黒子くんと大学生マネージャー
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口説くのは、また後日
本日も晴天――春風が気持ちいい。
私は部室の外でタオルを干しながら心地よい空気を感じていた。
『空いた時間にマネージャーの仕事を手伝ってくれればいい』…そういう約束で私は今、誠凛バスケ部の手伝いをしている。
大学に通いつつ、バイトも時々しつつ、友達とも時々遊びつつ。
まだ大学1年なので就活もないし、時間的には余裕があるので、大学が終わると誠凛高校へ向かう日々が続いた。
今はおじいちゃん――顧問の武田先生――の家から大学に通っているし、そこから誠凛高校からもわりと近いので通うのはまったく苦ではなかった。
「今日はよく乾くなぁ」
独り言を漏らしつつ、私は干し終わったタオルを眺める。
去年新設したばかりのバスケ部に正式なマネージャーは未だにおらず、部員たちは今まで雑務も各自でこなしてきたらしい。
些細なことでも手伝ってもらえるとすごく助かると喜ばれた。少しでも多い時間を練習にあてられる、と監督のリコちゃんからも感謝された。
特別大変な仕事をした覚えはないので、感謝されるなんて滅相も無い。
誰でもできる簡単な事しか出来ないけれど、少しでもお手伝いになれて嬉しい限りだ。
大学だと、バスケット同好会、とは名ばかりの飲み会サークルも山のようにあるらしい。
私は飲み会がしたいのではなく、バスケに関わる何かがしたかったんだ。
そう考えるとこうして直接おじいちゃんに声をかけてもらってバスケ部を手伝えるのは、こちらこそ、ありがたいことだなぁと思った。
間近で練習風景が見れることも嬉しいし、タイミングがあえば練習試合も公式試合も見に行っていいと、おじいちゃんからもリコちゃんからも許可をもらった。
部員もいい子たちばかりだし、あの幻のシックスマン――黒子くんにもまた会うことが出来たし、本当に誘ってもらえてよかったなぁ。
うーん、と、空に向かって手を揚げて大きく伸びをしていたら背後に気配がして、振り向いたらそこに黒子くんがいた。
目が合うと彼は「お疲れ様です」と小さく会釈した。
胸中で、噂をすれば何とやら…というやつだ。しかし、いつからそこに居たんだろう?
タオルを首からかけて汗を拭いつつ黒子くんは部室の中に入っていった。そして1分もしないうちにまた出てきた。
どうやら忘れ物をとりにきたらしい。
「忘れ物?」
「はい」
「もう少ししたらドリンク作ってもっていくからね」
「はい、ありがとうございます」
少しでも話せたのが嬉しくて私はヘラヘラと笑った。感情が外にでてしまいすぎるのもどうかと思うが、子供の頃からの癖みたいなもので仕方ない。
すぐ体育館に戻るのかと思いきや、黒子くんはジーッとこちらを見つめていた。
不思議に思って、「顔に何かついてる?」と尋ねたら彼は首を横に振った。
「琴音さんは本当に僕に驚かないなって、改めて思いました」
「え?何で驚くの?」
やっぱりわからなくて首をかしげてると、心なしか黒子くんの口元が小さく笑った――ように見えた。
「僕が誰かの背後に立つと大抵の人が驚きます。なので、琴音さんに驚かれなかった事にちょっと驚きました」
「そうなの?」
「はい。火神くんからも未だに驚かれることがあります」
火神くんが大声で驚いてるところが想像できて、私は思わず口元を緩ませた。
確か、黒子くんについて話していたことがある。存在感もなく影が薄いから、時々同じファーストフード店に行くと自分が座った席の目の前にいたりして驚きのあまりひっくり返りそうになったことがある、と。
そういえば部員たちも、集団行動の際は見失ったり、ちゃんといるかよく確認することもあると言っていた。
そうなんだぁ、と相槌を打ちつつ、体育館に戻ろうとする黒子くんを見て、回収するはずのドリンクボトルを体育館に置きっぱなしにしてしまったことを、ふと思い出した。
「私も体育館に忘れ物あるんだった」
「じゃあ、一緒に戻りましょうか」
並んで歩いて体育館に戻ることになった。体育館までのわずかな時間がすごく惜しいものに感じた。
黒子くんとおしゃべりできるって、何だかとっても貴重な気がするから…、なるべく気づかれないようにゆっくり歩こうかな。
□ □ □
「琴音さんがここへ挨拶にきた初日に、僕のことを覚えててくれたのが一番驚きました。1度試合を見ただけで、誰かに覚えててもらえたことは生まれてはじめてです。"シックスマン"なんて呼ばれているのは、試合記録もないからかもしれませんが、何よりまず、僕の影が薄いからそう呼ばれているんです」
