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御守りの第二ボタン
►流川楓
本日、富ヶ丘中の卒業式。桜舞い散る青空の下、私は人気のない中庭にある生徒から呼び出されていた。
――文芸部の後輩の男子に。
このタイミングで呼び出される理由がわからない程、私は鈍感ではない。卒業証書の筒を握りしめながら告白の断り文句を考えるものの、卒業式も無事終わり、安穏とした気分の中でそれっぽい返答が思いつかない。
目の前の彼が緊張気味に「あの、」と声を発した瞬間、後ろ手を強い力で引っ張られて私は後ろに倒れこんだ。
「わっ!」
混乱のまま尻餅を着く覚悟をして目を瞑るも、大きな手に抱き止めらた。目を開けた刹那、その鋭い眼光と目が合い驚きのあまり肩を竦ませてしまった。艶やかな黒髪が目にかかるも、隙間から見え隠れする三白眼が私を覗き込んでいた。腕を引っ張ったのも抱き止めたのも同一人物だと、咄嗟に悟る。
余裕で女子一人を簡単に支えられるいい体格、180cmを超える長身の彼は、二年生の――
「楓くん!?どうしたの?」
「ちょっと用事」
ぽつりと一言だけ告げるとそのまま私の腕を引っ張って楓くんは歩き始めた。告白をしようとしていた後輩は呆気にとられてその場に立ち尽くしていた。バスケ部エースの楓くんを止める事など無理だと諦めたついでに、私への告白も諦めたのだろう。あっさり諦めたってコトは、さして私の事を好きではなかったのかな。卒業生は去ってくからその前にワンチャン的な?…などと心の中で妙に納得していたら、体育館裏にまで腕を引かれて連れて来られ、楓くんはやっとそこで私を解放してくれた。
…用事ってなに?
彼は家が真向いのご近所さん。
幼稚園も一緒なので送迎バスは乗る場所も降りる場所も同じ。小学校も一緒でなんだったら6年間同じ通学班で登校していた。高学年になると私が先頭になり、低学年の子を挟んで一番後ろに楓くんの並び。班長と副班長の役をそれぞれ担った。
そして中学も一緒の富ヶ丘中だ。ここら近辺に住んでる子ならだいたい富ヶ丘へ進学しているだろうから珍しいことではない。
私の方が一学年上だし部活も別々だから、中学に入学してからの関わりはわりと薄い。すれ違えば挨拶して時々雑談する程度。もともと口数が少ない楓くんが私の話をふむふむと聞いている感じだが、あまり長く彼と話してると周囲の女子から睨まられるから気を付けている。
学年合同の学校行事で時々同じ班分けになったり、親同士が旅行の土産を渡しに行ったりとそのぐらいの仲だ。
“幼馴染”と呼ぶほどの仲ではなく、“ご近所さん”と呼んだ方がしっくりくる。
だから、卒業式の日にわざわざ探して連れ出さなくても、帰ってから我が家のインターホンを押して呼び出してくれればよかったんじゃないか?
訝し気な視線を向けると、彼は少し迷った手で私のブレザーのボタンを指差した。
「それ、貰っていいか」
「ボタン?いいけど……失くしちゃったの?」
「ちがう」
富ヶ丘中の制服は、男女共通のブレザーの正面にボタンが付いている。失くした時の予備として持っておきたいということだろう。
上のボタンから力任せにぐっと引っ張って取ろうとすると、楓くんは首を横に振った。
「それじゃない。こっち」
彼が改めて指差しで示したのは上から二番目のボタンだった。
ふと、憶測が頭を過る。昔から寡黙でバスケット以外興味なさそうな楓くんが、卒業式の今日、私の第二ボタンを欲しがる意味。深読みすると自然と頬が熱くなってしまうので、とりあえず言われた通り第二ボタンを取って楓くんに差し出した。
大きな手の平がズイッと前に出てきたので、そこへポトリとボタンを落とした。
「借りるだけ。ちゃんと返す」
「……返す?」
返されてしまうなら、第二ボタンでよくある話ではないなと瞬時に察した。こっちのボタンのが汚れてなかっただけとか、単純な事だったのかも。勘違いだったかと内心でかぶりを振って楓くんに聞き返すと、彼は少し沈黙してから口を開いた。
