長編
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さよならの向こう側
-5.一年の冬-
渡り廊下を歩きながら、吐いた息が白いことに驚いた。冷気にぞわりと肌が粟立つ。今日から気温が一段と下がると、朝の天気予報でお天気キャスターが言ってたなぁと思い出す。最高気温が一桁になり、本格的に冬到来だ。
先日、期末テストが終了し、終業式が終わった本日。
今日は残すところ年内最後の図書委員の仕事と、その後、通常通り部活がある。冬休みは明日から――…と言っても、年末年始以外は冬休みの間も連日ではないが部活がある。なので、冬休み目前という実感がわかないでいた。それは夏休みの時も同じだ。きっと、来年、再来年も同じだろうか。いや、再来年は受験勉強で必死になっている頃か。
雪でも降ってきそうなほど寒い空気の中、私は図書室へ続く廊下を歩きながら先日のことを思い返していた。“運命の分かれ道”、と、例えても大袈裟でない。“あの日”の光景が何度も頭の中に鮮明に映し出される。
――秋季昇格テストの結果が出た日から三ヶ月後、彼は諦めず練習を重ね、ついに実力で一軍入りを果たした。
私にとってもこんなに嬉しいことはない。三軍から一軍入りという異例の事態に、事情を知らず驚愕していた部員も多いが、監督の決定ということで誰の異論も認められなかった。
私が図書室に入ると、受付には先に到着していた黒子くんが座っていた。利用者が少なくなったのを見計らって、私は黒子くんに話しかけた。
秋季昇格テストの結果が出たあの日、落ち込んでいた彼になんて言葉をかけていいか分からず、結局何も伝えることが出来なかった。それをずっと謝りたかった。
「…あの時、私、何も言えなくて……ごめんね」
一瞬、何のことかわからないという感じで不思議そうに目を見開いていたが、直後、すぐに察したようで黒子くんは薄く微笑んだ。
「その気持ちだけで充分です。僕の方こそ気を遣わせてしまったみたいで……」
「そんなことないよ」
ちょっと水くさいような会話をしつつ、本人から話を聞けば――、秋季昇格テストで下位五名以内になり、退部を勧められ落ち込んでいた翌日、いつも自主練をしている体育館で副部長の赤司くんに話を持ちかけられたらしい。
『自分だけのバスケスタイルを見つけることができたら、俺からコーチと主将に推薦しよう』、と。黒子くん曰く、その日から自分だけのスタイルを探す為に暗中模索の日々が続き、とても苦労したそうだ。
そして今月の初旬、二軍・三軍の合同練習の時に行われたミニゲームで見事に自分だけのバスケスタイルを発揮し、三軍チームが勝利した。私も間近で見ていたので、本当にビックリした。黒子くんのパス回しはまるで手品のようで、“気がついたらパスが通っている”という、まさに魔法のようなパスだった。ここまで技を確立するのに、秋から相当な練習を重ねて来たのだろう。
そして、努力の甲斐あってコーチと監督に認めてもらうことが出来た黒子くんは、翌週から早速一軍入りが決定となったのだ。
……本当によかった。黒子くんの努力が実って、本当によかった。
話がひと段落してから、お互いまた図書委員の仕事に戻る。
冬休み前に新しい本が入荷していたので、入荷リストをチェックし棚に並べてからまた受付に並んで座った。特に委員会の仕事が忙しいわけでもなかったので、またぽつりぽつりと話し始めるも、やはり話題は黒子くんの一軍入りの話になった。
「改めておめでとう。黒子くんの努力の賜物だね」
「ありがとうございます。汐見さんからもらったパワーストーンの力もあると思いますよ」
「あはは、まさかぁ」
「汐見さんの応援、心強かったです」
黒子くんの真剣な眼差しが、私の心音を加速させる。顔に熱が昇っていく。幸い、今日は図書室の利用者も少なくてよかった。けど、彼と並んで座っているこの近い距離じゃ、赤面してるのはバレてしまうだろう。