悲観的なわけでもなく落ち着いた声色で、淡々と黒子くんは告げた。
影が薄くて誰からも覚えてもらえていない、忘れられているというのは日常茶飯事らしく、彼にとってはさして悲しいことではないらしい。
それを聞いて、何だか悲しくなってきてしまった。
彼が、影の薄い存在に扱われ、自分でもそれを認めているということに対して、悲しんでいるわけではない。
黒子くんの試合を見て、私みたいに黒子くんのことを覚えている人もいるってことを知らないことだ。
知らないだけで、きっといる。きっといるのに。
試合にフルで出てなくても、ほんのわずかでも、黒子くんの技に感動した人も、尊敬した人も、驚いた人なんてたくさんいるんじゃないかって思う。
そもそも彼はそこまで影が薄いんだろうか。私には理解できない。
試合でも練習でもその影の薄さとミスディレクションという特化した能力を技として活躍しているものの、私は未だ黒子くんを見失ったことがないからだ。次に何をしようとしているかまでの動きは確かに予測がつかないが、今何をしたか、というのは見ていれば分かるのだ。
あくまで、コートの外ににいるから、一人の選手を注目できるから見えているだけなのかもしれないけれど。
「私は黒子くんをはじめて見た時から、見失ったことなんてなかったよ?」
歩きながらぽつりと呟くと――、並んで歩いていたはずが、隣を見たら誰もいない。
後ろを振り向くと数歩後ろで黒子くんが立ち止まっていた。目をまんまるくして口が半開きで何か言いたそうな表情だ。
「「……、……」」
互いに数秒沈黙が続いて、グラウンドで練習をしている陸上部のかけ声が遠く聞こえる。
今、私おかしなこと言った?!言ったよね!――気づいたら声に出ていたし、時すでに遅し。
途端に我に返って、あまり普段かかないような変な汗がぶわっと吹き出した。
「ち、違うの!特別な意味はなくて、黒子くんの技って一瞬だし独特だからずっと見てないと見失っちゃうっていうか…」
身振り手振りで弁解をはじめて余計に変な意味に聞こえてくるし、上手く呂律が回ってなくて自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
慌てれば慌てるほどボロがでてるようにしか見えないだろう。
取り乱した私の姿に黒子くんはついに我慢ができなくなったように、クッと喉を鳴らして俯いた。
不快な思いでもさせたのかと思いおろおろしていると、よく見ると黒子くんは小さく震えている…って、笑ってるの?
「笑ってる…?笑われてしまった…?」
「すいません…、そのっ、慌ててるのが…、おもしろくて」
恥ずかしい気持ちがいっぱいになったが、黒子くんがこんなに笑っている姿を初めて見たので何だか珍しい光景に嬉しい気持ちも感じていた。
だが、残念ながらその表情は俯いているせいであまり見えない。
ひとしきり笑って落ち着いたのか、またしばらくしたらいつもの落ち着いた雰囲気の黒子くんに戻った。
そしてまた並んで歩きはじめる。体育館まであと少し。
世間話、他愛のない話。私が聞けば答えてくれる、相槌を打ってくれる。時々、笑う。
シックスマンと呼ばれている彼は、幻なんかでもなければ、幻ほど薄い存在ではない。
今、私の隣に実在している。
あの全中の決勝を見ていた時に、黒子くんと会話する自分を想像できただろうか。
あの頃から私は彼を一方的に知っているだけに、こうして並んで歩いて会話していることが、奇跡のようなことだ。
そういえば部室から体育館まで行くルートはいくつかあるが、何となく歩いていたら少し遠回りをした気がするのは気のせいだろうか。
黒子くん、もしかしてわざと遠回りしてくれたんだろうか。それともこっちの道のが近道なんだろか。
話しながら歩いていたせいで距離の感覚が分からなくなっているし、自分の都合のいい方に考えておくことにしよう。
不意に黒子くんがまた先ほどの私の言葉に対してツッコミを入れてきた。
「さっきは、琴音さんに口説かれているのかと思いました」
やっと先ほどのテンパっていたせいでかいた汗がひいてきたのに、私はまた顔を赤らめる。
「口説くなら、もっとちゃんと口説くよ!私、黒子くんより年上だからそれくらい出来るよ?」
黒子くんは率直な感想として言ったつもりだが、やはり私のことをからかっているように聞こえるのは気のせいかな?
