駅ビルの中に入っている大型本屋に寄ると、そこでふと見覚えのある青年とバッタリ――
「真ちゃん!」
緑色の髪、長身、見間違えるはずがないとその後ろ姿に声をかけると、彼は振り返った。
そもそもこの呼び方をする知り合いも少ないのだろう。声を聞いただけで振り返る前に私だと気づいていたようだった。
家が隣同士だというのに近所でもなかなか見かける事がなかったので、駅で会えるなんて嬉しい偶然だ。
久しぶり、と言うと、あぁ、と素っ気ない返事が帰ってきた。相変わらず愛想がないなぁと思って私は小さく笑った。
「…そんなに買うのか?」
真ちゃんは私の持ってる本を見て驚いた様子だ。
「うん、“読書の秋”が来るからね」
彼は黙って私の持っている文庫本のタイトルをまじまじと見つめると、そのうちの二冊を抜き出した。
わけもわからず小首を傾げていると、真ちゃんはスタスタと歩いていく。慌ててついていくと淡々と告げた。
「これなら俺も持っているから貸してやる。わざわざ買うのは勿体ないのだよ」
文庫本コーナーでその本を戻すと、真ちゃんは私が会計するまで待っていてくれた。愛想もないし口調も淡々としていても、昔と同じで行動は優しかった。あの頃と少しも変わっていない。
春から私は大学生に、真ちゃんは高校生になった。
私も通っていた秀徳高校に、今は真ちゃんが通っている。
子供のころは本当によく遊んでいたなぁ。私のが年上なのに彼の方がしっかりしていて、私が落ち込んでいるとよく励ましてくれた。思い出すと、心がくすぐったくなる。
□ □ □
久々に私たちは並んで歩き、帰りに真ちゃんの家に寄ることになった。リビングで紅茶をご馳走になってから二階の彼の部屋に向かい、私は本棚とにらめっこした。大きな本棚に沢山の本が並び、贅沢な時間だ。
「さっきのはここに置いておくぞ。他に読みたいものがあれば好きに持っていくといい」
私が買おうとしていた二冊を素早く本棚から選んで抜くと、真ちゃんは机に置いてくれた。彼の部屋は無駄なものがなくキレイに整頓されている。几帳面な性格がよくでている部屋だ。
本棚も整頓されていて見やすい。私は気になったタイトルの本を抜き出してパラッとめくってはまた戻し、それを数回繰り返しているうちに、借りたい本が何冊か見つかって本棚から取り出した。
「品揃いが多くてびっくりしたよ。真ちゃんも本とか読むんだねぇ…」
「その台詞、そっくりそのまま返してやる」
「えー、私だって本ぐらい読むよー」
相変わらず手厳しいことを言う真ちゃんに苦笑しながら、髪を耳にかけると、ふと、自分の爪が頬をひっかいてチクッと痛んだ。思わず「痛…」と小さく声を上げると、昨日爪を切ったときにやすりをかけるの忘れたんだったと今更気づく。慌てて持ち歩いてる小さな手鏡を見ると、頬に自分の爪の後が一筋…跡、すぐ消えてくれるかなぁ。
真ちゃんが私の様子を見て呆れた様子でため息をついた。一連の様子で全てを察したみたいだ。
「だからお前は甘いのだよ」
呆れられているのに、私はへらっと笑った。己の女子力の低さに力無く笑うばかりだ。
大学生になって驚いたことがある。大学にはキラキラしている女子がたくさんいる事だ。高校の頃は皆、ほとんど毎日同じ制服を着ているから変わり映えしなかったけど…何というか大学の景色は毎日新鮮。メイクもファッションも流行りものを着こなしてる子、爪もネイルサロンに通ってカラフルにしている子や、自分でマニキュアで塗ってキレイにしている子。
なのに私はというと爪には何も塗っておらず、その上、爪を切ったあとにヤスリをかけ忘れるぐらいだ。雑にもほどがる。
「手を貸せ」
突然、真ちゃんはどこからか爪ヤスリを取り出すと私の返事も待たず、手をぐいっと掴んだ。
そして黙って私の手を机において丁寧に私の爪を整えてくれる。
テーピングが巻かれた長い真ちゃんの指。
中学時代からだろうか、彼がシュートのために常日頃爪を保護するためにテーピングをしているのは。
また手が大きくなったかな、指が長くなったかな。男の子の成長はあっと言う間だ。小さい頃の真ちゃんの姿が頭に過ぎって懐かしくなった。