「そんな、まっすぐに褒めてもらえると照れちゃうよ」
笑って誤魔化すのも、何度目か。そろそろ限界な気がするけども、とりあえず苦笑してその場をやり過ごす他なかった。照れながらも純粋に感動してしまう。“応援が心強かった”――なんて、勿体ない言葉だ。私は何もしていない。全部、黒子くん自身の力だ。
そろそろ図書室の利用時間終了が近づき、最後の利用者の貸し出し手続きを終え、私と黒子くんは受付の席から立ち上がった。一応、誰か残っていないか見回りしたり、本が出したままになってないか、本棚が乱雑になっていないかチェックして、年内の委員会活動は全て終了だ。勉強に部活に委員会にと、十二月まであっという間だったな。
ふと、窓の外を見ると淀んだ色の空から白くて小さなものがふわふわと落ちてきた。ひとつ、ふたつ、と、あっと言う間に無数になる。粉雪だ。
「ゆき……」
つい声に出すと、黒子くんも気づいて窓際に近づいた。どうりで寒いわけだ。窓越しに感じる寒さに思わず二の腕を擦った。しばらく黙ったまま二人並んで、久々に都内に降り注ぐ雪に見とれていた。黒子くんの横顔をこっそりと一瞥し、また視線を外に戻す。目を合わせて伝えられない事を、私は勇気を出して、まるで独り言のように切り出した。
「わ……、私は三軍のマネージャーだから、しばらくは部活では会えそうにないね。体育館も別だし、練習風景も見る事も出来ないかも。黒子くんのすごいパス、いつかまた生で見たいな。公式試合だったら三軍も応援でついていけるから、その時に見れるかな」
人差し指で頬を掻きながら、ヘラリと力なく笑う顔が窓ガラスに映った。この笑い方をする自分が、本心を隠す仕草が、情けなくて嫌いだ。黒子くんは胸の前で拳を握って、凛々しい表情を私に向けた。視界の端っこで彼がこちらに向き直るのが見えたので、私も視線を窓から黒子くんへと移す。瞳の中の青色に窓越しの雪が映っていた。深海のダークブルーに白い結晶がキラキラ光って、スノードームみたいにキレイだ。
「汐見さんに早く活躍を見てもらえるように、頑張ります。万が一にも、初の試合で転んで鼻血とか出さないように気をつけます」
「黒子くん、言霊の効果って結構あるから、気をつけて…!」
「えっ」
普段言わないようなジョークを交えて淡々と話すものだから、思わず私からもジョークで返したら、彼は虚を突かれたとばかりに目を丸くしていた。
「なんてね!活躍、楽しみにしてる」
お互い顔を見合わせて小さく笑えば、心があたたかくなる。今日もあっという間にこの時間が過ぎてしまったと、一抹の寂しさが心の中に過った。また来年、一月になったら当番が回ってくる。もともと本が大好きでこの図書委員に立候補したわけだから、委員会の仕事自体は楽しい。その上、黒子くんと二人きりで話せる贅沢な時間だ。
黒子くんが好きだ。
好きで、好きで、どんどん、好きになってしまう。
これだ、というキッカケはない。関わっていくうちに少しずつ、知らず知らずに芽生えて育っていき、夏に意図せず開花してしまった。こんなにも唯一人に恋をしている自分も初めてで、どうしたらいいのか、どう振舞ったら正解なのかさえ分からない。ついこの間まで小学生だった私は、無垢な子供だった。あの頃、クラスの男の子に対する淡い“好き”とは違う。こんな感情は、知らない。
一軍には一軍にふさわしい、スカウティング能力の高いマネージャーが専属であてられている。そのうちまた、素質のある別のマネージャ―が抜擢されて一軍を担当するはずだ。おそらく私は来年も三軍のマネージャーか、もしくは二軍のマネージャーだろう。部活で黒子くんに会えることはほぼなくなるわけだが、委員会がある。委員会がない日はクラスがある。彼と二人で話せる機会があることに、誰よりも安堵していた。
――にしても、並んで雪を見て、近い距離で顔を見合わせてしまった。人知れず大きく息を吐き、落ち着かない鼓動を隠しながら先に廊下に出ると、黒子くんは背後から私に声を掛けてきた。
