黒子くんと大学生マネージャー
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メイド・イン・フェスティバル
10月の爽やかな秋晴れと共にスタートした誠凛高校の文化祭当日、私は胸を躍らせながら向かっていた。
今日の予定は、黒子くんの空き時間に一緒に校内を回る――はずだった。つい、さっきまでは。
新設した誠凛高校は校舎がキレイなのはもちろん、敷地内も広く、文化祭で多少混雑しても歩きやすい。
昼前に辿り着けば既に人が賑わっていて、模擬店のいい香りが漂ってきた。う~ん、この香りは…焼きそばだ。意図せずお腹が空いてきてしまう。
土曜日ということもあって、学校帰りに寄った他校生もチラホラ見かける。
黒子くんのクラスの出展も食べもの関係だった気がする。
確か、オムライス。模擬店としてはかなり珍しいと思うし、オムライスの模擬店なんて初めて聞いた。
火神くんのスペシャルレシピで作った試作品がクラス内でも大好評だっ たみたいなので、お昼時の今頃は大混雑かも知れない。
私も食べたいなぁ。でも、ガマン、ガマン。黒子くんと一緒に見て回るから、その時に一緒に食べようかな。
黒子くんの担当は午前いっぱいと、夕方からの片付けのみ。あとは午後4時ぐらいから1時間ばかり図書委員の仕事があると昨日電話をした時に言っていた。
文化祭の日に限り図書室を一般開放をしてるようなので、その時間帯は委員会の担当を一人以上は受付に置くようにしているのだそうだ。
クラス出展もあるのに委員会もだなんて、大変だなぁ。
つい、去年まで私も高校生だったので文化祭の思い出は記憶に新しい。
クラスで何を出展するか決めてみんなでアイデアを出し合って、先生に相談してそのアイデアは現実的に可能かどうか、予算も兼ねて判断してもらって…教室を装飾したり、買い出ししたり、実質二週間満たない準備期間で毎日バタバタしていた気がする。
文化祭は当日以上に、当日を迎えるまでが大変なんだ。バスケ部のみんなはここ数日は特にハードだったと思う。
授業もあるし、休憩時間や放課後でも準備、その後に部活…。自分だったらと思うとこなせる自信がない。
待ち合わせは正午に部室前、だったんだけど――30分も早く到着してしまった。
せっかくなので、リコちゃん達のクラスに先に遊びに行ってみようかな。黒子くんと合流してから行く予定だったけど、様子を見に行く程度ならいいよね。
確か、クラス出展で『喫茶店』をやるって教えてもらった時、リコちゃんは笑顔で「遊びに来てくださいね!」と明るい表情だったのに、日向くんは深いため息しかついていなかった。二人は同じクラスなのに、テンションの差についてその時は考えたりしなかった。
日向くんは、よほど苦手分野の担当を任されてしまったのだろうか。
さすが文化祭ともなると、丁寧に行き先が分かりやすく書いてある張り紙や看板が随所にあって、私は迷うことなく二年生の教室に向かうことができた。
パンフレットを入り口で貰い損ねてしまったので助かった。新設校だけあって真新しい建物の匂いがすした。
ふと、廊下を歩いている途中、教室の外まで行列が出来ている場所に目を奪われる。行列は主に誠凛の男子生徒、女子生徒、チラホラ混ざる一般客…だ。
主に校内人気の出し物なのだろうか?その行列を素通りして入り口付近まで来ると、そこに掲げられている看板には『男女逆転喫茶』という文字が、カラフルに可愛らしく書いてある。
…だ、…男女逆転??喫茶??
首を傾げながら中の様子を遠目に覗こうとした瞬間、聞き覚えのある声と共に入り口から現れたのはリコちゃんだった。
「まだまだいるわねぇ。困ったなぁ」
「リ、リコちゃん!その格好…!」
名前を呼びながら思わず彼女の服装に驚く。上から下まで視線が往復してしまった。
前髪はオールバックにしてピッチリと固め、白いシャツに黒い燕尾服。ピシッと背筋を伸ばした立ち姿がキレイで、元々リコちゃんの凛々しい表情にとても合っている。男装の麗人になっていた。
「あっ、琴音さん来てくれたんですね!」
私に気づくと笑顔を向けてくれたが、いつもと違う雰囲気なので何だかドキドキしてしまう。
ボーイッシュな子が男装すると想像以上に似合うなぁ。私が思ったままの感想を告げると、リコちゃんは素直に照れていた。
メイド喫茶が秋葉原で増えてブームになった時それを真似て文化祭の出展でも流行ったけれど、リコちゃんのクラスの喫茶店はさらにひとひねりした感じだ。
『男女逆転喫茶』…要するに、女子が男装をして執事を、男子が女装してメイドさんをするってこと。
――と、いうことは…!
教室の中では笑い声が起こり、華奢な執事に混じって随分と体付きのいいガッシリとしたメイドさんが接客していた。
その中に見覚えのある面影――茶髪のロングヘアーの眼鏡っ子メイド…あれ、あれは、
「ひゅ、日向くん…ウィッグかぶってるし、化粧まで…」
「男子にとってはほぼ罰ゲームみたいなもんですよね。まぁ、物珍しさから客ウケはバッチリで大盛況なんですけどね!ま、内輪ウケみたいなとこはあるけど…」
ヤケクソだとばかりに半笑いで接客している日向くんの、あの文化祭前のため息の原因が今、分かった。
どうやらメイドをやりたがる男子は率先して手を挙げる者は当たり前だがいなかったようなので、メイド担当はじゃんけんで負けた人が着ることになったらしい。
確かに、これじゃまるで罰ゲームだ。
記念撮影もOKらしく、喫茶店風に装飾された教室のすみっこに撮影スペースがあった。
可愛らしいピンクの装飾を施したパーテーションが背景に使用されるように立てかけられている。これ、もし仲のいい男子が着ることになったらみんな一目見て爆笑したくて並ぶだろうなぁ。だから、行列の中に誠凛の生徒が多かったんだ。
それに比べて、女子の執事は何だかカッコイイ。長い黒髪を一本で後ろに束ねている子背の高い子もいて、まさにイケメン…!
