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青春を君に捧ぐ
-6-
戻ってきた北くんは、私の手をずっと握ってくれていた。
外傷に加え軽い脳震盪を起こしていたようで、心配そうな声掛けにも意識がふわふわしたまま受け答えをしていた。
持ち出し用の救急箱やら医療用品を持って慌てて駆けつけた保健の先生に、その場で止血処置をしてもらった後、救急車は呼ばず担任の車で病院に連れてってもらうことになった。北くんも付き添うと申し出てくれたみたいだけれど、部の混乱を招かないように主将は部活に戻れと指示されていた会話だけ、微かに聞こえた。
病院に到着してからは、慣れたもので医者も看護婦も流れ作業のようだった。切れていた傷口を再度消毒、局所麻酔をして縫合処置をしてもらい、確実に止血が確認できた後でベッド少し眠った。その間に担任からの連絡で親が病院へ来て諸々の手続き。顔をみたらほっとして、命に別状はない怪我なのに涙腺が緩んだ。念のため検査をするとのことで一日だけ入院することになった。
翌日、予定通りMRI検査が行われ、異常はなく退院できることになった。入院も検査も初めてだったから、大袈裟じゃないかなと思ったけれど、外傷が軽度に見える場合でも、脳が深刻なダメージを受けているケースがあるらしい。なるほど、サーブ時に前衛が後頭部をガードしてるシーンを思い出した。スポーツって日々、怪我と隣合わせだ。日々、部員達の怪我には敏感なのに、自分に置き換えると途端に鈍感になるし軽視してしまうのは、私の悪い癖だ。
痛み止めと抗生物質を処方され、退院後は念のため一日学校を休み自宅で休んでいた。眠気が襲ってはほぼベッドで起きたり眠っていたりして、そのうち痛みが引いてきたので安心した。
昨日、ホワイトボードで頭をぶつけた前後の記憶が曖昧になっている。北くんを庇ったところまでは覚えているのだけれど、その後どうやって病院に運ばれたのかは、後から母親に聞いた話だ。
一週間後に抜糸の為にまた病院に行くことになった。激しい運動はしないように気を付ければ、日常生活を送っても支障ないとのことだった。体を張って庇った理由を聞かれたらどうしよう……と思案して数秒、すぐに解決した。あの日あの場所に居たのが私以外の部員だとしても、同じように行動すると思う。
ホワイトボード転倒の事故から二日後――私はあっさりと部活に復帰した…のだけれど、見た目が…!見た目が辛すぎる!
縫った傷口の上に薄い抗菌ガーゼを貼り、その上から頭に包帯を巻かれ、さらにその上から包帯がズレないように頭用ネット包帯をかぶった状態である。この見た目でどうしても登校したくないけれど、三年で受ける授業は重要だし、部活を休んで他のマネに迷惑をかけたくなかった。
完全に塞がったわけじゃないと医者から念を押され、『傷を縫うのに髪を剃らなかっただけいいでしょう』と言われて涙目で頷いた。剃られてたら傷の範囲的に10円ハゲじゃ済まなかっただろう。
我々の主将を守った勲章なのだから、誉められはしても笑われる理由などないはずだ。だけど、こんなの絶対、笑われる。見た目がおもしろすぎる。自分でもそう思う。いやいっそ笑ってもらった方が救われる。頭の包帯ネットはまるでメロンのよう。
鏡を見る度に憂鬱になっていたが、とりあえず観念して放課後の部活に顔を出すことにした。
――そして、この時の私は、ここぞと重要な記憶が頭から抜け落ちてる事に気付いていなかった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
部室棟についてまず、真っ直ぐバレー部の部室に向かって備品棚を開けた。マネ歴三年目ともなるとすっかり癖付いたルーティンだ。足りてないものはないか、まずチェックすることから仕事が始まる。足りてないものが早々に分かれば、早めに買い出しに行く事も頼むことも出来るからだ。
まだ早い時間だから誰も来ないはず――と油断していた最中、不意にガチャリと開いた扉から現れたのは尾白くんだった。私と目が合って数秒、一瞬誰かわからなかったのか、瞬きもせず怪訝な顔をして固まっていた。『私。汐見だよ』と名乗ったら、まじまじと見つめられ――
