長編
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さよならの向こう側
-3.一年の夏-
図書室から眺めていた満開の桜もあっと言う間に散り、新緑の季節が過ぎ、梅雨も過ぎて夏が訪れた。
衣替えではじめて腕を通す夏服が新鮮で、これからやってくる暑い季節に自然と心が踊る。夏と言えば、八月の半ばには全中が待っていた。もちろん帝光中は地区予選も県大会も何ら心配はない。『百戦百勝』という理念を掲げてるだけの実力があるからだ。
――今日は土曜日。
授業は午前中のみで、午後からは部活がある…が、その前に委員会の仕事があった。昼休みや放課後に図書室の受付カウンターに座って主に本の貸出や返却を対応する。貸し出す本に関しては最長で二週間と決まっているので、ちゃんと本が期限内に返却されているかなどの状況をチェックしたり、入荷してきた本を本棚へ並べるのも係の仕事だ。一年から三年まで、当番の日はローテーションで回ってくるので、それが昼休みになるのか放課後になるのかは当番表をもらうまではわからない。
土曜日で午前授業が終わりそのまま帰宅する生徒もいる為、平日であればそこそこ賑わっている図書室も今日は比較的静かだ。ぽつりぽつりとしか人が居ない。その中に受験勉強をする三年生の姿がチラホラと見受けられる。
土曜日は必然的に仕事も暇になる。でも利用者がゼロなわけではないので、必ず当番の者が図書室にいなければならないと、最初の委員会の集まりで教わった。私が入学式に忍び込んだ時は、おそらく扉の鍵をかけ忘れて開いていたんだろう。
本棚を簡単に整頓してカウンターに戻ってくると、黒子くんは座ったまま目を閉じて、すぅすぅと寝息をたてて眠っていた。黒子くんには利用者状況の確認を頼んでいたのだが、シャーペンを握ったまま固まってる。音を立てずに隣に座り、私は起こさないようそっと利用者状況リストを黒子くんの手元から自分の方へ動かした。彼の代わり私がチェックを進めておこう。
(…よっぽど疲れてるんだなぁ)
リストを確認しつつ、寝顔を盗み見る。彼の白い肌に映える長い睫が、中性的で整った顔立ちをさらに美しく感じさせた。こっそり見てドキドキしてるなんて何だか罪悪感。少しぐらいいいよねと、胸中で言い訳をしつつ、チェックの手を動かした。
本当は心ゆくまで寝かせてあげたいのだが、委員会の仕事の後、昼食の時間を挟んでから部活動が待っている。
バスケの強豪校・帝光中学バスケ部の練習はとにかくハードで、春を過ぎた頃には入部した新入生の二割は、その練習量に耐えられず辞めていった。夏が過ぎ、秋が過ぎる頃にもまた数人――いや、もっと減るかも知れない。基礎練だけでもハード。練習についていくだけでもやっと、という部員もいる。その上、部活だけでなく授業やテスト、学校行事もあるわけだから――相当な体力がいるのだ。 椅子に座ったら疲れがドッと出て、うたた寝してしまう気持ちもわかる。
利用者状況のリストをチェックし、返却遅れが出てないことを確認すると、私は手で口を押さえて大きく欠伸をした。
……昨日でテスト期間もやっと終わって、一段落。
テスト期間は原則部活動は禁止なのだが、バスケ部のみ例外とされ、代わりに午後五時までには完全撤収するというのを条件に通常練習のみ行われた。帰ったら慌ててテスト勉強をし、翌日テストを受け、部活へ行き…の一週間。そして土曜日の今日も部活。明日の日曜日は久々のオフなので、休息とリフレッシュに徹した方がよさそうだ。
「――すいません」
「わっ!」
突然の声に驚き、肩を震わせながら黒子くんへと視線を移すと、いつの間にか彼は目を覚ましていた。
「……寝て、しまいました。あの…」
「利用者状況チェックならもう終わったよ。特に問題なしだったから大丈夫」
「今日の仕事、ほとんど汐見さんにやらせてしまいましたね…」