ひとしきり感心してから、私は腕時計を見た。待ち合わせの時間まであと15分。少し早いけど部室前で待ってようかな。
また後で黒子くんと来るね、とリコちゃんに挨拶して踵を返そうとした時に、ガシッと両肩を掴まれた。
振り向けばリコちゃんが眉をハの字にして私を見つめていた。
「琴音さん、…助けてください!」
□ □ □
「いらっしゃいませー」
出来るだけ低い声で、無表情で、ボソッとした声を出して私は入ってきた客に頭を下げた。違和感ないだろうか。
繰り返す度に背中に汗が伝った。な、なんでこんなことに…。
リコちゃんのクラスの『男女逆転喫茶』。本来、今日メイドさんとして午後から担当するはずだった男子が、どうやら所属している文化部の出展でトラブルがあったためにクラスの方は手伝えないと、当日の朝に言ってきたのだそうだ。
その男子が小柄ということもあり用意されていたメイド服も他の男子では小さくて着れず、クラス内から代理も出せなかったそうだ。
ならば、担当者たちだけで何とか回せばいいと思っていた矢先にこの予想以上の大盛況。
廊下の壁沿いに並ぶ行列。…となれば、リコちゃんが私に頼んでくるお願い事といえば1つだ。
「2時間…いや、せめて1時間だけでいいので男子のフリしてメイド服着て手伝ってくれませんか?その間に手の空いてるクラスの子たち集めて、整理券作ったり買い出しさせたりして、とにかく行列を何とかさせるので…!あっ、メイド服のサイズなら心配ないですよ。着る予定の男子の体型は小柄なんでブカブカじゃなく着れます。だからあの、人助けだと思ってどうか…お願いします!」
私が正午から黒子くんと文化祭を回ることも知っているリコちゃんは、両手を顔の前であわせて本当に申し訳なさそうに頼み込んできた。
いつもハキハキとして冷静なリコちゃんが珍しく焦って余裕がないといった様子だった。
もともと頼まれたら断れない性分もあるし、リコちゃんからこんな風に頼まれたら断れるはずもなかった。
メイド服なんて…、私にはハードルが高い代物だ。高校生の中に大学生が混ざっても大丈夫なんだろうか。
しかも、大勢の前でメイド服を着るだけでもしんどいのに、その上、男が着てるフリをしなければならないというミッション付き。
こんな服着たことないのに、相当似合ってないだろうなぁ。あ、でも、男装なわけだから似合ってなくても問題ないのか。
…ただ、声を出したらさすがに女子だとバレるだろう。
ちゃんとメイドにもキャラがあるみたいで、ツンデレキャラとか…まぁそんなのがあるみたいなので、リコちゃんから『無愛想キャラとして声を小さく出してれば大丈夫』とアドバイスをもらったけど…本当に大丈夫かな。
「別にまた来て欲しくなんかねェ…いや、な、ないんだからね!」
背後で聞こえてきたツンデレのような台詞、そしてその低い声は、確実に聞き終え覚えのある声だった。
「ぶはっ!ひゅ、日向やべぇ気持ち悪い!」
「想像以上になりきってて気持ち悪い!」
「…お客様、失礼な事を連呼しないで頂けますかね?もう一発いっとくか、ダアホ共」
女子口調交じりで怒られながらも爆笑する男子生徒と、その周囲の生徒も笑っていた。こ、これがツンデレメイド…!?
私の心配をよそに教室は相変わらず人も沢山居て、大盛況だ。
このヤケクソになってる日向くんを見たさにきっとそろそろバスケ部のみんなも行列に並ぶんじゃないだろうか。
私と目が合い一瞬驚いた日向くんの素の表情。咄嗟に私がここにいる理由に気づいたようだったが、気まずそうに目を逸らされた。
そりゃそうだろう。知り合いには見られたくないだろう、自分の女装姿なんて。
とんでもないレアシーンを目撃して、おかしくて吹き出しそうになってしまい私は口元に手を当てて何とか堪えた。
笑っている暇があったらキリキリ働かなくちゃ。無言で私が近づけば注文して、それをメモしてそのメモを調理している場所に渡す。
調理しているのは教室の後ろ側で、パーテーションで区切られていて客席からは見えないようにになっていた。
注文してきたものが出てきたらそれを席まで運ぶ。
確かに、忙しいものの、特に声を発さなくても手伝うことはできた。
服装以外は普通の喫茶店だ。とは言え、メニューは結構充実している。当たり前だが全て手作り。
中でも、手作りケーキがとても美味しそうだ。調理担当の人達が早朝から調理室で作ったものらしい。
品切れを防ぐために手の空いてる女子を集めて、今も調理室で補充分を作っているそうだ。
空き教室でメイド服に着替える前、黒子くんには待ち合わせを1時間延ばしてほしいという事と、リコちゃんのクラスの出展がてんやわんやで急遽手伝うことになった、とだけメールしておいた。
詳細は打っている時間もなく、着替え終えたらすぐに教室へ手伝いに向かったので彼からの返信は確認出来なかった。
少し気がかりではあるけど、きっと仲間が困っていたら黒子くんも私と同じようにNOと言わず手伝うだろう。
ただ、二人で文化祭を回る時間が削られてしまったのはちょっと残念だったかな…。
ちょっぴり悔いが残る気持ちを抑え、私は出来るだけデキパキ動けるように立ち回った。
□ □ □
手伝いを開始して30分が過ぎた頃、「列の人数と、何名ずつか確認してくる」と、リコちゃんが再び廊下に出た。
――と同時に、“ある人物”を連れてすぐに戻って来る。
新しいお客様のご案内だろうかと私が近づけば、教室に入ってきたその一名と、視線がバチリと合い絶句した。
く、黒子くん――
思わず名前を呼んでしまいそうになるが、素の声を出したらすぐに女だとバレてしまう。
私は出てきそうになった声を飲み込んですぐに視線を逸らし顔を俯かせた。
