黒子くんと大学生マネージャー
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運命は千変万華
夕陽に照らされながら、カラン、コロンと歩くたびに響くそれはひどく懐かしい音に感じた。
履き慣れない下駄で転ばないように気をつけて歩く。今日は、隣町の花火大会の日。
花火といえば浴衣だ。お祭りに浴衣を着ていくなんて久しぶりだったので心が自然と踊る。
今日着ているのは淡い水色の生地に、白い百合が描かれた上品な浴衣。帯は黄色に近い、薄い金色。
もともと自分が持っていた浴衣を自宅まで取りに行くも、どこにあるのか見つけられずしょぼくれていた私に、おばあちゃんが昔自分が着ていた浴衣を譲ってくれたのだ。両親が海外へ転勤になり、大学生の間だけ祖父母の家に居候させてもらっている私には、贅沢すぎるプレゼントだった。
準備でもたついて一人で上手く着れない私を見て、笑いながらおばあちゃんが着付けまでしてくれた。丁寧に、しっかりと。
髪も珍しくアップして、買ってきた簪を付けた。しかし、内心、本当はそわそわしている。
――だいじょうぶかな?髪、変じゃないかな?
黒子くんと付き合うようになってからが女の子らしさが上がっている気がして、自分に時々ふと違和感を感じることがある。
黒子くんの紳士的な対応も、好意も、こんな私をどうしようもなく女の子にさせてしまうのだから。
部活の帰り道、花火大会に誘ってきたのは黒子くんの方から。
今日は途中まで火神くんも一緒だった。分かれ道で火神くんが去ってから、黒子くんは私の手をさりげなく繋ぎながら言った。
「来週の土曜日に隣町で花火大会があるんです。一緒に行きませんか?」
実は私も花火大会があるという情報は知っていたし、誘おうと思っていたところだった。
バスケ部の土日の練習は不定期だし、時々、スケジュール通りにならず飛び込みで入る場合もある。
WCに向けて、夏の合宿から勢いもついてきたので、ここ最近の休みは練習が入ったり、私のバイトの都合もあったりでなかなか二人の休みが合わなかったのだ。
確か再来週の土曜日は午前練だけだったと思うので、夕方からは花火大会に行けるし、1日に2回も黒子くんに会えることになる。
自然と頬が緩んだ。私は「うん、行く、行きたい!」と、嬉しい気持ちが顔にでてしまって口元を緩ませながら返事をすると、黒子くんがやわらかく笑った。
「誰かに話したりしたらダメですよ?カントクにも、です」
「言わないよ。私も二人きりがいいから。楽しみだねぇ」
繋いでいない方の手を自分の頬にあてた。まだ来週の話だというのに喜びの感情が収まらない。
9月の終わりなのに花火大会が開催してくれて本当にありがたい。
毎年、隣町では8月に行われる夏の行事らしいのだが、今年から開催時期がずれて9月の最終週になったのだ。
カナヅチの私が黒子くんと付き合う前にプールを教えてもらって何とか泳げるようになったこともあり、あの時の約束も兼ねてこの夏はプールに行きたかったのだが、私の都合で行けなくなってしまった。謝った私に、「また、来年行きましょう」と黒子くんは言ってくれた。
来年も傍にいていいのかなとか、傍にいられるのかな。
何となく恥ずかしくなって口には出さなかったけれど。
約束をしていたプールの代わりにはならないし、もう夏は終わってしまったけれど、“花火”なんて夏らしいデートができるなんて嬉しい。
浴衣を着るのに真夏よりも、残暑のが幾分か暑くないだろうし、助かる。
こういうとき、嬉しい気持ちが子供のように隠しきれず全面に出てしまう私。どちらが年上か本当にわからなくなるほど黒子くんは落ち着いている。
こちらに優しい眼差しを向けていたと思えば、繋いでる手を引き寄せて黒子くんは私に耳打ちにするように囁いた。
「琴音さん、期待してます」
「えっ、あの、…うん」
刹那、数秒おいて私の顔は赤面しドッと汗が出た。
こうなったのは、そう言われた瞬間におかしな想像をしてしまったからだ。
