黒子くんと大学生マネージャー
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
Come and go
晴れのち曇り、夕方の降水確率10%――天気予報もチェックしてきたし、今日は傘を持ってこなかった。
しかし、ゲリラ豪雨というのはそんなことはお構いなしにやって来る。私の鼻先に空からの滴がぽたりと落ちた。
半分だけ開いている体育館の入り口をゆっくりと開けると、バスケ部みんなの視線が私に注目した。
どうやら今日の練習も終わり、部員達は各々練習したりストレッチをしていたようだ。
今日は大学の授業も午後までみっちりあったので、帰りがけに覗いていこうかなんて思って来てみたのだが…。
はてさて、私がどういうワケでみんなの注目を浴びているかというと――
「いやーこれは見事に…、やられましたね」
入り口のすぐ近くにいたリコちゃんが、ぎこちなく苦笑いを浮かべて言った。
私はその言葉にヘラっと笑った。いやもう、笑うしかない。
もうすぐ誠凛高校に到着するという時、突然のゲリラ豪雨。
降水率も低く雨予報はされていなかったので、鼻先に雨の滴が落ちてきたときは『小雨かな?』なんて思っていたのだが、30秒後にはザァザァと降り出した雨は勢いを増し、あっという間の豪雨になった。
言わずもがな全身ビショ濡れになった私はどこかで雨宿りすることも諦め、とぼとぼと体育館まで歩いて行ったのだった。
雨の勢いが強すぎて雨粒に打たれ、頭がジンジンと痛くなった。きっとグラウンドにいた運動部も部室に大急ぎで避難したはずだろう。
しかし、ほんの数分間のゲリラ豪雨はあっと言う間にやんだ。あの豪雨は白昼夢だったのだろうかというほどにピタリと。
雨は止んでいるどころか雲も風で流され、その合間から夕陽が地面を照らしている。雨で濡れた地面がオレンジ色に光っていた。
はぁ、ついてないなぁ…。
ビショ濡れのまま体育館に入るわけにもいかないので、入り口で突っ立っていると黒子くんが慌てて近づいてきてタオルを渡してくれた。
「琴音さん、これ使ってください」
「え、でもこれ…」
「まだ使ってないタオルですから」
「いや、そういうことを気にしてるわけじゃないんだけど…、いいの?」
もちろんです、と言って黒子くんはタオルと一緒に持ってきたジャージをすかさず私に羽織らせた。
服もピタリと肌にくっついてしまうほどビショ濡れになっている私に羽織らせたら、ジャージが濡れてしまうのに。
カットソーだけでなくスカートも水を吸って足にピタリとついて、冷たくて気持ち悪い。
「黒子くん、ジャージ濡れちゃうよ?」
「構いません。むしろ、着ていてもらわないと困ります。…しっかり前を閉めてください」
小声になって黒子くんは私から目を逸らした。珍しい彼の様子をおかしく思いながら、私はもしかして…、と自分を見ると、服が雨で濡れて肌にくっついていた。
白いシフォン生地のふわっとしたカットソーを着ていたのが見事に水を吸い、肌に密着して下着がそのまま透けて見えてしまってた。
慌てて羽織らせてもらったジャージで前を隠すと同時に、部員らと目がバチリと合ってしまい、私は恥ずかしくなって俯いた。
体育館に入ってきたときから下着がすけすけの状態でいたんだ。
それどころか、誠凛高校の門を通ってこの体育館につくまでの間、このみっともない格好のままだったんだ…。
ゲリラ豪雨め、最悪だ。
私の横にいたリコちゃんからは見えず、私にとって正面にいた部員たちには見えていたのだろう。
だから黒子くんがすぐに駆け寄ってきてくれたのだ。女子としてまず一番気にしなければいけないところだったのに。
私と黒子くんのやりとりで私の服が透けていたことに気づいたリコちゃんは、体育館の扉を全開にした。
「ほらみんな~、もう晴れたし今日の練習のクールダウンとして外周行って来て?」
「いやだって部活もう終わっ」
「いいから行ってこい」
「ちょ、オ、オレは見てねぇ!…です!」
「なぁに?明日の練習、3倍のがいいの?」
小金井くんと火神くんの抗議を無視してニッコリ笑顔でリコちゃんが告げると、部員たちは諦めたようにグラウンドへ向かって行った。
ああ、みんなごめん…!と心の中で謝罪した。
私が居たたまれない気持ちになっていたので、みんなを外周に行かせたのはリコちゃんなりの気遣いだったのだろう。
