呪術廻戦
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Prestissimo
例えば学生時代に一度付き合っていた男女が、大人になって再会してまた恋人になるというのはよくあるパターン。しかし、知り合って十年間も関係が変わらなかった二人が今になって恋人になるのは、飛躍した展開だと改めて思う。
初対面では学生と教員、数年後には高専所属の呪術師と教員、さらに数年後は呪術高専の教員同士――そしてつい先程、恋仲になった。晴天の霹靂ではあったが、告白よりその直前に東京タワーの上空付近まで抱えられて飛んだ事のほうが衝撃過ぎた。実際、気を失った。地上に降りてから気持ちを伝えるまで妙に落ち着いていられたのはその所為だったのかも。
東京タワーで夜景を見て過ごし、車に戻ったら再び五条くんの顔が目前まで近づいてきた瞬間、着信音が鳴って彼の動きはピタリと止まった。キスシーンが遮られ、五条くんは遠慮なく舌打ちをした。
伊地知さんからの連絡で、本来今夜は地方の任務で前乗り予定の日だったらしい。てっきり一日完全オフだと思っていたので、ちゃんと確認すればよかった。そもそも呪術師は急な任務なんて当たり前の世界で、確約された休日なんてものはなかったんだった。彼が本当に忘れていたのか忘れたフリをしていたのかは定かではないが。
伊地知さんへの申し訳なさが募り、現地までこれから送りましょうかと打診したところ、ひとまず高専で大丈夫ということになって私達は車で戻ることになった。
ぽつりぽつりと雑談をしつつ、ここ最近の五条くんの出張ありきの過剰労働の愚痴を聞きながら車を走らせ、私は冷静を装うも頭の片隅で考えてしまう。お互いに30歳近いし初々しさがあまりないけれど、知り合って長年経ってからこういう関係になるのが気恥ずかしい。
道が空いていたのであっという間に高専の敷地内の駐車場に到着した。伊地知さんより早く到着したので、待たせなくて済むことに安堵した。
エンジンを切って車から降りると、五条くんも降りて背伸びをした。帰りは後部座席で寛いで欲しかったのに、また助手席に乗ってきたのだ。二人の関係が変わったからと言っても、明日の任務がなくなるわけではない。任務に備えて休んで欲しかったような、でも隣に座ってくれて嬉しかったような……と思考を巡らせていると、いつ間に背後に回られ後ろから抱きしめられていることに気づく。身長差があるから私が羽交い締めされてるように見えなくもない。
慌てて顔だけ振り向くと案の定、その体勢のまま口付けされた。律儀にサングラスはシャツの胸元に掛けられている。触れるだけの軽いものとは違い、徐々に唇を啄むようなキスに変わり柔らかい舌先を感じた時、私は反射的にグッと歯を食いしばった。
「っ、ちょっと待っ……」
深いキスに持ち込まれたら拒めないような気がして。頬を上気させながら体を向き直し、両手で密着している彼の体をそっと押し返すと五条くんは白々しく微笑んだ。
「外です、ここ。しかも高専の敷地内」
「うん、知ってる」
「伊地知さんも間もなく来ますよ?」
「そうだね」
「いったん離れましょうか」
「つまんないなぁ」
駄々をこねつつも抱きしめていた腕を、ハンズアップのポーズを見せて渋々解いてくれた。こんな場面を他の人に見られてしまうと思うと焦る。いずれ私達が付き合っている事が周囲に知られるとしても、だ。
大胆な事は外ではしないけれどこれぐらいならいいかと、今度は自分から五条くんの大きな手を取って繋いだ。彼のひんやりとした手の体温で、如何に自分の体温が上がっていたのか気づかれてしまう。
「あったかぁ。また照れてる」
「当たり前じゃないですか。すぐには慣れません」
「手ぇ繋ぐ方が大胆でしょ。コレ不倫っぽくない?」
喉を鳴らして笑いながら、五条くんは指をそれぞれ交差させて簡単にほどけないように繋ぎなおした。不倫なんて成立しない。ここにいるのは独身二人の男女だけだろう。
端正な顔立ちでふざけた事を言ったり、自信満々だったり、知り合ってから長いが彼の未知な部分は多々ある。もし私が恋人にはなれないと断っていたらどうしていたのか。一気に興味が失せたりして?それとも、そんなん知ったこっちゃないと詰め寄っていた?
