黒子くんと大学生マネージャー
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アフターエピソード
正午が近付くにつれてジリジリと照り付ける太陽。遠くの景色が蜃気楼で揺らいだ。
夏休み真っ只中――私は、片手に日傘、片手には大量に買い込んだアイスを持ってなるべく日影を選んで歩いた。
今日は午前練だけとリコちゃんから聞いていたので、これといってお手伝いできることも少ないため、無理に来ることもなかったのだが…結局来てしまった。
リコちゃんからも『たまには休む日も必要ですから、ゆっくりしてくださいね!』って言われたのに自然と足が向かってしまったのだ。
クーラーの下で炭酸ジュースでも飲みながら一日ごろごろしていられる贅沢な休日は、確かにたまになら魅力的だが、バスケ部のみんなの練習している姿を想像したらそんな気分にはなれなかったのだ。
結局、前日夜更かしたわりには早起きしてしまい、おじいちゃんが育ててるゴーヤとかトマトに水をあげてから家を出た。
誰しも”休む日が必要”というのは事実だ。リコちゃんがせっかく気遣ってくれたので素直に受け取っておこう思う。
だから、今日は差し入れだけしたら家に帰ろうと決めた。
私って休日から朝から活動的に動くタイプだったっけ?――意味もなく胸中で呟きながら、日傘を傾けた。
バスケを好きになって、変わってきたのかな?
思えば自分は、今までこれといって打ち込めるものもなかったような気もする。
そんなことをぼんやり思いつつ歩いている間にも、日差しは益々強さを増していく。
アイスが溶けてしまわないか心配になり、私は足早に歩いた。
この暑い中、バスケ部は熱さがこもる体育館で練習だ。みんな、熱中症で倒れたりしていないだろうか。
校内に足を踏み入れると校舎と校舎の隙間からグラウンドが見える。日差しが照り付けるグラウンドでも他の運動部が練習していた。
この光景は懐かしい。高校三年の時に夏期講習で学校に来ていた際、目に入った光景だ。
母校で見たそれと重なった。たった一年前のことがもう懐かしいと思えるなんて、毎日が目まぐるしいせいだろうか。
何にせよ、行く場所があることも、やることがあることも、ありがたいことだ。
コンビニで買った差し入れのアイスを冷蔵庫に入れるのが先だと思い、みんながいる体育館には寄らずに真っ直ぐ部室に向かった。
部室のドアを開けると、鍵は空いたままどころか、窓も開けっぱなし扇風機もつけっぱなしになっていた。
個人ロッカーには鍵がついているものの、みんな無用心だなぁ…。クス、と笑いが漏れる。
新設校なだけあって誠凛バスケ部の部室設備は充実している。テレビもDVDデッキもあれば、小さな冷蔵庫もあるのだ。
そこにはリコちゃんがアイシング用に冷やしてる氷などが入っている。
とりあえず全員分のアイスが入る程度には空いてるスペースがあったので、私は並べて入れた。
普通の高校だとここまでの設備が各部室にはないだろう。何もかも新しいなぁと感心した。
「さて…、と」
差し入れも置いたし『冷蔵庫にアイスあるから食べてね』ってメモも残したし、帰ろうかなと思ったとき、ふと机にある部誌が目に入った。
書くのは主にリコちゃんと主将の日向くん、伊月くんなどの二年生たちだ。
改めて読んだことなかったなぁと思い、椅子に座っておもむろに部誌を開いた。
日々のこと、部員たちの様子、目標など、色んなことが書かれていた。
これとは別に選手ごとに分析したデータが載っているノートはリコちゃんが別で管理しているんだろう。
部誌も読んでみるとみんなの部活の様子が目に浮かんで面白い。
特に、自分が部活に行っていない日に何が起きたのかを読んで知るのは新鮮だ。かわいいかわいい2号が来た日のことも書いてあった。
『今日、新しい部員がやってきた☆』って書いてある。リコちゃんが書いたのかな。
私が来た日は何て書いてあるかな――と、過去の分まで辿っていたらあっという間に時間が経過していった。
