黒子くんと大学生マネージャー
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ラブ・フルチャージ
決勝リーグで惜しくも敗退してインターハイへの出場を逃したけれど、まだこれで全て終わったわけじゃない。
バスケ部を創設した噂のエース木吉くんも戻ってきて、誠凛バスケ部はWCへ向けていつもの活気を取り戻していた。
桐皇との試合後、黒子くんの元気がなくて心配していたが、今はすっかりいつも通りの彼に戻っていた。
火神くんと何かあったみたいだけど…、詳しくは聞かなかったものの、今は普通に話したりしているってことは解決したみたいだ。
男の子同士だし、時々はぶつかることもあるのだろう。
誠凛バスケ部を見ていると、本当に仲間っていいなぁって憧れちゃう。
臨時のマネージャーとして手伝っているものの、学校外からきている私は公式試合だとベンチには座れない。
部外の者だと登録ができないからだ。結局、ベンチの後ろの客席で応援することしかできなかった。
思い出しても、もどかしかったなぁと思う。見守ったり、遠くからしか応援できないなんて。
もっと近くから声援を送りたかったし、もっと力になってあげたいと思うのに…。
自分が『臨時』のマネージャーだということをうっかり忘れてしまうぐらい、最近の私は真剣だ。
とはいえ、本来のメイン・大学生活を疎かにしないようには気をつけているし、お小遣いを稼ぐためにバイトもしている。
大学、バイト以外での時間はほとんどバスケ部だ。休みの日もなるべく都合をつけて、最近は手伝いにきている。
「臨時」どころか「常駐」になっているぐらい、相当入れ込んでしまっているなぁという自覚はあるが…。
幸い、今のところマネージャーの募集は相変わらずないようだけど、もしいつかマネージャーの入部があったら自分は去るしかないと思うと、寂しい。
だだっ広いキャンパス内にも響き渡る夏の音。
太陽の光が強くて思わず、ここには点々としか存在しない木陰を選んで歩いた。
今日も午後からもっと暑くなりそうだなぁと、私はぐっと背伸びをして歩き出した。
結局、最近の講義の時間も虚空を見つめては決勝リーグの映像が頭に浮かんで全然授業に集中できないでいた。
よほどインパクトのある試合だったのだ。目に焼き付いて離れない。しばらくは授業に集中できないことも、仕方ないなぁと内心で独り言ちた時、携帯が鳴った。
<期末テスト最終日なので今日は午前で終わりです。もしよかったら一緒にお昼を食べませんか?>
黒子くんからの、メール着信。思いがけないメールに顔がにんまりとなる。
そういえば、リコちゃんにも、期末テスト期間は部活も禁止なので金曜日まではなしになるという話を聞いていた。
そうか、今日がテスト最終日なんだ。黒子くんとも数日会っていないだけで長い間会っていないような錯覚を起こす。
それはお互いに早く会いたいと願っているからなのかも。
返事はもちろんOKし、歩きながらメールを返す。今日の講義が午前だけで本当にラッキーだった。
いつものMAJIバーガーで待ち合わせをした。向かう足が踊り出しそうだ。
常に気を張ってないと顔がニヤけて緩んでしまいそう。浮かれている自覚はある。
――あの日、保健室で二人は同じ気持ちを抱えているのだと互いに打ち明けた。
黒子くんから「好きです」と言ってくれたのだけど、私のがもっともっと好きだし、最初から好きですし、もう、一目惚れなんですけどって言いたかったのに、私は言えなかった。「…私も」と呟いて精一杯だった。
嬉しくて泣きそうになった私に、その後、黒子くんはハッキリと告げたのだ。
あのストレートすぎる台詞は今思い出しても顔が熱くなる。
『琴音さん。僕の彼女になってください』
私は首を縦に振ったら、黒子くんは安心したように笑った。
その表情にもドキドキして、あの日は一生分のドキドキが一気に訪れたのかと思った。それぐらい忘れられない記憶だ。
□ □ □
流行のBGMが流れている店内。お昼時ということもあり到着したらわりと混み合っていた。
ほとんど部活の帰りにしか来ていなかったので、昼に来るとよけいに混んでいるように感じた。
周囲を見渡すまでもなく、いつものお気に入りの席に座っている彼を見つけて私は手を振った。
「おまたせ」
「僕も少し前に来たところです。混んでいたので先に席をとっておきました」
「ありがとう。いつもの場所空いててよかったね」
ふふ、と笑うと黒子くんもつられて「はい」と返事をして小さく笑った。
ハンバーガーのセットにバニラシェイクを頼むという、狙ってもないのに同じメニューになってしまうところも何だか照れくさくて心地よい。
私も彼も、ここのバニラシェイクが好きなのだ。昼でも部活帰りでもここに寄るならば絶対に注文するメニューの1つ。
昼間にこうして黒子くんと向かい合って座っているのが何だか不思議な感覚だ。
