黒子くんと大学生マネージャー
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カラーセッションランブル
7月初旬。雲一つない晴天、ようやく梅雨も明けて夏がやって来る。足取り軽く、待ち合わせ場所に向かって歩いていると、「だーれだっ!」と、背後で陽気な声。
聞き覚えのある声に私が振り向くより早く、突然、何者かの手で目を後ろから覆われて私は悲鳴をあげた。
「ギャーーーーッ!!」
「ぅわぁぁぁ?!」
互いの顔を見合わせて叫ぶその様を通りすがりの人も思わず立ち止まって見ていたに違いない。
女子大生らしからぬ断末魔のような悲鳴だったと自分でも思う。はしたなく大きく口を開けてワンブレス叫び終えると、私はようやく冷静になった。
目の前の男も私の叫び声に驚いて叫んでしまったようだった。
私の目を隠した犯人は慌てて手を離すと、パッと視界が明るくなった。
あぁ、驚かされるのには特に弱いから、心臓が止まるかと思った…。
後ろを振り向いたらそこには、私の視界が捉えた景色の中で一際輝く、イケメン。ビシッと私服姿も決まっていた。
「黄瀬くん…!?」
「女の子からあんな叫ばれ方したのは、はじめてっス…」
抵抗したようにハンズアップ、手の平を見せて黄瀬くんは口元を引きつらせたような笑い方で、どーもっス…と言った。
彼も私の叫び声にすごく驚いたのだろう。
ふと我に返る。ゾンビに襲われた女のような悲鳴を上げてしまったと思うと途端に恥ずかしくなり私は鞄を顔の前まで上げて隠した。
鞄の端っこから顔を覗かせて黄瀬くんを見つめんがら、ゴメンナサイと謝ると黄瀬くんは吹き出して笑った。
私の挙動不審っぷりが可笑しかったのだろうか。相変わらず笑いのツボなのか謎な青年だ。
二人して道の往来に立っているので変に目立つなぁと思ったけれど、場所云々ではなく黄瀬くんが目立つのだ。
私は道の端っこに寄ると彼もつられたように端っこに移動してきた。
「いやー、そんなに驚くとは思わなくて…」
悪気があったとしても、そんなに笑顔で許しを乞えばたいていの女性は許してくれるんだろなと思って私は息をついた。
――謎といえば。私と黄瀬くんの接点である。
バスケの強豪校・海常高校のバスケ部のエースにして、キセキの世代と呼ばれた逸材。
モデルもこなし女の子を魅了する、街ですれ違えば必ず振り返って見てしまうほどのイケメン。
黄瀬くんが誠凛に連絡もなしにやって来た日も、海常高校との練習試合の日も、私は大学の必須授業とバイトのヘルプで見に行くことができなかったのだ。
なので、知り合ったのはバスケ部経由でも黒子くん経由でもなく、直接である。
それはよくある話で、彼の落とした携帯を私が拾ったことが知り合ったキッカケだった。
道端に落ちていた携帯を拾った時にうっかり見てしまった待ち受け画面に5人ぐらいで写ったプリクラの画像。
その中に白いブレザーの制服を着ている黒子くん。一緒に写っているのは同級生の男の子達と桃井さん。
桃井さんは帝光中時代のバスケ部のマネージャーだった…この事から、何となく落とした携帯の持ち主は予想がついた。
今年の海常高校はキセキの世代・黄瀬涼太を獲得した――、なんてことは高校バスケ界では知らない人はいない。
そして携帯が落ちていた場所は、私の通う大学は海常高校のすぐ近くにある海常大学…ここまでくればもう一人しかいない。
よほど落とした携帯が気がかりだったのか、私がバスケ部まで携帯を届けた時に半泣きで喜んでいた青年、それが黄瀬くんだ。
待ち受け画面に映っていた黒子くんのことを聞くと、同じ中学でバスケ部でも仲が良かったことを聞いた。
私も、誠凛バスケ部を臨時マネージャーとして手伝っていることをその時に自己紹介がてら話したのだ。
会ったのも、話したのもその一度だけど、それが黄瀬くんと出会ったキッカケだ。
ただその時に「携帯届けてくれたお礼にお茶でも!」と誘われたけど「結構です」と断ったことが、彼の中で私を強く印象付けたのだろうか。
女の子にお茶の誘いを断られたのは初めてだと、彼は苦笑していた。しかし、あの一度の対話で顔を覚えられていたなんて思いもよらなかった。
はじめて会ったときの回想はさておき――黄瀬くんは突然、何かを察したようにニヤリと笑った。
「もしかしてこれから彼氏とデート?」
「そうだよ。待ち合せしてるの」
「てゆーか黒子っちと?」
「うん……ん?な、何で知ってるの!?」
やーっぱり!と黄瀬くんは予想が確信に変わったとばかりにガッツポーズをとった。
私はまだ黒子くんと付き合って間もないし、バスケ部のみんなにも今のところ内緒にしてることなのに――といっても勘のいいリコちゃんは気づいてそうだけど。
なのに、どうして、黄瀬くんが?
