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初恋メランコリー
►木兎
見慣れた桜の木を前に、安堵する感覚。やはり四季の中でも春が一番好きだ。あたたかな陽気と共に訪れる、美しい風景に心癒され、目前に広がる桜並木に改めて感嘆していた。
私立梟谷学園高校では単位認定可能な留学制度があり、私は高二の一年間をカナダで過ごしていた。
語学も学びながら海外での生活を体験し、経験を豊かにしてくれる機会なんて滅多にないチャンス。将来は英語に携わる職業に就きたい。その糧になるならと意を決し、両親を説得して申し込んだのは正解だった。
高校二年生の間をカナダで過ごし、日本に帰って来たらすぐに三年生となり、再び卒業までの時間を過ごす――今日がその初日だ。
ほんの一年間通わなくなっただけで懐かしく感じる校門を抜けると、自然と気分が高揚した。春特有の浮足立つ空気がそうさせるのか。夏が過ぎれば大学受験に向けて気を引き締めざるを得なくなるのだから、今のうちだけだ。
一年の頃、マネージャーとして入部していたバレー部にも再び入部することになった。強豪校のバレー部のマネージャーが欠員することは、純粋にサポート力が減ることに直結する。部に迷惑をかけてしまうというのに、頑張ってきなよと部員達は明るく送り出してくれた。
『汐見が戻って来る頃、俺達は卒業してるけど、戻って来たらまた頼むよ』と、当時三年生の主将も気遣って声を掛けてくれたのを覚えてる。私が不在の間も、休部という形で所属扱いしてくれたことも嬉しかった。
留学中もマネ仲間からはバレー部の近況は聞いていて、『エースの素質がある新入生が入って来た!』という良い知らせを聞いたのも、もう一年前の事だ。
例年、部活は始業式の翌日から始まる。
復帰届を書いて顧問の先生に渡し、体育館へ向かう途中で見知った同級生を見かけてほっと胸を撫でおろす。ただ、見知った顔は同級生のみで、現二年生は会ったことがないので誰も知らない状態だ。加えて、今日から新入生が入部して来る日。強豪校ということもあって中学で活躍していた選手も多く入部して来る。スポーツ推薦で入学してきた子も勿論いるはずだ。
更衣室でジャージに着替えて、主将のホイッスルで集合した部員達の前にズラリと並んだ一年生の隣に、私も並んだ。新入生の初々しい挨拶の後、最後に私の順番がきた。
「三年二組、汐見琴音です。一年生の時にマネージャーとして所属してました。二年の時はカナダへ留学していたのでブランクが一年ありますが、また新たな気持ちで頑張ります」
初対面の子のが多くて緊張するなぁと、細く息を吐く。
顔を上げると、刺すような視線を感じて肌が粟立ち背筋がゾクリと震えた。
三年の後列に並ぶ二年生の中でも、くっきりとした顔立ちが目を引く青年が一人。グレーの前髪はツンと上へ向いて、露わになった額に凛々しい眉毛が、ぐあっと眉間に皺を寄せて主張していた。
髪色よりも一際目立つ色。満月を彷彿とさせる黄金色の瞳。それは、まんまるのミミズクの眼光を彷彿とさせた。
瞬きもせず真っ直ぐに私を捉え、猛禽類に狙われて射すくめられたように動けなくなる。
すると、“彼”はその場にいた全員が一言一句聞き間違えない程、声高に叫んだ。
「なんか、ビビッと来たっ!!!」
その声量は、もはや咆哮に近かったが、問題はそこじゃない。
彼の指さす方向の先に――“私”。そして使い古されたような流行語っぽい“ビビっ”という台詞。
一拍置いて、部員が口々に騒ぎ出す中、監督が遅れてやって来て練習が開始されたので、謎の言動の真意がわからず部員達はもやもやしたまま散り散りになって行った。
しかし、部活終わりに私は同級生から知らされ、名を聞いてすぐさま思い出すことになる。カナダへ留学中に聞いた『エースの素質がある新入生』というのが、現在二年生の“木兎光太郎”くんであるということ。