「メロンやんっ!!」
数秒間を開けてから、キレッキレのツッコミを頂いた。目をカッと見開いて叫ぶものだから、こっちが吹き出してしまった。笑われたらやだなぁって思ってたのに、尾白くんからツッコミをもらうのは初めてだったので、こんな姿を見られた恥ずかしさよりも嬉しさのが上回った。
「や、すまん!反射みたいなもんで…、堪忍や」
「あはは、何だか貴重な体験した気分だよ」
「貴重て何やねん。それより無事でよかった。北を庇ったって聞いとるで」
「庇った話まで伝わってるんだね。あだ名がターミネーターになっちゃう。それならメロンでいいかな……」
「何を妥協してんねん!誰もターミネーターやと思ってへんわ」
――俺はターミネーターに助けられたんか。
二人の会話に、突然トーンの低い声音がひとつ混ざる。
おわっ!と叫んで尾白くんが驚いたので、私も肩をビクリと震わせた。振り向くと、部室のドア付近に北くんが立っていた。入ってくる音もしなかったから、まるで忍者みたいだ。
彼は私に近づくと、握手を求めるように右手を差し出した。退院おめでとうの意味を込めてかな?と、小首を傾げて私も右手を出して応じると、そのままぐいと手を引かれ体ごとくっついた。
「ちょっ……、北くん?」
北くんに接触してしまってる事実に、頭が混乱して発した声が上ずった。手を繋いだままゆっくりと一歩ずつ進み、私はそのまま部室から連れ出されてしまった。尾白くんは唖然としていたが、部室から出る直前、その表情は苦笑いに変わっていた。
・・・・・・・・・・・
連れて来られた場所は、ついこの間の――ミーティングルーム。
劣化でネジが緩んではじけ飛び、転倒してきたホワイトボードは既に撤去されているようだった。置いてあった場所はガランとしたスペースになっている。私の手を引いてその場所で立ち止まると、北くんは背筋を正して向き直ってから深々とお辞儀をした。
「汐見。この前は助けてくれて、ありがとう」
「……わざわざお礼を言うために?」
「そうや。大事なことや。強引に連れて来てすまんな」
「そんな、気にしなくていいのに。見た目が大袈裟なだけで、傷はたいしたことないから。もう一歩早く動けたらボードを正面から受け止められたのになぁ。北くんが怪我しなくてよかったよ」
真っ直ぐにお礼を告げられて、思わず照れくさくなる。パタパタと手で顔をあおいで空笑いすると、北くんは顔を上げて真剣な眼差しを向けた。
「お前がそう思うのは、俺が主将やからか?」
「えっ……」
「もしかして覚えとらんのか?全部を捧げたいて………や、覚えとらんならそれでええ。俺から伝えるだけや」
「あ、あの……」
「俺は汐見のことが好きや。一年の頃からずっと」
やわらかく甘美な言の葉が、鼓膜を揺らす。
九月の夕暮れ時。窓越しに差し込んだ橙が北くんの顔を照らした。瞳の色が金色に光って、グレーの艶めいた髪は銀色に。幻想的な雰囲気を醸し出して、一目惚れした一年生の登校日初日の記憶が蘇る。あの頃より背も少し伸びて体格も逞しくなった北くんの、神秘的な美しさは変わらず燦然としている。
途端、肩の力が抜け、両掌を合わせて胸の辺で軽く握りしめた。
夏休み最後の日、北くんが告げた“好意”に対し何も返せなかったのに、改めて告白してくれたことに驚いていた。あの日のことをなかったように振舞っていたのは彼なりの気遣いだったんだ。
それだけじゃない。忘れていた大事なことを、北くんからの告白で唐突に思い出した。
――『わたし、全部を捧げたいぐらい北くんが大好き』
ずっと抱えていた気持ちを、伝えてたんだ。
「汐見が何事も全力で頑張ってたこと、近くで見て来たから知っとる。努力家で純粋で凄い奴やと、気ィついたら無意識に目で追っとった。夏休みにカフェでいきなり変なこと言うたんは、……誰にもとられたないなって、独占欲が湧いたからや」
