黒子くんと大学生マネージャー
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サマーメモリー
誠凛バスケ部にマネージャーが来ました。
募集をかけてもなかなかマネージャーが来なかったうちの部に、臨時マネージャーです。
琴音さんの作ったドリンクは美味しいです。
監督の指示でサプリメントを混ぜ込んでいるはずなのに味が調節されています。
時々、レモンのはちみつ漬けも持ってきてくれますが、ちゃんと輪切りにされています。
…感動です。
そんな回想をしつつ――。
琴音さんを家まで送り届けた後、僕はそんなことを考えながら改めて彼女に感謝していた。
今頃になって、顧問の武田先生の家が自分の帰りのルートにあると知り、部活の帰りに琴音さんと僕は帰路を共にした。
ご両親が転勤とのことで、琴音さんはその間は武田先生と一緒に住んでいて、大学もそこから通っているらしい。
もっと早く気づいていれば一緒に帰れることもあったのになと思う反面、これからは時々こうして一緒に帰ろうと思う。
『春先になるとおかしな奴ががうろうろすることもあるから、遅くなったらちゃんと送ってあげて!』と、監督にも言われたのだ。
監督は変質者もぶっとばしそうな感じで心配ないですが、確かに琴音さんは普通の女性なので、心配です。
「春先」といっていたのに、その直後に「夏も!秋も!冬も!」と言ってました。それは通年、おかしな奴がうろうろしているという解釈でよかったのだろうか。
「それじゃあ、また明日ね」
琴音さんは家の前で、僕が曲がり角で見えなくなるまで見送ってくれた。送ってくれたことへも毎回お礼を言ってくれた。
僕にとっては通り道だから、特にお礼を言われるようなことでもないのに。彼女はとても律儀な性格だと思う。
また明日、ということは、明日も部活の時間に琴音さんは来るのだ。大学の授業時間はまちまちで、バイトも合間にいれていたりするらしい。
どんなライフスタイルなんだろう。3つ上の大学生なので、高校生活をほとんど部活に費やしている僕たちには想像しかできない。
彼女の声が耳に残る。特別な言葉を言ったわけでもないのに、何故だがそれが特別に聞こえた。
…疲れているのかも。いや、かもでなく、想像以上にきつい練習に疲労を感じないほうがおかしい。
今日は早く寝た方がいい。いつも以上に深く眠れるような気がする。
はじめて彼女が挨拶にきた日に、僕を見て「シックスマン」と呟いた。。
キセキの世代は5人。
だけど彼らの影として試合にでていた僕を、世間ではそう呼んでいたらしいのだ。
名前も知れない、実在するかしないかも知り得ない、試合記録もない、幻の6人目。
ただ影が薄いだけだと思うも、それを「幻」だんなんてずいぶん飛躍されてる気もする。
そう呼ばれているのは中学時代に黄瀬くん伝で聞いていたので、琴音さんが呼んだのは僕のことなのだとすぐに分かった。
彼女にそう呼ばれてつい、会釈をしてしまったことを今でも覚えている。
ただ、「僕のことだ」と思って会釈を返したわけじゃない。
はじめて会う女性なのに、はじめて会った気がしない――と、本能的に感じ体が自然に動いて会釈したのだ。
あんなことは生まれて初めてだった。
…やっぱり疲れているのかもしれません。早く寝なくては。
風呂からあがると一気に体の力がぬけて、ほぼ目をとじた状態でずるずると階段を上る。
布団にもぐりこむと、重ダルく心地よい疲れが体を襲った。
カチ、コチ、と部屋の壁にかけてある時計が秒針を刻む音が更なる眠りを誘い、夜は更け、部活で疲れた体を癒すかのように、今夜も深い眠りへ落ちていく。本をよく読んでいるせいかさまざまな夢を見るが、今日は久々に幼い頃の夢を見た。
