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依々恋々
►坂田銀時
会う度に大きくなる気持ちは、一等星のように輝きだす。
朝が来れば太陽が照らし、夜が来れば月と星が空で光る――幾億年、永久的に続いている。当たり前にそこにあってずっと続いていくという意味では、“彼”に対して芽生えた感情は、宇宙の摂理に似ている。出会ってから今日に至るまでのほんの一年、日に日に募った恋心は、呼吸をするように日常に溶け込んでいた。
沈んでいく夕日を見送って、橙色が一層濃くなる空は刻々と変化していく。暗くなればなるほど、気持ちが逸る。店先に設置してある縁台を片付けながら私は空を見上げた。群青に染まっていくこの時間帯の夏空の色、一番綺麗だ。
……早く会いたい。
胸中で独り言ちたところで、時計の針が早く進むわけではない。そんなことは分かってはいても、願わずにはいられなかった。
会いたい。恋しい。そんな気持ちはどこで覚えてしまったんだろう。誰に教えられたのか。今やどのタイミングだったかさえ思い出せないが、彼を想うと心が急くのだ。『恋に落ちた』より、『気付いたら浸かってた』と例える方がしっくりくる。入ったらそこは泥濘で、自力で上がれない気持ちいい温泉のような沼地だった。
レジ締めを終えた頃、とっぷりと日が落ちたて雲間から顔を覗かせたまんまるの月が、煌々と遠く真上で光っている。今年の七夕も快晴にならず、織姫と彦星は逢えず残念だったなぁなどと思った日から七日も過ぎていた。
――銀さんに初めて出会ったのは、去年の梅雨入り前ぐらいだった。
思い返せば、キッカケはごくありきたりで些細な事。
甘味屋で働き初めて間もない頃、本格的に暑い時間になる開店前に店先で打ち水をしていたら、そこに通りかかった銀さんにかけてしまったのだ。持っていた雑誌にもかかってしまい、湿らせてしまった。まだ開店準備中でお詫びにとご馳走するにも難しく、弁償すると謝っても気にすんな、と、何処吹く風で去って行ってしまった。あまりにも特徴的な風貌だったので、店長に彼の特徴を伝えたらすぐに特定して教えてくれた。寝ぐせのみたいにふわふわしてる白銀の髪、眠たげな眼、服装の特徴から、歌舞伎町で四天王と呼ばれるお登勢さんのお店『スナックお登勢』の二階に住む、万事屋の人だということが分かった。突然で迷惑かと思ったけれど、その日の夜にお詫びにお菓子を持って行ったのが、私が万事屋へ初めて訪れた日だ。
その日を境に、気が付けば“そこ”へ通うようになってしまった。銀さんは甘いものが好きと知った私は、店先で新作のお菓子が出れば味の感想を聞きたいと土産として持って行き、時々、店長から売れ残った商品を持って帰っていいと渡され、おすそ分けに万事屋まで持って行ったりした。
そうしていつしか、仕事帰りに赴く日が増え、他愛のない会話をして過ごす機会が増えた。
夏場、仕事が終わるとまずは銭湯で汗を流してから、私はその場所へ向かった。夕飯はたいていお店のまかないを頂くのでお腹は空いてないけれど、別腹にとスイーツが食べたくなる頃合いだ。
歌舞伎町にある『スナックお登勢』の二階の『万事屋銀ちゃん』。相変わらずでかでかと看板が掲げられていた。吸い込まれるように足が進み、階段を上がって行く。
「こんばんわぁ」
不用心はいつものこと。鍵がかかってないので勝手に玄関の戸を開けて上がり込むのも、もう慣れてしまった。脱いだ草履を揃えてから、廊下を歩いて真っ直ぐ進めばすぐに居間に辿り着く。
わたしの右手には風呂桶、その中には石鹸やらタオルやら風呂道具一式が入っている。でもって左手にはコンビニ袋。お風呂上りにアイスでも食べようと、人数分買って来たのだ。
「お邪魔します」
「おう」
家の主(と言っても借りてるそうだが)に軽く会釈すると、ソファに寝転がりながらテレビを見ていた銀さんが短く返事をして、こちらを見ることなく手をひらりと挙げた。向かいのソファに腰かける私を横目で一瞥すると、視線は再びテレビに戻った。居間には銀さんしかいない様子だった。神楽ちゃんはもう寝てしまったのみたいだ。彼女の寝床である押入れからぐーぐーと気持ちよさそうないびきが、テレビの音と混ざって微かに聞こえてきた。
もう、夜の九時半だ。しかし、夜遅くでも鍵が開きっぱなしで、突然、私がやって来ても何も言わないの。銀さんは心が広いのか、それともあまり関心がないのか分からない。こちらとしては気軽にお邪魔できるからいいけども。
……もしかして私が来るかもって、開けてくれてたりして?
