黒子くんと大学生マネージャー
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それは恋でしかない
「テツくぅーーーーんッ!」
甘くて高い声。校門で大きくこちらを見て手を振っているのは、桃色の髪の美少女だった。
お腹すいたねぇ、なんて言いながら黒子くんと火神くんと一緒に並んで校門に向かって歩いている時だった。
『MAJIバーガー寄らない?』と誘おうとしたら、その甘い声は聞こえてきて、声の主は校門の脇に立っている。
遠目でも美少女と分かるほどスタイルも顔立ちもいい。桃色の髪を揺らしながら手を振っていた。
火神くんが小声で「うげ」と言ったのが聞こえた。
“テツくん”と呼んだということは――黒子テツヤくんの知り合いだろうか。
こちらが校門まで行くのが待ちきれなかったのか、少女はこちらまで駆け寄ってきてあっという間に距離を詰めてきた。
「会いたかった…テツくんっ!」
「苦しいです、桃井さん」
名前を呼んだということは知り合いで間違いなさそうだ。黒子くんは動揺することもなく、駆け寄ってくる少女を見ていた。
桃井さんと呼ばれた少女は距離をつめるどころかそのまま黒子くんに、勢いよく抱きついた。漫画みたいにドーン!て音がしそうなほど勢いよく。
他の下校中の生徒の視線も自然と集まる。ただ、ほとんどの男子が「あんな美少女に抱きつかれていいなぁ」と羨んでいるのは間違いないだろう。
…あっ。
私はそれを見て思わず口をポカンと開けて驚いた表情をしてしまった。
そして思い出す。数日前、部員達が黒子くんに関する噂話をしていたことを。
『桐皇学園には元同じ中学の彼女がいる』という噂。
部員達は心底羨ましがっていて口々に騒ぎ出したが、それを聞いたとき、ホントかどうかわからないし…なんて思っていたけれど、本当だったんだ。
桃色の髪がふわりとなびいて、いい香りがした。これが――黒子くんの彼女。
「離れてください」
抱きつかれてすぐに黒子くんは桃井さんの腕に手を添えて話、一歩後退して距離を置いた。
会うたびにこうして飛びつかれるのは慣れているといった様子だった。
黒子くんは困ってるでも怒ってるでもなく、変わらない冷静な表情のままだが、彼女はそれでもめげずにニッコリと満足げな笑顔だった。
火神くんが舌打ちをしながら背を屈めて桃井さんを覗き込んだ。何だか嫌な予感がする。
「お前、また来たのかよ。何の用だ」
あからさまに喧嘩を売ってるような口調の火神くんに、彼女の笑顔もムッとした表情に変わった。
桐皇学園といったら次の決勝リーグの対戦相手だ。
リコちゃんから、ついこの前のプール練でも水着姿で敵状視察をしてきた桐皇のマネージャーというのは彼女だろう。
彼女がプール練に突然やって来た日、私も大学の授業で練習のサポートは不在、火神くんも秀徳戦で痛めた足を休めるために不参加だったので、話には聞いていたものの実際に本人に会うのは初めてだった。
今日は何の用事だろう?また視察・・・?
「テツくんに会いに来たんです。ここの近くにたまたま用事があったから…」
「決戦を前によく敵の学校に会いに来るとかできんな。信じらんねェ」
「ひっどい!何でそんなこと言われないといけないの?」
「ここは誠凛なんだぜ。会いに来たとか言ってまた敵状視察なんじゃねーのか?」
「違うわよ。今日はプライベートですぅ」
火神くんはイラつく様子を見せて乱暴に言うと、桃井さんは頬をふくらませた。
怒った顔も、女の私から見ても、かわいい…と自然に思ってしまう。黒子くんから抱きつくのをやめた代わりに、今度は腕をガシリとつかみながら、火神くんと睨みあって二人はバチバチと火花を散らしていた。
私は火神くんの腕を掴んでぐいぐいと後退させると、肩を叩いて落ち着かせた。
「ほら、ケンカしちゃダメだよ。今は試合じゃないでしょ?」
「琴音さんの言う通りです。二人とも落ち着いてください」
慌てて宥めると二人とも押し黙った。黒子くんもフォローに入ってくれた。
人には相性というものがある…火神くんとこの桃井さんという子は油と水のように思えた。
このまま火神くんがいるとまた言い合いになってしまうかもしれないので、私は掴んだ腕をそのまま引っ張って歩き出した。
制服でなく、私服の私を見て桃井さんはここの学生でないことを悟っていたような気がする。
私は桃井さんに自己紹介もままならないまま、私と火神くんは、黒子くんを置いて学校を後にした。
そもそも、彼女が学校まで会いにきているというのに、二人きりにしないのは野暮だろう。
――しかし、桃井さんが黒子くんに抱きついた時から心の中に沈むこのモヤモヤは…
渦巻く不安が早く消えて欲しいのに、全然消えてくれそうになかった。