疲れていても疲れていなくても、人間は眠っている時に必ず夢を見ているらしい。浅い眠り、深い眠りによっても様々だが、起きた後、それを覚えているか覚えていないかの違いだと聞いたことがある。
□ □ □
夢の中で自分が主演の映画を見ているように、その映像は頭の中で流れた。
蝉の声が元気いっぱいに響く夏休み真っ盛りのある日。
あれは僕が5歳の時の出来事、です。
「ぼうしが…」
目深にかぶったはずの小さな帽子が風にとばされて、近所の大きな家の塀の上にストンと乗っかってしまった。
小さい体ではまだ届かず、手を伸ばしても無理だった。このままもう一度強い風が吹いたら、帽子が知らない人の家の中に入ってしまう。
どうしたらいいんだろう。塀をよじのぼるも足場がなく危ない。ジャンプしても届かない。
お母さんが買ってくればかりの青色の帽子。テツの髪の色とよく合うね、とお母さんは笑って褒めてくれた。
それがお気に入りで、暑い夏の日にいつもかぶって外に遊びに出ていたのに。
どうしよう。
あたりを見回しても誰もおらず、助けを求めることができないし、目を話した隙に帽子が塀の向こう側へ落ちてしまったら大変だ。
帽子からは目が離せない。 大事な帽子なんだ。
ぜったいに、あきらめたくない。
不安な気持ちでいっぱいになった。うーん、考えても思いつかない。
じっとしているのがイヤなで、届かないとわかっていても何度かジャンプしているが、ジリジリと照りつける太陽が余計に体温を上昇させる。
顔から汗もだらだらと吹き出し、このままジャンプし続けていたらクラクラしてしまうと心の中で思った。
それでも、帽子を諦めたくなかった。
あきらめるのは、ぜったい、いやだ――
「帽子?」
後ろから声がきこえたと同時に、僕は影に覆われた。太陽の光が遮られて眩しさを感じない。
見上げると、僕より背の高い少女がいた。知り合いではない、友達ではない、誰か。
「あの帽子はキミのなの?」
高い塀の上に乗っかってしまった帽子を指さしてその少女―おねえさん―小首をかしげた。
その問いかけに、すぐさま首をコクコクと縦にふると、おねえさんはニコリと笑った。
「今とってあげるね」
おねえさんよりも塀の方が高かった。とれるだろうか、だいじょうぶだろうかと、少し離れてハラハラしていると、おねえさんは出来る限りその塀から下がりました。
そして助走をつけて――、ふわっ、とジャンプすると、いとも簡単に塀の上から帽子を取ってくれた。
着地すると、そのまま帽子を僕の頭にかぶせてくれる。軽やかなジャンプはまるで背中に羽が生えたように。
おねえさんは白いワンピースをきていたので、スカートのすそがふわりふわりと揺れた。
「今度は風に飛ばされないように気をつけてね」
「はい、ありがとうございます」
キュッと最初にかぶってきたよりも目深に帽子をかぶる。今度こそとばないように。
炎天下の中、しばらくその場で帽子がとれないか戦っていたせいで、気がついたら顔も体も汗が伝っていた。
その様子を見ておねえさんはまたふふっと笑いました。
「これあげるね。たくさん買ってきたから」
片手に持っていたコンビニの袋から棒アイスを僕に渡してきた。
溶けちゃうからすぐ食べて、と言われて、僕はその場で遠慮なく頂くことにした。
ソーダ味が口の中広がり、ひんやりとした温度に暑さが一気に引いていくようだった。
「ごちそうさまでした」
お辞儀をすると、おねえさんは僕の頭を優しく帽子越しに撫でた。
「いいえ、どういたしまして」
そしてお姉さんはどこかに向かう予定だったのか、じゃあね!と手を振り去って行った。
助けてもらった上にアイスまでもらってしまった。
アイスは言われたとおり溶ける前に食べましたが、顔がその後ぽーっと熱くなってきた。
これは太陽のせいじゃない。幼いながらにも自覚して、優しさを思い返す。