ガラス窓から見える景色も、部活帰りだと夜の風景だからかなぁ。
夜は人通りがまちまちだが、お昼時なだけにたくさん人が歩いているのが見えた。
「テストどうだった?手応えあり?」
「僕はまあまあでした。でも、前の席で火神くんがうんうん唸ってました」
火神くん、あんまできなかったのかな…。頭を抱えてテスト用紙をに睨んでいるその姿が簡単に想像できる。
テストの話題を皮切りに、部活の話、大学の話、最近読んだ本の話、いつも下校の時にするような他愛ない話をたくさんした。
部活帰りよりも今日はゆっくり話せるから、何だか嬉しい。
慌てず、話したいこと、たくさん話してもいいんだ。付き合ってからここに二人で来るのは初めてだった。
あの日から決勝リーグに向けてハードな練習ばかりで寄る時間がなかったのと、私もバイト先が忙しくなり、なかなかMAJIバーガーによるタイミングが合わなかったのだ。
会えなかった日の分を取り戻すかのように、時間忘れてひとしきり話した後、バニラシェイクをすすったらと寂しげな音が聞こえてきた。
あ、もう中身がない。お店の時計を見ると入店してからもう1時間半以上も経過していたようだ。
どれだけ夢中でおしゃべりをしていたんだろうか。途中、シェイクを飲むのも忘れていたような気さえする。
そろそろ出ようか?と、席を立ち上がろうとしたら、黒子くんが私の手を掴んだ。
「待ってください。もう少しここにいませんか?あと30分だけ――」
ジッと大きくて澄んだ色をした瞳に見つめられて射すくめられたように一瞬動けなくなったけど、私はすぐ椅子に座りなおした。
それをみて安堵したように息をつくと、今度は黒子くんが席から立ち上がった。えっ、と不思議に思って見ていたら、そのまままたレジの方に何かを買いに行っていたようだった。数分後、もどってきたらトレイの上にはバニラシェイクが2つ。
「琴音さんの分も買ってきました。もう少しここにいたいのは僕のワガママなので、これは奢らせてください」
有無を言わないように黒子くんはトレーをテーブルにおいて先ほどと同じく私の向かい側の席に座った。
ありがとう、ごちそうさま、会釈して、素直に私は奢られることにした。次の機会に私も何か奢ることにしよう。
2個目のバニラシェイクも美味しい。どうして味に飽きないように美味しく作れるのか…秘密がありそうかも。
「あの、」
黒子くんが先ほどから何か言いたそうにしている。
先ほどからではなく、もしかしたらお店に入って、メニューを頼んだあたりからだろうか。
会話をしながらそんな雰囲気を感じ取っていたものの、特に聞き返せずいたので、今なら自分から言ってもらうチャンスかもしれない。
私は相槌はあえて打たずに、代わりに小さく小首をかしげた。黒子くんのその後に続く言葉に耳を傾けた。
「今までは部活帰りの寄り道だけだったからゆっくり話せる時間ってなかったですけど、今日はゆっくりできますね。彼女と一緒にバニラシェイクが飲めるなんて幸せです」
黒子くんは照れることもなく真っ直ぐと見つめてそう告げてきた。
こっちが恥ずかしくなってしまうような台詞だが、彼の視線が本音でしかないというのが伝わってきて、耳が熱くなった。
優しい眼差しで見つめられて、またあの感覚が襲う。射すくめられて動けなくなるような感覚。捕らわれて、逃れられない。
「黒子くん、改めて聞くのもおかしいけど…本当に私でよかったの?年上だし、こんなだし…」
後に続く言葉が出てこなくて口ごもる。そもそも私は自分に自信なんてないのだ。特別キレイでもスタイルがいいわけでもない。
私がもし男ならば、間違いなく例の…桃井さんを選ぶ。
彼女と自分を比較するとあまりにも劣っているところが多すぎて憂鬱になってしまうのであまり考えたくなかったが…。
照れ隠しとか、口を突いて出た台詞ではない。彼は私のことを好きだと言ってくれたが、『私でいいの?』というのは本心だ。
私が彼が好きで、彼もまた私が好きだというのは奇跡。天文学的確率。
黒子くんがこんな私を好きになったことは不思議に思う。
自嘲気味に笑うと、彼の右手が伸びてきて、手の平が頬を包んだ。ふわりと指先の温度が暖かい。
少しずつ自分自身の頬に熱が帯びていくのを感じる――。
「そんなことを言う琴音さんには、こうです」
すると指先だけ頬を上から下へなぞっていくと――つねられた。すごく優しい力で頬をつねられていた。
全然痛くないけれど、黒子くん的には意地悪しているつもりだろう。すごく手加減してくれてるようだ。
「僕は好きなのは琴音さんです。今更、嫌だと言っても離すつもりも、誰かに渡すつもりもないですから」
ふにふに、と私の頬を緩やかにつまみながら黒子くんは言う。私が自分を卑下したのが嫌だったのか、不機嫌な色が声に混ざっていた。
相変わらず、見かけによらず大胆で男らしいなぁと内心で驚いていた。
