黒子くんと大学生マネージャー
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熱伝導
それは毎月、女の子だけに訪れる特有なもので、例外もなく今月もやってくる。昨晩から体が重怠い感じがしたので嫌な予感はしていたのだが――、的中した。
大学の授業が午後まである日に限って、初日なんて運が悪いなぁと私は独り言ちる。
朝から昨晩の比ではない体の怠さと下腹部にも鉛を抱えたように重い。鈍痛。時折、一瞬ではあるが鋭い痛みも走る。
人によっては痛くない人、痛みが軽い方という人もいるが、私は運が悪いことに痛みは重い方だった。
朝ご飯食べて、薬飲まないと…。
急がないとと思いつつも1つ1つの所作がいつも以上に遅くなる。
既に激しい眠気があるのに鎮痛剤を飲むことでさらに眠気が増すのが困りものだ。
午前の授業ちゃんと起きてられるかなと心配になった。
重い体を引きずり、大学へ向かう。今日は午後にも授業はあるが、3時には終わるのでその後は誠凛高校へ向かう予定だ。
一昨日と昨日はバイトが夜まで入っていたので今日は行きたいと思っていたところだ。
今日さえ乗り切れば明日は授業は午後からだし、休んでも差し支えなさそうな授業なら休んで、体調を優先させよう。
よし!、と気合いを入れ直して、私は足早に駅へ向かった。
――しかし、鈍痛は時間を増すにつれて重くなっていく。
午前の授業も午後の授業も、どんどんお腹が痛くなってきてたまらなく辛かった。
無理矢理、授業に集中して痛みを紛らわそうとしても、あまり効果はなかった。鎮痛剤を飲んでも効きが悪い。
購買で買ってきた総菜パンもあまり食べれずほとんど残してしまったが、何とか授業は切り抜けた。
湿気を含んだ風がやわらかく吹いて雨のにおいがした――ぽつりぽつりと降り始める。
ちょうど大学を出るところで、あっという間に雨がザアザアと降ってきた。慌てて折り畳み傘をさしつつ駅へ向かう。
もう6月上旬だ。今週から梅雨入りとなり、天気予報を見ると気が滅入る傘マークが多発していた。
肌や髪にまとわりつく湿気が余計に体調を悪くさせるような気がする。空気が生ぬるい。
インターハイ予選を順調に突破してきた誠凛バスケ部。これから大事な決勝リーグの前の練習時間は貴重だ。
何だか大学の勉強よりも入れ込んでいる気さえするが、仕方ない。
今まで部活動に熱心に打ち込んだこともなかった私にとって、臨時の手伝いだとしてもバスケ部に携われるのが楽しいのだ。
同じ学校でマネージャー募集をしているにも関わらず、希望者もいなかったのでそのおかげで私に声がかかったのだから運がいい。
でも、いつ希望者が現れるかわらかない。新設して間もない部だといっても、バスケ部の頑張ってる試合を見て興味を持つ人だっているかもしれない。
少しでも手伝いたい。頑張りたい。できる限り。
新しいマネージャーが現れるその時までは、みんなと一緒に。
□ □ □
誠凛高校に到着しても雨の激しさは変わらなかった。ザアザアと雨粒が地面に刺さっていくみたい。
部室におかせてもらっている体育館シューズを持って、体育館へ向かった。
キュッキュ、と耳に心地良いバッシュのスキール音。
靴を履き替えつつ、入り口付近にいるリコちゃんが居るのが見えた。何やら真剣な面持ちでノートとにらめっこしている。
リコちゃんの選手データや練習について書かれている丸秘ノートだろうか。
「リコちゃんおつかれさま」
「あっ、おつかれさまです。雨、すごいですね」
「ほんとにね。急に降ってきてさ、折り畳み傘持ってなかったらビショ濡れになるところだったよ」
苦笑しつつ、私は髪をゴムで1本に束ねた。