30分程経過した頃、文字を目で追うごとに急激に瞼が重たくなった。
扇風機の風が髪を優しく揺らす。外は暑いのに部室は窓を少しあければ風通しもよく涼しい。
うとうとしはじめて全身を眠気が襲う。昨夜は夜更かししたのに今日珍しく早起きなんてしたもんだから、余計に眠い。
…差し入れだけ置いて帰るつもりだったのになぁ。
呟いたつもりが心の中でだけで、声には出ておらず、私はそのまま部誌を横に置いて机に突っ伏した。
耳の奥で、蝉の鳴き声と運動部のかけ声が遠のき、そして眠りに落ちていく。
――夢を見た。
蝉の鳴き声。ジリジリと照り付ける炎天下。
現実と変わらないシチュエーションに錯覚した。だがすぐそれは夢だと気づく。
私が小学生ぐらいに小さくなっていた。
片手にはアイスが入ったコンビに袋を手にぶら下げて歩いていている。
どこに向かっているのか、すぐ分かる。
住宅街の中の、この見慣れた道は、おじいちゃん家への道だ。
夏休みになると、家族でおじいちゃんちによく遊びに行っていた。
そして、近所の駄菓子屋へアイスを買い出しにいくのが決まって私の役目だった。
好きなアイスを選べるし、私はこの買い出し係が好きだった。
アイスが溶けちゃう前におじいちゃん家へ帰るのがミッションの1つ。自然と急ぎ足になる。
来た道を戻って、真っ直ぐ歩いて曲がり角を曲がると、小さな男の子が高い塀の前で飛び跳ねていた。
水色の髪の小さな少年。
塀の上には帽子。
その帽子に向かって懸命に手を伸ばしたり飛び跳ねたりしているが、届いていなかった。
風に飛ばされて帽子が塀の上に乗っかってしまったらしい。取ろうとしているけど、手が届かない。
この状況で分かることは一目瞭然だった。私は一応、本人の帽子か確認すると少年は首を縦に振った。
眉毛がハの字になって困っている表情だ。
「いまとってあげるね」
と、ひょいっと飛んで帽子をとった。少年は少し驚いた顔をしてジャンプした私を見ていた。
今度は風に飛ばされないように気をつけてね、と言うと少年は素直にお礼を言ってくれた。
「はい、ありがとうございます」
透き通るようなキレイな水色の髪。白くてやわらかそうな肌に、まん丸で大きな瞳。
素直で、かわいらしい少年だ。少年は帽子を取ろうして頑張っていたのか、汗がだらだらと顔を伝っていた。
たくさん買ってきたからどうぞ、とアイスを渡したら嬉しそうに受け取ってくれた。
あぁ、喜んでいる。よかった。
……っ
そこで突然、私は目の前が真っ暗になり暗闇にポツンと取り残された。闇の中で1人佇む。特に驚いたりはしない。
夢の中だという自覚があったからだ。しばらくジッとしていると白い一筋の光が顔を照らした。
細い光が遠くから差し込んでいる。それを辿っていけば出口で、きっと夢から覚めるんだろうということも夢の中なのに分かっていた。
不思議だ。不思議な夢。夢の中にいることが分かる夢なんて、滅多に見ない。
光に近づく度に心の中での自問自答が強くなっていった。
頭の片隅で考える。これは捏造?ただの夢?どうも見覚えのある小さな少年。
夢の中の私は現実の私以上に思考が冴えていた。
そして、1つの結論に辿り着く。これは現実に、いつかの夏にあった出来事だ。
この子を知っている?すごく近くにいる?誰かに似ている?
誰だったか――すごく大切に想ってくれていて、私もまた、彼を大切に想っている。
あの少年は、誰――?白い光は近づく度に膨らんでいって、ついに私の体全体を包み込んだ。
―――そうか、あの少年は、
□ □ □
午前練が終わってぞろぞろと部室に戻ると、先頭を歩いていた小金井先輩が部室のドアをあけた途端、立ち止まった。
すぐ後ろを歩いていた伊月先輩が小金井先輩にぶつかる。が、部室の中の様子に気づいた瞬間、伊月先輩は口元に人差し指をあてて「シーッ」と言った。
静かにしろ、ということでしょうか。何かあったのでしょうか…?
それを察して雑談していた人たちも含め、全員がピタリと黙った。
「マネージャーが中で寝てる。熟睡してるみたいだから静かに着替えるぞ」
――琴音さんが?
