黒子くんと大学生マネージャー
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縁側の逢瀬
8月も終わりに近づいた頃、いよいよ山合宿の日がやって来た。
バイトも長期休みがとれたし、やっと参加できることが嬉しくもある。部員内でも『地獄の合宿』と呼ばれるそれは、はてさてどんなものなのか――。
電車とバスを乗り継いで到着したそこには、清々しいほどの山ばかりの景色。
山の麓に民宿がぽつりぽつりとある程度だ。コンビニも小さなスーパーも一番近くて徒歩1時間。
部員達がうげっと声を出したということは海合宿のときより不便な地なのだろうと察した。
リコちゃんが受付を済ませると、各々の部屋へ荷物をおいて、早々に地獄の合宿はスタートとなった。
山の麓にあるのは民宿だけ。ではどこで練習を行うのかというと――
「山を1時間ぐらい登った先に体育館があるから、練習はそこでやるのよ!歩けば1時間だけど走れば30分だから、練習の一環としてちゃんと走ってきてね。あ、私はロープウェイで行くから」
ちゃっかり言うが早く、リコちゃんは最小限の荷物だけ持ってロープーウェイ乗り場へ向かっていった。
彼女のハキハキとした口調と裏腹にみんなは意気消沈していた。
8月の山は暑い。生い茂る木々のおかげで木陰が生まれているところもあるが、海辺のように風が通らない。
容赦なく太陽が照りつける中、部員達はそこの体育館まで行くのだ。
だ、だいじょうぶかな…?
山道を駆けることで体力の上昇、筋肉の鍛錬につながっているからあくまで練習の一環なのだが、この真夏では地獄に感じる。
麓には民宿が、山の中間地点に体育館があり、頂上には見晴らしのいい景色が、山の周辺には川辺があるらしい。
決して大きな山ではないが地面が多少はでこぼこしているだけに間違いなくダッシュなんて難い。
鍛錬としては間違いなく効果はありそうなものの…。
部員らが山登りへと出発する前に、私はこっそり黒子くんに近づいてTシャツの裾をくいっと引っ張った。
一番体力がないと言われているし、自分でも言っていた彼が心配になった。後ろに少し引っ張られて私に気づくと、黒子くんはしばらく何も言わずにこちらを見つめていた。何か言いたそうだったので思わず小首をかしげた。
「琴音さんが可愛いことをするので、固まってしまいました」
「シャツをくいって引っ張った、これ?」
「はい。何か小動物みたいだったので…」
リアクションに困って苦笑いすると黒子くんもクス、と笑った。
時々、やりとりをしていて黒子くんが予想外なことを言ったりすることが多々あるが、未だに彼のツボが分からない。
それはさておき、私は肝心な伝えたいことを言わなければ。
他の部員もいるし大きな声では言えないが、彼だけに聞こえるように伝えた。
「練習がんばってね。私も、ごはん頑張って作るから」
彼は頷き、楽しみにしてますと言うと、みんなと一緒に体育館へ向かって行った。
今度はバスケ部にみんなの後ろ姿に向けて私は声を出して手を振った。
「ファイオー!誠凛!」
振り返って子供のようにブンブンと元気よく手を振り替えしてくれる小金井くんをはじめとして、部員達もこちらを見て頷いてくれた。
みんなを見送った後、私はすぐに民宿に戻った。
あくまで私がここに居れるのは臨時マネージャーとしてだけども、そして今日は顧問の武田先生…というか、私のおじいちゃんの代理?でもある。
いつもなら合宿にも引率の先生としてくるのにどうしてもはずせない用事があったみたいなので私が代理となったのだ。
学校におじいちゃん経由で申請したら、例外として申請が通ったのだ。
監督のリコちゃんと主将の日向くんも、ありがいたいこと口添えくれたおかげだ。しかし実際は、引率という肩書きではあるものの、主な仕事は臨時マネージャー。
海合宿同様、山合宿でも安い民宿を借りてその調理場を借りて、食事は自炊となっている。
食材は民宿からのご厚意で安く売ってもらえるみたいなので、買い出しの手間が省けるのは助かった。
山周辺の川辺でバーベキューをやる人たちもこのシーズンは結構いるらしく、食材の販売もしているようだ。
主な仕事は炊事。みんなの食事を一人で作るので結構な体力がいる。それに加えて洗濯。
こちらも民宿内のコインランドリーで行うが、タオル類や頼まれたTシャツ等の洗濯のみ。
あくまで部活で必要になるものだけなので、洗濯は、炊事のついで、程度の仕事量しかないはずだ。
メインは炊事の方。