“ちゃんと口説くよ”――、なんて、口説いたことも生まれて1度もないくせにとんだハッタリだ。
もちろん、そんな経験がないことは伏せておくことにする。
私も以前から彼に言いたいことがあったのだ。いつか言いたい、言おう、としていてもなかなか二人きりで会話をするチャンスもなかったので、今がその時だ。これを逃すと、言うチャンスはだいぶ先になってしまうだろう。
かと行ってわざとらしく立ち止まることはできないので、どんどん足は体育館へ近づいてしまう。
体育館の入り口まであと数メートル。言わなくちゃ、言わなくちゃ。
覚悟を決めて、私はわざとらしくゴホン!と咳払いをした。
「黒子くんに聞いて欲しい事があるんだけど…」
「構いません。何でしょうか?」
「私がはじめてバスケの公式試合を見たのが、あの全中の試合だったの。受験勉強で憂鬱だった夏休みに、バスケ好きの従兄弟が連れってくれたんだ。あの試合を見てバスケに興味を持ったんだ」
「…そうだったんですか」
彼が呟くような声と同時に、あたたかい春風が頬をかすめた。ついさっきまで紅潮していた頬に気持ちいい風だ。
本当はもっと早く伝えたかった。バスケ部に挨拶にいったあの初日、会ったときにすぐにでも言いたい気持ちが溢れて喉まででかかったのだが、あくまでこのマネージャーとしてのお手伝いはおじいちゃんから頼まれたものだし、私の中だけの気持ちを全員いるあの場で言うのも気が引けたのだ。
それに部活動は主に集団行動なので二人きりで話す機会なんてなかなか訪れなかったから。
「あの試合でバスケに興味が持てたから…、今はバスケやみんなに関わることができて、すごく嬉しいんだ」
ボールの弾む音、バッシュのスキール音、がもうすぐそこに聞こえる。
ついクセで、またヘラリとした笑い方で笑ってしまった。黒子くんからは相槌がないけれど、確実に聞こえてはいるだろう。
黙ってしまった黒子くんと、私とでは、あの試合の見解は違うのかも知れない。だとしても、その見解の差を埋めるのは無意味だ。
ただ私が伝えたかっただけ。あの試合でバスケに興味を持った人もいるよってことを。
「お礼を言うのもおかしいけど――、黒子くん、ありがとう」
偶然というのはつくづく、不思議で、予想を遥かに上回るほど面白いと思った。
だって、あの日試合で見た彼と会話している。一番印象に残って忘れられなかったその人と。
もう体育館に到着してしまった。もっと話していたかったなって、寂しい気持ちがほんの少し後を引く。
靴を入り口において体育館用のシューズに履き替えると、私は忘れ物のドリンクボトルをとりにいった。
少しだけの会話だったけれどすごくたくさん話したような錯覚を起こした。私は心のどこかであの時間を待ち望んでいたんだろうかと、おかしな錯覚も連鎖する。それは分からないけれど、きっと思っていたことを伝えて、『ありがとう』を言いたかったのは確かだ。
おじいちゃんに頼まれたというのは必然だったとしても、私はこんな楽しい気持ちでマネージャーの仕事が時々でも手伝えるのは、全中の試合のおかげで変わりないのだから。あと、誘ってくれた従兄弟のおかげもあるけど。
空のボトルをカゴにいれて回収してまた部室まで戻ろうと立ち上がると、また背後に気配――振り向くとやはり黒子くんだった。
「さっきは、あんな風に言ってもらえたのは生まれてはじめてで、何だか…嬉しくなりました。ありがとうございます」
不意に、いつもより凛々しく見えた黒子くんにドキッとして私の相槌は疑問系になってしまった。
数秒見つめ合う形になり、心臓が次第にうるさくなっていって、カゴを持つ両手の中がじんわり汗ばむ。
