長編
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-8- ※夢主視点
入学式の時には満開だった桜が葉桜に置き換わる頃、大学構内の並木道にはピンクの花弁の絨毯が敷かれている。つぼみが花開き咲き誇る姿も美しいけれど、散っていく過程もまた綺麗なものだとしみじみと日本の桜に癒されながら、春の雨の中、私は傘を差してサークル棟に向かって歩いていた。
四月の二週目から本格的に春学期の授業がスタートし、専門的な勉強や新しい人間関係など、まだまだ慣れないことばかりで緊張疲れしている生徒も多いだろう。これまでの学生生活とは何もかも違う。親元を離れての寮暮らしも新鮮だし、やる事もたくさんあるけど、授業に慣れた頃にホームシックが襲ってきそうだ。
実家は神奈川。同じ関東圏内だから決して遠い距離じゃない。行けそうな連休があれば定期的に帰ろうと思うけど、まだ始まったばかりの新生活――、帰れるのは少し先になるだろうなぁと胸中で呟きながら、しとしとと降る雨に春のにおいを感じた。ひと雨ごとに気温が温かくなっていく。身が縮むような寒い冬を越え、過ごしやすい時期がやって来る前の、季節の変わり目の空気だ。
サークル棟まで辿り着き、傘を畳みながら手元を持って水気を払ってから、入り口横に設置してある傘立てに置いた。既にそこには乱雑に複数の傘が立てられている。
入学式の翌日付で『筑士波大学自転車競技部』は、現時点で“同好会”として設立された。既に確保済の部室の前、一応ノックしてから扉を開けると、既に見知った二人が横置きのブックシェルフに腰掛けていた。
私の顔を見るなり手をひらひらと振ってくれた二人に、緊張から解き放たれたように安堵して肩の力が抜ける。まだ椅子すらないこの場所だが、いずれロードバイク用のスタンドも数台置くことになるだろう。決して広いとは言えないスペースだが、用意してもらえただけ有難い。ここなら、気兼ねなく集まれる。勿論、今日も遊びに来たわけではないが、時折混ざる雑談も楽しみのひとつだ。
空いてる方のブックシェルフに手荷物を置いて、同じように腰かけてからグッと背筋を伸ばした。出そうになった欠伸は何とか噛み殺す。
「ん~…授業、長かったねぇ」
「工学部の授業なんて説明聞いてるだけで眠たくなった……」
「難しそうな単語多そうだもんね…」
「まったく、だらしがないな。開始早々だぞ!」
ふぅと溜息をついている二人を一瞥して、東堂くんは呆れた様子を見せた。恐らくこの中で最も難しい授業を受けている医療心理学部の彼は、授業も真面目に受けているようだ。ロードにも打ち込むが、決して勉強もおろそかにしたくないといった姿勢だ。どんな分野を目指すのか――確かに大学で学んだことが将来の職業に大きく関わって来る。東堂くんの何事にも真摯に向き合う性格、尊敬しているけど自分もそんな風になれるかと言うと、それはまた別の話。
「そういえば、発注したジャージ届いたんだよね?写真撮影するとか…、あ、でも今日は雨だね…」
はたと気付いて告げながら、語尾が小さくなる。
朝から降っている雨は止むことなく、部室の窓を濡らしていた。まだ降りやみそうにないなと、窓越しに空を仰いだ。
「ならば、撮影は来週決行だ。この前の休みに実家からカメラと三脚も借りてきた。工学部、月曜日は三限からだったな?その前の時間を使って撮影を手伝ってくれ、修作」
「別にいーけど…ん?何で工学部のコマ割り知ってんだ?」
「工学部の女子に聞いた。入学式に声をかけてきた子に、たまたまたラウンジで話しかけられたからな」
「女子が噂してんの尽八の事だったのか…」
「もう人気者なんだね」
しかめっ面になる修作くんに苦笑しつつ、やっぱり周りがほっとかないよね、と、当たり前のように納得してしまう。箱学にはファンクラブまで存在し、どこに居ても東堂くんは独特のオーラと存在感を放っていた。彼に憧れた女子は大勢いたし、私もそのうちの一人だ。自転車競技部設立の手伝いで関わりを持ち、話すことには慣れても、ふとした瞬間に心臓が跳ねることが未だにある。
それよりも――、と、話を切り出し、届いたジャージの話に戻して床に置いてある段ボールに目を向ければ既に開いていた。ちょうど、私が来る前に広げていたようだ。改めて箱から取り出し見せてもらうと、思わず感嘆の声が漏れた。