「新八くんは?」
「いったん帰ったんだが忘れもんしたっつってまた来て、さっき出てったぜ。外で会わなかったか?」
「うん、会わなかったよ。わたしがコンビニ寄った時にすれ違ったかな」
すると銀さんは、コンビニ?と聞き返し、ちょっぴり期待を含んだだ声色になる。勿体ぶることなく左手にもっていたコンビニ袋を差し出せば、寝転がっていた姿勢でそれを受け取りながらのそりと起き上がった
「アイス買ってきたの。どうぞ」
「マジでか」
「ちゃんと人数分ありますから。新八くんと神楽ちゃんの分は冷凍庫に入れておきましょうか」
「いや、全部食っちまおーぜ」
おもむろにガサゴソとコンビニ袋を漁りながら薄情な事を淡々と告げるものだから、それはダメですとやんわり制止すれば、銀さんは舌打ちをしつつもちゃんと自分の分だけを取り出して袋を私に返してきた。
私もひとつ取り出して、残りのアイスは冷凍庫へと入れた。今日はバニラアイスが食べたい気分だったので、迷いなく冷凍ショーケースから選んだ。シンプルでコクがあって美味しい、たまに無償に食べたくなる味だ。コンビニの店員さんがアイスの分だけ入れてくれた木のスプーンで掬って頬張り、口の中で溶かす。舌の上にサッパリと甘い味が広がっていった。
「お前ほんとタイミングいいね」
甘いものに機嫌がよくなったのか、銀さんはにへらと笑った。
「窓開けても蒸し暑くてよぉ、空からアイスでも降ってくりゃなって思ってたとこだったんだわ」
じゃあ丁度よかった、と、わたしも嬉しくなって微笑んだ。
風呂上りに、この場所で食べるアイスはこの上なく幸福の味がする。普段からあまり化粧っ気のないわたしは、湯上りの顔を銀さんに晒してもさして気にならない。好きな人を前にそれもどうなのかと考えていた時期もあって、しっかり化粧をしてった日もあったけれど、反応は薄かった…ような。あまり目が合わなかった覚えがある。
銀さんは、いつ見ても銀さんだ。寝ぐせのような無造作な髪型、眠たげな眼――好きだからドキドキもするのに、それ以上に見ていて安心する。夜に訪ねると、銀さんはごろごろとソファに寝転びながらテレビや雑誌を見てまったりと過ごしていることがほとんどだ。
「ごちそーさんっ」
アイスを食べ終えて、満足気な表情。喜んでくれてよかった。
その顔を見ると、一日頑張って働いた甲斐があったと全てが報われた気持ちになる。あなたの存在がどれほど私の日々の糧となっているか、彼は知る由もない。
「最近のバラエティはどれもつまんねーなァ」
それならばテレビを見るのを辞めればいいのに、と返したいところだが、そうですねと曖昧に相槌を打った。たまに、テレビをつけっぱなしにしてソファで寝ている銀さんを目撃したりもする。興味がないのに見てしまうのは、癖みたいなものなのだろう。
彼はソファに寝転んだまま腕をのばして、テーブルにあるリモコンを器用に取った。
「あっ」
チャンネルを変えられ思わず声を上げると、銀さんは首を傾げて視線を向けた。
「……、お前見てたの?」
「あの番組、わりと好きですよ」
「そいつぁ悪かったな。ほれ」
またチャンネルが戻り、銀さんがつまらないと言っていた番組がモニターに写った。つまらないという感想に肯定の相槌を返したはずなのに、チャンネルを変えられたら戻してもらうように促す。
噛み合わないような気もするが、こういうちょっとしたチグハグな会話が私には心地よかった。細かい事は気にしなくていい、まるで家族のような雰囲気。ずっと前から、この人とこんな風に日常を過ごして生きていたのではないかと錯覚するぐらい、他人と一緒にいてリラックスできる空間というのもなかなかないと思った。
・・・・・・
ぽつりぽつりと会話をしながらバラエティ番組を見て、十一時を回ったところで、目が半分閉じかけてた銀さんが大きな欠伸をした。ソファから立ち上がり大きく背伸びをして、玄関の方へ歩き出した。右手の拳を握って、左肩をだるそうにトントンと叩いている。私も風呂桶を抱えて立ち上がって後を追った。――送る、の合図だ。