また会いたいな。会えたらいいな。
そしたら今度は、僕が、おねえさんにアイスを―――――――
□ □ □
窓から朝日が差し込んで、そこで夢から覚めた。
そのまま夢の中に浸って続きを見ていたいぐらい心地よい夢だった。
夢を覚えているなんて珍しいパターンだと思ったけれど、目覚めてみると少しだけ、胸の鼓動が早鐘を打っている。
ひとつ、確信したことがある。
あれが僕の、初恋だったんだ。
あの少女には結局その後、同じ場所に何度か行ってみても会うこともなかった。
ただ覚えてるのが、アイスを渡してくれたあの時の笑顔。
もう大人になっているだろうか。どんな女性になっているだろか。
途方もないことを考えても仕方ないのだけれど、どうしてもその日は1日考えてしまった。
もうサイズが小さくなったのでかぶることはなくなったあの帽子は今でも部屋の隅っこの棚に飾っている。
□ □ □
珍しく目覚めた後に覚えている夢を見た、その翌日。
部活で帰るのが遅くなってしまったので、また琴音さんと一緒に帰ることになった。
琴音さんの大学での話や、最近読んだ本の話など、色々な話をした。
僕も本が好きなので、本の話は楽しい。図書委員だから入荷する本を選んだりすることもあるので、その話をしたら興味津々に聞いてくれた。
口数も少なく、上手く相槌を返せているかわからない僕にも、一生懸命話しかけてくれたり聞いてくれたり、あたたかい気持ちになる。
彼女は、全中の試合で僕を見て、ずっと覚えててくれて、それからバスケに興味を持ち始めて、縁あって誠凛バスケ部のマネージャーになった。
次のマネージャーが見つかるまでの、臨時のマネージャー。
スケジュールの都合上、毎日来れるわけじゃないけれど、いつも精一杯手伝ってくれている。
そして、「こうしてバスケ部に関われることが嬉しい」と話していた。
バスケに興味をもったキッカケが僕だなんてすごく嬉しいです。
フルで出場したわけでもなく2Q~4Qの途中までしかでいなかったのに、どうして記憶に残ったのが僕だったんだろう。
影が薄く普段から忘れられがちなので、驚きました。見ていてくれた人がいたなんて。
僕よりもっと目立つ人スコアラーばかりいたのに。
「―――、黒子くん、聞いてる?」
「あっ…、はい」
「あれ、疲れてる?…って、毎日練習ハードだんもんね。疲れないほうがおかしいか」
「…すいません。ちょっとぼーっとしてました」
話の途中なのにそんなことばかり考えていて、途中から琴音さんの話が上の空だった。
素直に謝ると、琴音さんは心配そうに僕の目を見つめていた。
僕は人一倍体力がないので、あまりに練習がハードな日だとみんなについていけずその場でへばってしまう日が、時々だが、ある。
その度にキャプテンからは「寝るな黒子ォ!」ってどやされるのだ。そんな姿を琴音さんにも既にに見られている。
今のはただ考え事をしてぼんやりしていただけなのに、余計な心配をさせてしまったようだ。
帰り道、コンビニの前で立ち止まり、琴音さんは僕にここで待つように言って、駆け足でコンビニに入って行った。
少しでも待たせまいと急いで買い物をしている様子が、外から窓越しに見える。
レジも空いていたようで、ものの3分ぐらいで琴音さんは戻ってきた。
「お待たせ。はい、これあげる」
袋をにガサゴソと手をいれて、彼女から差し出されたそれは、駄菓屋でもコンビニでも昔から長年愛されている棒アイス。
定番のソーダ味。僕のお気に入りの味だ。お気に入りの味だと教えたことはないから、これを買ってきてくれたのは偶然だろう。
「今日すごく練習がんばってたみたいだから」
琴音さんがニコッと笑った刹那、僕は思わず目を見開いてアイスを受け取ることもせず反射的に固まってしまった。
彼女は小首を傾げて不思議そうにこちらを見ていた。