呪術高専は莚山麓の山間にある為、夜になると周辺は真っ暗だ。敷地内には街頭もあるが、数が少なく心許ない。駐車場へ続く車道にチカチカとヘッドライトの明かりが見え、車が入ってくる様子がわかる。五条くんを迎えに来た伊地知さんだ。
任務に支障が出なくてよかったと内心で胸を撫でおろす。車の音が徐々に近づいてきたので、繋がった手を緩めてほしくて指を動かしても解く様子はないので諦めた。
周囲にビルもない山麓。緑に囲まれたこの地では夜になると星がよく見える。春の夜は都心よりも気温が下がって、ジャケットを羽織っていても肌寒い。五条くんはサングラスを片手でかけ直して夜空を見上げていた。何の変哲もない夜空でも、恋人と二人で見るシチュエーションはロマンチックだ。あと数分で二人きりの時間も終わってしまう。
「僕のこと好きだよね?」
「はい。好きです」
「特別大切?」
「そう思ってます」
「……ふーん」
返事は素っ気なく興味なさげな声色。唐突にそっちが聞いてきたんじゃないか。子供っぽく唇を尖らせて、珍しく自分の髪を雑にかき上げていた。これは照れてる仕草なのでは?微々たるリアクションの変化に、一喜一憂してしまいそう。“特別大切”だと東京タワーで告げたけれど、好きって初めて伝えたかも。聞かれたから自然と答えてしまった。
「出会ってすぐ好きになったワケじゃないけどさ、十年分の気持ちが溢れそうだよ」
「点々と散らばってた感情が、線になったような感じでしょうか」
「それ言い得て妙だねぇ」
顔を寄せられて、サングラス越しに群青に輝く瞳が私を捉えている。
「だからさ、『待って』は無理だよ。適応して?」
□ □ □
五条くんは、呪術師・非術師でなく“五条悟”というカテゴリに存在していると思う。それ程に呪術師として超越している。
彼一人でどうこうできてしまうこの世界で、本当に恋人は必要か?必要かどうかより、“欲しい”かどうかで決めてるのかな。
過去に恋人が居たことも知っている。あれだけの美形を世の女性が放っておくはずもない。かなりモテてはいたらしいが、恋愛に重きを置けるほど呪術師の彼に時間に余裕はなかったのだろう。飽き性な感じもするし。
『忙しくて返信してなかったら知らない間にフラれてた事になってた!』なんて、教員同士の飲み会で笑いながら話してたのを思い出す。“後腐れなく終わりたいから”と同業の子とは付き合ったことがない話していた時、最初から終わることが前提なんだなと思った。同じ職場の私は、その対象ではないということ?