「ほらよ」
階段を下りると、ヘルメットをこちらに渡してきた。銀さんはスナックお登勢の店の脇に置いてあるスクーターを押して運び、進行方向に向きを変えるとシートに跨った。渡された小ぶりなヘルメットをかぶり、風呂桶をタオルでくるんで縦にしてお腹に抱え込む。着物の裾を少し捲し上げて、私も後部のシートに腰を下ろした。
「ちゃんと掴まっとけ。この前みたいに落っこちそうになんなよ?」
「もう、大丈夫です」
数日前にスクーターに乗せてもらい走ってる途中、ちょっとうたた寝をしてしまったら、銀さんの腰に回す手が緩んで危うく走行中のスクーターから落っこちそうになったことがある。あの時の銀さんはめちゃくちゃ慌てていたし、その日以降は、乗る前に注意喚起されるのがお決まりになった。あと十回くらいは、乗る前に注意されるんだろうなぁ。
あの夜、銀さんに掴まりながら背中に頬を寄せていたら、彼の体温があったかくて、最初は胸が鼓動してたはずなのにいつの間にか気が抜けて眠くなってしまったのだ。落っこちて怪我しなくてホントによかった。
「はっ、…どーだかな」
銀さんは鼻で笑い、つられて私もヘラヘラと笑ったら、“凝りてねーな?”と呆れられた。不意に、私が後ろから回していた手の上から、大きな手が重なってぐっと力が込められた。
「ここを離さなきゃ、落っこちねーから」
「はいはい、わかってます」
手を掴まれた一瞬、ドキリとして上手く笑えず頬が引きつった表情になる。ミラー越しに見られていたらどうしよう。私の心配をよそに、エンジン音が鳴ったスクーターはいつものようにゆっくりと走り出した。
夏の湿気を纏った空気を受けて、走る。
スピードが出てるだけ、歩くより幾分か風も涼しく感じた。
永久的にずっとこの人に恋をして、曖昧でふわふわした名前のない関係がいつまでも続けばいい。ただしいずれ、伝えずにはいられない瞬間があるはずだ。
夜は人知れず更けていき、月あかりと寂しい街灯だけが頼りとなる。静かな江戸の街に、スクーターのエンジン音が響いた。
「これからまだ暑くなりますね」
「だよなぁ、暑くて溶けちまうなァ」
「銀さん」
「ンだよ」
「頭もしゃもしゃ。触ってもいい?」
視線を上に向けると、運転手のヘルメットの下から銀色のふわふわな髪の毛が風に揺れていた。わたあめみたい。触りたくなる魅惑の感触だ。
「あぶねぇからやめろ。片手離すなよ?」
「じゃあ、家に着いたらいいですか?」
「………だめ」
「だって、わたあめみたいで美味しそうですよ?」
「なに?なんなの?銀さんを苛めたいの?オメーは」
「わたあめ食べちゃいたい」
「ハゲるからよせ」
苛立つ声もわざとだってわかるから、私も遠慮もせずに声を立てて笑った。背中にしがみついているので、肺が膨らんで銀さんが大きくため息をついたのが分かった。、…ったくよォ、というぼやきも小さく聞こる。ため息をつかせてしまったな、と反省しながらも愛おしさで顔が綻んでしまう。
私にからかわれてふて腐れる銀さんの背中を見つめてから、空を仰げば、満天の星が夜空を照らしていた。
いつのまにか雲が流れて、月も星も眺め良く姿を現している。
運転している銀さんには申し訳ないけど、後ろに乗せてもらっているだけの私だけが眺められる景色だ。
「銀さん、星がよく見えるよ」
「おう、そーさな」
「明日は晴れそうですね」
「ふーん」
「お休みなら、どこか出かけます?」
「ああ、そーだなぁ」
「……もう、」
適当に返事する銀さん、また背中にぎゅっとしがみつくと、やっぱりあったかい。
「そーいやよぉ」
もっと背中に寄り添ってもバレないかと邪な気持ちが過った時、銀さんは声を張って切り出した。
「来週花火大会があるんだってよ。行きたいんなら連れってってやっても――」