「汐見さん、そのまま振り向かずに聞いて下さい。これから僕は少し照れくさいことを言うので、僕が言い終えたらそのまま部室に行って下さい。……お願いです」
唐突に、まるで春の嵐のように、まったく予想だにしてなかった事。そうだ、これから部室に向かわなくちゃ…と頭の片隅で冷静になったけれど、直後、私の脳は沸騰せざるを得なくなる。
「汐見さんと会える場所は、部活だけじゃないですから。僕は、これからもキミとこの場所で色んな話がしたいです」
その一言は、耳の中で何度もリフレインしては私の耳まで赤くさせる。 “振り向かずに聞いて”と言われて、振り向かなかったわけじゃない。振り向けなかった。体が硬直した。それどころか一瞬、息が止まったかと思った。彼の穏やかな声の中に、僅かに感情の波が立つのが分かったからだ。
私は小さく頷いてから、廊下を真っ直ぐと歩き出した。頭が混乱して、足は部室でない方向へ向いているが、とにかく、沸騰した頭を冷やすために、渡り廊下に出て冷気を浴びなければと、足が徐々に急いだ。
黒子くんの“言葉”。
深い意味がない――はずが、ないんだ。だってあの黒子くんが、いつも淡々と話す黒子くんが、照れくさそうに告げてきたから、意味があると分かってしまう。ただ私とこれからも本の話がしたいだけならば、わざわざあんな言い方はしないだろう。
渡り廊下に出て私の足は立ち止まる。雪がうっすらと地面に降り積もり始めた。積もれば一面、白い世界に早変わりだ。
ひゅう、と通り抜けていく冷たい風が頬を撫ぜるが、顔から熱が引いてくれない。耳まで真っ赤なのが分かる。心臓もドクンドクンと早鐘を打っているまま、私はその場でしゃがみ込んで両手で顔を押さえた。頬に触れる指先が震える。
顔を見て言えない、恥ずかしくて、相手の目を見て言えないような、そんな気持ちをこめて彼が告げた言葉の意味。まだ確実な答えを得てはいないけれど、きっと、つまりは――黒子くんは私のことを。
-5.一年の冬-
渡り廊下を歩きながら、吐いた息が白いことに驚いた。冷気にぞわりと肌が粟立つ。今日から気温が一段と下がると、朝の天気予報でお天気キャスターが言ってたなぁと思い出す。最高気温が一桁になり、本格的に冬到来だ。
先日、期末テストが終了し、終業式が終わった本日。
今日は残すところ年内最後の図書委員の仕事と、その後、通常通り部活がある。冬休みは明日から――…と言っても、年末年始以外は冬休みの間も連日ではないが部活がある。なので、冬休み目前という実感がわかないでいた。それは夏休みの時も同じだ。きっと、来年、再来年も同じだろうか。いや、再来年は受験勉強で必死になっている頃か。
雪でも降ってきそうなほど寒い空気の中、私は図書室へ続く廊下を歩きながら先日のことを思い返していた。“運命の分かれ道”、と、例えても大袈裟でない。“あの日”の光景が何度も頭の中に鮮明に映し出される。
――秋季昇格テストの結果が出た日から三ヶ月後、彼は諦めず練習を重ね、ついに実力で一軍入りを果たした。
私にとってもこんなに嬉しいことはない。三軍から一軍入りという異例の事態に、事情を知らず驚愕していた部員も多いが、監督の決定ということで誰の異論も認められなかった。
私が図書室に入ると、受付には先に到着していた黒子くんが座っていた。利用者が少なくなったのを見計らって、私は黒子くんに話しかけた。
秋季昇格テストの結果が出たあの日、落ち込んでいた彼になんて言葉をかけていいか分からず、結局何も伝えることが出来なかった。それをずっと謝りたかった。
「…あの時、私、何も言えなくて……ごめんね」
一瞬、何のことかわからないという感じで不思議そうに目を見開いていたが、直後、すぐに察したようで黒子くんは薄く微笑んだ。
「その気持ちだけで充分です。僕の方こそ気を遣わせてしまったみたいで……」