落ち着いた様子で一歩近づいて、北くんは私の両手を包んだ。ひとまわり大きな温かい手。倒れた私に声を掛けながら握ってくれていた手。憧れていた、北くんの手だ。繋いだり触れたりと何度も想像したことがある。その度、あくまで原動力であって付き合える対象ではないのだと頭の中で否定した。だが実際はどうだろう。指先から体温が伝播する現実に、喜びで眩暈がしそうだ。
「俺を庇って怪我したお前を見て、胸が苦しくなった。それは罪悪感からやない」
「……北、くん」
「お前が傷つくぐらいなら俺が怪我した方がマシやったのに、って、心の底から後悔した」
「……北くんが怪我するの嫌だよ」
彼の手に、きゅっと力が籠る。
自然と胸が鼓動して、私はたどたどしく切り出した。
「わ、わたし、さっき思い出して、告白のこと……」
「思い出したんか。……俺の、聞き違いやなかったか?」
「うん、うん。ない。聞き違いじゃない。言ったよ。ずっと、抱えてた気持ちだったから。私、伝えられたんだなぁって思って――」
自分の気持ちを隠し通すのって難しいんだね、と、情けなく眉尻を下げて笑ったつもりが、視界がぼやけて目頭が熱くなる。涙が溢れ出し、ぽろぽろ頬を流れ濡らしながら、顎を伝ってシャツの胸元や床に零れ落ちていった。
青春のすべてを捧ぐ――その意味は、根底にある原動力は北くんだということ。理想の自分を目指す理由も、かける時間も、巡らせる思考も全て、一人の人物に起因している。努力に対しての得た“理想の自分”というリターンがゆくゆくは崩れていくとしても、構わなかった。だから、北くんから貰いたいものなんてなにひとつない。私などの影響を受けて欲しくない。勝手に憧れているだけなのだから、そんな図々しい事、正直思ったこともなかった。何一つ変わらず、出会った頃のままでいて欲しかった。
――そんな風に言い聞かせて、浅ましい自分から目を逸らした。
なのに、見守ってくれていた人がいた。頑張っていた私を見てくれていた人がいた。それが北くん当人で、好きでいてくれた。これほど報われることはない。
迷わず庇ったのは、体が勝手に動いてしまっただけ。
私は北くん守れただけで充分だったのに、ふわふわした意識のまま伝えた告白の後日に、二人の気持ちが通じ合う万感のラストシーンが待っているなんて。
……こんなご褒美があって、いいのかな。
自ら北くんの胸に額を寄せて寄り掛かると、繋がれた手は一度解かれ、たくましい腕が包むように私を抱きしめてくれた。涙で濡らしちゃうけどごめんねって思いながらも制服のワイシャツに顔を埋めて、背中に手を回して離れないようにくっついた。もう離れてはいけない。上っ面だけで固めてきたステータスだらけの自分でも、自信がなくても。互いの心を確認し合ったのだから、自分本位な理由で離れる選択はないんだ。
「き――、北くん…北くん…好き…、好き……」
「ああ、俺もや」
「憧れで、私の原動力で、すごく、大好きなの…、北くんがいたから、私、頑張れた…」
「いつも見とったよ」
「出会ったあの日から一目惚れで、ずっと…お願い伝わって、全部、伝わって…っ」
感情が高ぶって胸が苦しい。涙が止まらなくて、呼吸をする度に息が詰まりそうになる。震えてうまく声が出て来ないのに、ひとつひとつ、しゃくり上げながら伝えた私に、北くんは丁寧に何度も頷いてくれた。
「おん。伝わっとる。一目惚れやったんか」
「うん、うん、……うぅっ…わたしの…身も心も、ぜんぶ北くんのだから」
「はは。泣きながらめちゃくちゃな誘惑されて、かなわんなぁ……」
「頭の傷治ったら、テコンドーも習うっ、…ホワイトボードだけじゃなくて、北くんに危害を加えるもの、すべてから守るから…っ」
「そら頼もしいけど、俺にも汐見のこと守らせてや」
大きな手は背中を撫でながら両肩に移動し、腰をかがめて北くんは私の顔を覗き込んだ。彼の澄んだ瞳に映る自分を、一目惚れした日の私には想像できなかった。顔を真っ赤にして泣いてるのは私だけかと思いきや、北くんの目も淡く潤み、頬が赤らんでいることに気が付いた。ちゃんと照れていてくれて、異性として見てくれていて……頬色がお揃いで、嬉しい。