「溶けちゃうからすぐ食べて」
最近、夢の中でも言われた台詞と全く同じだ。
――あぁ、そうか。
夢を見たのが昨夜でなければ、思い出せなかったかもしれない。
思い出したとしても、もっと遅かったかもしれない。
あのときに見た記憶。変わらない笑顔の面影。
――あなただったんですね。
多分だけど、夏休みに武田先生の家に遊びに来ていたのだろう。だからあれからしばらく会うこともなかったんだ。
僕はそんな憶測をして、フッと笑いそうになった。推理が解けた名探偵は、こんな気分だろうか。
いや、推理ともちょっと違う。沸々とした懐かしさとあたたかい気持ちが胸にいっぱいになるこの状況は、何にも例え難い。
今、すごく近くにいるなんて不思議だ。夢の中の少女が目の前に成長した姿で、そこに居るんだ。
「琴音さんにアイスをご馳走してもらうのは2回目になりますね」
「え?奢るのはこれが初めてだと思うけど――」
「そういうことにしておきましょう。今はまだ言わないでおきます」
自然と笑みが零れて、その様子を琴音さんは驚いた様子で見つめていた。
確かに普段あまり表情に出さないので珍しかったかもしれません。
一瞬呆けたような顔をしていた琴音さんも、ハッと気づいて、僕に一歩近づいてきた。
暗くてはっきりと見えないけれど、心なしか彼女の顔が赤い。
「うーん、とっても気になる言い方…」
「今はまだ教えませんが、いつかお話します」
僕はアイスをかじって歩き始めた。
「ごちそうさまです。ソーダ味、一番好きな味なんです」
いつかこの話ができたらいいなと思う。話せるだろうか。
話したら、あなたはどんな顔をするだろうか。
全中であなたが僕を見つける前より、もっと前に、僕はあなたに会っていた。
助けてもらって、アイスをもらって、笑顔がまぶたの裏に焼き付いて、幼いながらもあの時、僕は初めて恋をしたんだ。
多分この気持ちは――、追憶だけでは終わらない。終われない。
漠然とした想いの正体を知るのは、まだ少し先の話。
誠凛バスケ部にマネージャーが来ました。
募集をかけてもなかなかマネージャーが来なかったうちの部に、臨時マネージャーです。
琴音さんの作ったドリンクは美味しいです。
監督の指示でサプリメントを混ぜ込んでいるはずなのに味が調節されています。
時々、レモンのはちみつ漬けも持ってきてくれますが、ちゃんと輪切りにされています。
…感動です。
そんな回想をしつつ――。
琴音さんを家まで送り届けた後、僕はそんなことを考えながら改めて彼女に感謝していた。
今頃になって、顧問の武田先生の家が自分の帰りのルートにあると知り、部活の帰りに琴音さんと僕は帰路を共にした。
ご両親が転勤とのことで、琴音さんはその間は武田先生と一緒に住んでいて、大学もそこから通っているらしい。
もっと早く気づいていれば一緒に帰れることもあったのになと思う反面、これからは時々こうして一緒に帰ろうと思う。
『春先になるとおかしな奴ががうろうろすることもあるから、遅くなったらちゃんと送ってあげて!』と、監督にも言われたのだ。
監督は変質者もぶっとばしそうな感じで心配ないですが、確かに琴音さんは普通の女性なので、心配です。
「春先」といっていたのに、その直後に「夏も!秋も!冬も!」と言ってました。それは通年、おかしな奴がうろうろしているという解釈でよかったのだろうか。
「それじゃあ、また明日ね」
琴音さんは家の前で、僕が曲がり角で見えなくなるまで見送ってくれた。送ってくれたことへも毎回お礼を言ってくれた。
僕にとっては通り道だから、特にお礼を言われるようなことでもないのに。彼女はとても律儀な性格だと思う。
また明日、ということは、明日も部活の時間に琴音さんは来るのだ。大学の授業時間はまちまちで、バイトも合間にいれていたりするらしい。