リコちゃんをチラリと一瞥すると何とも気まずそうな顔をしているが、私もきっと今似たような表情だろう。
「カントクのクラスの手伝いをしていると聞いたんですがこれは…。メイドとして手伝うなんて聞いてないですよ」
沈黙して私を凝視している黒子くんの雰囲気がピリッと伝わってきて、リコちゃんは慌てて弁解をはじめた。
ほとんど表情を変えない彼だけれど、いつも傍にいたり長い時間を共にしていれば分かる。彼の纏う空気や雰囲気などで分かってしまう。
『私が無理に頼んだの!』、と、両手を合わせて黒子くんに謝るリコちゃんに、黒子くんはため息で返して再び視線を私に戻した。
普段絶対に着ることのないフリフリのメイド服――あくまで「男性として女装している」設定で着ているから、客前でも恥ずかしくなかったものの、黒子くんに見つめられると途端に押し込めていた羞恥心が沸き上がってきてしまう。顔に熱が昇る。それに、焦りも。
だって、黒子くんが怒ってるみたいだから、何て言葉を発したらいいのかも分からなくて。
「カントク、琴音さんが着替えたのはどこですか?」
「え、えーと、二階の空き教室だけど…」
「琴音さん、着てきた服と鞄を持って来てください。すぐに移動します。カントク、10分だけ彼女を借ります。手伝いを放棄したりしません。必ず戻りますから安心して下さい」
リコちゃんに一方的に告げ、私が言われた通りに荷物を持ってくると、黒子くんは私の手を強く引いて教室を後にした。
私は声を発する事も出来ず、ただ連れられるまま廊下に出た。
そのまま階段の踊り場を通り空き教室に向かうのだろう。
走りはしないがやたら早歩き。黒子くんのおかげで大勢の人で賑わう廊下でも、人と人との間をすり抜けて足の速度は変えることなく、目的の場所までスムーズに誘導された。…いや、誘導なんて優しい例えだ。強引に連れてこられたと言った方が正しい。
空き教室に入ると、後ろ手で扉を閉めながら黒子くんは私に向き直った。
そして数秒、凝視されてからの、この台詞。
「すぐ脱いで下さい。僕が代わりに着ます」
淡々とした口調からはとても冗談には聞こえないような一言に、私は目を見開いた。戸惑っている私に近づいて黒子くんの手が伸びてくる。
右頬を手の平で包むように触れられて、顔の熱が上がってきてしまう。
「男女逆転喫茶なら、男の僕が着た方が好都合です」
彼の、珍しくムッとした表情に自然と私の気持ちが高ぶる。
感情を表に出さないようにする事も彼のバスケスタイルを作る一つの要素なので、普段からもそれに気を付けて過ごしているそうなのだが、それでも黒子くんは付き合い始めてから色んな表情を見せてくれるようになった。
それが怒っている表情だとしても何だか貴重に思えた。
怒っている彼を前にしてその表情もかわいいだなんて思ってしまう。
ただ、私はちゃんと怒っている理由を聞かなければならない。
仲間が困っていたら助ける。それが自分の出来る範囲内のことだったら今回のことを引き受けたまでだ。
彼が不機嫌そうな理由が――…わからない。
まごまごと考えてるぐらいなら聞いてしまった方が早いだろうと、私は黒子くんの手に自分の手を重ねて首を傾げた。
「なんか怒ってる?」
「…怒ってますよ」
私が素直に口を開けば、黒子くんは私を見据えたまま小さく頷いた。
「僕は手伝うとしか聞いてないです。まさかこんな姿で接客するなんて、…カントクには悪いですが知っていたら止めてました」
「でも、あそこは男女逆転喫茶だから、誰も私のこと女だって気づいてなかったかもよ?」
「男子だと思い込んだ人たちに琴音さんが何かされたりでもしたら、僕は…」
辛い事を想像したのか、黒子くんは固く目を瞑ったままその後に言葉は続かなかった。
そこまで彼に心配してもらえて、その後、彼が言おうとしているぐらいは私にだって察することはできる。
女装した男だと分かっていればふざけてスカートを捲る客もいるかも知れない。ふざけて身体に触ってくる人もいるかも知れない。
頼まれた事を請け負ったからには万が一にもその可能性は考えてなくもかった。
ただ、もともとここの生徒でない私が立っていてもからかってくる輩もいないだろうしと心のどこかで油断していたのは事実。
物見遊山で来る客が多数の中、私が嫌な目に合わない保証がどこにある、…と、彼の伝えたいのはそういう事だろう。
冗談でなく、本気で私のことを心配してくれているんだ。申し訳ないなぁと思う気持ちの中に、心配してもらえて嬉しいだなんて不謹慎にも思ってしまう。
「心配かけてごめんね」
謝罪の気持ちに混じって嬉々とした感情が声色にも出てしまった。
黒子くんに伝えると、彼は目をゆっくり開いて頷いた。その表情はいつも通りの黒子くんに戻っている。
「僕の方こそ、すいません。もっと本音を言うと、琴音さんをその服装のまま人前に出て欲しくないとそう思ってしまいました。そんな可愛い格好を他の男の人に見られたのが悔しいだなんて、子供じみた我儘です。あなたの事になると冷静でいられなくて…。ここに連れてきた時も無理に手を引いてしまいました。…痛くなかったですか?」
大丈夫だよ、と笑顔で答えると黒子くんはホッと胸を撫で下ろしていた。
あれぐらい何ともない。
そもそも心配をかけた私が悪かったんだ。
私が思っているよりずっと、私のことに関して彼が敏感になっているのを改めて知った。
ここの空き教室で最初にメイド服に着替えた自分を窓ガラスを鏡にして見た時、あぁやっぱり似合ってないなぁだなんて、自身を見て笑いさえ漏れたのに、黒子くんの目にはどう映って見えてるんだろうか。
彼の目にはこんな私でも可愛らしく映っているの?