コートを見ると、2年生チームvs1年生チームで試合形式の練習をやっている様子だった。
ガツン!と力強く小金井先輩の上からダンクを決めた火神くんと目が合うと、小さく会釈された。
相変わらず強烈なダンクだなぁ。見ているとゾクゾクしてしまう。そのまま視線は黒子くんを自然と探しており、目があうとやはり会釈してくれたが、気のせいか、少しだけ小首をかしげたように見えた。
もうそろそろ休憩の時間だろうか。私は隅っこに置いてあるボトルを回収するとまた部室に戻った。
ドリンクを作って、部室にある連絡ノートを確認したり、足りない備品もチェックしなくては。
自分で判断できない場合はリコちゃんや日向くんに確認をとらないと。部費も限られているのだから。
体育館を後にして、雨が降っているので校内の連絡通路を歩いた――途端に、お腹がズキズキと強く痛みだした。
両手で持っているカゴがやけに重く感じる。中身のボトルは空なのに。
やることを順序よく頭の中で整頓したいが、ひとまず練習してるみんなにドリンクを持っていってあげるのが最優先だ。
練習量がいつもに増して、みんなすごい汗を書いていた。今日は湿気もあるし体育館は熱気で充満していた。
ドリンクを補充して体育館へ戻ると、大きなホイッスル音が鳴り響いた。
「はい、試合終了!いったん休憩ね!」
タイミングよくちょうど休憩に入ったところだ。スコアボードを見ると、同点。
両チーム、どちらも負けず劣らずいい試合をしているようだ。
体育館の熱気で気づかなかったが、私の顔も何だか熱い。気のせいと思っていたが、どうやら気のせいではなさそうだ。
1人ずつドリンクを渡していくのだが、足がおぼつかない。
頭もぼうっとして視界もゆらゆらしてきた。薬は飲んだのに、おかしいなぁ。
ズキン、ズキン、と下腹部の痛み、体の重怠さが最高潮にきているみたいだ。
「琴音さん―――」
火神くんにドリンクを渡そうとしたとき、背後から黒子くんの声がしたのだけれど振り返ることが出来なかった。
そのままガシャンとカゴを落とし、火神くんの方へ倒れた。
「琴音さん!」
叫んだのは黒子くんの声だ。すぐ後ろにいるはずなのに声が遠くに聞こえた。
火神くんが受け止めてくれたおかげで私は床に倒れずに済んだようだ。
意識はある、ただ立っていられないほど体調が悪くなってしまっただけなのだ。
そんなにたしたいことじゃないの、たまたまた今日は痛みが重くて――だから心配しないで。
駆け寄ってくる部員達に心配させまいと言いたかったけれど、声にはでなかった。何となく男の子達に生理のことは話しずらい。
火神くんの手が私の頬にたまたま触れて、「カントク、マネージャーがあちぃッス」と彼はリコちゃんに向けて言った。
「琴音さん、大丈夫ですか?顔が真っ赤です。熱が…」
「うん、大丈夫…ごめん…」
火神くんは私を抱えるようにして仰向けにする。力が入らず、だらりと床に落ちそうになったその手を黒子くんが握っていた。
まばたきがゆっくりしか出来ない。首を傾けて黒子くんを一瞥すると、今までに見たことないような表情。不安そうに眉をしかめている。
…全然大丈夫だよ、って強がり言って安心させてあげたい。
しかし実際には言葉を発することも出来ずゆっくりと瞼を閉じてまたゆっくり開いてを繰り返すばかり。
何かを察したリコちゃんが近づいてきて「もしかして…」と口パクで言ったので、私は力無く頷いた。
こういうとき、女子がいてくれて助かった。
「火神くん、そのまま抱えて保健室に行って休ませてあげて。先生がいると思うから」
リコちゃんが指示すると、火神くんは「ウス」と短く返事をして私をゆっくりと抱え上げた。