□ □ □
あの後は苛立ちが治まらない様子の火神くんを言葉巧みになだめて…結局予定通り、MAJIバーガーに私たちは寄ることにした。
本当は3人で寄る予定だったけれど、大事な話をしているのかもしれないし、中学時代からの付き合いの二人に割って入れないわけで、…あの場から立ち去るのは仕方ない事だ。むしろナイス判断かも。
黒子くんを連れてくるならば彼女も付いてくるだろう。そしたらまた桃井さんと火神くんが言い争いになってしまうかもしれないし。
しかも、店の中で。お店の中で言い争いなんて尚更勘弁して欲しい。
黒子くんがいつも気に入って座っている窓際の席に腰掛けて、私は火神くんと向かい合ってオーダーしたポテトをつまんだ。
大好きなバニラシェイクももちろん注文した。火神くんは相変わらずトレーに乗り切れない山のように積まれたハンバーガーをがつがつと食べている。練習した後の空腹を満たすにはこれぐらい食べないと満足できないらしい。
火神くんはコーラを飲み込んで大きくため息をつくと、桃井さんについて愚痴りはじめた。
「何で女ってあんなキンキンとうるせぇもんなんスかね」
同時に再び食べ始め、もぐもぐと口を動かしながらしゃべるのは特技といってもいいだろう。
頬張った火神くんの頬袋はまるでリスのようだ。
「キンキン?…キャピキャピの間違いじゃない?」
「ああ、それそれ」
そんな言い間違いがあるんだと不思議に思いながら、私は「若いからじゃないかな」なんて適当に返した。
私は若くても、高校生に戻れたとしても、現役高校生だったときも、ああいう明るくてキャピキャピしたタイプとは縁遠い感じのタイプだったから、とても真似できないなぁと思う。
髪がキレイで長くて、スタイルもよくて、顔もお人形さんみたいにかわいい子。
目もパッチリとしていて。女の子ならあんな風になりたいと憧れるような子だった。…あれが、彼女かぁ。
「黒子くんってああいうのがタイプ、なのかなぁ…」
バニラシェイクを両手で持って、俯いてぽつりと呟く。呟きつつも、何を言ってるんだと自分でツッコミを入れたくなった。
タイプも何も、あれは黒子くんの彼女なのだ。今更そんなことを考えても仕方ないのに。
心臓が疼く様に鳴っているのが自分でも分かる。でも本当はこれはドキドキじゃなくて、ズキズキという音だ。
火神くんの前だから表情も繕わなくちゃと思って俯いているとはいえ、一応笑って見せる。
しかし、うまく笑えてるつもりでいたのに、火神くんは気づいていた。
ハンバーガーを食べる手をとめて、私を見て、『大丈夫、…すか?』と、彼は声をかけた。
「なにが?」
「顔がさっきから引きつってる」
「う、うそ…いつから?」
「学校出た時あたりから…ッスけど」
私は俯いていた顔をあげて、慌てて横のガラス窓を鏡代わりにして確認した。どうしよう。
火神くんに言われた通り、不自然に引きつっていた。顔に出ていたなんて。
この引きつり方、私は私の顔を何度も見てるから知っている。泣きそうなのに我慢している顔。
無理して隠し通す気でいたのに、もやもやした気持ちは心の底に沈めておけばいいと思っていたのに。
やはり寄り道せずに帰ればよかったのだ。火神くんにこんな顔を見られてしまったことをすごく後悔した。
桃井さんが黒子くんに抱きついた瞬間、私は確実にショックを受けていたのだ。
――これって、私が黒子くんに恋をしていたってことになる。
ああ、やっぱり。そうだった。わかっていた。わかっていたけれど。
でもまさかこんな形で確信的な自覚も、恋の終わりも、同時にくるなんて、心が受け止められない。
部員達が噂していていたことも、自分が落ち込まないように確信がない話なのだと自分に言い聞かせて乗り切ったのだ。
でも、それは真実だったのだ。覚悟もなく目の当たりにしてしまう日がくるなんて。
今日はこんな日になるはずじゃなかったのに。どうせ終わりがくるのなら、自分から告白してフラれた方がまだマシな終わり方だ。
まだ告白もしてないのに…そもそもする勇気があるかは別として…現実は待ったなしでやってきたのだ。
桃井さんは可愛い子だった。歳だって黒子くんと同じで、中学校も同じで、中学時代から付き合っていたんだろうか。
憶測も悪い方向へどんどん進んでしまうと、引きつった顔も元に戻らなくなっていた。
不自然な表情の言い訳を考えていたら、火神くんから予想の斜め上をいく一言が出てきた。
「腹でも痛いんすか?」
火神くんに気づかれたらどうしようと心配していたが、その心配は思い過ごしだった。
色恋には鈍感に見えて、実際に鈍感な彼に救われた。
よかった、本当に理由は気づかれていない――不意に気が緩んで、私の目からはぽろぽろと涙が零れた。