「俺も来年、湘北行くから」
「え、バスケの強豪校から誘われてなかった?」
「湘北のが家から近い」
「確かにねぇ。私も同じ理由で受けたらから気持ちはわかるよ」
家から自転車か徒歩で通える高校なんて限られてるからって、志望理由まで一緒なんて。楓くんも朝はギリギリまで寝ていないタイプなのだろう。
しかし、バスケットばかりやってきた彼もいよいよ部活引退後からは受験生か。
強豪校からのスカウトなら推薦枠で行けるから受験勉強も免除なのに、断ってよかったんだろうか。
来年の春なんてまだまだ先のように思えても、きっとその日が来るのはあっという間なんだろうな。
「合格したら入学式の日に返す」
「私のボタンを願掛けの御守りに?」
「……まぁ、そんなとこ」
「そっか。それなら、“湘北の先輩”のだからご利益あると思うよ」
私がふふっと笑っても、コクリと頷くだけで、口数も少なく表情もほとんど変わらない楓くん。いつも何を考えているかわからなかった。理解不能な言動は昔からちょくちょくあるから、見慣れてるのでさして驚かない。その謎な願掛け方法にも。オリジナリティ溢れる御守りの解釈にも。
しかし、思い返してみても彼が私に何かを欲しがったのは初めての事だった。
これから受験勉強大変だね、と告げると楓くんは不意に私をじっと見つめた。
「……せんせー」
「せ、先生やらないよ?小学生の宿題手伝うみたいに簡単じゃないもの、昔とは違うよ」
「何が違う。わからん」
顔の前で手を慌てて振り、申し出をすぐに断ると、楓くんは不満そうに少しだけ唇を尖らせた。
確かに小学生の頃は夏休みに毎年、楓くんのお母さんに頼まれて宿題を見てあげたことはあった。楓くんのご両親が、お礼に出前でお寿司やうな重を頼んでくれるので、その日の夕飯は流川家で食べるのを楽しみに教えに行ったものだ。
だが受験勉強となるとそうはいかない。夏期講習を受けるなり、塾へ行くなり、家庭教師を雇うなりしてもらわないと。
「琴音は琴音。何も変わってねー」
全く別の意味で『昔とは違う』を捉えていて否定してくる。相変わらず彼の着目点はわからない。
ずいっと高圧的に詰め寄られ意図せず壁ドンされる状態になっても、私は負けじと卒業証書の筒を前に出して防御のポーズを取る。
“人の受験勉強にまで責任は負えません!”という本来の意味が伝わったのか、楓くんは一歩引いて舌打ちを漏らした。
不意に、私が持っている筒を一瞥すると、思い出したように彼はゆっくり瞬きをしてから軽くお辞儀をした。
「言い忘れてた。ほんじつは、ご卒業おめでとうございます」
「……うん、ありがとう」
今日の卒業式は二年生も出席していて送辞も読み上げていただろうに。一体何の式だと思っていたのやら。多分…いや、絶対寝てたんだろうな。
律儀に敬語を使うものだからそれが可笑しくて私が笑い出すと、楓くんは不思議そう首を傾げていた。
ふと、『何も変わってねー』と言った彼の台詞が脳裏に過る。
何も変わってないはずがない。私たちは思春期を経て日々、大人になっていくんだ。顔も体も骨格も身長も、心も。
小学校の卒業式には呼び出して告白なんてベタ行事はなかったはずなのに、中学になると途端に増える。この私でさえも呼び出されたぐらいだ。
変わってないように見えるのは、楓くんの中で私に対しての思い出補正があるからでは?
憶測に過ぎない事を考えて続けても意味がないのはわかっているが、どうにも楓くんを前にすると思考を巡らせる癖が抜けなかった。
「すぐに追い付く」
ふぅ、と息をついて一言。春風に乗って消えてしまうような小さな呟きだった。
独り言だったのかなと思い返事のしようもなく彼を見上げると、鋭い視線で私を見つめていた。目で何かを訴えかけてくるような、意思があるような、例えば色を付けるなら赤色が直感的に浮かんだ。
長いまつげが印象的な漆黒色の瞳に捉えられ、心臓が高鳴りだす。
私に“追いつく”という事。そこに言葉以上の意味が在るみたいに聞こえた。錯覚にしてはハッキリしている。
――追いついたとして?
