長編
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-1- ※夢主視点
東堂くんへの恋心に気づいたのは、三月一日の卒業式当日だった。
特別親しい間柄でもなく、同じクラスにもなったこともない。自転車競技の部員とマネージャーの関係でしかなかった。だから、人気者の彼に会えなくなることに寂しさを感じているのは自分だけではないはずだと、卒業式の後に胸中で独り言ちるも、心の靄は晴れてくれない。
くっきりとした中性的な目鼻立ちに、アメジスト色の瞳、艶やかな黒髪はカチューシャでまとめ上げられ、その美形は前髪に隠れることなく常に際立っている。ピンと背筋を張った立ち姿は美しく、その立ち振舞いも丁寧かつ上品だった。同級生男子と比較しても何もかも違って見えた。
ロードの実力も天才的で、インターハイではゼッケン3――エースクライマーとして走り、山岳賞を獲得し『山神』と呼ばれる所以を確固たるものにしてみせた。学園内ではファンクラブまで存在している。だから、東堂くんに好意がある女子はみんな、今日は同じ気持ちを抱えているはずだ。
「この写真、家宝にします…!」
「ワッハッハ!大袈裟だな。だがいい心がけだ」
中庭は予想以上に生徒で賑わっており、まだほとんど咲いてない桜の木の前で一等目立っている行列の先頭に、東堂くんは立っていた。桜より存在感がある彼の周辺に、一緒に写真を撮りたい女子生徒が行列を成していた。天高く響く笑い声とその口調に気づき、視線を向ければ、感動して震え声になる女子生徒と向かい合って話しているところだった。しばらくその様子を眺めても、列は途切れる事がない。
――もう、会えることはないのかも知れない。
卒業してしまえば、『箱根学園自転車競技部』という唯一の接点さえもなくなる。
私も一緒に写真を撮って欲しい気持ちが沸々と湧き上がって来たけれど、一歩踏み出せない。東堂くんと撮る写真が本当に最後の関わりになってしまうと思うと、想像以上の寂しさで胸が痛みだしたからだ。ファン心理に近い感情で好きだったはずなのに、実はそうではなかったと悟った。多分、気づかないままでいた方が、今日という日を楽しいまま終われただろう。
女子生徒に優しく接する彼を遠くから見つめ、ズキンズキンと心の奥が軋み出す。何故、恋を自覚したのが卒業当日だったのかと自分の未熟さを恨めしく思った反面、むしろ卒業式でよかったのかもと、心のどこかで安堵していた。叶わない恋だと理解していても、時間の猶予があれば悩んだり焦ったりと無駄に足掻いていた事だろう。今日を境に会えなくなるのなら、諦めもつく。
この学園内で、彼の『特別』になれた子はいたのだろうか。
東堂くんに恋人がいるという噂を聞いたことはないけれど、真実は当人同士しか知らない事だ。昼休みに食堂で、休み時間に渡り廊下で、声を弾ませながら電話している様子を見かけたことがある。普段、部活では見せない少年のような笑顔が脳裏に過った。
…あの電話の相手こそが特別な相手だったのかな。
卒業式の後、部室で後輩達が送別会を準備してくれているらしい。恒例行事ではあるけれど、ありがたいことだ。去年は送る側だったのに、今度は送られる側に。自分の番が来るまでの一年はあっという間だ。
まだ冷たい春風が頬を撫でていく。中庭から足早に去ろうと踵返す直前、東堂くんと目が合ったような気がした。
・・・・・・
部室に入るとまず、『卒業おめでとうございます!』と大きく書かれたホワイトボードが目に入った。紙で作った花などで賑やかに装飾されている。テーブルの上には軽食や飲み物がたくさん用意され、男子部員だけでなく女子マネージャーたちも集まって来ていた。インターハイで懸命に走った立役者たちが揃っている中、東堂くんの姿だけが見当たらなかったけれど、周囲は遅れてる理由も察している様子だ。
惜しくも総合優勝は逃したが、心が震えるような三日間。初めてインターハイのレースを間近で応援した私にとっても、一生忘れられない日になった。