料理は普通レベルで出来る程度だと告げた時に、部員達に「女神よ!」と泣きつかれた。普通、でいいんだろうか?と思ったらリコちゃんは料理が苦手らしくて山合宿での食事はまぁまぁ適度に…美味しくなかったらしい。
美味しくない原因はサプリメント類を料理に混ぜ込んでいるからだとわかり、部員らが止めても、リコちゃんは「つい、クセで…」と3食に1度は混ぜ込んでしまうみたいなのだ。3回に1回のロシアンルーレットに冷や冷やしたものだと日向くんはしみじみ語っていた。
「普通レベルでいいなら作るけど…」
「「「「是非お願いしますッッ!!!」」」」
すごい勢いでみんなに泣きつかれたのはつい先日のこと。会話が鮮明に思い出される。
そういえば、勢い余って私の両手を握ってきた小金井くんを横からグイッと黒子くんが押しのけていたなぁ。
桃井さんが黒子くんに触ったり抱きついたりするのを私が嫌だなと感じるのと同じで、黒子くんも私が他の人に触られるのは嫌なのかなと思うとちょっと照れくさいけど、嬉しい。しかも、手だけで…。
小金井くんがうっかり私に抱きつくようなことがあったら彼の頭には黒子くんからのイグナイトパスが飛んできそうだなぁなんて想像すると、私はふっと笑いが漏れた。
□ □ □
「マネージャー料理上手いじゃん!」
「うめぇー!」
初日の夕飯は無難にカレーライスにしてみたら、思いの外喜んでもらえた。カレーだから誰が作っても同じだと思うんだけど、みんな私に気を遣っているのか、口々に美味しいと言ってくれた。喜んでもらえて作った甲斐があった。
安心するのも束の間、明日の献立も考えておかないと…。
「火神くんが作ったらもっと美味しかったかもよ?」
向かいの席で3杯目のおかわりをガツガツ食べている彼に話しかけると、「そうスか?」とお米を頬張ったまま返事をされた。
一人暮らしが長い上に料理センスもあるらしい火神くんの手料理、今度参考までに食べてみたいなぁ。
食事の時に、リコちゃんからもお礼を言われた。海合宿ではリコちゃんが炊事係だったのだが、その時間を練習メニューを考えたり、データを分析したりする時間にあてられると喜んでいた。それは本当に何よりだ。
………。
ドサリ、と布団に倒れ込んで1日目がようやく終了。
部屋といえば、リコちゃんと同じ部屋になる予定だったのだが、民宿の手違いでお互い一人部屋となってしまったようだ。
男の子たちは大人数で雑魚寝の大部屋だというのに…手違いとはいえ贅沢な扱いで申し訳ない気持ちだ。
寝間着用にと持ってくるはずだったTシャツやハーフパンツを忘れてしまったせいで、私の寝間着は民宿から借りた浴衣。
寝ている間にどうせ着崩れるんだろうなと思い、気にすることなくそのままもぞもぞとうつ伏せから仰向けになる。
つ、疲れたぁ…。
長いため息を吐いて目を閉じると今日のことが回想されていく。
もともと体力はない方だと思っていたけど、改めて体力がないのだと自覚した。疲れが体をドッと襲う。
何というか――5日間、休む暇もない。
夕飯後はうとうとしつつ料理本とか見て、明日の献立やバランスのよい食事を考えてみたり。
起きたらすぐに朝食の準備、タオルやドリンクの準備、みんなが体育館へ行ったら朝食の片づけと洗濯、昼食準備、夕食準備…と、1日を通してほぼ炊事と洗濯で終わる。朝食準備と各食事の後片付けはみんなも手伝ってくれるのだけど、昼と夜の食事の支度はほぼ一人だ。助っ人として合宿に来ているのだから当たり前なんだけども、よく食べる男子達のごはんを毎回となると鍋も大きいし材料を切る量もなかなか多くて予想以上に大変だった。
自由な時間があるとしたら、夕食後のほんの2時間程度だ。くたくたになって日付が変わる前には眠くなってしまうし…確かにこれは…地獄の合宿だぁ。
一日中、みっちり。私自身が練習をしているわけじゃないのに何をくたくたになっているのか、恥ずかしくて誰にも言えない。
みんなは私以上に汗だくで頑張って、体がくたくたなんだろなぁ。
リコちゃんから聞いた話だと、日向くんは夕飯の食休み後に走り込みに行ってるらしい。
それを聞いて声を出して驚いたけども、夕食後、自主練に励むメンバーも少なくないとか。
さすが現役高校生の運動部。そんでもってみんな努力家。尊敬しちゃうよ。
案の定、私と黒子くんが二人きりになれることもなく――、目まぐるしく時間が過ぎていった。
みんなもいるし、そんなチャンスがあったとしてもそれはスルーすべきチャンスだ。これは合宿なんだから。
最終日までしっかりみんなのサポート、頑張らなくちゃ!