夏休み最終日に、黒子くん宅にて互いの距離がぐっと縮まった出来事が瞬時に頭を過ぎった。
顔を紅潮させている私を見て、やはり黒子くんはいつものように安堵させる微笑みを見せていた。
けど、動揺して全然、安堵どころではなかったけ。
期待の意味を考えれば、なんとなくわかる。わかるけど、ちゃんとした姿を見せることが出来るかは別として――
そして指折り数えて待ち遠しかった当日が、今日だ。
隣町の公園広場にある大きな噴水前はよく待ち合わせスポットとして使われる上に、今日は花火大会なので人でごった返していた。
浴衣の男女―と言っても圧倒的に女子のが多い―が、夕暮れ時の広場に彩りを添えていた。
黒子くんも、浴衣だろうか。
待ち合わせ場所に到着してしばらく人の合間を歩く。もししばらく見渡して見つからなかったら携帯電話にかけてみよう…と思ってた矢先、私は黒子くんを見つけた。あの後ろ姿、髪の色、間違いない。
携帯電話は準備しているものの、たいてい、待ち合わせ場所で彼を見つけられないことはなかった。
これまでも、見つからずに電話したことは1度もなかった。そこに関しては自信がある。
なぜなら、去年の夏、全中の試合をはじめて見たときから、バスケ部で関わってから今までも、私は彼を見失ったことなど一度もなかったから。
私を引き寄せるような運命的な引力でも働いてるとしたら、黒子くんが相手だからだ。そうだったらステキだなぁなんて考えてしまう。
「黒子くん、お待たせ!」
「いえ、僕もついさっき着いたと――」
背後から声をかけると黒子くんは振り向き、言葉をつまらせた。
しばらく二人は目があったまま固まって、彼は視線を私の上から下まで移動させて、またその視線は目に戻ってきた。
凝視されてしまい、ゴクリ、と思わず私の喉が鳴った。
…私の浴衣姿、おかしい?
私のはさておき、黒子くんも浴衣姿だった。黒地にストライプ柄で、帯は濃紺。スタンダードなのにシックな色遣い。黒子くんの落ち着いた雰囲気も相まってすごく大人びて見えた。そして、和服がすごく似合うんだなぁと思った。
私も感想を言いたいのだけれど、黒子くんが言葉を発するまで喋ってはいけないような気がして黙っていると、ゆっくりとした動作で私の両手をギュッと握った。
「…あの、思わず言葉につまりました」
「変じゃない?柄が上品過ぎて似合わなかったかなぁ」
「似合ってないわけないです。それどころか、期待以上過ぎて、とてもキレイで……ありがとうございます」
「何でお礼?」
「ごちそうさまです」
「いや、それも違う気がするけど?」
視線を交わしながら数秒間沈黙が続いた後、私は小さく吹き出した。
手を握り合いながらのやりとりが滑稽に思えて、私が声を出して笑うと、黒子くんもつられて笑った。
「ありがとう、誉めてくれて。黒子くんもすごくステキだよ」
真っ直ぐに感想を伝えると、黒子くんは気恥ずかしそうに頬を掻いた。照れている黒子くんは、最高にかわいいと思った。
花火大会なので今日は屋台もたくさん出ているみたいで、どこからともなくいい香りが漂ってくる。
開始まで時間があるし、屋台を巡ってもいいなぁ。
「さぁ、行きましょうか」、と、穏やかな声と共に、黒子くんはしっかりと手を繋ぎ直して私の横に並んだ。
浴衣も気に入ってもらったようで本当によかった。淡い水色、黒子くんの髪の色と一緒で、私もこの浴衣の色が大好きだ。
カラン、コロンと、下駄の音が二重になって、私たちは夕暮れの町を歩き出した。
□ □ □
花火大会の会場へと続く道を歩けば、祭囃子と共に屋台や人で賑わっていた。
一通り屋台を見た後、たこ焼きを半分こして、かき氷を食べて、私たちは早々に会場へ向かった。
花火は、わりと開催場所近辺からなら、どこからでも見れるといえば見れるのだが、一番見やすい場所とされているのが町内のグラウンド。
特に人が集まっていて混んでいるのだが、その分、グラウンドも広いのでぎゅうぎゅうの状態にはならないから安心だ。