「そんなことないよ」
ちょっと水くさいような会話をしつつ、本人から話を聞けば――、秋季昇格テストで下位五名以内になり、退部を勧められ落ち込んでいた翌日、いつも自主練をしている体育館で副部長の赤司くんに話を持ちかけられたらしい。
『自分だけのバスケスタイルを見つけることができたら、俺からコーチと主将に推薦しよう』、と。黒子くん曰く、その日から自分だけのスタイルを探す為に暗中模索の日々が続き、とても苦労したそうだ。
そして今月の初旬、二軍・三軍の合同練習の時に行われたミニゲームで見事に自分だけのバスケスタイルを発揮し、三軍チームが勝利した。私も間近で見ていたので、本当にビックリした。黒子くんのパス回しはまるで手品のようで、“気がついたらパスが通っている”という、まさに魔法のようなパスだった。ここまで技を確立するのに、秋から相当な練習を重ねて来たのだろう。
そして、努力の甲斐あってコーチと監督に認めてもらうことが出来た黒子くんは、翌週から早速一軍入りが決定となったのだ。
……本当によかった。黒子くんの努力が実って、本当によかった。
話がひと段落してから、お互いまた図書委員の仕事に戻る。
冬休み前に新しい本が入荷していたので、入荷リストをチェックし棚に並べてからまた受付に並んで座った。特に委員会の仕事が忙しいわけでもなかったので、またぽつりぽつりと話し始めるも、やはり話題は黒子くんの一軍入りの話になった。
「改めておめでとう。黒子くんの努力の賜物だね」
「ありがとうございます。汐見さんからもらったパワーストーンの力もあると思いますよ」
「あはは、まさかぁ」
「汐見さんの応援、心強かったです」
黒子くんの真剣な眼差しが、私の心音を加速させる。顔に熱が昇っていく。幸い、今日は図書室の利用者も少なくてよかった。けど、彼と並んで座っているこの近い距離じゃ、赤面してるのはバレてしまうだろう。
「そんな、まっすぐに褒めてもらえると照れちゃうよ」
笑って誤魔化すのも、何度目か。そろそろ限界な気がするけども、とりあえず苦笑してその場をやり過ごす他なかった。照れながらも純粋に感動してしまう。“応援が心強かった”――なんて、勿体ない言葉だ。私は何もしていない。全部、黒子くん自身の力だ。
そろそろ図書室の利用時間終了が近づき、最後の利用者の貸し出し手続きを終え、私と黒子くんは受付の席から立ち上がった。一応、誰か残っていないか見回りしたり、本が出したままになってないか、本棚が乱雑になっていないかチェックして、年内の委員会活動は全て終了だ。勉強に部活に委員会にと、十二月まであっという間だったな。
ふと、窓の外を見ると淀んだ色の空から白くて小さなものがふわふわと落ちてきた。ひとつ、ふたつ、と、あっと言う間に無数になる。粉雪だ。
「ゆき……」
つい声に出すと、黒子くんも気づいて窓際に近づいた。どうりで寒いわけだ。窓越しに感じる寒さに思わず二の腕を擦った。しばらく黙ったまま二人並んで、久々に都内に降り注ぐ雪に見とれていた。黒子くんの横顔をこっそりと一瞥し、また視線を外に戻す。目を合わせて伝えられない事を、私は勇気を出して、まるで独り言のように切り出した。
「わ……、私は三軍のマネージャーだから、しばらくは部活では会えそうにないね。体育館も別だし、練習風景も見る事も出来ないかも。黒子くんのすごいパス、いつかまた生で見たいな。公式試合だったら三軍も応援でついていけるから、その時に見れるかな」
人差し指で頬を掻きながら、ヘラリと力なく笑う顔が窓ガラスに映った。この笑い方をする自分が、本心を隠す仕草が、情けなくて嫌いだ。黒子くんは胸の前で拳を握って、凛々しい表情を私に向けた。視界の端っこで彼がこちらに向き直るのが見えたので、私も視線を窓から黒子くんへと移す。瞳の中の青色に窓越しの雪が映っていた。深海のダークブルーに白い結晶がキラキラ光って、スノードームみたいにキレイだ。
