短編・中編
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“また今度”は言わないで
予期せぬ運が回ってきたものだと、つくづく思う。
春になって合格した第一志望の大学に通い、友達もそこそこできて、新しいバイトも決まった春。順風満帆と呼べる日常に“彼”は入りこんできた。それはまさに晴天の霹靂。
「琴音先輩!」
海常バスケ部の練習中――ちょうど休憩時間に入り、部員達はドリンクを飲んだりストレッチしたりと各々の時間を過ごしていた。
体育館の入り口に私が立っているのを見つけるなり、黄瀬くんは尻尾を振った人懐っこい犬のようにこちらに走って来る。
『琴音先輩』と呼ぶのは、どうやら黄瀬くんはうちの大学を志望してるから、とのこと。まだ高校一年生なのに決めるの早すぎない?って思ったけど、確かにうちの大学のバスケ部は強豪校だ。卒業生からプロチームで活躍してる人も居るらしい。数年先、黄瀬くんならスポーツ推薦を受けることも出来るだろうと思った。
初めて見るわけじゃないのに、いつもこのバスケ部が使用している体育館を見ると広くてきれいだなと感心してしまう。さすが、運動部に力を入れてる私立の高校だ。校内も広いし設備も整っている。
体育館内を一瞥した後、目の前の人物に視線を戻しせば、待ってました!と言わんばかりの満面の笑み。まるでご主人を待っていたワンコのようだ。でも私は黄瀬くんの御主人じゃない。強いて言うなら、リードを握る御主人は笠松くんでは?と思った。
「オレの練習見に来てくれたの?」
「ううん。監督に届け物しにきただけだよ」
「えぇーー……」
嘘をついても仕方ないので正直に告げると、黄瀬くんはガックリと項垂れた。期待していた返事ができず申し訳ないけれど、用事があってここにきたのは事実だ。
入学当初からお世話になっている大学の先生がバスケ部の顧問も務めていて、武内監督と親しくしているらしい。情報交換や練習試合を組むために、時々こうして資料を渡し合ったりしているようだ。メールやネットが普及した今でもこうして紙媒体の資料を…、よく言えば古風なやりとりだけど、正直言うと面倒くさい。大学からも歩いて来れる距離だし散歩がてらに…と、最初に小間使いを請け負ったのがはじまりだった。それからというもの、決まって私に頼むようになってしまった。これからもお世話になる先生の頼みごとだし、課題に切羽詰まった際には先生の恩恵を受ける日が来ないとも限らない。結局断る理由もなく、こうして頼まれる度にこの体育館に来ているのだ。
「この後ミニゲームやるんで見てって欲しいっス」
「うーん、…じゃあ見ていこうかな」
頷くと黄瀬くんは嬉しそうに笑った。さっきまでしょげていたワンコが、耳がピンとなってまた元気になった…そんな感じ。どうしても犬に例えるとしっくり来る。
「ミニゲーム終わったら今日の練習終わりなんで、その後、俺とお茶でも――」
「それはいいや。また今後」
続きの言葉を一刀両断するかのようにバッサリとNOを告げると、黄瀬くんは再び項垂れていた。もちろん、彼と話してるってだけでファンの子から注目をあびてしまっているので、周囲には聞こえないぐらいの声量で断った。しょんぼりしたり、元気になったり、またしょんぼりしたり、本当にころころと表情が変わる子だ。不貞腐れるように小さく唸ってから、黄瀬くんは悲し気な視線を私に向けた。
「今度今度って、その今度はいつ来るんスか?」
一瞬、彼のハの字になった眉毛をまじまじと見つめてたら自然と笑い声が漏れてしまう。どうだろうねと誤魔化してから、渡すように頼まれた資料を監督のところへ持って行った。こちらの監督にも気に入られてしまいマネージャーにとスカウトされたが、誘われる度に断っている。…っていうか、海常高校の学生じゃないですけど?外部マネージャーってこと?武内監督の熱意に圧倒されつつも、『また今度』とか『機会があれば』とか。黄瀬くんにも監督にも、のらりくらりと同じ断り方をしていた。
元帝光中のキセキの世代の一人で、今は海常高校バスケ部のエース。モデルもこなすスーパーイケメン。今日もミニゲームが始まればファンの子たちの黄色い声援が彼に送られた。賑やかな声を聞きつつ、思考を巡らせる。どこからどう見ても『彼女に不自由してないタイプ』であろう彼が、私をお茶やら映画やらに誘いはじめたキッカケは、些細なことだった。