背も私より少し高い程度、色素の薄い髪色、色白の肌に、スカイブルーの瞳。
見つめ返したらまるで透明度の高い海の底にいるみたいな感覚。その奥底で、強い意志が見えた。
“離すつもりもない”、“渡すつもりもない”――なんて、私を舞い上がらせるには充分だ。
照れ隠しに小さく深呼吸をしたら、黒子くんの手が顔から離れた。
「…そんなこと言われたら私思い上がるよ?」
「少しは思い上がってください。僕は初めて彼女ができてこんなに舞い上がってるのに…」
「舞い上がってたの!?」
「気づきませんでしたか?」
数秒、間をおいた後、私はぷはっと吹き出して笑った。
彼は私が訝しげに小首をかしげた。表情から「?」マークが浮かんでいる。
だって、黒子くんはあまりにもいつも通り過ぎたから、舞い上がってるようになんてまったく見えないから。
浮かれるほど嬉しい気持ちなのは私だけじゃなかったんだと思うと同時に、安心した。
私だけじゃなかったんだ。浮かれているのも、不安な気持ちなのも。彼が先ほどの私と同じように、『僕なんか…』と卑下したならばやっぱり同じことを言っただろう。
もしかしたら私も、黒子くんの頬もつねっていたかもしれない。
何度も飲んだことがあるはずのバニラシェイクは、今日は特別美味しく感じた。
黒子くんがご馳走してくれたから?それとも、二人の関係が変わったから?目の前に黒子くんがいるから?
黒子くんが私を見つめてくれているから?――バニラシェイクが美味しくなる要因は、その全部だ。
□ □ □
MAJIバーガーを出た後は、図書館に行って涼みつつ本を探した。
図書委員の黒子くんは、委員会のミーティングで推薦する図書も探していたようだ。
その後は、今度は駅のショッピングモールの中にある、大きな本屋さんへ。黒子くんは読書が好きみたい。
最近は活字離れしていた私も彼に感化されて、1冊、推理物の小説を買ってみた。夏休みがはじまったら読もうかな。
黒子くんも数冊、お気に入りの作家の本を買って満足そうにしていた。
夕方になってから更に場所を移動して、ストリートバスケのコートにやって来た。
駅からは少し離れている分、ちょっとした穴場だ。幸い、今日も誰も使っていなかったので私たちは迷うことなくそこへ入った。
時々、黒子くんはここに寄って自主練習したり、火神くんと寄ることもあるみたい。
そういえば…一度だけ3人で来たことがあったのを思い出した。あの時は、3人でフリースロー対決をした。
ド素人の私はもちろん惨敗。シュートが苦手な黒子くんの結果も言わずもがなで…結局一人勝ちした火神くんの気分をよくさせてしまっただけだった。
うーん、思い出すとちょっと悔しいな。
「フリースロー対決しようか」
思い立ったように言うと、黒子くんは嫌がらずに頷いた。
お互い、きっとあの日3人でフリースロー対決した記憶が過ぎっているだろう。
私も黒子くんもシュート率は同じぐらいだった。私は運がよければ入る程度で、下手のままだ。
順番にフリースローラインからボールを放つ。腕をぐっとあげて、軽くジャンプ、手首のスナップをきかせてボールを放つも――、ガゴンッという悲しい音とともにボールはバウンドしてコートに転がった。
手順は教えられた通りなのに、うまく入らない。ムキになれば手に余計な力が入って命中率も下がってしまうのはわかっているけれど、打っても打っても外れると精神的に乱される。
はじめは、素人でも多少の距離感覚でどうにか1本ぐらいは入るものだと思っていたのだが、私は自分が思ってる以上に下手で、その日は1本も入らなかった。
これは地味に、落ち込むなぁ。
黒子くんは今日はすごく調子がいいみたいで、何と10本中5本も入れていた。半分も!
「今日は調子がいいみたいです」
と、まるで他人事のように言っていたが黒子くんは心なしか嬉しそうだ。
シュートの自主練、してるのかな、その成果がでたのかなと勝手に想像して、私は勝利した彼に拍手を送った。
夢中になっていたので、気が付けば夕方。真っ赤な夕日がビルの谷間から覗いて、コートを橙に染めた。
私も、彼も、ゴールポストも照らされて橙色。コートに影が長く伸びていた。
「また1本も入らないまま負けちゃった…。それにしても黒子くん、上達したね!」
悔しがるわけでもなく、私は声を出して笑った。
黒子くんと過ごせた時間が楽しかったという気持ちで満たされていた。
暑さも夕方になるとだいぶ和らぐ。
うーん、と手を組んで上に向けて、思い切り伸びをしてから、綺麗な夏の空を仰いだ。
汗ばんだ顔に、ひゅっと風が吹いて気持ちいい。
自然と汗も引いていく。
空を見上げていた顔を正面に戻した刹那、私の顔に黒い影がかかった。いつの間にか間合いをつめてきた黒子くんが目の前にいた…いや、これは目の前というか、距離がほぼ、ゼロに近い。
「フリースロー対決でお互いに賭けたものはありませんが…僕が勝ったので一方的に貰います」
―――え、?