ショックだった映像が――彼女が、彼に抱きつく――、頭の中で繰り返されて辛い。
『テツくん』と、そんな風に呼ぶのだ。呼べてしまうのだ、簡単に。
「そうなの。お腹が痛いの。泣けてくるほど痛くて」
「おい、マネージャー?!」
突然泣き出した私に火神くんは目を見開いていた。
そのうち、涙が止まらなくなり、うえ、うえ、と情けなく泣きはじめた私を見て、火神くんはとうとう席を立ち上がって、私の隣に来た。
年下の、高校生に心配させて私は何をやってるんだろう。本当に情けなくなってきた。
ここまで感情をコントロールするのが下手だったことに今自分でも驚いている。
どこか自負していたんだ。優越に思っていた。
“影が薄い”と言われる彼を、一目見たときから印象深く刻んで、どこにいても見つけられるのはもしかしたら私だけかも…、なんて。
だけど、そんなはずはなかった。ちゃんと彼の魅力を知ってる子は私にもいるんだ。
優しくて、紳士的で、物怖じしなくて、正義感も強くて、時々すごく凛々しくて、見た目よりもずっと中身は男らしいこと――彼を知れば、周りの女の子は放っておくはずないのに。あの桃井さんという子は、見る目があるってことだ。
私は歳さえ違う。したくても彼と学生生活を共にすることもできない。制服も着れる歳じゃない。
例えあの子に張り合っても勝てる気なんてしない。あんな子が彼女なら、他の子に目移りする可能性なんてゼロに等しい。
それでも私は黒子くんが――
「好きなの」
「…は?」
不意に漏れた言葉はもう、認めざるを得ないぐらいに、本音だ。
心配になって、不安そうな表情で私の顔を覗き込んできた火神くんは首をかしげた。
私は泣くことも止めないが、彼がこの涙の理由を腹痛だと勘違いをしていることを良いことに言い訳を続けた。
「ここのバニラシェイクがすごく好きなの。泣くほどお腹が痛いけど、それでも好きなの」
「ちょ…、泣くほど痛いってやっぱヤバイんじゃ…」
顔を真っ赤にして泣いて、バニラシェイクの蓋には涙がぼたぼたとたれて小さな水たまりを作る。
火神くんは本気で慌てている。このままだと救急車を呼んでしまうかもしれないなぁなんて頭を過ぎるも、涙が止まらない。
ボロボロと零れる涙を火神くんは自分の袖でぬぐってくれた。こんな不細工な泣き顔見せた上に袖を汚させてごめんなさいと本気で思った。
きっと他のお客さんからも注目を集めてしまっているに違いない。私が泣いているというのもあるけれど、火神くんはもともと目立つから。
他のお客さんには、火神くんが私を泣かしているみたいに見えるんだろうなぁ。
あと1分。あと1分経ったら泣き止むから――そう誓った刹那、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「火神くん、琴音さんを泣かせないでください」
振り向かなくてもわかるから、振り向かない。黒子くんの声だ。走ってきたのか、珍しく息が切れている様子だ。
突然話しかけられたことに、うお!と火神くんは驚いた。
「いつからそこにいんだよ!?」
「さっきから…と言いたいところですが、今来ました。火神くん、琴音さんに何をしたんですか?」
「何もしてねーし泣かしてねぇよ!…なんか腹が痛いみてーなんだわ」
火神くんの質問をスルーして、彼を押し退けると、今度は黒子くんが私の隣にやって来た。
泣いている時でなければ嬉しいのだが、こんな状況だ。今一番隣にきて欲しくない人だった。
こんな顔見せたくないとばかりに私は俯いたまま顔を上げなかった。
「大丈夫ですか?」
「うん、ごめん、大丈夫。痛み、だんだん落ち着いてきたから…」
「ホントですか…?よかったです」
「火神くんも、ありがとうね。心配させてごめんね」
「いや、俺は大丈夫だけどさ…ほんとに平気か?」
「うん、大丈夫」
黒子くんが私の背中をなでてくれる。火神くんはバトンタッチだとばかりにまた向かいの席に戻ってハンバーガーを食べ始めた。
今度来たときは私がどっさりハンバーガーを奢ってあげよう。火神くんにはすごく気を遣わせてしまった。それぐらいお礼をしないと罰があたる。
黒子くんの手が熱い。熱が私の背中まで伝わってくる。本当に走ってきたんだろうなぁ。
体が温まっているのがその証拠だ。あの…、と、顔をあげないまま消え入るように私は言う。
「…彼女さん、連れてこなくてよかったの?」
「連れてきませんよ。用事は終わりましたから。それに桃井さんは彼女じゃありません。中学時代のバスケ部のマネージャーです」
「え、彼女じゃねーの?」
「違います」
火神くんもつられて聞くと、黒子くんはキッパリと否定した。今度こそ、聞き間違いじゃないだろう。
全ては自分の勘違いだったのだ。確かに黒子くんは自分から彼女だなんて一言も言っていない。