たまには走り込みの練習に参加して、体力でもつけておくべきだったかな…。
後悔の念を抱えつつ、私は深い眠りに落ちていった。
………。
あと4日。あと3日。あと2日。
ラスト1日…。
毎晩眠りに落ちる前に、瞼の裏でカウントダウン。
□ □ □
駆け抜けた5日間――忙しさであっという間に過ぎていった。
最終日は夕飯は準備せず、歩いて1時間のスーパーで出来合のものを買ってきてちょっとしたお疲れ会みたいなのを開いた。
一年生組がダッシュ練ついでに買い行ってくれたので、往復1時間以内で帰って来れたようだ。
私も、作らずに済んだのでだいぶ楽させてもらっちゃった。
お風呂にゆっくり入った後、私は民宿内をふらふらと歩いていた。
いつもなら部屋へ直行して疲れのあまりすぐに眠っていたが、今日はちょっぴり余力があったので、気になっていたあの場所へいってみようと思い立ったのだ。
あの場所とは民宿の『縁側』だ。この安い民宿は新しくもなければ広くもないが、風情がある。木造のつくりも懐かしさと居心地の良さを感じさせた。
昼間は暑くてもここは自然に囲まれた民宿。空気も美味しいし湿気もないので、夜ならばあの場所は涼しく感じるだろう。
たどり着くと誰もいなかったので、私は縁側に腰掛けてジュースを飲みながらぼんやりと合宿中のことを回想していた。
思い返しつつ、うとうとしていたら、それから間もなく私の頭上から声がかかる。
「琴音さん、ここにいたんですか」
「あ、見つかっちゃった」
へへ、と笑うと黒子くんも小さく笑って「見つけました」と私の隣に座った。
首からタオルをかけていたので、黒子くんもお風呂の後にそのまま縁側にやってきたようだ。
「うん。今日は合宿最後の夜だし、のんびりしてみようかなって思って。ここ、いい場所だね」
「湿気もない分、涼しいですよね。もっと早く来てればよかったです」
「今日が最終日だもんね。…合宿、おつかれさまでした」
「はい、琴音さんも、おつかれさまです」
あっという間に終わったというべきか、ようやく終わったというべきか…。
とにかく誰も怪我することもなく無事終われたのは本当によかった。
安堵の空気の中、じわじわと自覚していく。合宿期間ではじめて、今、二人きりだ――黒子くんも同じことを思ったかなぁ。
横目で彼を見ると同時に、黒子くんは私の肩へ頭を寄せてもたれ掛かってきた。
心臓が驚いて声が出そうになったが、私はぐっと堪えた。
「少しだけ…」
目を閉じている黒子くんの睫が長くて、私は見入ってしまった。濡れた髪から良い香りがする。
「く、黒子くん…誰かに見られたら…」
「少しだけこのままで」
「でも…」
「誰かに見られたら見られたらで、僕は構いません」
目を閉じたまま彼は続けた。気が付いたら、縁側に置いた私の手は黒子くんの手に覆われていた。
お風呂にゆっくり浸かってきたのかな。お互いの手が、ぽかぽかしていた。
口調は穏やかだけれども、ハッキリと言いきる黒子くんに、私は黙ってしまった。
黒子くんと付き合っていることを誰かに知られたら、何だか部に居づらくなってしまうような気がしていた。
無意識に黒子くんを贔屓しているように見えてしまうかもしれないし、それが不愉快だと感じる人もいるかもしれない。
バスケ部を手伝いたいのは本当の気持ちだけど、部員の1人とつき合っていることが何かの妨げになるような可能性が少しでもあるのなら、隠しておきたいのだ。
黙っている私に対して彼もしばらく沈黙で返し、頭は私の肩から離れようとはしない。
この沈黙…まるで心を読まれているようだ。触れてる部分から私の考えが、全て伝わってしまっているんだろうか。
しばらくして黒子くんは自分からもたれかかるのをやめ、顔を上げて、ジッとこちらを見つめてきた。真剣な眼差しで。
「仮に、僕とつき合っていることをみんなが知ったとしても、あなたをマネージャーとして否定する人は誰もいないと思います。僕は、あなたがマネージャーでよかった。みんなも琴音さんから元気をもらっています。僕たちの支えになってくれて感謝しかありません。だから、もっと自分を認めてあげて下さい。もっと自分に自信を持って下さい」
心の中を見透かされていた。その上で黒子くんは一番欲しい言葉を私に真っ直ぐ伝えてくる。
それの意味を理解した直後、私からは言葉が喉に支えて出てこなかった。出てきたと思ったらこの一言。
「黒子くん、過大評価し過ぎだよ」
――なんだろう。胸が詰まる。
評価されたくて頑張ったんじゃない。ここにいるキッカケだって、バスケ部の顧問のおじいちゃんが私を誘ってくれたから。
自信とかそんなのないし、臨時マネージャーだってちゃんとできてるのか分からない。誰でもできるようなちょっとしたことを、手探りのまま手伝ってるって感じなんだ。だから、マネージャーでよかったとか、言ってもらえるなんて。
…私にはもったいない言葉、嬉しくて、どうしたらいいか分からない。
頷くのも忘れて、言葉の意味を理解した私の目に熱い水がたまっていった。私は涙を誤魔化すために瞬きをして顔をそむけた。
嬉しくて泣くなんて久しぶりだ。いつ以来かとかも覚えてないぐらいに久々で、私は指で目尻を少し拭うと黒子くんに向き直った。笑顔を向けると黒子くんの表情が一瞬固まった。泣いたり笑ったり忙しい人だなって思われてるのかな。
「でも、ありがとう」
素直な気持ちがそのまま声に出てきたことに自分らしくないと感じながらも、とても満たされた気分だ。
不意に空を仰げば満天の星空が輝いていて、感嘆も夏の夜空に吸い込まれていく。どこまでも広い。
さすが、自然に囲まれた民宿。ビル1つなくて空が高い。こんなに星が近くで見れるなんて、いい場所だなぁ。
しばらく空を眺めていても、すぐ横から絶えず視線を感じていた。黒子くん、つられて星空を見ることもなくジッと私を見ていたようだ。
「どうしたの?黒子くん」
顔を覗き込んでも黒子くんは微動だにしなかった。
「……琴音さんはとことん、自分の魅力には疎いですね」
彼のぼそりと呟いた台詞が聞こえずらく、私が聞き返すよりも早く黒子くんは顔の距離をぐっと縮めてきた。素早かった。
キスをされるのかと思って体が強ばる――しかし、そうではなかった。
私の唇は素通りされ、黒子くんはそのまま顔の角度を傾けて私の首もとに鼻先をくっつけた。
黒子くんが私に抱きついているかのような体勢になり、私は慌てて押し戻そうとするも、グッと腕を掴まれて身動きがとらせてもらえない。
先ほど、私を嬉し泣きさせたと思ったら今度は、ち、ちからわざですか…?
