黒子くんと大学生マネージャー
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――ガラガラ……バタンッ!
まるで鉄の扉のように重い音が、無情にも僕の背後で聞こえた。
実力テストも近いということで今日の部活は早めに切り上げ、7時には完全撤収ということですでに備品も片づけ終わったのに。
――何故か、僕は、体育倉庫に閉じこめられてしまいました。
ボールを片づけていた時、カゴの一番上にあったボールがぐらぐらと揺れて体育倉庫の奥に転がっていった。
暗闇で見えにくい中、転がったボールを探していたその時、先ほどの重い扉を開く音……加えて、『ガチャリ』という嫌な音がした。
気づいた時にはもう遅く、鍵を閉めたであろう部員の足音はあっという間に走って遠ざかって行った。
確かに僕は影も薄く存在感も無いですが…体育倉庫に閉じこめられるのは、初めての体験です。
こんなときでも冷静沈着でいたがる自分が嫌になる。恥ずかしいから取り乱さないわけじゃない。根っからこういう性格なんだ。
まだ人が近くにいるかもと思って扉を叩いてみるものの、特に反応なし。
バスケ部のみんなには、僕は先に帰ったと思われたに違いない。最悪なことに携帯電話も部室のロッカーの中に置いたままだ。
誰か気づいてくれるかどうか。
――これは…まずいです。
とりあえず、落ちたボールをカゴへ戻し、マットの上に座ってみた。
薄暗い体育倉庫。外はこれから暑くなるというのに、この空間だけひやりとした空気が流れている。
閉じこめられたたという閉鎖感が相まって、ここは少し薄気味悪い場所い思えた。
例えば、閉じ込められたのが火神くんだったら、ガタガタと震えて怖がっているかもしれない。
彼はおばけとかそういう類のものが苦手なのだ。そもそも彼は存在感があるので、僕みたいに閉じ込められたりはしないだろうけれど。
ふ、と笑いそうになったが、決して笑えるような現状ではないので、首を横に振った。
扉を閉めた人だって僕がいると知っていてわざと閉めたわけじゃないだろう。もしわざとだったら、困ります。
薄暗いこの空間で人がいるのが分からなかったんだ。気づくのがあと少し早かったら、声を出す前にボールを扉に投げつけて音を出して気づかせることもできたのに。ワンテンポ遅れたのだ。遅れなければ、こんな事にはならなかった。
あれから何度か扉を叩いたり外へ呼びかけてみたりしたが、何も返ってこない。
体育倉庫は体育館と隣接しているので、いつもだったらこの位置からでもボールの弾む音も聞こえてくるはずなのに今日は無音だ。
7時完全撤収…本当に誰1人と残させず、キャプテンが撤収させたようだ。
体育倉庫にはバスケットボールの他に、跳び箱、マットなど体育の時に使用する道具が一式、きちんと整えて保管されてた。
天井は高い。上の方に小さな窓があったのを見つけて、僕は跳び箱の上に乗ってそこから外の様子を眺めた。
この窓が人1人通れるぐらい大きい窓だったらなら、脱出できたのに。
ちょうど体育館の裏側と対面する。残念ながらここを通る人はほとんどいないので、ここからも助けを求めることは不可能だと悟った。
小窓から夕日が差し込み、マットが橙に染まっていた。じきにその橙も沈んで、この場所は真っ暗になるだろう。
遅くとも明日の朝練まで見つからなかったとしても、1食ぐらい抜かしたとしても死ぬわけではないが、僕が帰らないことで家族が心配する。
警察に連絡したりして、大ごとになったら、申し訳ない。と、それより前にカントクやキャプテンへ連絡が届くか。
――あと、今日したかったこと。大切なことを思い出した。
『MAJIバーガーで新作のイチゴバニラシェイクの発売日、まもなく♪』