さっきまで泣いていたこと、穴があったら入りたいほどに恥ずかしく思えて、耐えきれず、私は店の窓ガラスにもたれかかっててずるずると沈んでいった。二人は慌てて私に呼びかける。お腹がまた痛みだしたのか!?と慌てたんだろう。
最初から痛かったのはお腹じゃなくて、心だ。でもそのズキズキの原因も私の勘違いだと知った。
ならばもう落ち込んでいる理由もない。変に心配させてしまうだけだ。
私は座り直して背筋をのばして、ゆっくり深呼吸した後、泣き腫らした目で小さく笑った。
もう大丈夫だから、と言うと、二人とも安堵していたようだ。今度はちゃんと自然に笑えていたようだ。
しかし勘違いだったなんて、どうしようもなく、恥ずかしい。
□ □ □
あの後、私は黒子くんと火神くんを置いてMAJIバーガーを出た。
涙の理由をお腹の痛みにしていたのだから、長居するわけにもいなかい。
治ったとはいえ、早く帰ることが一番だ。彼らに余計な心配をさせなくていいだろうと思っていたのだが――
しばらくして、背後から近づいてくる足音に気づいて振り返ると、黒子くんが付いて来ていた。
「体調が悪いのに、1人で帰らせるのは心配です」
これを断っても言うことを聞かないだろう。意外と頑固な性格だともう知っているので、お言葉に甘えて送ってもらうことにした。
ああ、何度目だろう。黒子くんと私の住んでいる家の方向が一緒で、時々部活帰りに帰り道を共にした。
最初は嬉しくなって一緒に帰った日を指折り数えていた。何日かそんな日が続いて、嬉しくなる日が日常になればいいと願って数えるのを辞めた。
今日は一緒に帰路を歩くのは何回目だろうか。
こんな腫らしたままの目じゃ、合わせるのも恥ずかしくて躊躇う。
あまり泣き顔を見られたくないという気持ちを察してか、黒子くんもこちらを見ようとはしなかった。黒子くんは真っ直ぐ前を向きながら、私は足下を見ながらゆっくり歩く。
「あなたが泣いていたのを見て、火神くんがひどいことを言ったのかと思いました」
「どうしてそう思ったの?」
「僕と琴音さんが火神くんと桃井さんの仲裁をしたから、その後、怒りが治まらない火神くんに八つ当たりをされたのかと」
その発想はなかったなぁ、と思わず笑ってしまった。
「火神くんは八つ当たりどころか、泣いてる私の目を袖で拭ってくれたよ。不器用だけど優しいところあるよね」
そう返すと、黒子くんからはしばらく返事がなかった。火神くんの紳士的行動に内心、驚いているんだろうか。
思い返すと、少し驚く行動だったかなぁ。火神くんはあんな風な優しい一面も持っていた。
黒子くんに彼女がいると知ってショックで泣いていたことが悟られなかったのは、火神くんだったからだろう。
他の部員たちだったら確実に悟られていたと思う。火神くんで、助かった。
もう私の家はすぐそこだ。そこでお別れ。黒子くんは、いつもここを通り過ぎて真っ直ぐ進んで最初の角で曲がる。
別れた後も後ろ姿をこっそりと見送っているので、覚えてしまった。
こんなこと本人に知られたら薄気味悪がられるかもしれないので、絶対に秘密にしておこうと思う。
「送ってくれてありがとう」
「はい」
「今度また改めてMAJIバーガー行こうね」
「はい。今度また、必ず」
最後の一言二言ぐらいは向かい合って言わないと思い、私は泣いた後の顔を見られるのは恥ずかしかったけれど、顔を上げて伝えた。
今度行くときは黒子くんにも火神くんにも、今日の埋め合わせということでご馳走するつもりだ。
特に火神くんには、お礼の代わりにたくさんハンバーガーを買ってあげよう。
黒子くんの後ろ姿を見送ったら家に入ろうと思っていたのに、黒子くんは曲がり角で曲がろうというときに立ち止まって、またこちらに戻ってきた。
とうとう、いつも曲がり角を曲がるまで見送っていたことががバレれた?と思い、“たまたま見ていた”という理由を考えないと――と焦っていたら、私がしゃべるより早く黒子くんは一言だけ告げて、また去って行った。
「泣きそうな時は…今度はすぐ僕を呼んで下さい。駆けつけますから」
言いたいことだけ言って、黒子くんが今度こそ、曲がり角を曲がったのを、私は見送った。
しばらく家に入ることも出来ず、さっきまでそこにいた黒子くんの残像を見つめるかのように、呆然としていた。
とんでもないことを言われた気がする。何がとんでもないのか、正常な思考能力が働かない今だときっと気づかない。
思い上がらないように、私は自分の頬をつねったが、逆効果でしかなかった。
その痛みが、黒子くんの言葉が「夢じゃない」のだと自覚させる。
その言葉は、ただ単に火神くんと張り合いたくて言っただけなの?負けず嫌いな気持ちが言わせたの?