赤くなった顔を上げれず、みんなが体育館を去ってからその後ろ姿を横目で見送り、体育館には私とリコちゃんと黒子くんだけとり残された。
「僕もグラウンド走ってきます。琴音さんの、僕もバッチリ見たので」
「そ、そーゆーこと言わない!」
「見たのは事実ですから」
「…もう!」
ツッコミの代わりに人差し指で黒子くんの肩を突っつくのが精一杯で私はまだ顔を上げられずにいた。
髪から滴が滴ってぽたりと床に落ちた。後で拭かなくちゃ。いや、もう全身ビショ濡れすぎていっそもうこのままお風呂に入りたい気分だ。
「でも、僕以外に見られたのはとても不本意です。今度から気をつけてください」
俯いてる私に黒子くんはそっと耳打ちしてから、グラウンドに向かって走っていった。
既に赤面している私にこれ以上赤面しろと言わんばかりの台詞を耳元で囁いていくなんて、黒子くんは告白してきたあの日以来、本当に大胆だなと思うことが多くなった。すごく嬉しいけれど、どうも照れのが上回って上手くかわせないし、同じぐらい甘い台詞を返してあげられないでいる。
このまま体が熱くなって水が蒸発して服が乾けばいいのに。
不意に視線を感じてそちらを見ると、リコちゃんが先程のニッコリした笑顔とは違った、ニヤニヤというのがしっくりくるような笑顔で私を見ていた。
黒子くんとつき合っていることは他の人には内緒にしているが、リコちゃんには気づかれてしまっている。
勘のいい彼女のことだから、今気づいたわけでもなさそうだ。間違いなく今の視線は、色恋の話に興味津々になる女子特有のものだ。
「じゃあ琴音さん、行きましょう!そのままだと体冷えて風邪引いちゃいますから」
てっきり黒子くんとのことを聞かれるのかと覚悟したら、そうではなかった。
リコちゃんはこちらに近づいてくると、そのままぺたりと座って入り口で体育館シューズから靴へ履き替え外に出た。
「え…、行きましょうって、どこへ?」
私の手を引いて歩き出すも、どこへ向かうというのだろう?確かにこのままだと風邪をひいてしまうかもしれないけど。
黒子くんが羽織らせてくれたジャージ、私の濡れた体から水を吸って湿ってしまった。
タオルもジャージも洗って返さなくちゃ、と、頭の片隅でぼんやり考えながら私はリコちゃんに手を引かれて歩いた。
□ □ □
「ドライヤーまであるんだ…すごい…」
連れてこられた場所に辿り着いた時、私は思わず、はぁ、と感嘆の息が漏れた。
リコちゃんに連れてこられたのは水泳部の女子更衣室。温シャワーやドライヤーも完備。
さすが新設校。水泳部専用にシャワーがあるなんて驚いた。部員にとってはありがたい環境だろうなぁ。
リコちゃんのお友達に水泳部の部長の子がいて、事情を話したら快く貸してくれたらしい。
「リコちゃん、本当にありがとう!お友達にも後でお礼を言わせてね」
「もう、大袈裟ですよ~。あ、タオルも好きに使って大丈夫ですからね」
深々とお辞儀をすると「琴音さんにはいつもお世話になってますから」とリコちゃんは言った。
いやいや、お世話されてるのはこちらの方だ。リコちゃんのおかげで風邪をひかずに済みそうだ。
初夏といっても、濡れたままだとさすがに体が冷えてしまう。夏に風邪なんてひいたら厄介だし、大学の授業もバイトも休まざるを得なくなってしまった大変だ。それと何より、バスケ部のお手伝いも。
温かいシャワーは冷えた体にとても心地よかった。ドライヤーもあるし、髪も乾かそう。
服はまだ湿ったままなので、地道にドライヤーで乾かそうかと思いついたけど、さすがに時間がかかってしまうし、他の部室の物なのにで長い時間占領するわけにもいかない。
せめて下着だけでも乾かせれば、洋服は雨で湿って冷たいままでも仕方ない――、と思っていたのだが、結局、さらにお言葉に甘えてリコちゃんが持っている予備の着替えを借りることになったのだった。
“予備の着替え“なので、てっきりTシャツやハーフパンツかと思っていたら、そうではなかった。
リコちゃんが貸してくれるといった、それは――――
□ □ □
誠凛高校校門前付近。人目に隠れるようになるべく目立たないところで立って待っていた。
部員たちが数人、目の前を通っていったが誰も“それ”が私だと気づかないで素通りしていった。
もともと私は目立つ方ではないし、物陰に隠れるように佇んでいるし、それにこの服装。誰も私が”大学生”だと気づかないだろう。