テレビCMで流れていたのを何度も目にしていたので、発売日の日付は今日で間違いないだろう。
もともとあのお店のバニラシェイクは好物だ。イチゴと混ざったらもっと美味しいのは予想がつく。
数日前の帰り道、何気なくこの話題をふったら、琴音さんも「新作楽しみだよね」と同感してくれたのだ。
彼女もMAJIバーガーにはよく行くみたいだし、時々だが帰り道に僕と寄り道したこともある。
そこのメニューは一通り食べたことがあり、その中でもシェイク系やアイス系のものは特に美味しくて気に入っているようだった。
ただこの話題を話した頃は、発売日のだいぶ前だったので…彼女は覚えているだろうか。
「よかったら一緒に行こうね」
彼女は明るい声で笑った。約束という約束をしたわけではない。
記憶に留まることでもない一言二言のやりとりを、僕の脳は都合よく覚えていた。
ふわりと笑った表情が頭の中で何度も繰り替えされた。あれは、いわゆる社交辞令というやつかもしれない。
話題をふったら、琴音さんは誰にでもあんな風に返すのかもしれないと思ってしまえば、それまでだ。
ただ、もし、覚えてくれていたのだとしたら、僕は約束を破ったことになる。それが発売日にした約束でなかったとしても。
行けなくてごめんなさい、と、一言のメールさえも送れないままだ。
「…はぁ、」
自然とため息が漏れた。
閉じこめられたのは不慮の事故だ。あまり自分を責めるべきではないと分かりつつも、琴音さんが、僕が先に帰ったのを知ってしょんぼりとしている顔が浮かんだ。約束という約束をしたわけではないのに、彼女は普通に何も気にせず帰ってるかもしれないのに、こんなことを考えて…こんな都合のいいことばかり考えているのは閉じこめられて思考がが正常でなくなっているんだろう。
もし、彼女が僕を待っててくれていたとしたら、明日、謝ろう。彼女が約束を覚えていたとしても、忘れていたとしても。
こうして考えている間にも時間は刻々と過ぎていった。
ああ、お腹も空きました。イチゴバニラシェイク、飲みたかったです。
…なんて思いながらマットに仰向けになりながら天井を仰ぐ。さて、どうしようか。
飲めないとわかると余計に喉が渇くようで、同時に空腹感も刺激した。お腹の中で返事をするように、ぐう、と鳴る。
もう誰もいないとなると仕方ない。万が一、他の運動部が来るチャンスを待つか、警備員が最後に見回りにくるであろうチャンスを狙うしかない。
必ず体育館のドアを開けてこの倉庫にくるはずだから、そのドアの音を聞き逃したらおしまいだ。
それが聞こえたら、誰かが入ってきたら、思い切り助けを呼ぶんだ。
思い切り…?
未だかつて試合や応援以外で腹の底から大声なんて出したことはあっただろうか。恐らくない。
久しく大声なんて出していないので、いったいどれほどの声がでるのか、未知の世界。
僕は倉庫と体育館を隔てる分厚いドアに寄りかかって、そのチャンスを待った。
「閉じこめられるなんて間抜けです…」
静かな空間で呟いた一言は、虚空へ消えていった。
□ □ □
一人で静かな空間に居たせいか、もう何時間も経過しているように錯覚したが、実際は閉じ込められてから2時間も経過していないようだ。
時計は既に8時半を回った頃――
ガラガラ…
ドアを挟んだ遠くで微かに物音が聞こえた。体育館のドアをゆっくり開ける音だ。
そして体育倉庫の方へ近づいてくる足音。こっちに向かって来ている。こんな遅くにやって来るのは、もう他の運動部ではないだろう。
先生か、警備員か。警備員ならもう少し遅い気もするが――とにかく誰でもいい、ここを開けてくれるならば。
僕は立ち上がり、先ほどまで背もたれにしていた体育倉庫の重い扉と対面して、すうっと息を吸った。
“誰かいますかー!?”