「でも、やはり……、口説かれてますか?」
「だから違うってば…!」
取り乱して、手からすべってカゴを落として、あげくに自分が思っていたより大声がでて部員達の注目を浴びてしまった。
言い終えると僅かに口元を緩ませ、練習に素早く戻っていった黒子くん。
その場にわたしだけがぽつんと残る。3歳も年上なのにからかわれてるような、面白がられているような。
――例えばの話。
あの日、全中の試合を見て、彼を印象深く刻んだのは「憧れ」のカテゴリだったとしたら、それが「恋」に変わるのなんていとも容易いんだろう。
あの試合を見た直後、『また、彼が出てる試合が見れたらいいのに』と願った。
ならば再び出会えたその時はもう、勝手に運命的な何かを感じざるを得ない。
恋をすることが決まっているとしたら、それに逆らっても意味がないじゃないか。
関わりを持つ以上、好きになる。きっと、これから、そんな予感がする。
部員達は私が大声をあげてどうしたのだろうとチラチラ見ていたが、何でもないと分かると気にせず練習に集中しはじめた。
黒子くんもまた汗を流して頑張って練習している。後ろ姿を目で追いながら体育館を去り、私はまた部室に向かって歩き出す。
3つも年下の高校生に恋だなんて、友達が聞いたら呆れるだろうか。
ふわりとした水色の髪の彼を頭の中に浮かべた。大きなスカイブルーの瞳。
ふと目が合えば吸い込まれるみたいだったそれは、空の青とよく似ていた。
本日も晴天――春風が気持ちいい。
私は部室の外でタオルを干しながら心地よい空気を感じていた。
『空いた時間にマネージャーの仕事を手伝ってくれればいい』…そういう約束で私は今、誠凛バスケ部の手伝いをしている。
大学に通いつつ、バイトも時々しつつ、友達とも時々遊びつつ。
まだ大学1年なので就活もないし、時間的には余裕があるので、大学が終わると誠凛高校へ向かう日々が続いた。
今はおじいちゃん――顧問の武田先生――の家から大学に通っているし、そこから誠凛高校からもわりと近いので通うのはまったく苦ではなかった。
「今日はよく乾くなぁ」
独り言を漏らしつつ、私は干し終わったタオルを眺める。
去年新設したばかりのバスケ部に正式なマネージャーは未だにおらず、部員たちは今まで雑務も各自でこなしてきたらしい。
些細なことでも手伝ってもらえるとすごく助かると喜ばれた。少しでも多い時間を練習にあてられる、と監督のリコちゃんからも感謝された。
特別大変な仕事をした覚えはないので、感謝されるなんて滅相も無い。
誰でもできる簡単な事しか出来ないけれど、少しでもお手伝いになれて嬉しい限りだ。
大学だと、バスケット同好会、とは名ばかりの飲み会サークルも山のようにあるらしい。
私は飲み会がしたいのではなく、バスケに関わる何かがしたかったんだ。
そう考えるとこうして直接おじいちゃんに声をかけてもらってバスケ部を手伝えるのは、こちらこそ、ありがたいことだなぁと思った。
間近で練習風景が見れることも嬉しいし、タイミングがあえば練習試合も公式試合も見に行っていいと、おじいちゃんからもリコちゃんからも許可をもらった。
部員もいい子たちばかりだし、あの幻のシックスマン――黒子くんにもまた会うことが出来たし、本当に誘ってもらえてよかったなぁ。
うーん、と、空に向かって手を揚げて大きく伸びをしていたら背後に気配がして、振り向いたらそこに黒子くんがいた。
目が合うと彼は「お疲れ様です」と小さく会釈した。
胸中で、噂をすれば何とやら…というやつだ。しかし、いつからそこに居たんだろう?