一ヶ月前、彼が落とした携帯を私が偶然拾ってバスケ部まで届けに行った。待ち受け画面が、黄瀬くんとそのお友達が写った写真になっていたから、十中八九これは黄瀬くんの物だと気づいたのだ。
キセキの世代の彼は、うちの大学でも噂になるほど有名なので存在は知っていた。海常高校周辺にある大学のバスケ部も、こぞって黄瀬くんを獲得したいに違いない。
本人を目の当たりにした時、想像していた以上にイケメンで背も高いし、現役モデルをこなしてるのも納得だった。携帯が見つかってすごく安心した様子を見せ、受け取った後に何度もお礼を告げられたのを鮮明に覚えてる。
『よかったらお礼にお茶でもどうスか?』
彼の誘いに、私は真向から断った。それが彼の勘に触ったのだろうか。“今までオレ女の子にフラれたことなかったんスよ!?”って、口をへの字にして慌てていた。そんな顔をしてもイケメンはイケメンだった。お茶を断られたぐらいでフラれた事にカウントされるのかどうかは知らないが、たじろいでしまった。断ったことに他意はない。本当に社交辞令だと思ったのだ。それに、その日は夕方からバイトもあったし、お茶に誘われてもどのみち都合がつかなかったのも事実。
……こうして、偶然にも監督に資料を渡しにくる度に何かと誘われるようになってしまった。彼にとっては“リベンジ”のつもりなのだろう。断られたことが勘に障って躍起になって誘っているだけで、「私」だから誘っているわけじゃない。あのやりとりはお決まりのお遊びのやりとりみたいなもので、思い上がれば恥をかくのはこちらだと、自分の中でそう言い聞かせなければ、あんな年下イケメンの誘いを断れるはずなかった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
ミニゲームは黄瀬くんがいるチームが勝利した。
相手チームには主将の笠松くんもいたので、なかなかいい試合になり、点差を引き離しての圧勝というわけではなかったが。豪快にダンクを決めた瞬間、ファン立ちの黄色い声援が一際大きく体育館に響き渡った。勢いよく踏み切って高く跳躍、そこからのダンクは息を飲むほど圧巻だった。さすがキセキの世代。監督自らスカウトしに行った逸材。選手の中でも頭一つ分抜きん出てる実力と潜在能力を秘めているのは、素人目でも理解出来た。
「オレの活躍見てくれた?」
「うん、見てたよ」
――何故か部活帰り、私は黄瀬くんと並んで歩いて一緒に帰っていた。ミニゲームを見終わってから校門まで向かって歩いたとき、後ろから黄瀬くんが追いかけてきたのだ。『校門で待ってて!すぐ行くから!』と一方的に告げられた。テンションが上がっていたのか、勢いに押されて私は思わず黙ってしまい、いつものように断ることができなかった。
断ることができなかったくせに無視するのもバツが悪いので、校門で待機して……今に至るというわけだ。
「活躍、すごかったね。思わずキャーキャー言っちゃったよ」
「歓声上げてたのオレのファンの子たちっスよね?」
「きゃあきゃあ~」
「今言ってもダメっスよ!しかも棒読み!」
「だって、私まで歓声あげたらファンみたいじゃない」
「琴音先輩が俺のファンになってくれたら、すげー嬉しいんだけど」
「……会費とかある?」
「ないっスよ!どこ気にしてんスか」
そんなくだらない会話をしつつ、並んで歩く帰り道。さりげなく、黄瀬くんは私の歩幅に合わせてくれてる。和やかな空気が漂う中、内心ヒヤヒヤしてる。こんな場面、ファンの子に見られたりとか考えると悪寒が走る。相手は黄瀬くんなのだ。そんなことはお構いなしに彼はニコニコしながら話しかけてくるし。
「まだ明るいし、このままどこも寄り道しないなんてもったいっスよ」
「お茶ならまた今度」
「今度っていつ?来週、再来週?」
「そんな先の予定なんてわからないよ」
「じゃあ次の土曜日オフなんで、映画はどうスか?」
「はいはい、またね」
並んで歩いていたはずの彼の足が止まり、私は黄瀬くんを追い抜いて数歩進んだ。立ち止まって振り返ると、立て続けに断られて相当落ち込んでいるのか、彼は下を向いてため息をついていた。
……どこま本気なんだろう?