どんなライフスタイルなんだろう。3つ上の大学生なので、高校生活をほとんど部活に費やしている僕たちには想像しかできない。
彼女の声が耳に残る。特別な言葉を言ったわけでもないのに、何故だがそれが特別に聞こえた。
…疲れているのかも。いや、かもでなく、想像以上にきつい練習に疲労を感じないほうがおかしい。
今日は早く寝た方がいい。いつも以上に深く眠れるような気がする。
はじめて彼女が挨拶にきた日に、僕を見て「シックスマン」と呟いた。。
キセキの世代は5人。
だけど彼らの影として試合にでていた僕を、世間ではそう呼んでいたらしいのだ。
名前も知れない、実在するかしないかも知り得ない、試合記録もない、幻の6人目。
ただ影が薄いだけだと思うも、それを「幻」だんなんてずいぶん飛躍されてる気もする。
そう呼ばれているのは中学時代に黄瀬くん伝で聞いていたので、琴音さんが呼んだのは僕のことなのだとすぐに分かった。
彼女にそう呼ばれてつい、会釈をしてしまったことを今でも覚えている。
ただ、「僕のことだ」と思って会釈を返したわけじゃない。
はじめて会う女性なのに、はじめて会った気がしない――と、本能的に感じ体が自然に動いて会釈したのだ。
あんなことは生まれて初めてだった。
…やっぱり疲れているのかもしれません。早く寝なくては。
風呂からあがると一気に体の力がぬけて、ほぼ目をとじた状態でずるずると階段を上る。
布団にもぐりこむと、重ダルく心地よい疲れが体を襲った。
カチ、コチ、と部屋の壁にかけてある時計が秒針を刻む音が更なる眠りを誘い、夜は更け、部活で疲れた体を癒すかのように、今夜も深い眠りへ落ちていく。本をよく読んでいるせいかさまざまな夢を見るが、今日は久々に幼い頃の夢を見た。
疲れていても疲れていなくても、人間は眠っている時に必ず夢を見ているらしい。浅い眠り、深い眠りによっても様々だが、起きた後、それを覚えているか覚えていないかの違いだと聞いたことがある。
□ □ □
夢の中で自分が主演の映画を見ているように、その映像は頭の中で流れた。
蝉の声が元気いっぱいに響く夏休み真っ盛りのある日。
あれは僕が5歳の時の出来事、です。
「ぼうしが…」
目深にかぶったはずの小さな帽子が風にとばされて、近所の大きな家の塀の上にストンと乗っかってしまった。
小さい体ではまだ届かず、手を伸ばしても無理だった。このままもう一度強い風が吹いたら、帽子が知らない人の家の中に入ってしまう。
どうしたらいいんだろう。塀をよじのぼるも足場がなく危ない。ジャンプしても届かない。
お母さんが買ってくればかりの青色の帽子。テツの髪の色とよく合うね、とお母さんは笑って褒めてくれた。
それがお気に入りで、暑い夏の日にいつもかぶって外に遊びに出ていたのに。
どうしよう。
あたりを見回しても誰もおらず、助けを求めることができないし、目を話した隙に帽子が塀の向こう側へ落ちてしまったら大変だ。
帽子からは目が離せない。 大事な帽子なんだ。
ぜったいに、あきらめたくない。
不安な気持ちでいっぱいになった。うーん、考えても思いつかない。
じっとしているのがイヤなで、届かないとわかっていても何度かジャンプしているが、ジリジリと照りつける太陽が余計に体温を上昇させる。
顔から汗もだらだらと吹き出し、このままジャンプし続けていたらクラクラしてしまうと心の中で思った。
それでも、帽子を諦めたくなかった。
あきらめるのは、ぜったい、いやだ――
「帽子?」
後ろから声がきこえたと同時に、僕は影に覆われた。太陽の光が遮られて眩しさを感じない。
見上げると、僕より背の高い少女がいた。知り合いではない、友達ではない、誰か。
「あの帽子はキミのなの?」
高い塀の上に乗っかってしまった帽子を指さしてその少女―おねえさん―小首をかしげた。