大きな声で叫ぼうとした時、僕よりも早くその体育館にやってきた人物の方が大きな声をあげた。
「黒子くーん!いたら返事をしてー!?」
驚いて口から心臓が出そうになった。それは誰の声でもない、琴音さん本人の声だったからだ。
慌てて体育倉庫からドアを叩いて「僕はここです!」と返事をすると、足音は倉庫に近づいてきて僕と琴音さんはドアを隔てて対面した。
「よかったぁ、いた…!」
琴音さんは心底安心したような声で言った。
姿は見れないけれど、彼女の安堵した表情が想像できて、息が、一瞬つまる。
――ああそうか。閉じこめられて、僕は本当は心細かったんだなと、その時にやっと気づいた。
簡単に経緯を話そうとするより早く、琴音さんの足音が今度は体育館の出口へ向かって遠ざかる。
「鍵、すぐもらってくるから!」
急いで走ってくれているようだ。先ほども、『やっと、いた』と言っていたから、他の場所も探してくれていたんだ。
また、心にぽう、と灯火がともるようなあたたかい気持ちになる。何だろう。この気持ちは。安心とは少し違う、あたたかな感情。
その後、間もなく職員室で鍵を借りてきた琴音さんは、鍵を開けて扉を勢いよく開けた。
ガラッ、と空いた途端にお互いの目が合う。琴音さんは安堵したような表情――、だが、泣きそうな笑顔だ。
「よかった…何か事件に巻き込まれたのかと…」
「すいません…。閉じ込められてしまいました」
「ほんと、見つけられてよかったよ」
「… 僕が助けられる側なんて、なんだかカッコつかないですね」
「そんなことないよ」
情けなく苦笑すると、彼女は首を横に振りながら、僕の方へ一歩近づいて、そのまま僕を抱きしめた。
抱きしめた、というほどは力は入っていなかった気がする。ずっと閉じこめられていてぼんやりとした思考で、一瞬それは現実なのかわからなかった。ぽんぽん、と背中を軽く叩かれて…
「…情けないです」
体が固まって慌てることも出来きなかった。ぼんやりした頭でありきたりなことしか呟けない。
「ご、ごめん!つい…」
抱きしめられていたのは5秒にも満たなかっただろう。
琴音さんは慌てて離れて、暗闇でもわかるぐらい顔を真っ赤にさせていた。ごめん、ごめんとその後何度も謝られた。
僕は表情に出したつもりはなかったけど、心細い顔をしていたんだろか。不安そうな子供をあやすように背中をぽんぽんと叩いてくれた、琴音さんはそんな仕草を無意識にしてしまったんだろう。
きっとそんな感覚で、だ。――そうでなければ、…それ以外に、何があるんだ。心の中でかぶりを振った。
琴音さんの手が、この手がこの扉を開けた。僕を探してくれていんだ。
彼女の手を取りたかっのだけれど、痺れたように体が反応しなくて出来なかった。
きっと、黄瀬くんならこういう時に、女性を手を取るなんてことを軽くできてしまうんだろうな。
そもそも彼ならば、僕みたいに体育倉庫にうっかり閉じこめられるなんてヘマはしないとは思うが。
手には触れることは出来なかった。しかし伝えたいことぐらいは言わないとと思って勇気を出した。
「琴音さんなら、見つけてくれるって信じてましたから」
「…もう、調子いいなぁ」
彼女は赤面しつつも笑っていた。つられて僕も笑った。
真に受けてもらえなかった。ああやっぱり僕は情けないなぁなんて思ってしまうけれど、彼女の笑顔を見て、胸の奥がくすぐったくなった。
□ □ □
鍵を職員室に返して校門を出た時には、見事な満月が夜空に浮かんでいた。
夜風は涼しいけれど確かに湿気を含んで、もうすぐ梅雨が来るにおいがした。
二人で並んで夜道を歩く。こんな遅い時間に並んで歩くのは久しぶりだなと思った。
「先に帰ったみたいだったから、“今度、新作のシェイクのみに行こうね”ってメールを送ったら黒子くんのロッカーから携帯の音がして…。おかしいなと思ってロッカーを覗かせてもらったら携帯も鞄も置きっぱなしだったから。まだ学校にいるのかなって思って探したんだ。心あたりのある場所を一通り探したんだけど、どこにもいなくて」