「……っ、行く!行きます!」
まだ全部話し終えてないのに、私は反射的に前のめりな返事をした。
「……あ、そ」
「よろしくお願いします!」
「じゃあその日はちゃんと着てこいよ、浴衣。でないと銀さんの楽しみなくなっちゃうから」
「やだぁ。銀さんおじさんみたい」
「誰がおっさんだコノヤロー」
「絶対着ません」
「おっさんの楽しみを奪って許されると思うなよ!?」
オヤジくさい台詞がおかしくて、肩を揺らして笑ったら、つられて銀さんもくつくつと笑っていた。好きな人からおでかけに誘われて、着飾らないなんて、嘘だ。普段、飾りっ気がない分、その日はとびきりめかしこんで会いに行こうか。手でも繋いで歩けたら最高に嬉しいのけど。さっきの浴衣の件もただの冗談なだけで、銀さんは私を異性として見てないかも知れない。“ただの知り合い”――以上の関係になれるのかどうか、自信が持てない。
――だとしても、『大好き』をちゃんと伝えてみたい。
泣いても笑っても、銀さんの出した答えならどんなものでも勇気をもって受け止める。どういう終止符となるのか想像するだけで怖い。それでも一歩踏み出さないと、何も変わらない。
車の通りもほとんどなく辺りは静かで、この夜の空間にまるで二人だけ取り残されたのだと錯覚しそうになる。ゆるりとしたスピードで走るスクーターの上、私は銀さんの背中に頬を寄せて目を閉じた。大丈夫、今度はうたた寝しない。
エンジンの音でかき消されてしまう程、か細い声で愛を囁こう。想いが届きますようにと、瞬く星に願いを込めて。
►坂田銀時
会う度に大きくなる気持ちは、一等星のように輝きだす。
朝が来れば太陽が照らし、夜が来れば月と星が空で光る――幾億年、永久的に続いている。当たり前にそこにあってずっと続いていくという意味では、“彼”に対して芽生えた感情は、宇宙の摂理に似ている。出会ってから今日に至るまでのほんの一年、日に日に募った恋心は、呼吸をするように日常に溶け込んでいた。
沈んでいく夕日を見送って、橙色が一層濃くなる空は刻々と変化していく。暗くなればなるほど、気持ちが逸る。店先に設置してある縁台を片付けながら私は空を見上げた。群青に染まっていくこの時間帯の夏空の色、一番綺麗だ。
……早く会いたい。
胸中で独り言ちたところで、時計の針が早く進むわけではない。そんなことは分かってはいても、願わずにはいられなかった。
会いたい。恋しい。そんな気持ちはどこで覚えてしまったんだろう。誰に教えられたのか。今やどのタイミングだったかさえ思い出せないが、彼を想うと心が急くのだ。『恋に落ちた』より、『気付いたら浸かってた』と例える方がしっくりくる。入ったらそこは泥濘で、自力で上がれない気持ちいい温泉のような沼地だった。
レジ締めを終えた頃、とっぷりと日が落ちたて雲間から顔を覗かせたまんまるの月が、煌々と遠く真上で光っている。今年の七夕も快晴にならず、織姫と彦星は逢えず残念だったなぁなどと思った日から七日も過ぎていた。
――銀さんに初めて出会ったのは、去年の梅雨入り前ぐらいだった。
思い返せば、キッカケはごくありきたりで些細な事。
甘味屋で働き初めて間もない頃、本格的に暑い時間になる開店前に店先で打ち水をしていたら、そこに通りかかった銀さんにかけてしまったのだ。持っていた雑誌にもかかってしまい、湿らせてしまった。まだ開店準備中でお詫びにとご馳走するにも難しく、弁償すると謝っても気にすんな、と、何処吹く風で去って行ってしまった。あまりにも特徴的な風貌だったので、店長に彼の特徴を伝えたらすぐに特定して教えてくれた。寝ぐせのみたいにふわふわしてる白銀の髪、眠たげな眼、服装の特徴から、歌舞伎町で四天王と呼ばれるお登勢さんのお店『スナックお登勢』の二階に住む、万事屋の人だということが分かった。突然で迷惑かと思ったけれど、その日の夜にお詫びにお菓子を持って行ったのが、私が万事屋へ初めて訪れた日だ。