そうだしたら、私にはもったいないぐらいの有難い事だ。
どんな時でも私のことになるとこんなにも心配してくれる素敵な人が彼氏で、私はなんて果報者なんだろう。
無事に文化祭が終わって夕暮れ時になったら、今感じたことを言葉にして伝えてみよう。
忘れないように、伝えたい相手に伝えたい距離で、感謝を言葉に出来たらいい。
私の頬から手を離し、黒子くんはふと空き教室の壁にかけられている時計を見た。
あと7分後にはリコちゃんのクラスまで戻らないといけないのだ。
とりあえず急がないと!って事ぐらいは私でも分かる。しかし確認したいことが1つ――
「ホントに着るの?黒子くん…」
「はい。男に二言はありません。琴音さんのメイド服姿を他の人に見られるより何倍もマシです」
覚悟を決めた様子で黒子くんは拳を胸の前で力強く握った。何とも男らしい…。しかし、本当は嫌だろうなとは思う。
女装癖があるわけでもない男の子に、メイド服なんて。そのうち日向くんをからかいにバスケ部のみんなも来るだろうし、その時に黒子くんがいたらもっとからかわれちゃうかも。と、分かりつつも心配してくれている彼の好意は無下に出来るはずもない。
この空き教室、内側からも鍵がかけられるようなので、黒子くんには扉の外側で待っててもらうことにした。
急いで戻らないとなので、すぐに脱いで私服に着替え直さないと。まずは教室の後ろの扉から内側に鍵をかけた時、前の扉から廊下へ出ていくはずの黒子くんの気配を背後に感じて思わず振り返った。
廊下で待っててって言ったんだけど…?と、私が慌てはじめても黒子くんはこちらをジッと見て動かないままだ。
急いでいるのは理解しているはずなのに、しかし彼は私を見つめたままその場から動こうとしない。
「黒子くん、急いで着替えて戻らないと…」
「わかってます。頭ではわかってるんですが、琴音さんのその姿がとても可愛いのでもう少し見ていたい気持ちが…」
「う、嬉しいんだけどね、今は急がないと」
この状況でも本音を包み隠さない黒子くんに私の顔は熱くなる。嬉しいし、恥ずかしい。可愛いのは服のせいだ、思い上がるな、思い上がるなと私は自分に言い聞かせて冷静になろうとするけれど、顔の熱が引いてくれない。急いでるのに。
このまま見つめ合っていても時間が止まるわけじゃない。時間が止まってくれるならいつまででも見つめ合っていたいと私も思うけど。
扉を背にして黒子くんと向かい合うと、私は両手を伸ばした。
「じゃあ10秒だけ…どうぞ」
その意味を察した黒子くんは驚いた様子だった。急ぐためとは言え相当に恥ずかしいことをしてる自覚はある。
顔だけじゃなく、延ばした指先さえ熱を帯びていきそうだ。でも、別に、恥ずかしくてもいい。これが今日、彼に心配をかけた私の罰だと思えば何てことない。
ハグの要求を、こんなポーズを自分から黒子くんにしたのは付き合ってはじめてだ。
黒子くんは体勢を屈めて私の指先に吸い込まれるように近づいてきた。
両腕は力強く背中に回され、ギュッと抱きしめれた。私も彼の背中に手を添えて、お互いの心臓の音を聞きながら10秒カウント。
「可愛すぎて目眩を起こしそうでした」
耳元でフフッと笑う黒子くんの息がくすぐったくて、私は抱きしめられたまま身を捩った。
そして、つられて私も笑ってしまう。恥ずかしさも、彼のおかげで喜びに変化していくみたい。
彼に心配をかけてしまった分、ちゃんとお詫びになっただろうか。詫び、というにはちょっと違うけど。このハグはまるで私にとってもご褒美みたいだから。
10秒なんて一瞬だった。離れてから顔を見合わせれば、お互い照れくさそうな表情をしていた。
その後は、黒子くんには前扉から廊下に出てもらい空き教室に誰か来ないか見張ってもらうことにした。
前の扉も一応鍵がかかるけれど、鍵を借りた生徒が通りがからないとも限らないし、今日は外から遊びに来ている人達もたくさんいるので油断は出来ないのだ。
私がメイド服から私服に着替え、そして今度は見張り交代。
私が廊下に出ている間に黒子くんにメイド服に着替えて貰った。
ガラリ、と内側から扉が開いて私がそこで見たものは―――感嘆の息さえ出すのを忘れて躊躇うほどに可愛い人だった。
感動のあまり、言葉が詰まって喉から出てこない。黒子くんのメイド姿に、私は、息が止まった。
「…っ!!」
実は、彼が着替えている間、色々想像してしまった。こんな状況になったからこそ、黒子くんの女装を見れることになったわけで…正直わくわくしていたのだ。
今日何度目の不謹慎?っていう自覚はあるものの仕方ない。
目の当たりにしたのは、想像の100倍以上メイド服が似合っていた、可憐で可愛い、黒子くんの姿だった。
女の私よりも女の子に間違えられそうだ。もともと着る予定だった男子も小柄な体型だったらしいので、もちろんサイズは細身の黒子くんにピッタリだ。
口を開けたままその姿に見入っている私に、黒子くんは困ったような視線を向ける。
「あの…何か言ってください。さすがに恥ずかしいです」
さすがにこのまともな女装に、照れを隠せない様子で私を見つめているその表情が、本当に女の子みたいだ。
思わず守ってあげたくなるような。いつも男らしく、凛々しい表情の黒子くんと打って変わった様子。
これは、また別の感情がときめいてしまう。女子が可愛いものを見た時にキュンときてしまうあのときめきに近い。
「想像以上に似合ってるよ…!可愛すぎて守ってあげたくなっちゃう!」
可愛い黒子くんを目の前にして興奮しつつも、私自身、女子としては自信喪失してしまいそうだ。
だってそれぐらい、黒子くんが可愛くて。
調度いい筋肉がついた腕も、ふんわりとしたシルエットのメイド服の下に隠れているせいでさらに細身が際立っていた。
「そんなことないです。琴音さんの方が可愛いですよ。それに、男なのにメイド服が似合うと言われても微妙です」
「でも本当に可愛いよ?これって『男女逆転喫茶』としてはすごい戦力だよ!」
「ここ一番目を輝かせてますね琴音さん…」
笑って誤魔化せば、黒子くんは深いため息をついていた。
なるほど、女装担当になったあのクラスの男子達は、皆一様にこの種類のため息が出たわけなのか。
当たり前だけど、嬉々として進んでメイド服を着ている男子はいないというわけだ。
その点、女子の男装は楽しそうだなぁ。女装と違って男装は、苦行でもないだろうし。
黒子くんの姿に見惚れて一瞬、時が止まったようだったが現実はそうじゃない。そうこうしている間に時間は進んでいた。
じゃあ行こうか!と声をかけると同時に、今度は私が黒子くんの手を引いた。いざ、リコちゃんたちのクラスへ向かう。
廊下へ出て、賑わう人々の間を縫いながら足早に教室へ向かう途中、背後からの穏やかな声に振りる。
「今度は僕だけのために着てくださいね」
黒子くんにそんな可愛い姿でお願いされたら、私は今なら何でも頷いてしまうだろう。
案の定、告げてきた彼の言葉に私は首を縦に振った。
それだけ似合って着こなしてる人からの要望で私が再びメイド服を着たとして、そこに意味はあるのだろうか?
ないとしても、それが彼からのお願いならばいつか叶えてあげようと思う。
私が頷いたのを確認して満足げに柔らかく微笑む黒子くんの姿は、とても愛らしかった。
…後で絶対に写真、撮らせてもらおう!