呟くように言ったその言葉の意味を理解するより早く、影は近づいて私を覆い隠した。
声に出して驚く間もなく、黒子くんの形のいい薄い唇が、私の唇に、ほんの少しだけ触れて離れた。
柔らかい感触が夢のように、瞬きを1度している間に、終わった。それがキスだったとわかったのは、3秒後。
今度こそ目を見開いて驚くと、黒子くんは耳を赤くしていた。本気で照れている彼を見て私の顔もみるみる紅潮していく。
「…すいません、いきなり」
「び、びっくりしたぁ…」
照れているのを見られたくないからか、今度は私を強く抱きしめて黒子くんは私の肩に顔を埋めた。
照れ隠しというには大胆過ぎる行動。彼の耳が私の頬に当たって、熱い。
彼の熱が伝わって熱いのか、自分自身の顔が紅潮してるから熱いのか、どちらの熱なのか分からない。
熱い、けれど、離れてほしくない。離れなくていいよ、と心の中で思った。
――MAJIバーガーで話していた夏合宿のことが頭を過ぎる。
夏休みのはじめと終わりに、誠凛バスケ部では海と山で合宿を行うのだ。
私もできれば参加したかったのだが、バイト先で産休に入ってしまったスタッフがいるので、人員補充の準備ができる間ヘルプを頼まれているのだ。
お店のピンチなので仕方ない。いつもお世話になっている店長の頼みだったので、私は1週間の連勤を快く引き受けた。
それが最初の海合宿の時期と重なってしまったのだ。だから、合宿には行けない。
夏休みはもう来週から始まる。二人でゆっくり会える時間が合宿明けまでは今日ぐらいしかない。
お互いに、今日はそれを意識していた。だから、黒子くんは突然、…したんだろうか。
「合宿が終わるまでしばらく会えませんね」
「うん…、そうだね」
「寂しいです」
「私も、さみしいよ」
「琴音さん」
耳元で囁かれるように告げられ、体がビクッと強ばる。
「だから、ちょっとだけ充電させてください」
ギューッ…と、抱きしめる腕に力がこめられて、私は息を飲んだ。互いの胸がくっついていて、ドキドキと鳴る音も混ざり合う。
どちらの心音かも、もうどちらでもよかった。同じ速さなのは変わりない。
誰かに見られていたら恥ずかしい場面ではあるが、今や抱きしめられている状況で周囲を見渡す余裕なんてなかった。
ただ、夕空を見つめて黒子くんの言葉に耳を傾けるのでいっぱいいっぱいだ。
充電なんて、照れくさいことを言ってくれる。
黒子くんの素直に甘えてくるところ、これから付き合っていくうちにたくさん知りたい。
きっと黒子くんの魅力は未知数。まだ知らない彼の一面を、たくさん見たい。
まだ見ぬ未来に、心が踊りる。…こーゆーのを、舞い上がってるっていうのかなぁ。
しばらくして抱きしめていた彼の腕は名残惜しそうに、私の肩を触って離れていった。
お互い赤くなっていた顔も落ち着いていたが、心臓はスローペースで鼓動を胸の奥で主張させていた。
キスもされたし、抱きしめられたし、今日が終わるまでドキドキは止んでくれそうにないだろう。
「琴音さんに気持ちを伝えた日から、会えない時間が長く感じるようになりました。僕たちはついこの間までそんな関係ではなかったのに。今は琴音さんと会えない時間を寂しいと思わなかった僕を、思い出せません」
これ以上、熱を上げるような台詞が出てくると思わないタイミングでまた黒子くんがそんなことを言うものだから、私はとうとう顔を覆ってしゃがみこんだ。
すごい殺し文句だ。高校で教えてもくれないそんな殺し文句をいったいどこで覚えてきたの?って、言いたかったけど、もう声にもならなかった。
慌てて私の背中をさすって「どうかしましたか?」と言う彼は、確信犯なんだろうか、天然なんだろか。どちらにしても、私は同じ分だけ返せる言葉を持ち合わせていないが、彼の言う意味は分かっているつもりだ。
全身が幸せで痺れていく。満ち足りる。
泉が湧き出るように止めどなく、あったかい気持ちが溢れる。
「ダメ。照れくさくて顔を見せれない。立ち上がれない…」
私が顔を覆ったまま言うと、黒子くんがクッと喉を鳴らして笑った。
「それは困りましたね」
顔を覆う指の隙間からコートに転がるボールが視界に入る。夕日に照らされたボールの影も、コートに長く伸びる。
合宿から帰ってくる日まで指折り数えて、想いを馳せて、毎日を過ごそうと想う。
次会える日まで、どうか、お互いに充電切れ起こしませんように。
決勝リーグで惜しくも敗退してインターハイへの出場を逃したけれど、まだこれで全て終わったわけじゃない。
バスケ部を創設した噂のエース木吉くんも戻ってきて、誠凛バスケ部はWCへ向けていつもの活気を取り戻していた。
桐皇との試合後、黒子くんの元気がなくて心配していたが、今はすっかりいつも通りの彼に戻っていた。