来年の春、湘北高校に合格した彼は、入学式の帰りに私の家に寄り第二ボタンを返しに来る。きっとまた律儀にお礼を伝えてくるだろう。ただ、それだけじゃ済まない予感がした。
私は楓くんに確認してしまう。第二ボタンを欲しがったその理由を。
►流川楓
本日、富ヶ丘中の卒業式。桜舞い散る青空の下、私は人気のない中庭にある生徒から呼び出されていた。
――文芸部の後輩の男子に。
このタイミングで呼び出される理由がわからない程、私は鈍感ではない。卒業証書の筒を握りしめながら告白の断り文句を考えるものの、卒業式も無事終わり、安穏とした気分の中でそれっぽい返答が思いつかない。
目の前の彼が緊張気味に「あの、」と声を発した瞬間、後ろ手を強い力で引っ張られて私は後ろに倒れこんだ。
「わっ!」
混乱のまま尻餅を着く覚悟をして目を瞑るも、大きな手に抱き止めらた。目を開けた刹那、その鋭い眼光と目が合い驚きのあまり肩を竦ませてしまった。艶やかな黒髪が目にかかるも、隙間から見え隠れする三白眼が私を覗き込んでいた。腕を引っ張ったのも抱き止めたのも同一人物だと、咄嗟に悟る。
余裕で女子一人を簡単に支えられるいい体格、180cmを超える長身の彼は、二年生の――
「楓くん!?どうしたの?」
「ちょっと用事」
ぽつりと一言だけ告げるとそのまま私の腕を引っ張って楓くんは歩き始めた。告白をしようとしていた後輩は呆気にとられてその場に立ち尽くしていた。バスケ部エースの楓くんを止める事など無理だと諦めたついでに、私への告白も諦めたのだろう。あっさり諦めたってコトは、さして私の事を好きではなかったのかな。卒業生は去ってくからその前にワンチャン的な?…などと心の中で妙に納得していたら、体育館裏にまで腕を引かれて連れて来られ、楓くんはやっとそこで私を解放してくれた。
…用事ってなに?
彼は家が真向いのご近所さん。
幼稚園も一緒なので送迎バスは乗る場所も降りる場所も同じ。小学校も一緒でなんだったら6年間同じ通学班で登校していた。高学年になると私が先頭になり、低学年の子を挟んで一番後ろに楓くんの並び。班長と副班長の役をそれぞれ担った。
そして中学も一緒の富ヶ丘中だ。ここら近辺に住んでる子ならだいたい富ヶ丘へ進学しているだろうから珍しいことではない。
私の方が一学年上だし部活も別々だから、中学に入学してからの関わりはわりと薄い。すれ違えば挨拶して時々雑談する程度。もともと口数が少ない楓くんが私の話をふむふむと聞いている感じだが、あまり長く彼と話してると周囲の女子から睨まられるから気を付けている。
学年合同の学校行事で時々同じ班分けになったり、親同士が旅行の土産を渡しに行ったりとそのぐらいの仲だ。
“幼馴染”と呼ぶほどの仲ではなく、“ご近所さん”と呼んだ方がしっくりくる。
だから、卒業式の日にわざわざ探して連れ出さなくても、帰ってから我が家のインターホンを押して呼び出してくれればよかったんじゃないか?
訝し気な視線を向けると、彼は少し迷った手で私のブレザーのボタンを指差した。
「それ、貰っていいか」
「ボタン?いいけど……失くしちゃったの?」
「ちがう」
富ヶ丘中の制服は、男女共通のブレザーの正面にボタンが付いている。失くした時の予備として持っておきたいということだろう。
上のボタンから力任せにぐっと引っ張って取ろうとすると、楓くんは首を横に振った。
「それじゃない。こっち」
彼が改めて指差しで示したのは上から二番目のボタンだった。
ふと、憶測が頭を過る。昔から寡黙でバスケット以外興味なさそうな楓くんが、卒業式の今日、私の第二ボタンを欲しがる意味。深読みすると自然と頬が熱くなってしまうので、とりあえず言われた通り第二ボタンを取って楓くんに差し出した。
大きな手の平がズイッと前に出てきたので、そこへポトリとボタンを落とした。
「借りるだけ。ちゃんと返す」
「……返す?」
返されてしまうなら、第二ボタンでよくある話ではないなと瞬時に察した。こっちのボタンのが汚れてなかっただけとか、単純な事だったのかも。勘違いだったかと内心でかぶりを振って楓くんに聞き返すと、彼は少し沈黙してから口を開いた。
「俺も来年、湘北行くから」
「え、バスケの強豪校から誘われてなかった?」