――点々と散らばってた感情が線になったみたいな感じなのは、私も同じだ。
予想だにしない告白で驚きながらも、自分の気持ちも確認できたし両想いになれたことは勿論嬉しい。その反面、一体どこを気に入ったのか疑問が残る。そもそも五条くんが認識している「汐見琴音」のほとんどの姿や場面は事務教員で、平々凡々と働いていただけの自分。彼が選んでくれた自分に自信を持ちたいと気持ちを伝えたものの、短期間で身に付くようなものじゃない。
しかし、待ってもらえないなら覚悟を決めるしかない。
・・・
・・・・・
・・・・・・
あの夜から二週間後、連絡先はお互い知ってるものの簡単なメッセージしか来ないし送っていない。長期出張明けにオフがあるから会おうという約束だけはしていた。
予定通り会える日に、ホテルの最上階にある鉄板焼きのお店に行く事になった。スマホで調べたらドレスコードは無しのお店だったので、カジュアルなワンピースを着て待ち合わせ場所まで車で向かった。五条くんは出張任務の後、一度も高専には戻らなかったようだ。当日はホテルのラウンジに併設されたカフェで待ち合わせをしようということになった。
首都高を降りればあっという間に銀座へ到着。車をホテルの駐車場に停めてカフェへ向かうと、ソファにゆったりと腰掛け長い脚を組んでコーヒーを飲んでる男性が一人。雑誌の撮影をしているのかと勘違いしてしまう程に絵になっていた。ゆったりとした黒のカットソーに濃紺のデニム。サングラスで目を隠していてもオーラがまるで隠せていない。自然と周囲の女性客から注目を集めていた。
少し離れた場所から見つめていたら、彼のほうが気づいて手招きして私を隣に座らせた。誘導されるままに腰掛けてしまったけれど、あからさまにカップルの座り方だ。向かいのソファ席のが目立たなくてよかったかな。
「や、久しぶり」
「お久しぶりです。五条くん出張お疲れさまでした」
「まぁいつものことだよ。琴音もコーヒー飲む?頼もうか」
「はい、頂きます」
ウェイターを呼び止め同じものを注文してくれて、間もなくコーヒーが二人の前のテーブルに置かれた。いい香りが鼻をくすぐって僅かに緊張が和らいだ。ラウンジの天井にはシャンデリアが飾られ、大きな窓からは大通りの街並みが見える。休日の歩行者天国は夕方になっても人で溢れていた。外の喧騒とは逆に、このカフェの空間は静かで落ち着いている。ゆっくり時間が流れているみたいだ。
コレお土産、と渡されたのは見たことがある紙袋で『博多通りもん』と書いてある。上品な甘さの白餡のお菓子だ。以前も食べたことがある気がする。その時も確か――教員室にやって来た五条くんにコーヒーを淹れたら、お茶菓子にと貰ったんだ。
「好きなの覚えててくれたんですか?」
「まぁね。これ僕も好きだし」
「ありがとうございます。食べるの楽しみです」
思い出が脳裏を過って自然と笑みが零れた。特に、五条くんが教師になってからお土産を持ってくる機会が多くなった。
「後で部屋で食べる?」
彼はおもむろに、半分ほどコーヒーが残ってるカップの中に砂糖を数個追加してスプーンで混ぜながら問いかけてきた。
「さすがに鉄板焼きだけ食べに来たってわけじゃないのは察してるね」
声色も変えず淡々とした問いかけに、私は熱くて美味しいコーヒーを一口飲んでから静かに頷いた。
付き合ってからのデートで、ホテルのレストランで食事をして、夜は解散…という事はない。部屋を予約してくれているはずだ。“『待って』は無理”、と告げられた上で自分でここに来たのだからわかっている。
膝の上で手を固く握っていると、五条くんの大きな手の平が私の手を包んだ。二人共視線は真っ直ぐに、群青色の空を照らす街頭の明りを窓越しに眺めた。暗くなるにつれて、二人が横並びに座って手を重ねている姿が窓にがハッキリと映し出される。まるで人気モデルの手繋ぎチェキ会に来たファンでは?と自分の平凡さが際立って項垂れそうになった。
「心配事があるなら聞くだけ聞いてあげるよ」
口角を片方だけ上げて笑う顔は、幾度となく見た意地悪な笑み。窓に反射するその表情は、見慣れているはずなのに今日はどこか違う。柔らかさがある。
私の顔を覗き込んだ拍子にサングラスが少しだけ下にずれて、五条くんとしっかりと目が合った。淡い白色の長いまつ毛と吸い込まれそうな宝石の瞳だ。最強呪術師の「六眼」と呼ばれる特殊体質、私にとっては好きな人の美しいブルーの瞳でしかない。きっと、それ以上の意味はなくていいと彼は言うだろうな。握りしめた手の中で汗がじわりと滲む。
「て…、鉄板焼きを食べた後で腹がぽっこり出てしまうのは恥ずかしいです」
「はいはい、気にしなくていいからたくさんお食べ。あとは?」
「アラサーですが人並の経験しかなく、色々自信ない…です」
「僕の腕の見せ所だから問題なーし!あとは何?」
「五条くんと私では釣り合わないなぁって改めて思いました」
「大丈夫、僕と釣り合う人類なんていないから。そんなの関係なしに琴音がいいんだよ。で、まだあんの?」
「……五条くんが今日は優しくて、ヘンです」
「優しくするって難しいねぇ」
心の内を正直に吐露すれば結局溜息をつかれるのだが、言いたい事は全部言い切った。最後のが一番伝えたかったこと。
今日の五条くんは優しくておかしい。
至近距離で視線を交わしたまま、ふと、目の色に感情が見えた。確信はないが気づいてしまった。――焦燥感と愛しさを含んで私を見つめている。長くてキレイな指が私の前髪を撫でた。まるで猫を構うみたいに指先を操って、くすぐったい。ふ、と小さい笑い声が意図せず漏れてしまった。
「二週間長かった。早く君が欲しいよ」
耳心地の良い声が鼓膜に響く。私に向けられている台詞だと気づくまで数秒かかり、現実味がないワンシーンにぽかんと口が開き呆けてしまった。
…………欲しい?
