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青春を君に捧ぐ
-3-
卒業したら進路は別々――北くんは農業系の大学を志望するらしい。私の進路は今のところまだ具体的には決まっていないけど、おそらく同じ大学に通うことはないと思う。
青春を捧げた三年間の後に、残るもの。
憧れを糧に、理想の自分になれた“わたし”がそこに居る。
中学の頃まで自分のことを好きになれなかった平凡な私が、今の自分を好きになって、鏡を見る度に心から誇らしげに笑う事が出来るだろう。そして、その度に高校時代の北くんを思い出す。きっともう、会うことも叶わない想い人が青春の思い出の中で生き続けるんだ。
遠くに居ても、彼の大切な人と穏やかに暮らしていますようにと、静かに祈ってる。いつ、いかなる時も幸せでいて欲しいと願ってる。
だから、絶対に告白なんてしない。彼の困った顔を見たくないし、迷惑かけたくない。出会ってくれただけで、私は充分満たされていた。
北くんはクールに見えて、意外と冗談も言ったりする。
最初はその度にリアクションに迷っていたけど、だんだんと“これはジョークだ”と察して、ツッコミを入れたり堪え切れず笑ったりするのがお決まりだ。涼し気な顔で口角を少しだけ上げて、北くんの微笑む顔が好きだった。
『次の期末も勝負しよか。ほんで、俺が勝ったらユニバ連れてってくれ』
『え!行ったことないの…近いのに…』
『おん。実はない』
――直近の記憶を遡ってみる。
いつからかテストでの総合点勝負がはじまって、賭けるものは互いに何もなかたのだけれど、北くんはある日、唐突に提案してきた。冗談だと思って流そうとしたら、返答待ちみたいな間が出来たものだから少し困惑した。
『じゃあバレー部のみんなで行ってみる?』
『……大所帯で、それもありやな』
北くんはうーんと唸ってからと苦笑していた。結局、一学期の期末テストの総合点は北くんに数点差で負けた。しかし、部員達を誘ってユニバへ行こうと言う約束は果たされなかった。約束は覚えていたけれど、最初から冗談だと思っていたから特に残念な気持ちになることはなかった。
□ □ □
夏休最終日――夏期講習で物足りなかった教科を勉強しようと訪れた図書館で北くんと遭遇した。
あ…、と声を発しそうになったが、彼はすぐさま唇に人差し指を当てて“静かに”のサイン。反射的に口元を手で抑えて、一音、飲み込む。それからどちらともなく近づいて小声で話し始めた。
「多分、同じ目的で来とるな」
「うん、受験生だしね」
「けど、汐見の顔見たら勉強よりせなあかんこと思いついたわ。なぁ、お茶でもせえへん?」
数冊の参考書を片手で抱え、目を細めた北くんの琥珀色の瞳が光った。黒の半袖パーカーに涼し気なカーキのアンクルパンツというシンプルコーデは、爽やかさを際立出せていた。貴重な北くんの私服姿を目の当たりにして、胸が躍る。
「一人でやるより汐見に苦手なとこ教えてもらう方が有意義や。俺も教えるし」
「……私は助かるけど、北くんに苦手教科あるの?…っていうかこの世で苦手なものある?」
「あるで。人の事なんや思とるんや」
「神様の使い?」
「ははっ。ほな神様の使いが人間に奢ったるから、おいで」
ふ、と唇が緩く孤を描き、目前の北くんに心臓がバクバクと高鳴り出す。動揺を悟られてはいけない。クラスメイトとして、部員同士として築いてきた信頼関係があるからこそ誘って貰えてるんだ。ここで自分に気があると悟れたなら、一線引かれる。それだけは避けたいことだった。
……気があるどころか。一目惚れで、憧れで、目標で、日々の糧です――なんて言えるワケがない。私は心の内を隠して、出来るだけ自然に笑って頷いた。
・・・・・・・・・・・
図書館で数冊、参考書を借りてから二人で駅方面まで向かって歩いた。夏の日差しは容赦なく照り付け、アスファルトの上は鉄板のようだ。持っていた日傘を差すと『ええとこのお嬢さんみたいやな』と誉められた。雑誌に載っていた今年のトレンドのカラー、ホワイトレースの、おろしたてのワンピース。まさか家族以外に見せることになると思っていなかった。褒められたことは純粋に嬉しい。流行をチェックすべく毎月購読したファッション雑誌は、今日一日の為に役立った。
駅に到着する手前の通り沿いにあるカフェに入ると、店内から優しい木の香りがした。まだオープンして間もない感じがする。そこまで混雑しておらず、静かでいい雰囲気だ。
ゆずシトラスティーとレモネード。二人とも柑橘系の冷たい飲み物を頼み、向かい合わせのテーブル席に座ってノートを広げた。
結局、私ばかりが教えてもらうことになってしまった。やっぱり北くんは完璧だ。苦手教科なんてない。北くんの成績を卒業までに追い抜くことは難しい。そもそも努力の質が違うのか。日々の小テストも、期末のテストも、部活の練習、試合――北くんの場合はピンポイントで力を注ぐことなどしないんだ。反復・継続・丁寧を当たり前にこなすことは常人では至難の業で、北くんの気質は稀有。真似しようと思っても無理だと改めて感服した。
「思えば、クラス内上位争いも二年前の秋頃からやったな。ぐんぐん成績伸ばしてきて、部活もあんのにいつ勉強しとるんや思うとったよ」
「それは北くんも同じでしょ。しかも、苦なくこなしてるし」
「まあ、何事も丁寧にすんの癖みたいなもんや」
ペンをノートの上に置き、グラスを持ってストローで氷をくるくるとかき混ぜた。底に沈んだつぶつぶのレモンがふわりと浮き上がる。冷静になると、こんなシチュエーション不思議で現実味がない。北くんとカフェにいる……これが彼の言う努力の“副産物”?