それよりも、知り合いや部活のみんなとバッタリ会ってしまうことがないか、内心ひやひやした。
私たちはなるべく後の方で見ることにした。ちょうど後ろに石段があったので、腰掛けながら見ることもできるいい場所だ。
花火開始まで座っていたのだが、ドン、と一発目が上がったと同時に私も黒子くんも反射的に立ち上がった。
手を繋いだままだったので、お互いがお互いにつられるように動いてしまう。
夜空に浮かぶ大輪の華、とはよく言うが、本当に“華”に例えられる程に美しい。音も大きく響いて、体の中が震えるのを感じた。
「わーキレイ…!秋に見る花火もいいねぇ」
「キレイですね…来てよかったです」
花火を間近で見たのは久しぶりだったので喜びもひとしお…、どころか、黒子くんと一緒だから感動も倍増だ。
打ち上がる度に、歓声があがったり、『た~まや~』と定番の掛け声が聞こえてきた。
しばらくの間、私たちは言葉を交わすこともなく彩られる夜空に見入っていた。
町の花火大会だから、東京の大きな花火大会よりは打ち数も少なく、時間も短い。だけれどクオリティは負けていない。
仕掛け花火も、今年の『夏の思い出』というテーマにあわせた演出も、言葉が出ないほど美しかった。
目に焼き付けたい、と思いつつも、私は気づかれないように横目で黒子くんを見た。
まっすぐ前を向いて視線は花火に釘付けになっている彼を見ると、少しだけ悲しそうな顔をしていた。
「花火を見ると、あの一瞬の儚さからなのか、胸が締め付けられるような気持ちになります。去年の今頃は、こんなに楽しい時間を過ごせるなんて想像できませんでしたから」
私の視線に気づいたのか、黒子くんは夜空を見上げたままポツリと呟いた。
“去年の今頃”――黒子くんが全中の試合後に帝光バスケ部を辞めた…その後すぐの頃だ。
ハッとしたような表情が思い切り顔にでてしまって、私は相槌をすぐに返せずにいたが黒子くんはそのまま続けて話し出した。
「あの頃、僕はバスケが嫌いでした。夏になる度に、悲しい気持ちを抱えたまま辞めていったバスケ部のことを一生忘れられないだろうと思っていました。ボールの感触もバッシュのスキール音も、もう聞くことはないのだと。…夏も、嫌いな季節になるのだと」
黒子くんの声はいつものように、静かな海のように穏やかだった。ああ、何か返さなくてはと思うのに胸が苦しくなった。
花火を見て、一年前のことを思い出していたなんて。
今は決別してしまった帝光中のバスケ部の仲間とも、お祭りにいったり花火をしたりと、思い出がたくさんあったのだろう。
そしてその楽しい思い出よりも、最後にバスケ部を自ら辞めるという辛い思い出が上書きされて、中学を終えている。
夏が来る度に思い出さないはずがないのに。彼にとっての辛かった夏はまだほんの、去年のことなのに。
何も言えない、気の利いた言葉一つも返してあげれられない自分が情けなくなった。
「でも、誠凛のみんなに、そして琴音さんに出逢えた。だからもう悲しい夏は繰り返しません」
繋いでいた手に、痛くない程度に力を込められたのが分かった。
私は黒子くんの方を向くと、彼のいつの間にこちらに顔を向けていた。
泣き出しそうな微笑みに、私は息が止まりそうになる。
今まで、胸の内に秘めていた想いを告げてくれたの?、と、心の中で思っても声が詰まって出てこなかった。
「…う、うん」
やっと声が出たと思ったら、私の声は泣き出す前の子供のように震え、本当に情けないことに、この一言だった。
目の中に涙がたまって、目の前の彼の顔が水の中で揺れたみたいに写る。泣くな、泣くな、と思いながらも今にも涙が零れ落ちそうだった。
何故、私が泣く。花火を見て、昔を思い出して、切なくなって、泣きたいのは黒子くんの方だろう。
ただ、きっと、彼は泣かない。泣きそうな笑顔になりつつも、本当に泣くことはないだろうと、私は悟った。
下唇をかみ締めて私は涙を堪えた。