それから少しして私の待ち人はやって来た。視界に捉えたのは、校門へ向かって走ってくる水色の髪の青年。
はぁ、心臓がドキドキする。
何せ今、私は――リコちゃんに言われるがままに誠凛の女子制服を着てしまっているのだ。
たまたま部室のロッカーにクリーニングに出そうと思っていた予備の夏制服を置きっぱなしにしていたみたいで、それを貸してくれたのだ。
リコちゃんのサイズじゃ私はキツイだろうし、ていうか卒業してるのに制服とかしたらまるでコスプレ?と思ったのだが…。
『うちの制服かわいいから着てみたいって言ってましたよね?』でニッコリと彼女は笑い、有無を言わせなかった。
これがカントク名物、笑顔の圧力。事実、服も濡れたままだったので私はありがたいことに借りることにしたのだ。
私が立っている場所から少し離れた位置であたりを見回している黒子くん。ここで待っていることをリコちゃんから聞いたのだろう。
黒子くんの背後から私はそろりと近づき、トントンと肩を叩いた。
外部の者が女子制服を着て校門に立っているなんて冷静になったら異常事態だけども。
黒子くんはこれを見てなんて思うだろうか?・・・引かれたりして。
私はドキドキしつつ、ここはもう潔く、女子高生になりきって決めるしかないと思った。
「テツヤくん。一緒に帰ろう?」
肩を叩かれ振り向いた黒子くんは、私の声だと分かると安心したように笑顔を見せたがそれは本当に一瞬だけ。
後ろで手を組んで小首をかしげて、わざとらしく可愛い子ぶってみる…そんな感じの私と対面した彼は目を見開いて固まった
「何やってるんですか」って吹き出して笑ってくれるか、淡々とツッコミを入れられるかだと思っていたのに、黒子くんは私を見つめたまま沈黙を続ける。
服が雨で濡れてスケスケになった状態を部員達に見られた時も赤面したが、それ以上に私は顔を真っ赤にして唇が震えた。
でも今すぐこの制服を恥ずかしさ故に脱いでしまったら、他の生徒に間違いなく通報されてしまうだろう。
「ごめん。女子高生みたいにと調子に乗りました…」
「…………」
「服が乾かなくてね、リコちゃんが貸してくれたんだ。私が着たらアウトかなって思って一応断ったんだけどね…」
「…………」
「…あの、黒子くん?」
会話もなく固まり続けるこの空気が辛くて話しかけるも黒子くんからは反応がなく、やっと我に返ったかのようにハッとしたと思えば、黒子くんは自分の口を押さえていた。彼の白い頬にうっすらと赤みがかかる。私が赤面するならまだしも何故黒子くんが照れるんだろう。しかも本気で照れている様子だった。
「心臓が、止まるかと」
「…似合ってなさ過ぎて?」
「そんなわけないじゃないですか。すごく、すごく似合ってます」
「ほんと?」
「すごく、とても、本当です」
やっとの思いで一言だけ言えた、というような、喉から出た呟き。ハァ、と息をつくと黒子くんは照れたまま柔らかく微笑んだ。
言葉遣いから、珍しく黒子くんが動揺しているのが分かって、私は苦笑した。
「今度こそ誰かに見られる前に…」と、その先は何も言わずに黒子くんの方から手を繋いで歩き出した。
傍から見たら高校生カップルが仲良く下校しているように見えるだろうか。私が実は大学生というのはバレないだろうか。
そわそわしつつも、このシチュエーションは嬉しい。少しの時間、別の世界にトリップしたみたい。
□ □ □
部活の様子を見に来て、ゲリラ豪雨でビショ濡れになり、周囲に迷惑をかけて何をしに来たんだろう…って落ち込んで終わるところだった。
でもそうじゃない。恥ずかしいけど、似合っていると言ってもらえて安心した。
制服を着ている、というだけで、交差点も街路樹もいつもの景色が今日がいつもと違ってみえた。
夏の夕方の空は明るい。夕暮れと夜の群青のちょうど中間の色が空いっぱいに広がっていた。
時々吹く風が温くて気持ちよくて目を閉じると、手はずっと繋いだまま黒子くんは歩く速さを極端にゆっくりにした。
「さっきは本当に驚きました。琴音さんが制服で、…僕の妄想が行き過ぎて具現化したのかと」
「も、もうそう!?」
唐突にそんなことを恥ずかしがらずに言うものだから私の方が慌ててしまう。
「琴音さんが僕の彼女で、もし同じ学校で同級生だったら、という贅沢な妄想です」