「俺ら三年で受験もあるし、春高も出る。残りの高校生活も忙しいこと間違いなしやし、卒業後は遠距離になるかも知れん。やけど、そういうのお前と恋愛せん理由にしたない。……だから、末永くちゃんと付き合ってこか」
彼の優しい囁きに、胸がいっぱいになる。
私が何か言うより前に鼻先が触れあった。ゆっくり頷いて涙が再び頬を伝うと同時に、北くんの形のいい唇が近づいて触れた。甘く重なって離れては見つめ合って、再び角度を変えて口付けを交わした。途切れた合間に、二人して幸せの溜息が漏れる。顔が紅潮して触れた部分が熱い。頭に血が昇って傷口が開いてしまうかも、それも仕方ないなぁなんて思ったりして。
……こんなロマンチックなシチュエーションで悔やむことがただひとつ、あるとすれば――
「……せっかくなら頭の包帯取れてからがよかった」
「ええやん。汐見はいつも可愛いやろ。今も、初めて見た日の眼鏡っ子姿もな」
「……っ、かわ…?」
「今は顔真っ赤で、メロンっちゅーよりリンゴやね」
「北くんズルイ。顔から火が出そうだよ……」
「火傷は勘弁。ほんなら、キスも慣れるまで丁寧に反復せなあかんな」
一拍置いて、耳まで赤く染まって瞬きを繰り返している私が面白かったのか、北くんは目を細めて微笑んだ。
普段のクールな北くんも素敵だけど、どの北くんも大好きだなってしみじみと感じてる。
コートの上、士気を高める凛とした声。背筋を伸ばして、淡々と教科書を読み上げる姿。冷ややかな視線でピシャリと食らわす正論パンチ。あどけなさを残す照れた表情。キスする前の熱い視線も、目の前の無邪気な笑顔も、全部が愛おしい。
青春全てを捧げたその先で――憧れの人が、かけがえのない大切な人になった。その人の傍に居られる特権を、愛を、私は人生をかけて享受する。
end.
-6-
戻ってきた北くんは、私の手をずっと握ってくれていた。
外傷に加え軽い脳震盪を起こしていたようで、心配そうな声掛けにも意識がふわふわしたまま受け答えをしていた。
持ち出し用の救急箱やら医療用品を持って慌てて駆けつけた保健の先生に、その場で止血処置をしてもらった後、救急車は呼ばず担任の車で病院に連れてってもらうことになった。北くんも付き添うと申し出てくれたみたいだけれど、部の混乱を招かないように主将は部活に戻れと指示されていた会話だけ、微かに聞こえた。
病院に到着してからは、慣れたもので医者も看護婦も流れ作業のようだった。切れていた傷口を再度消毒、局所麻酔をして縫合処置をしてもらい、確実に止血が確認できた後でベッド少し眠った。その間に担任からの連絡で親が病院へ来て諸々の手続き。顔をみたらほっとして、命に別状はない怪我なのに涙腺が緩んだ。念のため検査をするとのことで一日だけ入院することになった。
翌日、予定通りMRI検査が行われ、異常はなく退院できることになった。入院も検査も初めてだったから、大袈裟じゃないかなと思ったけれど、外傷が軽度に見える場合でも、脳が深刻なダメージを受けているケースがあるらしい。なるほど、サーブ時に前衛が後頭部をガードしてるシーンを思い出した。スポーツって日々、怪我と隣合わせだ。日々、部員達の怪我には敏感なのに、自分に置き換えると途端に鈍感になるし軽視してしまうのは、私の悪い癖だ。
痛み止めと抗生物質を処方され、退院後は念のため一日学校を休み自宅で休んでいた。眠気が襲ってはほぼベッドで起きたり眠っていたりして、そのうち痛みが引いてきたので安心した。
昨日、ホワイトボードで頭をぶつけた前後の記憶が曖昧になっている。北くんを庇ったところまでは覚えているのだけれど、その後どうやって病院に運ばれたのかは、後から母親に聞いた話だ。
一週間後に抜糸の為にまた病院に行くことになった。激しい運動はしないように気を付ければ、日常生活を送っても支障ないとのことだった。体を張って庇った理由を聞かれたらどうしよう……と思案して数秒、すぐに解決した。あの日あの場所に居たのが私以外の部員だとしても、同じように行動すると思う。
ホワイトボード転倒の事故から二日後――私はあっさりと部活に復帰した…のだけれど、見た目が…!見た目が辛すぎる!