タオルを首からかけて汗を拭いつつ黒子くんは部室の中に入っていった。そして1分もしないうちにまた出てきた。
どうやら忘れ物をとりにきたらしい。
「忘れ物?」
「はい」
「もう少ししたらドリンク作ってもっていくからね」
「はい、ありがとうございます」
少しでも話せたのが嬉しくて私はヘラヘラと笑った。感情が外にでてしまいすぎるのもどうかと思うが、子供の頃からの癖みたいなもので仕方ない。
すぐ体育館に戻るのかと思いきや、黒子くんはジーッとこちらを見つめていた。
不思議に思って、「顔に何かついてる?」と尋ねたら彼は首を横に振った。
「琴音さんは本当に僕に驚かないなって、改めて思いました」
「え?何で驚くの?」
やっぱりわからなくて首をかしげてると、心なしか黒子くんの口元が小さく笑った――ように見えた。
「僕が誰かの背後に立つと大抵の人が驚きます。なので、琴音さんに驚かれなかった事にちょっと驚きました」
「そうなの?」
「はい。火神くんからも未だに驚かれることがあります」
火神くんが大声で驚いてるところが想像できて、私は思わず口元を緩ませた。
確か、黒子くんについて話していたことがある。存在感もなく影が薄いから、時々同じファーストフード店に行くと自分が座った席の目の前にいたりして驚きのあまりひっくり返りそうになったことがある、と。
そういえば部員たちも、集団行動の際は見失ったり、ちゃんといるかよく確認することもあると言っていた。
そうなんだぁ、と相槌を打ちつつ、体育館に戻ろうとする黒子くんを見て、回収するはずのドリンクボトルを体育館に置きっぱなしにしてしまったことを、ふと思い出した。
「私も体育館に忘れ物あるんだった」
「じゃあ、一緒に戻りましょうか」
並んで歩いて体育館に戻ることになった。体育館までのわずかな時間がすごく惜しいものに感じた。
黒子くんとおしゃべりできるって、何だかとっても貴重な気がするから…、なるべく気づかれないようにゆっくり歩こうかな。
□ □ □
「琴音さんがここへ挨拶にきた初日に、僕のことを覚えててくれたのが一番驚きました。1度試合を見ただけで、誰かに覚えててもらえたことは生まれてはじめてです。"シックスマン"なんて呼ばれているのは、試合記録もないからかもしれませんが、何よりまず、僕の影が薄いからそう呼ばれているんです」
悲観的なわけでもなく落ち着いた声色で、淡々と黒子くんは告げた。
影が薄くて誰からも覚えてもらえていない、忘れられているというのは日常茶飯事らしく、彼にとってはさして悲しいことではないらしい。
それを聞いて、何だか悲しくなってきてしまった。
彼が、影の薄い存在に扱われ、自分でもそれを認めているということに対して、悲しんでいるわけではない。
黒子くんの試合を見て、私みたいに黒子くんのことを覚えている人もいるってことを知らないことだ。
知らないだけで、きっといる。きっといるのに。
試合にフルで出てなくても、ほんのわずかでも、黒子くんの技に感動した人も、尊敬した人も、驚いた人なんてたくさんいるんじゃないかって思う。
そもそも彼はそこまで影が薄いんだろうか。私には理解できない。
試合でも練習でもその影の薄さとミスディレクションという特化した能力を技として活躍しているものの、私は未だ黒子くんを見失ったことがないからだ。次に何をしようとしているかまでの動きは確かに予測がつかないが、今何をしたか、というのは見ていれば分かるのだ。
あくまで、コートの外ににいるから、一人の選手を注目できるから見えているだけなのかもしれないけれど。
「私は黒子くんをはじめて見た時から、見失ったことなんてなかったよ?」
歩きながらぽつりと呟くと――、並んで歩いていたはずが、隣を見たら誰もいない。
後ろを振り向くと数歩後ろで黒子くんが立ち止まっていた。目をまんまるくして口が半開きで何か言いたそうな表情だ。
「「……、……」」
互いに数秒沈黙が続いて、グラウンドで練習をしている陸上部のかけ声が遠く聞こえる。
今、私おかしなこと言った?!言ったよね!――気づいたら声に出ていたし、時すでに遅し。
途端に我に返って、あまり普段かかないような変な汗がぶわっと吹き出した。
「ち、違うの!特別な意味はなくて、黒子くんの技って一瞬だし独特だからずっと見てないと見失っちゃうっていうか…」
身振り手振りで弁解をはじめて余計に変な意味に聞こえてくるし、上手く呂律が回ってなくて自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
慌てれば慌てるほどボロがでてるようにしか見えないだろう。
取り乱した私の姿に黒子くんはついに我慢ができなくなったように、クッと喉を鳴らして俯いた。
不快な思いでもさせたのかと思いおろおろしていると、よく見ると黒子くんは小さく震えている…って、笑ってるの?