――そして、『木兎』という珍しい苗字で記憶が鮮明に蘇った。
小学生の頃、通学班が一緒だった一学年下の光太郎くんだということ。当時、私より背が小さかった彼は、背もぐんと伸びて体格も逞しくなっていたから、瞬時に気づくことが出来なかった。
■ ■ ■
近所に住む小学生で編成された『通学班』に、光太郎くんと光太郎くんのお姉さんがいた。
お姉さんは私より一学年上で、先頭に立ってみんなを率いる班長を担い、私は最後尾で見守る副班長だった。
光太郎くんのランドセルの錠がしっかりロックされていることは稀で、後ろから見てると歩く度に蓋部分のかぶせがプカプカと浮いていた。列を成して歩いてる最中に他の事に気を取られるのは日常茶飯事。
虫を追いかけて逆走したり、散歩中の柴犬に話しかけて抱きついたり、作詞作曲オレ!という謎のテーマソングを歌って妙に目立ったりと、全員揃って登校するのに苦労する日もしばしば。あまりにも自由で困り果てた時は、班長のお姉さんに伝えると効果テキメン。間髪入れず首根っこを掴まれ、引きずられ連れて行かれる光景はよく目にしたものだ。
「ねーちゃんにチクるなよぉ」
「光太郎くんがちゃんと歩いてくれれば言わないよ」
「きびしーな!仕方ないか。副長だもんな、オニの副長」
「副班長だよ?」
「“ふくはんちょう”は長いし、いーだろ。カッコイイし!しんせんぐみみたいだ」
どこで新選組を知ったのか、私が副班長として彼を見守るようになってからそんなあだ名をつけられて、少しずつ仲良くなっていった。
どこまでも自由で――登校中にそうだと困るにしても、屈託なく笑う顔は太陽みたいに眩しい。下ろした前髪から光に反射して煌めく、金色の澄んだ目はとても綺麗だ。
こんな元気な男の子、中学生になっても変わらず純粋なまま、大好きなことに夢中で打ち込んでいくんだろう。どこに行っても人を惹きつけて、人気者になる。光太郎くんが囲まれる中、既に顔馴染みの私が手を振れば一番に振り返してくれるとか、そんな展開があったら“副班長冥利”に尽きるなぁ――って、楽しみな気持ちはあったのだけど。
季節は過ぎ、私が小六になって班長になったと同時に、光太郎くんは副班長になって最後尾につき、二人で低学年の子たちを挟んで列を作り、毎日登校した。
ちなみに低学年の子達はまったく手がかからなかった。光太郎くんが相変わらず好き勝手動くせいで、待っては歩き、待っては歩きというゆっくりした朝が続いたけれど、持ち前の明るさで低学年の子達からは好かれていた。『木兎のおにーちゃん、ちゃんとして!』と、小一に叱られてることもあって皆に笑われていたり。朝から楽しく賑やかな時間は、大切な思い出だ。
家が近所なら中学に上がっても会えることもあるけれど、それはあっさりと叶わなくなった。
卒業まであと半年という時、父に転勤の辞令が出た事を両親から告げられた。親の仕事の都合でこの地域に住めるのは小学生までで、春からは神奈川へ引っ越して家から近い中学校へ通うことになった。
光太郎くんになかなか言い出しづらく、卒業式の前日の朝に会話の中でついでのように告げると、一瞬、彼の瞳の奥が仄かに揺らいだ。
翌日は卒業生の私と、“六年生を送る会”に出席する五年生の光太郎くんと二人で登校した。二人きりで通学路を歩いたのは、初めてだった。
卒業式当日、慣れ親しんだ街を離れる寂しさ、友達や光太郎くんとも離れてしまう寂しさ…最後の二人だけの通学班に、切なさが込みあげながら俯いて歩いた。この日は珍しく、光太郎くんもウロチョロと彷徨うことなく、おとなしく歩いていた。
校門を通った後、光太郎くんは回り込んで私の前に立ち、握りしめた拳を突き出した。その中に何かが握られてる事に気が付いて手の平を広げると、ぽとりと落とすように渡されたのは小さなバレーボール型をしたキーホルダー。
青と黄色が組み合さったボール部分は、スクイーズ素材で柔らかい。何も聞かなくても、彼が大事にしていたものだと悟った。