肩が大きな手で包まれる。膝の裏に手が差し込まれ、軽々しく持ち上げられた――これは…漫画とかでよく見るお姫様抱っこだ。
相変わらずお腹も痛くて熱っぽかったのだが、抱きかかえられた瞬間にあまりの恥ずかしさに我に返った。
抱き上げられた時に、握っていくれていた黒子くんの手から、私の手が不本意にも逃げていく。
「火神くん、おろして…」
「ダメっす。カントク命令なんで…って、体調悪いんだろ?無理すんな、です」
「重いから…おねがい…」
弱々しく懇願するも火神くんは無視して私を抱えたまま体育館から保健室に運んでくれた。
もう、抱え上げられてることが恥ずかしくて顔を見られたくなくて、私は額を火神くんの胸につけた。
くっついてるように見えてしまうがこれなら顔も見られなくて済む。
「僕も行きます」
「心配なのはわかるけど、ここは火神くんに任せましょ」
黒子くんがリコちゃんに言うも、強く制止されていた。リコちゃんの言う通りだ。
練習を抜けてまで連れ添わなくても大丈夫だ。心配してくれる気持ちだけで充分だった。
それと…、黒子くんの前なのに、これ以上誰かに抱えられるのなんて見られたくなかった。
火神くんはリコちゃんの指示で抱きかかえてくれているわけだし、リコちゃんも心配して言ってくれたまでのことだから、誰が悪いわけでもない。
自分で歩けないのも事実。体調が悪くてフラついてるのも自分のせいだ…情けない。
結局まともにマネージャーとしての手伝いもできないまま、私は保健室のベッドで少しの時間休むこととなり、火神くんは送り届けてくれてまたすぐ体育館に戻っていった。「お大事に」と気遣いの一言もかけてくれた。
彼が去ったあと、保健室の先生に生理痛のことを相談したらよく効く薬とホッカイロくれたので、それを飲んでお腹を温めたら痛みも落ち着き、私はゆっくりと眠りについた。
眠りに落ちる直前――サァサァと雨が小降りになっていく音が心地よく耳の中でリフレインした。
□ □ □
目を開けると見慣れない天井。そうか、ここは保健室だった。
どれぐらい眠っただろうか。随分時間が経っている気がするが、腕時計を見るとほんの2時間ぐらいだ。
意識がまだぼんやりしているが、お腹の痛みも引き、怠さもマシになっていた。
「気がつきましたか?」
「うん…?」
スッと誰かの手が伸びてきて私の額に触った。ひやりとした手の温度が、火照っていた私のおでに触って気持ちいい。
ベッドの脇には黒子くんが椅子に座っていた。突然触られたのでまた顔が赤くなってしまうと思ったが、安堵感のが勝り赤面せずに済んだ。
彼はすでに制服に着替えていた。練習が終わってすぐここに来てくれたんだろうか。
「体調は大丈夫ですか?」
「うん、もう大丈夫…」
「琴音さん、無理したらダメです。とても心配しました」
「…ごめんなさい」
バツ悪く布団を顔の上まであげて顔を隠そうとするも、黒子くんにそれを阻止された。
私が倒れた時の黒子くんの顔が脳裏に焼き付いている。今まで見たことのないような表情だった。
彼でも、あんな顔をするのかと思った。
そしてあんな顔をさせてしまったのが私だと思うと、申し訳なさに混じって少し嬉しい感情も沸いた。
外を見るとほとんど雨は小雨になっており、もう少しすれば止みそうだ。
保健室は電気もつけておらず、真っ暗になっていた。彼が入ってきたときに気遣って電気をつけなかったのだろう。
先生は職員室に行っているみたいです、と黒子くんは教えてくれた。
小雨の中、雲が割れて夕日が覗いてる。そのわずかな光が窓から差しこみ、頼りの明かりはそれだけ。
薄暗い空間で、黒子くんの今の表情はよく見えない。相変わらず表情はいつも通りなのだが、わずかに怒っている雰囲気だ。