「琴音さんが以前、『傍にいるから』と言ってくれたこと、本当に嬉しかったです。その言葉だけでもっと強くなれる気がしました。もう僕は、過去の自分にも負けません」
ドン、ドン、と響く花火の音にかき消されることなく、黒子くんの声だけが私の耳に真っ直ぐ届く。
「僕も傍にいたい」
人々の歓声も、遠く離れた屋台の並びで流れる祭囃子も、シャットアウトされたかのようにぼやけて聴こえた。
五感が研ぎ澄まされて、まるで彼の声以外を、必要としていないかのようだ。
「琴音さんの傍にいさせてください」
心臓が鷲づかみにされたようにドクンと鳴った。
強く握られていた手を私も同じぐらいの力で握り返し、返事の代わりに私は下駄のつま先を上げ、背伸びをして黒子くんの頬に自分の唇を押し当てた。
ドン、と大きな音がして一際大きな花火が打ち上げられ、周囲の人々から歓声が上がった。
その花火はクライマックスと共に立て続けに打ち上げられ人々を魅了しているのだろう。
微かに認識した音から、それが花火のラストスパートだと分かった。大勢の観客が花火に魅了されている間、誰も私たちのことなんて気にもしないだろう。
私からのキスで驚いたように瞬きをした後、黒子くんは私の肩に両手を添え顔に影を落としたので、互いに自然と目を閉じる。
花火はもう視界にはない。耳の奥でぼんやりと音だけ聞こえた。
近くで打ち上げられてるはずなのに、音が遠くに聞こえるのは、私の神経全てが黒子くんに集中しているからだろう。
柔らかい唇が、離れては重なり、重なっては離れ、それをゆっくりと数度繰り返す。
時間が止まったと錯覚した。それ程に甘いキスだった。大勢がいる中で…普段なら絶対にしないだろう。
浴衣を着て花火を見て、気持ちが高揚していたこともあったけれどそれは直接の原因じゃない。
返事の代わりにキスをしたのは、好きという気持ちが溢れて言葉では表せなかったからだ。
花火は綺麗だ。刹那的で儚く、見ていて切なくなる。瞬きしていては勿体ない。終わらないで、終わらないで、と願いたくなる。
だから、彼は思い出してしまったのだろうか。
去年の夏の記憶も悲しみも悔しさも、昇華させるように夜空に浮かぶ大輪の華を見つめている彼はどこか物悲しげで、『僕も傍にいたい』という、いつもの敬語使いでない言葉は、まるで懇願しているように聞こえたから。
こんなにも気持ちが高ぶるのは生まれて初めてだった。鼓動が押さえられないぐらい高鳴り、息が止まるほど切なかった。
じきに花火は終わり、観客の視線も途端に夜空から離れる。そしたら、私たちはキスを止めて、しばらく見つめ合って、二人して頬を紅くさせて笑い合えばいい。
打ち上げられた花火と、黒子くんの横顔が瞼の裏に焼き付いて離れない。今日の花火も、言葉も、唇の感触も忘れることはないだろう。
これから先、黒子くんが『あの夏』を思い出しては胸を締め付けられるような気持ちになっても、その時に隣で支えるのは私でありたい。
これからもずっと、誰よりも近くに居たいと夜空に願った。
夕陽に照らされながら、カラン、コロンと歩くたびに響くそれはひどく懐かしい音に感じた。
履き慣れない下駄で転ばないように気をつけて歩く。今日は、隣町の花火大会の日。
花火といえば浴衣だ。お祭りに浴衣を着ていくなんて久しぶりだったので心が自然と踊る。
今日着ているのは淡い水色の生地に、白い百合が描かれた上品な浴衣。帯は黄色に近い、薄い金色。
もともと自分が持っていた浴衣を自宅まで取りに行くも、どこにあるのか見つけられずしょぼくれていた私に、おばあちゃんが昔自分が着ていた浴衣を譲ってくれたのだ。両親が海外へ転勤になり、大学生の間だけ祖父母の家に居候させてもらっている私には、贅沢すぎるプレゼントだった。
準備でもたついて一人で上手く着れない私を見て、笑いながらおばあちゃんが着付けまでしてくれた。丁寧に、しっかりと。
髪も珍しくアップして、買ってきた簪を付けた。しかし、内心、本当はそわそわしている。
――だいじょうぶかな?髪、変じゃないかな?