その日を境に、気が付けば“そこ”へ通うようになってしまった。銀さんは甘いものが好きと知った私は、店先で新作のお菓子が出れば味の感想を聞きたいと土産として持って行き、時々、店長から売れ残った商品を持って帰っていいと渡され、おすそ分けに万事屋まで持って行ったりした。
そうしていつしか、仕事帰りに赴く日が増え、他愛のない会話をして過ごす機会が増えた。
夏場、仕事が終わるとまずは銭湯で汗を流してから、私はその場所へ向かった。夕飯はたいていお店のまかないを頂くのでお腹は空いてないけれど、別腹にとスイーツが食べたくなる頃合いだ。
歌舞伎町にある『スナックお登勢』の二階の『万事屋銀ちゃん』。相変わらずでかでかと看板が掲げられていた。吸い込まれるように足が進み、階段を上がって行く。
「こんばんわぁ」
不用心はいつものこと。鍵がかかってないので勝手に玄関の戸を開けて上がり込むのも、もう慣れてしまった。脱いだ草履を揃えてから、廊下を歩いて真っ直ぐ進めばすぐに居間に辿り着く。
わたしの右手には風呂桶、その中には石鹸やらタオルやら風呂道具一式が入っている。でもって左手にはコンビニ袋。お風呂上りにアイスでも食べようと、人数分買って来たのだ。
「お邪魔します」
「おう」
家の主(と言っても借りてるそうだが)に軽く会釈すると、ソファに寝転がりながらテレビを見ていた銀さんが短く返事をして、こちらを見ることなく手をひらりと挙げた。向かいのソファに腰かける私を横目で一瞥すると、視線は再びテレビに戻った。居間には銀さんしかいない様子だった。神楽ちゃんはもう寝てしまったのみたいだ。彼女の寝床である押入れからぐーぐーと気持ちよさそうないびきが、テレビの音と混ざって微かに聞こえてきた。
もう、夜の九時半だ。しかし、夜遅くでも鍵が開きっぱなしで、突然、私がやって来ても何も言わないの。銀さんは心が広いのか、それともあまり関心がないのか分からない。こちらとしては気軽にお邪魔できるからいいけども。
……もしかして私が来るかもって、開けてくれてたりして?
「新八くんは?」
「いったん帰ったんだが忘れもんしたっつってまた来て、さっき出てったぜ。外で会わなかったか?」
「うん、会わなかったよ。わたしがコンビニ寄った時にすれ違ったかな」
すると銀さんは、コンビニ?と聞き返し、ちょっぴり期待を含んだだ声色になる。勿体ぶることなく左手にもっていたコンビニ袋を差し出せば、寝転がっていた姿勢でそれを受け取りながらのそりと起き上がった
「アイス買ってきたの。どうぞ」
「マジでか」
「ちゃんと人数分ありますから。新八くんと神楽ちゃんの分は冷凍庫に入れておきましょうか」
「いや、全部食っちまおーぜ」
おもむろにガサゴソとコンビニ袋を漁りながら薄情な事を淡々と告げるものだから、それはダメですとやんわり制止すれば、銀さんは舌打ちをしつつもちゃんと自分の分だけを取り出して袋を私に返してきた。
私もひとつ取り出して、残りのアイスは冷凍庫へと入れた。今日はバニラアイスが食べたい気分だったので、迷いなく冷凍ショーケースから選んだ。シンプルでコクがあって美味しい、たまに無償に食べたくなる味だ。コンビニの店員さんがアイスの分だけ入れてくれた木のスプーンで掬って頬張り、口の中で溶かす。舌の上にサッパリと甘い味が広がっていった。
「お前ほんとタイミングいいね」
甘いものに機嫌がよくなったのか、銀さんはにへらと笑った。
「窓開けても蒸し暑くてよぉ、空からアイスでも降ってくりゃなって思ってたとこだったんだわ」
じゃあ丁度よかった、と、わたしも嬉しくなって微笑んだ。