申し訳なさそうに告げる黒子くんに「気にしないで」と頭を振った。疲れている時はお互い助け合いが必要だ。マネージャーの私よりも、ハードな練習を課せられている黒子くんの方が疲れてるだろうし。それに、今日は土曜日なので仕事も少ない。たいしたことをしたつもりはないのに、黒子くんから改めてお礼を言われてしまった。
誠実で素直で穏やかで、優しい――出会って数ヶ月経っても、ある程度仲良くなっても、黒子くんの良いところはまったく変わらない。嫌なところがひとつも見当たらないのだ。
何か思うことがあるとすれば、印象だけ少し変わった…って事だろうか。見た目はクールそうに見えるが、時々微笑んだ表情は心をが解けていくような。ふわっとあたたかい風が通ったみたいになるのだ。自分のことを「影が薄い」とか「気づかれないことが多い」とか黒子くんは言うけれど、私から言わせれば彼みたいな人に気づかないなんて勿体ないと思う。そして、彼の良いところに気づけた私は、とても得した気分になっているのもまた事実だ。
昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に流れて、残っていた生徒達が図書室からぞろぞろと出て行った。周囲を見渡して誰も残っていないことを確認してから、私と黒子くんも廊下へ出た。外側から施錠して職員室に鍵を返し、先生への報告が済んだら今日の委員会の仕事は終わりだ。
「もしよければ、学食行きませんか?」
渡り廊下から見える時計台をぼんやり見上げていると、黒子くんの方から誘ってくれた。それが嬉しくて何度も頷くと、彼は目を細めて苦笑していた。
帝光中の学食――マンモス校ということもありもちろん食堂も広々としていて、席もたくさんある。メニューも豊富で、栄養バランスもよく考えたメニューが多く、デザートまで揃っていた。時々食べに来るけども、味もなかなか美味しい。
私と黒子くんは、一緒に過ごす時間が他の人より長い分だけ打ち解けるのも早く、本好きという趣味が合うせいで出会ってから今日まで色々な話をした。おすすめの本を貸し借りしたり、好きな本の印象的なシーンの話、他愛のない話ではあるけれど私にとっては楽しい時間だった。
今もこうして向かい合って座って学食を食べながら、そんな話をしていた。誰かと一緒に食べるご飯は特に美味しく感じるし、会話も弾む。
本の話が一段落ついたところで「そういえば」と、デザートの杏仁豆腐を食べながら黒子くんが話を切り出した。
「夏休みはじめの合宿、もうすぐですね」
「夏の強化合宿だよね。……脱走者が毎年出るって噂を聞いたよ。どれだけハードなんだろう」
「……僕、生きて帰れるでしょうか」
「八月に新刊出るし、読むために生きて帰ろう!」
私が拳を握って戦慄かせ前のめりに声を張ると、黒子くんは私のオーバーな動きに口元を緩ませていた。“あの本”とは、ベストセラー作家の上下巻。もちろん続きものだ。気になるところで上巻が終わり、下巻の方だけが八月の頭に出るので、ファンならばここは発売日に買ってすぐにでも読みたいところだ。
しかし、本当に伝えたい事はそうじゃない。もっと素直にシンプルに励ませばよかったと胸中で後悔の念に駆られる。
そろそろ部活に向かおうと、お互い立ち上がって食器を乗せたトレーを返却口まで持っていこうとした時――
「あの、応援してるから」
気付いたら咄嗟に声出していた。出せて、いた。
照れる程のことでもないのに何故か照れてしまう。彼はゆっくりと頷き、柔らかい笑みを私に向けた。心の中に、“例の風”が通るような感覚になる。この正体は何だろう?きっと間もなく――すぐに、すぐにでも、気づく、分かってしまう――そんな予感に満ちていた。
遠くで蝉の鳴き声が響いている。それは、本格的に訪れる夏の知らせのよう。
□ □ □
関東圏内のとある山奥に、バスケ部が毎年合宿等で利用している大きな宿舎と体育館がある。そこで、夏休みに入ってからの一週間、みっちりバスケ部の強化合宿が行われた。私は新入生ということで、入部した時から三軍専属のマネージャーとして仕事をしている。ちなみに、黒子くんも現在は三軍だ。