彼女の姿がなかったので、監督に聞いたら「今日は来ないかも」と言っていたので、来ないのかと。
だから、練習が終わったらメールを入れてみようかと思っていたところだった。
まさか来ていたなんて。そして部室でお昼寝しているなんて思いもよらなかった。
机の上には部誌も近くに置かれていた。読んでいるうちに眠たくなってしまったんだろうか。
僕たちは伊月先輩に言われた通り、なるべく静かに着替えはじめた。
途中で起きたりでもしたら、大変なことになるが、すうすうと寝息を立てているのですぐに起きることはなさそうだ。
突っ伏している顔もほんの少し横を向いて寝顔が見えている状態だ。
早速着替え終えた小金井先輩が何かに気づいて琴音さんに近づくと、小さなメモを高くあげた。
「差し入れアイスが冷蔵庫の中に入ってるってメモがッ!」
小声で、と言ったのに思わず差入れに喜んだ小金井先輩が大声を出し、その頭を後ろから主将がすかさずはたいた。
キャプテン、ナイスです。琴音さんは「うーん…」と唸ったが起きる様子はない。再びすうすうと寝息をたてて眠っている。
みんなは冷蔵庫のアイスに群がり小声ではしゃいでいる。どうやら色々な種類のアイスを差し入れで買ってきてくれたみたいだ。
キツイ練習の後に甘いものが食べれるなんてなんて、ご褒美気分です。ありがたいです。
早々に着替えて琴音さんの寝顔を見ていると、同じく着替え終えた他の部員たちもアイスを食べながら僕の後ろから覗き込んできた。
「差し入れ持ってきてくれるなんて嬉しいよな」
「はい」
「琴音さんほんと優しいよなぁ」
「はい」
「寝顔かわいいなぁ」
「はい」
「同級生でウチの学校だったなら毎日マネージャーとして会えるのになー」
「はい」
「…って何でさっきから黒子が返事してんだ?」
「いえ、なんとなく」
みんなが口々に言う言葉を本心で肯定しつつも、琴音さんから目が離せないのは、他の人たちが何かしないように見ているという意味もある。
実際、小金井先輩が琴音さんの頬をつつこうとしているのでさりげなく止めようとしたら、またしても日向先輩に阻止されていた。
キャプテン、またもやナイスです。
僕と琴音さんが恋人同士だということは他の部員達は秘密にしてある。
僕は公表してもいいのだけれど、『とりあえずまだ秘密にしておいた方がいいかな』と言われたので、彼女の意向を尊重することにした。
彼女は自分自身の魅力に気づいていないからそんなことを言ったのだろうと思う。年上なのに同じ目線で話してくれて、優しくて、一生懸命な彼女を好きになったのはもしかしたら僕だけだとは限らないかもしれないと思うと、本当は公言しておきたいのにと思った。
ただ、一人だけは公言するまでもなく気づいてる人物がいることが今日分かった。
「じゃ、黒子くんは鍵当番よろしくね!」
アイスを食べ終わると監督は僕一人に鍵を押しつけてみんなと一緒に部室を後にした。他の人に気づかれないように僕にウィンクをしたその意味は、僕と琴音さんの関係に気づいているというサインだろう。監督の女の勘はバスケ以外にも発動されていたんだと思うと、その洞察力は並でないなと驚いた。
一応、隠してるつもりではいたんですが…やはり監督の勘は侮れません。
二人きりになった部室が急に静かに感じた。
差し入れのアイスを食べながら向かいの椅子に腰掛けて、琴音さんの寝顔を見つめた。
規則正しく寝息をたてて、とても気持ちよさそうに眠っている。
長い睫。柔らかそうな頬。半開きの唇。至近距離でまじまじと見れるのは彼女が寝ているおかげだ。
いつもならきっとまじまじと見させてもらえないだろう。彼女は照れて、すぐに顔をそむけてしまうから。
アイスを食べ終えてもまだ起きない琴音さんをのんびりと見つめ続けて、ふと右手を伸ばして指を滑らせて頬撫でてみた。
あたたかな温度と、やわらかい感触が伝わる。寝ている人にいたずらしたくなる好奇心は膨らむばかり。
…僕も男です。
このまま起きないと、何かしでかしてしまいそうで――
「…うーん?」
琴音さんが声を出すと反射的に伸ばしていた右手を引っ込めた。ただ頬に触れていただけなのに悪いことをしているような気分になって、ドキ、と心臓が驚いた。目を固く瞑ってからゆっくり開いた彼女の瞳は、視点が定まらない様子で何度も眠たそうにまばたきを繰り返した。
「おはようございます。起きましたか?」
彷徨っていた視線が僕に定まると、琴音さんはようやく顔をあげて大きく深呼吸をした。
部室の壁にかかっている時計を見て、一瞬驚いた表情になるが、すぐさままた眠たそうな顔に戻った。
午前練は終わって、みんなそれぞれ帰っていったことを悟ったようだった。
「ごめん。私、寝ちゃったんだ…」
「はい。アイス、ごちそうさまでした」
「ホントは差し入れだけ置いて帰るつもりだったのになぁ。つい、うとうとして…」
「僕は琴音さんの寝顔が見れたので、うっかり寝てくれて都合がよかったです」
「またそんなこと言って…」
「本当ですよ?」
お互い顔を見て小さく笑った。ああ、この顔だ。
僕は彼女の笑った顔を見ると安心する。同じ風に思ってくれていればいいなと願った。