「体調悪いのに無理して部活に来たこと、怒ってる?」
「別に怒ってません。琴音さんでなく、…自分に怒っています」
どうして?と聞き返す前に、黒子くんは続けた。大きなスカイブルーの瞳の中に夕日の色が反射してオレンジが見える。
キレイな瞳だなぁと見とれそうになった。
「手を握ることしかできなかったので、とても悔しいです」
「ううん、そんなことない。嬉しかったよ」
「でも、僕は…、僕が、あなたを抱えてあげたかった。火神くんに嫉妬しました」
私の手の上に自分の手を重ねられた。突如、緊張が走り私は石のように固まって動けない。心臓がドキドキと高鳴る。
まっすぐ見つめてくる彼から目を逸らすことは許されない、そんな眼差しを向けていた。
“嫉妬”…この意味を、彼は理解しているのか。
その言葉が本気だとしたら、好きだと言う言葉の代わりに等しいのに。ダメだ、ダメだ。意識したら顔が紅潮してしまう。
黒子くんの眼差しはさっきから一向に変わっていない。凛々しく、男らしさを感じた。男の子だ。
重ねられていただけだった手を掴まれて、そのまま手の平を合わせて、ぐっと指を絡ませて手を握られた。
貝殻のような繋ぎ方。指先から全てが伝わってしまいそうだと思った。
「琴音さんのことを考える度に、あたたかくなる。この気持ちの正体をずっと考えてました」
指先に少しだけ力が込められた。もうこの空気を壊すことも、逃げることもできなさそう。
誰にも固執しなさそうな、何にも捕らわれなさそうな、強い瞳を持つ目の前の彼が、何を言おうとしているのか私は悟った。
黒子くんもベッドの上に腰掛け、距離を縮めて繋いでいる手をグッと自分の方に引いた。
その反動で私はそのまま黒子くんの胸におでこが付くぐらい近づいてしまう。
おでこが彼の胸に近づいてわかったことがある。
ドキドキしているのは私だけではない、黒子くんの動悸も同じぐらい高鳴っていた。
繋いでいる指先も心なしか震えているようだ。すごく、緊張しているんだ。このまま聞いてください、と頭の上から声がした。
黒子くんの手の平が熱い。指先も熱い。
「僕は琴音さんが好きです」
静かなこの部屋に黒子くんの優しい声音が耳元で響く。雨音はもう、止んでいた。
体中が沸騰しそうなぐらい熱くなって、心臓が口から出そう――になるかと思ったのに、黒子くんの方が鼓動が早くなっているのが伝わっているので、私は逆に、すごく安堵した気持ちになっていた。トクン、トクンと早鐘を打つこの音、安心するなぁ。
――どうしてわたしなの?と思う。
特別取り柄もない、性格も平凡、何をとっても普通で仕方ないのに…なんて、聞きたいことはたくさんあった。
でもそんな細かいことは、指先から伝わる熱で頭からすぐにかき消える。
私は顔をもっと近づけて、黒子くんの胸に頬をピタリとくっつけたら、彼の心臓はひときわ驚いて跳ねた。
私は小さく笑ってしまった。いつも冷静沈着、クールに見える黒子くんが動揺しているのが、とても可愛く思えたから。
黒子くんに聞こえるように、「私も…」、と呟いてそのまま俯いたら、繋いでない方の彼の手が私の肩に添えられた。呟くのが精一杯だった。
告白のシーンなら、ここで再び見つめ合うべきだ。だが、私はどうにも顔を上げることが出来ないでいる。涙が一気に目の表面を覆い、視界が歪む。
しばらくしても顔を上げない私を不思議に思ったのか、黒子くんは私の名前を呼んだ。
「琴音さん…?」
「…どうしよう。嬉しくて泣きそうだよ」
全中で一目見たときから印象に残っていた彼。今ならわかる。あれは一目惚れだった。
私の方が、たくさんたくさん、好きだよ。はじめて見たときから好きだったんだ。喜びに満ちて言葉も出ない。