「“彼女”っていうのは実現してるから妄想じゃないよ?」
「…そうですね。今だって充分、僕には贅沢ですね」
その時、手が一度パッと離れたかと思えば、黒子くんは指を絡めるように手を繋ぎ直した。
黒子くんは体は細身な方だが、バスケボールをずっと触ってきた手は、指は、意外と大きくてごつごつしていた。
私より一回り大きな手が指の合間を縫って丁寧に繋がれる。そこから黒子くんの気持ちが流れて伝わってくるみたいだった。
自分から言うつもりはなかったけれど、彼からも『もし同じ学校で同級生だったら』という言葉を聞いて胸の奥が疼いた。
私には、ずっと言わずに心に秘めていたことがあった。
「私もね、黒子くんと同級生だったらって想像したことあるよ」
伝えたら迷惑だろうか、無意味だろうかと思って言わなかったけど――秘めていたそれを、告げるなら今しかないと思った。
「もしそれが中学時代だったら、帝光中で黒子くんが一番辛くて悩んでいた時期に傍にいてあげられたのに。寄り添ってあげられたのになぁって」
もしも、同級生だったなら…、
私も帝光中に通い、バスケ部のマネージャーになって、桃井さんのように彼を名前で呼びたい。
クラスも同じなら、うたた寝している姿も見れただろう。図書室で待ち合わせて一緒に勉強もいいな。
それ以上に…、“あの頃”の彼に寄り添ってあげたかった、痛みも悲しみ分けて欲しかった、と願わずにはいられなかった。
帝光中時代の黒子くんの苦悩や葛藤を一部始終、本人から聞いたわけじゃない。過ぎたことだと全部は話そうとせず、ほんの一部だけ私に話してくれたことがある。全てを聞いたわけじゃないから具体的に何があったかは結局知らないままだけど、彼がバスケが嫌いになる程、辛いことがあったことだけは解ったから。
こんなにバスケが好きな黒子くんがそこまで追いつめられていたなんて、過去の事だとしてもすごく悲しくなる。
過去の、辛かった時の黒子くんに何もしてあげられなかったことが私の現実で、事実で、切なくなる。
同い年として出会ってなければ仕方のないことなのに、あの話を聞いて以来、時々思い出しては胸が締め付けられるのだ。
「ありがとうございます。琴音さんがそんな風に思ってくれているなら、過去の僕も救われます」
黒子くんは顔をこちらに向けてしばらく私を見つめた後、小さな声で呟いた。心なしか悲しそうな微笑み。
“寄り添ってあげられた”――なんて、エゴだ。これを彼に告げるだけ告げて、救われたかったのは私の方だろう。
どうしたって出会う前の時間なんて埋めようがないのに。
街路樹を抜けて、踏切までやってきた。線路を挟んだ向こう側には信号待ちの人がチラホラいたが、こちら側には私と黒子くんだけだった。
信号の点滅。電車が間もなく通り過ぎるという時、私は手を繋いだまま彼に寄り添った。
「て、テツヤくん」
「はい」
呼び慣れない名前呼びをすると、黒子くんは返事をしつつ、また驚いてこちらを見た。
大きな瞳が私を捉えて、その中に自分の姿が写る。ドキリ、とした心臓の音がお互いシンクロしそうになった。
ガタンガタンガタン、と大きな音を立てて電車が通過する。地面が少しだけ揺れた。
その隙に、私の唇が黒子くんの頬に触る。向かいの信号待ちの人には電車が目隠しをして見えないはずだ。
もし、もっと早く出会っていたのなら、誰よりも傍で、――そんな気持ちをこめて、頬へキスをした。
電車が通過し終え、人々が歩き出すのも気にせず、私たちはその場に立ち尽くしていた。
歩きだそうとしても黒子くんが動かなかったから。私からのキスで相当驚いているのかなと思ったら、当たり。
その証拠に黒子くんの目が泳いで、先程私が唇を触れた部分は紅く染まっていた。
「これからはテツヤくんの傍にいるからね」
そう言いながら彼の顔を覗き込んだら、校門の前で制服姿の私を見たときのように黒子くんは再び固まってしまった。
微笑ましくなって私は思わず吹き出した。いつも私が照れてばかりだから、黒子くんの方が照れる日があってもたまにはいいよね。
「…琴音さん、今日はいろいろと反則です」
消えそうなほど小さな声を出しながら黒子くんが俯いた。可愛くて、愛しくて、自然と口角が上がってしまう。
今度は私から手を引いて、一歩一歩、足を進めた。
そして、心の中で密かに誓う。「もしも」の世界を考えるのは、もう今日で終わりにしようと。