「笑ってる…?笑われてしまった…?」
「すいません…、そのっ、慌ててるのが…、おもしろくて」
恥ずかしい気持ちがいっぱいになったが、黒子くんがこんなに笑っている姿を初めて見たので何だか珍しい光景に嬉しい気持ちも感じていた。
だが、残念ながらその表情は俯いているせいであまり見えない。
ひとしきり笑って落ち着いたのか、またしばらくしたらいつもの落ち着いた雰囲気の黒子くんに戻った。
そしてまた並んで歩きはじめる。体育館まであと少し。
世間話、他愛のない話。私が聞けば答えてくれる、相槌を打ってくれる。時々、笑う。
シックスマンと呼ばれている彼は、幻なんかでもなければ、幻ほど薄い存在ではない。
今、私の隣に実在している。
あの全中の決勝を見ていた時に、黒子くんと会話する自分を想像できただろうか。
あの頃から私は彼を一方的に知っているだけに、こうして並んで歩いて会話していることが、奇跡のようなことだ。
そういえば部室から体育館まで行くルートはいくつかあるが、何となく歩いていたら少し遠回りをした気がするのは気のせいだろうか。
黒子くん、もしかしてわざと遠回りしてくれたんだろうか。それともこっちの道のが近道なんだろか。
話しながら歩いていたせいで距離の感覚が分からなくなっているし、自分の都合のいい方に考えておくことにしよう。
不意に黒子くんがまた先ほどの私の言葉に対してツッコミを入れてきた。
「さっきは、琴音さんに口説かれているのかと思いました」
やっと先ほどのテンパっていたせいでかいた汗がひいてきたのに、私はまた顔を赤らめる。
「口説くなら、もっとちゃんと口説くよ!私、黒子くんより年上だからそれくらい出来るよ?」
黒子くんは率直な感想として言ったつもりだが、やはり私のことをからかっているように聞こえるのは気のせいかな?