そして、後にも先にもこんなに甘い台詞を彼の口から聞けることはないと瞬時に悟った。
五条くんは前髪を撫でている指はそのままに、ちゅ、と音を立てて私の額に唇を落とすのだった。リップ音を合図に、体中の血液が沸騰して全身が熱くなる。甘い言葉も優しいキスも、常人が発揮する効果を遥かに超えてくるのだから、五条くんは用法用量と、あと場所を守って使って欲しい。
心臓が早鐘を打つことも、鼓膜が溶けそうになることも、泣きそうになる程に心が陥落してしまう感覚も、身に起きてること全てが脳をグラグラと揺らす。
熱に浮かされるように、『過剰摂取』というワードがぼんやりと脳裏に浮かぶ。動揺し過ぎてディナーの鉄板焼きをちゃんと味わえるかどうか、それが目下の心配事だった。
例えば学生時代に一度付き合っていた男女が、大人になって再会してまた恋人になるというのはよくあるパターン。しかし、知り合って十年間も関係が変わらなかった二人が今になって恋人になるのは、飛躍した展開だと改めて思う。
初対面では学生と教員、数年後には高専所属の呪術師と教員、さらに数年後は呪術高専の教員同士――そしてつい先程、恋仲になった。晴天の霹靂ではあったが、告白よりその直前に東京タワーの上空付近まで抱えられて飛んだ事のほうが衝撃過ぎた。実際、気を失った。地上に降りてから気持ちを伝えるまで妙に落ち着いていられたのはその所為だったのかも。
東京タワーで夜景を見て過ごし、車に戻ったら再び五条くんの顔が目前まで近づいてきた瞬間、着信音が鳴って彼の動きはピタリと止まった。キスシーンが遮られ、五条くんは遠慮なく舌打ちをした。
伊地知さんからの連絡で、本来今夜は地方の任務で前乗り予定の日だったらしい。てっきり一日完全オフだと思っていたので、ちゃんと確認すればよかった。そもそも呪術師は急な任務なんて当たり前の世界で、確約された休日なんてものはなかったんだった。彼が本当に忘れていたのか忘れたフリをしていたのかは定かではないが。
伊地知さんへの申し訳なさが募り、現地までこれから送りましょうかと打診したところ、ひとまず高専で大丈夫ということになって私達は車で戻ることになった。
ぽつりぽつりと雑談をしつつ、ここ最近の五条くんの出張ありきの過剰労働の愚痴を聞きながら車を走らせ、私は冷静を装うも頭の片隅で考えてしまう。お互いに30歳近いし初々しさがあまりないけれど、知り合って長年経ってからこういう関係になるのが気恥ずかしい。
道が空いていたのであっという間に高専の敷地内の駐車場に到着した。伊地知さんより早く到着したので、待たせなくて済むことに安堵した。
エンジンを切って車から降りると、五条くんも降りて背伸びをした。帰りは後部座席で寛いで欲しかったのに、また助手席に乗ってきたのだ。二人の関係が変わったからと言っても、明日の任務がなくなるわけではない。任務に備えて休んで欲しかったような、でも隣に座ってくれて嬉しかったような……と思考を巡らせていると、いつ間に背後に回られ後ろから抱きしめられていることに気づく。身長差があるから私が羽交い締めされてるように見えなくもない。
慌てて顔だけ振り向くと案の定、その体勢のまま口付けされた。律儀にサングラスはシャツの胸元に掛けられている。触れるだけの軽いものとは違い、徐々に唇を啄むようなキスに変わり柔らかい舌先を感じた時、私は反射的にグッと歯を食いしばった。
「っ、ちょっと待っ……」
深いキスに持ち込まれたら拒めないような気がして。頬を上気させながら体を向き直し、両手で密着している彼の体をそっと押し返すと五条くんは白々しく微笑んだ。
「外です、ここ。しかも高専の敷地内」
「うん、知ってる」