言葉代わりに指先からの熱で、どうか伝わって。
それは毎月、女の子だけに訪れる特有なもので、例外もなく今月もやってくる。昨晩から体が重怠い感じがしたので嫌な予感はしていたのだが――、的中した。
大学の授業が午後まである日に限って、初日なんて運が悪いなぁと私は独り言ちる。
朝から昨晩の比ではない体の怠さと下腹部にも鉛を抱えたように重い。鈍痛。時折、一瞬ではあるが鋭い痛みも走る。
人によっては痛くない人、痛みが軽い方という人もいるが、私は運が悪いことに痛みは重い方だった。
朝ご飯食べて、薬飲まないと…。
急がないとと思いつつも1つ1つの所作がいつも以上に遅くなる。
既に激しい眠気があるのに鎮痛剤を飲むことでさらに眠気が増すのが困りものだ。
午前の授業ちゃんと起きてられるかなと心配になった。
重い体を引きずり、大学へ向かう。今日は午後にも授業はあるが、3時には終わるのでその後は誠凛高校へ向かう予定だ。
一昨日と昨日はバイトが夜まで入っていたので今日は行きたいと思っていたところだ。
今日さえ乗り切れば明日は授業は午後からだし、休んでも差し支えなさそうな授業なら休んで、体調を優先させよう。
よし!、と気合いを入れ直して、私は足早に駅へ向かった。
――しかし、鈍痛は時間を増すにつれて重くなっていく。
午前の授業も午後の授業も、どんどんお腹が痛くなってきてたまらなく辛かった。
無理矢理、授業に集中して痛みを紛らわそうとしても、あまり効果はなかった。鎮痛剤を飲んでも効きが悪い。
購買で買ってきた総菜パンもあまり食べれずほとんど残してしまったが、何とか授業は切り抜けた。
湿気を含んだ風がやわらかく吹いて雨のにおいがした――ぽつりぽつりと降り始める。
ちょうど大学を出るところで、あっという間に雨がザアザアと降ってきた。慌てて折り畳み傘をさしつつ駅へ向かう。
もう6月上旬だ。今週から梅雨入りとなり、天気予報を見ると気が滅入る傘マークが多発していた。
肌や髪にまとわりつく湿気が余計に体調を悪くさせるような気がする。空気が生ぬるい。
インターハイ予選を順調に突破してきた誠凛バスケ部。これから大事な決勝リーグの前の練習時間は貴重だ。
何だか大学の勉強よりも入れ込んでいる気さえするが、仕方ない。
今まで部活動に熱心に打ち込んだこともなかった私にとって、臨時の手伝いだとしてもバスケ部に携われるのが楽しいのだ。
同じ学校でマネージャー募集をしているにも関わらず、希望者もいなかったのでそのおかげで私に声がかかったのだから運がいい。
でも、いつ希望者が現れるかわらかない。新設して間もない部だといっても、バスケ部の頑張ってる試合を見て興味を持つ人だっているかもしれない。
少しでも手伝いたい。頑張りたい。できる限り。
新しいマネージャーが現れるその時までは、みんなと一緒に。
□ □ □
誠凛高校に到着しても雨の激しさは変わらなかった。ザアザアと雨粒が地面に刺さっていくみたい。
部室におかせてもらっている体育館シューズを持って、体育館へ向かった。
キュッキュ、と耳に心地良いバッシュのスキール音。
靴を履き替えつつ、入り口付近にいるリコちゃんが居るのが見えた。何やら真剣な面持ちでノートとにらめっこしている。
リコちゃんの選手データや練習について書かれている丸秘ノートだろうか。
「リコちゃんおつかれさま」
「あっ、おつかれさまです。雨、すごいですね」
「ほんとにね。急に降ってきてさ、折り畳み傘持ってなかったらビショ濡れになるところだったよ」
苦笑しつつ、私は髪をゴムで1本に束ねた。
コートを見ると、2年生チームvs1年生チームで試合形式の練習をやっている様子だった。