黒子くんと付き合うようになってからが女の子らしさが上がっている気がして、自分に時々ふと違和感を感じることがある。
黒子くんの紳士的な対応も、好意も、こんな私をどうしようもなく女の子にさせてしまうのだから。
部活の帰り道、花火大会に誘ってきたのは黒子くんの方から。
今日は途中まで火神くんも一緒だった。分かれ道で火神くんが去ってから、黒子くんは私の手をさりげなく繋ぎながら言った。
「来週の土曜日に隣町で花火大会があるんです。一緒に行きませんか?」
実は私も花火大会があるという情報は知っていたし、誘おうと思っていたところだった。
バスケ部の土日の練習は不定期だし、時々、スケジュール通りにならず飛び込みで入る場合もある。
WCに向けて、夏の合宿から勢いもついてきたので、ここ最近の休みは練習が入ったり、私のバイトの都合もあったりでなかなか二人の休みが合わなかったのだ。
確か再来週の土曜日は午前練だけだったと思うので、夕方からは花火大会に行けるし、1日に2回も黒子くんに会えることになる。
自然と頬が緩んだ。私は「うん、行く、行きたい!」と、嬉しい気持ちが顔にでてしまって口元を緩ませながら返事をすると、黒子くんがやわらかく笑った。
「誰かに話したりしたらダメですよ?カントクにも、です」
「言わないよ。私も二人きりがいいから。楽しみだねぇ」
繋いでいない方の手を自分の頬にあてた。まだ来週の話だというのに喜びの感情が収まらない。
9月の終わりなのに花火大会が開催してくれて本当にありがたい。
毎年、隣町では8月に行われる夏の行事らしいのだが、今年から開催時期がずれて9月の最終週になったのだ。
カナヅチの私が黒子くんと付き合う前にプールを教えてもらって何とか泳げるようになったこともあり、あの時の約束も兼ねてこの夏はプールに行きたかったのだが、私の都合で行けなくなってしまった。謝った私に、「また、来年行きましょう」と黒子くんは言ってくれた。
来年も傍にいていいのかなとか、傍にいられるのかな。
何となく恥ずかしくなって口には出さなかったけれど。
約束をしていたプールの代わりにはならないし、もう夏は終わってしまったけれど、“花火”なんて夏らしいデートができるなんて嬉しい。
浴衣を着るのに真夏よりも、残暑のが幾分か暑くないだろうし、助かる。
こういうとき、嬉しい気持ちが子供のように隠しきれず全面に出てしまう私。どちらが年上か本当にわからなくなるほど黒子くんは落ち着いている。
こちらに優しい眼差しを向けていたと思えば、繋いでる手を引き寄せて黒子くんは私に耳打ちにするように囁いた。
「琴音さん、期待してます」
「えっ、あの、…うん」
刹那、数秒おいて私の顔は赤面しドッと汗が出た。
こうなったのは、そう言われた瞬間におかしな想像をしてしまったからだ。
夏休み最終日に、黒子くん宅にて互いの距離がぐっと縮まった出来事が瞬時に頭を過ぎった。
顔を紅潮させている私を見て、やはり黒子くんはいつものように安堵させる微笑みを見せていた。
けど、動揺して全然、安堵どころではなかったけ。
期待の意味を考えれば、なんとなくわかる。わかるけど、ちゃんとした姿を見せることが出来るかは別として――
そして指折り数えて待ち遠しかった当日が、今日だ。
隣町の公園広場にある大きな噴水前はよく待ち合わせスポットとして使われる上に、今日は花火大会なので人でごった返していた。