「わぁ…!キレイな赤!」
真っ赤なジャージに肩に白いライン、正面にはTの字の中にS字が入った『筑士波大』のロゴがデザインされている。赤と白のパキッとした原色のみの色使いが鮮やかで、これならどこを走っていても目立つし、一目見て筑士波ジャージだと分かる。
「そうだろう?我ながらいいデザインだ。ワッハッハ!天は俺にセンスも授けたな」
「カッコイイジャージなのはホントだからなぁー」
「そう言えば、どうして赤色にしたの?箱学のジャージがブルーだったからかな、東堂くんって青とか紫とか、寒色系なイメージがあるから意外かも」
ジャージを両手で広げながら、まるで山に掲げるように彼は腕を高く伸ばした。
「“ダイヤモンド筑波”――筑波山の山頂に夕日が重なる幻想的な景色をそう呼んでいるらしい。先月市内をロードで散策してる途中で年に数回しか見れないそれを運よく望むことが出来てな。名の通り宝石に見劣りしない程、燃えるように赤く輝いて、夕日が湖面をも茜色に染めていた。息を飲むほど美しかったよ。これから何度も練習で登る地元筑波山に、『赤』は縁のある色だと直感した」
東堂くんの言葉に、先日の記憶を鮮明に思い出した。修作くんを紹介された、あの日の夕暮れ、筑波山の山あいに沈んでいく夕日を。確かに燃えるように美しい赤だった。心が洗われるような光と、鼓舞されるような強い輝き。数日経っても脳裏に焼き付いてる程には印象深い景色だった。
「それに、赤は“緑”に似合う、特別な組み合わせだ」
腕を下ろし、ジャージを掴んで胸元に寄せると、東堂くんの口角は緩く上がった。柔らかい微笑みを目の当たりにして、心が揺れる。いつもの得意げな笑みではく、眉間をひそめ少し寂しそうで、それでいて優しさが滲み出ている表情だったからだ。
“赤”にした理由、筑波山の夕陽の色と…もうひとつ。その理由――になる“緑”を連想する人物が、彼にこんな顔をさせているのだと、瞬間的に悟った。高校の頃、昼休みに食堂で、休み時間に渡り廊下で、声を弾ませながら電話している彼の様子と、今現在の様子が繋がった。その電話の相手こそが、東堂くんの『特別』だったのだと。当時からそんな噂はあったし予想していた事だが、やはりショックを隠せない。ジャージをデザインする時でも考えてしまうぐらいに、大事な人?
恋に気づいた卒業式に、恋の終わりを迎え、大学でまた再会し再び恋をした――そんな過程など関係ないとばかりに、淡い想いは叶わないと改めて知る。近づかなければもう失恋することもないと分かっていたのに、近づいたのは自分。誰も責めることなど出来ない。五月いっぱいまではマネージャーとして部をサポートすると決めたのだから、やり通す意志は変わらないにしても、やはり傷つくことは避けられなかった。
「部員、意外とすぐ見つかるかもしれないし、サイズも一通り揃えて追加で発注しないとだね」
動揺がバレないように、なるべく明るい口調で発したが、笑い方は不自然じゃなかっただろうかと不安になった。彼は周囲をよく観察している。相手に違和感があったり様子がおかしければすぐに指摘してくるだろう。
「“緑”…ミドリって誰?彼女?」
ごく真面目な声色で、修作くんが小首を傾げて訝し気な面持ちで両腕を組んだ。一瞬、空気が凍り付く。が、すかさず東堂くんが立ち上がって声を張り上げた。
「緑は名前じゃない、色だ!ライバルの髪色だ!」
「へ、ライバル?尽八ほど速く登れる奴にライバルとか居たんだな?」
「一日目を山岳賞を競ったライバルの話をしただろう?もう忘れたのか!?」
「聞いたかなぁ」
「話したぞ俺は、絶対、お前に巻ちゃんの話を!去年の夏、箱根町で!」
「してたか?」
「……もういい。忘れっぽい奴め」
「あれ?…で、彼女は?」
「今はやることも山積みだからな。目的もある。それどころではないよ」
「いつでも作れる奴の余裕かよぉ」
「まぁそんなところだ」
「尽八の返しは冗談にならないからやめろって!」
まるでコントのような会話をする二人を前に、去年の夏のことが頭を過る。東堂くんが去年のインハイで山岳賞を競ったのは、総合優勝をしたチーム、総北高校の巻島選手だ。三日目の表彰式の際に緑色の髪をした選手がいたことを微かに覚えている。彼の『特別』=ライバルのことだったんだ。
