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君は天然色
『…藤沢駅の改札で待ってるんで、帰ってきたら伝えてもらっていいすか』
頼まれたおつかいを済ませスーパーから帰宅すると、出迎えた母から楓くんの伝言を耳にした。
約束してたっけ?…思い当たる節もなく小首を傾げていると、荷物を受け取った母が私を急かす。待たせてるんだから早く行きなさいとか、約束があるんだったらおつかい頼まなかったのにとか、何だか責められてるようで腑に落ちない。思考を巡らせたがやはり約束をした覚えはなった。
そもそも土曜日も部活だと思っていたけど、午前だけで終わったのかな。
家が真向いのご近所さんの一人息子、流川楓くん。彼は私と同じ湘北高校に通う一年生だ。
私はひとつ上の二年生だが、昔馴染みの関係からお互いを名前で呼び合っている。
入学式の帰りに告白され、付き合うことになった。小さい頃から見ているし意識したことがなかったから驚いたけれど、彼の強引な性格は熟知している。断れるはずもなく、純粋に嬉しかった事もあって、私は告白を受け入れることにした。幼馴染とも呼べないご近所さんの関係が長すぎて戸惑いはあるが、彼女として少しずつ歩み寄れたらいいと今ではそう思ってる。
富ヶ丘中でも同じクラスになったこともあり、現・湘北バスケ部マネージャーの彩子ちゃんにだけに交際の事を伝えたら、かなりビックリしていた。『バスケ以外に興味がなさそうなあの流川が!?』って。無理もない。私も同じ事思っていたし、まさか自分が彼女になるとは――人生、何があるか分からない。
自宅最寄りのバス停から乗って、20分程度で藤沢駅に到着した。
JR東海道線、小田急線、江ノ電の三路線が通っている、大きな駅だ。駅直結のショッピングモールがあり、周辺も栄えているこの場所。欲しいものがある時はだいたいここに来れば揃えることが出来る。
階段を上り改札方面に向かいながら、電車から降りて来た人々とすれ違う。さすがに晴れた休日の駅周辺、混雑してるなぁ。そもそも改札って複数あるし……どっち?ポケベルもないのにこんなに混んでる駅で楓くんを見つけることが出来るのか?…っていうか、なんで藤沢駅待ち合わせなんだ。
家が真向かいなのだから、私の帰りを待って一緒に行ってもよかったんじゃないか。マイペース――知ってた、前から知ってたけど!意図せず唇を尖らせてしまう。
私はこれまで、異性と付き合った経験がない。彼もおそらくバスケ一筋だったから同じだろう。“付き合う”って何?歩幅の違う二人が、合わせて並んで歩くことじゃないの?これじゃあ、いつも早歩きで先を行く楓くんの背中を追って、私が早歩きしてるようなものじゃないか。
ふぅ溜息をついて改札に辿り着き、周囲を見渡しても楓くんの姿はなかった。妙な人混みでよく見えないし、催事でもやってるんだろうか。右を見ても左を見ても、いない。こっちの改札じゃなかったのかな。駅中を抜けて逆方面へ行く事はできるだろうかと駅員さんに聞こうと歩き出した時、公衆電話をかけている女性の声が耳に入って来た。
「うん、今着いたとこ。改札出たとこにすごいカッコイイ人がいるから、そこで待ち合わせね!」
声を弾ませた様子で電話を切った女性は、改札前の人だかりへ足早に歩き出していた。
――や、まさか。
よくよく見ると何かを囲むその賑わいは“女性ばかり”だった。踵を返し騒めきが聞こえる方へ進む。
人混みをかき分けた先に――壁際に寄り掛かって立ったまま寝てる楓くんが佇んでいた。耳にイヤホンをつけて音楽を聴き、腕を組んだまま…立ったまま寝るとは、何と器用な。
漆黒の艶髪、凛々しい眉に整った目鼻立ち、目を伏せれば長い睫毛が目立ち、モデルさながらの高身長。黒のパーカーにデニムと言うシンプルな服装がより素材を際立せ、立ってるだけで絵になっていた。