今日はもし琴音さんが部活に来なくても、僕から連絡を入れていただろう。
合宿で会えない時間が長く感じたせいか、その反動で会える時間があれば会いたいと願う気持ちがどんどん強くなってきている。
会いたがってばかりで、ただでさえ年下の僕が、彼女に子供のようだと思われていないか少しだけ心配だ。
このままゆっくりと話していたいのも山々だが、僕は部室の鍵を掴んで立ち上がった。
「ひとまずここから出ましょうか。鍵を職員室に返してきますね」
刹那、ヒュッと吹いた風が窓から入ってきて、視界を前髪が揺れて隠した時だった。
琴音さんはかき消えそうなほど小さい声で呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。
「あの帽子の少年は黒子くんだったんだね」
思わず動きをとめて琴音さんの方を見ると、彼女は笑顔になっていた。
聞き間違いでないならば、頷けばいいのに、あまりにも唐突だったので僕はすぐ返せなかった。肯定する返事の代わりに、ただ一度だけ頷いた。
まさかこのタイミングで告げられるなんて。
いつもは琴音さんを驚かせてばかりだが、今日は僕の方が驚いています。
もう一度椅子に座り直してまた彼女を真正面の位置から見つめると、彼女はとても嬉しそうだった。
「さっき夢に出てきたの。まん丸の青い瞳、帽子の少年。黒子くんだったんだね。前に一緒に帰ったとき、『アイスをおごってもらうのは2回目になりますね』って言った意味、やっと分かったよ。思い出すのが遅くなっちゃってごめんね」
――覚えていてくれた。
途端、胸の奥が熱くなり、息が詰まるほど嬉しい気持ちが体中を満たす。これは感激と呼ぶ以外に、ない。
ただでさえ影が薄いと言われているのに、琴音さんは僕を見落とすこともない。
あの頃、初めて出会った夏の日も、僕を見つけて助けてくれた。
彼女が覚えていなくてもいつか自分から話そうと思った反面、少し迷ったりもした。すぐに話すべきなのか?、と。
僕しか覚えていないなら、それは一方的な記憶だ。一方的な記憶というのはやはり寂しい。
でも彼女が、僕と初めて会った日を思い出してくれたから、あの記憶はもう一方的なものではないんだ。
あぁ、よかった、と救われた気持ちになった。一抹の寂しさが消えていく。
右手を伸ばし、正面にいる琴音さんの頬を手の平で包んだ。寝起きの体温で頬があたたかい。
「いえ。琴音さんが忘れたまま思い出さなくても、いつか自分から話そうと思っていました」
僕の手の方に顔を傾けて、琴音さんは気持ちようさそうに目を閉じた。彼女の頬を包む僕の右手に優しく左手が添えられた。
好きな人に、過去に出会っていたなんてそれだけでも嬉しいのに、僕も彼女のことを思い出してくれた。これは奇跡と呼べる確率だろう。
お互いが思い出した今、多くの言葉は必要なさそうだ。
だけどずっと伝えたかった一言、この一言だけ言おう。
ずっと伝えたかった。
「あなたが僕の初恋です」
遠くでセミの声も響いて、この二人の空間の心地よい静けさを際立たせた。
他に誰もいないのを良いことに、秘密の睦言を交わす恋人達の物語の中にいるようだ。
万が一、誰かが忘れ物をとりにきたらこの状況を説明しようがないなと頭の片隅で思ったが、そうしたら正直に言えばいい。
あえて公にもしないが、聞かれたとしたら隠すことなんて何もない。僕はこの人が好きだ。琴音さんが好きなんだ。
『初恋は実らない』なんてよく聞きますが、迷信でしたね――そう告げて微笑むと、琴音さんは照れたようにはにかんだ。
頬から伝わる彼女の体温が少しだけ熱いおかげで、これが夢じゃないって分かるんだ。
僕はこの目の前の人が、愛おしくて仕方ない。
互いの瞳の中に互いの姿が映りこんだのだから、もうしばらくはこうして見つめ合っていたい。
多くを語ることもなく、こうして、静かに。
職員室に鍵を返しに行くのは、もう少しだけ遅くなりそうだ。
正午が近付くにつれてジリジリと照り付ける太陽。遠くの景色が蜃気楼で揺らいだ。
夏休み真っ只中――私は、片手に日傘、片手には大量に買い込んだアイスを持ってなるべく日影を選んで歩いた。
今日は午前練だけとリコちゃんから聞いていたので、これといってお手伝いできることも少ないため、無理に来ることもなかったのだが…結局来てしまった。
リコちゃんからも『たまには休む日も必要ですから、ゆっくりしてくださいね!』って言われたのに自然と足が向かってしまったのだ。
クーラーの下で炭酸ジュースでも飲みながら一日ごろごろしていられる贅沢な休日は、確かにたまになら魅力的だが、バスケ部のみんなの練習している姿を想像したらそんな気分にはなれなかったのだ。
結局、前日夜更かしたわりには早起きしてしまい、おじいちゃんが育ててるゴーヤとかトマトに水をあげてから家を出た。
誰しも”休む日が必要”というのは事実だ。リコちゃんがせっかく気遣ってくれたので素直に受け取っておこう思う。
だから、今日は差し入れだけしたら家に帰ろうと決めた。
私って休日から朝から活動的に動くタイプだったっけ?――意味もなく胸中で呟きながら、日傘を傾けた。
バスケを好きになって、変わってきたのかな?