火神くんと何かあったみたいだけど…、詳しくは聞かなかったものの、今は普通に話したりしているってことは解決したみたいだ。
男の子同士だし、時々はぶつかることもあるのだろう。
誠凛バスケ部を見ていると、本当に仲間っていいなぁって憧れちゃう。
臨時のマネージャーとして手伝っているものの、学校外からきている私は公式試合だとベンチには座れない。
部外の者だと登録ができないからだ。結局、ベンチの後ろの客席で応援することしかできなかった。
思い出しても、もどかしかったなぁと思う。見守ったり、遠くからしか応援できないなんて。
もっと近くから声援を送りたかったし、もっと力になってあげたいと思うのに…。
自分が『臨時』のマネージャーだということをうっかり忘れてしまうぐらい、最近の私は真剣だ。
とはいえ、本来のメイン・大学生活を疎かにしないようには気をつけているし、お小遣いを稼ぐためにバイトもしている。
大学、バイト以外での時間はほとんどバスケ部だ。休みの日もなるべく都合をつけて、最近は手伝いにきている。
「臨時」どころか「常駐」になっているぐらい、相当入れ込んでしまっているなぁという自覚はあるが…。
幸い、今のところマネージャーの募集は相変わらずないようだけど、もしいつかマネージャーの入部があったら自分は去るしかないと思うと、寂しい。
だだっ広いキャンパス内にも響き渡る夏の音。
太陽の光が強くて思わず、ここには点々としか存在しない木陰を選んで歩いた。
今日も午後からもっと暑くなりそうだなぁと、私はぐっと背伸びをして歩き出した。
結局、最近の講義の時間も虚空を見つめては決勝リーグの映像が頭に浮かんで全然授業に集中できないでいた。
よほどインパクトのある試合だったのだ。目に焼き付いて離れない。しばらくは授業に集中できないことも、仕方ないなぁと内心で独り言ちた時、携帯が鳴った。
<期末テスト最終日なので今日は午前で終わりです。もしよかったら一緒にお昼を食べませんか?>
黒子くんからの、メール着信。思いがけないメールに顔がにんまりとなる。
そういえば、リコちゃんにも、期末テスト期間は部活も禁止なので金曜日まではなしになるという話を聞いていた。
そうか、今日がテスト最終日なんだ。黒子くんとも数日会っていないだけで長い間会っていないような錯覚を起こす。
それはお互いに早く会いたいと願っているからなのかも。
返事はもちろんOKし、歩きながらメールを返す。今日の講義が午前だけで本当にラッキーだった。
いつものMAJIバーガーで待ち合わせをした。向かう足が踊り出しそうだ。
常に気を張ってないと顔がニヤけて緩んでしまいそう。浮かれている自覚はある。
――あの日、保健室で二人は同じ気持ちを抱えているのだと互いに打ち明けた。
黒子くんから「好きです」と言ってくれたのだけど、私のがもっともっと好きだし、最初から好きですし、もう、一目惚れなんですけどって言いたかったのに、私は言えなかった。「…私も」と呟いて精一杯だった。
嬉しくて泣きそうになった私に、その後、黒子くんはハッキリと告げたのだ。
あのストレートすぎる台詞は今思い出しても顔が熱くなる。
『琴音さん。僕の彼女になってください』
私は首を縦に振ったら、黒子くんは安心したように笑った。
その表情にもドキドキして、あの日は一生分のドキドキが一気に訪れたのかと思った。それぐらい忘れられない記憶だ。
□ □ □
流行のBGMが流れている店内。お昼時ということもあり到着したらわりと混み合っていた。
ほとんど部活の帰りにしか来ていなかったので、昼に来るとよけいに混んでいるように感じた。
周囲を見渡すまでもなく、いつものお気に入りの席に座っている彼を見つけて私は手を振った。
「おまたせ」
「僕も少し前に来たところです。混んでいたので先に席をとっておきました」
「ありがとう。いつもの場所空いててよかったね」
ふふ、と笑うと黒子くんもつられて「はい」と返事をして小さく笑った。
ハンバーガーのセットにバニラシェイクを頼むという、狙ってもないのに同じメニューになってしまうところも何だか照れくさくて心地よい。
私も彼も、ここのバニラシェイクが好きなのだ。昼でも部活帰りでもここに寄るならば絶対に注文するメニューの1つ。
昼間にこうして黒子くんと向かい合って座っているのが何だか不思議な感覚だ。
ガラス窓から見える景色も、部活帰りだと夜の風景だからかなぁ。
夜は人通りがまちまちだが、お昼時なだけにたくさん人が歩いているのが見えた。
「テストどうだった?手応えあり?」
「僕はまあまあでした。でも、前の席で火神くんがうんうん唸ってました」