しばらくして部室のドアが勢いよく開けられ、人々の注目が集まると同時に、最後の主役が颯爽と現れるように登場して来た。
「すまんね、待たせた!女子の列がなかなか途切れなくてね!」
「遅ェんだよ!言い訳もウッゼ!」
「うざくはないな!?」
東堂くんと荒北くんの定番のコントのようなやり取りに、部員達が笑い出す。やっと乾杯が出来ると、待ちわびた後輩が三年生のコップにジュースを注ぎに来た。新キャプテンの泉田くんが乾杯の音頭を取り、送別会がスタートされた。楽しい時間が流れ、帰るのが名残惜しくなってしまう。私は甘いリンゴジュースを味わいながら飲んだ。酸っぱくないはずなのに、鼻の奥がツンとしたのは泣きそうになったからだ。
二年の秋からの途中入部だったとは言え、この部室での思い出はたくさんある。途中入部だったからこそ、濃密な時間だった。幼馴染である寿一くんの広島大会での一件を知り、マネージャーとして力になりたいと決心したのが入部のキッカケだった。実家は整骨院を経営していて、両親も共働き。家の手伝いもあって、これまでは出来るだけ早く帰れそうな文化部にしか入部したことがなかったから、毎日が新鮮だった。運動部…、しかも強豪校のマネージャー。部員達から信頼されサポートの仕事を任され、やり甲斐を感じていた。ただ、ロードの知識もなく途中入部だったので、人一倍努力が必要だった。まずはマネージャ―の仕事を覚え、遅くまで残ってルールや専門用語を暗記したり、自転車の仕組みを勉強し、備品周りから部誌の書き方も少しずつ覚えた。率先してマッサーの仕事も手伝わせてもらった。皆の足を引っ張らないように、迷惑をかけないようにと奮闘する毎日が続いたある日、日が暮れるまで部室で雑務をこなしていた時、東堂くんが私に話しかけてくれたことがある。
『懸命に努力する姿に誰しも胸を打たれるものだ。尊敬するよ』
彼が何気なく発した一言だった。そこには言葉以上の意味など含まれていないと理解していたのに、労ってくれたことが嬉しくて、泣きそうになったのを今でも覚えている。
その日を境に、東堂くんをつい目で追うようになり、魅力を知り、ファンを経て、恋を自覚した――それが、卒業式。
送別会でも後輩達に囲まれている人気者の彼に近づくことは難しい。同じくファンとして色々話していたマネージャーの友達を連れて、卒業アルバムを胸に抱え私はそそくさと近づいた。写真は一緒に撮る事は出来なかったから、せめて寄せ書きでもと思ったのだ。友達からそのお願いを伝れば、東堂くんは快く頷いてくれた。慣れた様子に、今日だけで相当数の女子に寄せ書きを頼まれたんだろうと想像する。
既にクラスメイトや部員のみんな、女子のマネージャーからの寄せ書きが集まっているアルバムの最終頁を開き、友達のアルバムから先に東堂くんに渡すと、彼は静かに受け取ってペンを走らせた。
「今日はもう、サインのように書き慣れてしまったよ」
嫌味ではなく事実なのだろう。サラサラと達筆な字で、『山神東堂』と書いていた。続いて私の分も友達のアルバムと交換するように渡すと、ペン先が止まり、ほんの少しの沈黙が流れた。何か迷っているような困っているような表情に、インクが出なくなったのかと慌てたがそうではなかった。なんでもないよと、淡々と告げた後、彼は再び同じ文字を綴り始めた。
「ほら、出来たぞ」
「ありがとう」
「将来、俺が世界的なクライマーとして活躍した時に、そのサインはより価値を増すだろう」
「じゃあ、ずっと大事にしないとだね」
「私も琴音も、東堂くんのファンだから」
「これからも応援頼むよ」
貴重なものを頂いた気持ちになり、友達と二人でお礼を伝えてその場から離れた。東堂くんと話したがっているチームメイトは沢山いるのだから、彼の時間を占領するわけにはいかない。
部室に響き渡る賑やかな声に、いずれ夕陽が窓から差し込む時間になる。今日が終わったらもう、東堂くんに会えない。恋に気づいた今日に、恋の終わりを迎える――それでも、あたたかな春が訪れ新生活が待っている。
何も始まったわけではない。傷心も浅いうちに済んだ。ほんのかすり傷だ。近い未来、いつか今日が良い思い出になると信じて、気持ちを切り替えて送別会を楽しむ事にした。