10月の爽やかな秋晴れと共にスタートした誠凛高校の文化祭当日、私は胸を躍らせながら向かっていた。
今日の予定は、黒子くんの空き時間に一緒に校内を回る――はずだった。つい、さっきまでは。
新設した誠凛高校は校舎がキレイなのはもちろん、敷地内も広く、文化祭で多少混雑しても歩きやすい。
昼前に辿り着けば既に人が賑わっていて、模擬店のいい香りが漂ってきた。う~ん、この香りは…焼きそばだ。意図せずお腹が空いてきてしまう。
土曜日ということもあって、学校帰りに寄った他校生もチラホラ見かける。
黒子くんのクラスの出展も食べもの関係だった気がする。
確か、オムライス。模擬店としてはかなり珍しいと思うし、オムライスの模擬店なんて初めて聞いた。
火神くんのスペシャルレシピで作った試作品がクラス内でも大好評だっ たみたいなので、お昼時の今頃は大混雑かも知れない。
私も食べたいなぁ。でも、ガマン、ガマン。黒子くんと一緒に見て回るから、その時に一緒に食べようかな。
黒子くんの担当は午前いっぱいと、夕方からの片付けのみ。あとは午後4時ぐらいから1時間ばかり図書委員の仕事があると昨日電話をした時に言っていた。
文化祭の日に限り図書室を一般開放をしてるようなので、その時間帯は委員会の担当を一人以上は受付に置くようにしているのだそうだ。
クラス出展もあるのに委員会もだなんて、大変だなぁ。
つい、去年まで私も高校生だったので文化祭の思い出は記憶に新しい。
クラスで何を出展するか決めてみんなでアイデアを出し合って、先生に相談してそのアイデアは現実的に可能かどうか、予算も兼ねて判断してもらって…教室を装飾したり、買い出ししたり、実質二週間満たない準備期間で毎日バタバタしていた気がする。
文化祭は当日以上に、当日を迎えるまでが大変なんだ。バスケ部のみんなはここ数日は特にハードだったと思う。
授業もあるし、休憩時間や放課後でも準備、その後に部活…。自分だったらと思うとこなせる自信がない。
待ち合わせは正午に部室前、だったんだけど――30分も早く到着してしまった。
せっかくなので、リコちゃん達のクラスに先に遊びに行ってみようかな。黒子くんと合流してから行く予定だったけど、様子を見に行く程度ならいいよね。
確か、クラス出展で『喫茶店』をやるって教えてもらった時、リコちゃんは笑顔で「遊びに来てくださいね!」と明るい表情だったのに、日向くんは深いため息しかついていなかった。二人は同じクラスなのに、テンションの差についてその時は考えたりしなかった。
日向くんは、よほど苦手分野の担当を任されてしまったのだろうか。
さすが文化祭ともなると、丁寧に行き先が分かりやすく書いてある張り紙や看板が随所にあって、私は迷うことなく二年生の教室に向かうことができた。
パンフレットを入り口で貰い損ねてしまったので助かった。新設校だけあって真新しい建物の匂いがすした。
ふと、廊下を歩いている途中、教室の外まで行列が出来ている場所に目を奪われる。行列は主に誠凛の男子生徒、女子生徒、チラホラ混ざる一般客…だ。
主に校内人気の出し物なのだろうか?その行列を素通りして入り口付近まで来ると、そこに掲げられている看板には『男女逆転喫茶』という文字が、カラフルに可愛らしく書いてある。
…だ、…男女逆転??喫茶??
首を傾げながら中の様子を遠目に覗こうとした瞬間、聞き覚えのある声と共に入り口から現れたのはリコちゃんだった。
「まだまだいるわねぇ。困ったなぁ」
「リ、リコちゃん!その格好…!」
名前を呼びながら思わず彼女の服装に驚く。上から下まで視線が往復してしまった。
前髪はオールバックにしてピッチリと固め、白いシャツに黒い燕尾服。ピシッと背筋を伸ばした立ち姿がキレイで、元々リコちゃんの凛々しい表情にとても合っている。男装の麗人になっていた。
「あっ、琴音さん来てくれたんですね!」
私に気づくと笑顔を向けてくれたが、いつもと違う雰囲気なので何だかドキドキしてしまう。
ボーイッシュな子が男装すると想像以上に似合うなぁ。私が思ったままの感想を告げると、リコちゃんは素直に照れていた。
メイド喫茶が秋葉原で増えてブームになった時それを真似て文化祭の出展でも流行ったけれど、リコちゃんのクラスの喫茶店はさらにひとひねりした感じだ。
『男女逆転喫茶』…要するに、女子が男装をして執事を、男子が女装してメイドさんをするってこと。
――と、いうことは…!
教室の中では笑い声が起こり、華奢な執事に混じって随分と体付きのいいガッシリとしたメイドさんが接客していた。
その中に見覚えのある面影――茶髪のロングヘアーの眼鏡っ子メイド…あれ、あれは、
「ひゅ、日向くん…ウィッグかぶってるし、化粧まで…」
「男子にとってはほぼ罰ゲームみたいなもんですよね。まぁ、物珍しさから客ウケはバッチリで大盛況なんですけどね!ま、内輪ウケみたいなとこはあるけど…」
ヤケクソだとばかりに半笑いで接客している日向くんの、あの文化祭前のため息の原因が今、分かった。
どうやらメイドをやりたがる男子は率先して手を挙げる者は当たり前だがいなかったようなので、メイド担当はじゃんけんで負けた人が着ることになったらしい。
確かに、これじゃまるで罰ゲームだ。
記念撮影もOKらしく、喫茶店風に装飾された教室のすみっこに撮影スペースがあった。
可愛らしいピンクの装飾を施したパーテーションが背景に使用されるように立てかけられている。これ、もし仲のいい男子が着ることになったらみんな一目見て爆笑したくて並ぶだろうなぁ。だから、行列の中に誠凛の生徒が多かったんだ。
それに比べて、女子の執事は何だかカッコイイ。長い黒髪を一本で後ろに束ねている子背の高い子もいて、まさにイケメン…!