これが私の彼氏…?改めて実感するけれど、どう考えても私と釣り合わなくないか?押せ押せな告白で付き合うことになったのだから、今更そんな理由で手放してもらえるはずもないだろうけど。
一定の距離を開けながらぐるりと孤を描くように色めきだった女子たちが囲んでいた。
湘北高校にも楓くんのファンはいる。しかし、それはバスケの練習や試合などを見に来てファンになった子がほとんどだ。しかしこの状況は……名前も知らない彼に、女子の視線が釘付けになっていた。バスケを抜きにしても美男子という事がありありと証明されてしまった。
声をかけづらいが、私を待ってるのだから放っておくわけにもいかない。しかし、『待ち合わせ場所の目印』になってしまうとはクスッと笑ってしまう。おそるおそる人混みの前の方に出て楓くんに近づいて、腕をトントンとつついた。刹那、視線が自分に刺さるのを感じて嫌な汗が滲んだ。
「楓くん!」
「……」
「お待たせ、楓くん!」
「……む。琴音」
「起きた?遅くなってごめんね」
「いや、別に」
目をうっすらと開け眠たげな表情。イヤホンを片付けながら、彼の体は一瞬ビクッと震えた。自分を囲んでる女子の視線に気づいたようだ。いや、気づくの遅すぎるから…。
「“カッコイイ人がいる”って、人だかりが出来てたよ。楓くんが待ち合わせ場所になってて笑っちゃった」
「チッ、どいつもこいつも…」
「仕方ないよ。ところで用事って、買い物?」
「飯と、バッシュ」
淡々と答えると、楓くんはゆっくり歩き出した。いつもより遅いスピードで、私に合わせてくれてるのかと錯覚してしまう。
背後では楓くんが去って行ってしまった悲しみの声が響く。「もう行っちゃうの」とか「そりゃ彼女いるよねぇ」とか、ついでに「何か彼女は普通だね~」とも…ハイハイ、すいませんね、フツーで!と内心で毒づいた。
・・・
・・・・・
・・・・・・
ファーストフードでセットを買って、二階席の窓際の席に向かい合わせに座った。ここからは藤沢駅のロータリーがよく見え、太陽の光が差し込んできて明るい。
ハンバーガーを頬張りながら彼を見ると、お腹がすいていたのかガツガツと食べていた。約束したわけじゃなかったけれど、結構待たせちゃったのかなと思うと申し訳ない気持ちになってきた。同じものを食べているのに、大きな手で掴んだハンバーガーもドリンクもやけに小さく見える。
「何で駅で待ち合わせにしたの?家もお向かいなのに…」
それに、ご飯はまだしもバッシュの買い物だけなら一人で済むことだろう。私では知識不足でスポーツシューズの良し悪しもわからない。ポテトをつまみながら尋ねると、少し考えたように沈黙してから楓くんは答えた。
「待ち合わせも醍醐味なんだろ。デートの」
「…デ…っ、………今なんて?」
「ちゃんと聞いてろ」
「いや、聞こえてはいたんだけどデートだったんだなって…。てっきり荷物持ち程度で呼ばれたのかと…」
「人を何だと思ってやがる」
ジロリと睨んでも、言葉をもらった後ではあまり凄みを感じられない。沸々と湧き上がるこそばゆさ、彼女だけに言ってくれる特権みたいな台詞に喜びが溢れてしまう。
「すごく嬉しい。ありがとう、楓くん」
「……おーげさな奴」
肩をすくめて溜息をつきながら、楓くんはバニラシェイクを啜った。デートと意識してくれてることも、醍醐味だと思ってわざと待ち合わせしたことも、些細な事なのにどれも嬉しい。
あの楓くんが…バスケのことしか考えないって思ってた楓くんからの言葉だから大きな意味があるんだ。
しかし、どこからそんな情報を得たのか気になる。雑誌とか…、かな?実は彩子ちゃんだったりして。
「甘ェ…、そっちのくれ」
「あっ」