思わず顔が赤くなって何も言えずにいると、黄瀬くんは種明かしとばかりに自分の人差し指を口に当てた。
みんなには秘密にしてるの?と、小首を傾げて尋ねてくる彼に私はコクコクと首を縦に振った。
道の端っこに寄ってなるべく目立たないように話したかったけど、道行く女性たちの視線は度々、黄瀬くんを見て去っていった。
こんな立ち話してるところでさえファンに見られたら誤解を受けてしまう。
周囲が気になり始めてきょろきょろとしていると、黄瀬くんはカモフラージュとばかりに伊達眼鏡を鞄から取り出してかけた。
でもその伊達眼鏡意味ない!まったくそのでカモフラされない程にイケメンオーラが滲みでてしまっているどころか、イケメン眼鏡男子みたいになってしまって余計に目立ってしまっている。
「この前黒子っちに偶然会ったときに、何か機嫌がよさそうだったんで聞いてみたんスよ。そしたら黒子っち珍しく少し笑ったから、あんな黒子っちはじめて見たからよほど嬉しいことがあったのかなと思ったらまさかホントだったんスね」
――――――っ
鞄をドサリと落として私は黄瀬くんを硬直したように見つめた。しかし実際の焦点は彼の顔でなく虚空。頭がぼんやりとする。
落とした鞄も気にせず、ぽうっと熱くなっていく頬を両手で押さえた。じゅう、と顔から手に熱が移っていく。
“あんな黒子っちはじめて見たからよほど嬉しいことがあったのかな”…と、先程の黄瀬くんの台詞が耳の奥で何度もリフレインする。
嬉しそうにする黒子くんの笑った顔――、を、想像してしまった。彼を笑顔にさせたのは、私が彼女になったから、だろうか。
確信もなしに自惚れるほど馬鹿じゃないと思っていたが、今自惚れてるんだと自覚した。
「笑顔の原因はここに」
黄瀬くんはからかって私を指さした。
そして私の様子を見て全て悟ったかのように、ため息をつきながら私の鞄を拾って渡してくれた。
「なーんか羨ましいっスねぇ」
その声は少しだけ拗ねているように感じる。
不思議で仕方ない。こんな美形の生まれて羨むことなんてあるのだろか。女の子にも、困るほどモテているじゃないか。
そもそも私と黄瀬くんは会うのも今日で2回目なので彼については『キセキの世代で海常のエース』ってこと以外、彼の内面的なことはまったく知らないけれど。
バスケセンスも抜群で、彼が帝光中学時代、あっという間に一軍になっという話を黒子くんから聞いたことがある。
何が羨ましいと言うのだろう?
…もしや、黒子くんと付き合えることを羨ましがっているとか?
男の子同士だけど、黒子くんは綺麗だし黄瀬くんもイケメンだし、カップルとして並んで歩く姿を想像してみたら…ありと言えばありだけど!でも!
「黒子くんの彼女だってこと羨ましいだろうけど、私は黒子くんと別れるつもりはないよ!」
「…琴音先輩が大きな勘違いしてることだけは分かったっス」
「何で『先輩』呼び?」
「だって海常大学っスよね?じゃあ、先輩じゃないスか。オレも多分3年後にはその大学行くし」
失笑している黄瀬くんが、私のことを『先輩』と呼んだことと、名前を覚えていたことが意外過ぎて私は驚いた。
1度会っただけの人の名前なんていかにも忘れそうなタイプかなと…勝手に決めてつけていたが、そうではなかった。
有名人の彼も、話してみればごく普通の高校生だなぁと改めて思う。
黒子くんのお友達だから、尚更いい子に見えるのかもしれない。
ふと冷静になってみると周辺のざわめきが次第に大きくなって近づいてきていることに気が付いた。
背中に、悪寒が――走り、私は振り返ることができない。ドタドタと近づく足音。
私の断末魔のような叫びとうってかわって黄色い歓声。
黄瀬くんの顔が一瞬だけ「げっ!」となったが、本当にそれは一瞬で、すぐに元に戻った。
やはり道の端っこに寄って立ち話をしてるだけでも黄瀬くんは目立つので、とうとうファンに見つかってあっという間に囲まれた。
「黄瀬くーん!」「ファンなんです~!」「サインしてもらえますかー!?」
「はいはい、押さないで~順番っスよ~」
慣れた対応でファンにサインをしていく彼に、行き交う人の視線が集まる。
ここは素早く立ち去ったほうがいいかな、と私も一歩後ずさった。
今日は午前練の黒子くんと、午後からデート。
少し早めに家を出てきたので黄瀬くんと立ち話を終えた後でもまだ時間に余裕がある。
けれど、早めに待ち合わせ場所に向かってようかなと思った時、駆けつけてきたファンの一人に押されて私は後方へよろけた。
珍しく少しだけヒールの高いパンプスを履いてきたせいでバランスが崩れたのだ。