ガツン!と力強く小金井先輩の上からダンクを決めた火神くんと目が合うと、小さく会釈された。
相変わらず強烈なダンクだなぁ。見ているとゾクゾクしてしまう。そのまま視線は黒子くんを自然と探しており、目があうとやはり会釈してくれたが、気のせいか、少しだけ小首をかしげたように見えた。
もうそろそろ休憩の時間だろうか。私は隅っこに置いてあるボトルを回収するとまた部室に戻った。
ドリンクを作って、部室にある連絡ノートを確認したり、足りない備品もチェックしなくては。
自分で判断できない場合はリコちゃんや日向くんに確認をとらないと。部費も限られているのだから。
体育館を後にして、雨が降っているので校内の連絡通路を歩いた――途端に、お腹がズキズキと強く痛みだした。
両手で持っているカゴがやけに重く感じる。中身のボトルは空なのに。
やることを順序よく頭の中で整頓したいが、ひとまず練習してるみんなにドリンクを持っていってあげるのが最優先だ。
練習量がいつもに増して、みんなすごい汗を書いていた。今日は湿気もあるし体育館は熱気で充満していた。
ドリンクを補充して体育館へ戻ると、大きなホイッスル音が鳴り響いた。
「はい、試合終了!いったん休憩ね!」
タイミングよくちょうど休憩に入ったところだ。スコアボードを見ると、同点。
両チーム、どちらも負けず劣らずいい試合をしているようだ。
体育館の熱気で気づかなかったが、私の顔も何だか熱い。気のせいと思っていたが、どうやら気のせいではなさそうだ。
1人ずつドリンクを渡していくのだが、足がおぼつかない。
頭もぼうっとして視界もゆらゆらしてきた。薬は飲んだのに、おかしいなぁ。
ズキン、ズキン、と下腹部の痛み、体の重怠さが最高潮にきているみたいだ。
「琴音さん―――」
火神くんにドリンクを渡そうとしたとき、背後から黒子くんの声がしたのだけれど振り返ることが出来なかった。
そのままガシャンとカゴを落とし、火神くんの方へ倒れた。
「琴音さん!」
叫んだのは黒子くんの声だ。すぐ後ろにいるはずなのに声が遠くに聞こえた。
火神くんが受け止めてくれたおかげで私は床に倒れずに済んだようだ。
意識はある、ただ立っていられないほど体調が悪くなってしまっただけなのだ。
そんなにたしたいことじゃないの、たまたまた今日は痛みが重くて――だから心配しないで。
駆け寄ってくる部員達に心配させまいと言いたかったけれど、声にはでなかった。何となく男の子達に生理のことは話しずらい。
火神くんの手が私の頬にたまたま触れて、「カントク、マネージャーがあちぃッス」と彼はリコちゃんに向けて言った。
「琴音さん、大丈夫ですか?顔が真っ赤です。熱が…」
「うん、大丈夫…ごめん…」
火神くんは私を抱えるようにして仰向けにする。力が入らず、だらりと床に落ちそうになったその手を黒子くんが握っていた。
まばたきがゆっくりしか出来ない。首を傾けて黒子くんを一瞥すると、今までに見たことないような表情。不安そうに眉をしかめている。
…全然大丈夫だよ、って強がり言って安心させてあげたい。
しかし実際には言葉を発することも出来ずゆっくりと瞼を閉じてまたゆっくり開いてを繰り返すばかり。
何かを察したリコちゃんが近づいてきて「もしかして…」と口パクで言ったので、私は力無く頷いた。
こういうとき、女子がいてくれて助かった。
「火神くん、そのまま抱えて保健室に行って休ませてあげて。先生がいると思うから」
リコちゃんが指示すると、火神くんは「ウス」と短く返事をして私をゆっくりと抱え上げた。
肩が大きな手で包まれる。膝の裏に手が差し込まれ、軽々しく持ち上げられた――これは…漫画とかでよく見るお姫様抱っこだ。