「誰か来ちゃうよ?」
「僕は誰かに見られたほうが都合がいいです。それより今、何か期待しましたか?」
「…もう、わかってて言ってる?」
首に黒子くんの息がかかり、せっかく涼んでいるというのに、お風呂に上せてるみたいに顔が熱くなった。
水色の、キレイな濡れた髪の毛が頬にあたってくすぐったい。黒子くんのやわらかい耳も、頬を掠めた。
これを誰かに見られたらもう言い訳もできないかもしれない。
――『仮に、僕とつき合っていることをみんなが知ったとしても、あなたをマネージャーとして否定する人は誰もいないと思います。』――鵜呑みにしたわけじゃないが、先ほどの黒子くんの台詞が頭を過ぎって、私は押し戻そうとして彼の肩に添えていた手を離した。急におとなしくなった私に気づくと、黒子くんが小さく笑った。首もとに彼の息がかかって背筋がぞわりと粟立つ。
「浴衣、色っぽいですね」
力無く笑って見せたが、直後それは小さな悲鳴に変わった。
彼の唇のやわらかくてあったかい感触が、首にピタリとくっついた。
「きゃ!」
黒子くんは私の首もとやうなじに唇を寄せていく。時折、唇から音を立てて。
ちゅ、ちゅ、と唇の遠慮のない音に、私の顔が紅潮するのは3秒で事足りた。
「きゃ、ま、待って待って待って」
「待てません。この5日間、近くにいるのに全然触れなかったので」
「でもここ合宿所だし!」
「…わかりました」
「って言いながらやめてないし…!」
慌てて手で押し戻して彼と距離をとろうとするも、黒子くんは懲りもせず遠慮なく私の首筋に唇を寄せてきた。
あげくに「せっけんのにおいがします」と恥ずかしげもなく言う。もしかして私を困らせたいだけなのかなぁ?
慌てて押し返そうにも、今度は両手首を掴まれていよいよ身動きができなくなったと思った時、私達二人を大きな影が覆った。
黒子くんもそれに気づいてピタリと動きが止まる。頭上を見ると、…怪訝な顔をしている火神くんがそこにいた。
み、見られた…!
呆然としている私たち二人に火神くんは「何してんスか」と声をかけた。
それを合図に私はわずかに黒子くんから離れて距離をとることに成功した。黒子くんの表情を見ると『邪魔が入った』とばかりに不機嫌そうだ。
誰か来てくれたほうが都合がいいと言っていたのは自分なのに。いざ第三者が来るとこの様子だ。
「テメーも何してんだっ!」
怒鳴りつつ黒子くんの頭を軽くはたく火神くんは、赤面している私と目を合わせずらそうにして視線を泳がせながらこう言った。
「監督からの伝言ッス。『イチャつくのもほどほどにして夜は花火やるからロビーに集合』…だってよ」
それを聞いた瞬間、赤面していた私の顔からは赤みが急に引いていき、元の顔色に戻った。
火神くんの伝言を聞いてフリーズしたのだ。頭をかきながら、「じゃ、伝えたからな」と言って火神くんは去っていった。
ほんの1分に満たない出来事だったのにある推理と答えが頭の中を駆け巡る。
リコちゃんの伝言、火神くんの様子から推測するに、私と黒子くんの関係、もうみんなにバレてたんだ…。
あの火神くんさえ気づいてるということは他のメンバーも気づいていたに違いない。
「僕たちの関係に気づいてるのは監督だけかと思ってました」
「バレないようにしなくちゃ、なんて杞憂だったのね…」
顔を見合わせて、お互いクッと笑いはじめた。どうやらもう公認ということで、都合よく解釈させてもらったほうがよさそうだ。
でもやはり、TPOを考える必要はある。場所をわきまえて!と私は黒子くんの鼻をギュッとつまんだら、「はい」と元気のない返事が返ってきた。
お腹が空いてしょんぼりしている2号の姿と重なって、黒子くんのしょげる姿は何だか微笑ましかった。
合宿最後の夜に花火なんて楽しいイベント用意してくれてるなんてさすがリコちゃんだ。
手持ち花火も仕掛け花火もあるかなぁ。花火をやるのも久々すぎて、子供のように心が躍った。
立ちがってロビーへ向かうも、縁側を離れるのは名残惜しかった。あの縁側は心地よい不思議な場所。
黒子くんが嬉しい言葉をくれたから、自信を持って、胸を張って、この合宿が終われそうだ。
ロビーまでの廊下を並んで歩いたら、お互いの指先がちょん、と軽く触れ、黒子くんはすかさず私の手を握りしめる。
今度こそは離してもらえなそうだと直感で分かった。このままみんなの待ってるロビーに行ったらからかわれるよ?と心配すると、黒子くんはかぶりを振って薄く笑った。
「構いません。琴音さんが僕の彼女だってこと、みんなには改めて伝えしましょう」
「…うん、そうだね」
あまりにも堂々としている黒子くんに比べて、私は照れ隠しに俯くばかりだった。
8月も終わりに近づいた頃、いよいよ山合宿の日がやって来た。
バイトも長期休みがとれたし、やっと参加できることが嬉しくもある。部員内でも『地獄の合宿』と呼ばれるそれは、はてさてどんなものなのか――。
電車とバスを乗り継いで到着したそこには、清々しいほどの山ばかりの景色。
山の麓に民宿がぽつりぽつりとある程度だ。コンビニも小さなスーパーも一番近くて徒歩1時間。
部員達がうげっと声を出したということは海合宿のときより不便な地なのだろうと察した。
リコちゃんが受付を済ませると、各々の部屋へ荷物をおいて、早々に地獄の合宿はスタートとなった。
山の麓にあるのは民宿だけ。ではどこで練習を行うのかというと――
「山を1時間ぐらい登った先に体育館があるから、練習はそこでやるのよ!歩けば1時間だけど走れば30分だから、練習の一環としてちゃんと走ってきてね。あ、私はロープウェイで行くから」
ちゃっかり言うが早く、リコちゃんは最小限の荷物だけ持ってロープーウェイ乗り場へ向かっていった。
彼女のハキハキとした口調と裏腹にみんなは意気消沈していた。
8月の山は暑い。生い茂る木々のおかげで木陰が生まれているところもあるが、海辺のように風が通らない。
容赦なく太陽が照りつける中、部員達はそこの体育館まで行くのだ。
だ、だいじょうぶかな…?