ひとしきり感心してから、私は腕時計を見た。待ち合わせの時間まであと15分。少し早いけど部室前で待ってようかな。
また後で黒子くんと来るね、とリコちゃんに挨拶して踵を返そうとした時に、ガシッと両肩を掴まれた。
振り向けばリコちゃんが眉をハの字にして私を見つめていた。
「琴音さん、…助けてください!」
□ □ □
「いらっしゃいませー」
出来るだけ低い声で、無表情で、ボソッとした声を出して私は入ってきた客に頭を下げた。違和感ないだろうか。
繰り返す度に背中に汗が伝った。な、なんでこんなことに…。
リコちゃんのクラスの『男女逆転喫茶』。本来、今日メイドさんとして午後から担当するはずだった男子が、どうやら所属している文化部の出展でトラブルがあったためにクラスの方は手伝えないと、当日の朝に言ってきたのだそうだ。
その男子が小柄ということもあり用意されていたメイド服も他の男子では小さくて着れず、クラス内から代理も出せなかったそうだ。
ならば、担当者たちだけで何とか回せばいいと思っていた矢先にこの予想以上の大盛況。
廊下の壁沿いに並ぶ行列。…となれば、リコちゃんが私に頼んでくるお願い事といえば1つだ。
「2時間…いや、せめて1時間だけでいいので男子のフリしてメイド服着て手伝ってくれませんか?その間に手の空いてるクラスの子たち集めて、整理券作ったり買い出しさせたりして、とにかく行列を何とかさせるので…!あっ、メイド服のサイズなら心配ないですよ。着る予定の男子の体型は小柄なんでブカブカじゃなく着れます。だからあの、人助けだと思ってどうか…お願いします!」
私が正午から黒子くんと文化祭を回ることも知っているリコちゃんは、両手を顔の前であわせて本当に申し訳なさそうに頼み込んできた。
いつもハキハキとして冷静なリコちゃんが珍しく焦って余裕がないといった様子だった。
もともと頼まれたら断れない性分もあるし、リコちゃんからこんな風に頼まれたら断れるはずもなかった。
メイド服なんて…、私にはハードルが高い代物だ。高校生の中に大学生が混ざっても大丈夫なんだろうか。
しかも、大勢の前でメイド服を着るだけでもしんどいのに、その上、男が着てるフリをしなければならないというミッション付き。
こんな服着たことないのに、相当似合ってないだろうなぁ。あ、でも、男装なわけだから似合ってなくても問題ないのか。
…ただ、声を出したらさすがに女子だとバレるだろう。
ちゃんとメイドにもキャラがあるみたいで、ツンデレキャラとか…まぁそんなのがあるみたいなので、リコちゃんから『無愛想キャラとして声を小さく出してれば大丈夫』とアドバイスをもらったけど…本当に大丈夫かな。
「別にまた来て欲しくなんかねェ…いや、な、ないんだからね!」
背後で聞こえてきたツンデレのような台詞、そしてその低い声は、確実に聞き終え覚えのある声だった。
「ぶはっ!ひゅ、日向やべぇ気持ち悪い!」
「想像以上になりきってて気持ち悪い!」
「…お客様、失礼な事を連呼しないで頂けますかね?もう一発いっとくか、ダアホ共」
女子口調交じりで怒られながらも爆笑する男子生徒と、その周囲の生徒も笑っていた。こ、これがツンデレメイド…!?
私の心配をよそに教室は相変わらず人も沢山居て、大盛況だ。
このヤケクソになってる日向くんを見たさにきっとそろそろバスケ部のみんなも行列に並ぶんじゃないだろうか。
私と目が合い一瞬驚いた日向くんの素の表情。咄嗟に私がここにいる理由に気づいたようだったが、気まずそうに目を逸らされた。
そりゃそうだろう。知り合いには見られたくないだろう、自分の女装姿なんて。
とんでもないレアシーンを目撃して、おかしくて吹き出しそうになってしまい私は口元に手を当てて何とか堪えた。
笑っている暇があったらキリキリ働かなくちゃ。無言で私が近づけば注文して、それをメモしてそのメモを調理している場所に渡す。
調理しているのは教室の後ろ側で、パーテーションで区切られていて客席からは見えないようにになっていた。
注文してきたものが出てきたらそれを席まで運ぶ。
確かに、忙しいものの、特に声を発さなくても手伝うことはできた。
服装以外は普通の喫茶店だ。とは言え、メニューは結構充実している。当たり前だが全て手作り。
中でも、手作りケーキがとても美味しそうだ。調理担当の人達が早朝から調理室で作ったものらしい。
品切れを防ぐために手の空いてる女子を集めて、今も調理室で補充分を作っているそうだ。
空き教室でメイド服に着替える前、黒子くんには待ち合わせを1時間延ばしてほしいという事と、リコちゃんのクラスの出展がてんやわんやで急遽手伝うことになった、とだけメールしておいた。
詳細は打っている時間もなく、着替え終えたらすぐに教室へ手伝いに向かったので彼からの返信は確認出来なかった。
少し気がかりではあるけど、きっと仲間が困っていたら黒子くんも私と同じようにNOと言わず手伝うだろう。
ただ、二人で文化祭を回る時間が削られてしまったのはちょっと残念だったかな…。
ちょっぴり悔いが残る気持ちを抑え、私は出来るだけデキパキ動けるように立ち回った。
□ □ □
手伝いを開始して30分が過ぎた頃、「列の人数と、何名ずつか確認してくる」と、リコちゃんが再び廊下に出た。
――と同時に、“ある人物”を連れてすぐに戻って来る。
新しいお客様のご案内だろうかと私が近づけば、教室に入ってきたその一名と、視線がバチリと合い絶句した。
く、黒子くん――
思わず名前を呼んでしまいそうになるが、素の声を出したらすぐに女だとバレてしまう。
私は出てきそうになった声を飲み込んですぐに視線を逸らし顔を俯かせた。