「湘北のが家から近い」
「確かにねぇ。私も同じ理由で受けたらから気持ちはわかるよ」
家から自転車か徒歩で通える高校なんて限られてるからって、志望理由まで一緒なんて。楓くんも朝はギリギリまで寝ていないタイプなのだろう。
しかし、バスケットばかりやってきた彼もいよいよ部活引退後からは受験生か。
強豪校からのスカウトなら推薦枠で行けるから受験勉強も免除なのに、断ってよかったんだろうか。
来年の春なんてまだまだ先のように思えても、きっとその日が来るのはあっという間なんだろうな。
「合格したら入学式の日に返す」
「私のボタンを願掛けの御守りに?」
「……まぁ、そんなとこ」
「そっか。それなら、“湘北の先輩”のだからご利益あると思うよ」
私がふふっと笑っても、コクリと頷くだけで、口数も少なく表情もほとんど変わらない楓くん。いつも何を考えているかわからなかった。理解不能な言動は昔からちょくちょくあるから、見慣れてるのでさして驚かない。その謎な願掛け方法にも。オリジナリティ溢れる御守りの解釈にも。
しかし、思い返してみても彼が私に何かを欲しがったのは初めての事だった。
これから受験勉強大変だね、と告げると楓くんは不意に私をじっと見つめた。
「……せんせー」
「せ、先生やらないよ?小学生の宿題手伝うみたいに簡単じゃないもの、昔とは違うよ」
「何が違う。わからん」
顔の前で手を慌てて振り、申し出をすぐに断ると、楓くんは不満そうに少しだけ唇を尖らせた。
確かに小学生の頃は夏休みに毎年、楓くんのお母さんに頼まれて宿題を見てあげたことはあった。楓くんのご両親が、お礼に出前でお寿司やうな重を頼んでくれるので、その日の夕飯は流川家で食べるのを楽しみに教えに行ったものだ。
だが受験勉強となるとそうはいかない。夏期講習を受けるなり、塾へ行くなり、家庭教師を雇うなりしてもらわないと。
「琴音は琴音。何も変わってねー」
全く別の意味で『昔とは違う』を捉えていて否定してくる。相変わらず彼の着目点はわからない。
ずいっと高圧的に詰め寄られ意図せず壁ドンされる状態になっても、私は負けじと卒業証書の筒を前に出して防御のポーズを取る。
“人の受験勉強にまで責任は負えません!”という本来の意味が伝わったのか、楓くんは一歩引いて舌打ちを漏らした。
不意に、私が持っている筒を一瞥すると、思い出したように彼はゆっくり瞬きをしてから軽くお辞儀をした。
「言い忘れてた。ほんじつは、ご卒業おめでとうございます」
「……うん、ありがとう」
今日の卒業式は二年生も出席していて送辞も読み上げていただろうに。一体何の式だと思っていたのやら。多分…いや、絶対寝てたんだろうな。
律儀に敬語を使うものだからそれが可笑しくて私が笑い出すと、楓くんは不思議そう首を傾げていた。
ふと、『何も変わってねー』と言った彼の台詞が脳裏に過る。
何も変わってないはずがない。私たちは思春期を経て日々、大人になっていくんだ。顔も体も骨格も身長も、心も。
小学校の卒業式には呼び出して告白なんてベタ行事はなかったはずなのに、中学になると途端に増える。この私でさえも呼び出されたぐらいだ。
変わってないように見えるのは、楓くんの中で私に対しての思い出補正があるからでは?
憶測に過ぎない事を考えて続けても意味がないのはわかっているが、どうにも楓くんを前にすると思考を巡らせる癖が抜けなかった。
「すぐに追い付く」
ふぅ、と息をついて一言。春風に乗って消えてしまうような小さな呟きだった。
独り言だったのかなと思い返事のしようもなく彼を見上げると、鋭い視線で私を見つめていた。目で何かを訴えかけてくるような、意思があるような、例えば色を付けるなら赤色が直感的に浮かんだ。
長いまつげが印象的な漆黒色の瞳に捉えられ、心臓が高鳴りだす。
私に“追いつく”という事。そこに言葉以上の意味が在るみたいに聞こえた。錯覚にしてはハッキリしている。
――追いついたとして?
来年の春、湘北高校に合格した彼は、入学式の帰りに私の家に寄り第二ボタンを返しに来る。きっとまた律儀にお礼を伝えてくるだろう。ただ、それだけじゃ済まない予感がした。
私は楓くんに確認してしまう。第二ボタンを欲しがったその理由を。