過去の辛さを分かち合えなかったその代わりに、これから過ごす時間はもう約束されたものなのだから。
晴れのち曇り、夕方の降水確率10%――天気予報もチェックしてきたし、今日は傘を持ってこなかった。
しかし、ゲリラ豪雨というのはそんなことはお構いなしにやって来る。私の鼻先に空からの滴がぽたりと落ちた。
半分だけ開いている体育館の入り口をゆっくりと開けると、バスケ部みんなの視線が私に注目した。
どうやら今日の練習も終わり、部員達は各々練習したりストレッチをしていたようだ。
今日は大学の授業も午後までみっちりあったので、帰りがけに覗いていこうかなんて思って来てみたのだが…。
はてさて、私がどういうワケでみんなの注目を浴びているかというと――
「いやーこれは見事に…、やられましたね」
入り口のすぐ近くにいたリコちゃんが、ぎこちなく苦笑いを浮かべて言った。
私はその言葉にヘラっと笑った。いやもう、笑うしかない。
もうすぐ誠凛高校に到着するという時、突然のゲリラ豪雨。
降水率も低く雨予報はされていなかったので、鼻先に雨の滴が落ちてきたときは『小雨かな?』なんて思っていたのだが、30秒後にはザァザァと降り出した雨は勢いを増し、あっという間の豪雨になった。
言わずもがな全身ビショ濡れになった私はどこかで雨宿りすることも諦め、とぼとぼと体育館まで歩いて行ったのだった。
雨の勢いが強すぎて雨粒に打たれ、頭がジンジンと痛くなった。きっとグラウンドにいた運動部も部室に大急ぎで避難したはずだろう。
しかし、ほんの数分間のゲリラ豪雨はあっと言う間にやんだ。あの豪雨は白昼夢だったのだろうかというほどにピタリと。
雨は止んでいるどころか雲も風で流され、その合間から夕陽が地面を照らしている。雨で濡れた地面がオレンジ色に光っていた。
はぁ、ついてないなぁ…。
ビショ濡れのまま体育館に入るわけにもいかないので、入り口で突っ立っていると黒子くんが慌てて近づいてきてタオルを渡してくれた。
「琴音さん、これ使ってください」
「え、でもこれ…」
「まだ使ってないタオルですから」
「いや、そういうことを気にしてるわけじゃないんだけど…、いいの?」
もちろんです、と言って黒子くんはタオルと一緒に持ってきたジャージをすかさず私に羽織らせた。
服もピタリと肌にくっついてしまうほどビショ濡れになっている私に羽織らせたら、ジャージが濡れてしまうのに。
カットソーだけでなくスカートも水を吸って足にピタリとついて、冷たくて気持ち悪い。
「黒子くん、ジャージ濡れちゃうよ?」
「構いません。むしろ、着ていてもらわないと困ります。…しっかり前を閉めてください」
小声になって黒子くんは私から目を逸らした。珍しい彼の様子をおかしく思いながら、私はもしかして…、と自分を見ると、服が雨で濡れて肌にくっついていた。
白いシフォン生地のふわっとしたカットソーを着ていたのが見事に水を吸い、肌に密着して下着がそのまま透けて見えてしまってた。
慌てて羽織らせてもらったジャージで前を隠すと同時に、部員らと目がバチリと合ってしまい、私は恥ずかしくなって俯いた。
体育館に入ってきたときから下着がすけすけの状態でいたんだ。
それどころか、誠凛高校の門を通ってこの体育館につくまでの間、このみっともない格好のままだったんだ…。
ゲリラ豪雨め、最悪だ。
私の横にいたリコちゃんからは見えず、私にとって正面にいた部員たちには見えていたのだろう。
だから黒子くんがすぐに駆け寄ってきてくれたのだ。女子としてまず一番気にしなければいけないところだったのに。
私と黒子くんのやりとりで私の服が透けていたことに気づいたリコちゃんは、体育館の扉を全開にした。
「ほらみんな~、もう晴れたし今日の練習のクールダウンとして外周行って来て?」
「いやだって部活もう終わっ」
「いいから行ってこい」
「ちょ、オ、オレは見てねぇ!…です!」
「なぁに?明日の練習、3倍のがいいの?」
小金井くんと火神くんの抗議を無視してニッコリ笑顔でリコちゃんが告げると、部員たちは諦めたようにグラウンドへ向かって行った。
ああ、みんなごめん…!と心の中で謝罪した。
私が居たたまれない気持ちになっていたので、みんなを外周に行かせたのはリコちゃんなりの気遣いだったのだろう。
赤くなった顔を上げれず、みんなが体育館を去ってからその後ろ姿を横目で見送り、体育館には私とリコちゃんと黒子くんだけとり残された。