「もらっていいの?」
「うん、せんべつ。……元気でな!風邪ひくなよ!」
「光太郎くんもね」
「おれ、大きくなったらバレーで活躍して、ゆうめいになるから、見てて!」
「……うん、楽しみにしてるよ」
プレゼントを左の手の平に載せ、右手を差し出してお別れの握手を交わした。手の大きさは同じくらいでも、既にバレーをはじめていた彼の指先はところどころ固くなっていた。
お互いにちょっと泣きそうになって、頬が赤くなっていた。東京と神奈川、同じ関東圏内――今生の別れではないけれど、きっと会うことはないのかなと心のどこかで達観していた。
光太郎くんはこの先もずっとバレーを続ける。私も何かしらの形でバレーに携わっていれば運よく会えることもあるかも知れない。そんな気休めで、目の奥がジンとなるのを誤魔化した。だって、確証はない。余計に別れが惜しくなる。
寂しさと諦めに似た感情が、心の中で渦巻いていた――が、運よく会える日は唐突に訪れた。
一年前、彼が梟谷のバレー部へ入部して間もなく、類まれなるセンスに注目され、既にエース候補と指名されるほどには活躍されていたことは容易に想像できる。恐らくスポーツ推薦枠だ。才能溢れる選手を、うちのバレー部だって是が非でも獲得したかったはずだ。
また、光太郎くんと出会えた。
何も知らなずに再び日本へ戻って来たら、同じ学校で同じ部活で再会するなんてドラマみたいな偶然だ。
マネージャー復帰の一日目を終えた夜、寝る前に翌日の支度をしている最中にふと、机を開けて奥の方を指先で探る。日の当たらないところで保管されていたおかげで色褪せることなく、渡されたキーホルダーはきれいな状態を保っていた。光太郎くんからの贈り物を貰った日から、もう六年も経っている。
忘れたわけじゃないのに、すぐに思い出せなかったことに後ろめたさを覚える。けど、光太郎くんも私に気付いていなかったような気がする。『ビビッと来た』と告げられただけで、それ以降、休憩中も離れた場所から視線を感じるものの、話しかけてくる様子はなかった。指まで差されたのに、まったくの別件だったりして?様々な考えが脳裏を過るけれど、結局のところ憶測の域を出ない。
マネージャーの仕事を振り返りながら新入生のサポートもしつつ、慌ただしく過ごしていたら今日の部活もあっという間に終わってしまった。これからははほとんど毎日、会う機会はあるんだ。
慌てず話しかけるチャンスを待つてばいいと、気楽に考えていたことが実は難易度の高いことなのだと、私は後日知ることになる。
■ ■ ■
「木兎くん、はい、ドリンク」
「……っン゛!あざす!」
スパイク練が終わった後、部員へ順番にドリンクを渡しに行くと、律儀に会釈はするものの、すかさずボトルを奪って脱兎のごとく逃げられてしまった。
“光太郎くん!”――って、小学校の頃の呼び方をしたら驚かせちゃうだろうから、苗字で呼んで近づいても逃げられてしまう。
理由もなく避けられてるかと思えば、少し離れた場所からジッとこち見てる様子で、意図が読めない。光太郎くんの珍しい行動に周囲は慣れているのか、特に誰も何も言わなかった。
同学年のメンバー以外はほぼ全員昨日初対面で、誰に彼の挙動について聞いていいものかわからず困っていた。
「あの、木兎さんですが、悪気はないはずですよ」
困惑具合が見て取れたのか、後輩が話しかけてくれた。昨日、一番最初に自己紹介で挨拶した一年生だ。
「あ……。赤葦くん。木兎くんのことよく知ってるんだね」
「木兎さんに憧れて梟谷に来ましたから。プレースタイル以外もリサーチ済です」
冷静な面持ちで淡々とファンだと告白してるような発言に驚いて、唖然とした。さながら、長年このチームを見て来たかのような落ち着きようだ。疑うわけじゃないけれど、本当に新入生だよね?…というツッコミは、声に出さず飲み込んだ。物怖じしなそうな子だなという印象を受ける。