「伊地知さんも間もなく来ますよ?」
「そうだね」
「いったん離れましょうか」
「つまんないなぁ」
駄々をこねつつも抱きしめていた腕を、ハンズアップのポーズを見せて渋々解いてくれた。こんな場面を他の人に見られてしまうと思うと焦る。いずれ私達が付き合っている事が周囲に知られるとしても、だ。
大胆な事は外ではしないけれどこれぐらいならいいかと、今度は自分から五条くんの大きな手を取って繋いだ。彼のひんやりとした手の体温で、如何に自分の体温が上がっていたのか気づかれてしまう。
「あったかぁ。また照れてる」
「当たり前じゃないですか。すぐには慣れません」
「手ぇ繋ぐ方が大胆でしょ。コレ不倫っぽくない?」
喉を鳴らして笑いながら、五条くんは指をそれぞれ交差させて簡単にほどけないように繋ぎなおした。不倫なんて成立しない。ここにいるのは独身二人の男女だけだろう。
端正な顔立ちでふざけた事を言ったり、自信満々だったり、知り合ってから長いが彼の未知な部分は多々ある。もし私が恋人にはなれないと断っていたらどうしていたのか。一気に興味が失せたりして?それとも、そんなん知ったこっちゃないと詰め寄っていた?
呪術高専は莚山麓の山間にある為、夜になると周辺は真っ暗だ。敷地内には街頭もあるが、数が少なく心許ない。駐車場へ続く車道にチカチカとヘッドライトの明かりが見え、車が入ってくる様子がわかる。五条くんを迎えに来た伊地知さんだ。
任務に支障が出なくてよかったと内心で胸を撫でおろす。車の音が徐々に近づいてきたので、繋がった手を緩めてほしくて指を動かしても解く様子はないので諦めた。
周囲にビルもない山麓。緑に囲まれたこの地では夜になると星がよく見える。春の夜は都心よりも気温が下がって、ジャケットを羽織っていても肌寒い。五条くんはサングラスを片手でかけ直して夜空を見上げていた。何の変哲もない夜空でも、恋人と二人で見るシチュエーションはロマンチックだ。あと数分で二人きりの時間も終わってしまう。
「僕のこと好きだよね?」
「はい。好きです」
「特別大切?」
「そう思ってます」
「……ふーん」
返事は素っ気なく興味なさげな声色。唐突にそっちが聞いてきたんじゃないか。子供っぽく唇を尖らせて、珍しく自分の髪を雑にかき上げていた。これは照れてる仕草なのでは?微々たるリアクションの変化に、一喜一憂してしまいそう。“特別大切”だと東京タワーで告げたけれど、好きって初めて伝えたかも。聞かれたから自然と答えてしまった。
「出会ってすぐ好きになったワケじゃないけどさ、十年分の気持ちが溢れそうだよ」
「点々と散らばってた感情が、線になったような感じでしょうか」
「それ言い得て妙だねぇ」
顔を寄せられて、サングラス越しに群青に輝く瞳が私を捉えている。
「だからさ、『待って』は無理だよ。適応して?」
□ □ □
五条くんは、呪術師・非術師でなく“五条悟”というカテゴリに存在していると思う。それ程に呪術師として超越している。
彼一人でどうこうできてしまうこの世界で、本当に恋人は必要か?必要かどうかより、“欲しい”かどうかで決めてるのかな。
過去に恋人が居たことも知っている。あれだけの美形を世の女性が放っておくはずもない。かなりモテてはいたらしいが、恋愛に重きを置けるほど呪術師の彼に時間に余裕はなかったのだろう。飽き性な感じもするし。
『忙しくて返信してなかったら知らない間にフラれてた事になってた!』なんて、教員同士の飲み会で笑いながら話してたのを思い出す。“後腐れなく終わりたいから”と同業の子とは付き合ったことがない話していた時、最初から終わることが前提なんだなと思った。同じ職場の私は、その対象ではないということ?