思えば自分は、今までこれといって打ち込めるものもなかったような気もする。
そんなことをぼんやり思いつつ歩いている間にも、日差しは益々強さを増していく。
アイスが溶けてしまわないか心配になり、私は足早に歩いた。
この暑い中、バスケ部は熱さがこもる体育館で練習だ。みんな、熱中症で倒れたりしていないだろうか。
校内に足を踏み入れると校舎と校舎の隙間からグラウンドが見える。日差しが照り付けるグラウンドでも他の運動部が練習していた。
この光景は懐かしい。高校三年の時に夏期講習で学校に来ていた際、目に入った光景だ。
母校で見たそれと重なった。たった一年前のことがもう懐かしいと思えるなんて、毎日が目まぐるしいせいだろうか。
何にせよ、行く場所があることも、やることがあることも、ありがたいことだ。
コンビニで買った差し入れのアイスを冷蔵庫に入れるのが先だと思い、みんながいる体育館には寄らずに真っ直ぐ部室に向かった。
部室のドアを開けると、鍵は空いたままどころか、窓も開けっぱなし扇風機もつけっぱなしになっていた。
個人ロッカーには鍵がついているものの、みんな無用心だなぁ…。クス、と笑いが漏れる。
新設校なだけあって誠凛バスケ部の部室設備は充実している。テレビもDVDデッキもあれば、小さな冷蔵庫もあるのだ。
そこにはリコちゃんがアイシング用に冷やしてる氷などが入っている。
とりあえず全員分のアイスが入る程度には空いてるスペースがあったので、私は並べて入れた。
普通の高校だとここまでの設備が各部室にはないだろう。何もかも新しいなぁと感心した。
「さて…、と」
差し入れも置いたし『冷蔵庫にアイスあるから食べてね』ってメモも残したし、帰ろうかなと思ったとき、ふと机にある部誌が目に入った。
書くのは主にリコちゃんと主将の日向くん、伊月くんなどの二年生たちだ。
改めて読んだことなかったなぁと思い、椅子に座っておもむろに部誌を開いた。
日々のこと、部員たちの様子、目標など、色んなことが書かれていた。
これとは別に選手ごとに分析したデータが載っているノートはリコちゃんが別で管理しているんだろう。
部誌も読んでみるとみんなの部活の様子が目に浮かんで面白い。
特に、自分が部活に行っていない日に何が起きたのかを読んで知るのは新鮮だ。かわいいかわいい2号が来た日のことも書いてあった。
『今日、新しい部員がやってきた☆』って書いてある。リコちゃんが書いたのかな。
私が来た日は何て書いてあるかな――と、過去の分まで辿っていたらあっという間に時間が経過していった。
30分程経過した頃、文字を目で追うごとに急激に瞼が重たくなった。
扇風機の風が髪を優しく揺らす。外は暑いのに部室は窓を少しあければ風通しもよく涼しい。
うとうとしはじめて全身を眠気が襲う。昨夜は夜更かししたのに今日珍しく早起きなんてしたもんだから、余計に眠い。
…差し入れだけ置いて帰るつもりだったのになぁ。
呟いたつもりが心の中でだけで、声には出ておらず、私はそのまま部誌を横に置いて机に突っ伏した。
耳の奥で、蝉の鳴き声と運動部のかけ声が遠のき、そして眠りに落ちていく。
――夢を見た。
蝉の鳴き声。ジリジリと照り付ける炎天下。
現実と変わらないシチュエーションに錯覚した。だがすぐそれは夢だと気づく。
