黒子くんと大学生マネージャー
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
サプライズ・フォーユー
今日も私は働く。がむしゃらに働く。
…といっても、部活のマネージャーとしてではなく、アルバイト店員として。
人間は欲しい物があればこんなに無になって働けるものなのだと、ここ数日で私は痛感していた。
順調な大学生活やバイトの日々を過ごしながらも、昨年の春から祖父の伝で誠凛バスケ部の臨時マネージャーを務めて早いものでもう10ヶ月になる。
高校の時、受験勉強に没頭したがそれ以外は、まぁそれ以外は思い返してものほほんとした学生時代だったと思う。
あの頃の私からは考えられないような生活を今はしているなぁ。過去を振り返るのはさておき、ここ最近はタイトなスケジュールで、今、私がどのようにしてがむしゃらに働いているのかというと――…どうしても買いたい物ができてしまったからだ。
「お待たせしました。抹茶パフェになります」
運んできたそれをテーブルにゆっくり置いて、私は一礼してその場を離れた。
声はハキハキと、笑顔はニッコリと。これが接客業の基本であるが、それに加えうちの店では「できるだけ上品に」が付け加えられる。
店長からの難しい要望に最初は慣れず難しいと感じていたけれど、1ヶ月ぐらい経つと慣れ始めた。
この方針は、うちのお店自体が上品な雰囲気なので仕方ない。
両親が海外に転勤になり、私は祖父の家に住ませてもらっている間、せめて自分のお小遣いぐらいは自分で稼ぎたいとはじめたアルバイトが都内にある『甘味処』である。
大通りに面しておらず繁華街にあるわけでもない。ひっそりと静かな場所にある、知る人ぞ知る甘味では有名なお店だった。
時給や通える条件でバイトを探していた時期に、ちょうど募集しているのを見つけて応募したら運よくすぐに採用された。
働き始めてしばらくしてから思い出したが、昔おじいちゃんに連れていってもらったことのあるお店だったことに気が付いた。
そうだ、私はここの白玉あんみつが大好きで、夏休みにおじいちゃんの家に遊びに行くとおいしいあんみつが食べれる、と楽しみにしていた記憶がある。
まさか十数年後に自分がここで働くことになるなんて、不思議な縁だ。
制服は全員統一されている橙色の薄手の着物で、柄には淡い紫色と朱色の紅葉柄。
なかなかかわいくて気に入っている。こういった制服の可愛さも働く時のやる気に確実に関わってくると思う。
『買いたいものがあるから働く』という、その明確な目的は、物欲があまりない私にしては珍しい事だった。
普段のバイト代だけでは足りないので働く日数を増やしてもらったりしている。
その“欲しいもの”というのは、なかなか高価なものなので、店長にはお正月明けからバイトは日払いにしてもらってコツコツとお金を貯めている途中だ。
1月最後の日。来るべきその日に向けて――
WCが無事終了し、年末年始休みを挟んでからはバスケ部は通常運行。
寒い中みんな体を動かして相変わらずハードな練習をしていた。
大きな大会が終わってから間もないのにみんなかなり集中している。
もっと上手くなりたい、もっと実力をつけたいという熱意が体育館内の温度を上げた。
当たり前だが外は息を吐けば白くなるほどに寒い。外よりはマシだが、体育館もひんやりしているはずなのに、みんなの熱気のせいで暖房をつけなくても調度いいぐらいだった。
リコちゃんだけには、『事情があって1月はバイトで忙しくなりそう』ということは既に話してある。
1月は正月休みや祝日もあってお店が繁盛する時期のため、必然的に忙しくなるのも事実だ。
あと、私がバイト代を稼いで買いたいものがあるのでわざとシフトを増やしてもらったということも、リコちゃんだけには正直に伝えた。
「誰に」、「何をあげるか」まで、ニヤニヤしてリコちゃんが聞いてくるので思わずたじろいでいたら、ふと遠くか視線を感じた。
その視線の先を追うと黒子くんがこちらを見て笑っていた。
何だか照れくさくて胸の中がくすぐったい。黒子くんに手を振り返した私に小金井くんも気づいたようで、私と黒子くんを交互に一瞥すると彼の方に詰め寄った。
「いいよなぁカノジョがこんな近くで見ててくれてさー」
夏休み終わりにすでに私と黒子くんが付き合っているということは部内でも周知の事実…だというのを私も知っているので、特にこれ以上知られて困ることもないのだが、改めて周囲の人に露骨に意識されると困ってしまう。
「はい。嬉しいです。練習がキツくても頑張れます」
「黒子、お前もうちょい遠慮ってもんをなぁぁ!」
そんなやりとりが後方から聞こえてくるがまともに聞いていては恥ずかしくなってしまうので、私はリコちゃんと顔を見合わせて苦笑した。
男子ってホントにガキねぇ、と彼女はため息をついたその姿は妙に大人びて見えた。
バイトが忙しくなると言うことは、必然的に部活にこれない日もあるし、来れても途中で切り上げバイトに向かう日が連日続いた。
リコちゃんに許可をもらっているとはいえ、特に途中で切り上げるのは心苦しかった。
夜遅くまでバイトとなると黒子くんと一緒に帰れないわけで――、そんな日が何日か連続で続いたある日、部活の休憩中に黒子くんに体育館裏に呼び出された。
休憩時間は短いので、黒子くんが私の手を引きながら歩くペースも足早だ。