真意は分からない。ただ今は、泣いた分だけ、嬉しくて笑いたい気持ちだった。
――“今度はすぐ僕を呼んで下さい。駆けつけますから”
キミの言葉を、私は自分の都合のいいように受け取ってしまうよ。
次に涙を流すとき、嬉しい涙でも、悲しい涙でも、傍にいて欲しいと、黒子くんをを呼んでしまうよ。
黒子くんと出会った時のに感じた予感は必然となった。
まるで決められた筋書き通りのように、どうしようもなく恋をしている。恋でしかない。
それ以外、考えられない。
「テツくぅーーーーんッ!」
甘くて高い声。校門で大きくこちらを見て手を振っているのは、桃色の髪の美少女だった。
お腹すいたねぇ、なんて言いながら黒子くんと火神くんと一緒に並んで校門に向かって歩いている時だった。
『MAJIバーガー寄らない?』と誘おうとしたら、その甘い声は聞こえてきて、声の主は校門の脇に立っている。
遠目でも美少女と分かるほどスタイルも顔立ちもいい。桃色の髪を揺らしながら手を振っていた。
火神くんが小声で「うげ」と言ったのが聞こえた。
“テツくん”と呼んだということは――黒子テツヤくんの知り合いだろうか。
こちらが校門まで行くのが待ちきれなかったのか、少女はこちらまで駆け寄ってきてあっという間に距離を詰めてきた。
「会いたかった…テツくんっ!」
「苦しいです、桃井さん」
名前を呼んだということは知り合いで間違いなさそうだ。黒子くんは動揺することもなく、駆け寄ってくる少女を見ていた。
桃井さんと呼ばれた少女は距離をつめるどころかそのまま黒子くんに、勢いよく抱きついた。漫画みたいにドーン!て音がしそうなほど勢いよく。
他の下校中の生徒の視線も自然と集まる。ただ、ほとんどの男子が「あんな美少女に抱きつかれていいなぁ」と羨んでいるのは間違いないだろう。
…あっ。
私はそれを見て思わず口をポカンと開けて驚いた表情をしてしまった。
そして思い出す。数日前、部員達が黒子くんに関する噂話をしていたことを。
『桐皇学園には元同じ中学の彼女がいる』という噂。
部員達は心底羨ましがっていて口々に騒ぎ出したが、それを聞いたとき、ホントかどうかわからないし…なんて思っていたけれど、本当だったんだ。
桃色の髪がふわりとなびいて、いい香りがした。これが――黒子くんの彼女。
「離れてください」
抱きつかれてすぐに黒子くんは桃井さんの腕に手を添えて話、一歩後退して距離を置いた。
会うたびにこうして飛びつかれるのは慣れているといった様子だった。
黒子くんは困ってるでも怒ってるでもなく、変わらない冷静な表情のままだが、彼女はそれでもめげずにニッコリと満足げな笑顔だった。
火神くんが舌打ちをしながら背を屈めて桃井さんを覗き込んだ。何だか嫌な予感がする。
「お前、また来たのかよ。何の用だ」
あからさまに喧嘩を売ってるような口調の火神くんに、彼女の笑顔もムッとした表情に変わった。
桐皇学園といったら次の決勝リーグの対戦相手だ。
リコちゃんから、ついこの前のプール練でも水着姿で敵状視察をしてきた桐皇のマネージャーというのは彼女だろう。
彼女がプール練に突然やって来た日、私も大学の授業で練習のサポートは不在、火神くんも秀徳戦で痛めた足を休めるために不参加だったので、話には聞いていたものの実際に本人に会うのは初めてだった。
今日は何の用事だろう?また視察・・・?
「テツくんに会いに来たんです。ここの近くにたまたま用事があったから…」
「決戦を前によく敵の学校に会いに来るとかできんな。信じらんねェ」
「ひっどい!何でそんなこと言われないといけないの?」
「ここは誠凛なんだぜ。会いに来たとか言ってまた敵状視察なんじゃねーのか?」
「違うわよ。今日はプライベートですぅ」
火神くんはイラつく様子を見せて乱暴に言うと、桃井さんは頬をふくらませた。
怒った顔も、女の私から見ても、かわいい…と自然に思ってしまう。黒子くんから抱きつくのをやめた代わりに、今度は腕をガシリとつかみながら、火神くんと睨みあって二人はバチバチと火花を散らしていた。
私は火神くんの腕を掴んでぐいぐいと後退させると、肩を叩いて落ち着かせた。
「ほら、ケンカしちゃダメだよ。今は試合じゃないでしょ?」
「琴音さんの言う通りです。二人とも落ち着いてください」
慌てて宥めると二人とも押し黙った。黒子くんもフォローに入ってくれた。
人には相性というものがある…火神くんとこの桃井さんという子は油と水のように思えた。
このまま火神くんがいるとまた言い合いになってしまうかもしれないので、私は掴んだ腕をそのまま引っ張って歩き出した。
制服でなく、私服の私を見て桃井さんはここの学生でないことを悟っていたような気がする。
私は桃井さんに自己紹介もままならないまま、私と火神くんは、黒子くんを置いて学校を後にした。
そもそも、彼女が学校まで会いにきているというのに、二人きりにしないのは野暮だろう。