相変わらずお腹も痛くて熱っぽかったのだが、抱きかかえられた瞬間にあまりの恥ずかしさに我に返った。
抱き上げられた時に、握っていくれていた黒子くんの手から、私の手が不本意にも逃げていく。
「火神くん、おろして…」
「ダメっす。カントク命令なんで…って、体調悪いんだろ?無理すんな、です」
「重いから…おねがい…」
弱々しく懇願するも火神くんは無視して私を抱えたまま体育館から保健室に運んでくれた。
もう、抱え上げられてることが恥ずかしくて顔を見られたくなくて、私は額を火神くんの胸につけた。
くっついてるように見えてしまうがこれなら顔も見られなくて済む。
「僕も行きます」
「心配なのはわかるけど、ここは火神くんに任せましょ」
黒子くんがリコちゃんに言うも、強く制止されていた。リコちゃんの言う通りだ。
練習を抜けてまで連れ添わなくても大丈夫だ。心配してくれる気持ちだけで充分だった。
それと…、黒子くんの前なのに、これ以上誰かに抱えられるのなんて見られたくなかった。
火神くんはリコちゃんの指示で抱きかかえてくれているわけだし、リコちゃんも心配して言ってくれたまでのことだから、誰が悪いわけでもない。
自分で歩けないのも事実。体調が悪くてフラついてるのも自分のせいだ…情けない。
結局まともにマネージャーとしての手伝いもできないまま、私は保健室のベッドで少しの時間休むこととなり、火神くんは送り届けてくれてまたすぐ体育館に戻っていった。「お大事に」と気遣いの一言もかけてくれた。
彼が去ったあと、保健室の先生に生理痛のことを相談したらよく効く薬とホッカイロくれたので、それを飲んでお腹を温めたら痛みも落ち着き、私はゆっくりと眠りについた。
眠りに落ちる直前――サァサァと雨が小降りになっていく音が心地よく耳の中でリフレインした。
□ □ □
目を開けると見慣れない天井。そうか、ここは保健室だった。
どれぐらい眠っただろうか。随分時間が経っている気がするが、腕時計を見るとほんの2時間ぐらいだ。
意識がまだぼんやりしているが、お腹の痛みも引き、怠さもマシになっていた。
「気がつきましたか?」
「うん…?」
スッと誰かの手が伸びてきて私の額に触った。ひやりとした手の温度が、火照っていた私のおでに触って気持ちいい。
ベッドの脇には黒子くんが椅子に座っていた。突然触られたのでまた顔が赤くなってしまうと思ったが、安堵感のが勝り赤面せずに済んだ。
彼はすでに制服に着替えていた。練習が終わってすぐここに来てくれたんだろうか。
「体調は大丈夫ですか?」
「うん、もう大丈夫…」
「琴音さん、無理したらダメです。とても心配しました」
「…ごめんなさい」
バツ悪く布団を顔の上まであげて顔を隠そうとするも、黒子くんにそれを阻止された。
私が倒れた時の黒子くんの顔が脳裏に焼き付いている。今まで見たことのないような表情だった。
彼でも、あんな顔をするのかと思った。
そしてあんな顔をさせてしまったのが私だと思うと、申し訳なさに混じって少し嬉しい感情も沸いた。
外を見るとほとんど雨は小雨になっており、もう少しすれば止みそうだ。
保健室は電気もつけておらず、真っ暗になっていた。彼が入ってきたときに気遣って電気をつけなかったのだろう。
先生は職員室に行っているみたいです、と黒子くんは教えてくれた。
小雨の中、雲が割れて夕日が覗いてる。そのわずかな光が窓から差しこみ、頼りの明かりはそれだけ。
薄暗い空間で、黒子くんの今の表情はよく見えない。相変わらず表情はいつも通りなのだが、わずかに怒っている雰囲気だ。
「体調悪いのに無理して部活に来たこと、怒ってる?」