楓くんはおもむろに私のドリンクを取り上げると、勝手に飲み始めた。彼が頼んだバニラシェイクが甘すぎたらしい。私が頼んだアイスティーを飲んで甘さを中和してるようだ。先ほどの感動にさらに追い打ちをかけるように、さりげなく間接キスをかましてくる。
わぁ~…と、声には出さないが口が開いてしまう。そうだ、“付き合う”ってこーゆーことでもある。今のは間接で済んだが、いずれ直接唇同士が触れあうキスも当たり前のようにするようになるんだろうか。今はあまり想像出来ない。意識したらだんだん耳が熱くなってきて、挙動がおかしい私を楓くんは不思議そうに見つめていた。
「…?」
「……心臓がもたない」
「どーした」
「だっ、大丈夫!元気!」
火照る顔を手で仰ぎながら、熱を冷ます。でも、自分のトレーに戻されたアイスティーは緊張して飲めなかった。
ちらりと顔を盗み見れば変わらず鋭い眼差しが私を捉えていた。先ほどから楓くんがキラキラして――星を纏ってるような…美形度が増して映る。あれ?こんな感じだったっけ?幼い頃に出会ってから成長の変化の過程を見て来たはずなのに、目の前にいる美青年が彼氏である現実に、心臓が高鳴り出し終始落ち着かなかった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
その後は…、何だか頭がぽやぽやして記憶が朧気だ。楓くんとスポーツショップに行って、彼は気に入ったバッシュを購入していた。
その後は駅ビルを適当にウィンドウショッピングをしつつも、気もそぞろになる。道行く女性とすれ違えば、彼女たちは楓くんを振り返って見つめていた。
夕方になってバス停に並び、定刻通りのバスに乗って揺られて帰るその途中、二人掛けの席に座ると楓くんがウトウトと舟をこぎ出した。案の定、彼の頭が私の肩にもたれかかる。部活の後、シャワー浴びたのかな。シャンプーのいい香りが鼻を掠めた。
…結局、ファーストフード店を出てからドキドキそわそわしっぱなしだったな。これまで接してきた態度と同じように出来るのか、自身に対して心配になってきた。意識すればするほど難しい。
あっという間に自宅最寄りのバス停に到着し、二人並んで歩き始める。寝起きの楓くんは、瞼が落っこちそうになりながらゆっくりと瞬きを繰り返していた。よろよろして車道に出たら危ないから、手を繋いで歩道に誘導した。時々、手のかかる弟のようだ。男らしい言動を取られるより、こっちのぽやっとした楓くんの方が私が慌てなくて済むなぁと、心の騒めきがやっと落ち着き始めた。
自宅前に到着して立ち止まると、楓くんはパチッと目を見開いた。辺りをキョロキョロと見渡し、見慣れた自宅前の景色に気づいたようだ。歩きながら寝てたのかな。身長が伸び体格は逞しくなり、顔立ちも大人びて美青年になっても、中身はあの頃のままなのかも知れない。通学班での登校中、よくうたた寝しながら歩いて低学年の子にまで心配されていたのを思い出した。
「今日は楽しかった。ありがとう」
「…おう。じゃーな」
「うん、また――」
“ね”…を言い終える前に、私の顔に影がかかった。向かい合わせで立ってる状態から、彼は上半身を屈めて私の右頬に唇を寄せる。一瞬、柔らかなものが触れて離れていった。
それが何なのか頭の理解が追いつかないうちに、楓くんは踵を返して真向いの自宅玄関のドアを開けて帰って行ってしまった。
今のは夢か幻か…、じわじわと恥ずかしさが襲って、触れられた部分を指先でなぞる。しばらくは、夕方の冷たい風を顔に受けていないと熱が冷めないだろう。
デート帰りの“別れ際の挨拶”も調べてきたのか、それとも自然に体が動いただけ?楓くんの情報源の謎は、深まるばかりだった。
『…藤沢駅の改札で待ってるんで、帰ってきたら伝えてもらっていいすか』
頼まれたおつかいを済ませスーパーから帰宅すると、出迎えた母から楓くんの伝言を耳にした。