――しかし、桃井さんが黒子くんに抱きついた時から心の中に沈むこのモヤモヤは…
渦巻く不安が早く消えて欲しいのに、全然消えてくれそうになかった。
□ □ □
あの後は苛立ちが治まらない様子の火神くんを言葉巧みになだめて…結局予定通り、MAJIバーガーに私たちは寄ることにした。
本当は3人で寄る予定だったけれど、大事な話をしているのかもしれないし、中学時代からの付き合いの二人に割って入れないわけで、…あの場から立ち去るのは仕方ない事だ。むしろナイス判断かも。
黒子くんを連れてくるならば彼女も付いてくるだろう。そしたらまた桃井さんと火神くんが言い争いになってしまうかもしれないし。
しかも、店の中で。お店の中で言い争いなんて尚更勘弁して欲しい。
黒子くんがいつも気に入って座っている窓際の席に腰掛けて、私は火神くんと向かい合ってオーダーしたポテトをつまんだ。
大好きなバニラシェイクももちろん注文した。火神くんは相変わらずトレーに乗り切れない山のように積まれたハンバーガーをがつがつと食べている。練習した後の空腹を満たすにはこれぐらい食べないと満足できないらしい。
火神くんはコーラを飲み込んで大きくため息をつくと、桃井さんについて愚痴りはじめた。
「何で女ってあんなキンキンとうるせぇもんなんスかね」
同時に再び食べ始め、もぐもぐと口を動かしながらしゃべるのは特技といってもいいだろう。
頬張った火神くんの頬袋はまるでリスのようだ。
「キンキン?…キャピキャピの間違いじゃない?」
「ああ、それそれ」
そんな言い間違いがあるんだと不思議に思いながら、私は「若いからじゃないかな」なんて適当に返した。
私は若くても、高校生に戻れたとしても、現役高校生だったときも、ああいう明るくてキャピキャピしたタイプとは縁遠い感じのタイプだったから、とても真似できないなぁと思う。
髪がキレイで長くて、スタイルもよくて、顔もお人形さんみたいにかわいい子。
目もパッチリとしていて。女の子ならあんな風になりたいと憧れるような子だった。…あれが、彼女かぁ。
「黒子くんってああいうのがタイプ、なのかなぁ…」
バニラシェイクを両手で持って、俯いてぽつりと呟く。呟きつつも、何を言ってるんだと自分でツッコミを入れたくなった。
タイプも何も、あれは黒子くんの彼女なのだ。今更そんなことを考えても仕方ないのに。
心臓が疼く様に鳴っているのが自分でも分かる。でも本当はこれはドキドキじゃなくて、ズキズキという音だ。
火神くんの前だから表情も繕わなくちゃと思って俯いているとはいえ、一応笑って見せる。
しかし、うまく笑えてるつもりでいたのに、火神くんは気づいていた。
ハンバーガーを食べる手をとめて、私を見て、『大丈夫、…すか?』と、彼は声をかけた。
「なにが?」
「顔がさっきから引きつってる」
「う、うそ…いつから?」
「学校出た時あたりから…ッスけど」
私は俯いていた顔をあげて、慌てて横のガラス窓を鏡代わりにして確認した。どうしよう。
火神くんに言われた通り、不自然に引きつっていた。顔に出ていたなんて。
この引きつり方、私は私の顔を何度も見てるから知っている。泣きそうなのに我慢している顔。
無理して隠し通す気でいたのに、もやもやした気持ちは心の底に沈めておけばいいと思っていたのに。
やはり寄り道せずに帰ればよかったのだ。火神くんにこんな顔を見られてしまったことをすごく後悔した。
桃井さんが黒子くんに抱きついた瞬間、私は確実にショックを受けていたのだ。
――これって、私が黒子くんに恋をしていたってことになる。
ああ、やっぱり。そうだった。わかっていた。わかっていたけれど。
でもまさかこんな形で確信的な自覚も、恋の終わりも、同時にくるなんて、心が受け止められない。
部員達が噂していていたことも、自分が落ち込まないように確信がない話なのだと自分に言い聞かせて乗り切ったのだ。
でも、それは真実だったのだ。覚悟もなく目の当たりにしてしまう日がくるなんて。
今日はこんな日になるはずじゃなかったのに。どうせ終わりがくるのなら、自分から告白してフラれた方がまだマシな終わり方だ。
まだ告白もしてないのに…そもそもする勇気があるかは別として…現実は待ったなしでやってきたのだ。
桃井さんは可愛い子だった。歳だって黒子くんと同じで、中学校も同じで、中学時代から付き合っていたんだろうか。
憶測も悪い方向へどんどん進んでしまうと、引きつった顔も元に戻らなくなっていた。
不自然な表情の言い訳を考えていたら、火神くんから予想の斜め上をいく一言が出てきた。
「腹でも痛いんすか?」
火神くんに気づかれたらどうしようと心配していたが、その心配は思い過ごしだった。
色恋には鈍感に見えて、実際に鈍感な彼に救われた。
よかった、本当に理由は気づかれていない――不意に気が緩んで、私の目からはぽろぽろと涙が零れた。
ショックだった映像が――彼女が、彼に抱きつく――、頭の中で繰り返されて辛い。