このやりとりはお遊びのつもりでいたけど、実はそうじゃなかったとしたら?いや、そんなはずはない。だって、生まれてから女の子にフラれたことがない彼にとって、私にOKをもらうことがリベンジのはずだ。
そろそろ、それに応えてあげてもいいだろうか。しかし一度応えてしまったら、そこで終わりだ。あのお決まりのやりとりはもうなくなる。それは少しだけ、寂しい気もする。
いい返事が貰えず、暗い面持ちの黄瀬くんが立ってるところまで戻って私は静かな声色で告げた。
「じゃあ、お茶しようか」
「えっ!」
「最初で最後になるけど」
途端、パッと明るい表情になった黄瀬くんだったが、付け足したセリフを聞いて何とも微妙な表情のまま固まっていた。…と思えば、私の言葉の意味を真に理解しかたのように頷くと、悲しい眼差しになって大きなため息をついた。それを見て不思議に思う。
どうして?OKしたのに喜んでくれないの?だって、これで彼がフラれたという履歴は消えるわけだし、リベンジが叶ったのになぜそんな悲しい目で見つめるのか、わからない。
「ひとつ確認したいことがあるんだけどさ」
なぁに?と小首を傾げると、黄瀬くんは照れたような表情を見せて視線を一瞬だけ逸らした。
「フラられたのが悔しくてオレがヤケになって誘い続けてる…、とか思ってる?」
「え、違うの?これってリベンジじゃないの?断られた雪辱を果たす為の……」
「雪辱!?ちょっ、ひどっ!マジでそんなこと思ってたの!?琴音先輩の中でオレどんだけひどい奴なんスかぁ…」
私よりも頭ひとつ分以上背が大きいイケメンが、今にも泣きそうになって眉毛をハの字にしている。こんな往来で。
「誘われて、断って…ってあの流れはお決まりのやりとりっていうか、最初っから社交辞令だと思ってたし……」
しどろもどろ言い訳を並べても、黄瀬くんは泣き真似して目を手の甲でこすっていたので、「ごめん」と口から自然に謝罪の言葉が出てきてしまった。本当に泣いてるワケではないだろうけど、彼が相当ショックを受けているのは事実だ。
「確かにはじめて会ったあの日は社交辞令だったよ?でもそれ以降は違う。琴音先輩のことが気になってるから誘い続けたんじゃないスか。まさか全然わかってなかったとか…」
「だって黄瀬くんみたいなイケメンからの誘い、間に受けるなんておごかましいじゃない」
「初っ端から断ってた人が何言ってんスか!」
この問答はどこまでいっても無意味だろう、ということはお互いが察していた。黄瀬くんの気持ちは私には伝わらず、ずっと思い違いをしていたようだ。今までのお誘いはすべて本気だったとして、『また今度』とひらりひらりとかわして続け、とても失礼なことをしていたらしい。
「それに、一度でもOKしたらそれっきりで、もう誘ってもらえなくなっちゃうと思ってたから――」
そこまで言いかけて次の言葉が出てこなかったのは、視線が重なり彼の目が大きく見開いたからだ。互いに何かに気づいてしまった。そんな感じだった。
口を押さえて黙るも、みるみる顔が紅潮していくのが自分でもわかった。言葉にしたことで今、気づいた。社交辞令として誘われることも、あのお決まりのやりとりも楽しみにしていたのは自分だったって事。だからそれは、つまり、知らず知らずのうちに――
しばらく沈黙が走ったが、先に動いたのは彼の方だった。黄瀬くんは私の手を強引につかむと踵を返して、今来た道を引き返しはじめた。力強く掴まれているので振りほどくのは難しそうだ。
「ここから少し歩くし駅から離れるけど、オシャレなカフェがあるんスよ。この時間ならもう学生もいないしゆっくり話出来るし、そこのケーキセットがなかなか美味しくて、あの…だから…」