風呂上りに、この場所で食べるアイスはこの上なく幸福の味がする。普段からあまり化粧っ気のないわたしは、湯上りの顔を銀さんに晒してもさして気にならない。好きな人を前にそれもどうなのかと考えていた時期もあって、しっかり化粧をしてった日もあったけれど、反応は薄かった…ような。あまり目が合わなかった覚えがある。
銀さんは、いつ見ても銀さんだ。寝ぐせのような無造作な髪型、眠たげな眼――好きだからドキドキもするのに、それ以上に見ていて安心する。夜に訪ねると、銀さんはごろごろとソファに寝転びながらテレビや雑誌を見てまったりと過ごしていることがほとんどだ。
「ごちそーさんっ」
アイスを食べ終えて、満足気な表情。喜んでくれてよかった。
その顔を見ると、一日頑張って働いた甲斐があったと全てが報われた気持ちになる。あなたの存在がどれほど私の日々の糧となっているか、彼は知る由もない。
「最近のバラエティはどれもつまんねーなァ」
それならばテレビを見るのを辞めればいいのに、と返したいところだが、そうですねと曖昧に相槌を打った。たまに、テレビをつけっぱなしにしてソファで寝ている銀さんを目撃したりもする。興味がないのに見てしまうのは、癖みたいなものなのだろう。
彼はソファに寝転んだまま腕をのばして、テーブルにあるリモコンを器用に取った。
「あっ」
チャンネルを変えられ思わず声を上げると、銀さんは首を傾げて視線を向けた。
「……、お前見てたの?」
「あの番組、わりと好きですよ」
「そいつぁ悪かったな。ほれ」
またチャンネルが戻り、銀さんがつまらないと言っていた番組がモニターに写った。つまらないという感想に肯定の相槌を返したはずなのに、チャンネルを変えられたら戻してもらうように促す。
噛み合わないような気もするが、こういうちょっとしたチグハグな会話が私には心地よかった。細かい事は気にしなくていい、まるで家族のような雰囲気。ずっと前から、この人とこんな風に日常を過ごして生きていたのではないかと錯覚するぐらい、他人と一緒にいてリラックスできる空間というのもなかなかないと思った。
・・・・・・
ぽつりぽつりと会話をしながらバラエティ番組を見て、十一時を回ったところで、目が半分閉じかけてた銀さんが大きな欠伸をした。ソファから立ち上がり大きく背伸びをして、玄関の方へ歩き出した。右手の拳を握って、左肩をだるそうにトントンと叩いている。私も風呂桶を抱えて立ち上がって後を追った。――送る、の合図だ。
「ほらよ」
階段を下りると、ヘルメットをこちらに渡してきた。銀さんはスナックお登勢の店の脇に置いてあるスクーターを押して運び、進行方向に向きを変えるとシートに跨った。渡された小ぶりなヘルメットをかぶり、風呂桶をタオルでくるんで縦にしてお腹に抱え込む。着物の裾を少し捲し上げて、私も後部のシートに腰を下ろした。
「ちゃんと掴まっとけ。この前みたいに落っこちそうになんなよ?」
「もう、大丈夫です」
数日前にスクーターに乗せてもらい走ってる途中、ちょっとうたた寝をしてしまったら、銀さんの腰に回す手が緩んで危うく走行中のスクーターから落っこちそうになったことがある。あの時の銀さんはめちゃくちゃ慌てていたし、その日以降は、乗る前に注意喚起されるのがお決まりになった。あと十回くらいは、乗る前に注意されるんだろうなぁ。
あの夜、銀さんに掴まりながら背中に頬を寄せていたら、彼の体温があったかくて、最初は胸が鼓動してたはずなのにいつの間にか気が抜けて眠くなってしまったのだ。落っこちて怪我しなくてホントによかった。
「はっ、…どーだかな」
銀さんは鼻で笑い、つられて私もヘラヘラと笑ったら、“凝りてねーな?”と呆れられた。不意に、私が後ろから回していた手の上から、大きな手が重なってぐっと力が込められた。
「ここを離さなきゃ、落っこちねーから」
「はいはい、わかってます」
手を掴まれた一瞬、ドキリとして上手く笑えず頬が引きつった表情になる。ミラー越しに見られていたらどうしよう。私の心配をよそに、エンジン音が鳴ったスクーターはいつものようにゆっくりと走り出した。