縫った傷口の上に薄い抗菌ガーゼを貼り、その上から頭に包帯を巻かれ、さらにその上から包帯がズレないように頭用ネット包帯をかぶった状態である。この見た目でどうしても登校したくないけれど、三年で受ける授業は重要だし、部活を休んで他のマネに迷惑をかけたくなかった。
完全に塞がったわけじゃないと医者から念を押され、『傷を縫うのに髪を剃らなかっただけいいでしょう』と言われて涙目で頷いた。剃られてたら傷の範囲的に10円ハゲじゃ済まなかっただろう。
我々の主将を守った勲章なのだから、誉められはしても笑われる理由などないはずだ。だけど、こんなの絶対、笑われる。見た目がおもしろすぎる。自分でもそう思う。いやいっそ笑ってもらった方が救われる。頭の包帯ネットはまるでメロンのよう。
鏡を見る度に憂鬱になっていたが、とりあえず観念して放課後の部活に顔を出すことにした。
――そして、この時の私は、ここぞと重要な記憶が頭から抜け落ちてる事に気付いていなかった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
部室棟についてまず、真っ直ぐバレー部の部室に向かって備品棚を開けた。マネ歴三年目ともなるとすっかり癖付いたルーティンだ。足りてないものはないか、まずチェックすることから仕事が始まる。足りてないものが早々に分かれば、早めに買い出しに行く事も頼むことも出来るからだ。
まだ早い時間だから誰も来ないはず――と油断していた最中、不意にガチャリと開いた扉から現れたのは尾白くんだった。私と目が合って数秒、一瞬誰かわからなかったのか、瞬きもせず怪訝な顔をして固まっていた。『私。汐見だよ』と名乗ったら、まじまじと見つめられ――
「メロンやんっ!!」
数秒間を開けてから、キレッキレのツッコミを頂いた。目をカッと見開いて叫ぶものだから、こっちが吹き出してしまった。笑われたらやだなぁって思ってたのに、尾白くんからツッコミをもらうのは初めてだったので、こんな姿を見られた恥ずかしさよりも嬉しさのが上回った。
「や、すまん!反射みたいなもんで…、堪忍や」
「あはは、何だか貴重な体験した気分だよ」
「貴重て何やねん。それより無事でよかった。北を庇ったって聞いとるで」
「庇った話まで伝わってるんだね。あだ名がターミネーターになっちゃう。それならメロンでいいかな……」
「何を妥協してんねん!誰もターミネーターやと思ってへんわ」
――俺はターミネーターに助けられたんか。
二人の会話に、突然トーンの低い声音がひとつ混ざる。
おわっ!と叫んで尾白くんが驚いたので、私も肩をビクリと震わせた。振り向くと、部室のドア付近に北くんが立っていた。入ってくる音もしなかったから、まるで忍者みたいだ。
彼は私に近づくと、握手を求めるように右手を差し出した。退院おめでとうの意味を込めてかな?と、小首を傾げて私も右手を出して応じると、そのままぐいと手を引かれ体ごとくっついた。
「ちょっ……、北くん?」
北くんに接触してしまってる事実に、頭が混乱して発した声が上ずった。手を繋いだままゆっくりと一歩ずつ進み、私はそのまま部室から連れ出されてしまった。尾白くんは唖然としていたが、部室から出る直前、その表情は苦笑いに変わっていた。
・・・・・・・・・・・
連れて来られた場所は、ついこの間の――ミーティングルーム。
劣化でネジが緩んではじけ飛び、転倒してきたホワイトボードは既に撤去されているようだった。置いてあった場所はガランとしたスペースになっている。私の手を引いてその場所で立ち止まると、北くんは背筋を正して向き直ってから深々とお辞儀をした。
「汐見。この前は助けてくれて、ありがとう」
「……わざわざお礼を言うために?」
「そうや。大事なことや。強引に連れて来てすまんな」