-1- ※夢主視点
東堂くんへの恋心に気づいたのは、三月一日の卒業式当日だった。
特別親しい間柄でもなく、同じクラスにもなったこともない。自転車競技の部員とマネージャーの関係でしかなかった。だから、人気者の彼に会えなくなることに寂しさを感じているのは自分だけではないはずだと、卒業式の後に胸中で独り言ちるも、心の靄は晴れてくれない。
くっきりとした中性的な目鼻立ちに、アメジスト色の瞳、艶やかな黒髪はカチューシャでまとめ上げられ、その美形は前髪に隠れることなく常に際立っている。ピンと背筋を張った立ち姿は美しく、その立ち振舞いも丁寧かつ上品だった。同級生男子と比較しても何もかも違って見えた。
ロードの実力も天才的で、インターハイではゼッケン3――エースクライマーとして走り、山岳賞を獲得し『山神』と呼ばれる所以を確固たるものにしてみせた。学園内ではファンクラブまで存在している。だから、東堂くんに好意がある女子はみんな、今日は同じ気持ちを抱えているはずだ。
「この写真、家宝にします…!」
「ワッハッハ!大袈裟だな。だがいい心がけだ」
中庭は予想以上に生徒で賑わっており、まだほとんど咲いてない桜の木の前で一等目立っている行列の先頭に、東堂くんは立っていた。桜より存在感がある彼の周辺に、一緒に写真を撮りたい女子生徒が行列を成していた。天高く響く笑い声とその口調に気づき、視線を向ければ、感動して震え声になる女子生徒と向かい合って話しているところだった。しばらくその様子を眺めても、列は途切れる事がない。
――もう、会えることはないのかも知れない。
卒業してしまえば、『箱根学園自転車競技部』という唯一の接点さえもなくなる。
私も一緒に写真を撮って欲しい気持ちが沸々と湧き上がって来たけれど、一歩踏み出せない。東堂くんと撮る写真が本当に最後の関わりになってしまうと思うと、想像以上の寂しさで胸が痛みだしたからだ。ファン心理に近い感情で好きだったはずなのに、実はそうではなかったと悟った。多分、気づかないままでいた方が、今日という日を楽しいまま終われただろう。
女子生徒に優しく接する彼を遠くから見つめ、ズキンズキンと心の奥が軋み出す。何故、恋を自覚したのが卒業当日だったのかと自分の未熟さを恨めしく思った反面、むしろ卒業式でよかったのかもと、心のどこかで安堵していた。叶わない恋だと理解していても、時間の猶予があれば悩んだり焦ったりと無駄に足掻いていた事だろう。今日を境に会えなくなるのなら、諦めもつく。
この学園内で、彼の『特別』になれた子はいたのだろうか。
東堂くんに恋人がいるという噂を聞いたことはないけれど、真実は当人同士しか知らない事だ。昼休みに食堂で、休み時間に渡り廊下で、声を弾ませながら電話している様子を見かけたことがある。普段、部活では見せない少年のような笑顔が脳裏に過った。
…あの電話の相手こそが特別な相手だったのかな。
卒業式の後、部室で後輩達が送別会を準備してくれているらしい。恒例行事ではあるけれど、ありがたいことだ。去年は送る側だったのに、今度は送られる側に。自分の番が来るまでの一年はあっという間だ。
まだ冷たい春風が頬を撫でていく。中庭から足早に去ろうと踵返す直前、東堂くんと目が合ったような気がした。
・・・・・・
部室に入るとまず、『卒業おめでとうございます!』と大きく書かれたホワイトボードが目に入った。紙で作った花などで賑やかに装飾されている。テーブルの上には軽食や飲み物がたくさん用意され、男子部員だけでなく女子マネージャーたちも集まって来ていた。インターハイで懸命に走った立役者たちが揃っている中、東堂くんの姿だけが見当たらなかったけれど、周囲は遅れてる理由も察している様子だ。
惜しくも総合優勝は逃したが、心が震えるような三日間。初めてインターハイのレースを間近で応援した私にとっても、一生忘れられない日になった。
しばらくして部室のドアが勢いよく開けられ、人々の注目が集まると同時に、最後の主役が颯爽と現れるように登場して来た。