朝のミーティングからはじまり、練習しては食事、練習しては食事、そして就寝……の繰り返しで、あっと言う間に夜になる。
それは部員達だけでなく、せかせかと忙しく働くマネージャーも同様だった。ドリンク作りやデータ収集、練習メニューのサポートにコーチの補佐という通常の仕事だけでなく、補給食を準備したり、ボトルを洗ったり、タオルの洗濯も大量にある。食事の用意だけは宿舎専属の調理師さん達が作ってくれるので助かった。部員達も他のマネージャーも頑張っているのだから、弱音は吐いていられない。
ヘトヘトになりながらも、残りあと一日となった夜。
明日頑張れば終わりだと思うと心に少し余裕が生まれたのか、就寝時間の後、私は部屋を抜け出し宿舎の裏まで星空を眺めにやって来た。体は疲れてるけれど、山奥なんて来たのはじめてだし、星を眺めれば癒しになるかと思ったのだ。
それに、小説でも『満天の星空』という描写がよく出てくる。実際に目にしたことがない私にとっては、これから想像の世界に飛び込んでいくみたいでわくわくした。
――そして、合宿前に予感していたことは的中する。
「黒子くん…?」
こんな夜更けに誰もいないと思っていたその場所には、既に先客がいた。すぐに誰かわかったので、その人の名前を呟いた。やはり、黒子くんで間違いなかった。合宿中はお互い忙しく、ハードな練習で疲労しきっていて、話す時間なんて全くなかった。たった数日話せなかっただけなのに、久々に感じる。
名を呼ぶ声に反応して、視線を夜空から私へ移す。月明かりに照らされた水色の髪が白く光っていた。少しだけ驚いた後、すぐに穏やかないつもの表情に戻る。私が来るとわかっていたみたいに。
「本好きな人はロマンチックな人が多い気がします。汐見さんもそうですね」
星空を見にわざわざ夜更けに抜け出してきたことを、一瞬で察したようだ。顔が熱くなる。夜でよかった。みるみる赤くなっていく顔がバレないだろうから。
黒子くんが微笑む度に、私の心の中を通る“あたたかい風”の正体。全神経で理解した。それは驚くこともない、落ちるべくして落ちた恋だった。
-3.一年の夏-
図書室から眺めていた満開の桜もあっと言う間に散り、新緑の季節が過ぎ、梅雨も過ぎて夏が訪れた。
衣替えではじめて腕を通す夏服が新鮮で、これからやってくる暑い季節に自然と心が踊る。夏と言えば、八月の半ばには全中が待っていた。もちろん帝光中は地区予選も県大会も何ら心配はない。『百戦百勝』という理念を掲げてるだけの実力があるからだ。
――今日は土曜日。
授業は午前中のみで、午後からは部活がある…が、その前に委員会の仕事があった。昼休みや放課後に図書室の受付カウンターに座って主に本の貸出や返却を対応する。貸し出す本に関しては最長で二週間と決まっているので、ちゃんと本が期限内に返却されているかなどの状況をチェックしたり、入荷してきた本を本棚へ並べるのも係の仕事だ。一年から三年まで、当番の日はローテーションで回ってくるので、それが昼休みになるのか放課後になるのかは当番表をもらうまではわからない。
土曜日で午前授業が終わりそのまま帰宅する生徒もいる為、平日であればそこそこ賑わっている図書室も今日は比較的静かだ。ぽつりぽつりとしか人が居ない。その中に受験勉強をする三年生の姿がチラホラと見受けられる。
土曜日は必然的に仕事も暇になる。でも利用者がゼロなわけではないので、必ず当番の者が図書室にいなければならないと、最初の委員会の集まりで教わった。私が入学式に忍び込んだ時は、おそらく扉の鍵をかけ忘れて開いていたんだろう。
本棚を簡単に整頓してカウンターに戻ってくると、黒子くんは座ったまま目を閉じて、すぅすぅと寝息をたてて眠っていた。黒子くんには利用者状況の確認を頼んでいたのだが、シャーペンを握ったまま固まってる。音を立てずに隣に座り、私は起こさないようそっと利用者状況リストを黒子くんの手元から自分の方へ動かした。彼の代わり私がチェックを進めておこう。
(…よっぽど疲れてるんだなぁ)