浴衣の男女―と言っても圧倒的に女子のが多い―が、夕暮れ時の広場に彩りを添えていた。
黒子くんも、浴衣だろうか。
待ち合わせ場所に到着してしばらく人の合間を歩く。もししばらく見渡して見つからなかったら携帯電話にかけてみよう…と思ってた矢先、私は黒子くんを見つけた。あの後ろ姿、髪の色、間違いない。
携帯電話は準備しているものの、たいてい、待ち合わせ場所で彼を見つけられないことはなかった。
これまでも、見つからずに電話したことは1度もなかった。そこに関しては自信がある。
なぜなら、去年の夏、全中の試合をはじめて見たときから、バスケ部で関わってから今までも、私は彼を見失ったことなど一度もなかったから。
私を引き寄せるような運命的な引力でも働いてるとしたら、黒子くんが相手だからだ。そうだったらステキだなぁなんて考えてしまう。
「黒子くん、お待たせ!」
「いえ、僕もついさっき着いたと――」
背後から声をかけると黒子くんは振り向き、言葉をつまらせた。
しばらく二人は目があったまま固まって、彼は視線を私の上から下まで移動させて、またその視線は目に戻ってきた。
凝視されてしまい、ゴクリ、と思わず私の喉が鳴った。
…私の浴衣姿、おかしい?
私のはさておき、黒子くんも浴衣姿だった。黒地にストライプ柄で、帯は濃紺。スタンダードなのにシックな色遣い。黒子くんの落ち着いた雰囲気も相まってすごく大人びて見えた。そして、和服がすごく似合うんだなぁと思った。
私も感想を言いたいのだけれど、黒子くんが言葉を発するまで喋ってはいけないような気がして黙っていると、ゆっくりとした動作で私の両手をギュッと握った。
「…あの、思わず言葉につまりました」
「変じゃない?柄が上品過ぎて似合わなかったかなぁ」
「似合ってないわけないです。それどころか、期待以上過ぎて、とてもキレイで……ありがとうございます」
「何でお礼?」
「ごちそうさまです」
「いや、それも違う気がするけど?」
視線を交わしながら数秒間沈黙が続いた後、私は小さく吹き出した。
手を握り合いながらのやりとりが滑稽に思えて、私が声を出して笑うと、黒子くんもつられて笑った。
「ありがとう、誉めてくれて。黒子くんもすごくステキだよ」
真っ直ぐに感想を伝えると、黒子くんは気恥ずかしそうに頬を掻いた。照れている黒子くんは、最高にかわいいと思った。
花火大会なので今日は屋台もたくさん出ているみたいで、どこからともなくいい香りが漂ってくる。
開始まで時間があるし、屋台を巡ってもいいなぁ。
「さぁ、行きましょうか」、と、穏やかな声と共に、黒子くんはしっかりと手を繋ぎ直して私の横に並んだ。
浴衣も気に入ってもらったようで本当によかった。淡い水色、黒子くんの髪の色と一緒で、私もこの浴衣の色が大好きだ。
カラン、コロンと、下駄の音が二重になって、私たちは夕暮れの町を歩き出した。
□ □ □
花火大会の会場へと続く道を歩けば、祭囃子と共に屋台や人で賑わっていた。
一通り屋台を見た後、たこ焼きを半分こして、かき氷を食べて、私たちは早々に会場へ向かった。
花火は、わりと開催場所近辺からなら、どこからでも見れるといえば見れるのだが、一番見やすい場所とされているのが町内のグラウンド。
特に人が集まっていて混んでいるのだが、その分、グラウンドも広いのでぎゅうぎゅうの状態にはならないから安心だ。
それよりも、知り合いや部活のみんなとバッタリ会ってしまうことがないか、内心ひやひやした。