火神くん、あんまできなかったのかな…。頭を抱えてテスト用紙をに睨んでいるその姿が簡単に想像できる。
テストの話題を皮切りに、部活の話、大学の話、最近読んだ本の話、いつも下校の時にするような他愛ない話をたくさんした。
部活帰りよりも今日はゆっくり話せるから、何だか嬉しい。
慌てず、話したいこと、たくさん話してもいいんだ。付き合ってからここに二人で来るのは初めてだった。
あの日から決勝リーグに向けてハードな練習ばかりで寄る時間がなかったのと、私もバイト先が忙しくなり、なかなかMAJIバーガーによるタイミングが合わなかったのだ。
会えなかった日の分を取り戻すかのように、時間忘れてひとしきり話した後、バニラシェイクをすすったらと寂しげな音が聞こえてきた。
あ、もう中身がない。お店の時計を見ると入店してからもう1時間半以上も経過していたようだ。
どれだけ夢中でおしゃべりをしていたんだろうか。途中、シェイクを飲むのも忘れていたような気さえする。
そろそろ出ようか?と、席を立ち上がろうとしたら、黒子くんが私の手を掴んだ。
「待ってください。もう少しここにいませんか?あと30分だけ――」
ジッと大きくて澄んだ色をした瞳に見つめられて射すくめられたように一瞬動けなくなったけど、私はすぐ椅子に座りなおした。
それをみて安堵したように息をつくと、今度は黒子くんが席から立ち上がった。えっ、と不思議に思って見ていたら、そのまままたレジの方に何かを買いに行っていたようだった。数分後、もどってきたらトレイの上にはバニラシェイクが2つ。
「琴音さんの分も買ってきました。もう少しここにいたいのは僕のワガママなので、これは奢らせてください」
有無を言わないように黒子くんはトレーをテーブルにおいて先ほどと同じく私の向かい側の席に座った。
ありがとう、ごちそうさま、会釈して、素直に私は奢られることにした。次の機会に私も何か奢ることにしよう。
2個目のバニラシェイクも美味しい。どうして味に飽きないように美味しく作れるのか…秘密がありそうかも。
「あの、」
黒子くんが先ほどから何か言いたそうにしている。
先ほどからではなく、もしかしたらお店に入って、メニューを頼んだあたりからだろうか。
会話をしながらそんな雰囲気を感じ取っていたものの、特に聞き返せずいたので、今なら自分から言ってもらうチャンスかもしれない。
私は相槌はあえて打たずに、代わりに小さく小首をかしげた。黒子くんのその後に続く言葉に耳を傾けた。
「今までは部活帰りの寄り道だけだったからゆっくり話せる時間ってなかったですけど、今日はゆっくりできますね。彼女と一緒にバニラシェイクが飲めるなんて幸せです」
黒子くんは照れることもなく真っ直ぐと見つめてそう告げてきた。
こっちが恥ずかしくなってしまうような台詞だが、彼の視線が本音でしかないというのが伝わってきて、耳が熱くなった。
優しい眼差しで見つめられて、またあの感覚が襲う。射すくめられて動けなくなるような感覚。捕らわれて、逃れられない。
「黒子くん、改めて聞くのもおかしいけど…本当に私でよかったの?年上だし、こんなだし…」
後に続く言葉が出てこなくて口ごもる。そもそも私は自分に自信なんてないのだ。特別キレイでもスタイルがいいわけでもない。
私がもし男ならば、間違いなく例の…桃井さんを選ぶ。
彼女と自分を比較するとあまりにも劣っているところが多すぎて憂鬱になってしまうのであまり考えたくなかったが…。
照れ隠しとか、口を突いて出た台詞ではない。彼は私のことを好きだと言ってくれたが、『私でいいの?』というのは本心だ。
私が彼が好きで、彼もまた私が好きだというのは奇跡。天文学的確率。
黒子くんがこんな私を好きになったことは不思議に思う。
自嘲気味に笑うと、彼の右手が伸びてきて、手の平が頬を包んだ。ふわりと指先の温度が暖かい。
少しずつ自分自身の頬に熱が帯びていくのを感じる――。
「そんなことを言う琴音さんには、こうです」
すると指先だけ頬を上から下へなぞっていくと――つねられた。すごく優しい力で頬をつねられていた。
全然痛くないけれど、黒子くん的には意地悪しているつもりだろう。すごく手加減してくれてるようだ。
「僕は好きなのは琴音さんです。今更、嫌だと言っても離すつもりも、誰かに渡すつもりもないですから」
ふにふに、と私の頬を緩やかにつまみながら黒子くんは言う。私が自分を卑下したのが嫌だったのか、不機嫌な色が声に混ざっていた。
相変わらず、見かけによらず大胆で男らしいなぁと内心で驚いていた。
背も私より少し高い程度、色素の薄い髪色、色白の肌に、スカイブルーの瞳。
見つめ返したらまるで透明度の高い海の底にいるみたいな感覚。その奥底で、強い意志が見えた。