「昨日から木兎さんが調子を崩してることと、汐見先輩を観察してること…関係があるかもしれないですね。『ビビッと来た』の真相も、他の先輩方に聞かれてましたが誤魔化すばかりで……」
「やっぱアレ、私のことだよね……?」
「指差してましたしそうだと思います。汐見先輩。木兎さんと何か接点があるんですか?」
自然な口調で質問されてるのに、“そうですよね?”と言わんばかりの圧を感じて、私は唇を薄く開いた。
赤葦くんに相談すれば、光太郎くんと話せる機会を作ってくれるはずだ。もし、光太郎くんが私の事を忘れていたとしても嫌な気持ちになったりはしない。だって、私だって一目見た時に思い出せなかったのだから、おあいこだ。
彼との“接点”を隠すことなく教えると、表情ひとつ変えず丁寧な相槌が返って来た。僅かな沈黙の後、赤葦くんは頷いた。
「今週土曜日は午前練だけなので、その後に僕から自主練に誘います。汐見先輩も残ってもらっていいですか?話せる機会を作りますから」
「う、うん。何か巻き込んでごめんね。伝えてもらったほうがよかったかな……」
「いえ、こういうのはご自身で言った方がいいかと」
「そっか、……そうだよね」
俯いてから顔を上げて微笑むも、多分うまく笑えてなかった。
“汐見琴音”と認識した上で避けられているとしたら――そんな懸念が過って気後れしそうになる。嫌われてる要因があるとしたら、引っ越すことを前日まで隠していた事とか、連絡先も教えず音信不通にしていたこととか……大事なキーホルダーをホントは嫌々くれていたとか?光太郎くんに限って、それはないか。
赤葦くんと会話してる間にも感じていた力強い眼差し。一挙手一投足を光太郎くんに注視されて、落ち着かない。避けられてるのに、観察されてる理由がわからない。
とにかく土曜日だ。光太郎くんと話してお互いを認識して、不安が解消されるなら解消したい。避けられてる理由も、知っておきたい。また昔みたいに仲良くできますようにと願うばかりだった。
►木兎
見慣れた桜の木を前に、安堵する感覚。やはり四季の中でも春が一番好きだ。あたたかな陽気と共に訪れる、美しい風景に心癒され、目前に広がる桜並木に改めて感嘆していた。
私立梟谷学園高校では単位認定可能な留学制度があり、私は高二の一年間をカナダで過ごしていた。
語学も学びながら海外での生活を体験し、経験を豊かにしてくれる機会なんて滅多にないチャンス。将来は英語に携わる職業に就きたい。その糧になるならと意を決し、両親を説得して申し込んだのは正解だった。
高校二年生の間をカナダで過ごし、日本に帰って来たらすぐに三年生となり、再び卒業までの時間を過ごす――今日がその初日だ。
ほんの一年間通わなくなっただけで懐かしく感じる校門を抜けると、自然と気分が高揚した。春特有の浮足立つ空気がそうさせるのか。夏が過ぎれば大学受験に向けて気を引き締めざるを得なくなるのだから、今のうちだけだ。
一年の頃、マネージャーとして入部していたバレー部にも再び入部することになった。強豪校のバレー部のマネージャーが欠員することは、純粋にサポート力が減ることに直結する。部に迷惑をかけてしまうというのに、頑張ってきなよと部員達は明るく送り出してくれた。
『汐見が戻って来る頃、俺達は卒業してるけど、戻って来たらまた頼むよ』と、当時三年生の主将も気遣って声を掛けてくれたのを覚えてる。私が不在の間も、休部という形で所属扱いしてくれたことも嬉しかった。
留学中もマネ仲間からはバレー部の近況は聞いていて、『エースの素質がある新入生が入って来た!』という良い知らせを聞いたのも、もう一年前の事だ。
例年、部活は始業式の翌日から始まる。
復帰届を書いて顧問の先生に渡し、体育館へ向かう途中で見知った同級生を見かけてほっと胸を撫でおろす。ただ、見知った顔は同級生のみで、現二年生は会ったことがないので誰も知らない状態だ。加えて、今日から新入生が入部して来る日。強豪校ということもあって中学で活躍していた選手も多く入部して来る。スポーツ推薦で入学してきた子も勿論いるはずだ。