約束してたっけ?…思い当たる節もなく小首を傾げていると、荷物を受け取った母が私を急かす。待たせてるんだから早く行きなさいとか、約束があるんだったらおつかい頼まなかったのにとか、何だか責められてるようで腑に落ちない。思考を巡らせたがやはり約束をした覚えはなった。
そもそも土曜日も部活だと思っていたけど、午前だけで終わったのかな。
家が真向いのご近所さんの一人息子、流川楓くん。彼は私と同じ湘北高校に通う一年生だ。
私はひとつ上の二年生だが、昔馴染みの関係からお互いを名前で呼び合っている。
入学式の帰りに告白され、付き合うことになった。小さい頃から見ているし意識したことがなかったから驚いたけれど、彼の強引な性格は熟知している。断れるはずもなく、純粋に嬉しかった事もあって、私は告白を受け入れることにした。幼馴染とも呼べないご近所さんの関係が長すぎて戸惑いはあるが、彼女として少しずつ歩み寄れたらいいと今ではそう思ってる。
富ヶ丘中でも同じクラスになったこともあり、現・湘北バスケ部マネージャーの彩子ちゃんにだけに交際の事を伝えたら、かなりビックリしていた。『バスケ以外に興味がなさそうなあの流川が!?』って。無理もない。私も同じ事思っていたし、まさか自分が彼女になるとは――人生、何があるか分からない。
自宅最寄りのバス停から乗って、20分程度で藤沢駅に到着した。
JR東海道線、小田急線、江ノ電の三路線が通っている、大きな駅だ。駅直結のショッピングモールがあり、周辺も栄えているこの場所。欲しいものがある時はだいたいここに来れば揃えることが出来る。
階段を上り改札方面に向かいながら、電車から降りて来た人々とすれ違う。さすがに晴れた休日の駅周辺、混雑してるなぁ。そもそも改札って複数あるし……どっち?ポケベルもないのにこんなに混んでる駅で楓くんを見つけることが出来るのか?…っていうか、なんで藤沢駅待ち合わせなんだ。
家が真向かいなのだから、私の帰りを待って一緒に行ってもよかったんじゃないか。マイペース――知ってた、前から知ってたけど!意図せず唇を尖らせてしまう。
私はこれまで、異性と付き合った経験がない。彼もおそらくバスケ一筋だったから同じだろう。“付き合う”って何?歩幅の違う二人が、合わせて並んで歩くことじゃないの?これじゃあ、いつも早歩きで先を行く楓くんの背中を追って、私が早歩きしてるようなものじゃないか。
ふぅ溜息をついて改札に辿り着き、周囲を見渡しても楓くんの姿はなかった。妙な人混みでよく見えないし、催事でもやってるんだろうか。右を見ても左を見ても、いない。こっちの改札じゃなかったのかな。駅中を抜けて逆方面へ行く事はできるだろうかと駅員さんに聞こうと歩き出した時、公衆電話をかけている女性の声が耳に入って来た。
「うん、今着いたとこ。改札出たとこにすごいカッコイイ人がいるから、そこで待ち合わせね!」
声を弾ませた様子で電話を切った女性は、改札前の人だかりへ足早に歩き出していた。
――や、まさか。
よくよく見ると何かを囲むその賑わいは“女性ばかり”だった。踵を返し騒めきが聞こえる方へ進む。
人混みをかき分けた先に――壁際に寄り掛かって立ったまま寝てる楓くんが佇んでいた。耳にイヤホンをつけて音楽を聴き、腕を組んだまま…立ったまま寝るとは、何と器用な。
漆黒の艶髪、凛々しい眉に整った目鼻立ち、目を伏せれば長い睫毛が目立ち、モデルさながらの高身長。黒のパーカーにデニムと言うシンプルな服装がより素材を際立せ、立ってるだけで絵になっていた。
これが私の彼氏…?改めて実感するけれど、どう考えても私と釣り合わなくないか?押せ押せな告白で付き合うことになったのだから、今更そんな理由で手放してもらえるはずもないだろうけど。
一定の距離を開けながらぐるりと孤を描くように色めきだった女子たちが囲んでいた。