ちょうど体育館の入り口の反対側までくると黒子くんは私に向き直って、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「琴音さん…、僕に何か隠していませんか?」
遠回しな言い方でなく率直な質問に対し私はすぐに首を横に振った。こういうのは少しでも間を置いてはダメだ。
勘のいい彼にすぐ悟られてしまう。
「隠してないよ。どうして?」
「最近はあまり部活にも…」
「ここ最近バイト先で風邪が流行っててお休みする人が多くて、私が代わりに出るよう店長からお願いされてるからなの」
出来るだけ自然に答えたつもりだったけれど、上手く誤魔化せただろうか。観察力が鋭い黒子くんの前でバレないように嘘をつくというのはすごく神経が磨り減る。
至難の技だ。もちろん、答えた理由の半分ぐらいは本当なんだけど半分は嘘。
バイト代を稼ぐために、私がたくさん働きたいからと店長に集中的にシフトを入れてほしいと自ら希望したのだ。
黒子くんの大きなアクアブルーの瞳を私を間近に捉えている。
しかし視線は逸らせない。逸らしたら嘘がバレると思ったから、目が泳ぎそうになってもグッと堪えた。
この我慢さえも見抜かれていたらどうしようと内心でひやひやした。
サプライズの計画が途中でバレたらマヌケすぎるし…だから、ここは隠し通さなくちゃ。
「なかなか一緒に帰れなくてごめんね。都合が合えば一緒に帰ろうね」
「…はい。わかりました」
申し訳なさそうに告げると彼は小さく頷いた。言葉では納得しているが、彼の表情は心なしか暗い。
バイトをし過ぎていることを心配しているのか、バイトのせいで部活にあまり来れず一緒に帰れないことを寂しがっているのか…どちらにせよ、心配してくれているし大事に思ってくれているには違いない。
私には、それだけで充分。それだけで今日のバイトも頑張れる!と心の中で気合いを入れ直した。
休憩が終わったら一度部室に戻って、ドリンクを作って備品のチェックだけしたら今日もお店に向かおう。
□ □ □
先週の日曜日は部活がオフで、「久しぶりに出かけませんか」と前日に黒子くんが誘ってきてくれたにも関わらず、その日もバイトをフルで入れていたので泣く泣く断った。本当はすごく行きたかったけど、我慢。
“マジバーガーで新作のシェイクがでました”、と、メールで教えてもらったけど、相変わらずバイト…に加えて大学の課題の提出も迫っていたので、やんわりと言葉を選んでお断りのメールを返した。もちろん本当は行きたかったけど、我慢。
火神くんの家でミーティングがてらバスケ部みんなでで鍋パーティーをするという連絡がきたのだが、その日もシフトが遅番だったので、これまた我慢。
こうも連続で続くと…さすがに感づかれてしまうかな?
黒子くんと電話しながら、その声の心地よさにうつらうつらしながら幸せ気分で電話していた夜、「バイトが終わるまで待っててもいいですか?」と言われたけど、それもやんわり断った。サプライズの件はバイト仲間の一部にも話しているので、万が一にもその子が口を滑らせて黒子くんに伝わったら大変だ。
本当は迎えに来てほしかったけど、それも断るしかなかった。
しかし、なかなか引き下がらない黒子くんに対して私は口をついて「我慢してもらえると助かる」と言ってしまった。
言い方キツかったかなと直後に後悔するも、彼は少し黙った後、了承した。
…疲れてるのかなぁ。
自分の希望通り組ませてもらったシフトなのに、ここまでハードだなと思ったのは初めてだ。
そろそろ仕事にも慣れてきたつもりだったのに、意外と覚えることもまだまだたくさんあったりして勉強にはなるけど。
そして目的通り着々とお金は貯まってきているのだが、同時に疲れも溜まってきている。
だから口をついて彼にあんなことを言ってしまったんだろうか。
言葉は選んだつもりだったし、私が隠してることがバレないようにと挙動や声のトーンにも気をつけた。
でも、黒子くんを傷つけてしまっただろうか。
電話をきった後、布団にもぐり込みながら彼のことを考えていたけれど、体の疲れからいつの間にか眠りに落ちていた。
ごめん、必ず挽回をするから。そう信じて無意識に瞼を閉じた。
気がつけばバタバタとバイトに時間を費やしはじめて2週間が経過し、とうとう私が欲しい物が買える目標金額にまで達成することが出来た。
よかった、間に合った。これでちゃんと買える…!
そして、明日は1月30日。黒子くんの誕生日前日だ。
□ □ □
今日はバイトはないけれど別の用事があるため、大学の授業が終わったら駅までいく予定だったのだが、一度誠凛高校に立ち寄ることにした。
先日、部室に忘れ物をしてしまったのだ。
部活がはじまる少し前に部室に着いたら、すでに鍵が開いていて、ドアを静かに開けるとそこには黒子くんが居た。
おつかれさま、と声に出すも黒子くんは私を見据えて何も言わなかった。
昨晩の電話での会話が頭を過ぎって気まずい空気が二人の間を漂う。
どうしよう、怒ってるのかな。何か話さなくちゃ…と考えながら私が後ろ手でドアを閉めると同時に、黒子くんは力強く私の手を引き寄せた。
「わっ…」
突然の行動に戸惑う間も与えられず、私は躓きそうになりながらも引っ張られるまま進んでしまった。
黒子くんは自分のロッカーの前に私を立たせると、すぐ右側の窓辺のカーテンを閉めた。