「汐見さんに早く活躍を見てもらえるように、頑張ります。万が一にも、初の試合で転んで鼻血とか出さないように気をつけます」
「黒子くん、言霊の効果って結構あるから、気をつけて…!」
「えっ」
普段言わないようなジョークを交えて淡々と話すものだから、思わず私からもジョークで返したら、彼は虚を突かれたとばかりに目を丸くしていた。
「なんてね!活躍、楽しみにしてる」
お互い顔を見合わせて小さく笑えば、心があたたかくなる。今日もあっという間にこの時間が過ぎてしまったと、一抹の寂しさが心の中に過った。また来年、一月になったら当番が回ってくる。もともと本が大好きでこの図書委員に立候補したわけだから、委員会の仕事自体は楽しい。その上、黒子くんと二人きりで話せる贅沢な時間だ。
黒子くんが好きだ。
好きで、好きで、どんどん、好きになってしまう。
これだ、というキッカケはない。関わっていくうちに少しずつ、知らず知らずに芽生えて育っていき、夏に意図せず開花してしまった。こんなにも唯一人に恋をしている自分も初めてで、どうしたらいいのか、どう振舞ったら正解なのかさえ分からない。ついこの間まで小学生だった私は、無垢な子供だった。あの頃、クラスの男の子に対する淡い“好き”とは違う。こんな感情は、知らない。
一軍には一軍にふさわしい、スカウティング能力の高いマネージャーが専属であてられている。そのうちまた、素質のある別のマネージャ―が抜擢されて一軍を担当するはずだ。おそらく私は来年も三軍のマネージャーか、もしくは二軍のマネージャーだろう。部活で黒子くんに会えることはほぼなくなるわけだが、委員会がある。委員会がない日はクラスがある。彼と二人で話せる機会があることに、誰よりも安堵していた。
――にしても、並んで雪を見て、近い距離で顔を見合わせてしまった。人知れず大きく息を吐き、落ち着かない鼓動を隠しながら先に廊下に出ると、黒子くんは背後から私に声を掛けてきた。
「汐見さん、そのまま振り向かずに聞いて下さい。これから僕は少し照れくさいことを言うので、僕が言い終えたらそのまま部室に行って下さい。……お願いです」
唐突に、まるで春の嵐のように、まったく予想だにしてなかった事。そうだ、これから部室に向かわなくちゃ…と頭の片隅で冷静になったけれど、直後、私の脳は沸騰せざるを得なくなる。
「汐見さんと会える場所は、部活だけじゃないですから。僕は、これからもキミとこの場所で色んな話がしたいです」
その一言は、耳の中で何度もリフレインしては私の耳まで赤くさせる。 “振り向かずに聞いて”と言われて、振り向かなかったわけじゃない。振り向けなかった。体が硬直した。それどころか一瞬、息が止まったかと思った。彼の穏やかな声の中に、僅かに感情の波が立つのが分かったからだ。
私は小さく頷いてから、廊下を真っ直ぐと歩き出した。頭が混乱して、足は部室でない方向へ向いているが、とにかく、沸騰した頭を冷やすために、渡り廊下に出て冷気を浴びなければと、足が徐々に急いだ。
黒子くんの“言葉”。
深い意味がない――はずが、ないんだ。だってあの黒子くんが、いつも淡々と話す黒子くんが、照れくさそうに告げてきたから、意味があると分かってしまう。ただ私とこれからも本の話がしたいだけならば、わざわざあんな言い方はしないだろう。
渡り廊下に出て私の足は立ち止まる。雪がうっすらと地面に降り積もり始めた。積もれば一面、白い世界に早変わりだ。
ひゅう、と通り抜けていく冷たい風が頬を撫ぜるが、顔から熱が引いてくれない。耳まで真っ赤なのが分かる。心臓もドクンドクンと早鐘を打っているまま、私はその場でしゃがみ込んで両手で顔を押さえた。頬に触れる指先が震える。
顔を見て言えない、恥ずかしくて、相手の目を見て言えないような、そんな気持ちをこめて彼が告げた言葉の意味。まだ確実な答えを得てはいないけれど、きっと、つまりは――黒子くんは私のことを。