更衣室でジャージに着替えて、主将のホイッスルで集合した部員達の前にズラリと並んだ一年生の隣に、私も並んだ。新入生の初々しい挨拶の後、最後に私の順番がきた。
「三年二組、汐見琴音です。一年生の時にマネージャーとして所属してました。二年の時はカナダへ留学していたのでブランクが一年ありますが、また新たな気持ちで頑張ります」
初対面の子のが多くて緊張するなぁと、細く息を吐く。
顔を上げると、刺すような視線を感じて肌が粟立ち背筋がゾクリと震えた。
三年の後列に並ぶ二年生の中でも、くっきりとした顔立ちが目を引く青年が一人。グレーの前髪はツンと上へ向いて、露わになった額に凛々しい眉毛が、ぐあっと眉間に皺を寄せて主張していた。
髪色よりも一際目立つ色。満月を彷彿とさせる黄金色の瞳。それは、まんまるのミミズクの眼光を彷彿とさせた。
瞬きもせず真っ直ぐに私を捉え、猛禽類に狙われて射すくめられたように動けなくなる。
すると、“彼”はその場にいた全員が一言一句聞き間違えない程、声高に叫んだ。
「なんか、ビビッと来たっ!!!」
その声量は、もはや咆哮に近かったが、問題はそこじゃない。
彼の指さす方向の先に――“私”。そして使い古されたような流行語っぽい“ビビっ”という台詞。
一拍置いて、部員が口々に騒ぎ出す中、監督が遅れてやって来て練習が開始されたので、謎の言動の真意がわからず部員達はもやもやしたまま散り散りになって行った。
しかし、部活終わりに私は同級生から知らされ、名を聞いてすぐさま思い出すことになる。カナダへ留学中に聞いた『エースの素質がある新入生』というのが、現在二年生の“木兎光太郎”くんであるということ。
――そして、『木兎』という珍しい苗字で記憶が鮮明に蘇った。
小学生の頃、通学班が一緒だった一学年下の光太郎くんだということ。当時、私より背が小さかった彼は、背もぐんと伸びて体格も逞しくなっていたから、瞬時に気づくことが出来なかった。
■ ■ ■
近所に住む小学生で編成された『通学班』に、光太郎くんと光太郎くんのお姉さんがいた。
お姉さんは私より一学年上で、先頭に立ってみんなを率いる班長を担い、私は最後尾で見守る副班長だった。
光太郎くんのランドセルの錠がしっかりロックされていることは稀で、後ろから見てると歩く度に蓋部分のかぶせがプカプカと浮いていた。列を成して歩いてる最中に他の事に気を取られるのは日常茶飯事。
虫を追いかけて逆走したり、散歩中の柴犬に話しかけて抱きついたり、作詞作曲オレ!という謎のテーマソングを歌って妙に目立ったりと、全員揃って登校するのに苦労する日もしばしば。あまりにも自由で困り果てた時は、班長のお姉さんに伝えると効果テキメン。間髪入れず首根っこを掴まれ、引きずられ連れて行かれる光景はよく目にしたものだ。
「ねーちゃんにチクるなよぉ」
「光太郎くんがちゃんと歩いてくれれば言わないよ」
「きびしーな!仕方ないか。副長だもんな、オニの副長」
「副班長だよ?」
「“ふくはんちょう”は長いし、いーだろ。カッコイイし!しんせんぐみみたいだ」
どこで新選組を知ったのか、私が副班長として彼を見守るようになってからそんなあだ名をつけられて、少しずつ仲良くなっていった。
どこまでも自由で――登校中にそうだと困るにしても、屈託なく笑う顔は太陽みたいに眩しい。下ろした前髪から光に反射して煌めく、金色の澄んだ目はとても綺麗だ。
こんな元気な男の子、中学生になっても変わらず純粋なまま、大好きなことに夢中で打ち込んでいくんだろう。どこに行っても人を惹きつけて、人気者になる。光太郎くんが囲まれる中、既に顔馴染みの私が手を振れば一番に振り返してくれるとか、そんな展開があったら“副班長冥利”に尽きるなぁ――って、楽しみな気持ちはあったのだけど。