リコちゃんをチラリと一瞥すると何とも気まずそうな顔をしているが、私もきっと今似たような表情だろう。
「カントクのクラスの手伝いをしていると聞いたんですがこれは…。メイドとして手伝うなんて聞いてないですよ」
沈黙して私を凝視している黒子くんの雰囲気がピリッと伝わってきて、リコちゃんは慌てて弁解をはじめた。
ほとんど表情を変えない彼だけれど、いつも傍にいたり長い時間を共にしていれば分かる。彼の纏う空気や雰囲気などで分かってしまう。
『私が無理に頼んだの!』、と、両手を合わせて黒子くんに謝るリコちゃんに、黒子くんはため息で返して再び視線を私に戻した。
普段絶対に着ることのないフリフリのメイド服――あくまで「男性として女装している」設定で着ているから、客前でも恥ずかしくなかったものの、黒子くんに見つめられると途端に押し込めていた羞恥心が沸き上がってきてしまう。顔に熱が昇る。それに、焦りも。
だって、黒子くんが怒ってるみたいだから、何て言葉を発したらいいのかも分からなくて。
「カントク、琴音さんが着替えたのはどこですか?」
「え、えーと、二階の空き教室だけど…」
「琴音さん、着てきた服と鞄を持って来てください。すぐに移動します。カントク、10分だけ彼女を借ります。手伝いを放棄したりしません。必ず戻りますから安心して下さい」
リコちゃんに一方的に告げ、私が言われた通りに荷物を持ってくると、黒子くんは私の手を強く引いて教室を後にした。
私は声を発する事も出来ず、ただ連れられるまま廊下に出た。
そのまま階段の踊り場を通り空き教室に向かうのだろう。
走りはしないがやたら早歩き。黒子くんのおかげで大勢の人で賑わう廊下でも、人と人との間をすり抜けて足の速度は変えることなく、目的の場所までスムーズに誘導された。…いや、誘導なんて優しい例えだ。強引に連れてこられたと言った方が正しい。
空き教室に入ると、後ろ手で扉を閉めながら黒子くんは私に向き直った。
そして数秒、凝視されてからの、この台詞。
「すぐ脱いで下さい。僕が代わりに着ます」
淡々とした口調からはとても冗談には聞こえないような一言に、私は目を見開いた。戸惑っている私に近づいて黒子くんの手が伸びてくる。
右頬を手の平で包むように触れられて、顔の熱が上がってきてしまう。
「男女逆転喫茶なら、男の僕が着た方が好都合です」
彼の、珍しくムッとした表情に自然と私の気持ちが高ぶる。
感情を表に出さないようにする事も彼のバスケスタイルを作る一つの要素なので、普段からもそれに気を付けて過ごしているそうなのだが、それでも黒子くんは付き合い始めてから色んな表情を見せてくれるようになった。
それが怒っている表情だとしても何だか貴重に思えた。
怒っている彼を前にしてその表情もかわいいだなんて思ってしまう。
ただ、私はちゃんと怒っている理由を聞かなければならない。
仲間が困っていたら助ける。それが自分の出来る範囲内のことだったら今回のことを引き受けたまでだ。
彼が不機嫌そうな理由が――…わからない。
まごまごと考えてるぐらいなら聞いてしまった方が早いだろうと、私は黒子くんの手に自分の手を重ねて首を傾げた。
「なんか怒ってる?」
「…怒ってますよ」
私が素直に口を開けば、黒子くんは私を見据えたまま小さく頷いた。
「僕は手伝うとしか聞いてないです。まさかこんな姿で接客するなんて、…カントクには悪いですが知っていたら止めてました」
「でも、あそこは男女逆転喫茶だから、誰も私のこと女だって気づいてなかったかもよ?」
「男子だと思い込んだ人たちに琴音さんが何かされたりでもしたら、僕は…」
辛い事を想像したのか、黒子くんは固く目を瞑ったままその後に言葉は続かなかった。
そこまで彼に心配してもらえて、その後、彼が言おうとしているぐらいは私にだって察することはできる。
女装した男だと分かっていればふざけてスカートを捲る客もいるかも知れない。ふざけて身体に触ってくる人もいるかも知れない。
頼まれた事を請け負ったからには万が一にもその可能性は考えてなくもかった。
ただ、もともとここの生徒でない私が立っていてもからかってくる輩もいないだろうしと心のどこかで油断していたのは事実。
物見遊山で来る客が多数の中、私が嫌な目に合わない保証がどこにある、…と、彼の伝えたいのはそういう事だろう。
冗談でなく、本気で私のことを心配してくれているんだ。申し訳ないなぁと思う気持ちの中に、心配してもらえて嬉しいだなんて不謹慎にも思ってしまう。
「心配かけてごめんね」
謝罪の気持ちに混じって嬉々とした感情が声色にも出てしまった。
黒子くんに伝えると、彼は目をゆっくり開いて頷いた。その表情はいつも通りの黒子くんに戻っている。
「僕の方こそ、すいません。もっと本音を言うと、琴音さんをその服装のまま人前に出て欲しくないとそう思ってしまいました。そんな可愛い格好を他の男の人に見られたのが悔しいだなんて、子供じみた我儘です。あなたの事になると冷静でいられなくて…。ここに連れてきた時も無理に手を引いてしまいました。…痛くなかったですか?」
大丈夫だよ、と笑顔で答えると黒子くんはホッと胸を撫で下ろしていた。
あれぐらい何ともない。
そもそも心配をかけた私が悪かったんだ。
私が思っているよりずっと、私のことに関して彼が敏感になっているのを改めて知った。
ここの空き教室で最初にメイド服に着替えた自分を窓ガラスを鏡にして見た時、あぁやっぱり似合ってないなぁだなんて、自身を見て笑いさえ漏れたのに、黒子くんの目にはどう映って見えてるんだろうか。
彼の目にはこんな私でも可愛らしく映っているの?