――点々と散らばってた感情が線になったみたいな感じなのは、私も同じだ。
予想だにしない告白で驚きながらも、自分の気持ちも確認できたし両想いになれたことは勿論嬉しい。その反面、一体どこを気に入ったのか疑問が残る。そもそも五条くんが認識している「汐見琴音」のほとんどの姿や場面は事務教員で、平々凡々と働いていただけの自分。彼が選んでくれた自分に自信を持ちたいと気持ちを伝えたものの、短期間で身に付くようなものじゃない。
しかし、待ってもらえないなら覚悟を決めるしかない。
・・・
・・・・・
・・・・・・
あの夜から二週間後、連絡先はお互い知ってるものの簡単なメッセージしか来ないし送っていない。長期出張明けにオフがあるから会おうという約束だけはしていた。
予定通り会える日に、ホテルの最上階にある鉄板焼きのお店に行く事になった。スマホで調べたらドレスコードは無しのお店だったので、カジュアルなワンピースを着て待ち合わせ場所まで車で向かった。五条くんは出張任務の後、一度も高専には戻らなかったようだ。当日はホテルのラウンジに併設されたカフェで待ち合わせをしようということになった。
首都高を降りればあっという間に銀座へ到着。車をホテルの駐車場に停めてカフェへ向かうと、ソファにゆったりと腰掛け長い脚を組んでコーヒーを飲んでる男性が一人。雑誌の撮影をしているのかと勘違いしてしまう程に絵になっていた。ゆったりとした黒のカットソーに濃紺のデニム。サングラスで目を隠していてもオーラがまるで隠せていない。自然と周囲の女性客から注目を集めていた。
少し離れた場所から見つめていたら、彼のほうが気づいて手招きして私を隣に座らせた。誘導されるままに腰掛けてしまったけれど、あからさまにカップルの座り方だ。向かいのソファ席のが目立たなくてよかったかな。
「や、久しぶり」
「お久しぶりです。五条くん出張お疲れさまでした」
「まぁいつものことだよ。琴音もコーヒー飲む?頼もうか」
「はい、頂きます」
ウェイターを呼び止め同じものを注文してくれて、間もなくコーヒーが二人の前のテーブルに置かれた。いい香りが鼻をくすぐって僅かに緊張が和らいだ。ラウンジの天井にはシャンデリアが飾られ、大きな窓からは大通りの街並みが見える。休日の歩行者天国は夕方になっても人で溢れていた。外の喧騒とは逆に、このカフェの空間は静かで落ち着いている。ゆっくり時間が流れているみたいだ。
コレお土産、と渡されたのは見たことがある紙袋で『博多通りもん』と書いてある。上品な甘さの白餡のお菓子だ。以前も食べたことがある気がする。その時も確か――教員室にやって来た五条くんにコーヒーを淹れたら、お茶菓子にと貰ったんだ。
「好きなの覚えててくれたんですか?」
「まぁね。これ僕も好きだし」
「ありがとうございます。食べるの楽しみです」
思い出が脳裏を過って自然と笑みが零れた。特に、五条くんが教師になってからお土産を持ってくる機会が多くなった。
「後で部屋で食べる?」
彼はおもむろに、半分ほどコーヒーが残ってるカップの中に砂糖を数個追加してスプーンで混ぜながら問いかけてきた。
「さすがに鉄板焼きだけ食べに来たってわけじゃないのは察してるね」
声色も変えず淡々とした問いかけに、私は熱くて美味しいコーヒーを一口飲んでから静かに頷いた。