私たちはなるべく後の方で見ることにした。ちょうど後ろに石段があったので、腰掛けながら見ることもできるいい場所だ。
花火開始まで座っていたのだが、ドン、と一発目が上がったと同時に私も黒子くんも反射的に立ち上がった。
手を繋いだままだったので、お互いがお互いにつられるように動いてしまう。
夜空に浮かぶ大輪の華、とはよく言うが、本当に“華”に例えられる程に美しい。音も大きく響いて、体の中が震えるのを感じた。
「わーキレイ…!秋に見る花火もいいねぇ」
「キレイですね…来てよかったです」
花火を間近で見たのは久しぶりだったので喜びもひとしお…、どころか、黒子くんと一緒だから感動も倍増だ。
打ち上がる度に、歓声があがったり、『た~まや~』と定番の掛け声が聞こえてきた。
しばらくの間、私たちは言葉を交わすこともなく彩られる夜空に見入っていた。
町の花火大会だから、東京の大きな花火大会よりは打ち数も少なく、時間も短い。だけれどクオリティは負けていない。
仕掛け花火も、今年の『夏の思い出』というテーマにあわせた演出も、言葉が出ないほど美しかった。
目に焼き付けたい、と思いつつも、私は気づかれないように横目で黒子くんを見た。
まっすぐ前を向いて視線は花火に釘付けになっている彼を見ると、少しだけ悲しそうな顔をしていた。
「花火を見ると、あの一瞬の儚さからなのか、胸が締め付けられるような気持ちになります。去年の今頃は、こんなに楽しい時間を過ごせるなんて想像できませんでしたから」
私の視線に気づいたのか、黒子くんは夜空を見上げたままポツリと呟いた。
“去年の今頃”――黒子くんが全中の試合後に帝光バスケ部を辞めた…その後すぐの頃だ。
ハッとしたような表情が思い切り顔にでてしまって、私は相槌をすぐに返せずにいたが黒子くんはそのまま続けて話し出した。
「あの頃、僕はバスケが嫌いでした。夏になる度に、悲しい気持ちを抱えたまま辞めていったバスケ部のことを一生忘れられないだろうと思っていました。ボールの感触もバッシュのスキール音も、もう聞くことはないのだと。…夏も、嫌いな季節になるのだと」
黒子くんの声はいつものように、静かな海のように穏やかだった。ああ、何か返さなくてはと思うのに胸が苦しくなった。
花火を見て、一年前のことを思い出していたなんて。
今は決別してしまった帝光中のバスケ部の仲間とも、お祭りにいったり花火をしたりと、思い出がたくさんあったのだろう。
そしてその楽しい思い出よりも、最後にバスケ部を自ら辞めるという辛い思い出が上書きされて、中学を終えている。
夏が来る度に思い出さないはずがないのに。彼にとっての辛かった夏はまだほんの、去年のことなのに。
何も言えない、気の利いた言葉一つも返してあげれられない自分が情けなくなった。
「でも、誠凛のみんなに、そして琴音さんに出逢えた。だからもう悲しい夏は繰り返しません」
繋いでいた手に、痛くない程度に力を込められたのが分かった。
私は黒子くんの方を向くと、彼のいつの間にこちらに顔を向けていた。
泣き出しそうな微笑みに、私は息が止まりそうになる。
今まで、胸の内に秘めていた想いを告げてくれたの?、と、心の中で思っても声が詰まって出てこなかった。
「…う、うん」
やっと声が出たと思ったら、私の声は泣き出す前の子供のように震え、本当に情けないことに、この一言だった。