そうだしたら、私にはもったいないぐらいの有難い事だ。
どんな時でも私のことになるとこんなにも心配してくれる素敵な人が彼氏で、私はなんて果報者なんだろう。
無事に文化祭が終わって夕暮れ時になったら、今感じたことを言葉にして伝えてみよう。
忘れないように、伝えたい相手に伝えたい距離で、感謝を言葉に出来たらいい。
私の頬から手を離し、黒子くんはふと空き教室の壁にかけられている時計を見た。
あと7分後にはリコちゃんのクラスまで戻らないといけないのだ。
とりあえず急がないと!って事ぐらいは私でも分かる。しかし確認したいことが1つ――
「ホントに着るの?黒子くん…」
「はい。男に二言はありません。琴音さんのメイド服姿を他の人に見られるより何倍もマシです」
覚悟を決めた様子で黒子くんは拳を胸の前で力強く握った。何とも男らしい…。しかし、本当は嫌だろうなとは思う。
女装癖があるわけでもない男の子に、メイド服なんて。そのうち日向くんをからかいにバスケ部のみんなも来るだろうし、その時に黒子くんがいたらもっとからかわれちゃうかも。と、分かりつつも心配してくれている彼の好意は無下に出来るはずもない。
この空き教室、内側からも鍵がかけられるようなので、黒子くんには扉の外側で待っててもらうことにした。
急いで戻らないとなので、すぐに脱いで私服に着替え直さないと。まずは教室の後ろの扉から内側に鍵をかけた時、前の扉から廊下へ出ていくはずの黒子くんの気配を背後に感じて思わず振り返った。
廊下で待っててって言ったんだけど…?と、私が慌てはじめても黒子くんはこちらをジッと見て動かないままだ。
急いでいるのは理解しているはずなのに、しかし彼は私を見つめたままその場から動こうとしない。
「黒子くん、急いで着替えて戻らないと…」
「わかってます。頭ではわかってるんですが、琴音さんのその姿がとても可愛いのでもう少し見ていたい気持ちが…」
「う、嬉しいんだけどね、今は急がないと」
この状況でも本音を包み隠さない黒子くんに私の顔は熱くなる。嬉しいし、恥ずかしい。可愛いのは服のせいだ、思い上がるな、思い上がるなと私は自分に言い聞かせて冷静になろうとするけれど、顔の熱が引いてくれない。急いでるのに。
このまま見つめ合っていても時間が止まるわけじゃない。時間が止まってくれるならいつまででも見つめ合っていたいと私も思うけど。
扉を背にして黒子くんと向かい合うと、私は両手を伸ばした。
「じゃあ10秒だけ…どうぞ」
その意味を察した黒子くんは驚いた様子だった。急ぐためとは言え相当に恥ずかしいことをしてる自覚はある。
顔だけじゃなく、延ばした指先さえ熱を帯びていきそうだ。でも、別に、恥ずかしくてもいい。これが今日、彼に心配をかけた私の罰だと思えば何てことない。
ハグの要求を、こんなポーズを自分から黒子くんにしたのは付き合ってはじめてだ。
黒子くんは体勢を屈めて私の指先に吸い込まれるように近づいてきた。
両腕は力強く背中に回され、ギュッと抱きしめれた。私も彼の背中に手を添えて、お互いの心臓の音を聞きながら10秒カウント。
「可愛すぎて目眩を起こしそうでした」
耳元でフフッと笑う黒子くんの息がくすぐったくて、私は抱きしめられたまま身を捩った。
そして、つられて私も笑ってしまう。恥ずかしさも、彼のおかげで喜びに変化していくみたい。
彼に心配をかけてしまった分、ちゃんとお詫びになっただろうか。詫び、というにはちょっと違うけど。このハグはまるで私にとってもご褒美みたいだから。
10秒なんて一瞬だった。離れてから顔を見合わせれば、お互い照れくさそうな表情をしていた。
その後は、黒子くんには前扉から廊下に出てもらい空き教室に誰か来ないか見張ってもらうことにした。
前の扉も一応鍵がかかるけれど、鍵を借りた生徒が通りがからないとも限らないし、今日は外から遊びに来ている人達もたくさんいるので油断は出来ないのだ。
私がメイド服から私服に着替え、そして今度は見張り交代。
私が廊下に出ている間に黒子くんにメイド服に着替えて貰った。
ガラリ、と内側から扉が開いて私がそこで見たものは―――感嘆の息さえ出すのを忘れて躊躇うほどに可愛い人だった。
感動のあまり、言葉が詰まって喉から出てこない。黒子くんのメイド姿に、私は、息が止まった。
「…っ!!」
実は、彼が着替えている間、色々想像してしまった。こんな状況になったからこそ、黒子くんの女装を見れることになったわけで…正直わくわくしていたのだ。
今日何度目の不謹慎?っていう自覚はあるものの仕方ない。
目の当たりにしたのは、想像の100倍以上メイド服が似合っていた、可憐で可愛い、黒子くんの姿だった。
女の私よりも女の子に間違えられそうだ。もともと着る予定だった男子も小柄な体型だったらしいので、もちろんサイズは細身の黒子くんにピッタリだ。
口を開けたままその姿に見入っている私に、黒子くんは困ったような視線を向ける。
「あの…何か言ってください。さすがに恥ずかしいです」
さすがにこのまともな女装に、照れを隠せない様子で私を見つめているその表情が、本当に女の子みたいだ。
思わず守ってあげたくなるような。いつも男らしく、凛々しい表情の黒子くんと打って変わった様子。
これは、また別の感情がときめいてしまう。女子が可愛いものを見た時にキュンときてしまうあのときめきに近い。
「想像以上に似合ってるよ…!可愛すぎて守ってあげたくなっちゃう!」
可愛い黒子くんを目の前にして興奮しつつも、私自身、女子としては自信喪失してしまいそうだ。
だってそれぐらい、黒子くんが可愛くて。
調度いい筋肉がついた腕も、ふんわりとしたシルエットのメイド服の下に隠れているせいでさらに細身が際立っていた。
「そんなことないです。琴音さんの方が可愛いですよ。それに、男なのにメイド服が似合うと言われても微妙です」
「でも本当に可愛いよ?これって『男女逆転喫茶』としてはすごい戦力だよ!」
「ここ一番目を輝かせてますね琴音さん…」
笑って誤魔化せば、黒子くんは深いため息をついていた。
なるほど、女装担当になったあのクラスの男子達は、皆一様にこの種類のため息が出たわけなのか。
当たり前だけど、嬉々として進んでメイド服を着ている男子はいないというわけだ。
その点、女子の男装は楽しそうだなぁ。女装と違って男装は、苦行でもないだろうし。
黒子くんの姿に見惚れて一瞬、時が止まったようだったが現実はそうじゃない。そうこうしている間に時間は進んでいた。
じゃあ行こうか!と声をかけると同時に、今度は私が黒子くんの手を引いた。いざ、リコちゃんたちのクラスへ向かう。
廊下へ出て、賑わう人々の間を縫いながら足早に教室へ向かう途中、背後からの穏やかな声に振りる。
「今度は僕だけのために着てくださいね」
黒子くんにそんな可愛い姿でお願いされたら、私は今なら何でも頷いてしまうだろう。
案の定、告げてきた彼の言葉に私は首を縦に振った。
それだけ似合って着こなしてる人からの要望で私が再びメイド服を着たとして、そこに意味はあるのだろうか?
ないとしても、それが彼からのお願いならばいつか叶えてあげようと思う。
私が頷いたのを確認して満足げに柔らかく微笑む黒子くんの姿は、とても愛らしかった。
…後で絶対に写真、撮らせてもらおう!