私が小学生ぐらいに小さくなっていた。
片手にはアイスが入ったコンビに袋を手にぶら下げて歩いていている。
どこに向かっているのか、すぐ分かる。
住宅街の中の、この見慣れた道は、おじいちゃん家への道だ。
夏休みになると、家族でおじいちゃんちによく遊びに行っていた。
そして、近所の駄菓子屋へアイスを買い出しにいくのが決まって私の役目だった。
好きなアイスを選べるし、私はこの買い出し係が好きだった。
アイスが溶けちゃう前におじいちゃん家へ帰るのがミッションの1つ。自然と急ぎ足になる。
来た道を戻って、真っ直ぐ歩いて曲がり角を曲がると、小さな男の子が高い塀の前で飛び跳ねていた。
水色の髪の小さな少年。
塀の上には帽子。
その帽子に向かって懸命に手を伸ばしたり飛び跳ねたりしているが、届いていなかった。
風に飛ばされて帽子が塀の上に乗っかってしまったらしい。取ろうとしているけど、手が届かない。
この状況で分かることは一目瞭然だった。私は一応、本人の帽子か確認すると少年は首を縦に振った。
眉毛がハの字になって困っている表情だ。
「いまとってあげるね」
と、ひょいっと飛んで帽子をとった。少年は少し驚いた顔をしてジャンプした私を見ていた。
今度は風に飛ばされないように気をつけてね、と言うと少年は素直にお礼を言ってくれた。
「はい、ありがとうございます」
透き通るようなキレイな水色の髪。白くてやわらかそうな肌に、まん丸で大きな瞳。
素直で、かわいらしい少年だ。少年は帽子を取ろうして頑張っていたのか、汗がだらだらと顔を伝っていた。
たくさん買ってきたからどうぞ、とアイスを渡したら嬉しそうに受け取ってくれた。
あぁ、喜んでいる。よかった。
……っ
そこで突然、私は目の前が真っ暗になり暗闇にポツンと取り残された。闇の中で1人佇む。特に驚いたりはしない。
夢の中だという自覚があったからだ。しばらくジッとしていると白い一筋の光が顔を照らした。
細い光が遠くから差し込んでいる。それを辿っていけば出口で、きっと夢から覚めるんだろうということも夢の中なのに分かっていた。
不思議だ。不思議な夢。夢の中にいることが分かる夢なんて、滅多に見ない。
光に近づく度に心の中での自問自答が強くなっていった。
頭の片隅で考える。これは捏造?ただの夢?どうも見覚えのある小さな少年。
夢の中の私は現実の私以上に思考が冴えていた。
そして、1つの結論に辿り着く。これは現実に、いつかの夏にあった出来事だ。
この子を知っている?すごく近くにいる?誰かに似ている?
誰だったか――すごく大切に想ってくれていて、私もまた、彼を大切に想っている。
あの少年は、誰――?白い光は近づく度に膨らんでいって、ついに私の体全体を包み込んだ。
―――そうか、あの少年は、
□ □ □
午前練が終わってぞろぞろと部室に戻ると、先頭を歩いていた小金井先輩が部室のドアをあけた途端、立ち止まった。
すぐ後ろを歩いていた伊月先輩が小金井先輩にぶつかる。が、部室の中の様子に気づいた瞬間、伊月先輩は口元に人差し指をあてて「シーッ」と言った。
静かにしろ、ということでしょうか。何かあったのでしょうか…?
それを察して雑談していた人たちも含め、全員がピタリと黙った。
「マネージャーが中で寝てる。熟睡してるみたいだから静かに着替えるぞ」
――琴音さんが?