山道を駆けることで体力の上昇、筋肉の鍛錬につながっているからあくまで練習の一環なのだが、この真夏では地獄に感じる。
麓には民宿が、山の中間地点に体育館があり、頂上には見晴らしのいい景色が、山の周辺には川辺があるらしい。
決して大きな山ではないが地面が多少はでこぼこしているだけに間違いなくダッシュなんて難い。
鍛錬としては間違いなく効果はありそうなものの…。
部員らが山登りへと出発する前に、私はこっそり黒子くんに近づいてTシャツの裾をくいっと引っ張った。
一番体力がないと言われているし、自分でも言っていた彼が心配になった。後ろに少し引っ張られて私に気づくと、黒子くんはしばらく何も言わずにこちらを見つめていた。何か言いたそうだったので思わず小首をかしげた。
「琴音さんが可愛いことをするので、固まってしまいました」
「シャツをくいって引っ張った、これ?」
「はい。何か小動物みたいだったので…」
リアクションに困って苦笑いすると黒子くんもクス、と笑った。
時々、やりとりをしていて黒子くんが予想外なことを言ったりすることが多々あるが、未だに彼のツボが分からない。
それはさておき、私は肝心な伝えたいことを言わなければ。
他の部員もいるし大きな声では言えないが、彼だけに聞こえるように伝えた。
「練習がんばってね。私も、ごはん頑張って作るから」
彼は頷き、楽しみにしてますと言うと、みんなと一緒に体育館へ向かって行った。
今度はバスケ部にみんなの後ろ姿に向けて私は声を出して手を振った。
「ファイオー!誠凛!」
振り返って子供のようにブンブンと元気よく手を振り替えしてくれる小金井くんをはじめとして、部員達もこちらを見て頷いてくれた。
みんなを見送った後、私はすぐに民宿に戻った。
あくまで私がここに居れるのは臨時マネージャーとしてだけども、そして今日は顧問の武田先生…というか、私のおじいちゃんの代理?でもある。
いつもなら合宿にも引率の先生としてくるのにどうしてもはずせない用事があったみたいなので私が代理となったのだ。
学校におじいちゃん経由で申請したら、例外として申請が通ったのだ。
監督のリコちゃんと主将の日向くんも、ありがいたいこと口添えくれたおかげだ。しかし実際は、引率という肩書きではあるものの、主な仕事は臨時マネージャー。
海合宿同様、山合宿でも安い民宿を借りてその調理場を借りて、食事は自炊となっている。
食材は民宿からのご厚意で安く売ってもらえるみたいなので、買い出しの手間が省けるのは助かった。
山周辺の川辺でバーベキューをやる人たちもこのシーズンは結構いるらしく、食材の販売もしているようだ。
主な仕事は炊事。みんなの食事を一人で作るので結構な体力がいる。それに加えて洗濯。
こちらも民宿内のコインランドリーで行うが、タオル類や頼まれたTシャツ等の洗濯のみ。
あくまで部活で必要になるものだけなので、洗濯は、炊事のついで、程度の仕事量しかないはずだ。
メインは炊事の方。
料理は普通レベルで出来る程度だと告げた時に、部員達に「女神よ!」と泣きつかれた。普通、でいいんだろうか?と思ったらリコちゃんは料理が苦手らしくて山合宿での食事はまぁまぁ適度に…美味しくなかったらしい。
美味しくない原因はサプリメント類を料理に混ぜ込んでいるからだとわかり、部員らが止めても、リコちゃんは「つい、クセで…」と3食に1度は混ぜ込んでしまうみたいなのだ。3回に1回のロシアンルーレットに冷や冷やしたものだと日向くんはしみじみ語っていた。
「普通レベルでいいなら作るけど…」
「「「「是非お願いしますッッ!!!」」」」
すごい勢いでみんなに泣きつかれたのはつい先日のこと。会話が鮮明に思い出される。
そういえば、勢い余って私の両手を握ってきた小金井くんを横からグイッと黒子くんが押しのけていたなぁ。