教室や体育館、部室、強化合宿の施設以外で、北くんと共に時間を過ごすのは初めての事で――目の奥がジンと熱くなって、私は不自然に瞬きをして誤魔化した。
「才色兼備のマネージャーて評判や」
「なんのはなし…?」
「後輩らからも色々聞かれとんのやで、汐見のこと」
「わ、わたし?」
驚きのあまり声が上ずってしまった。最近よく後輩たちから休日の予定を聞かれたり、雑談を振られるのはそのせいだったか。サラリとかわしてたけど、まったく意識していなかった。
逆に、部員の中に意中の男子がいる女子マネには疎まれていることだろう。それでもマネージャー歴・三年目ともなると、誰かに聞かないとわからない業務もないしあまり困っていない。誰も特別扱いせずフラットに接しているから、今のところ困る程のやっかみはなく日常を送れていた。
「付き合うてないんすか?とも聞かれたわ」
「えぇ…なんで北くんに?…あっ、そんなこと聞くの宮ツインズでしょ」
「ああ、せや。『俺なんか相手にされるか』って言っといたわ」
「なっ……!?」
「安心し。すぐ冗談やって訂正しといた」
「もう、心臓に悪い……」
額に汗が滲み大きく息を吐き出した。彼が訂正しなかったら一分後には宮ツインズから誇張された情報が部内に広まっていたことだろう。『北さんを振ったお高くとまっとる女・汐見琴音』…って。胸を撫でおろす様子を見て喉を鳴らして笑う北くんは、あどけなさを残す少年のよう。いつもの凛とした空気を纏う彼も魅力的だけれど、屈託ない笑みは可愛らしい。
冷静さを取り戻さねばと右手に持っていたグラスをペンに持ち替えた時、長い指がトンと手首に触れて離れた。顔を上げて北くんと目が合えば、精悍な顔立ちは眉をひそめていた。
「……手首の痕のこと、後から知った。たまたま目撃してた後輩がおって、俺に報告して来てん。誰かに掴まれた事、気づいとったのに、あん時すぐ聞いてやれなくて悪かったな」
真剣な口調で何を話すのかと思えば、自分でもとっくに忘れていた日の事。北くんの耳に入れるようなレベルの話じゃなかったから言わなかっただけなのに、後輩から報告を受けてたとは知らなかった。
「別にたいしたことないし、掴まれた後に私もやり返したから……」
「せやかて、部員が傷つけられて黙ってられん。余計な真似かもしれへんけど、そいつには釘差しといた」
「いいのに、そんな、それじゃ北くんが恨み買っちゃうよ」
「なんぼでも買うたる。怖いもんなんてないわ」
真っ直ぐ見据えながら堂々と言うものだから、見惚れて言葉が出て来なかった。周囲を気遣って見て見ぬふりをしない、主将として部員を守る姿勢に感服してしまう。
“……ホントは主将としてやったんとちゃうねん”
ふと、聞き逃して逃しそうな程か細い呟きを、聴覚が拾った。
彼の視線の色が変化し、向けられた先の私を射抜くよう眺め入る。
「俺以外の奴に、お前に近寄られたない」
心臓が直接、鷲掴みにされたみたいに痛い。一目惚れした日の、直感的に稲妻が落ちたような感覚とは別物だ。
――これは、“冗談”ではなさそうだ。
目は口ほどに物を言う――このことわざを今ほど実感したことはない。眼差しから意志を感じて、北くんの気持ちが強く心に流れ込んでくる。静寂を保っていた心の中の海が、唐突に波飛沫を上げていた。
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卒業したら進路は別々――北くんは農業系の大学を志望するらしい。私の進路は今のところまだ具体的には決まっていないけど、おそらく同じ大学に通うことはないと思う。
青春を捧げた三年間の後に、残るもの。
憧れを糧に、理想の自分になれた“わたし”がそこに居る。
中学の頃まで自分のことを好きになれなかった平凡な私が、今の自分を好きになって、鏡を見る度に心から誇らしげに笑う事が出来るだろう。そして、その度に高校時代の北くんを思い出す。きっともう、会うことも叶わない想い人が青春の思い出の中で生き続けるんだ。
遠くに居ても、彼の大切な人と穏やかに暮らしていますようにと、静かに祈ってる。いつ、いかなる時も幸せでいて欲しいと願ってる。
だから、絶対に告白なんてしない。彼の困った顔を見たくないし、迷惑かけたくない。出会ってくれただけで、私は充分満たされていた。
北くんはクールに見えて、意外と冗談も言ったりする。