「僕もグラウンド走ってきます。琴音さんの、僕もバッチリ見たので」
「そ、そーゆーこと言わない!」
「見たのは事実ですから」
「…もう!」
ツッコミの代わりに人差し指で黒子くんの肩を突っつくのが精一杯で私はまだ顔を上げられずにいた。
髪から滴が滴ってぽたりと床に落ちた。後で拭かなくちゃ。いや、もう全身ビショ濡れすぎていっそもうこのままお風呂に入りたい気分だ。
「でも、僕以外に見られたのはとても不本意です。今度から気をつけてください」
俯いてる私に黒子くんはそっと耳打ちしてから、グラウンドに向かって走っていった。
既に赤面している私にこれ以上赤面しろと言わんばかりの台詞を耳元で囁いていくなんて、黒子くんは告白してきたあの日以来、本当に大胆だなと思うことが多くなった。すごく嬉しいけれど、どうも照れのが上回って上手くかわせないし、同じぐらい甘い台詞を返してあげられないでいる。
このまま体が熱くなって水が蒸発して服が乾けばいいのに。
不意に視線を感じてそちらを見ると、リコちゃんが先程のニッコリした笑顔とは違った、ニヤニヤというのがしっくりくるような笑顔で私を見ていた。
黒子くんとつき合っていることは他の人には内緒にしているが、リコちゃんには気づかれてしまっている。
勘のいい彼女のことだから、今気づいたわけでもなさそうだ。間違いなく今の視線は、色恋の話に興味津々になる女子特有のものだ。
「じゃあ琴音さん、行きましょう!そのままだと体冷えて風邪引いちゃいますから」
てっきり黒子くんとのことを聞かれるのかと覚悟したら、そうではなかった。
リコちゃんはこちらに近づいてくると、そのままぺたりと座って入り口で体育館シューズから靴へ履き替え外に出た。
「え…、行きましょうって、どこへ?」
私の手を引いて歩き出すも、どこへ向かうというのだろう?確かにこのままだと風邪をひいてしまうかもしれないけど。
黒子くんが羽織らせてくれたジャージ、私の濡れた体から水を吸って湿ってしまった。
タオルもジャージも洗って返さなくちゃ、と、頭の片隅でぼんやり考えながら私はリコちゃんに手を引かれて歩いた。
□ □ □
「ドライヤーまであるんだ…すごい…」
連れてこられた場所に辿り着いた時、私は思わず、はぁ、と感嘆の息が漏れた。
リコちゃんに連れてこられたのは水泳部の女子更衣室。温シャワーやドライヤーも完備。
さすが新設校。水泳部専用にシャワーがあるなんて驚いた。部員にとってはありがたい環境だろうなぁ。
リコちゃんのお友達に水泳部の部長の子がいて、事情を話したら快く貸してくれたらしい。
「リコちゃん、本当にありがとう!お友達にも後でお礼を言わせてね」
「もう、大袈裟ですよ~。あ、タオルも好きに使って大丈夫ですからね」
深々とお辞儀をすると「琴音さんにはいつもお世話になってますから」とリコちゃんは言った。
いやいや、お世話されてるのはこちらの方だ。リコちゃんのおかげで風邪をひかずに済みそうだ。
初夏といっても、濡れたままだとさすがに体が冷えてしまう。夏に風邪なんてひいたら厄介だし、大学の授業もバイトも休まざるを得なくなってしまった大変だ。それと何より、バスケ部のお手伝いも。
温かいシャワーは冷えた体にとても心地よかった。ドライヤーもあるし、髪も乾かそう。
服はまだ湿ったままなので、地道にドライヤーで乾かそうかと思いついたけど、さすがに時間がかかってしまうし、他の部室の物なのにで長い時間占領するわけにもいかない。
せめて下着だけでも乾かせれば、洋服は雨で湿って冷たいままでも仕方ない――、と思っていたのだが、結局、さらにお言葉に甘えてリコちゃんが持っている予備の着替えを借りることになったのだった。
“予備の着替え“なので、てっきりTシャツやハーフパンツかと思っていたら、そうではなかった。
リコちゃんが貸してくれるといった、それは――――
□ □ □
誠凛高校校門前付近。人目に隠れるようになるべく目立たないところで立って待っていた。
部員たちが数人、目の前を通っていったが誰も“それ”が私だと気づかないで素通りしていった。
もともと私は目立つ方ではないし、物陰に隠れるように佇んでいるし、それにこの服装。誰も私が”大学生”だと気づかないだろう。