桃井さんが黒子くんに触ったり抱きついたりするのを私が嫌だなと感じるのと同じで、黒子くんも私が他の人に触られるのは嫌なのかなと思うとちょっと照れくさいけど、嬉しい。しかも、手だけで…。
小金井くんがうっかり私に抱きつくようなことがあったら彼の頭には黒子くんからのイグナイトパスが飛んできそうだなぁなんて想像すると、私はふっと笑いが漏れた。
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「マネージャー料理上手いじゃん!」
「うめぇー!」
初日の夕飯は無難にカレーライスにしてみたら、思いの外喜んでもらえた。カレーだから誰が作っても同じだと思うんだけど、みんな私に気を遣っているのか、口々に美味しいと言ってくれた。喜んでもらえて作った甲斐があった。
安心するのも束の間、明日の献立も考えておかないと…。
「火神くんが作ったらもっと美味しかったかもよ?」
向かいの席で3杯目のおかわりをガツガツ食べている彼に話しかけると、「そうスか?」とお米を頬張ったまま返事をされた。
一人暮らしが長い上に料理センスもあるらしい火神くんの手料理、今度参考までに食べてみたいなぁ。
食事の時に、リコちゃんからもお礼を言われた。海合宿ではリコちゃんが炊事係だったのだが、その時間を練習メニューを考えたり、データを分析したりする時間にあてられると喜んでいた。それは本当に何よりだ。
………。
ドサリ、と布団に倒れ込んで1日目がようやく終了。
部屋といえば、リコちゃんと同じ部屋になる予定だったのだが、民宿の手違いでお互い一人部屋となってしまったようだ。
男の子たちは大人数で雑魚寝の大部屋だというのに…手違いとはいえ贅沢な扱いで申し訳ない気持ちだ。
寝間着用にと持ってくるはずだったTシャツやハーフパンツを忘れてしまったせいで、私の寝間着は民宿から借りた浴衣。
寝ている間にどうせ着崩れるんだろうなと思い、気にすることなくそのままもぞもぞとうつ伏せから仰向けになる。
つ、疲れたぁ…。
長いため息を吐いて目を閉じると今日のことが回想されていく。
もともと体力はない方だと思っていたけど、改めて体力がないのだと自覚した。疲れが体をドッと襲う。
何というか――5日間、休む暇もない。
夕飯後はうとうとしつつ料理本とか見て、明日の献立やバランスのよい食事を考えてみたり。
起きたらすぐに朝食の準備、タオルやドリンクの準備、みんなが体育館へ行ったら朝食の片づけと洗濯、昼食準備、夕食準備…と、1日を通してほぼ炊事と洗濯で終わる。朝食準備と各食事の後片付けはみんなも手伝ってくれるのだけど、昼と夜の食事の支度はほぼ一人だ。助っ人として合宿に来ているのだから当たり前なんだけども、よく食べる男子達のごはんを毎回となると鍋も大きいし材料を切る量もなかなか多くて予想以上に大変だった。
自由な時間があるとしたら、夕食後のほんの2時間程度だ。くたくたになって日付が変わる前には眠くなってしまうし…確かにこれは…地獄の合宿だぁ。
一日中、みっちり。私自身が練習をしているわけじゃないのに何をくたくたになっているのか、恥ずかしくて誰にも言えない。
みんなは私以上に汗だくで頑張って、体がくたくたなんだろなぁ。
リコちゃんから聞いた話だと、日向くんは夕飯の食休み後に走り込みに行ってるらしい。
それを聞いて声を出して驚いたけども、夕食後、自主練に励むメンバーも少なくないとか。
さすが現役高校生の運動部。そんでもってみんな努力家。尊敬しちゃうよ。
案の定、私と黒子くんが二人きりになれることもなく――、目まぐるしく時間が過ぎていった。
みんなもいるし、そんなチャンスがあったとしてもそれはスルーすべきチャンスだ。これは合宿なんだから。
最終日までしっかりみんなのサポート、頑張らなくちゃ!