ぐらりと後ろに偏る重力になす術もなく――
「わぁっ!」
まさに転ぼうとしている時、黄瀬くんが私のマヌケ声に気づいて反射的に手を掴もうしたのだけれど届かず、そのまま尻餅をつくのを覚悟して目を閉じた。
この間ほんの2秒程度の出来事だっただろう。
ドタン!という音も、痛みもせず、目をあけると私を背後から抱き留めてくれた人が一人。
振り向くとそこには黒子くんがいた。
□ □ □
「琴音さん、大丈夫ですか?」
柔らかい声が頭上で聞こえて、私は驚きと安心が入り交じったような気持ちで胸がいっぱいになった。
ドキドキしつつ振り向くとそこには水色の髪の青年。私は黒子くんに向き直ると改めてお礼を告げた。
「うん、大丈夫。黒子くんが支えてくれたおかげで転ばずに済んだよ」
「琴音さんが無事でよかったです。今日は部活が早めに切り上げになったので待ち合わせ時間より早く来てしまいました」
目が合えば、お互いに顔が自然と頬が緩んだ。
午後練終わった後で疲れているはずのなのに、今日は来てくれて本当に嬉しい。
黒子くんを見ると心が一気に満たされていく幸せを感じる。何せ久々のデートだ。
心が踊らないはずがない。黒子くんも同じ風に感じてくれているといいなぁと思う。
今日の部活のことを聞いてる間に、ある程度ファンの対応をこなして解放された黄瀬くんが私たち二人の方へ近づいてきた。
「オレのファンが押しちゃったみたいでごめん、大丈夫っスか?!」
「うん、大丈夫。私もすごい邪魔な位置にいたから…。黒子くんのおかげで転ばずに済んだし気にしないでね」
私の言葉を聞いて黄瀬くんは安心した様子を見せた。
黒子くんに抱き留められたのを見ているので、「さすが黒子っち!」と黄瀬くんが言うと、「どうも」と黒子くんは素っ気なく返していた。
サインをもらったファン達も少し遠巻きからこちらを見ているので、私たちの会話は聞こえていないだろう。
黒子くんが来てくれたおかげで、黄瀬くんのファンにも私が誤解されることはなさそうなので安心だ。
…だが、この凍り付いたようなひんやりした空気は何だろう。
よく見ると、私の隣に居る彼からドス黒いオーラが滲みでていた。黒子くん、もしかして、お、怒ってる?!
こんな空気を醸し出す彼ははじめて見た。もちろん、その矛先は黄瀬くんに向けられていた。
これを無視できるほど鈍感でない黄瀬くんは、え?え?と落ち着かない様子で私と黒子くんを交互に見た。
「く、黒子っち~、オレ何かしたっスか?!」
「琴音さん、黄瀬くんに何かされませんでしたか?」
「って、黒子っちオレのことは無視!?ひどっ!」
悲しそうにしている黄瀬くんの姿を見ているとまるでしょんぼりしている犬のようだった。
黄瀬くんは完全スルーで私をジッと見つめてくる眼差しに、嘘はつけない。正直に答えないわけにはいかないだろう。
「後ろから近づかれて両手で目を隠されて『だ~れだ?』ってやられたよ。びっくりして叫んじゃった」
ビシリ。音がするならこんな感じだろう。
黒子くんは瞬きも忘れて固まった石のように数秒動かなくなる。
そして鈍いギミックのようにゆっくりと黄瀬くんの方に顔だけ向けると…その目はこちら側からは見えなかったが、黄瀬くん体を竦めて反射的に怯えていた。
恐怖で尻尾がぷるぷると震えている犬を想像した。
「……黄瀬くん、ちょっといいですか」
「黒子っち怖い!目ぇ怖い!瞳孔開いてるっスよ!!」
どんな目で見られているのか気になるけれど、しばらく黒子くんは何も言わずに黄瀬くんを凝視していたみたいだった。
半泣きで謝る彼にもはやモデルの影もない。黒子くんって滅多なことでは感情を表に出したりしない、というか、怒ったりもしなそうなので、これだけ相手に怒り向きだしで怒るというのは相当なのだろう。元チームメイトも怯えさせるほどに。
もうしないっス!と顔の前で手を合わせて謝罪する姿を見て、黒子くんはため息をつくとゆっくり私の方に向き直った。
綺麗な丸いブルーの大きな瞳は、私が知っている彼の目のままだ。瞳孔開いてる怒りの瞳も、ちょっとだけ見てみたかったなぁ。
「今日のところは許すとしましょうか」
黒子くんはため息をついて、仕方ないとばかりに肩を落としていた。
――と、大きなショッピングモールの壁に設置されている大きな仕掛け時計から音が鳴り始めた。
壁からかわいらしい小さなこびと達の人形がでてきて演奏をはじめるような動き。
仕掛け時計は1時間ごとに見れるのだ。この近辺で待ち合わせをしている人のほとんどが思わず視線をそちらに向ける。
時刻は昼の1時ちょうどを指していた。