あの、と声を出そうとしたら、彼にさらに詰め寄られ、ロッカーと黒子くんの間に簡単に閉じこめられてしまった。
黒子くんの右手が伸びて顔のすぐ横に手をついてさらに顔が近づいてくる。私の背中にはロッカーのひんやりとした感触が服越しに伝わっていた。
「琴音さんは僕のことを避けてます」
間近で見つめる彼の瞳は不安の色で揺れていた。
「避けてないよ?」
「…嘘だ」
黒子くんから敬語が消えて、心の中がぞわりとした。彼は不安で押しつぶされそうな、掠れた声で話し出した。
「最近の琴音さんの様子はいつもと違いましたから、避けられてるのかもしれないとすぐに気づきました。…僕に会いたくなかったですか?」
アクアブルーの瞳の中に哀しみが滲んでいた。
一緒に過ごせる時間がここ2週間なかったことで、彼をこんなに不安にさせてしまっていたことに今気がついて、私は一気に青ざめる。
どうしよう、傷つけた。そんなつもりはなかったのに。
いっそここで、バイトの件もサプライズの件も話してしまったら黒子くんも安心してくれるだろうか。
ひとまず弁解しようと私が口を開いたら、私の顔に影が覆い、かんたんに唇を塞がれてしまった。
途端、二人の距離がゼロになったのに、彼の心はすごく遠い場所にいる気がした。
唇が柔らかくて温かかったことで、後悔が渦巻く気持ちを余計に煽った。泣きたいのは彼の方なのに、私の目の奥がジンと熱くなる。
「避けられていたとしても構わない。離すつもりはありません」
一度唇は離れ、お互いの鼻先はくっついたままの至近距離で、黒子くんは呆然としている私にそう告げてまた唇に触れた。
弁解の間も与えてくれなかった。ここまで強引な黒子くんの一面に驚いたけれど、それを無下に引き出してしまったのは私なんだ。
傷つけてしまったことを悔いても、もう遅いのかもしれない。
しかし、ここは部室だしもうすぐ部員たちも次々に来てしまう。誰かに見られたらマズイ。
顔が熱くなって黒子くんの胸を弱く押してもビクともしなかった。そのうち両手首も捕まれて動かせなくなってしまった。
何度も、黒子くんの唇から不安が流れ込んでくる。強引なキスではあったけれど、黒子くんの唇は少しだけ震えていた。
薄く目を開けると黒子くんも同じように目を細めて私を見つめていた。悲しそうな表情。縋るように唇が動いた。
いっそ私もここが部室だということを忘れてしまいたかった。
気の済むまでキスをして、それから謝って弁解すればいい。
――と、思っても、嫌でも私の理性は働いてしまう。
「っ!」
部室の外で声が聞こえた瞬間に思考が現実に呼び戻され、掴まれていた手を力一杯ふりほどいて私は強い力で黒子くんを突き飛ばしてしまった。
誰かに見られてはいけないと警戒して、無意識の行動だった。彼は転ぶことはなかったが後方へよろけた。
「ご、ごめ――」
タイミングの悪いことに、私の言葉を遮って小金井くんが元気よく挨拶して部室に入ってきた。小金井くんのすぐ後ろには水戸部くんもいた。
「…あれ?今日マネージャーくる日だったっけ?」
「ううん、ちょっと忘れものをとりにきただけなんだ」
何かあったのかと悟られないように私は小さく挨拶を返してから、彼らと入れ違いに部室を出てきてしまった。
でも、あの場は誤魔化すしかなかっただろう。
その後は、走った。部室を出たらすぐに走って、気がついたら学校の外まで出ていた。走ってる最中、後ろは振り向かなかった。
先程の黒子くんは、私の弁解など聞く耳も持たないという感じで、いつもの彼ではなかったと思う。
突き飛ばしてしまった自分の行動を思い返しても、あれは完全に『拒絶』したと受け取られてしまっているだろう。
駅に着いて適当なベンチに座り、乱れた息を整えながら先ほどのシーンが頭の中で繰り返される。
あんな黒子くんはじめて見た。不安そうだった。強引だった。ちょっぴり怖かった。
でも、強く想ってくれているんだと実感した。誰かを不安にさせておいてこんな風に思ったらバチが当たりそうだけど、嬉しい。嬉しい…こんなどうしょもない私に執着してくれていることがすごく嬉しい。
きっとそんな人は、世界中探してもたった一人だと思った。それが黒子くんで心からよかったと思う。
ただ、今日のことをこのままにしてはいけない。私は鞄から携帯を取り出し、メールを打ちはじめた。
《いつものストリートコートに居ます》
返事をくれるだろうか。
完全に怒ってしまっていたら来ないかもしれない。
それでも私は彼を傷つけてしまった罰として、寒空の下何時間でも待つ覚悟はしていた。
体が凍えてもいい。来るまで待つ覚悟はある。
・・・
・・・・・
・・・・・・
冬は日が落ちるのが早い。夕方6時をすぎると夕日の色はどこにも見あたらなく、空は群青を遠り越して真っ暗だ。
その中で星だけが輝き、月だけがくっきりと美しく際だっていた。
ストリートコートに置いてあるベンチに座りながら、空がキレイなのは冬のいいところだなぁと改めて思った。
冬場のストリートコートには人気がない。ここは冬以外だと結構賑わっていたりするんだけどなぁ。
そういえばはじめて黒子くんにキスをされたのもこの場所だった。あの時は、一生分のドキドキが胸の中のものを全部攫っていったことをつい昨日の事のようハッキリと覚えてる。
でも、その後もいろんなことがあって、夏も、秋も、WCでも、いつだって黒子くんはドキドキをくれていた。