「別に怒ってません。琴音さんでなく、…自分に怒っています」
どうして?と聞き返す前に、黒子くんは続けた。大きなスカイブルーの瞳の中に夕日の色が反射してオレンジが見える。
キレイな瞳だなぁと見とれそうになった。
「手を握ることしかできなかったので、とても悔しいです」
「ううん、そんなことない。嬉しかったよ」
「でも、僕は…、僕が、あなたを抱えてあげたかった。火神くんに嫉妬しました」
私の手の上に自分の手を重ねられた。突如、緊張が走り私は石のように固まって動けない。心臓がドキドキと高鳴る。
まっすぐ見つめてくる彼から目を逸らすことは許されない、そんな眼差しを向けていた。
“嫉妬”…この意味を、彼は理解しているのか。
その言葉が本気だとしたら、好きだと言う言葉の代わりに等しいのに。ダメだ、ダメだ。意識したら顔が紅潮してしまう。
黒子くんの眼差しはさっきから一向に変わっていない。凛々しく、男らしさを感じた。男の子だ。
重ねられていただけだった手を掴まれて、そのまま手の平を合わせて、ぐっと指を絡ませて手を握られた。
貝殻のような繋ぎ方。指先から全てが伝わってしまいそうだと思った。
「琴音さんのことを考える度に、あたたかくなる。この気持ちの正体をずっと考えてました」
指先に少しだけ力が込められた。もうこの空気を壊すことも、逃げることもできなさそう。
誰にも固執しなさそうな、何にも捕らわれなさそうな、強い瞳を持つ目の前の彼が、何を言おうとしているのか私は悟った。
黒子くんもベッドの上に腰掛け、距離を縮めて繋いでいる手をグッと自分の方に引いた。
その反動で私はそのまま黒子くんの胸におでこが付くぐらい近づいてしまう。
おでこが彼の胸に近づいてわかったことがある。
ドキドキしているのは私だけではない、黒子くんの動悸も同じぐらい高鳴っていた。
繋いでいる指先も心なしか震えているようだ。すごく、緊張しているんだ。このまま聞いてください、と頭の上から声がした。
黒子くんの手の平が熱い。指先も熱い。
「僕は琴音さんが好きです」
静かなこの部屋に黒子くんの優しい声音が耳元で響く。雨音はもう、止んでいた。
体中が沸騰しそうなぐらい熱くなって、心臓が口から出そう――になるかと思ったのに、黒子くんの方が鼓動が早くなっているのが伝わっているので、私は逆に、すごく安堵した気持ちになっていた。トクン、トクンと早鐘を打つこの音、安心するなぁ。
――どうしてわたしなの?と思う。
特別取り柄もない、性格も平凡、何をとっても普通で仕方ないのに…なんて、聞きたいことはたくさんあった。
でもそんな細かいことは、指先から伝わる熱で頭からすぐにかき消える。
私は顔をもっと近づけて、黒子くんの胸に頬をピタリとくっつけたら、彼の心臓はひときわ驚いて跳ねた。
私は小さく笑ってしまった。いつも冷静沈着、クールに見える黒子くんが動揺しているのが、とても可愛く思えたから。
黒子くんに聞こえるように、「私も…」、と呟いてそのまま俯いたら、繋いでない方の彼の手が私の肩に添えられた。呟くのが精一杯だった。
告白のシーンなら、ここで再び見つめ合うべきだ。だが、私はどうにも顔を上げることが出来ないでいる。涙が一気に目の表面を覆い、視界が歪む。
しばらくしても顔を上げない私を不思議に思ったのか、黒子くんは私の名前を呼んだ。
「琴音さん…?」
「…どうしよう。嬉しくて泣きそうだよ」
全中で一目見たときから印象に残っていた彼。今ならわかる。あれは一目惚れだった。
私の方が、たくさんたくさん、好きだよ。はじめて見たときから好きだったんだ。喜びに満ちて言葉も出ない。
言葉代わりに指先からの熱で、どうか伝わって。