ぼんやりと見入っていたのだが、突然、黄瀬くんの「あーーー!次の撮影時間!」という叫び声に驚いて、反射的に黒子くんの腕にしがみついた。
□ □ □
あの後すぐに黄瀬くんはダッシュで次の仕事現場に向かって走っていった。
長身で足も長く、颯爽と街を駆ける姿にやはり何人もの女子が見とれ、振り返り、目で追って見つめていた。
どうやら、仕事が1つ終えた後に私に遭遇し、立ち話をしている間に次の仕事のスタート時間をすっかり忘れていたようだ。
近場のスタジオをはしごするだけだと思って油断した、と本人は言っていた。
慌ただしい黄瀬くんを見送ってから、私たちは少し遅い昼食を摂るために店に入った。
MAJIバーガーも好きだけど、たまには違うお店がいいなと思い、以前から気になっていたオムライスが人気のお店にしてみた。
案の定、当たりのお店でふわふわたまごのオムライスはとっても美味しかった。
食後のドリンクを飲んでいるとき、黒子くんは黙っていた。
むしろ、食べているときも口数が今日は特に少ないしリアクションもいつもより薄いなと思っていたのだけれど…、どうやら違和感は気のせいではなかったようだ。
私が尋ねるより先に、黒子くんは飲みかけのグラスを置くと深いため息をついて話し始めた。
「僕は琴音さんの事となると、全然余裕がなくなるんです。琴音さんがもし今日をキッカケに黄瀬くんを好きになってしまったらと思うと―――」
黒子くんは視線を合わせようとはせず、グラスの中で揺れる氷を見つめていた。
「体育座りしたままの黄瀬くんを逆さまにバスケットゴールにシュートしたくなるほど悲しみが込み上げてきます…」
「そ、それはちょっと黄瀬くんが可哀想な感じに…」
少し沈黙した後に続いた言葉に耳を疑いつつも、私はすかさず動揺が滲み出たままツッコミを入れた。
泣きながらゴールにぶち込まれる黄瀬くんを思わず想像してしまったが、イケメンモデルが何と不憫な絵面だろうか…。
例えはさておき、それほど余裕がなく心配になっていたってことを伝えたいのだろう。
でも余裕がないのは私だって同じだ。
桃井さんが以前、黒子くんに抱きついたのを目の当たりにしたことがあるが、その時のショックは大きいもので泣けてきたほどだった。
「私だって同じだよ。黒子くんのことになると余裕なんて…」
「…本当ですか?」
「本当だよ?」
正直に気持ちを告げても、黒子くんの視線は私の方を見ることはなかった。自己嫌悪に陥ってる風にも見えた。
ランチタイムのピークを過ぎたからだろうか。ちょうど周囲に人がいない端っこの席に案内されたことで、私は不意に閃いた。
テーブルを挟んで向かい合って座っていたが、私はおもむろに立ち上がり黒子くんの隣の椅子に座った。
ひやりとした低体温から私の熱を伝染させるようにゆっくりと手を重ねてから、私は黒子くんの手を握った。
こっそりと、テーブルの下で。誰にも見えない、ここに知り合いがいるわけでもないのに、二人の関係が秘め事のように感じた。
黒子くんは一瞬、驚いてこちらを見てくれたが、今度は私が彼の方を恥ずかしくて見ることが出来ない。
「黒子くんが誰かに奪われないように、ずっとこうして手を繋いでいたいよ」
心の中でずっと思っていたことをやっと言えたので、照れつつもどこか安心している自分がいた。
私から恋をして、いつもドキドキさせられて、年上の余裕もゼロ。
本当に、黒子くんのことになると全然余裕がないのは私の方なんだよ。どうか気づいて欲しい。
告げて数秒、何も言わずにしばらく手を繋いだまま沈黙だけで時間が流れた。
さすがに何も言って貰えないと、気まずくてじわじわと羞恥心が襲ってくる。
その時、ギュッ、と強く手を握り返された。互いの手はすっかり温かくなっていた。
横目で見たらこちらを見ている黒子くんと目が至近距離で目があってしまうだろうか――。
一瞥すると、予想は外れ、黒子くんは再び俯いていた。薄い水色の髪、そこから覗く耳が真っ赤になって――なんと、黒子くんは珍しく思い切り照れていたのだ。
「黒子くんかわいい」
「男がかわいいと言われても、微妙です」
彼の純粋さに心がときめいて小さく笑うと、黒子くんもつられて微笑んだ表情が微かに見えた。
鼓膜の中に響く、湧き出る泉の音。これはきっと心に幸せが満ちる音だ。
日を重ねるごとに育っていくこの気持ちは花に似ている。しかしそれは枯れることのない花で。
太陽を浴びて、水を得て、上に伸びて大きく大きく育っていく。どうか、これからも大切に、育ちますように。
今日のデートはまだ、はじまったばかり――
さぁ、どこへ行ってどんな景色をキミと見ようか。