修作くんの見当違いな質問をキッカケに、東堂くんには彼女がいないというのを知ることが出来たけど、かと言って自分にチャンスがあるというわけでもないってことは理解している。告白できる勇気もないし。いっそ、女子が横一列に並んでの大告白大会が開催されればいいのに。それなら、小指の爪程度の勇気をもって参加できるはず。ぐるぐると、私が不毛な事を頭で巡らせているとは露知らず、東堂くんはまたいつも意気揚々とした笑顔を浮かべ話し始めた。
「しかし本来、“ダイヤモンド筑波”と言うと本来は冬の早朝の朝日の方が有名のようだな。今年の冬にでも行ってみるか。運が良ければ見れるらしい」
「おっ、いいじゃん!見てみたい!なぁ、琴音ちゃんも!」
「…えっ、あ、あの、でもその頃には私もうマネージャーじゃないよ?」
「ふむ…、ならば時々応援に来るスペシャルサポーターということろか」
「…マネージャーから昇格してない?」
「汐見、細かい事は気にするな」
「うんうん、男だけで行ってもつまらないしな!」
「お前が言うか修作」
東堂くんは冷ややかな視線を向け、余計な一言を放った修作くんは笑って誤魔化していた。
例え恋が叶わなくても、傍にいることが許され、仲間として声をかけてもらえるこの状況に、目の奥が熱くなる。
前よりもっと、高校の頃よりずっと東堂くんの事が好きになっていた。片思いで終わるなら――いつか、もっと緩やかに恋心を手放せる日が来るのを待つしかない。六月からバイトが始まれば頻繁に会うこともなく、関わる時間が短くなれば“仲間”として接することが出来るだろう。すぐには無理でも、徐々に。そう思い込むことで、幾分か気持ちが楽になった。
「せっかくジャージも揃ったことだし、筑波山での自主練を増やしてみるか…。腕試しにとロードで登る筑士波の学生と出会えるかも知れんな」
同好会を部活同へ昇格させるためにしっかりと考えている東堂くんの前で、別のことに頭を使っていたものだから、申し訳ない気持ちで胸が痛む。そうだ、目標は『自転車競技部』を部活として設立することだ。緑の長い髪をなびかせたライバルに赤いジャージを着てもらう日が来るまで、東堂くんは尽力し続けるだろう。出来れば、六月のに開催される大学シリーズ戦に間に合うようにと話していた。その為には、選手として走れる部員の入部が必要不可欠だった。
-8- ※夢主視点
入学式の時には満開だった桜が葉桜に置き換わる頃、大学構内の並木道にはピンクの花弁の絨毯が敷かれている。つぼみが花開き咲き誇る姿も美しいけれど、散っていく過程もまた綺麗なものだとしみじみと日本の桜に癒されながら、春の雨の中、私は傘を差してサークル棟に向かって歩いていた。
四月の二週目から本格的に春学期の授業がスタートし、専門的な勉強や新しい人間関係など、まだまだ慣れないことばかりで緊張疲れしている生徒も多いだろう。これまでの学生生活とは何もかも違う。親元を離れての寮暮らしも新鮮だし、やる事もたくさんあるけど、授業に慣れた頃にホームシックが襲ってきそうだ。
実家は神奈川。同じ関東圏内だから決して遠い距離じゃない。行けそうな連休があれば定期的に帰ろうと思うけど、まだ始まったばかりの新生活――、帰れるのは少し先になるだろうなぁと胸中で呟きながら、しとしとと降る雨に春のにおいを感じた。ひと雨ごとに気温が温かくなっていく。身が縮むような寒い冬を越え、過ごしやすい時期がやって来る前の、季節の変わり目の空気だ。
サークル棟まで辿り着き、傘を畳みながら手元を持って水気を払ってから、入り口横に設置してある傘立てに置いた。既にそこには乱雑に複数の傘が立てられている。
入学式の翌日付で『筑士波大学自転車競技部』は、現時点で“同好会”として設立された。既に確保済の部室の前、一応ノックしてから扉を開けると、既に見知った二人が横置きのブックシェルフに腰掛けていた。
私の顔を見るなり手をひらひらと振ってくれた二人に、緊張から解き放たれたように安堵して肩の力が抜ける。まだ椅子すらないこの場所だが、いずれロードバイク用のスタンドも数台置くことになるだろう。決して広いとは言えないスペースだが、用意してもらえただけ有難い。ここなら、気兼ねなく集まれる。勿論、今日も遊びに来たわけではないが、時折混ざる雑談も楽しみのひとつだ。
空いてる方のブックシェルフに手荷物を置いて、同じように腰かけてからグッと背筋を伸ばした。出そうになった欠伸は何とか噛み殺す。
「ん~…授業、長かったねぇ」