季節は過ぎ、私が小六になって班長になったと同時に、光太郎くんは副班長になって最後尾につき、二人で低学年の子たちを挟んで列を作り、毎日登校した。
ちなみに低学年の子達はまったく手がかからなかった。光太郎くんが相変わらず好き勝手動くせいで、待っては歩き、待っては歩きというゆっくりした朝が続いたけれど、持ち前の明るさで低学年の子達からは好かれていた。『木兎のおにーちゃん、ちゃんとして!』と、小一に叱られてることもあって皆に笑われていたり。朝から楽しく賑やかな時間は、大切な思い出だ。
家が近所なら中学に上がっても会えることもあるけれど、それはあっさりと叶わなくなった。
卒業まであと半年という時、父に転勤の辞令が出た事を両親から告げられた。親の仕事の都合でこの地域に住めるのは小学生までで、春からは神奈川へ引っ越して家から近い中学校へ通うことになった。
光太郎くんになかなか言い出しづらく、卒業式の前日の朝に会話の中でついでのように告げると、一瞬、彼の瞳の奥が仄かに揺らいだ。
翌日は卒業生の私と、“六年生を送る会”に出席する五年生の光太郎くんと二人で登校した。二人きりで通学路を歩いたのは、初めてだった。
卒業式当日、慣れ親しんだ街を離れる寂しさ、友達や光太郎くんとも離れてしまう寂しさ…最後の二人だけの通学班に、切なさが込みあげながら俯いて歩いた。この日は珍しく、光太郎くんもウロチョロと彷徨うことなく、おとなしく歩いていた。
校門を通った後、光太郎くんは回り込んで私の前に立ち、握りしめた拳を突き出した。その中に何かが握られてる事に気が付いて手の平を広げると、ぽとりと落とすように渡されたのは小さなバレーボール型をしたキーホルダー。
青と黄色が組み合さったボール部分は、スクイーズ素材で柔らかい。何も聞かなくても、彼が大事にしていたものだと悟った。
「もらっていいの?」
「うん、せんべつ。……元気でな!風邪ひくなよ!」
「光太郎くんもね」
「おれ、大きくなったらバレーで活躍して、ゆうめいになるから、見てて!」
「……うん、楽しみにしてるよ」
プレゼントを左の手の平に載せ、右手を差し出してお別れの握手を交わした。手の大きさは同じくらいでも、既にバレーをはじめていた彼の指先はところどころ固くなっていた。
お互いにちょっと泣きそうになって、頬が赤くなっていた。東京と神奈川、同じ関東圏内――今生の別れではないけれど、きっと会うことはないのかなと心のどこかで達観していた。
光太郎くんはこの先もずっとバレーを続ける。私も何かしらの形でバレーに携わっていれば運よく会えることもあるかも知れない。そんな気休めで、目の奥がジンとなるのを誤魔化した。だって、確証はない。余計に別れが惜しくなる。
寂しさと諦めに似た感情が、心の中で渦巻いていた――が、運よく会える日は唐突に訪れた。
一年前、彼が梟谷のバレー部へ入部して間もなく、類まれなるセンスに注目され、既にエース候補と指名されるほどには活躍されていたことは容易に想像できる。恐らくスポーツ推薦枠だ。才能溢れる選手を、うちのバレー部だって是が非でも獲得したかったはずだ。
また、光太郎くんと出会えた。
何も知らなずに再び日本へ戻って来たら、同じ学校で同じ部活で再会するなんてドラマみたいな偶然だ。
マネージャー復帰の一日目を終えた夜、寝る前に翌日の支度をしている最中にふと、机を開けて奥の方を指先で探る。日の当たらないところで保管されていたおかげで色褪せることなく、渡されたキーホルダーはきれいな状態を保っていた。光太郎くんからの贈り物を貰った日から、もう六年も経っている。
忘れたわけじゃないのに、すぐに思い出せなかったことに後ろめたさを覚える。けど、光太郎くんも私に気付いていなかったような気がする。『ビビッと来た』と告げられただけで、それ以降、休憩中も離れた場所から視線を感じるものの、話しかけてくる様子はなかった。指まで差されたのに、まったくの別件だったりして?様々な考えが脳裏を過るけれど、結局のところ憶測の域を出ない。