たまには走り込みの練習に参加して、体力でもつけておくべきだったかな…。
後悔の念を抱えつつ、私は深い眠りに落ちていった。
………。
あと4日。あと3日。あと2日。
ラスト1日…。
毎晩眠りに落ちる前に、瞼の裏でカウントダウン。
□ □ □
駆け抜けた5日間――忙しさであっという間に過ぎていった。
最終日は夕飯は準備せず、歩いて1時間のスーパーで出来合のものを買ってきてちょっとしたお疲れ会みたいなのを開いた。
一年生組がダッシュ練ついでに買い行ってくれたので、往復1時間以内で帰って来れたようだ。
私も、作らずに済んだのでだいぶ楽させてもらっちゃった。
お風呂にゆっくり入った後、私は民宿内をふらふらと歩いていた。
いつもなら部屋へ直行して疲れのあまりすぐに眠っていたが、今日はちょっぴり余力があったので、気になっていたあの場所へいってみようと思い立ったのだ。
あの場所とは民宿の『縁側』だ。この安い民宿は新しくもなければ広くもないが、風情がある。木造のつくりも懐かしさと居心地の良さを感じさせた。
昼間は暑くてもここは自然に囲まれた民宿。空気も美味しいし湿気もないので、夜ならばあの場所は涼しく感じるだろう。
たどり着くと誰もいなかったので、私は縁側に腰掛けてジュースを飲みながらぼんやりと合宿中のことを回想していた。
思い返しつつ、うとうとしていたら、それから間もなく私の頭上から声がかかる。
「琴音さん、ここにいたんですか」
「あ、見つかっちゃった」
へへ、と笑うと黒子くんも小さく笑って「見つけました」と私の隣に座った。
首からタオルをかけていたので、黒子くんもお風呂の後にそのまま縁側にやってきたようだ。
「うん。今日は合宿最後の夜だし、のんびりしてみようかなって思って。ここ、いい場所だね」
「湿気もない分、涼しいですよね。もっと早く来てればよかったです」
「今日が最終日だもんね。…合宿、おつかれさまでした」
「はい、琴音さんも、おつかれさまです」
あっという間に終わったというべきか、ようやく終わったというべきか…。
とにかく誰も怪我することもなく無事終われたのは本当によかった。
安堵の空気の中、じわじわと自覚していく。合宿期間ではじめて、今、二人きりだ――黒子くんも同じことを思ったかなぁ。
横目で彼を見ると同時に、黒子くんは私の肩へ頭を寄せてもたれ掛かってきた。
心臓が驚いて声が出そうになったが、私はぐっと堪えた。
「少しだけ…」
目を閉じている黒子くんの睫が長くて、私は見入ってしまった。濡れた髪から良い香りがする。
「く、黒子くん…誰かに見られたら…」
「少しだけこのままで」
「でも…」
「誰かに見られたら見られたらで、僕は構いません」
目を閉じたまま彼は続けた。気が付いたら、縁側に置いた私の手は黒子くんの手に覆われていた。
お風呂にゆっくり浸かってきたのかな。お互いの手が、ぽかぽかしていた。
口調は穏やかだけれども、ハッキリと言いきる黒子くんに、私は黙ってしまった。
黒子くんと付き合っていることを誰かに知られたら、何だか部に居づらくなってしまうような気がしていた。
無意識に黒子くんを贔屓しているように見えてしまうかもしれないし、それが不愉快だと感じる人もいるかもしれない。
バスケ部を手伝いたいのは本当の気持ちだけど、部員の1人とつき合っていることが何かの妨げになるような可能性が少しでもあるのなら、隠しておきたいのだ。
黙っている私に対して彼もしばらく沈黙で返し、頭は私の肩から離れようとはしない。
この沈黙…まるで心を読まれているようだ。触れてる部分から私の考えが、全て伝わってしまっているんだろうか。
しばらくして黒子くんは自分からもたれかかるのをやめ、顔を上げて、ジッとこちらを見つめてきた。真剣な眼差しで。
「仮に、僕とつき合っていることをみんなが知ったとしても、あなたをマネージャーとして否定する人は誰もいないと思います。僕は、あなたがマネージャーでよかった。みんなも琴音さんから元気をもらっています。僕たちの支えになってくれて感謝しかありません。だから、もっと自分を認めてあげて下さい。もっと自分に自信を持って下さい」
心の中を見透かされていた。その上で黒子くんは一番欲しい言葉を私に真っ直ぐ伝えてくる。
それの意味を理解した直後、私からは言葉が喉に支えて出てこなかった。出てきたと思ったらこの一言。
「黒子くん、過大評価し過ぎだよ」
――なんだろう。胸が詰まる。
評価されたくて頑張ったんじゃない。ここにいるキッカケだって、バスケ部の顧問のおじいちゃんが私を誘ってくれたから。
自信とかそんなのないし、臨時マネージャーだってちゃんとできてるのか分からない。誰でもできるようなちょっとしたことを、手探りのまま手伝ってるって感じなんだ。だから、マネージャーでよかったとか、言ってもらえるなんて。
…私にはもったいない言葉、嬉しくて、どうしたらいいか分からない。
頷くのも忘れて、言葉の意味を理解した私の目に熱い水がたまっていった。私は涙を誤魔化すために瞬きをして顔をそむけた。
嬉しくて泣くなんて久しぶりだ。いつ以来かとかも覚えてないぐらいに久々で、私は指で目尻を少し拭うと黒子くんに向き直った。笑顔を向けると黒子くんの表情が一瞬固まった。泣いたり笑ったり忙しい人だなって思われてるのかな。
「でも、ありがとう」
素直な気持ちがそのまま声に出てきたことに自分らしくないと感じながらも、とても満たされた気分だ。
不意に空を仰げば満天の星空が輝いていて、感嘆も夏の夜空に吸い込まれていく。どこまでも広い。
さすが、自然に囲まれた民宿。ビル1つなくて空が高い。こんなに星が近くで見れるなんて、いい場所だなぁ。
しばらく空を眺めていても、すぐ横から絶えず視線を感じていた。黒子くん、つられて星空を見ることもなくジッと私を見ていたようだ。
「どうしたの?黒子くん」
顔を覗き込んでも黒子くんは微動だにしなかった。
「……琴音さんはとことん、自分の魅力には疎いですね」
彼のぼそりと呟いた台詞が聞こえずらく、私が聞き返すよりも早く黒子くんは顔の距離をぐっと縮めてきた。素早かった。
キスをされるのかと思って体が強ばる――しかし、そうではなかった。
私の唇は素通りされ、黒子くんはそのまま顔の角度を傾けて私の首もとに鼻先をくっつけた。
黒子くんが私に抱きついているかのような体勢になり、私は慌てて押し戻そうとするも、グッと腕を掴まれて身動きがとらせてもらえない。
先ほど、私を嬉し泣きさせたと思ったら今度は、ち、ちからわざですか…?