彼女の姿がなかったので、監督に聞いたら「今日は来ないかも」と言っていたので、来ないのかと。
だから、練習が終わったらメールを入れてみようかと思っていたところだった。
まさか来ていたなんて。そして部室でお昼寝しているなんて思いもよらなかった。
机の上には部誌も近くに置かれていた。読んでいるうちに眠たくなってしまったんだろうか。
僕たちは伊月先輩に言われた通り、なるべく静かに着替えはじめた。
途中で起きたりでもしたら、大変なことになるが、すうすうと寝息を立てているのですぐに起きることはなさそうだ。
突っ伏している顔もほんの少し横を向いて寝顔が見えている状態だ。
早速着替え終えた小金井先輩が何かに気づいて琴音さんに近づくと、小さなメモを高くあげた。
「差し入れアイスが冷蔵庫の中に入ってるってメモがッ!」
小声で、と言ったのに思わず差入れに喜んだ小金井先輩が大声を出し、その頭を後ろから主将がすかさずはたいた。
キャプテン、ナイスです。琴音さんは「うーん…」と唸ったが起きる様子はない。再びすうすうと寝息をたてて眠っている。
みんなは冷蔵庫のアイスに群がり小声ではしゃいでいる。どうやら色々な種類のアイスを差し入れで買ってきてくれたみたいだ。
キツイ練習の後に甘いものが食べれるなんてなんて、ご褒美気分です。ありがたいです。
早々に着替えて琴音さんの寝顔を見ていると、同じく着替え終えた他の部員たちもアイスを食べながら僕の後ろから覗き込んできた。
「差し入れ持ってきてくれるなんて嬉しいよな」
「はい」
「琴音さんほんと優しいよなぁ」
「はい」
「寝顔かわいいなぁ」
「はい」
「同級生でウチの学校だったなら毎日マネージャーとして会えるのになー」
「はい」
「…って何でさっきから黒子が返事してんだ?」
「いえ、なんとなく」
みんなが口々に言う言葉を本心で肯定しつつも、琴音さんから目が離せないのは、他の人たちが何かしないように見ているという意味もある。
実際、小金井先輩が琴音さんの頬をつつこうとしているのでさりげなく止めようとしたら、またしても日向先輩に阻止されていた。
キャプテン、またもやナイスです。
僕と琴音さんが恋人同士だということは他の部員達は秘密にしてある。
僕は公表してもいいのだけれど、『とりあえずまだ秘密にしておいた方がいいかな』と言われたので、彼女の意向を尊重することにした。
彼女は自分自身の魅力に気づいていないからそんなことを言ったのだろうと思う。年上なのに同じ目線で話してくれて、優しくて、一生懸命な彼女を好きになったのはもしかしたら僕だけだとは限らないかもしれないと思うと、本当は公言しておきたいのにと思った。
ただ、一人だけは公言するまでもなく気づいてる人物がいることが今日分かった。
「じゃ、黒子くんは鍵当番よろしくね!」
アイスを食べ終わると監督は僕一人に鍵を押しつけてみんなと一緒に部室を後にした。他の人に気づかれないように僕にウィンクをしたその意味は、僕と琴音さんの関係に気づいているというサインだろう。監督の女の勘はバスケ以外にも発動されていたんだと思うと、その洞察力は並でないなと驚いた。
一応、隠してるつもりではいたんですが…やはり監督の勘は侮れません。
二人きりになった部室が急に静かに感じた。
差し入れのアイスを食べながら向かいの椅子に腰掛けて、琴音さんの寝顔を見つめた。
規則正しく寝息をたてて、とても気持ちよさそうに眠っている。
長い睫。柔らかそうな頬。半開きの唇。至近距離でまじまじと見れるのは彼女が寝ているおかげだ。
いつもならきっとまじまじと見させてもらえないだろう。彼女は照れて、すぐに顔をそむけてしまうから。
アイスを食べ終えてもまだ起きない琴音さんをのんびりと見つめ続けて、ふと右手を伸ばして指を滑らせて頬撫でてみた。
あたたかな温度と、やわらかい感触が伝わる。寝ている人にいたずらしたくなる好奇心は膨らむばかり。
…僕も男です。
このまま起きないと、何かしでかしてしまいそうで――
「…うーん?」
琴音さんが声を出すと反射的に伸ばしていた右手を引っ込めた。ただ頬に触れていただけなのに悪いことをしているような気分になって、ドキ、と心臓が驚いた。目を固く瞑ってからゆっくり開いた彼女の瞳は、視点が定まらない様子で何度も眠たそうにまばたきを繰り返した。
「おはようございます。起きましたか?」
彷徨っていた視線が僕に定まると、琴音さんはようやく顔をあげて大きく深呼吸をした。
部室の壁にかかっている時計を見て、一瞬驚いた表情になるが、すぐさままた眠たそうな顔に戻った。