それから少しして私の待ち人はやって来た。視界に捉えたのは、校門へ向かって走ってくる水色の髪の青年。
はぁ、心臓がドキドキする。
何せ今、私は――リコちゃんに言われるがままに誠凛の女子制服を着てしまっているのだ。
たまたま部室のロッカーにクリーニングに出そうと思っていた予備の夏制服を置きっぱなしにしていたみたいで、それを貸してくれたのだ。
リコちゃんのサイズじゃ私はキツイだろうし、ていうか卒業してるのに制服とかしたらまるでコスプレ?と思ったのだが…。
『うちの制服かわいいから着てみたいって言ってましたよね?』でニッコリと彼女は笑い、有無を言わせなかった。
これがカントク名物、笑顔の圧力。事実、服も濡れたままだったので私はありがたいことに借りることにしたのだ。
私が立っている場所から少し離れた位置であたりを見回している黒子くん。ここで待っていることをリコちゃんから聞いたのだろう。
黒子くんの背後から私はそろりと近づき、トントンと肩を叩いた。
外部の者が女子制服を着て校門に立っているなんて冷静になったら異常事態だけども。
黒子くんはこれを見てなんて思うだろうか?・・・引かれたりして。
私はドキドキしつつ、ここはもう潔く、女子高生になりきって決めるしかないと思った。
「テツヤくん。一緒に帰ろう?」
肩を叩かれ振り向いた黒子くんは、私の声だと分かると安心したように笑顔を見せたがそれは本当に一瞬だけ。
後ろで手を組んで小首をかしげて、わざとらしく可愛い子ぶってみる…そんな感じの私と対面した彼は目を見開いて固まった
「何やってるんですか」って吹き出して笑ってくれるか、淡々とツッコミを入れられるかだと思っていたのに、黒子くんは私を見つめたまま沈黙を続ける。
服が雨で濡れてスケスケになった状態を部員達に見られた時も赤面したが、それ以上に私は顔を真っ赤にして唇が震えた。
でも今すぐこの制服を恥ずかしさ故に脱いでしまったら、他の生徒に間違いなく通報されてしまうだろう。
「ごめん。女子高生みたいにと調子に乗りました…」
「…………」
「服が乾かなくてね、リコちゃんが貸してくれたんだ。私が着たらアウトかなって思って一応断ったんだけどね…」
「…………」
「…あの、黒子くん?」
会話もなく固まり続けるこの空気が辛くて話しかけるも黒子くんからは反応がなく、やっと我に返ったかのようにハッとしたと思えば、黒子くんは自分の口を押さえていた。彼の白い頬にうっすらと赤みがかかる。私が赤面するならまだしも何故黒子くんが照れるんだろう。しかも本気で照れている様子だった。
「心臓が、止まるかと」
「…似合ってなさ過ぎて?」
「そんなわけないじゃないですか。すごく、すごく似合ってます」
「ほんと?」
「すごく、とても、本当です」
やっとの思いで一言だけ言えた、というような、喉から出た呟き。ハァ、と息をつくと黒子くんは照れたまま柔らかく微笑んだ。
言葉遣いから、珍しく黒子くんが動揺しているのが分かって、私は苦笑した。
「今度こそ誰かに見られる前に…」と、その先は何も言わずに黒子くんの方から手を繋いで歩き出した。
傍から見たら高校生カップルが仲良く下校しているように見えるだろうか。私が実は大学生というのはバレないだろうか。
そわそわしつつも、このシチュエーションは嬉しい。少しの時間、別の世界にトリップしたみたい。
□ □ □
部活の様子を見に来て、ゲリラ豪雨でビショ濡れになり、周囲に迷惑をかけて何をしに来たんだろう…って落ち込んで終わるところだった。
でもそうじゃない。恥ずかしいけど、似合っていると言ってもらえて安心した。
制服を着ている、というだけで、交差点も街路樹もいつもの景色が今日がいつもと違ってみえた。
夏の夕方の空は明るい。夕暮れと夜の群青のちょうど中間の色が空いっぱいに広がっていた。
時々吹く風が温くて気持ちよくて目を閉じると、手はずっと繋いだまま黒子くんは歩く速さを極端にゆっくりにした。
「さっきは本当に驚きました。琴音さんが制服で、…僕の妄想が行き過ぎて具現化したのかと」
「も、もうそう!?」
唐突にそんなことを恥ずかしがらずに言うものだから私の方が慌ててしまう。
「琴音さんが僕の彼女で、もし同じ学校で同級生だったら、という贅沢な妄想です」
「“彼女”っていうのは実現してるから妄想じゃないよ?」
「…そうですね。今だって充分、僕には贅沢ですね」