早口になる黄瀬くんが動揺しているのが、伝わって来た。勘がいいというのは時には損をするだろう。全部言わなくたって、相手の気持ちが理解できてしまうから。私の顔の紅潮のせいで、全てが見透かされてしまったと思っていて間違いない。今頃になって心臓が高鳴りだすなんて、遅いにも程がある。
平凡な日常の中で、光り輝く存在。黄瀬くんが本気になったら、最初から勝ち目がなかったのかも。
私の手を引いて歩くばかりでこちらを振り返ろうとしない彼の耳が、チラリと髪の毛の間から覗いた時、赤くなっているのに気がついた。なるほど。こちらを振り向けないわけだ。私だけが完全に負かされれたわけではないみたい。
「……“また今度”はもう聞きたくないっスよ」
黄瀬くんは一度立ち止まって、振り向かないまま一言呟いた。少しだけ拗ねたような声。普段の、明るく元気な黄瀬くんからは想像できない。十六才の年相応なかわいい男の子が、私の手をぐっと自分の方へ引き寄せた。引き寄せられた反動で、額がコツンと黄瀬くんの腕に当たった。女の子に扱いに慣れているはずの彼らしからぬ不器用な行動に、込みあげてきたものが我慢できずふっと笑みが零れた。
『もう、言わないよ』って伝えたら、彼は安堵の息をついて、それから満面の笑みで振り向いた。あぁ、よかったと胸を撫でおろす。いつも見ていた、太陽のみたいな笑顔がそこにあった。
予期せぬ運が回ってきたものだと、つくづく思う。
春になって合格した第一志望の大学に通い、友達もそこそこできて、新しいバイトも決まった春。順風満帆と呼べる日常に“彼”は入りこんできた。それはまさに晴天の霹靂。
「琴音先輩!」
海常バスケ部の練習中――ちょうど休憩時間に入り、部員達はドリンクを飲んだりストレッチしたりと各々の時間を過ごしていた。
体育館の入り口に私が立っているのを見つけるなり、黄瀬くんは尻尾を振った人懐っこい犬のようにこちらに走って来る。
『琴音先輩』と呼ぶのは、どうやら黄瀬くんはうちの大学を志望してるから、とのこと。まだ高校一年生なのに決めるの早すぎない?って思ったけど、確かにうちの大学のバスケ部は強豪校だ。卒業生からプロチームで活躍してる人も居るらしい。数年先、黄瀬くんならスポーツ推薦を受けることも出来るだろうと思った。
初めて見るわけじゃないのに、いつもこのバスケ部が使用している体育館を見ると広くてきれいだなと感心してしまう。さすが、運動部に力を入れてる私立の高校だ。校内も広いし設備も整っている。
体育館内を一瞥した後、目の前の人物に視線を戻しせば、待ってました!と言わんばかりの満面の笑み。まるでご主人を待っていたワンコのようだ。でも私は黄瀬くんの御主人じゃない。強いて言うなら、リードを握る御主人は笠松くんでは?と思った。
「オレの練習見に来てくれたの?」
「ううん。監督に届け物しにきただけだよ」
「えぇーー……」
嘘をついても仕方ないので正直に告げると、黄瀬くんはガックリと項垂れた。期待していた返事ができず申し訳ないけれど、用事があってここにきたのは事実だ。
入学当初からお世話になっている大学の先生がバスケ部の顧問も務めていて、武内監督と親しくしているらしい。情報交換や練習試合を組むために、時々こうして資料を渡し合ったりしているようだ。メールやネットが普及した今でもこうして紙媒体の資料を…、よく言えば古風なやりとりだけど、正直言うと面倒くさい。大学からも歩いて来れる距離だし散歩がてらに…と、最初に小間使いを請け負ったのがはじまりだった。それからというもの、決まって私に頼むようになってしまった。これからもお世話になる先生の頼みごとだし、課題に切羽詰まった際には先生の恩恵を受ける日が来ないとも限らない。結局断る理由もなく、こうして頼まれる度にこの体育館に来ているのだ。