どれもがあたたかい思い出ばかりだ。
色んな回想をしながら待っていたらあっと言う間に2時間も経過していた。もう8時か…大丈夫、まだ、全然待てる。
寒さが身に染みて、頬と鼻先が氷のように冷たい。寒いのが苦手なのでしんどいけれど、これは私がバースデーサプライズにおいてうまく立ち回れなかった罰だ。
彼を傷つけた罰なんだ。本当はこんなもので済まされてはいけないぐらいだ。
コート内に設置してある大きな時計で時間を確認しようと腰を上げると――
「琴音さん!」
私の名前を呼ぶその声は滅多に大きな声を出したりしないので、呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。
ベンチから立ち上がった私が帰ってしまうのかと思ったのだろうか。
慌てなくたって私は黒子くんが来るまで帰ったりしないのに。振り返ると、黒子くんがすぐ目の前まで来ていた。よかった、来てくれた。
ハァ、と彼が吐く息は真っ白い。どうやら走ってきてくれたみたいだ。少し離れた場所で息を整えつつこちらに歩いてくる彼の表情は、いつもの黒子くんに戻っていた。
そして私の目前までやってくると、黒子くんは礼儀正しく頭を下げて謝った。
「遅くなってしまってすいません。部活が終わってからメールに気づいて…、それにさっきはあんなことを…嫌な思いをさせてしまいました」
「謝るのは私の方だよ。色々と誤解させちゃって本当にごめんなさい」
実はずっと隠していたことがあって…、と、続けてそのまま話そうとしたら、ゆっくりと頭をあげて黒子くんは私を見つめていた。
表情はいつもの黒子くんだけど、瞳の中はまだ不安で溢れていた。黒子くんは相槌のかわりに頷くと水色のきれいな髪が揺れた。この髪もすごく好きだなぁ。
ベンチに置いといた少し大きな箱。それを両手で掴むと私は黒子くんの前に差し出した。
「1日早いけど、はい、どーぞ!黒子くん、お誕生日おめでとう」
大きな箱を受け取ると黒子くんは目を見開いて驚き、声も出せず私と箱を何度も交互に見ていた。
予想だにしてない事態が起こってテンパっている、といった様子だ。黒子くんがこんなに動揺しているなんてすごく珍しい。
「別れ話を、切り出されるのかと、僕は…不安で…」
「そのほうがよかった?」
「琴音さん、その冗談、今は心臓に悪いです…」
「ふふ、ごめんごめん。よかったら開けてみて?」
頷いて黒子くんは片手で箱を持ち、もう片方の手で箱のフタをゆっくりを開けた。
誕生日プレゼントなのにラッピングをあえてしてもらわなかったのは、すぐに見て欲しかったからだ。
中身を見た瞬間、黒子くんの大きな瞳はさらに見開いて大きくなった。
「これ…」
彼は呟きながら呆然とその箱の中身を凝視していた。そこには新品のバッシュ。
私がどうしても黒子くんにプレゼントしたかったものがそこに入っていた。
色々と誤解をさせたり傷つけてしまったけれど、そのプレゼントだけは予定通りのものを購入することが出来た。
バッシュを見つめ続けて黒子くんは長い間電池のきれたロボットのように動かなくなったので、顔を覗きこむも相変わらずその表情は微動だにしない。
「く、黒子くん…?」
私が頬をつつくと彼はハッと我に返ったように視線をバッシュから私へと移した。
「驚きのあまり声を出せませんでした…こんな高価なものを…。これを僕にプレゼントするためにたくさんバイトをしてたんですか?」
「うん。このバッシュ誠凛カラーでカッコいいでしょ?どうしてもこれをプレゼントしたかったの」
プレゼントしたバッシュを指さすと彼もまた視線を箱の中へ落とした。白くて新品のきれなバッシュ。
黒と赤のラインが入っているデザインで誠凛のユニフォームと一緒のカラーだ。きっとユニフォームと合わせたらすごく似合うだろう。
バッシュの値段もピンキリなのだが、たまたまこれが有名スポーツメーカーの新作だったから、結構頑張らないと買えない値段だった。
他にもプレゼント候補を考えたけれど、このバッシュを見つけた後では他に思いつかず、スポーツショップの店長に交渉して少しの間取り置きしておいてもらったのだ。
お店の人と交渉なんて普段の私なら出来なかっただろう。でも、原動力が黒子くんならばそれができてしまうんだ。
プレゼントしたら喜んでくれるかな、とか、きっと黒子くんなら似合うだろうな、とか、試合で履いて欲しいなとか、想像するだけで私のパワーになる。
バッシュに見入る黒子くんの瞳に月の光が反射してキラキラと光った。その光が瞳の水分で屈折して揺れている。
黒子くん、もしかして、泣きそう、だったりして…。
しばらくして顔をあげると、黒子くんの薄い唇は優しく微笑んだ形を作った。ふわりと、彼の周りの空気があたたかくなったように柔らかくなる。
「ありがとうございます。幸せ過ぎて言葉では言い表せないぐらい…嬉しいです。一生大事にします。バッシュも、琴音さんも」
彼の泣きそうな笑顔と、優しい言葉の数々が、私に向けられている。
…あぁ、そうか。わたし、この笑顔が見たくて頑張ってたんだなぁ。
改めてそう思う。いつだって私の元気の源はここにあるんだ、と。
やっと渡せたという安堵と、空気の冷たさで鼻の奥がツンとして、私も泣きそうになったけれど何とか堪えて笑顔を返した。
当日に渡すはずだったサプライズ計画は失敗したけれど、喜んでもらえたから結果オーライかな?