僕を探していた理由を尋ねたら、琴音さんは淡々と説明しはじめた。
悲しい顔をして、その時に不安だった気持ちが伝わってくるようだ。よほど探してくれたんだろう。
「ほら、最近物騒でしょ?だから、部外者が学校に侵入してきて、何かよからぬ事件に巻き込まれたのかなって心配になって――って、色々考えてたら想像が悪い方向へいっちゃってね。…って、私も部外者なんだけどね」
「琴音さんは部外者なんかじゃないですよ。僕たちバスケ部の心強いマネージャーです」
「ほ、ほんと・・・?」
「はい。ほんとです」
すると、琴音さんはわかりやすく照れて、わかりやすく嬉しそうな顔をして喜んでいた。
彼女はころころと一喜一憂する。表情が微動にしか変わらない僕には羨ましく、眩しい。
ずっと見ていたくなるような、見ていて飽きない、年上なのに可愛らしい人だなと改めて思う。
…ほんとうに、かわいらしい人だ。
3つも年下の僕になんて思われたくないだろうけれど、ついついかわいいと思ってしまう、この気持ちは本心だ。
月が天まで昇って、僕たち二人の影を濃く作り、背後には、二人の影が長く伸びているだろう。
僕は影だ。影は光が強くなるほどその濃さを増す――、それが真実。
でもきっと、あなたはそれが真実だろうと、そうでなかったとしても、影を見つけてくれるんだろう。
そんな気がします。
いつでも、どこにいても。
「ちょっと遅くなりましたが、新作のシェイク飲みに行きませんか?お礼に奢らせてください」
相槌も返事も待つ前に、僕の手は彼女の手をとって歩き出した。ほんの少しの勇気が背中を押した。
体育倉庫では触れられなかった手だが、今度こそギュッと繋ぐ。僕が、あたなを連れていきたいんだ。
彼女が僕の手を握り返してくれたのは、ほんの数秒後。
――あぁ、よかった。
二人の影の手の部分が重なった事実は、月だけが知っている。
――ガラガラ……バタンッ!
まるで鉄の扉のように重い音が、無情にも僕の背後で聞こえた。
実力テストも近いということで今日の部活は早めに切り上げ、7時には完全撤収ということですでに備品も片づけ終わったのに。
――何故か、僕は、体育倉庫に閉じこめられてしまいました。
ボールを片づけていた時、カゴの一番上にあったボールがぐらぐらと揺れて体育倉庫の奥に転がっていった。
暗闇で見えにくい中、転がったボールを探していたその時、先ほどの重い扉を開く音……加えて、『ガチャリ』という嫌な音がした。
気づいた時にはもう遅く、鍵を閉めたであろう部員の足音はあっという間に走って遠ざかって行った。
確かに僕は影も薄く存在感も無いですが…体育倉庫に閉じこめられるのは、初めての体験です。
こんなときでも冷静沈着でいたがる自分が嫌になる。恥ずかしいから取り乱さないわけじゃない。根っからこういう性格なんだ。
まだ人が近くにいるかもと思って扉を叩いてみるものの、特に反応なし。
バスケ部のみんなには、僕は先に帰ったと思われたに違いない。最悪なことに携帯電話も部室のロッカーの中に置いたままだ。
誰か気づいてくれるかどうか。
――これは…まずいです。
とりあえず、落ちたボールをカゴへ戻し、マットの上に座ってみた。
薄暗い体育倉庫。外はこれから暑くなるというのに、この空間だけひやりとした空気が流れている。
閉じこめられたたという閉鎖感が相まって、ここは少し薄気味悪い場所い思えた。
例えば、閉じ込められたのが火神くんだったら、ガタガタと震えて怖がっているかもしれない。
彼はおばけとかそういう類のものが苦手なのだ。そもそも彼は存在感があるので、僕みたいに閉じ込められたりはしないだろうけれど。
ふ、と笑いそうになったが、決して笑えるような現状ではないので、首を横に振った。
扉を閉めた人だって僕がいると知っていてわざと閉めたわけじゃないだろう。もしわざとだったら、困ります。
薄暗いこの空間で人がいるのが分からなかったんだ。気づくのがあと少し早かったら、声を出す前にボールを扉に投げつけて音を出して気づかせることもできたのに。ワンテンポ遅れたのだ。遅れなければ、こんな事にはならなかった。