リストを確認しつつ、寝顔を盗み見る。彼の白い肌に映える長い睫が、中性的で整った顔立ちをさらに美しく感じさせた。こっそり見てドキドキしてるなんて何だか罪悪感。少しぐらいいいよねと、胸中で言い訳をしつつ、チェックの手を動かした。
本当は心ゆくまで寝かせてあげたいのだが、委員会の仕事の後、昼食の時間を挟んでから部活動が待っている。
バスケの強豪校・帝光中学バスケ部の練習はとにかくハードで、春を過ぎた頃には入部した新入生の二割は、その練習量に耐えられず辞めていった。夏が過ぎ、秋が過ぎる頃にもまた数人――いや、もっと減るかも知れない。基礎練だけでもハード。練習についていくだけでもやっと、という部員もいる。その上、部活だけでなく授業やテスト、学校行事もあるわけだから――相当な体力がいるのだ。 椅子に座ったら疲れがドッと出て、うたた寝してしまう気持ちもわかる。
利用者状況のリストをチェックし、返却遅れが出てないことを確認すると、私は手で口を押さえて大きく欠伸をした。
……昨日でテスト期間もやっと終わって、一段落。
テスト期間は原則部活動は禁止なのだが、バスケ部のみ例外とされ、代わりに午後五時までには完全撤収するというのを条件に通常練習のみ行われた。帰ったら慌ててテスト勉強をし、翌日テストを受け、部活へ行き…の一週間。そして土曜日の今日も部活。明日の日曜日は久々のオフなので、休息とリフレッシュに徹した方がよさそうだ。
「――すいません」
「わっ!」
突然の声に驚き、肩を震わせながら黒子くんへと視線を移すと、いつの間にか彼は目を覚ましていた。
「……寝て、しまいました。あの…」
「利用者状況チェックならもう終わったよ。特に問題なしだったから大丈夫」
「今日の仕事、ほとんど汐見さんにやらせてしまいましたね…」
申し訳なさそうに告げる黒子くんに「気にしないで」と頭を振った。疲れている時はお互い助け合いが必要だ。マネージャーの私よりも、ハードな練習を課せられている黒子くんの方が疲れてるだろうし。それに、今日は土曜日なので仕事も少ない。たいしたことをしたつもりはないのに、黒子くんから改めてお礼を言われてしまった。
誠実で素直で穏やかで、優しい――出会って数ヶ月経っても、ある程度仲良くなっても、黒子くんの良いところはまったく変わらない。嫌なところがひとつも見当たらないのだ。
何か思うことがあるとすれば、印象だけ少し変わった…って事だろうか。見た目はクールそうに見えるが、時々微笑んだ表情は心をが解けていくような。ふわっとあたたかい風が通ったみたいになるのだ。自分のことを「影が薄い」とか「気づかれないことが多い」とか黒子くんは言うけれど、私から言わせれば彼みたいな人に気づかないなんて勿体ないと思う。そして、彼の良いところに気づけた私は、とても得した気分になっているのもまた事実だ。
昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に流れて、残っていた生徒達が図書室からぞろぞろと出て行った。周囲を見渡して誰も残っていないことを確認してから、私と黒子くんも廊下へ出た。外側から施錠して職員室に鍵を返し、先生への報告が済んだら今日の委員会の仕事は終わりだ。
「もしよければ、学食行きませんか?」
渡り廊下から見える時計台をぼんやり見上げていると、黒子くんの方から誘ってくれた。それが嬉しくて何度も頷くと、彼は目を細めて苦笑していた。
帝光中の学食――マンモス校ということもありもちろん食堂も広々としていて、席もたくさんある。メニューも豊富で、栄養バランスもよく考えたメニューが多く、デザートまで揃っていた。時々食べに来るけども、味もなかなか美味しい。
私と黒子くんは、一緒に過ごす時間が他の人より長い分だけ打ち解けるのも早く、本好きという趣味が合うせいで出会ってから今日まで色々な話をした。おすすめの本を貸し借りしたり、好きな本の印象的なシーンの話、他愛のない話ではあるけれど私にとっては楽しい時間だった。