夏の湿気を纏った空気を受けて、走る。
スピードが出てるだけ、歩くより幾分か風も涼しく感じた。
永久的にずっとこの人に恋をして、曖昧でふわふわした名前のない関係がいつまでも続けばいい。ただしいずれ、伝えずにはいられない瞬間があるはずだ。
夜は人知れず更けていき、月あかりと寂しい街灯だけが頼りとなる。静かな江戸の街に、スクーターのエンジン音が響いた。
「これからまだ暑くなりますね」
「だよなぁ、暑くて溶けちまうなァ」
「銀さん」
「ンだよ」
「頭もしゃもしゃ。触ってもいい?」
視線を上に向けると、運転手のヘルメットの下から銀色のふわふわな髪の毛が風に揺れていた。わたあめみたい。触りたくなる魅惑の感触だ。
「あぶねぇからやめろ。片手離すなよ?」
「じゃあ、家に着いたらいいですか?」
「………だめ」
「だって、わたあめみたいで美味しそうですよ?」
「なに?なんなの?銀さんを苛めたいの?オメーは」
「わたあめ食べちゃいたい」
「ハゲるからよせ」
苛立つ声もわざとだってわかるから、私も遠慮もせずに声を立てて笑った。背中にしがみついているので、肺が膨らんで銀さんが大きくため息をついたのが分かった。、…ったくよォ、というぼやきも小さく聞こる。ため息をつかせてしまったな、と反省しながらも愛おしさで顔が綻んでしまう。
私にからかわれてふて腐れる銀さんの背中を見つめてから、空を仰げば、満天の星が夜空を照らしていた。
いつのまにか雲が流れて、月も星も眺め良く姿を現している。
運転している銀さんには申し訳ないけど、後ろに乗せてもらっているだけの私だけが眺められる景色だ。
「銀さん、星がよく見えるよ」
「おう、そーさな」
「明日は晴れそうですね」
「ふーん」
「お休みなら、どこか出かけます?」
「ああ、そーだなぁ」
「……もう、」
適当に返事する銀さん、また背中にぎゅっとしがみつくと、やっぱりあったかい。
「そーいやよぉ」
もっと背中に寄り添ってもバレないかと邪な気持ちが過った時、銀さんは声を張って切り出した。
「来週花火大会があるんだってよ。行きたいんなら連れってってやっても――」
「……っ、行く!行きます!」
まだ全部話し終えてないのに、私は反射的に前のめりな返事をした。
「……あ、そ」
「よろしくお願いします!」
「じゃあその日はちゃんと着てこいよ、浴衣。でないと銀さんの楽しみなくなっちゃうから」
「やだぁ。銀さんおじさんみたい」
「誰がおっさんだコノヤロー」
「絶対着ません」
「おっさんの楽しみを奪って許されると思うなよ!?」
オヤジくさい台詞がおかしくて、肩を揺らして笑ったら、つられて銀さんもくつくつと笑っていた。好きな人からおでかけに誘われて、着飾らないなんて、嘘だ。普段、飾りっ気がない分、その日はとびきりめかしこんで会いに行こうか。手でも繋いで歩けたら最高に嬉しいのけど。さっきの浴衣の件もただの冗談なだけで、銀さんは私を異性として見てないかも知れない。“ただの知り合い”――以上の関係になれるのかどうか、自信が持てない。
――だとしても、『大好き』をちゃんと伝えてみたい。
泣いても笑っても、銀さんの出した答えならどんなものでも勇気をもって受け止める。どういう終止符となるのか想像するだけで怖い。それでも一歩踏み出さないと、何も変わらない。
車の通りもほとんどなく辺りは静かで、この夜の空間にまるで二人だけ取り残されたのだと錯覚しそうになる。ゆるりとしたスピードで走るスクーターの上、私は銀さんの背中に頬を寄せて目を閉じた。大丈夫、今度はうたた寝しない。
エンジンの音でかき消されてしまう程、か細い声で愛を囁こう。想いが届きますようにと、瞬く星に願いを込めて。
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