『テツくん』と、そんな風に呼ぶのだ。呼べてしまうのだ、簡単に。
「そうなの。お腹が痛いの。泣けてくるほど痛くて」
「おい、マネージャー?!」
突然泣き出した私に火神くんは目を見開いていた。
そのうち、涙が止まらなくなり、うえ、うえ、と情けなく泣きはじめた私を見て、火神くんはとうとう席を立ち上がって、私の隣に来た。
年下の、高校生に心配させて私は何をやってるんだろう。本当に情けなくなってきた。
ここまで感情をコントロールするのが下手だったことに今自分でも驚いている。
どこか自負していたんだ。優越に思っていた。
“影が薄い”と言われる彼を、一目見たときから印象深く刻んで、どこにいても見つけられるのはもしかしたら私だけかも…、なんて。
だけど、そんなはずはなかった。ちゃんと彼の魅力を知ってる子は私にもいるんだ。
優しくて、紳士的で、物怖じしなくて、正義感も強くて、時々すごく凛々しくて、見た目よりもずっと中身は男らしいこと――彼を知れば、周りの女の子は放っておくはずないのに。あの桃井さんという子は、見る目があるってことだ。
私は歳さえ違う。したくても彼と学生生活を共にすることもできない。制服も着れる歳じゃない。
例えあの子に張り合っても勝てる気なんてしない。あんな子が彼女なら、他の子に目移りする可能性なんてゼロに等しい。
それでも私は黒子くんが――
「好きなの」
「…は?」
不意に漏れた言葉はもう、認めざるを得ないぐらいに、本音だ。
心配になって、不安そうな表情で私の顔を覗き込んできた火神くんは首をかしげた。
私は泣くことも止めないが、彼がこの涙の理由を腹痛だと勘違いをしていることを良いことに言い訳を続けた。
「ここのバニラシェイクがすごく好きなの。泣くほどお腹が痛いけど、それでも好きなの」
「ちょ…、泣くほど痛いってやっぱヤバイんじゃ…」
顔を真っ赤にして泣いて、バニラシェイクの蓋には涙がぼたぼたとたれて小さな水たまりを作る。
火神くんは本気で慌てている。このままだと救急車を呼んでしまうかもしれないなぁなんて頭を過ぎるも、涙が止まらない。
ボロボロと零れる涙を火神くんは自分の袖でぬぐってくれた。こんな不細工な泣き顔見せた上に袖を汚させてごめんなさいと本気で思った。
きっと他のお客さんからも注目を集めてしまっているに違いない。私が泣いているというのもあるけれど、火神くんはもともと目立つから。
他のお客さんには、火神くんが私を泣かしているみたいに見えるんだろうなぁ。
あと1分。あと1分経ったら泣き止むから――そう誓った刹那、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「火神くん、琴音さんを泣かせないでください」
振り向かなくてもわかるから、振り向かない。黒子くんの声だ。走ってきたのか、珍しく息が切れている様子だ。
突然話しかけられたことに、うお!と火神くんは驚いた。
「いつからそこにいんだよ!?」
「さっきから…と言いたいところですが、今来ました。火神くん、琴音さんに何をしたんですか?」
「何もしてねーし泣かしてねぇよ!…なんか腹が痛いみてーなんだわ」
火神くんの質問をスルーして、彼を押し退けると、今度は黒子くんが私の隣にやって来た。
泣いている時でなければ嬉しいのだが、こんな状況だ。今一番隣にきて欲しくない人だった。
こんな顔見せたくないとばかりに私は俯いたまま顔を上げなかった。
「大丈夫ですか?」
「うん、ごめん、大丈夫。痛み、だんだん落ち着いてきたから…」
「ホントですか…?よかったです」
「火神くんも、ありがとうね。心配させてごめんね」
「いや、俺は大丈夫だけどさ…ほんとに平気か?」
「うん、大丈夫」
黒子くんが私の背中をなでてくれる。火神くんはバトンタッチだとばかりにまた向かいの席に戻ってハンバーガーを食べ始めた。
今度来たときは私がどっさりハンバーガーを奢ってあげよう。火神くんにはすごく気を遣わせてしまった。それぐらいお礼をしないと罰があたる。
黒子くんの手が熱い。熱が私の背中まで伝わってくる。本当に走ってきたんだろうなぁ。
体が温まっているのがその証拠だ。あの…、と、顔をあげないまま消え入るように私は言う。
「…彼女さん、連れてこなくてよかったの?」
「連れてきませんよ。用事は終わりましたから。それに桃井さんは彼女じゃありません。中学時代のバスケ部のマネージャーです」
「え、彼女じゃねーの?」
「違います」
火神くんもつられて聞くと、黒子くんはキッパリと否定した。今度こそ、聞き間違いじゃないだろう。
全ては自分の勘違いだったのだ。確かに黒子くんは自分から彼女だなんて一言も言っていない。
さっきまで泣いていたこと、穴があったら入りたいほどに恥ずかしく思えて、耐えきれず、私は店の窓ガラスにもたれかかっててずるずると沈んでいった。二人は慌てて私に呼びかける。お腹がまた痛みだしたのか!?と慌てたんだろう。