「真ちゃん優しいから、高校でもモテるでしょう」
「馬鹿な事を言うな。誰にでもこんなことをするものか」
その一言にドキ、としたけど私は何も返すことが出来なかった。
その意味を深く考えたら、今までずっと保たれてきた均衡が崩れそうな気がした。私の爪を整えおえて、真ちゃんはふっと息を吹きかけた。その心地よさに肩が少し震える。
「ありがとう」
お礼を言うと、真ちゃんの指が今度は私の頬の爪跡に触った。一本線で一筋、ひっかき傷。
無言で触れてきてジッと見つめるものだから、私は目を逸らした。ここで逸らしたことが逆効果だったか、真ちゃんはぐっと顔を近づけて私の頬の傷をまじまじと見つめてきた。こんなところに自分で傷をつけて、馬鹿め、とか思われてるのかな。
「こんなところに傷残ったら、お嫁にいけなくなっちゃう」
「すぐに消える」
「もし消えなかったら、その時は真ちゃんが私をお嫁に貰ってね」
「……俺は冗談が嫌いなのだよ」
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃない」
「何を言ってる。誰も嫌がってなどいない」
冗談めかして言ったつもりだったが、途端に二人の間の空気が変わった。真ちゃんを至近距離で見つめ返すと、会っていない間にまた一段と大人びた彼がいた。
整った目鼻立ち、白い肌、長い睫、眼鏡の奥の瞳の色は髪の色と同じ深い緑色。もう男の子じゃなくて、男の人だ。また心臓が高鳴りはじめる。おかしいなと思っても、鼓動は止まらない。
「さっきの言葉を本気にするぞ、という意味だ」
フッ、と意地悪そうに微笑むその表情にも、視線にも、私は顔を紅潮させるばかりで何も言えなかった。真ちゃんが、私を…お嫁さんの対象だと思っていたことに驚いているけれど、嬉しい気持ちも心でいっぱいになる。
私たちの『幼馴染』という関係は、少しずつ変化を遂げて、じきに終わりを告げるだろう。
暑い夏が過ぎ、涼しい秋が訪れようとしている。
季節の変わり目の空気のいい香りがする頃、私が決まってやることは本屋で文庫本を数冊まとめ買いすることだ。過ごしやすい秋の夜長に読む用に数冊、表紙やあらすじを読んで気に入ったものを選んで購入するのだ。
最寄り駅の駅ビルの中に入っている大型本屋に寄ると、そこでふと見覚えのある青年とバッタリ――
「真ちゃん!」
緑色の髪、長身、見間違えるはずがないとその後ろ姿に声をかけると、彼は振り返った。
そもそもこの呼び方をする知り合いも少ないのだろう。声を聞いただけで振り返る前に私だと気づいていたようだった。
家が隣同士だというのに近所でもなかなか見かける事がなかったので、駅で会えるなんて嬉しい偶然だ。
久しぶり、と言うと、あぁ、と素っ気ない返事が帰ってきた。相変わらず愛想がないなぁと思って私は小さく笑った。
「…そんなに買うのか?」
真ちゃんは私の持ってる本を見て驚いた様子だ。
「うん、“読書の秋”が来るからね」
彼は黙って私の持っている文庫本のタイトルをまじまじと見つめると、そのうちの二冊を抜き出した。
わけもわからず小首を傾げていると、真ちゃんはスタスタと歩いていく。慌ててついていくと淡々と告げた。
「これなら俺も持っているから貸してやる。わざわざ買うのは勿体ないのだよ」
文庫本コーナーでその本を戻すと、真ちゃんは私が会計するまで待っていてくれた。愛想もないし口調も淡々としていても、昔と同じで行動は優しかった。あの頃と少しも変わっていない。
春から私は大学生に、真ちゃんは高校生になった。
私も通っていた秀徳高校に、今は真ちゃんが通っている。
子供のころは本当によく遊んでいたなぁ。私のが年上なのに彼の方がしっかりしていて、私が落ち込んでいるとよく励ましてくれた。思い出すと、心がくすぐったくなる。
□ □ □
久々に私たちは並んで歩き、帰りに真ちゃんの家に寄ることになった。リビングで紅茶をご馳走になってから二階の彼の部屋に向かい、私は本棚とにらめっこした。大きな本棚に沢山の本が並び、贅沢な時間だ。
「さっきのはここに置いておくぞ。他に読みたいものがあれば好きに持っていくといい」