7月初旬。雲一つない晴天、ようやく梅雨も明けて夏がやって来る。足取り軽く、待ち合わせ場所に向かって歩いていると、「だーれだっ!」と、背後で陽気な声。
聞き覚えのある声に私が振り向くより早く、突然、何者かの手で目を後ろから覆われて私は悲鳴をあげた。
「ギャーーーーッ!!」
「ぅわぁぁぁ?!」
互いの顔を見合わせて叫ぶその様を通りすがりの人も思わず立ち止まって見ていたに違いない。
女子大生らしからぬ断末魔のような悲鳴だったと自分でも思う。はしたなく大きく口を開けてワンブレス叫び終えると、私はようやく冷静になった。
目の前の男も私の叫び声に驚いて叫んでしまったようだった。
私の目を隠した犯人は慌てて手を離すと、パッと視界が明るくなった。
あぁ、驚かされるのには特に弱いから、心臓が止まるかと思った…。
後ろを振り向いたらそこには、私の視界が捉えた景色の中で一際輝く、イケメン。ビシッと私服姿も決まっていた。
「黄瀬くん…!?」
「女の子からあんな叫ばれ方したのは、はじめてっス…」
抵抗したようにハンズアップ、手の平を見せて黄瀬くんは口元を引きつらせたような笑い方で、どーもっス…と言った。
彼も私の叫び声にすごく驚いたのだろう。
ふと我に返る。ゾンビに襲われた女のような悲鳴を上げてしまったと思うと途端に恥ずかしくなり私は鞄を顔の前まで上げて隠した。
鞄の端っこから顔を覗かせて黄瀬くんを見つめんがら、ゴメンナサイと謝ると黄瀬くんは吹き出して笑った。
私の挙動不審っぷりが可笑しかったのだろうか。相変わらず笑いのツボなのか謎な青年だ。
二人して道の往来に立っているので変に目立つなぁと思ったけれど、場所云々ではなく黄瀬くんが目立つのだ。
私は道の端っこに寄ると彼もつられたように端っこに移動してきた。
「いやー、そんなに驚くとは思わなくて…」
悪気があったとしても、そんなに笑顔で許しを乞えばたいていの女性は許してくれるんだろなと思って私は息をついた。
――謎といえば。私と黄瀬くんの接点である。
バスケの強豪校・海常高校のバスケ部のエースにして、キセキの世代と呼ばれた逸材。
モデルもこなし女の子を魅了する、街ですれ違えば必ず振り返って見てしまうほどのイケメン。
黄瀬くんが誠凛に連絡もなしにやって来た日も、海常高校との練習試合の日も、私は大学の必須授業とバイトのヘルプで見に行くことができなかったのだ。
なので、知り合ったのはバスケ部経由でも黒子くん経由でもなく、直接である。
それはよくある話で、彼の落とした携帯を私が拾ったことが知り合ったキッカケだった。
道端に落ちていた携帯を拾った時にうっかり見てしまった待ち受け画面に5人ぐらいで写ったプリクラの画像。
その中に白いブレザーの制服を着ている黒子くん。一緒に写っているのは同級生の男の子達と桃井さん。
桃井さんは帝光中時代のバスケ部のマネージャーだった…この事から、何となく落とした携帯の持ち主は予想がついた。
今年の海常高校はキセキの世代・黄瀬涼太を獲得した――、なんてことは高校バスケ界では知らない人はいない。
そして携帯が落ちていた場所は、私の通う大学は海常高校のすぐ近くにある海常大学…ここまでくればもう一人しかいない。
よほど落とした携帯が気がかりだったのか、私がバスケ部まで携帯を届けた時に半泣きで喜んでいた青年、それが黄瀬くんだ。
待ち受け画面に映っていた黒子くんのことを聞くと、同じ中学でバスケ部でも仲が良かったことを聞いた。
私も、誠凛バスケ部を臨時マネージャーとして手伝っていることをその時に自己紹介がてら話したのだ。
会ったのも、話したのもその一度だけど、それが黄瀬くんと出会ったキッカケだ。
ただその時に「携帯届けてくれたお礼にお茶でも!」と誘われたけど「結構です」と断ったことが、彼の中で私を強く印象付けたのだろうか。
女の子にお茶の誘いを断られたのは初めてだと、彼は苦笑していた。しかし、あの一度の対話で顔を覚えられていたなんて思いもよらなかった。
はじめて会ったときの回想はさておき――黄瀬くんは突然、何かを察したようにニヤリと笑った。
「もしかしてこれから彼氏とデート?」
「そうだよ。待ち合せしてるの」
「てゆーか黒子っちと?」
「うん……ん?な、何で知ってるの!?」
やーっぱり!と黄瀬くんは予想が確信に変わったとばかりにガッツポーズをとった。
私はまだ黒子くんと付き合って間もないし、バスケ部のみんなにも今のところ内緒にしてることなのに――といっても勘のいいリコちゃんは気づいてそうだけど。
なのに、どうして、黄瀬くんが?