「工学部の授業なんて説明聞いてるだけで眠たくなった……」
「難しそうな単語多そうだもんね…」
「まったく、だらしがないな。開始早々だぞ!」
ふぅと溜息をついている二人を一瞥して、東堂くんは呆れた様子を見せた。恐らくこの中で最も難しい授業を受けている医療心理学部の彼は、授業も真面目に受けているようだ。ロードにも打ち込むが、決して勉強もおろそかにしたくないといった姿勢だ。どんな分野を目指すのか――確かに大学で学んだことが将来の職業に大きく関わって来る。東堂くんの何事にも真摯に向き合う性格、尊敬しているけど自分もそんな風になれるかと言うと、それはまた別の話。
「そういえば、発注したジャージ届いたんだよね?写真撮影するとか…、あ、でも今日は雨だね…」
はたと気付いて告げながら、語尾が小さくなる。
朝から降っている雨は止むことなく、部室の窓を濡らしていた。まだ降りやみそうにないなと、窓越しに空を仰いだ。
「ならば、撮影は来週決行だ。この前の休みに実家からカメラと三脚も借りてきた。工学部、月曜日は三限からだったな?その前の時間を使って撮影を手伝ってくれ、修作」
「別にいーけど…ん?何で工学部のコマ割り知ってんだ?」
「工学部の女子に聞いた。入学式に声をかけてきた子に、たまたまたラウンジで話しかけられたからな」
「女子が噂してんの尽八の事だったのか…」
「もう人気者なんだね」
しかめっ面になる修作くんに苦笑しつつ、やっぱり周りがほっとかないよね、と、当たり前のように納得してしまう。箱学にはファンクラブまで存在し、どこに居ても東堂くんは独特のオーラと存在感を放っていた。彼に憧れた女子は大勢いたし、私もそのうちの一人だ。自転車競技部設立の手伝いで関わりを持ち、話すことには慣れても、ふとした瞬間に心臓が跳ねることが未だにある。
それよりも――、と、話を切り出し、届いたジャージの話に戻して床に置いてある段ボールに目を向ければ既に開いていた。ちょうど、私が来る前に広げていたようだ。改めて箱から取り出し見せてもらうと、思わず感嘆の声が漏れた。
「わぁ…!キレイな赤!」
真っ赤なジャージに肩に白いライン、正面にはTの字の中にS字が入った『筑士波大』のロゴがデザインされている。赤と白のパキッとした原色のみの色使いが鮮やかで、これならどこを走っていても目立つし、一目見て筑士波ジャージだと分かる。
「そうだろう?我ながらいいデザインだ。ワッハッハ!天は俺にセンスも授けたな」
「カッコイイジャージなのはホントだからなぁー」
「そう言えば、どうして赤色にしたの?箱学のジャージがブルーだったからかな、東堂くんって青とか紫とか、寒色系なイメージがあるから意外かも」
ジャージを両手で広げながら、まるで山に掲げるように彼は腕を高く伸ばした。
「“ダイヤモンド筑波”――筑波山の山頂に夕日が重なる幻想的な景色をそう呼んでいるらしい。先月市内をロードで散策してる途中で年に数回しか見れないそれを運よく望むことが出来てな。名の通り宝石に見劣りしない程、燃えるように赤く輝いて、夕日が湖面をも茜色に染めていた。息を飲むほど美しかったよ。これから何度も練習で登る地元筑波山に、『赤』は縁のある色だと直感した」
東堂くんの言葉に、先日の記憶を鮮明に思い出した。修作くんを紹介された、あの日の夕暮れ、筑波山の山あいに沈んでいく夕日を。確かに燃えるように美しい赤だった。心が洗われるような光と、鼓舞されるような強い輝き。数日経っても脳裏に焼き付いてる程には印象深い景色だった。
「それに、赤は“緑”に似合う、特別な組み合わせだ」
腕を下ろし、ジャージを掴んで胸元に寄せると、東堂くんの口角は緩く上がった。柔らかい微笑みを目の当たりにして、心が揺れる。いつもの得意げな笑みではく、眉間をひそめ少し寂しそうで、それでいて優しさが滲み出ている表情だったからだ。
“赤”にした理由、筑波山の夕陽の色と…もうひとつ。その理由――になる“緑”を連想する人物が、彼にこんな顔をさせているのだと、瞬間的に悟った。高校の頃、昼休みに食堂で、休み時間に渡り廊下で、声を弾ませながら電話している彼の様子と、今現在の様子が繋がった。その電話の相手こそが、東堂くんの『特別』だったのだと。当時からそんな噂はあったし予想していた事だが、やはりショックを隠せない。ジャージをデザインする時でも考えてしまうぐらいに、大事な人?