午前練は終わって、みんなそれぞれ帰っていったことを悟ったようだった。
「ごめん。私、寝ちゃったんだ…」
「はい。アイス、ごちそうさまでした」
「ホントは差し入れだけ置いて帰るつもりだったのになぁ。つい、うとうとして…」
「僕は琴音さんの寝顔が見れたので、うっかり寝てくれて都合がよかったです」
「またそんなこと言って…」
「本当ですよ?」
お互い顔を見て小さく笑った。ああ、この顔だ。
僕は彼女の笑った顔を見ると安心する。同じ風に思ってくれていればいいなと願った。
今日はもし琴音さんが部活に来なくても、僕から連絡を入れていただろう。
合宿で会えない時間が長く感じたせいか、その反動で会える時間があれば会いたいと願う気持ちがどんどん強くなってきている。
会いたがってばかりで、ただでさえ年下の僕が、彼女に子供のようだと思われていないか少しだけ心配だ。
このままゆっくりと話していたいのも山々だが、僕は部室の鍵を掴んで立ち上がった。
「ひとまずここから出ましょうか。鍵を職員室に返してきますね」
刹那、ヒュッと吹いた風が窓から入ってきて、視界を前髪が揺れて隠した時だった。
琴音さんはかき消えそうなほど小さい声で呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。
「あの帽子の少年は黒子くんだったんだね」
思わず動きをとめて琴音さんの方を見ると、彼女は笑顔になっていた。
聞き間違いでないならば、頷けばいいのに、あまりにも唐突だったので僕はすぐ返せなかった。肯定する返事の代わりに、ただ一度だけ頷いた。
まさかこのタイミングで告げられるなんて。
いつもは琴音さんを驚かせてばかりだが、今日は僕の方が驚いています。
もう一度椅子に座り直してまた彼女を真正面の位置から見つめると、彼女はとても嬉しそうだった。
「さっき夢に出てきたの。まん丸の青い瞳、帽子の少年。黒子くんだったんだね。前に一緒に帰ったとき、『アイスをおごってもらうのは2回目になりますね』って言った意味、やっと分かったよ。思い出すのが遅くなっちゃってごめんね」
――覚えていてくれた。
途端、胸の奥が熱くなり、息が詰まるほど嬉しい気持ちが体中を満たす。これは感激と呼ぶ以外に、ない。
ただでさえ影が薄いと言われているのに、琴音さんは僕を見落とすこともない。
あの頃、初めて出会った夏の日も、僕を見つけて助けてくれた。
彼女が覚えていなくてもいつか自分から話そうと思った反面、少し迷ったりもした。すぐに話すべきなのか?、と。
僕しか覚えていないなら、それは一方的な記憶だ。一方的な記憶というのはやはり寂しい。
でも彼女が、僕と初めて会った日を思い出してくれたから、あの記憶はもう一方的なものではないんだ。
あぁ、よかった、と救われた気持ちになった。一抹の寂しさが消えていく。
右手を伸ばし、正面にいる琴音さんの頬を手の平で包んだ。寝起きの体温で頬があたたかい。
「いえ。琴音さんが忘れたまま思い出さなくても、いつか自分から話そうと思っていました」
僕の手の方に顔を傾けて、琴音さんは気持ちようさそうに目を閉じた。彼女の頬を包む僕の右手に優しく左手が添えられた。
好きな人に、過去に出会っていたなんてそれだけでも嬉しいのに、僕も彼女のことを思い出してくれた。これは奇跡と呼べる確率だろう。
お互いが思い出した今、多くの言葉は必要なさそうだ。
だけどずっと伝えたかった一言、この一言だけ言おう。
ずっと伝えたかった。
「あなたが僕の初恋です」
遠くでセミの声も響いて、この二人の空間の心地よい静けさを際立たせた。
他に誰もいないのを良いことに、秘密の睦言を交わす恋人達の物語の中にいるようだ。
万が一、誰かが忘れ物をとりにきたらこの状況を説明しようがないなと頭の片隅で思ったが、そうしたら正直に言えばいい。
あえて公にもしないが、聞かれたとしたら隠すことなんて何もない。僕はこの人が好きだ。琴音さんが好きなんだ。
『初恋は実らない』なんてよく聞きますが、迷信でしたね――そう告げて微笑むと、琴音さんは照れたようにはにかんだ。
頬から伝わる彼女の体温が少しだけ熱いおかげで、これが夢じゃないって分かるんだ。
僕はこの目の前の人が、愛おしくて仕方ない。
互いの瞳の中に互いの姿が映りこんだのだから、もうしばらくはこうして見つめ合っていたい。
多くを語ることもなく、こうして、静かに。
職員室に鍵を返しに行くのは、もう少しだけ遅くなりそうだ。