「誰か来ちゃうよ?」
「僕は誰かに見られたほうが都合がいいです。それより今、何か期待しましたか?」
「…もう、わかってて言ってる?」
首に黒子くんの息がかかり、せっかく涼んでいるというのに、お風呂に上せてるみたいに顔が熱くなった。
水色の、キレイな濡れた髪の毛が頬にあたってくすぐったい。黒子くんのやわらかい耳も、頬を掠めた。
これを誰かに見られたらもう言い訳もできないかもしれない。
――『仮に、僕とつき合っていることをみんなが知ったとしても、あなたをマネージャーとして否定する人は誰もいないと思います。』――鵜呑みにしたわけじゃないが、先ほどの黒子くんの台詞が頭を過ぎって、私は押し戻そうとして彼の肩に添えていた手を離した。急におとなしくなった私に気づくと、黒子くんが小さく笑った。首もとに彼の息がかかって背筋がぞわりと粟立つ。
「浴衣、色っぽいですね」
力無く笑って見せたが、直後それは小さな悲鳴に変わった。
彼の唇のやわらかくてあったかい感触が、首にピタリとくっついた。
「きゃ!」
黒子くんは私の首もとやうなじに唇を寄せていく。時折、唇から音を立てて。
ちゅ、ちゅ、と唇の遠慮のない音に、私の顔が紅潮するのは3秒で事足りた。
「きゃ、ま、待って待って待って」
「待てません。この5日間、近くにいるのに全然触れなかったので」
「でもここ合宿所だし!」
「…わかりました」
「って言いながらやめてないし…!」
慌てて手で押し戻して彼と距離をとろうとするも、黒子くんは懲りもせず遠慮なく私の首筋に唇を寄せてきた。
あげくに「せっけんのにおいがします」と恥ずかしげもなく言う。もしかして私を困らせたいだけなのかなぁ?
慌てて押し返そうにも、今度は両手首を掴まれていよいよ身動きができなくなったと思った時、私達二人を大きな影が覆った。
黒子くんもそれに気づいてピタリと動きが止まる。頭上を見ると、…怪訝な顔をしている火神くんがそこにいた。
み、見られた…!
呆然としている私たち二人に火神くんは「何してんスか」と声をかけた。
それを合図に私はわずかに黒子くんから離れて距離をとることに成功した。黒子くんの表情を見ると『邪魔が入った』とばかりに不機嫌そうだ。
誰か来てくれたほうが都合がいいと言っていたのは自分なのに。いざ第三者が来るとこの様子だ。
「テメーも何してんだっ!」
怒鳴りつつ黒子くんの頭を軽くはたく火神くんは、赤面している私と目を合わせずらそうにして視線を泳がせながらこう言った。
「監督からの伝言ッス。『イチャつくのもほどほどにして夜は花火やるからロビーに集合』…だってよ」
それを聞いた瞬間、赤面していた私の顔からは赤みが急に引いていき、元の顔色に戻った。
火神くんの伝言を聞いてフリーズしたのだ。頭をかきながら、「じゃ、伝えたからな」と言って火神くんは去っていった。
ほんの1分に満たない出来事だったのにある推理と答えが頭の中を駆け巡る。
リコちゃんの伝言、火神くんの様子から推測するに、私と黒子くんの関係、もうみんなにバレてたんだ…。
あの火神くんさえ気づいてるということは他のメンバーも気づいていたに違いない。
「僕たちの関係に気づいてるのは監督だけかと思ってました」
「バレないようにしなくちゃ、なんて杞憂だったのね…」
顔を見合わせて、お互いクッと笑いはじめた。どうやらもう公認ということで、都合よく解釈させてもらったほうがよさそうだ。
でもやはり、TPOを考える必要はある。場所をわきまえて!と私は黒子くんの鼻をギュッとつまんだら、「はい」と元気のない返事が返ってきた。
お腹が空いてしょんぼりしている2号の姿と重なって、黒子くんのしょげる姿は何だか微笑ましかった。
合宿最後の夜に花火なんて楽しいイベント用意してくれてるなんてさすがリコちゃんだ。
手持ち花火も仕掛け花火もあるかなぁ。花火をやるのも久々すぎて、子供のように心が躍った。
立ちがってロビーへ向かうも、縁側を離れるのは名残惜しかった。あの縁側は心地よい不思議な場所。
黒子くんが嬉しい言葉をくれたから、自信を持って、胸を張って、この合宿が終われそうだ。
ロビーまでの廊下を並んで歩いたら、お互いの指先がちょん、と軽く触れ、黒子くんはすかさず私の手を握りしめる。
今度こそは離してもらえなそうだと直感で分かった。このままみんなの待ってるロビーに行ったらからかわれるよ?と心配すると、黒子くんはかぶりを振って薄く笑った。
「構いません。琴音さんが僕の彼女だってこと、みんなには改めて伝えしましょう」
「…うん、そうだね」
あまりにも堂々としている黒子くんに比べて、私は照れ隠しに俯くばかりだった。