“離すつもりもない”、“渡すつもりもない”――なんて、私を舞い上がらせるには充分だ。
照れ隠しに小さく深呼吸をしたら、黒子くんの手が顔から離れた。
「…そんなこと言われたら私思い上がるよ?」
「少しは思い上がってください。僕は初めて彼女ができてこんなに舞い上がってるのに…」
「舞い上がってたの!?」
「気づきませんでしたか?」
数秒、間をおいた後、私はぷはっと吹き出して笑った。
彼は私が訝しげに小首をかしげた。表情から「?」マークが浮かんでいる。
だって、黒子くんはあまりにもいつも通り過ぎたから、舞い上がってるようになんてまったく見えないから。
浮かれるほど嬉しい気持ちなのは私だけじゃなかったんだと思うと同時に、安心した。
私だけじゃなかったんだ。浮かれているのも、不安な気持ちなのも。彼が先ほどの私と同じように、『僕なんか…』と卑下したならばやっぱり同じことを言っただろう。
もしかしたら私も、黒子くんの頬もつねっていたかもしれない。
何度も飲んだことがあるはずのバニラシェイクは、今日は特別美味しく感じた。
黒子くんがご馳走してくれたから?それとも、二人の関係が変わったから?目の前に黒子くんがいるから?
黒子くんが私を見つめてくれているから?――バニラシェイクが美味しくなる要因は、その全部だ。
□ □ □
MAJIバーガーを出た後は、図書館に行って涼みつつ本を探した。
図書委員の黒子くんは、委員会のミーティングで推薦する図書も探していたようだ。
その後は、今度は駅のショッピングモールの中にある、大きな本屋さんへ。黒子くんは読書が好きみたい。
最近は活字離れしていた私も彼に感化されて、1冊、推理物の小説を買ってみた。夏休みがはじまったら読もうかな。
黒子くんも数冊、お気に入りの作家の本を買って満足そうにしていた。
夕方になってから更に場所を移動して、ストリートバスケのコートにやって来た。
駅からは少し離れている分、ちょっとした穴場だ。幸い、今日も誰も使っていなかったので私たちは迷うことなくそこへ入った。
時々、黒子くんはここに寄って自主練習したり、火神くんと寄ることもあるみたい。
そういえば…一度だけ3人で来たことがあったのを思い出した。あの時は、3人でフリースロー対決をした。
ド素人の私はもちろん惨敗。シュートが苦手な黒子くんの結果も言わずもがなで…結局一人勝ちした火神くんの気分をよくさせてしまっただけだった。
うーん、思い出すとちょっと悔しいな。
「フリースロー対決しようか」
思い立ったように言うと、黒子くんは嫌がらずに頷いた。
お互い、きっとあの日3人でフリースロー対決した記憶が過ぎっているだろう。
私も黒子くんもシュート率は同じぐらいだった。私は運がよければ入る程度で、下手のままだ。
順番にフリースローラインからボールを放つ。腕をぐっとあげて、軽くジャンプ、手首のスナップをきかせてボールを放つも――、ガゴンッという悲しい音とともにボールはバウンドしてコートに転がった。
手順は教えられた通りなのに、うまく入らない。ムキになれば手に余計な力が入って命中率も下がってしまうのはわかっているけれど、打っても打っても外れると精神的に乱される。
はじめは、素人でも多少の距離感覚でどうにか1本ぐらいは入るものだと思っていたのだが、私は自分が思ってる以上に下手で、その日は1本も入らなかった。
これは地味に、落ち込むなぁ。
黒子くんは今日はすごく調子がいいみたいで、何と10本中5本も入れていた。半分も!
「今日は調子がいいみたいです」
と、まるで他人事のように言っていたが黒子くんは心なしか嬉しそうだ。
シュートの自主練、してるのかな、その成果がでたのかなと勝手に想像して、私は勝利した彼に拍手を送った。
夢中になっていたので、気が付けば夕方。真っ赤な夕日がビルの谷間から覗いて、コートを橙に染めた。
私も、彼も、ゴールポストも照らされて橙色。コートに影が長く伸びていた。
「また1本も入らないまま負けちゃった…。それにしても黒子くん、上達したね!」
悔しがるわけでもなく、私は声を出して笑った。
黒子くんと過ごせた時間が楽しかったという気持ちで満たされていた。
暑さも夕方になるとだいぶ和らぐ。
うーん、と手を組んで上に向けて、思い切り伸びをしてから、綺麗な夏の空を仰いだ。
汗ばんだ顔に、ひゅっと風が吹いて気持ちいい。
自然と汗も引いていく。
空を見上げていた顔を正面に戻した刹那、私の顔に黒い影がかかった。いつの間にか間合いをつめてきた黒子くんが目の前にいた…いや、これは目の前というか、距離がほぼ、ゼロに近い。
「フリースロー対決でお互いに賭けたものはありませんが…僕が勝ったので一方的に貰います」
―――え、?