その時、手が一度パッと離れたかと思えば、黒子くんは指を絡めるように手を繋ぎ直した。
黒子くんは体は細身な方だが、バスケボールをずっと触ってきた手は、指は、意外と大きくてごつごつしていた。
私より一回り大きな手が指の合間を縫って丁寧に繋がれる。そこから黒子くんの気持ちが流れて伝わってくるみたいだった。
自分から言うつもりはなかったけれど、彼からも『もし同じ学校で同級生だったら』という言葉を聞いて胸の奥が疼いた。
私には、ずっと言わずに心に秘めていたことがあった。
「私もね、黒子くんと同級生だったらって想像したことあるよ」
伝えたら迷惑だろうか、無意味だろうかと思って言わなかったけど――秘めていたそれを、告げるなら今しかないと思った。
「もしそれが中学時代だったら、帝光中で黒子くんが一番辛くて悩んでいた時期に傍にいてあげられたのに。寄り添ってあげられたのになぁって」
もしも、同級生だったなら…、
私も帝光中に通い、バスケ部のマネージャーになって、桃井さんのように彼を名前で呼びたい。
クラスも同じなら、うたた寝している姿も見れただろう。図書室で待ち合わせて一緒に勉強もいいな。
それ以上に…、“あの頃”の彼に寄り添ってあげたかった、痛みも悲しみ分けて欲しかった、と願わずにはいられなかった。
帝光中時代の黒子くんの苦悩や葛藤を一部始終、本人から聞いたわけじゃない。過ぎたことだと全部は話そうとせず、ほんの一部だけ私に話してくれたことがある。全てを聞いたわけじゃないから具体的に何があったかは結局知らないままだけど、彼がバスケが嫌いになる程、辛いことがあったことだけは解ったから。
こんなにバスケが好きな黒子くんがそこまで追いつめられていたなんて、過去の事だとしてもすごく悲しくなる。
過去の、辛かった時の黒子くんに何もしてあげられなかったことが私の現実で、事実で、切なくなる。
同い年として出会ってなければ仕方のないことなのに、あの話を聞いて以来、時々思い出しては胸が締め付けられるのだ。
「ありがとうございます。琴音さんがそんな風に思ってくれているなら、過去の僕も救われます」
黒子くんは顔をこちらに向けてしばらく私を見つめた後、小さな声で呟いた。心なしか悲しそうな微笑み。
“寄り添ってあげられた”――なんて、エゴだ。これを彼に告げるだけ告げて、救われたかったのは私の方だろう。
どうしたって出会う前の時間なんて埋めようがないのに。
街路樹を抜けて、踏切までやってきた。線路を挟んだ向こう側には信号待ちの人がチラホラいたが、こちら側には私と黒子くんだけだった。
信号の点滅。電車が間もなく通り過ぎるという時、私は手を繋いだまま彼に寄り添った。
「て、テツヤくん」
「はい」
呼び慣れない名前呼びをすると、黒子くんは返事をしつつ、また驚いてこちらを見た。
大きな瞳が私を捉えて、その中に自分の姿が写る。ドキリ、とした心臓の音がお互いシンクロしそうになった。
ガタンガタンガタン、と大きな音を立てて電車が通過する。地面が少しだけ揺れた。
その隙に、私の唇が黒子くんの頬に触る。向かいの信号待ちの人には電車が目隠しをして見えないはずだ。
もし、もっと早く出会っていたのなら、誰よりも傍で、――そんな気持ちをこめて、頬へキスをした。
電車が通過し終え、人々が歩き出すのも気にせず、私たちはその場に立ち尽くしていた。
歩きだそうとしても黒子くんが動かなかったから。私からのキスで相当驚いているのかなと思ったら、当たり。
その証拠に黒子くんの目が泳いで、先程私が唇を触れた部分は紅く染まっていた。
「これからはテツヤくんの傍にいるからね」
そう言いながら彼の顔を覗き込んだら、校門の前で制服姿の私を見たときのように黒子くんは再び固まってしまった。
微笑ましくなって私は思わず吹き出した。いつも私が照れてばかりだから、黒子くんの方が照れる日があってもたまにはいいよね。
「…琴音さん、今日はいろいろと反則です」
消えそうなほど小さな声を出しながら黒子くんが俯いた。可愛くて、愛しくて、自然と口角が上がってしまう。
今度は私から手を引いて、一歩一歩、足を進めた。
そして、心の中で密かに誓う。「もしも」の世界を考えるのは、もう今日で終わりにしようと。
過去の辛さを分かち合えなかったその代わりに、これから過ごす時間はもう約束されたものなのだから。