今もこうして向かい合って座って学食を食べながら、そんな話をしていた。誰かと一緒に食べるご飯は特に美味しく感じるし、会話も弾む。
本の話が一段落ついたところで「そういえば」と、デザートの杏仁豆腐を食べながら黒子くんが話を切り出した。
「夏休みはじめの合宿、もうすぐですね」
「夏の強化合宿だよね。……脱走者が毎年出るって噂を聞いたよ。どれだけハードなんだろう」
「……僕、生きて帰れるでしょうか」
「八月に新刊出るし、読むために生きて帰ろう!」
私が拳を握って戦慄かせ前のめりに声を張ると、黒子くんは私のオーバーな動きに口元を緩ませていた。“あの本”とは、ベストセラー作家の上下巻。もちろん続きものだ。気になるところで上巻が終わり、下巻の方だけが八月の頭に出るので、ファンならばここは発売日に買ってすぐにでも読みたいところだ。
しかし、本当に伝えたい事はそうじゃない。もっと素直にシンプルに励ませばよかったと胸中で後悔の念に駆られる。
そろそろ部活に向かおうと、お互い立ち上がって食器を乗せたトレーを返却口まで持っていこうとした時――
「あの、応援してるから」
気付いたら咄嗟に声出していた。出せて、いた。
照れる程のことでもないのに何故か照れてしまう。彼はゆっくりと頷き、柔らかい笑みを私に向けた。心の中に、“例の風”が通るような感覚になる。この正体は何だろう?きっと間もなく――すぐに、すぐにでも、気づく、分かってしまう――そんな予感に満ちていた。
遠くで蝉の鳴き声が響いている。それは、本格的に訪れる夏の知らせのよう。
□ □ □
関東圏内のとある山奥に、バスケ部が毎年合宿等で利用している大きな宿舎と体育館がある。そこで、夏休みに入ってからの一週間、みっちりバスケ部の強化合宿が行われた。私は新入生ということで、入部した時から三軍専属のマネージャーとして仕事をしている。ちなみに、黒子くんも現在は三軍だ。
朝のミーティングからはじまり、練習しては食事、練習しては食事、そして就寝……の繰り返しで、あっと言う間に夜になる。
それは部員達だけでなく、せかせかと忙しく働くマネージャーも同様だった。ドリンク作りやデータ収集、練習メニューのサポートにコーチの補佐という通常の仕事だけでなく、補給食を準備したり、ボトルを洗ったり、タオルの洗濯も大量にある。食事の用意だけは宿舎専属の調理師さん達が作ってくれるので助かった。部員達も他のマネージャーも頑張っているのだから、弱音は吐いていられない。
ヘトヘトになりながらも、残りあと一日となった夜。
明日頑張れば終わりだと思うと心に少し余裕が生まれたのか、就寝時間の後、私は部屋を抜け出し宿舎の裏まで星空を眺めにやって来た。体は疲れてるけれど、山奥なんて来たのはじめてだし、星を眺めれば癒しになるかと思ったのだ。
それに、小説でも『満天の星空』という描写がよく出てくる。実際に目にしたことがない私にとっては、これから想像の世界に飛び込んでいくみたいでわくわくした。
――そして、合宿前に予感していたことは的中する。
「黒子くん…?」
こんな夜更けに誰もいないと思っていたその場所には、既に先客がいた。すぐに誰かわかったので、その人の名前を呟いた。やはり、黒子くんで間違いなかった。合宿中はお互い忙しく、ハードな練習で疲労しきっていて、話す時間なんて全くなかった。たった数日話せなかっただけなのに、久々に感じる。
名を呼ぶ声に反応して、視線を夜空から私へ移す。月明かりに照らされた水色の髪が白く光っていた。少しだけ驚いた後、すぐに穏やかないつもの表情に戻る。私が来るとわかっていたみたいに。
「本好きな人はロマンチックな人が多い気がします。汐見さんもそうですね」
星空を見にわざわざ夜更けに抜け出してきたことを、一瞬で察したようだ。顔が熱くなる。夜でよかった。みるみる赤くなっていく顔がバレないだろうから。
黒子くんが微笑む度に、私の心の中を通る“あたたかい風”の正体。全神経で理解した。それは驚くこともない、落ちるべくして落ちた恋だった。