その問いかけに、すぐさま首をコクコクと縦にふると、おねえさんはニコリと笑った。
「今とってあげるね」
おねえさんよりも塀の方が高かった。とれるだろうか、だいじょうぶだろうかと、少し離れてハラハラしていると、おねえさんは出来る限りその塀から下がりました。
そして助走をつけて――、ふわっ、とジャンプすると、いとも簡単に塀の上から帽子を取ってくれた。
着地すると、そのまま帽子を僕の頭にかぶせてくれる。軽やかなジャンプはまるで背中に羽が生えたように。
おねえさんは白いワンピースをきていたので、スカートのすそがふわりふわりと揺れた。
「今度は風に飛ばされないように気をつけてね」
「はい、ありがとうございます」
キュッと最初にかぶってきたよりも目深に帽子をかぶる。今度こそとばないように。
炎天下の中、しばらくその場で帽子がとれないか戦っていたせいで、気がついたら顔も体も汗が伝っていた。
その様子を見ておねえさんはまたふふっと笑いました。
「これあげるね。たくさん買ってきたから」
片手に持っていたコンビニの袋から棒アイスを僕に渡してきた。
溶けちゃうからすぐ食べて、と言われて、僕はその場で遠慮なく頂くことにした。
ソーダ味が口の中広がり、ひんやりとした温度に暑さが一気に引いていくようだった。
「ごちそうさまでした」
お辞儀をすると、おねえさんは僕の頭を優しく帽子越しに撫でた。
「いいえ、どういたしまして」
そしてお姉さんはどこかに向かう予定だったのか、じゃあね!と手を振り去って行った。
助けてもらった上にアイスまでもらってしまった。
アイスは言われたとおり溶ける前に食べましたが、顔がその後ぽーっと熱くなってきた。
これは太陽のせいじゃない。幼いながらにも自覚して、優しさを思い返す。
また会いたいな。会えたらいいな。
そしたら今度は、僕が、おねえさんにアイスを―――――――
□ □ □
窓から朝日が差し込んで、そこで夢から覚めた。
そのまま夢の中に浸って続きを見ていたいぐらい心地よい夢だった。
夢を覚えているなんて珍しいパターンだと思ったけれど、目覚めてみると少しだけ、胸の鼓動が早鐘を打っている。
ひとつ、確信したことがある。
あれが僕の、初恋だったんだ。
あの少女には結局その後、同じ場所に何度か行ってみても会うこともなかった。
ただ覚えてるのが、アイスを渡してくれたあの時の笑顔。
もう大人になっているだろうか。どんな女性になっているだろか。
途方もないことを考えても仕方ないのだけれど、どうしてもその日は1日考えてしまった。
もうサイズが小さくなったのでかぶることはなくなったあの帽子は今でも部屋の隅っこの棚に飾っている。
□ □ □
珍しく目覚めた後に覚えている夢を見た、その翌日。
部活で帰るのが遅くなってしまったので、また琴音さんと一緒に帰ることになった。
琴音さんの大学での話や、最近読んだ本の話など、色々な話をした。
僕も本が好きなので、本の話は楽しい。図書委員だから入荷する本を選んだりすることもあるので、その話をしたら興味津々に聞いてくれた。
口数も少なく、上手く相槌を返せているかわからない僕にも、一生懸命話しかけてくれたり聞いてくれたり、あたたかい気持ちになる。
彼女は、全中の試合で僕を見て、ずっと覚えててくれて、それからバスケに興味を持ち始めて、縁あって誠凛バスケ部のマネージャーになった。
次のマネージャーが見つかるまでの、臨時のマネージャー。
スケジュールの都合上、毎日来れるわけじゃないけれど、いつも精一杯手伝ってくれている。
そして、「こうしてバスケ部に関われることが嬉しい」と話していた。
バスケに興味をもったキッカケが僕だなんてすごく嬉しいです。
フルで出場したわけでもなく2Q~4Qの途中までしかでいなかったのに、どうして記憶に残ったのが僕だったんだろう。