最初から痛かったのはお腹じゃなくて、心だ。でもそのズキズキの原因も私の勘違いだと知った。
ならばもう落ち込んでいる理由もない。変に心配させてしまうだけだ。
私は座り直して背筋をのばして、ゆっくり深呼吸した後、泣き腫らした目で小さく笑った。
もう大丈夫だから、と言うと、二人とも安堵していたようだ。今度はちゃんと自然に笑えていたようだ。
しかし勘違いだったなんて、どうしようもなく、恥ずかしい。
□ □ □
あの後、私は黒子くんと火神くんを置いてMAJIバーガーを出た。
涙の理由をお腹の痛みにしていたのだから、長居するわけにもいなかい。
治ったとはいえ、早く帰ることが一番だ。彼らに余計な心配をさせなくていいだろうと思っていたのだが――
しばらくして、背後から近づいてくる足音に気づいて振り返ると、黒子くんが付いて来ていた。
「体調が悪いのに、1人で帰らせるのは心配です」
これを断っても言うことを聞かないだろう。意外と頑固な性格だともう知っているので、お言葉に甘えて送ってもらうことにした。
ああ、何度目だろう。黒子くんと私の住んでいる家の方向が一緒で、時々部活帰りに帰り道を共にした。
最初は嬉しくなって一緒に帰った日を指折り数えていた。何日かそんな日が続いて、嬉しくなる日が日常になればいいと願って数えるのを辞めた。
今日は一緒に帰路を歩くのは何回目だろうか。
こんな腫らしたままの目じゃ、合わせるのも恥ずかしくて躊躇う。
あまり泣き顔を見られたくないという気持ちを察してか、黒子くんもこちらを見ようとはしなかった。黒子くんは真っ直ぐ前を向きながら、私は足下を見ながらゆっくり歩く。
「あなたが泣いていたのを見て、火神くんがひどいことを言ったのかと思いました」
「どうしてそう思ったの?」
「僕と琴音さんが火神くんと桃井さんの仲裁をしたから、その後、怒りが治まらない火神くんに八つ当たりをされたのかと」
その発想はなかったなぁ、と思わず笑ってしまった。
「火神くんは八つ当たりどころか、泣いてる私の目を袖で拭ってくれたよ。不器用だけど優しいところあるよね」
そう返すと、黒子くんからはしばらく返事がなかった。火神くんの紳士的行動に内心、驚いているんだろうか。
思い返すと、少し驚く行動だったかなぁ。火神くんはあんな風な優しい一面も持っていた。
黒子くんに彼女がいると知ってショックで泣いていたことが悟られなかったのは、火神くんだったからだろう。
他の部員たちだったら確実に悟られていたと思う。火神くんで、助かった。
もう私の家はすぐそこだ。そこでお別れ。黒子くんは、いつもここを通り過ぎて真っ直ぐ進んで最初の角で曲がる。
別れた後も後ろ姿をこっそりと見送っているので、覚えてしまった。
こんなこと本人に知られたら薄気味悪がられるかもしれないので、絶対に秘密にしておこうと思う。
「送ってくれてありがとう」
「はい」
「今度また改めてMAJIバーガー行こうね」
「はい。今度また、必ず」
最後の一言二言ぐらいは向かい合って言わないと思い、私は泣いた後の顔を見られるのは恥ずかしかったけれど、顔を上げて伝えた。
今度行くときは黒子くんにも火神くんにも、今日の埋め合わせということでご馳走するつもりだ。
特に火神くんには、お礼の代わりにたくさんハンバーガーを買ってあげよう。
黒子くんの後ろ姿を見送ったら家に入ろうと思っていたのに、黒子くんは曲がり角で曲がろうというときに立ち止まって、またこちらに戻ってきた。
とうとう、いつも曲がり角を曲がるまで見送っていたことががバレれた?と思い、“たまたま見ていた”という理由を考えないと――と焦っていたら、私がしゃべるより早く黒子くんは一言だけ告げて、また去って行った。
「泣きそうな時は…今度はすぐ僕を呼んで下さい。駆けつけますから」
言いたいことだけ言って、黒子くんが今度こそ、曲がり角を曲がったのを、私は見送った。
しばらく家に入ることも出来ず、さっきまでそこにいた黒子くんの残像を見つめるかのように、呆然としていた。
とんでもないことを言われた気がする。何がとんでもないのか、正常な思考能力が働かない今だときっと気づかない。
思い上がらないように、私は自分の頬をつねったが、逆効果でしかなかった。
その痛みが、黒子くんの言葉が「夢じゃない」のだと自覚させる。
その言葉は、ただ単に火神くんと張り合いたくて言っただけなの?負けず嫌いな気持ちが言わせたの?
真意は分からない。ただ今は、泣いた分だけ、嬉しくて笑いたい気持ちだった。
――“今度はすぐ僕を呼んで下さい。駆けつけますから”
キミの言葉を、私は自分の都合のいいように受け取ってしまうよ。
次に涙を流すとき、嬉しい涙でも、悲しい涙でも、傍にいて欲しいと、黒子くんをを呼んでしまうよ。
黒子くんと出会った時のに感じた予感は必然となった。
まるで決められた筋書き通りのように、どうしようもなく恋をしている。恋でしかない。
それ以外、考えられない。