“ちゃんと口説くよ”――、なんて、口説いたことも生まれて1度もないくせにとんだハッタリだ。
もちろん、そんな経験がないことは伏せておくことにする。
私も以前から彼に言いたいことがあったのだ。いつか言いたい、言おう、としていてもなかなか二人きりで会話をするチャンスもなかったので、今がその時だ。これを逃すと、言うチャンスはだいぶ先になってしまうだろう。
かと行ってわざとらしく立ち止まることはできないので、どんどん足は体育館へ近づいてしまう。
体育館の入り口まであと数メートル。言わなくちゃ、言わなくちゃ。
覚悟を決めて、私はわざとらしくゴホン!と咳払いをした。
「黒子くんに聞いて欲しい事があるんだけど…」
「構いません。何でしょうか?」
「私がはじめてバスケの公式試合を見たのが、あの全中の試合だったの。受験勉強で憂鬱だった夏休みに、バスケ好きの従兄弟が連れってくれたんだ。あの試合を見てバスケに興味を持ったんだ」
「…そうだったんですか」
彼が呟くような声と同時に、あたたかい春風が頬をかすめた。ついさっきまで紅潮していた頬に気持ちいい風だ。
本当はもっと早く伝えたかった。バスケ部に挨拶にいったあの初日、会ったときにすぐにでも言いたい気持ちが溢れて喉まででかかったのだが、あくまでこのマネージャーとしてのお手伝いはおじいちゃんから頼まれたものだし、私の中だけの気持ちを全員いるあの場で言うのも気が引けたのだ。
それに部活動は主に集団行動なので二人きりで話す機会なんてなかなか訪れなかったから。
「あの試合でバスケに興味が持てたから…、今はバスケやみんなに関わることができて、すごく嬉しいんだ」
ボールの弾む音、バッシュのスキール音、がもうすぐそこに聞こえる。
ついクセで、またヘラリとした笑い方で笑ってしまった。黒子くんからは相槌がないけれど、確実に聞こえてはいるだろう。
黙ってしまった黒子くんと、私とでは、あの試合の見解は違うのかも知れない。だとしても、その見解の差を埋めるのは無意味だ。
ただ私が伝えたかっただけ。あの試合でバスケに興味を持った人もいるよってことを。
「お礼を言うのもおかしいけど――、黒子くん、ありがとう」
偶然というのはつくづく、不思議で、予想を遥かに上回るほど面白いと思った。
だって、あの日試合で見た彼と会話している。一番印象に残って忘れられなかったその人と。
もう体育館に到着してしまった。もっと話していたかったなって、寂しい気持ちがほんの少し後を引く。
靴を入り口において体育館用のシューズに履き替えると、私は忘れ物のドリンクボトルをとりにいった。
少しだけの会話だったけれどすごくたくさん話したような錯覚を起こした。私は心のどこかであの時間を待ち望んでいたんだろうかと、おかしな錯覚も連鎖する。それは分からないけれど、きっと思っていたことを伝えて、『ありがとう』を言いたかったのは確かだ。
おじいちゃんに頼まれたというのは必然だったとしても、私はこんな楽しい気持ちでマネージャーの仕事が時々でも手伝えるのは、全中の試合のおかげで変わりないのだから。あと、誘ってくれた従兄弟のおかげもあるけど。
空のボトルをカゴにいれて回収してまた部室まで戻ろうと立ち上がると、また背後に気配――振り向くとやはり黒子くんだった。
「さっきは、あんな風に言ってもらえたのは生まれてはじめてで、何だか…嬉しくなりました。ありがとうございます」
不意に、いつもより凛々しく見えた黒子くんにドキッとして私の相槌は疑問系になってしまった。
数秒見つめ合う形になり、心臓が次第にうるさくなっていって、カゴを持つ両手の中がじんわり汗ばむ。
「でも、やはり……、口説かれてますか?」
「だから違うってば…!」
取り乱して、手からすべってカゴを落として、あげくに自分が思っていたより大声がでて部員達の注目を浴びてしまった。
言い終えると僅かに口元を緩ませ、練習に素早く戻っていった黒子くん。
その場にわたしだけがぽつんと残る。3歳も年上なのにからかわれてるような、面白がられているような。
――例えばの話。
あの日、全中の試合を見て、彼を印象深く刻んだのは「憧れ」のカテゴリだったとしたら、それが「恋」に変わるのなんていとも容易いんだろう。
あの試合を見た直後、『また、彼が出てる試合が見れたらいいのに』と願った。
ならば再び出会えたその時はもう、勝手に運命的な何かを感じざるを得ない。
恋をすることが決まっているとしたら、それに逆らっても意味がないじゃないか。
関わりを持つ以上、好きになる。きっと、これから、そんな予感がする。
部員達は私が大声をあげてどうしたのだろうとチラチラ見ていたが、何でもないと分かると気にせず練習に集中しはじめた。
黒子くんもまた汗を流して頑張って練習している。後ろ姿を目で追いながら体育館を去り、私はまた部室に向かって歩き出す。
3つも年下の高校生に恋だなんて、友達が聞いたら呆れるだろうか。
ふわりとした水色の髪の彼を頭の中に浮かべた。大きなスカイブルーの瞳。
ふと目が合えば吸い込まれるみたいだったそれは、空の青とよく似ていた。