思わず顔が赤くなって何も言えずにいると、黄瀬くんは種明かしとばかりに自分の人差し指を口に当てた。
みんなには秘密にしてるの?と、小首を傾げて尋ねてくる彼に私はコクコクと首を縦に振った。
道の端っこに寄ってなるべく目立たないように話したかったけど、道行く女性たちの視線は度々、黄瀬くんを見て去っていった。
こんな立ち話してるところでさえファンに見られたら誤解を受けてしまう。
周囲が気になり始めてきょろきょろとしていると、黄瀬くんはカモフラージュとばかりに伊達眼鏡を鞄から取り出してかけた。
でもその伊達眼鏡意味ない!まったくそのでカモフラされない程にイケメンオーラが滲みでてしまっているどころか、イケメン眼鏡男子みたいになってしまって余計に目立ってしまっている。
「この前黒子っちに偶然会ったときに、何か機嫌がよさそうだったんで聞いてみたんスよ。そしたら黒子っち珍しく少し笑ったから、あんな黒子っちはじめて見たからよほど嬉しいことがあったのかなと思ったらまさかホントだったんスね」
――――――っ
鞄をドサリと落として私は黄瀬くんを硬直したように見つめた。しかし実際の焦点は彼の顔でなく虚空。頭がぼんやりとする。
落とした鞄も気にせず、ぽうっと熱くなっていく頬を両手で押さえた。じゅう、と顔から手に熱が移っていく。
“あんな黒子っちはじめて見たからよほど嬉しいことがあったのかな”…と、先程の黄瀬くんの台詞が耳の奥で何度もリフレインする。
嬉しそうにする黒子くんの笑った顔――、を、想像してしまった。彼を笑顔にさせたのは、私が彼女になったから、だろうか。
確信もなしに自惚れるほど馬鹿じゃないと思っていたが、今自惚れてるんだと自覚した。
「笑顔の原因はここに」
黄瀬くんはからかって私を指さした。
そして私の様子を見て全て悟ったかのように、ため息をつきながら私の鞄を拾って渡してくれた。
「なーんか羨ましいっスねぇ」
その声は少しだけ拗ねているように感じる。
不思議で仕方ない。こんな美形の生まれて羨むことなんてあるのだろか。女の子にも、困るほどモテているじゃないか。
そもそも私と黄瀬くんは会うのも今日で2回目なので彼については『キセキの世代で海常のエース』ってこと以外、彼の内面的なことはまったく知らないけれど。
バスケセンスも抜群で、彼が帝光中学時代、あっという間に一軍になっという話を黒子くんから聞いたことがある。
何が羨ましいと言うのだろう?
…もしや、黒子くんと付き合えることを羨ましがっているとか?
男の子同士だけど、黒子くんは綺麗だし黄瀬くんもイケメンだし、カップルとして並んで歩く姿を想像してみたら…ありと言えばありだけど!でも!
「黒子くんの彼女だってこと羨ましいだろうけど、私は黒子くんと別れるつもりはないよ!」
「…琴音先輩が大きな勘違いしてることだけは分かったっス」
「何で『先輩』呼び?」
「だって海常大学っスよね?じゃあ、先輩じゃないスか。オレも多分3年後にはその大学行くし」
失笑している黄瀬くんが、私のことを『先輩』と呼んだことと、名前を覚えていたことが意外過ぎて私は驚いた。
1度会っただけの人の名前なんていかにも忘れそうなタイプかなと…勝手に決めてつけていたが、そうではなかった。
有名人の彼も、話してみればごく普通の高校生だなぁと改めて思う。
黒子くんのお友達だから、尚更いい子に見えるのかもしれない。
ふと冷静になってみると周辺のざわめきが次第に大きくなって近づいてきていることに気が付いた。
背中に、悪寒が――走り、私は振り返ることができない。ドタドタと近づく足音。
私の断末魔のような叫びとうってかわって黄色い歓声。
黄瀬くんの顔が一瞬だけ「げっ!」となったが、本当にそれは一瞬で、すぐに元に戻った。
やはり道の端っこに寄って立ち話をしてるだけでも黄瀬くんは目立つので、とうとうファンに見つかってあっという間に囲まれた。
「黄瀬くーん!」「ファンなんです~!」「サインしてもらえますかー!?」
「はいはい、押さないで~順番っスよ~」
慣れた対応でファンにサインをしていく彼に、行き交う人の視線が集まる。
ここは素早く立ち去ったほうがいいかな、と私も一歩後ずさった。
今日は午前練の黒子くんと、午後からデート。
少し早めに家を出てきたので黄瀬くんと立ち話を終えた後でもまだ時間に余裕がある。
けれど、早めに待ち合わせ場所に向かってようかなと思った時、駆けつけてきたファンの一人に押されて私は後方へよろけた。
珍しく少しだけヒールの高いパンプスを履いてきたせいでバランスが崩れたのだ。