あれから何度か扉を叩いたり外へ呼びかけてみたりしたが、何も返ってこない。
体育倉庫は体育館と隣接しているので、いつもだったらこの位置からでもボールの弾む音も聞こえてくるはずなのに今日は無音だ。
7時完全撤収…本当に誰1人と残させず、キャプテンが撤収させたようだ。
体育倉庫にはバスケットボールの他に、跳び箱、マットなど体育の時に使用する道具が一式、きちんと整えて保管されてた。
天井は高い。上の方に小さな窓があったのを見つけて、僕は跳び箱の上に乗ってそこから外の様子を眺めた。
この窓が人1人通れるぐらい大きい窓だったらなら、脱出できたのに。
ちょうど体育館の裏側と対面する。残念ながらここを通る人はほとんどいないので、ここからも助けを求めることは不可能だと悟った。
小窓から夕日が差し込み、マットが橙に染まっていた。じきにその橙も沈んで、この場所は真っ暗になるだろう。
遅くとも明日の朝練まで見つからなかったとしても、1食ぐらい抜かしたとしても死ぬわけではないが、僕が帰らないことで家族が心配する。
警察に連絡したりして、大ごとになったら、申し訳ない。と、それより前にカントクやキャプテンへ連絡が届くか。
――あと、今日したかったこと。大切なことを思い出した。
『MAJIバーガーで新作のイチゴバニラシェイクの発売日、まもなく♪』
テレビCMで流れていたのを何度も目にしていたので、発売日の日付は今日で間違いないだろう。
もともとあのお店のバニラシェイクは好物だ。イチゴと混ざったらもっと美味しいのは予想がつく。
数日前の帰り道、何気なくこの話題をふったら、琴音さんも「新作楽しみだよね」と同感してくれたのだ。
彼女もMAJIバーガーにはよく行くみたいだし、時々だが帰り道に僕と寄り道したこともある。
そこのメニューは一通り食べたことがあり、その中でもシェイク系やアイス系のものは特に美味しくて気に入っているようだった。
ただこの話題を話した頃は、発売日のだいぶ前だったので…彼女は覚えているだろうか。
「よかったら一緒に行こうね」
彼女は明るい声で笑った。約束という約束をしたわけではない。
記憶に留まることでもない一言二言のやりとりを、僕の脳は都合よく覚えていた。
ふわりと笑った表情が頭の中で何度も繰り替えされた。あれは、いわゆる社交辞令というやつかもしれない。
話題をふったら、琴音さんは誰にでもあんな風に返すのかもしれないと思ってしまえば、それまでだ。
ただ、もし、覚えてくれていたのだとしたら、僕は約束を破ったことになる。それが発売日にした約束でなかったとしても。
行けなくてごめんなさい、と、一言のメールさえも送れないままだ。
「…はぁ、」
自然とため息が漏れた。
閉じこめられたのは不慮の事故だ。あまり自分を責めるべきではないと分かりつつも、琴音さんが、僕が先に帰ったのを知ってしょんぼりとしている顔が浮かんだ。約束という約束をしたわけではないのに、彼女は普通に何も気にせず帰ってるかもしれないのに、こんなことを考えて…こんな都合のいいことばかり考えているのは閉じこめられて思考がが正常でなくなっているんだろう。
もし、彼女が僕を待っててくれていたとしたら、明日、謝ろう。彼女が約束を覚えていたとしても、忘れていたとしても。
こうして考えている間にも時間は刻々と過ぎていった。
ああ、お腹も空きました。イチゴバニラシェイク、飲みたかったです。
…なんて思いながらマットに仰向けになりながら天井を仰ぐ。さて、どうしようか。
飲めないとわかると余計に喉が渇くようで、同時に空腹感も刺激した。お腹の中で返事をするように、ぐう、と鳴る。
もう誰もいないとなると仕方ない。万が一、他の運動部が来るチャンスを待つか、警備員が最後に見回りにくるであろうチャンスを狙うしかない。
必ず体育館のドアを開けてこの倉庫にくるはずだから、そのドアの音を聞き逃したらおしまいだ。
それが聞こえたら、誰かが入ってきたら、思い切り助けを呼ぶんだ。
思い切り…?