ふと、満月の光が二人を照らし、コートにはまっすぐに伸びた2つの影が地面に映し出されていることに気がついて、私は、黒子くんと世界にたった二人だけになったような錯覚を覚えた。
バッシュが入った箱をを大事そうに抱えたまま、黒子くんは一歩前に踏み出し、私に近づいた。
顔だけさらに近づけて頬をすり寄せてくると私の冷えきった頬に黒子くん体温が頬伝わってきて、冷たさがじんわりと心地よく溶かされていく。
「あったかいね」
ふふ、と笑うと彼も、「はい」、と、小さく返事をして笑った。寒空の下、一気に幸せな空気が満ちる。
くっついていた頬が離れていきお互い視線が交わると、どちらともなく目を閉じて、また近づいた。
今度こそしっかり目を閉じて、優しいキスを待っていよう。そして、唇が離れて目をゆっくり開けたら伝えたい。
『誕生日おめでとう』って、誰よりも傍で言わせて欲しいな。来年も、再来年も、その先もずっと。
今日も私は働く。がむしゃらに働く。
…といっても、部活のマネージャーとしてではなく、アルバイト店員として。
人間は欲しい物があればこんなに無になって働けるものなのだと、ここ数日で私は痛感していた。
順調な大学生活やバイトの日々を過ごしながらも、昨年の春から祖父の伝で誠凛バスケ部の臨時マネージャーを務めて早いものでもう10ヶ月になる。
高校の時、受験勉強に没頭したがそれ以外は、まぁそれ以外は思い返してものほほんとした学生時代だったと思う。
あの頃の私からは考えられないような生活を今はしているなぁ。過去を振り返るのはさておき、ここ最近はタイトなスケジュールで、今、私がどのようにしてがむしゃらに働いているのかというと――…どうしても買いたい物ができてしまったからだ。
「お待たせしました。抹茶パフェになります」
運んできたそれをテーブルにゆっくり置いて、私は一礼してその場を離れた。
声はハキハキと、笑顔はニッコリと。これが接客業の基本であるが、それに加えうちの店では「できるだけ上品に」が付け加えられる。
店長からの難しい要望に最初は慣れず難しいと感じていたけれど、1ヶ月ぐらい経つと慣れ始めた。
この方針は、うちのお店自体が上品な雰囲気なので仕方ない。
両親が海外に転勤になり、私は祖父の家に住ませてもらっている間、せめて自分のお小遣いぐらいは自分で稼ぎたいとはじめたアルバイトが都内にある『甘味処』である。
大通りに面しておらず繁華街にあるわけでもない。ひっそりと静かな場所にある、知る人ぞ知る甘味では有名なお店だった。
時給や通える条件でバイトを探していた時期に、ちょうど募集しているのを見つけて応募したら運よくすぐに採用された。
働き始めてしばらくしてから思い出したが、昔おじいちゃんに連れていってもらったことのあるお店だったことに気が付いた。
そうだ、私はここの白玉あんみつが大好きで、夏休みにおじいちゃんの家に遊びに行くとおいしいあんみつが食べれる、と楽しみにしていた記憶がある。
まさか十数年後に自分がここで働くことになるなんて、不思議な縁だ。
制服は全員統一されている橙色の薄手の着物で、柄には淡い紫色と朱色の紅葉柄。
なかなかかわいくて気に入っている。こういった制服の可愛さも働く時のやる気に確実に関わってくると思う。
『買いたいものがあるから働く』という、その明確な目的は、物欲があまりない私にしては珍しい事だった。
普段のバイト代だけでは足りないので働く日数を増やしてもらったりしている。
その“欲しいもの”というのは、なかなか高価なものなので、店長にはお正月明けからバイトは日払いにしてもらってコツコツとお金を貯めている途中だ。
1月最後の日。来るべきその日に向けて――
WCが無事終了し、年末年始休みを挟んでからはバスケ部は通常運行。
寒い中みんな体を動かして相変わらずハードな練習をしていた。
大きな大会が終わってから間もないのにみんなかなり集中している。
もっと上手くなりたい、もっと実力をつけたいという熱意が体育館内の温度を上げた。
当たり前だが外は息を吐けば白くなるほどに寒い。外よりはマシだが、体育館もひんやりしているはずなのに、みんなの熱気のせいで暖房をつけなくても調度いいぐらいだった。
リコちゃんだけには、『事情があって1月はバイトで忙しくなりそう』ということは既に話してある。
1月は正月休みや祝日もあってお店が繁盛する時期のため、必然的に忙しくなるのも事実だ。
あと、私がバイト代を稼いで買いたいものがあるのでわざとシフトを増やしてもらったということも、リコちゃんだけには正直に伝えた。
「誰に」、「何をあげるか」まで、ニヤニヤしてリコちゃんが聞いてくるので思わずたじろいでいたら、ふと遠くか視線を感じた。
その視線の先を追うと黒子くんがこちらを見て笑っていた。
何だか照れくさくて胸の中がくすぐったい。黒子くんに手を振り返した私に小金井くんも気づいたようで、私と黒子くんを交互に一瞥すると彼の方に詰め寄った。
「いいよなぁカノジョがこんな近くで見ててくれてさー」
夏休み終わりにすでに私と黒子くんが付き合っているということは部内でも周知の事実…だというのを私も知っているので、特にこれ以上知られて困ることもないのだが、改めて周囲の人に露骨に意識されると困ってしまう。
「はい。嬉しいです。練習がキツくても頑張れます」
「黒子、お前もうちょい遠慮ってもんをなぁぁ!」
そんなやりとりが後方から聞こえてくるがまともに聞いていては恥ずかしくなってしまうので、私はリコちゃんと顔を見合わせて苦笑した。
男子ってホントにガキねぇ、と彼女はため息をついたその姿は妙に大人びて見えた。
バイトが忙しくなると言うことは、必然的に部活にこれない日もあるし、来れても途中で切り上げバイトに向かう日が連日続いた。