呟くように言ったその言葉の意味を理解するより早く、影は近づいて私を覆い隠した。
声に出して驚く間もなく、黒子くんの形のいい薄い唇が、私の唇に、ほんの少しだけ触れて離れた。
柔らかい感触が夢のように、瞬きを1度している間に、終わった。それがキスだったとわかったのは、3秒後。
今度こそ目を見開いて驚くと、黒子くんは耳を赤くしていた。本気で照れている彼を見て私の顔もみるみる紅潮していく。
「…すいません、いきなり」
「び、びっくりしたぁ…」
照れているのを見られたくないからか、今度は私を強く抱きしめて黒子くんは私の肩に顔を埋めた。
照れ隠しというには大胆過ぎる行動。彼の耳が私の頬に当たって、熱い。
彼の熱が伝わって熱いのか、自分自身の顔が紅潮してるから熱いのか、どちらの熱なのか分からない。
熱い、けれど、離れてほしくない。離れなくていいよ、と心の中で思った。
――MAJIバーガーで話していた夏合宿のことが頭を過ぎる。
夏休みのはじめと終わりに、誠凛バスケ部では海と山で合宿を行うのだ。
私もできれば参加したかったのだが、バイト先で産休に入ってしまったスタッフがいるので、人員補充の準備ができる間ヘルプを頼まれているのだ。
お店のピンチなので仕方ない。いつもお世話になっている店長の頼みだったので、私は1週間の連勤を快く引き受けた。
それが最初の海合宿の時期と重なってしまったのだ。だから、合宿には行けない。
夏休みはもう来週から始まる。二人でゆっくり会える時間が合宿明けまでは今日ぐらいしかない。
お互いに、今日はそれを意識していた。だから、黒子くんは突然、…したんだろうか。
「合宿が終わるまでしばらく会えませんね」
「うん…、そうだね」
「寂しいです」
「私も、さみしいよ」
「琴音さん」
耳元で囁かれるように告げられ、体がビクッと強ばる。
「だから、ちょっとだけ充電させてください」
ギューッ…と、抱きしめる腕に力がこめられて、私は息を飲んだ。互いの胸がくっついていて、ドキドキと鳴る音も混ざり合う。
どちらの心音かも、もうどちらでもよかった。同じ速さなのは変わりない。
誰かに見られていたら恥ずかしい場面ではあるが、今や抱きしめられている状況で周囲を見渡す余裕なんてなかった。
ただ、夕空を見つめて黒子くんの言葉に耳を傾けるのでいっぱいいっぱいだ。
充電なんて、照れくさいことを言ってくれる。
黒子くんの素直に甘えてくるところ、これから付き合っていくうちにたくさん知りたい。
きっと黒子くんの魅力は未知数。まだ知らない彼の一面を、たくさん見たい。
まだ見ぬ未来に、心が踊りる。…こーゆーのを、舞い上がってるっていうのかなぁ。
しばらくして抱きしめていた彼の腕は名残惜しそうに、私の肩を触って離れていった。
お互い赤くなっていた顔も落ち着いていたが、心臓はスローペースで鼓動を胸の奥で主張させていた。
キスもされたし、抱きしめられたし、今日が終わるまでドキドキは止んでくれそうにないだろう。
「琴音さんに気持ちを伝えた日から、会えない時間が長く感じるようになりました。僕たちはついこの間までそんな関係ではなかったのに。今は琴音さんと会えない時間を寂しいと思わなかった僕を、思い出せません」
これ以上、熱を上げるような台詞が出てくると思わないタイミングでまた黒子くんがそんなことを言うものだから、私はとうとう顔を覆ってしゃがみこんだ。
すごい殺し文句だ。高校で教えてもくれないそんな殺し文句をいったいどこで覚えてきたの?って、言いたかったけど、もう声にもならなかった。
慌てて私の背中をさすって「どうかしましたか?」と言う彼は、確信犯なんだろうか、天然なんだろか。どちらにしても、私は同じ分だけ返せる言葉を持ち合わせていないが、彼の言う意味は分かっているつもりだ。
全身が幸せで痺れていく。満ち足りる。
泉が湧き出るように止めどなく、あったかい気持ちが溢れる。
「ダメ。照れくさくて顔を見せれない。立ち上がれない…」
私が顔を覆ったまま言うと、黒子くんがクッと喉を鳴らして笑った。
「それは困りましたね」
顔を覆う指の隙間からコートに転がるボールが視界に入る。夕日に照らされたボールの影も、コートに長く伸びる。
合宿から帰ってくる日まで指折り数えて、想いを馳せて、毎日を過ごそうと想う。
次会える日まで、どうか、お互いに充電切れ起こしませんように。