マネージャーの仕事を振り返りながら新入生のサポートもしつつ、慌ただしく過ごしていたら今日の部活もあっという間に終わってしまった。これからははほとんど毎日、会う機会はあるんだ。
慌てず話しかけるチャンスを待つてばいいと、気楽に考えていたことが実は難易度の高いことなのだと、私は後日知ることになる。
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「木兎くん、はい、ドリンク」
「……っン゛!あざす!」
スパイク練が終わった後、部員へ順番にドリンクを渡しに行くと、律儀に会釈はするものの、すかさずボトルを奪って脱兎のごとく逃げられてしまった。
“光太郎くん!”――って、小学校の頃の呼び方をしたら驚かせちゃうだろうから、苗字で呼んで近づいても逃げられてしまう。
理由もなく避けられてるかと思えば、少し離れた場所からジッとこち見てる様子で、意図が読めない。光太郎くんの珍しい行動に周囲は慣れているのか、特に誰も何も言わなかった。
同学年のメンバー以外はほぼ全員昨日初対面で、誰に彼の挙動について聞いていいものかわからず困っていた。
「あの、木兎さんですが、悪気はないはずですよ」
困惑具合が見て取れたのか、後輩が話しかけてくれた。昨日、一番最初に自己紹介で挨拶した一年生だ。
「あ……。赤葦くん。木兎くんのことよく知ってるんだね」
「木兎さんに憧れて梟谷に来ましたから。プレースタイル以外もリサーチ済です」
冷静な面持ちで淡々とファンだと告白してるような発言に驚いて、唖然とした。さながら、長年このチームを見て来たかのような落ち着きようだ。疑うわけじゃないけれど、本当に新入生だよね?…というツッコミは、声に出さず飲み込んだ。物怖じしなそうな子だなという印象を受ける。
「昨日から木兎さんが調子を崩してることと、汐見先輩を観察してること…関係があるかもしれないですね。『ビビッと来た』の真相も、他の先輩方に聞かれてましたが誤魔化すばかりで……」
「やっぱアレ、私のことだよね……?」
「指差してましたしそうだと思います。汐見先輩。木兎さんと何か接点があるんですか?」
自然な口調で質問されてるのに、“そうですよね?”と言わんばかりの圧を感じて、私は唇を薄く開いた。
赤葦くんに相談すれば、光太郎くんと話せる機会を作ってくれるはずだ。もし、光太郎くんが私の事を忘れていたとしても嫌な気持ちになったりはしない。だって、私だって一目見た時に思い出せなかったのだから、おあいこだ。
彼との“接点”を隠すことなく教えると、表情ひとつ変えず丁寧な相槌が返って来た。僅かな沈黙の後、赤葦くんは頷いた。
「今週土曜日は午前練だけなので、その後に僕から自主練に誘います。汐見先輩も残ってもらっていいですか?話せる機会を作りますから」
「う、うん。何か巻き込んでごめんね。伝えてもらったほうがよかったかな……」
「いえ、こういうのはご自身で言った方がいいかと」
「そっか、……そうだよね」
俯いてから顔を上げて微笑むも、多分うまく笑えてなかった。
“汐見琴音”と認識した上で避けられているとしたら――そんな懸念が過って気後れしそうになる。嫌われてる要因があるとしたら、引っ越すことを前日まで隠していた事とか、連絡先も教えず音信不通にしていたこととか……大事なキーホルダーをホントは嫌々くれていたとか?光太郎くんに限って、それはないか。
赤葦くんと会話してる間にも感じていた力強い眼差し。一挙手一投足を光太郎くんに注視されて、落ち着かない。避けられてるのに、観察されてる理由がわからない。
とにかく土曜日だ。光太郎くんと話してお互いを認識して、不安が解消されるなら解消したい。避けられてる理由も、知っておきたい。また昔みたいに仲良くできますようにと願うばかりだった。