リコちゃんに許可をもらっているとはいえ、特に途中で切り上げるのは心苦しかった。
夜遅くまでバイトとなると黒子くんと一緒に帰れないわけで――、そんな日が何日か連続で続いたある日、部活の休憩中に黒子くんに体育館裏に呼び出された。
休憩時間は短いので、黒子くんが私の手を引きながら歩くペースも足早だ。
ちょうど体育館の入り口の反対側までくると黒子くんは私に向き直って、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「琴音さん…、僕に何か隠していませんか?」
遠回しな言い方でなく率直な質問に対し私はすぐに首を横に振った。こういうのは少しでも間を置いてはダメだ。
勘のいい彼にすぐ悟られてしまう。
「隠してないよ。どうして?」
「最近はあまり部活にも…」
「ここ最近バイト先で風邪が流行っててお休みする人が多くて、私が代わりに出るよう店長からお願いされてるからなの」
出来るだけ自然に答えたつもりだったけれど、上手く誤魔化せただろうか。観察力が鋭い黒子くんの前でバレないように嘘をつくというのはすごく神経が磨り減る。
至難の技だ。もちろん、答えた理由の半分ぐらいは本当なんだけど半分は嘘。
バイト代を稼ぐために、私がたくさん働きたいからと店長に集中的にシフトを入れてほしいと自ら希望したのだ。
黒子くんの大きなアクアブルーの瞳を私を間近に捉えている。
しかし視線は逸らせない。逸らしたら嘘がバレると思ったから、目が泳ぎそうになってもグッと堪えた。
この我慢さえも見抜かれていたらどうしようと内心でひやひやした。
サプライズの計画が途中でバレたらマヌケすぎるし…だから、ここは隠し通さなくちゃ。
「なかなか一緒に帰れなくてごめんね。都合が合えば一緒に帰ろうね」
「…はい。わかりました」
申し訳なさそうに告げると彼は小さく頷いた。言葉では納得しているが、彼の表情は心なしか暗い。
バイトをし過ぎていることを心配しているのか、バイトのせいで部活にあまり来れず一緒に帰れないことを寂しがっているのか…どちらにせよ、心配してくれているし大事に思ってくれているには違いない。
私には、それだけで充分。それだけで今日のバイトも頑張れる!と心の中で気合いを入れ直した。
休憩が終わったら一度部室に戻って、ドリンクを作って備品のチェックだけしたら今日もお店に向かおう。
□ □ □
先週の日曜日は部活がオフで、「久しぶりに出かけませんか」と前日に黒子くんが誘ってきてくれたにも関わらず、その日もバイトをフルで入れていたので泣く泣く断った。本当はすごく行きたかったけど、我慢。
“マジバーガーで新作のシェイクがでました”、と、メールで教えてもらったけど、相変わらずバイト…に加えて大学の課題の提出も迫っていたので、やんわりと言葉を選んでお断りのメールを返した。もちろん本当は行きたかったけど、我慢。
火神くんの家でミーティングがてらバスケ部みんなでで鍋パーティーをするという連絡がきたのだが、その日もシフトが遅番だったので、これまた我慢。
こうも連続で続くと…さすがに感づかれてしまうかな?
黒子くんと電話しながら、その声の心地よさにうつらうつらしながら幸せ気分で電話していた夜、「バイトが終わるまで待っててもいいですか?」と言われたけど、それもやんわり断った。サプライズの件はバイト仲間の一部にも話しているので、万が一にもその子が口を滑らせて黒子くんに伝わったら大変だ。
本当は迎えに来てほしかったけど、それも断るしかなかった。
しかし、なかなか引き下がらない黒子くんに対して私は口をついて「我慢してもらえると助かる」と言ってしまった。
言い方キツかったかなと直後に後悔するも、彼は少し黙った後、了承した。
…疲れてるのかなぁ。
自分の希望通り組ませてもらったシフトなのに、ここまでハードだなと思ったのは初めてだ。
そろそろ仕事にも慣れてきたつもりだったのに、意外と覚えることもまだまだたくさんあったりして勉強にはなるけど。
そして目的通り着々とお金は貯まってきているのだが、同時に疲れも溜まってきている。
だから口をついて彼にあんなことを言ってしまったんだろうか。
言葉は選んだつもりだったし、私が隠してることがバレないようにと挙動や声のトーンにも気をつけた。
でも、黒子くんを傷つけてしまっただろうか。
電話をきった後、布団にもぐり込みながら彼のことを考えていたけれど、体の疲れからいつの間にか眠りに落ちていた。
ごめん、必ず挽回をするから。そう信じて無意識に瞼を閉じた。
気がつけばバタバタとバイトに時間を費やしはじめて2週間が経過し、とうとう私が欲しい物が買える目標金額にまで達成することが出来た。
よかった、間に合った。これでちゃんと買える…!
そして、明日は1月30日。黒子くんの誕生日前日だ。
□ □ □
今日はバイトはないけれど別の用事があるため、大学の授業が終わったら駅までいく予定だったのだが、一度誠凛高校に立ち寄ることにした。
先日、部室に忘れ物をしてしまったのだ。
部活がはじまる少し前に部室に着いたら、すでに鍵が開いていて、ドアを静かに開けるとそこには黒子くんが居た。
おつかれさま、と声に出すも黒子くんは私を見据えて何も言わなかった。
昨晩の電話での会話が頭を過ぎって気まずい空気が二人の間を漂う。
どうしよう、怒ってるのかな。何か話さなくちゃ…と考えながら私が後ろ手でドアを閉めると同時に、黒子くんは力強く私の手を引き寄せた。
「わっ…」
突然の行動に戸惑う間も与えられず、私は躓きそうになりながらも引っ張られるまま進んでしまった。
黒子くんは自分のロッカーの前に私を立たせると、すぐ右側の窓辺のカーテンを閉めた。
あの、と声を出そうとしたら、彼にさらに詰め寄られ、ロッカーと黒子くんの間に簡単に閉じこめられてしまった。