「この後ミニゲームやるんで見てって欲しいっス」
「うーん、…じゃあ見ていこうかな」
頷くと黄瀬くんは嬉しそうに笑った。さっきまでしょげていたワンコが、耳がピンとなってまた元気になった…そんな感じ。どうしても犬に例えるとしっくり来る。
「ミニゲーム終わったら今日の練習終わりなんで、その後、俺とお茶でも――」
「それはいいや。また今後」
続きの言葉を一刀両断するかのようにバッサリとNOを告げると、黄瀬くんは再び項垂れていた。もちろん、彼と話してるってだけでファンの子から注目をあびてしまっているので、周囲には聞こえないぐらいの声量で断った。しょんぼりしたり、元気になったり、またしょんぼりしたり、本当にころころと表情が変わる子だ。不貞腐れるように小さく唸ってから、黄瀬くんは悲し気な視線を私に向けた。
「今度今度って、その今度はいつ来るんスか?」
一瞬、彼のハの字になった眉毛をまじまじと見つめてたら自然と笑い声が漏れてしまう。どうだろうねと誤魔化してから、渡すように頼まれた資料を監督のところへ持って行った。こちらの監督にも気に入られてしまいマネージャーにとスカウトされたが、誘われる度に断っている。…っていうか、海常高校の学生じゃないですけど?外部マネージャーってこと?武内監督の熱意に圧倒されつつも、『また今度』とか『機会があれば』とか。黄瀬くんにも監督にも、のらりくらりと同じ断り方をしていた。
元帝光中のキセキの世代の一人で、今は海常高校バスケ部のエース。モデルもこなすスーパーイケメン。今日もミニゲームが始まればファンの子たちの黄色い声援が彼に送られた。賑やかな声を聞きつつ、思考を巡らせる。どこからどう見ても『彼女に不自由してないタイプ』であろう彼が、私をお茶やら映画やらに誘いはじめたキッカケは、些細なことだった。
一ヶ月前、彼が落とした携帯を私が偶然拾ってバスケ部まで届けに行った。待ち受け画面が、黄瀬くんとそのお友達が写った写真になっていたから、十中八九これは黄瀬くんの物だと気づいたのだ。
キセキの世代の彼は、うちの大学でも噂になるほど有名なので存在は知っていた。海常高校周辺にある大学のバスケ部も、こぞって黄瀬くんを獲得したいに違いない。
本人を目の当たりにした時、想像していた以上にイケメンで背も高いし、現役モデルをこなしてるのも納得だった。携帯が見つかってすごく安心した様子を見せ、受け取った後に何度もお礼を告げられたのを鮮明に覚えてる。
『よかったらお礼にお茶でもどうスか?』
彼の誘いに、私は真向から断った。それが彼の勘に触ったのだろうか。“今までオレ女の子にフラれたことなかったんスよ!?”って、口をへの字にして慌てていた。そんな顔をしてもイケメンはイケメンだった。お茶を断られたぐらいでフラれた事にカウントされるのかどうかは知らないが、たじろいでしまった。断ったことに他意はない。本当に社交辞令だと思ったのだ。それに、その日は夕方からバイトもあったし、お茶に誘われてもどのみち都合がつかなかったのも事実。
……こうして、偶然にも監督に資料を渡しにくる度に何かと誘われるようになってしまった。彼にとっては“リベンジ”のつもりなのだろう。断られたことが勘に障って躍起になって誘っているだけで、「私」だから誘っているわけじゃない。あのやりとりはお決まりのお遊びのやりとりみたいなもので、思い上がれば恥をかくのはこちらだと、自分の中でそう言い聞かせなければ、あんな年下イケメンの誘いを断れるはずなかった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