「すまんね、待たせた!女子の列がなかなか途切れなくてね!」
「遅ェんだよ!言い訳もウッゼ!」
「うざくはないな!?」
東堂くんと荒北くんの定番のコントのようなやり取りに、部員達が笑い出す。やっと乾杯が出来ると、待ちわびた後輩が三年生のコップにジュースを注ぎに来た。新キャプテンの泉田くんが乾杯の音頭を取り、送別会がスタートされた。楽しい時間が流れ、帰るのが名残惜しくなってしまう。私は甘いリンゴジュースを味わいながら飲んだ。酸っぱくないはずなのに、鼻の奥がツンとしたのは泣きそうになったからだ。
二年の秋からの途中入部だったとは言え、この部室での思い出はたくさんある。途中入部だったからこそ、濃密な時間だった。幼馴染である寿一くんの広島大会での一件を知り、マネージャーとして力になりたいと決心したのが入部のキッカケだった。実家は整骨院を経営していて、両親も共働き。家の手伝いもあって、これまでは出来るだけ早く帰れそうな文化部にしか入部したことがなかったから、毎日が新鮮だった。運動部…、しかも強豪校のマネージャー。部員達から信頼されサポートの仕事を任され、やり甲斐を感じていた。ただ、ロードの知識もなく途中入部だったので、人一倍努力が必要だった。まずはマネージャ―の仕事を覚え、遅くまで残ってルールや専門用語を暗記したり、自転車の仕組みを勉強し、備品周りから部誌の書き方も少しずつ覚えた。率先してマッサーの仕事も手伝わせてもらった。皆の足を引っ張らないように、迷惑をかけないようにと奮闘する毎日が続いたある日、日が暮れるまで部室で雑務をこなしていた時、東堂くんが私に話しかけてくれたことがある。
『懸命に努力する姿に誰しも胸を打たれるものだ。尊敬するよ』
彼が何気なく発した一言だった。そこには言葉以上の意味など含まれていないと理解していたのに、労ってくれたことが嬉しくて、泣きそうになったのを今でも覚えている。
その日を境に、東堂くんをつい目で追うようになり、魅力を知り、ファンを経て、恋を自覚した――それが、卒業式。
送別会でも後輩達に囲まれている人気者の彼に近づくことは難しい。同じくファンとして色々話していたマネージャーの友達を連れて、卒業アルバムを胸に抱え私はそそくさと近づいた。写真は一緒に撮る事は出来なかったから、せめて寄せ書きでもと思ったのだ。友達からそのお願いを伝れば、東堂くんは快く頷いてくれた。慣れた様子に、今日だけで相当数の女子に寄せ書きを頼まれたんだろうと想像する。
既にクラスメイトや部員のみんな、女子のマネージャーからの寄せ書きが集まっているアルバムの最終頁を開き、友達のアルバムから先に東堂くんに渡すと、彼は静かに受け取ってペンを走らせた。
「今日はもう、サインのように書き慣れてしまったよ」
嫌味ではなく事実なのだろう。サラサラと達筆な字で、『山神東堂』と書いていた。続いて私の分も友達のアルバムと交換するように渡すと、ペン先が止まり、ほんの少しの沈黙が流れた。何か迷っているような困っているような表情に、インクが出なくなったのかと慌てたがそうではなかった。なんでもないよと、淡々と告げた後、彼は再び同じ文字を綴り始めた。
「ほら、出来たぞ」
「ありがとう」
「将来、俺が世界的なクライマーとして活躍した時に、そのサインはより価値を増すだろう」
「じゃあ、ずっと大事にしないとだね」
「私も琴音も、東堂くんのファンだから」
「これからも応援頼むよ」
貴重なものを頂いた気持ちになり、友達と二人でお礼を伝えてその場から離れた。東堂くんと話したがっているチームメイトは沢山いるのだから、彼の時間を占領するわけにはいかない。
部室に響き渡る賑やかな声に、いずれ夕陽が窓から差し込む時間になる。今日が終わったらもう、東堂くんに会えない。恋に気づいた今日に、恋の終わりを迎える――それでも、あたたかな春が訪れ新生活が待っている。
何も始まったわけではない。傷心も浅いうちに済んだ。ほんのかすり傷だ。近い未来、いつか今日が良い思い出になると信じて、気持ちを切り替えて送別会を楽しむ事にした。