ぐらりと後ろに偏る重力になす術もなく――
「わぁっ!」
まさに転ぼうとしている時、黄瀬くんが私のマヌケ声に気づいて反射的に手を掴もうしたのだけれど届かず、そのまま尻餅をつくのを覚悟して目を閉じた。
この間ほんの2秒程度の出来事だっただろう。
ドタン!という音も、痛みもせず、目をあけると私を背後から抱き留めてくれた人が一人。
振り向くとそこには黒子くんがいた。
□ □ □
「琴音さん、大丈夫ですか?」
柔らかい声が頭上で聞こえて、私は驚きと安心が入り交じったような気持ちで胸がいっぱいになった。
ドキドキしつつ振り向くとそこには水色の髪の青年。私は黒子くんに向き直ると改めてお礼を告げた。
「うん、大丈夫。黒子くんが支えてくれたおかげで転ばずに済んだよ」
「琴音さんが無事でよかったです。今日は部活が早めに切り上げになったので待ち合わせ時間より早く来てしまいました」
目が合えば、お互いに顔が自然と頬が緩んだ。
午後練終わった後で疲れているはずのなのに、今日は来てくれて本当に嬉しい。
黒子くんを見ると心が一気に満たされていく幸せを感じる。何せ久々のデートだ。
心が踊らないはずがない。黒子くんも同じ風に感じてくれているといいなぁと思う。
今日の部活のことを聞いてる間に、ある程度ファンの対応をこなして解放された黄瀬くんが私たち二人の方へ近づいてきた。
「オレのファンが押しちゃったみたいでごめん、大丈夫っスか?!」
「うん、大丈夫。私もすごい邪魔な位置にいたから…。黒子くんのおかげで転ばずに済んだし気にしないでね」
私の言葉を聞いて黄瀬くんは安心した様子を見せた。
黒子くんに抱き留められたのを見ているので、「さすが黒子っち!」と黄瀬くんが言うと、「どうも」と黒子くんは素っ気なく返していた。
サインをもらったファン達も少し遠巻きからこちらを見ているので、私たちの会話は聞こえていないだろう。
黒子くんが来てくれたおかげで、黄瀬くんのファンにも私が誤解されることはなさそうなので安心だ。
…だが、この凍り付いたようなひんやりした空気は何だろう。
よく見ると、私の隣に居る彼からドス黒いオーラが滲みでていた。黒子くん、もしかして、お、怒ってる?!
こんな空気を醸し出す彼ははじめて見た。もちろん、その矛先は黄瀬くんに向けられていた。
これを無視できるほど鈍感でない黄瀬くんは、え?え?と落ち着かない様子で私と黒子くんを交互に見た。
「く、黒子っち~、オレ何かしたっスか?!」
「琴音さん、黄瀬くんに何かされませんでしたか?」
「って、黒子っちオレのことは無視!?ひどっ!」
悲しそうにしている黄瀬くんの姿を見ているとまるでしょんぼりしている犬のようだった。
黄瀬くんは完全スルーで私をジッと見つめてくる眼差しに、嘘はつけない。正直に答えないわけにはいかないだろう。
「後ろから近づかれて両手で目を隠されて『だ~れだ?』ってやられたよ。びっくりして叫んじゃった」
ビシリ。音がするならこんな感じだろう。
黒子くんは瞬きも忘れて固まった石のように数秒動かなくなる。
そして鈍いギミックのようにゆっくりと黄瀬くんの方に顔だけ向けると…その目はこちら側からは見えなかったが、黄瀬くん体を竦めて反射的に怯えていた。
恐怖で尻尾がぷるぷると震えている犬を想像した。
「……黄瀬くん、ちょっといいですか」
「黒子っち怖い!目ぇ怖い!瞳孔開いてるっスよ!!」
どんな目で見られているのか気になるけれど、しばらく黒子くんは何も言わずに黄瀬くんを凝視していたみたいだった。
半泣きで謝る彼にもはやモデルの影もない。黒子くんって滅多なことでは感情を表に出したりしない、というか、怒ったりもしなそうなので、これだけ相手に怒り向きだしで怒るというのは相当なのだろう。元チームメイトも怯えさせるほどに。
もうしないっス!と顔の前で手を合わせて謝罪する姿を見て、黒子くんはため息をつくとゆっくり私の方に向き直った。
綺麗な丸いブルーの大きな瞳は、私が知っている彼の目のままだ。瞳孔開いてる怒りの瞳も、ちょっとだけ見てみたかったなぁ。
「今日のところは許すとしましょうか」
黒子くんはため息をついて、仕方ないとばかりに肩を落としていた。
――と、大きなショッピングモールの壁に設置されている大きな仕掛け時計から音が鳴り始めた。
壁からかわいらしい小さなこびと達の人形がでてきて演奏をはじめるような動き。
仕掛け時計は1時間ごとに見れるのだ。この近辺で待ち合わせをしている人のほとんどが思わず視線をそちらに向ける。
時刻は昼の1時ちょうどを指していた。