ミニゲームは黄瀬くんがいるチームが勝利した。
相手チームには主将の笠松くんもいたので、なかなかいい試合になり、点差を引き離しての圧勝というわけではなかったが。豪快にダンクを決めた瞬間、ファン立ちの黄色い声援が一際大きく体育館に響き渡った。勢いよく踏み切って高く跳躍、そこからのダンクは息を飲むほど圧巻だった。さすがキセキの世代。監督自らスカウトしに行った逸材。選手の中でも頭一つ分抜きん出てる実力と潜在能力を秘めているのは、素人目でも理解出来た。
「オレの活躍見てくれた?」
「うん、見てたよ」
――何故か部活帰り、私は黄瀬くんと並んで歩いて一緒に帰っていた。ミニゲームを見終わってから校門まで向かって歩いたとき、後ろから黄瀬くんが追いかけてきたのだ。『校門で待ってて!すぐ行くから!』と一方的に告げられた。テンションが上がっていたのか、勢いに押されて私は思わず黙ってしまい、いつものように断ることができなかった。
断ることができなかったくせに無視するのもバツが悪いので、校門で待機して……今に至るというわけだ。
「活躍、すごかったね。思わずキャーキャー言っちゃったよ」
「歓声上げてたのオレのファンの子たちっスよね?」
「きゃあきゃあ~」
「今言ってもダメっスよ!しかも棒読み!」
「だって、私まで歓声あげたらファンみたいじゃない」
「琴音先輩が俺のファンになってくれたら、すげー嬉しいんだけど」
「……会費とかある?」
「ないっスよ!どこ気にしてんスか」
そんなくだらない会話をしつつ、並んで歩く帰り道。さりげなく、黄瀬くんは私の歩幅に合わせてくれてる。和やかな空気が漂う中、内心ヒヤヒヤしてる。こんな場面、ファンの子に見られたりとか考えると悪寒が走る。相手は黄瀬くんなのだ。そんなことはお構いなしに彼はニコニコしながら話しかけてくるし。
「まだ明るいし、このままどこも寄り道しないなんてもったいっスよ」
「お茶ならまた今度」
「今度っていつ?来週、再来週?」
「そんな先の予定なんてわからないよ」
「じゃあ次の土曜日オフなんで、映画はどうスか?」
「はいはい、またね」
並んで歩いていたはずの彼の足が止まり、私は黄瀬くんを追い抜いて数歩進んだ。立ち止まって振り返ると、立て続けに断られて相当落ち込んでいるのか、彼は下を向いてため息をついていた。
……どこま本気なんだろう?
このやりとりはお遊びのつもりでいたけど、実はそうじゃなかったとしたら?いや、そんなはずはない。だって、生まれてから女の子にフラれたことがない彼にとって、私にOKをもらうことがリベンジのはずだ。
そろそろ、それに応えてあげてもいいだろうか。しかし一度応えてしまったら、そこで終わりだ。あのお決まりのやりとりはもうなくなる。それは少しだけ、寂しい気もする。
いい返事が貰えず、暗い面持ちの黄瀬くんが立ってるところまで戻って私は静かな声色で告げた。
「じゃあ、お茶しようか」
「えっ!」
「最初で最後になるけど」
途端、パッと明るい表情になった黄瀬くんだったが、付け足したセリフを聞いて何とも微妙な表情のまま固まっていた。…と思えば、私の言葉の意味を真に理解しかたのように頷くと、悲しい眼差しになって大きなため息をついた。それを見て不思議に思う。
どうして?OKしたのに喜んでくれないの?だって、これで彼がフラれたという履歴は消えるわけだし、リベンジが叶ったのになぜそんな悲しい目で見つめるのか、わからない。
「ひとつ確認したいことがあるんだけどさ」
なぁに?と小首を傾げると、黄瀬くんは照れたような表情を見せて視線を一瞬だけ逸らした。
「フラられたのが悔しくてオレがヤケになって誘い続けてる…、とか思ってる?」