黒子くんの右手が伸びて顔のすぐ横に手をついてさらに顔が近づいてくる。私の背中にはロッカーのひんやりとした感触が服越しに伝わっていた。
「琴音さんは僕のことを避けてます」
間近で見つめる彼の瞳は不安の色で揺れていた。
「避けてないよ?」
「…嘘だ」
黒子くんから敬語が消えて、心の中がぞわりとした。彼は不安で押しつぶされそうな、掠れた声で話し出した。
「最近の琴音さんの様子はいつもと違いましたから、避けられてるのかもしれないとすぐに気づきました。…僕に会いたくなかったですか?」
アクアブルーの瞳の中に哀しみが滲んでいた。
一緒に過ごせる時間がここ2週間なかったことで、彼をこんなに不安にさせてしまっていたことに今気がついて、私は一気に青ざめる。
どうしよう、傷つけた。そんなつもりはなかったのに。
いっそここで、バイトの件もサプライズの件も話してしまったら黒子くんも安心してくれるだろうか。
ひとまず弁解しようと私が口を開いたら、私の顔に影が覆い、かんたんに唇を塞がれてしまった。
途端、二人の距離がゼロになったのに、彼の心はすごく遠い場所にいる気がした。
唇が柔らかくて温かかったことで、後悔が渦巻く気持ちを余計に煽った。泣きたいのは彼の方なのに、私の目の奥がジンと熱くなる。
「避けられていたとしても構わない。離すつもりはありません」
一度唇は離れ、お互いの鼻先はくっついたままの至近距離で、黒子くんは呆然としている私にそう告げてまた唇に触れた。
弁解の間も与えてくれなかった。ここまで強引な黒子くんの一面に驚いたけれど、それを無下に引き出してしまったのは私なんだ。
傷つけてしまったことを悔いても、もう遅いのかもしれない。
しかし、ここは部室だしもうすぐ部員たちも次々に来てしまう。誰かに見られたらマズイ。
顔が熱くなって黒子くんの胸を弱く押してもビクともしなかった。そのうち両手首も捕まれて動かせなくなってしまった。
何度も、黒子くんの唇から不安が流れ込んでくる。強引なキスではあったけれど、黒子くんの唇は少しだけ震えていた。
薄く目を開けると黒子くんも同じように目を細めて私を見つめていた。悲しそうな表情。縋るように唇が動いた。
いっそ私もここが部室だということを忘れてしまいたかった。
気の済むまでキスをして、それから謝って弁解すればいい。
――と、思っても、嫌でも私の理性は働いてしまう。
「っ!」
部室の外で声が聞こえた瞬間に思考が現実に呼び戻され、掴まれていた手を力一杯ふりほどいて私は強い力で黒子くんを突き飛ばしてしまった。
誰かに見られてはいけないと警戒して、無意識の行動だった。彼は転ぶことはなかったが後方へよろけた。
「ご、ごめ――」
タイミングの悪いことに、私の言葉を遮って小金井くんが元気よく挨拶して部室に入ってきた。小金井くんのすぐ後ろには水戸部くんもいた。
「…あれ?今日マネージャーくる日だったっけ?」
「ううん、ちょっと忘れものをとりにきただけなんだ」
何かあったのかと悟られないように私は小さく挨拶を返してから、彼らと入れ違いに部室を出てきてしまった。
でも、あの場は誤魔化すしかなかっただろう。
その後は、走った。部室を出たらすぐに走って、気がついたら学校の外まで出ていた。走ってる最中、後ろは振り向かなかった。
先程の黒子くんは、私の弁解など聞く耳も持たないという感じで、いつもの彼ではなかったと思う。
突き飛ばしてしまった自分の行動を思い返しても、あれは完全に『拒絶』したと受け取られてしまっているだろう。
駅に着いて適当なベンチに座り、乱れた息を整えながら先ほどのシーンが頭の中で繰り返される。
あんな黒子くんはじめて見た。不安そうだった。強引だった。ちょっぴり怖かった。
でも、強く想ってくれているんだと実感した。誰かを不安にさせておいてこんな風に思ったらバチが当たりそうだけど、嬉しい。嬉しい…こんなどうしょもない私に執着してくれていることがすごく嬉しい。
きっとそんな人は、世界中探してもたった一人だと思った。それが黒子くんで心からよかったと思う。
ただ、今日のことをこのままにしてはいけない。私は鞄から携帯を取り出し、メールを打ちはじめた。
《いつものストリートコートに居ます》
返事をくれるだろうか。
完全に怒ってしまっていたら来ないかもしれない。
それでも私は彼を傷つけてしまった罰として、寒空の下何時間でも待つ覚悟はしていた。
体が凍えてもいい。来るまで待つ覚悟はある。
・・・
・・・・・
・・・・・・
冬は日が落ちるのが早い。夕方6時をすぎると夕日の色はどこにも見あたらなく、空は群青を遠り越して真っ暗だ。
その中で星だけが輝き、月だけがくっきりと美しく際だっていた。
ストリートコートに置いてあるベンチに座りながら、空がキレイなのは冬のいいところだなぁと改めて思った。
冬場のストリートコートには人気がない。ここは冬以外だと結構賑わっていたりするんだけどなぁ。
そういえばはじめて黒子くんにキスをされたのもこの場所だった。あの時は、一生分のドキドキが胸の中のものを全部攫っていったことをつい昨日の事のようハッキリと覚えてる。
でも、その後もいろんなことがあって、夏も、秋も、WCでも、いつだって黒子くんはドキドキをくれていた。
どれもがあたたかい思い出ばかりだ。
色んな回想をしながら待っていたらあっと言う間に2時間も経過していた。もう8時か…大丈夫、まだ、全然待てる。
寒さが身に染みて、頬と鼻先が氷のように冷たい。寒いのが苦手なのでしんどいけれど、これは私がバースデーサプライズにおいてうまく立ち回れなかった罰だ。
彼を傷つけた罰なんだ。本当はこんなもので済まされてはいけないぐらいだ。
コート内に設置してある大きな時計で時間を確認しようと腰を上げると――