「そんな、気にしなくていいのに。見た目が大袈裟なだけで、傷はたいしたことないから。もう一歩早く動けたらボードを正面から受け止められたのになぁ。北くんが怪我しなくてよかったよ」
真っ直ぐにお礼を告げられて、思わず照れくさくなる。パタパタと手で顔をあおいで空笑いすると、北くんは顔を上げて真剣な眼差しを向けた。
「お前がそう思うのは、俺が主将やからか?」
「えっ……」
「もしかして覚えとらんのか?全部を捧げたいて………や、覚えとらんならそれでええ。俺から伝えるだけや」
「あ、あの……」
「俺は汐見のことが好きや。一年の頃からずっと」
やわらかく甘美な言の葉が、鼓膜を揺らす。
九月の夕暮れ時。窓越しに差し込んだ橙が北くんの顔を照らした。瞳の色が金色に光って、グレーの艶めいた髪は銀色に。幻想的な雰囲気を醸し出して、一目惚れした一年生の登校日初日の記憶が蘇る。あの頃より背も少し伸びて体格も逞しくなった北くんの、神秘的な美しさは変わらず燦然としている。
途端、肩の力が抜け、両掌を合わせて胸の辺で軽く握りしめた。
夏休み最後の日、北くんが告げた“好意”に対し何も返せなかったのに、改めて告白してくれたことに驚いていた。あの日のことをなかったように振舞っていたのは彼なりの気遣いだったんだ。
それだけじゃない。忘れていた大事なことを、北くんからの告白で唐突に思い出した。
――『わたし、全部を捧げたいぐらい北くんが大好き』
ずっと抱えていた気持ちを、伝えてたんだ。
「汐見が何事も全力で頑張ってたこと、近くで見て来たから知っとる。努力家で純粋で凄い奴やと、気ィついたら無意識に目で追っとった。夏休みにカフェでいきなり変なこと言うたんは、……誰にもとられたないなって、独占欲が湧いたからや」
落ち着いた様子で一歩近づいて、北くんは私の両手を包んだ。ひとまわり大きな温かい手。倒れた私に声を掛けながら握ってくれていた手。憧れていた、北くんの手だ。繋いだり触れたりと何度も想像したことがある。その度、あくまで原動力であって付き合える対象ではないのだと頭の中で否定した。だが実際はどうだろう。指先から体温が伝播する現実に、喜びで眩暈がしそうだ。
「俺を庇って怪我したお前を見て、胸が苦しくなった。それは罪悪感からやない」
「……北、くん」
「お前が傷つくぐらいなら俺が怪我した方がマシやったのに、って、心の底から後悔した」
「……北くんが怪我するの嫌だよ」
彼の手に、きゅっと力が籠る。
自然と胸が鼓動して、私はたどたどしく切り出した。
「わ、わたし、さっき思い出して、告白のこと……」
「思い出したんか。……俺の、聞き違いやなかったか?」
「うん、うん。ない。聞き違いじゃない。言ったよ。ずっと、抱えてた気持ちだったから。私、伝えられたんだなぁって思って――」
自分の気持ちを隠し通すのって難しいんだね、と、情けなく眉尻を下げて笑ったつもりが、視界がぼやけて目頭が熱くなる。涙が溢れ出し、ぽろぽろ頬を流れ濡らしながら、顎を伝ってシャツの胸元や床に零れ落ちていった。
青春のすべてを捧ぐ――その意味は、根底にある原動力は北くんだということ。理想の自分を目指す理由も、かける時間も、巡らせる思考も全て、一人の人物に起因している。努力に対しての得た“理想の自分”というリターンがゆくゆくは崩れていくとしても、構わなかった。だから、北くんから貰いたいものなんてなにひとつない。私などの影響を受けて欲しくない。勝手に憧れているだけなのだから、そんな図々しい事、正直思ったこともなかった。何一つ変わらず、出会った頃のままでいて欲しかった。
――そんな風に言い聞かせて、浅ましい自分から目を逸らした。
なのに、見守ってくれていた人がいた。頑張っていた私を見てくれていた人がいた。それが北くん当人で、好きでいてくれた。これほど報われることはない。
迷わず庇ったのは、体が勝手に動いてしまっただけ。