影が薄く普段から忘れられがちなので、驚きました。見ていてくれた人がいたなんて。
僕よりもっと目立つ人スコアラーばかりいたのに。
「―――、黒子くん、聞いてる?」
「あっ…、はい」
「あれ、疲れてる?…って、毎日練習ハードだんもんね。疲れないほうがおかしいか」
「…すいません。ちょっとぼーっとしてました」
話の途中なのにそんなことばかり考えていて、途中から琴音さんの話が上の空だった。
素直に謝ると、琴音さんは心配そうに僕の目を見つめていた。
僕は人一倍体力がないので、あまりに練習がハードな日だとみんなについていけずその場でへばってしまう日が、時々だが、ある。
その度にキャプテンからは「寝るな黒子ォ!」ってどやされるのだ。そんな姿を琴音さんにも既にに見られている。
今のはただ考え事をしてぼんやりしていただけなのに、余計な心配をさせてしまったようだ。
帰り道、コンビニの前で立ち止まり、琴音さんは僕にここで待つように言って、駆け足でコンビニに入って行った。
少しでも待たせまいと急いで買い物をしている様子が、外から窓越しに見える。
レジも空いていたようで、ものの3分ぐらいで琴音さんは戻ってきた。
「お待たせ。はい、これあげる」
袋をにガサゴソと手をいれて、彼女から差し出されたそれは、駄菓屋でもコンビニでも昔から長年愛されている棒アイス。
定番のソーダ味。僕のお気に入りの味だ。お気に入りの味だと教えたことはないから、これを買ってきてくれたのは偶然だろう。
「今日すごく練習がんばってたみたいだから」
琴音さんがニコッと笑った刹那、僕は思わず目を見開いてアイスを受け取ることもせず反射的に固まってしまった。
彼女は小首を傾げて不思議そうにこちらを見ていた。
「溶けちゃうからすぐ食べて」
最近、夢の中でも言われた台詞と全く同じだ。
――あぁ、そうか。
夢を見たのが昨夜でなければ、思い出せなかったかもしれない。
思い出したとしても、もっと遅かったかもしれない。
あのときに見た記憶。変わらない笑顔の面影。
――あなただったんですね。
多分だけど、夏休みに武田先生の家に遊びに来ていたのだろう。だからあれからしばらく会うこともなかったんだ。
僕はそんな憶測をして、フッと笑いそうになった。推理が解けた名探偵は、こんな気分だろうか。
いや、推理ともちょっと違う。沸々とした懐かしさとあたたかい気持ちが胸にいっぱいになるこの状況は、何にも例え難い。
今、すごく近くにいるなんて不思議だ。夢の中の少女が目の前に成長した姿で、そこに居るんだ。
「琴音さんにアイスをご馳走してもらうのは2回目になりますね」
「え?奢るのはこれが初めてだと思うけど――」
「そういうことにしておきましょう。今はまだ言わないでおきます」
自然と笑みが零れて、その様子を琴音さんは驚いた様子で見つめていた。
確かに普段あまり表情に出さないので珍しかったかもしれません。
一瞬呆けたような顔をしていた琴音さんも、ハッと気づいて、僕に一歩近づいてきた。
暗くてはっきりと見えないけれど、心なしか彼女の顔が赤い。
「うーん、とっても気になる言い方…」
「今はまだ教えませんが、いつかお話します」
僕はアイスをかじって歩き始めた。
「ごちそうさまです。ソーダ味、一番好きな味なんです」
いつかこの話ができたらいいなと思う。話せるだろうか。
話したら、あなたはどんな顔をするだろうか。
全中であなたが僕を見つける前より、もっと前に、僕はあなたに会っていた。
助けてもらって、アイスをもらって、笑顔がまぶたの裏に焼き付いて、幼いながらもあの時、僕は初めて恋をしたんだ。
多分この気持ちは――、追憶だけでは終わらない。終われない。
漠然とした想いの正体を知るのは、まだ少し先の話。