付き合ってからのデートで、ホテルのレストランで食事をして、夜は解散…という事はない。部屋を予約してくれているはずだ。“『待って』は無理”、と告げられた上で自分でここに来たのだからわかっている。
膝の上で手を固く握っていると、五条くんの大きな手の平が私の手を包んだ。二人共視線は真っ直ぐに、群青色の空を照らす街頭の明りを窓越しに眺めた。暗くなるにつれて、二人が横並びに座って手を重ねている姿が窓にがハッキリと映し出される。まるで人気モデルの手繋ぎチェキ会に来たファンでは?と自分の平凡さが際立って項垂れそうになった。
「心配事があるなら聞くだけ聞いてあげるよ」
口角を片方だけ上げて笑う顔は、幾度となく見た意地悪な笑み。窓に反射するその表情は、見慣れているはずなのに今日はどこか違う。柔らかさがある。
私の顔を覗き込んだ拍子にサングラスが少しだけ下にずれて、五条くんとしっかりと目が合った。淡い白色の長いまつ毛と吸い込まれそうな宝石の瞳だ。最強呪術師の「六眼」と呼ばれる特殊体質、私にとっては好きな人の美しいブルーの瞳でしかない。きっと、それ以上の意味はなくていいと彼は言うだろうな。握りしめた手の中で汗がじわりと滲む。
「て…、鉄板焼きを食べた後で腹がぽっこり出てしまうのは恥ずかしいです」
「はいはい、気にしなくていいからたくさんお食べ。あとは?」
「アラサーですが人並の経験しかなく、色々自信ない…です」
「僕の腕の見せ所だから問題なーし!あとは何?」
「五条くんと私では釣り合わないなぁって改めて思いました」
「大丈夫、僕と釣り合う人類なんていないから。そんなの関係なしに琴音がいいんだよ。で、まだあんの?」
「……五条くんが今日は優しくて、ヘンです」
「優しくするって難しいねぇ」
心の内を正直に吐露すれば結局溜息をつかれるのだが、言いたい事は全部言い切った。最後のが一番伝えたかったこと。
今日の五条くんは優しくておかしい。
至近距離で視線を交わしたまま、ふと、目の色に感情が見えた。確信はないが気づいてしまった。――焦燥感と愛しさを含んで私を見つめている。長くてキレイな指が私の前髪を撫でた。まるで猫を構うみたいに指先を操って、くすぐったい。ふ、と小さい笑い声が意図せず漏れてしまった。
「二週間長かった。早く君が欲しいよ」
耳心地の良い声が鼓膜に響く。私に向けられている台詞だと気づくまで数秒かかり、現実味がないワンシーンにぽかんと口が開き呆けてしまった。
…………欲しい?
そして、後にも先にもこんなに甘い台詞を彼の口から聞けることはないと瞬時に悟った。
五条くんは前髪を撫でている指はそのままに、ちゅ、と音を立てて私の額に唇を落とすのだった。リップ音を合図に、体中の血液が沸騰して全身が熱くなる。甘い言葉も優しいキスも、常人が発揮する効果を遥かに超えてくるのだから、五条くんは用法用量と、あと場所を守って使って欲しい。
心臓が早鐘を打つことも、鼓膜が溶けそうになることも、泣きそうになる程に心が陥落してしまう感覚も、身に起きてること全てが脳をグラグラと揺らす。
熱に浮かされるように、『過剰摂取』というワードがぼんやりと脳裏に浮かぶ。動揺し過ぎてディナーの鉄板焼きをちゃんと味わえるかどうか、それが目下の心配事だった。