目の中に涙がたまって、目の前の彼の顔が水の中で揺れたみたいに写る。泣くな、泣くな、と思いながらも今にも涙が零れ落ちそうだった。
何故、私が泣く。花火を見て、昔を思い出して、切なくなって、泣きたいのは黒子くんの方だろう。
ただ、きっと、彼は泣かない。泣きそうな笑顔になりつつも、本当に泣くことはないだろうと、私は悟った。
下唇をかみ締めて私は涙を堪えた。
「琴音さんが以前、『傍にいるから』と言ってくれたこと、本当に嬉しかったです。その言葉だけでもっと強くなれる気がしました。もう僕は、過去の自分にも負けません」
ドン、ドン、と響く花火の音にかき消されることなく、黒子くんの声だけが私の耳に真っ直ぐ届く。
「僕も傍にいたい」
人々の歓声も、遠く離れた屋台の並びで流れる祭囃子も、シャットアウトされたかのようにぼやけて聴こえた。
五感が研ぎ澄まされて、まるで彼の声以外を、必要としていないかのようだ。
「琴音さんの傍にいさせてください」
心臓が鷲づかみにされたようにドクンと鳴った。
強く握られていた手を私も同じぐらいの力で握り返し、返事の代わりに私は下駄のつま先を上げ、背伸びをして黒子くんの頬に自分の唇を押し当てた。
ドン、と大きな音がして一際大きな花火が打ち上げられ、周囲の人々から歓声が上がった。
その花火はクライマックスと共に立て続けに打ち上げられ人々を魅了しているのだろう。
微かに認識した音から、それが花火のラストスパートだと分かった。大勢の観客が花火に魅了されている間、誰も私たちのことなんて気にもしないだろう。
私からのキスで驚いたように瞬きをした後、黒子くんは私の肩に両手を添え顔に影を落としたので、互いに自然と目を閉じる。
花火はもう視界にはない。耳の奥でぼんやりと音だけ聞こえた。
近くで打ち上げられてるはずなのに、音が遠くに聞こえるのは、私の神経全てが黒子くんに集中しているからだろう。
柔らかい唇が、離れては重なり、重なっては離れ、それをゆっくりと数度繰り返す。
時間が止まったと錯覚した。それ程に甘いキスだった。大勢がいる中で…普段なら絶対にしないだろう。
浴衣を着て花火を見て、気持ちが高揚していたこともあったけれどそれは直接の原因じゃない。
返事の代わりにキスをしたのは、好きという気持ちが溢れて言葉では表せなかったからだ。
花火は綺麗だ。刹那的で儚く、見ていて切なくなる。瞬きしていては勿体ない。終わらないで、終わらないで、と願いたくなる。
だから、彼は思い出してしまったのだろうか。
去年の夏の記憶も悲しみも悔しさも、昇華させるように夜空に浮かぶ大輪の華を見つめている彼はどこか物悲しげで、『僕も傍にいたい』という、いつもの敬語使いでない言葉は、まるで懇願しているように聞こえたから。
こんなにも気持ちが高ぶるのは生まれて初めてだった。鼓動が押さえられないぐらい高鳴り、息が止まるほど切なかった。
じきに花火は終わり、観客の視線も途端に夜空から離れる。そしたら、私たちはキスを止めて、しばらく見つめ合って、二人して頬を紅くさせて笑い合えばいい。
打ち上げられた花火と、黒子くんの横顔が瞼の裏に焼き付いて離れない。今日の花火も、言葉も、唇の感触も忘れることはないだろう。
これから先、黒子くんが『あの夏』を思い出しては胸を締め付けられるような気持ちになっても、その時に隣で支えるのは私でありたい。
これからもずっと、誰よりも近くに居たいと夜空に願った。