未だかつて試合や応援以外で腹の底から大声なんて出したことはあっただろうか。恐らくない。
久しく大声なんて出していないので、いったいどれほどの声がでるのか、未知の世界。
僕は倉庫と体育館を隔てる分厚いドアに寄りかかって、そのチャンスを待った。
「閉じこめられるなんて間抜けです…」
静かな空間で呟いた一言は、虚空へ消えていった。
□ □ □
一人で静かな空間に居たせいか、もう何時間も経過しているように錯覚したが、実際は閉じ込められてから2時間も経過していないようだ。
時計は既に8時半を回った頃――
ガラガラ…
ドアを挟んだ遠くで微かに物音が聞こえた。体育館のドアをゆっくり開ける音だ。
そして体育倉庫の方へ近づいてくる足音。こっちに向かって来ている。こんな遅くにやって来るのは、もう他の運動部ではないだろう。
先生か、警備員か。警備員ならもう少し遅い気もするが――とにかく誰でもいい、ここを開けてくれるならば。
僕は立ち上がり、先ほどまで背もたれにしていた体育倉庫の重い扉と対面して、すうっと息を吸った。
“誰かいますかー!?”
大きな声で叫ぼうとした時、僕よりも早くその体育館にやってきた人物の方が大きな声をあげた。
「黒子くーん!いたら返事をしてー!?」
驚いて口から心臓が出そうになった。それは誰の声でもない、琴音さん本人の声だったからだ。
慌てて体育倉庫からドアを叩いて「僕はここです!」と返事をすると、足音は倉庫に近づいてきて僕と琴音さんはドアを隔てて対面した。
「よかったぁ、いた…!」
琴音さんは心底安心したような声で言った。
姿は見れないけれど、彼女の安堵した表情が想像できて、息が、一瞬つまる。
――ああそうか。閉じこめられて、僕は本当は心細かったんだなと、その時にやっと気づいた。
簡単に経緯を話そうとするより早く、琴音さんの足音が今度は体育館の出口へ向かって遠ざかる。
「鍵、すぐもらってくるから!」
急いで走ってくれているようだ。先ほども、『やっと、いた』と言っていたから、他の場所も探してくれていたんだ。
また、心にぽう、と灯火がともるようなあたたかい気持ちになる。何だろう。この気持ちは。安心とは少し違う、あたたかな感情。
その後、間もなく職員室で鍵を借りてきた琴音さんは、鍵を開けて扉を勢いよく開けた。
ガラッ、と空いた途端にお互いの目が合う。琴音さんは安堵したような表情――、だが、泣きそうな笑顔だ。
「よかった…何か事件に巻き込まれたのかと…」
「すいません…。閉じ込められてしまいました」
「ほんと、見つけられてよかったよ」
「… 僕が助けられる側なんて、なんだかカッコつかないですね」
「そんなことないよ」
情けなく苦笑すると、彼女は首を横に振りながら、僕の方へ一歩近づいて、そのまま僕を抱きしめた。
抱きしめた、というほどは力は入っていなかった気がする。ずっと閉じこめられていてぼんやりとした思考で、一瞬それは現実なのかわからなかった。ぽんぽん、と背中を軽く叩かれて…
「…情けないです」
体が固まって慌てることも出来きなかった。ぼんやりした頭でありきたりなことしか呟けない。
「ご、ごめん!つい…」
抱きしめられていたのは5秒にも満たなかっただろう。
琴音さんは慌てて離れて、暗闇でもわかるぐらい顔を真っ赤にさせていた。ごめん、ごめんとその後何度も謝られた。
僕は表情に出したつもりはなかったけど、心細い顔をしていたんだろか。不安そうな子供をあやすように背中をぽんぽんと叩いてくれた、琴音さんはそんな仕草を無意識にしてしまったんだろう。