最初はその度にリアクションに迷っていたけど、だんだんと“これはジョークだ”と察して、ツッコミを入れたり堪え切れず笑ったりするのがお決まりだ。涼し気な顔で口角を少しだけ上げて、北くんの微笑む顔が好きだった。
『次の期末も勝負しよか。ほんで、俺が勝ったらユニバ連れてってくれ』
『え!行ったことないの…近いのに…』
『おん。実はない』
――直近の記憶を遡ってみる。
いつからかテストでの総合点勝負がはじまって、賭けるものは互いに何もなかたのだけれど、北くんはある日、唐突に提案してきた。冗談だと思って流そうとしたら、返答待ちみたいな間が出来たものだから少し困惑した。
『じゃあバレー部のみんなで行ってみる?』
『……大所帯で、それもありやな』
北くんはうーんと唸ってからと苦笑していた。結局、一学期の期末テストの総合点は北くんに数点差で負けた。しかし、部員達を誘ってユニバへ行こうと言う約束は果たされなかった。約束は覚えていたけれど、最初から冗談だと思っていたから特に残念な気持ちになることはなかった。
□ □ □
夏休最終日――夏期講習で物足りなかった教科を勉強しようと訪れた図書館で北くんと遭遇した。
あ…、と声を発しそうになったが、彼はすぐさま唇に人差し指を当てて“静かに”のサイン。反射的に口元を手で抑えて、一音、飲み込む。それからどちらともなく近づいて小声で話し始めた。
「多分、同じ目的で来とるな」
「うん、受験生だしね」
「けど、汐見の顔見たら勉強よりせなあかんこと思いついたわ。なぁ、お茶でもせえへん?」
数冊の参考書を片手で抱え、目を細めた北くんの琥珀色の瞳が光った。黒の半袖パーカーに涼し気なカーキのアンクルパンツというシンプルコーデは、爽やかさを際立出せていた。貴重な北くんの私服姿を目の当たりにして、胸が躍る。
「一人でやるより汐見に苦手なとこ教えてもらう方が有意義や。俺も教えるし」
「……私は助かるけど、北くんに苦手教科あるの?…っていうかこの世で苦手なものある?」
「あるで。人の事なんや思とるんや」
「神様の使い?」
「ははっ。ほな神様の使いが人間に奢ったるから、おいで」
ふ、と唇が緩く孤を描き、目前の北くんに心臓がバクバクと高鳴り出す。動揺を悟られてはいけない。クラスメイトとして、部員同士として築いてきた信頼関係があるからこそ誘って貰えてるんだ。ここで自分に気があると悟れたなら、一線引かれる。それだけは避けたいことだった。
……気があるどころか。一目惚れで、憧れで、目標で、日々の糧です――なんて言えるワケがない。私は心の内を隠して、出来るだけ自然に笑って頷いた。
・・・・・・・・・・・
図書館で数冊、参考書を借りてから二人で駅方面まで向かって歩いた。夏の日差しは容赦なく照り付け、アスファルトの上は鉄板のようだ。持っていた日傘を差すと『ええとこのお嬢さんみたいやな』と誉められた。雑誌に載っていた今年のトレンドのカラー、ホワイトレースの、おろしたてのワンピース。まさか家族以外に見せることになると思っていなかった。褒められたことは純粋に嬉しい。流行をチェックすべく毎月購読したファッション雑誌は、今日一日の為に役立った。
駅に到着する手前の通り沿いにあるカフェに入ると、店内から優しい木の香りがした。まだオープンして間もない感じがする。そこまで混雑しておらず、静かでいい雰囲気だ。
ゆずシトラスティーとレモネード。二人とも柑橘系の冷たい飲み物を頼み、向かい合わせのテーブル席に座ってノートを広げた。
結局、私ばかりが教えてもらうことになってしまった。やっぱり北くんは完璧だ。苦手教科なんてない。北くんの成績を卒業までに追い抜くことは難しい。そもそも努力の質が違うのか。日々の小テストも、期末のテストも、部活の練習、試合――北くんの場合はピンポイントで力を注ぐことなどしないんだ。反復・継続・丁寧を当たり前にこなすことは常人では至難の業で、北くんの気質は稀有。真似しようと思っても無理だと改めて感服した。
「思えば、クラス内上位争いも二年前の秋頃からやったな。ぐんぐん成績伸ばしてきて、部活もあんのにいつ勉強しとるんや思うとったよ」
「それは北くんも同じでしょ。しかも、苦なくこなしてるし」
「まあ、何事も丁寧にすんの癖みたいなもんや」
ペンをノートの上に置き、グラスを持ってストローで氷をくるくるとかき混ぜた。底に沈んだつぶつぶのレモンがふわりと浮き上がる。冷静になると、こんなシチュエーション不思議で現実味がない。北くんとカフェにいる……これが彼の言う努力の“副産物”?