「琴音さん!」
私の名前を呼ぶその声は滅多に大きな声を出したりしないので、呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。
ベンチから立ち上がった私が帰ってしまうのかと思ったのだろうか。
慌てなくたって私は黒子くんが来るまで帰ったりしないのに。振り返ると、黒子くんがすぐ目の前まで来ていた。よかった、来てくれた。
ハァ、と彼が吐く息は真っ白い。どうやら走ってきてくれたみたいだ。少し離れた場所で息を整えつつこちらに歩いてくる彼の表情は、いつもの黒子くんに戻っていた。
そして私の目前までやってくると、黒子くんは礼儀正しく頭を下げて謝った。
「遅くなってしまってすいません。部活が終わってからメールに気づいて…、それにさっきはあんなことを…嫌な思いをさせてしまいました」
「謝るのは私の方だよ。色々と誤解させちゃって本当にごめんなさい」
実はずっと隠していたことがあって…、と、続けてそのまま話そうとしたら、ゆっくりと頭をあげて黒子くんは私を見つめていた。
表情はいつもの黒子くんだけど、瞳の中はまだ不安で溢れていた。黒子くんは相槌のかわりに頷くと水色のきれいな髪が揺れた。この髪もすごく好きだなぁ。
ベンチに置いといた少し大きな箱。それを両手で掴むと私は黒子くんの前に差し出した。
「1日早いけど、はい、どーぞ!黒子くん、お誕生日おめでとう」
大きな箱を受け取ると黒子くんは目を見開いて驚き、声も出せず私と箱を何度も交互に見ていた。
予想だにしてない事態が起こってテンパっている、といった様子だ。黒子くんがこんなに動揺しているなんてすごく珍しい。
「別れ話を、切り出されるのかと、僕は…不安で…」
「そのほうがよかった?」
「琴音さん、その冗談、今は心臓に悪いです…」
「ふふ、ごめんごめん。よかったら開けてみて?」
頷いて黒子くんは片手で箱を持ち、もう片方の手で箱のフタをゆっくりを開けた。
誕生日プレゼントなのにラッピングをあえてしてもらわなかったのは、すぐに見て欲しかったからだ。
中身を見た瞬間、黒子くんの大きな瞳はさらに見開いて大きくなった。
「これ…」
彼は呟きながら呆然とその箱の中身を凝視していた。そこには新品のバッシュ。
私がどうしても黒子くんにプレゼントしたかったものがそこに入っていた。
色々と誤解をさせたり傷つけてしまったけれど、そのプレゼントだけは予定通りのものを購入することが出来た。
バッシュを見つめ続けて黒子くんは長い間電池のきれたロボットのように動かなくなったので、顔を覗きこむも相変わらずその表情は微動だにしない。
「く、黒子くん…?」
私が頬をつつくと彼はハッと我に返ったように視線をバッシュから私へと移した。
「驚きのあまり声を出せませんでした…こんな高価なものを…。これを僕にプレゼントするためにたくさんバイトをしてたんですか?」
「うん。このバッシュ誠凛カラーでカッコいいでしょ?どうしてもこれをプレゼントしたかったの」
プレゼントしたバッシュを指さすと彼もまた視線を箱の中へ落とした。白くて新品のきれなバッシュ。
黒と赤のラインが入っているデザインで誠凛のユニフォームと一緒のカラーだ。きっとユニフォームと合わせたらすごく似合うだろう。
バッシュの値段もピンキリなのだが、たまたまこれが有名スポーツメーカーの新作だったから、結構頑張らないと買えない値段だった。
他にもプレゼント候補を考えたけれど、このバッシュを見つけた後では他に思いつかず、スポーツショップの店長に交渉して少しの間取り置きしておいてもらったのだ。
お店の人と交渉なんて普段の私なら出来なかっただろう。でも、原動力が黒子くんならばそれができてしまうんだ。
プレゼントしたら喜んでくれるかな、とか、きっと黒子くんなら似合うだろうな、とか、試合で履いて欲しいなとか、想像するだけで私のパワーになる。
バッシュに見入る黒子くんの瞳に月の光が反射してキラキラと光った。その光が瞳の水分で屈折して揺れている。
黒子くん、もしかして、泣きそう、だったりして…。
しばらくして顔をあげると、黒子くんの薄い唇は優しく微笑んだ形を作った。ふわりと、彼の周りの空気があたたかくなったように柔らかくなる。
「ありがとうございます。幸せ過ぎて言葉では言い表せないぐらい…嬉しいです。一生大事にします。バッシュも、琴音さんも」
彼の泣きそうな笑顔と、優しい言葉の数々が、私に向けられている。
…あぁ、そうか。わたし、この笑顔が見たくて頑張ってたんだなぁ。
改めてそう思う。いつだって私の元気の源はここにあるんだ、と。
やっと渡せたという安堵と、空気の冷たさで鼻の奥がツンとして、私も泣きそうになったけれど何とか堪えて笑顔を返した。
当日に渡すはずだったサプライズ計画は失敗したけれど、喜んでもらえたから結果オーライかな?
ふと、満月の光が二人を照らし、コートにはまっすぐに伸びた2つの影が地面に映し出されていることに気がついて、私は、黒子くんと世界にたった二人だけになったような錯覚を覚えた。
バッシュが入った箱をを大事そうに抱えたまま、黒子くんは一歩前に踏み出し、私に近づいた。
顔だけさらに近づけて頬をすり寄せてくると私の冷えきった頬に黒子くん体温が頬伝わってきて、冷たさがじんわりと心地よく溶かされていく。
「あったかいね」
ふふ、と笑うと彼も、「はい」、と、小さく返事をして笑った。寒空の下、一気に幸せな空気が満ちる。
くっついていた頬が離れていきお互い視線が交わると、どちらともなく目を閉じて、また近づいた。
今度こそしっかり目を閉じて、優しいキスを待っていよう。そして、唇が離れて目をゆっくり開けたら伝えたい。
『誕生日おめでとう』って、誰よりも傍で言わせて欲しいな。来年も、再来年も、その先もずっと。