きっとそんな感覚で、だ。――そうでなければ、…それ以外に、何があるんだ。心の中でかぶりを振った。
琴音さんの手が、この手がこの扉を開けた。僕を探してくれていんだ。
彼女の手を取りたかっのだけれど、痺れたように体が反応しなくて出来なかった。
きっと、黄瀬くんならこういう時に、女性を手を取るなんてことを軽くできてしまうんだろうな。
そもそも彼ならば、僕みたいに体育倉庫にうっかり閉じこめられるなんてヘマはしないとは思うが。
手には触れることは出来なかった。しかし伝えたいことぐらいは言わないとと思って勇気を出した。
「琴音さんなら、見つけてくれるって信じてましたから」
「…もう、調子いいなぁ」
彼女は赤面しつつも笑っていた。つられて僕も笑った。
真に受けてもらえなかった。ああやっぱり僕は情けないなぁなんて思ってしまうけれど、彼女の笑顔を見て、胸の奥がくすぐったくなった。
□ □ □
鍵を職員室に返して校門を出た時には、見事な満月が夜空に浮かんでいた。
夜風は涼しいけれど確かに湿気を含んで、もうすぐ梅雨が来るにおいがした。
二人で並んで夜道を歩く。こんな遅い時間に並んで歩くのは久しぶりだなと思った。
「先に帰ったみたいだったから、“今度、新作のシェイクのみに行こうね”ってメールを送ったら黒子くんのロッカーから携帯の音がして…。おかしいなと思ってロッカーを覗かせてもらったら携帯も鞄も置きっぱなしだったから。まだ学校にいるのかなって思って探したんだ。心あたりのある場所を一通り探したんだけど、どこにもいなくて」
僕を探していた理由を尋ねたら、琴音さんは淡々と説明しはじめた。
悲しい顔をして、その時に不安だった気持ちが伝わってくるようだ。よほど探してくれたんだろう。
「ほら、最近物騒でしょ?だから、部外者が学校に侵入してきて、何かよからぬ事件に巻き込まれたのかなって心配になって――って、色々考えてたら想像が悪い方向へいっちゃってね。…って、私も部外者なんだけどね」
「琴音さんは部外者なんかじゃないですよ。僕たちバスケ部の心強いマネージャーです」
「ほ、ほんと・・・?」
「はい。ほんとです」
すると、琴音さんはわかりやすく照れて、わかりやすく嬉しそうな顔をして喜んでいた。
彼女はころころと一喜一憂する。表情が微動にしか変わらない僕には羨ましく、眩しい。
ずっと見ていたくなるような、見ていて飽きない、年上なのに可愛らしい人だなと改めて思う。
…ほんとうに、かわいらしい人だ。
3つも年下の僕になんて思われたくないだろうけれど、ついついかわいいと思ってしまう、この気持ちは本心だ。
月が天まで昇って、僕たち二人の影を濃く作り、背後には、二人の影が長く伸びているだろう。
僕は影だ。影は光が強くなるほどその濃さを増す――、それが真実。
でもきっと、あなたはそれが真実だろうと、そうでなかったとしても、影を見つけてくれるんだろう。
そんな気がします。
いつでも、どこにいても。
「ちょっと遅くなりましたが、新作のシェイク飲みに行きませんか?お礼に奢らせてください」
相槌も返事も待つ前に、僕の手は彼女の手をとって歩き出した。ほんの少しの勇気が背中を押した。
体育倉庫では触れられなかった手だが、今度こそギュッと繋ぐ。僕が、あたなを連れていきたいんだ。
彼女が僕の手を握り返してくれたのは、ほんの数秒後。
――あぁ、よかった。
二人の影の手の部分が重なった事実は、月だけが知っている。