私が買おうとしていた二冊を素早く本棚から選んで抜くと、真ちゃんは机に置いてくれた。彼の部屋は無駄なものがなくキレイに整頓されている。几帳面な性格がよくでている部屋だ。
本棚も整頓されていて見やすい。私は気になったタイトルの本を抜き出してパラッとめくってはまた戻し、それを数回繰り返しているうちに、借りたい本が何冊か見つかって本棚から取り出した。
「品揃いが多くてびっくりしたよ。真ちゃんも本とか読むんだねぇ…」
「その台詞、そっくりそのまま返してやる」
「えー、私だって本ぐらい読むよー」
相変わらず手厳しいことを言う真ちゃんに苦笑しながら、髪を耳にかけると、ふと、自分の爪が頬をひっかいてチクッと痛んだ。思わず「痛…」と小さく声を上げると、昨日爪を切ったときにやすりをかけるの忘れたんだったと今更気づく。慌てて持ち歩いてる小さな手鏡を見ると、頬に自分の爪の後が一筋…跡、すぐ消えてくれるかなぁ。
真ちゃんが私の様子を見て呆れた様子でため息をついた。一連の様子で全てを察したみたいだ。
「だからお前は甘いのだよ」
呆れられているのに、私はへらっと笑った。己の女子力の低さに力無く笑うばかりだ。
大学生になって驚いたことがある。大学にはキラキラしている女子がたくさんいる事だ。高校の頃は皆、ほとんど毎日同じ制服を着ているから変わり映えしなかったけど…何というか大学の景色は毎日新鮮。メイクもファッションも流行りものを着こなしてる子、爪もネイルサロンに通ってカラフルにしている子や、自分でマニキュアで塗ってキレイにしている子。
なのに私はというと爪には何も塗っておらず、その上、爪を切ったあとにヤスリをかけ忘れるぐらいだ。雑にもほどがる。
「手を貸せ」
突然、真ちゃんはどこからか爪ヤスリを取り出すと私の返事も待たず、手をぐいっと掴んだ。
そして黙って私の手を机において丁寧に私の爪を整えてくれる。
テーピングが巻かれた長い真ちゃんの指。
中学時代からだろうか、彼がシュートのために常日頃爪を保護するためにテーピングをしているのは。
また手が大きくなったかな、指が長くなったかな。男の子の成長はあっと言う間だ。小さい頃の真ちゃんの姿が頭に過ぎって懐かしくなった。
「真ちゃん優しいから、高校でもモテるでしょう」
「馬鹿な事を言うな。誰にでもこんなことをするものか」
その一言にドキ、としたけど私は何も返すことが出来なかった。
その意味を深く考えたら、今までずっと保たれてきた均衡が崩れそうな気がした。私の爪を整えおえて、真ちゃんはふっと息を吹きかけた。その心地よさに肩が少し震える。
「ありがとう」
お礼を言うと、真ちゃんの指が今度は私の頬の爪跡に触った。一本線で一筋、ひっかき傷。
無言で触れてきてジッと見つめるものだから、私は目を逸らした。ここで逸らしたことが逆効果だったか、真ちゃんはぐっと顔を近づけて私の頬の傷をまじまじと見つめてきた。こんなところに自分で傷をつけて、馬鹿め、とか思われてるのかな。
「こんなところに傷残ったら、お嫁にいけなくなっちゃう」
「すぐに消える」
「もし消えなかったら、その時は真ちゃんが私をお嫁に貰ってね」
「……俺は冗談が嫌いなのだよ」
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃない」
「何を言ってる。誰も嫌がってなどいない」
冗談めかして言ったつもりだったが、途端に二人の間の空気が変わった。真ちゃんを至近距離で見つめ返すと、会っていない間にまた一段と大人びた彼がいた。
整った目鼻立ち、白い肌、長い睫、眼鏡の奥の瞳の色は髪の色と同じ深い緑色。もう男の子じゃなくて、男の人だ。また心臓が高鳴りはじめる。おかしいなと思っても、鼓動は止まらない。
「さっきの言葉を本気にするぞ、という意味だ」
フッ、と意地悪そうに微笑むその表情にも、視線にも、私は顔を紅潮させるばかりで何も言えなかった。真ちゃんが、私を…お嫁さんの対象だと思っていたことに驚いているけれど、嬉しい気持ちも心でいっぱいになる。
私たちの『幼馴染』という関係は、少しずつ変化を遂げて、じきに終わりを告げるだろう。