教室や体育館、部室、強化合宿の施設以外で、北くんと共に時間を過ごすのは初めての事で――目の奥がジンと熱くなって、私は不自然に瞬きをして誤魔化した。
「才色兼備のマネージャーて評判や」
「なんのはなし…?」
「後輩らからも色々聞かれとんのやで、汐見のこと」
「わ、わたし?」
驚きのあまり声が上ずってしまった。最近よく後輩たちから休日の予定を聞かれたり、雑談を振られるのはそのせいだったか。サラリとかわしてたけど、まったく意識していなかった。
逆に、部員の中に意中の男子がいる女子マネには疎まれていることだろう。それでもマネージャー歴・三年目ともなると、誰かに聞かないとわからない業務もないしあまり困っていない。誰も特別扱いせずフラットに接しているから、今のところ困る程のやっかみはなく日常を送れていた。
「付き合うてないんすか?とも聞かれたわ」
「えぇ…なんで北くんに?…あっ、そんなこと聞くの宮ツインズでしょ」
「ああ、せや。『俺なんか相手にされるか』って言っといたわ」
「なっ……!?」
「安心し。すぐ冗談やって訂正しといた」
「もう、心臓に悪い……」
額に汗が滲み大きく息を吐き出した。彼が訂正しなかったら一分後には宮ツインズから誇張された情報が部内に広まっていたことだろう。『北さんを振ったお高くとまっとる女・汐見琴音』…って。胸を撫でおろす様子を見て喉を鳴らして笑う北くんは、あどけなさを残す少年のよう。いつもの凛とした空気を纏う彼も魅力的だけれど、屈託ない笑みは可愛らしい。
冷静さを取り戻さねばと右手に持っていたグラスをペンに持ち替えた時、長い指がトンと手首に触れて離れた。顔を上げて北くんと目が合えば、精悍な顔立ちは眉をひそめていた。
「……手首の痕のこと、後から知った。たまたま目撃してた後輩がおって、俺に報告して来てん。誰かに掴まれた事、気づいとったのに、あん時すぐ聞いてやれなくて悪かったな」
真剣な口調で何を話すのかと思えば、自分でもとっくに忘れていた日の事。北くんの耳に入れるようなレベルの話じゃなかったから言わなかっただけなのに、後輩から報告を受けてたとは知らなかった。
「別にたいしたことないし、掴まれた後に私もやり返したから……」
「せやかて、部員が傷つけられて黙ってられん。余計な真似かもしれへんけど、そいつには釘差しといた」
「いいのに、そんな、それじゃ北くんが恨み買っちゃうよ」
「なんぼでも買うたる。怖いもんなんてないわ」
真っ直ぐ見据えながら堂々と言うものだから、見惚れて言葉が出て来なかった。周囲を気遣って見て見ぬふりをしない、主将として部員を守る姿勢に感服してしまう。
“……ホントは主将としてやったんとちゃうねん”
ふと、聞き逃して逃しそうな程か細い呟きを、聴覚が拾った。
彼の視線の色が変化し、向けられた先の私を射抜くよう眺め入る。
「俺以外の奴に、お前に近寄られたない」
心臓が直接、鷲掴みにされたみたいに痛い。一目惚れした日の、直感的に稲妻が落ちたような感覚とは別物だ。
――これは、“冗談”ではなさそうだ。
目は口ほどに物を言う――このことわざを今ほど実感したことはない。眼差しから意志を感じて、北くんの気持ちが強く心に流れ込んでくる。静寂を保っていた心の中の海が、唐突に波飛沫を上げていた。