私は北くん守れただけで充分だったのに、ふわふわした意識のまま伝えた告白の後日に、二人の気持ちが通じ合う万感のラストシーンが待っているなんて。
……こんなご褒美があって、いいのかな。
自ら北くんの胸に額を寄せて寄り掛かると、繋がれた手は一度解かれ、たくましい腕が包むように私を抱きしめてくれた。涙で濡らしちゃうけどごめんねって思いながらも制服のワイシャツに顔を埋めて、背中に手を回して離れないようにくっついた。もう離れてはいけない。上っ面だけで固めてきたステータスだらけの自分でも、自信がなくても。互いの心を確認し合ったのだから、自分本位な理由で離れる選択はないんだ。
「き――、北くん…北くん…好き…、好き……」
「ああ、俺もや」
「憧れで、私の原動力で、すごく、大好きなの…、北くんがいたから、私、頑張れた…」
「いつも見とったよ」
「出会ったあの日から一目惚れで、ずっと…お願い伝わって、全部、伝わって…っ」
感情が高ぶって胸が苦しい。涙が止まらなくて、呼吸をする度に息が詰まりそうになる。震えてうまく声が出て来ないのに、ひとつひとつ、しゃくり上げながら伝えた私に、北くんは丁寧に何度も頷いてくれた。
「おん。伝わっとる。一目惚れやったんか」
「うん、うん、……うぅっ…わたしの…身も心も、ぜんぶ北くんのだから」
「はは。泣きながらめちゃくちゃな誘惑されて、かなわんなぁ……」
「頭の傷治ったら、テコンドーも習うっ、…ホワイトボードだけじゃなくて、北くんに危害を加えるもの、すべてから守るから…っ」
「そら頼もしいけど、俺にも汐見のこと守らせてや」
大きな手は背中を撫でながら両肩に移動し、腰をかがめて北くんは私の顔を覗き込んだ。彼の澄んだ瞳に映る自分を、一目惚れした日の私には想像できなかった。顔を真っ赤にして泣いてるのは私だけかと思いきや、北くんの目も淡く潤み、頬が赤らんでいることに気が付いた。ちゃんと照れていてくれて、異性として見てくれていて……頬色がお揃いで、嬉しい。
「俺ら三年で受験もあるし、春高も出る。残りの高校生活も忙しいこと間違いなしやし、卒業後は遠距離になるかも知れん。やけど、そういうのお前と恋愛せん理由にしたない。……だから、末永くちゃんと付き合ってこか」
彼の優しい囁きに、胸がいっぱいになる。
私が何か言うより前に鼻先が触れあった。ゆっくり頷いて涙が再び頬を伝うと同時に、北くんの形のいい唇が近づいて触れた。甘く重なって離れては見つめ合って、再び角度を変えて口付けを交わした。途切れた合間に、二人して幸せの溜息が漏れる。顔が紅潮して触れた部分が熱い。頭に血が昇って傷口が開いてしまうかも、それも仕方ないなぁなんて思ったりして。
……こんなロマンチックなシチュエーションで悔やむことがただひとつ、あるとすれば――
「……せっかくなら頭の包帯取れてからがよかった」
「ええやん。汐見はいつも可愛いやろ。今も、初めて見た日の眼鏡っ子姿もな」
「……っ、かわ…?」
「今は顔真っ赤で、メロンっちゅーよりリンゴやね」
「北くんズルイ。顔から火が出そうだよ……」
「火傷は勘弁。ほんなら、キスも慣れるまで丁寧に反復せなあかんな」
一拍置いて、耳まで赤く染まって瞬きを繰り返している私が面白かったのか、北くんは目を細めて微笑んだ。
普段のクールな北くんも素敵だけど、どの北くんも大好きだなってしみじみと感じてる。
コートの上、士気を高める凛とした声。背筋を伸ばして、淡々と教科書を読み上げる姿。冷ややかな視線でピシャリと食らわす正論パンチ。あどけなさを残す照れた表情。キスする前の熱い視線も、目の前の無邪気な笑顔も、全部が愛おしい。
青春全てを捧げたその先で――憧れの人が、かけがえのない大切な人になった。その人の傍に居られる特権を、愛を、私は人生をかけて享受する。
end.