「え、違うの?これってリベンジじゃないの?断られた雪辱を果たす為の……」
「雪辱!?ちょっ、ひどっ!マジでそんなこと思ってたの!?琴音先輩の中でオレどんだけひどい奴なんスかぁ…」
私よりも頭ひとつ分以上背が大きいイケメンが、今にも泣きそうになって眉毛をハの字にしている。こんな往来で。
「誘われて、断って…ってあの流れはお決まりのやりとりっていうか、最初っから社交辞令だと思ってたし……」
しどろもどろ言い訳を並べても、黄瀬くんは泣き真似して目を手の甲でこすっていたので、「ごめん」と口から自然に謝罪の言葉が出てきてしまった。本当に泣いてるワケではないだろうけど、彼が相当ショックを受けているのは事実だ。
「確かにはじめて会ったあの日は社交辞令だったよ?でもそれ以降は違う。琴音先輩のことが気になってるから誘い続けたんじゃないスか。まさか全然わかってなかったとか…」
「だって黄瀬くんみたいなイケメンからの誘い、間に受けるなんておごかましいじゃない」
「初っ端から断ってた人が何言ってんスか!」
この問答はどこまでいっても無意味だろう、ということはお互いが察していた。黄瀬くんの気持ちは私には伝わらず、ずっと思い違いをしていたようだ。今までのお誘いはすべて本気だったとして、『また今度』とひらりひらりとかわして続け、とても失礼なことをしていたらしい。
「それに、一度でもOKしたらそれっきりで、もう誘ってもらえなくなっちゃうと思ってたから――」
そこまで言いかけて次の言葉が出てこなかったのは、視線が重なり彼の目が大きく見開いたからだ。互いに何かに気づいてしまった。そんな感じだった。
口を押さえて黙るも、みるみる顔が紅潮していくのが自分でもわかった。言葉にしたことで今、気づいた。社交辞令として誘われることも、あのお決まりのやりとりも楽しみにしていたのは自分だったって事。だからそれは、つまり、知らず知らずのうちに――
しばらく沈黙が走ったが、先に動いたのは彼の方だった。黄瀬くんは私の手を強引につかむと踵を返して、今来た道を引き返しはじめた。力強く掴まれているので振りほどくのは難しそうだ。
「ここから少し歩くし駅から離れるけど、オシャレなカフェがあるんスよ。この時間ならもう学生もいないしゆっくり話出来るし、そこのケーキセットがなかなか美味しくて、あの…だから…」
早口になる黄瀬くんが動揺しているのが、伝わって来た。勘がいいというのは時には損をするだろう。全部言わなくたって、相手の気持ちが理解できてしまうから。私の顔の紅潮のせいで、全てが見透かされてしまったと思っていて間違いない。今頃になって心臓が高鳴りだすなんて、遅いにも程がある。
平凡な日常の中で、光り輝く存在。黄瀬くんが本気になったら、最初から勝ち目がなかったのかも。
私の手を引いて歩くばかりでこちらを振り返ろうとしない彼の耳が、チラリと髪の毛の間から覗いた時、赤くなっているのに気がついた。なるほど。こちらを振り向けないわけだ。私だけが完全に負かされれたわけではないみたい。
「……“また今度”はもう聞きたくないっスよ」
黄瀬くんは一度立ち止まって、振り向かないまま一言呟いた。少しだけ拗ねたような声。普段の、明るく元気な黄瀬くんからは想像できない。十六才の年相応なかわいい男の子が、私の手をぐっと自分の方へ引き寄せた。引き寄せられた反動で、額がコツンと黄瀬くんの腕に当たった。女の子に扱いに慣れているはずの彼らしからぬ不器用な行動に、込みあげてきたものが我慢できずふっと笑みが零れた。
『もう、言わないよ』って伝えたら、彼は安堵の息をついて、それから満面の笑みで振り向いた。あぁ、よかったと胸を撫でおろす。いつも見ていた、太陽のみたいな笑顔がそこにあった。