恋に気づいた卒業式に、恋の終わりを迎え、大学でまた再会し再び恋をした――そんな過程など関係ないとばかりに、淡い想いは叶わないと改めて知る。近づかなければもう失恋することもないと分かっていたのに、近づいたのは自分。誰も責めることなど出来ない。五月いっぱいまではマネージャーとして部をサポートすると決めたのだから、やり通す意志は変わらないにしても、やはり傷つくことは避けられなかった。
「部員、意外とすぐ見つかるかもしれないし、サイズも一通り揃えて追加で発注しないとだね」
動揺がバレないように、なるべく明るい口調で発したが、笑い方は不自然じゃなかっただろうかと不安になった。彼は周囲をよく観察している。相手に違和感があったり様子がおかしければすぐに指摘してくるだろう。
「“緑”…ミドリって誰?彼女?」
ごく真面目な声色で、修作くんが小首を傾げて訝し気な面持ちで両腕を組んだ。一瞬、空気が凍り付く。が、すかさず東堂くんが立ち上がって声を張り上げた。
「緑は名前じゃない、色だ!ライバルの髪色だ!」
「へ、ライバル?尽八ほど速く登れる奴にライバルとか居たんだな?」
「一日目を山岳賞を競ったライバルの話をしただろう?もう忘れたのか!?」
「聞いたかなぁ」
「話したぞ俺は、絶対、お前に巻ちゃんの話を!去年の夏、箱根町で!」
「してたか?」
「……もういい。忘れっぽい奴め」
「あれ?…で、彼女は?」
「今はやることも山積みだからな。目的もある。それどころではないよ」
「いつでも作れる奴の余裕かよぉ」
「まぁそんなところだ」
「尽八の返しは冗談にならないからやめろって!」
まるでコントのような会話をする二人を前に、去年の夏のことが頭を過る。東堂くんが去年のインハイで山岳賞を競ったのは、総合優勝をしたチーム、総北高校の巻島選手だ。三日目の表彰式の際に緑色の髪をした選手がいたことを微かに覚えている。彼の『特別』=ライバルのことだったんだ。
修作くんの見当違いな質問をキッカケに、東堂くんには彼女がいないというのを知ることが出来たけど、かと言って自分にチャンスがあるというわけでもないってことは理解している。告白できる勇気もないし。いっそ、女子が横一列に並んでの大告白大会が開催されればいいのに。それなら、小指の爪程度の勇気をもって参加できるはず。ぐるぐると、私が不毛な事を頭で巡らせているとは露知らず、東堂くんはまたいつも意気揚々とした笑顔を浮かべ話し始めた。
「しかし本来、“ダイヤモンド筑波”と言うと本来は冬の早朝の朝日の方が有名のようだな。今年の冬にでも行ってみるか。運が良ければ見れるらしい」
「おっ、いいじゃん!見てみたい!なぁ、琴音ちゃんも!」
「…えっ、あ、あの、でもその頃には私もうマネージャーじゃないよ?」
「ふむ…、ならば時々応援に来るスペシャルサポーターということろか」
「…マネージャーから昇格してない?」
「汐見、細かい事は気にするな」
「うんうん、男だけで行ってもつまらないしな!」
「お前が言うか修作」
東堂くんは冷ややかな視線を向け、余計な一言を放った修作くんは笑って誤魔化していた。
例え恋が叶わなくても、傍にいることが許され、仲間として声をかけてもらえるこの状況に、目の奥が熱くなる。
前よりもっと、高校の頃よりずっと東堂くんの事が好きになっていた。片思いで終わるなら――いつか、もっと緩やかに恋心を手放せる日が来るのを待つしかない。六月からバイトが始まれば頻繁に会うこともなく、関わる時間が短くなれば“仲間”として接することが出来るだろう。すぐには無理でも、徐々に。そう思い込むことで、幾分か気持ちが楽になった。
「せっかくジャージも揃ったことだし、筑波山での自主練を増やしてみるか…。腕試しにとロードで登る筑士波の学生と出会えるかも知れんな」
同好会を部活同へ昇格させるためにしっかりと考えている東堂くんの前で、別のことに頭を使っていたものだから、申し訳ない気持ちで胸が痛む。そうだ、目標は『自転車競技部』を部活として設立することだ。緑の長い髪をなびかせたライバルに赤いジャージを着てもらう日が来るまで、東堂くんは尽力し続けるだろう。出来れば、六月のに開催される大学シリーズ戦に間に合うようにと話していた。その為には、選手として走れる部員の入部が必要不可欠だった。