ぼんやりと見入っていたのだが、突然、黄瀬くんの「あーーー!次の撮影時間!」という叫び声に驚いて、反射的に黒子くんの腕にしがみついた。
□ □ □
あの後すぐに黄瀬くんはダッシュで次の仕事現場に向かって走っていった。
長身で足も長く、颯爽と街を駆ける姿にやはり何人もの女子が見とれ、振り返り、目で追って見つめていた。
どうやら、仕事が1つ終えた後に私に遭遇し、立ち話をしている間に次の仕事のスタート時間をすっかり忘れていたようだ。
近場のスタジオをはしごするだけだと思って油断した、と本人は言っていた。
慌ただしい黄瀬くんを見送ってから、私たちは少し遅い昼食を摂るために店に入った。
MAJIバーガーも好きだけど、たまには違うお店がいいなと思い、以前から気になっていたオムライスが人気のお店にしてみた。
案の定、当たりのお店でふわふわたまごのオムライスはとっても美味しかった。
食後のドリンクを飲んでいるとき、黒子くんは黙っていた。
むしろ、食べているときも口数が今日は特に少ないしリアクションもいつもより薄いなと思っていたのだけれど…、どうやら違和感は気のせいではなかったようだ。
私が尋ねるより先に、黒子くんは飲みかけのグラスを置くと深いため息をついて話し始めた。
「僕は琴音さんの事となると、全然余裕がなくなるんです。琴音さんがもし今日をキッカケに黄瀬くんを好きになってしまったらと思うと―――」
黒子くんは視線を合わせようとはせず、グラスの中で揺れる氷を見つめていた。
「体育座りしたままの黄瀬くんを逆さまにバスケットゴールにシュートしたくなるほど悲しみが込み上げてきます…」
「そ、それはちょっと黄瀬くんが可哀想な感じに…」
少し沈黙した後に続いた言葉に耳を疑いつつも、私はすかさず動揺が滲み出たままツッコミを入れた。
泣きながらゴールにぶち込まれる黄瀬くんを思わず想像してしまったが、イケメンモデルが何と不憫な絵面だろうか…。
例えはさておき、それほど余裕がなく心配になっていたってことを伝えたいのだろう。
でも余裕がないのは私だって同じだ。
桃井さんが以前、黒子くんに抱きついたのを目の当たりにしたことがあるが、その時のショックは大きいもので泣けてきたほどだった。
「私だって同じだよ。黒子くんのことになると余裕なんて…」
「…本当ですか?」
「本当だよ?」
正直に気持ちを告げても、黒子くんの視線は私の方を見ることはなかった。自己嫌悪に陥ってる風にも見えた。
ランチタイムのピークを過ぎたからだろうか。ちょうど周囲に人がいない端っこの席に案内されたことで、私は不意に閃いた。
テーブルを挟んで向かい合って座っていたが、私はおもむろに立ち上がり黒子くんの隣の椅子に座った。
ひやりとした低体温から私の熱を伝染させるようにゆっくりと手を重ねてから、私は黒子くんの手を握った。
こっそりと、テーブルの下で。誰にも見えない、ここに知り合いがいるわけでもないのに、二人の関係が秘め事のように感じた。
黒子くんは一瞬、驚いてこちらを見てくれたが、今度は私が彼の方を恥ずかしくて見ることが出来ない。
「黒子くんが誰かに奪われないように、ずっとこうして手を繋いでいたいよ」
心の中でずっと思っていたことをやっと言えたので、照れつつもどこか安心している自分がいた。
私から恋をして、いつもドキドキさせられて、年上の余裕もゼロ。
本当に、黒子くんのことになると全然余裕がないのは私の方なんだよ。どうか気づいて欲しい。
告げて数秒、何も言わずにしばらく手を繋いだまま沈黙だけで時間が流れた。
さすがに何も言って貰えないと、気まずくてじわじわと羞恥心が襲ってくる。
その時、ギュッ、と強く手を握り返された。互いの手はすっかり温かくなっていた。
横目で見たらこちらを見ている黒子くんと目が至近距離で目があってしまうだろうか――。
一瞥すると、予想は外れ、黒子くんは再び俯いていた。薄い水色の髪、そこから覗く耳が真っ赤になって――なんと、黒子くんは珍しく思い切り照れていたのだ。
「黒子くんかわいい」
「男がかわいいと言われても、微妙です」
彼の純粋さに心がときめいて小さく笑うと、黒子くんもつられて微笑んだ表情が微かに見えた。
鼓膜の中に響く、湧き出る泉の音。これはきっと心に幸せが満ちる音だ。
日を重ねるごとに育っていくこの気持ちは花に似ている。しかしそれは枯れることのない花で。
太陽を浴びて、水を得て、上に伸びて大きく大きく育っていく。どうか、これからも大切に、育ちますように。
今日のデートはまだ、はじまったばかり――
さぁ、どこへ行ってどんな景色をキミと見ようか。