湘北高校にも楓くんのファンはいる。しかし、それはバスケの練習や試合などを見に来てファンになった子がほとんどだ。しかしこの状況は……名前も知らない彼に、女子の視線が釘付けになっていた。バスケを抜きにしても美男子という事がありありと証明されてしまった。
声をかけづらいが、私を待ってるのだから放っておくわけにもいかない。しかし、『待ち合わせ場所の目印』になってしまうとはクスッと笑ってしまう。おそるおそる人混みの前の方に出て楓くんに近づいて、腕をトントンとつついた。刹那、視線が自分に刺さるのを感じて嫌な汗が滲んだ。
「楓くん!」
「……」
「お待たせ、楓くん!」
「……む。琴音」
「起きた?遅くなってごめんね」
「いや、別に」
目をうっすらと開け眠たげな表情。イヤホンを片付けながら、彼の体は一瞬ビクッと震えた。自分を囲んでる女子の視線に気づいたようだ。いや、気づくの遅すぎるから…。
「“カッコイイ人がいる”って、人だかりが出来てたよ。楓くんが待ち合わせ場所になってて笑っちゃった」
「チッ、どいつもこいつも…」
「仕方ないよ。ところで用事って、買い物?」
「飯と、バッシュ」
淡々と答えると、楓くんはゆっくり歩き出した。いつもより遅いスピードで、私に合わせてくれてるのかと錯覚してしまう。
背後では楓くんが去って行ってしまった悲しみの声が響く。「もう行っちゃうの」とか「そりゃ彼女いるよねぇ」とか、ついでに「何か彼女は普通だね~」とも…ハイハイ、すいませんね、フツーで!と内心で毒づいた。
・・・
・・・・・
・・・・・・
ファーストフードでセットを買って、二階席の窓際の席に向かい合わせに座った。ここからは藤沢駅のロータリーがよく見え、太陽の光が差し込んできて明るい。
ハンバーガーを頬張りながら彼を見ると、お腹がすいていたのかガツガツと食べていた。約束したわけじゃなかったけれど、結構待たせちゃったのかなと思うと申し訳ない気持ちになってきた。同じものを食べているのに、大きな手で掴んだハンバーガーもドリンクもやけに小さく見える。
「何で駅で待ち合わせにしたの?家もお向かいなのに…」
それに、ご飯はまだしもバッシュの買い物だけなら一人で済むことだろう。私では知識不足でスポーツシューズの良し悪しもわからない。ポテトをつまみながら尋ねると、少し考えたように沈黙してから楓くんは答えた。
「待ち合わせも醍醐味なんだろ。デートの」
「…デ…っ、………今なんて?」
「ちゃんと聞いてろ」
「いや、聞こえてはいたんだけどデートだったんだなって…。てっきり荷物持ち程度で呼ばれたのかと…」
「人を何だと思ってやがる」
ジロリと睨んでも、言葉をもらった後ではあまり凄みを感じられない。沸々と湧き上がるこそばゆさ、彼女だけに言ってくれる特権みたいな台詞に喜びが溢れてしまう。
「すごく嬉しい。ありがとう、楓くん」
「……おーげさな奴」
肩をすくめて溜息をつきながら、楓くんはバニラシェイクを啜った。デートと意識してくれてることも、醍醐味だと思ってわざと待ち合わせしたことも、些細な事なのにどれも嬉しい。
あの楓くんが…バスケのことしか考えないって思ってた楓くんからの言葉だから大きな意味があるんだ。
しかし、どこからそんな情報を得たのか気になる。雑誌とか…、かな?実は彩子ちゃんだったりして。
「甘ェ…、そっちのくれ」
「あっ」
楓くんはおもむろに私のドリンクを取り上げると、勝手に飲み始めた。彼が頼んだバニラシェイクが甘すぎたらしい。私が頼んだアイスティーを飲んで甘さを中和してるようだ。先ほどの感動にさらに追い打ちをかけるように、さりげなく間接キスをかましてくる。
わぁ~…と、声には出さないが口が開いてしまう。そうだ、“付き合う”ってこーゆーことでもある。今のは間接で済んだが、いずれ直接唇同士が触れあうキスも当たり前のようにするようになるんだろうか。今はあまり想像出来ない。意識したらだんだん耳が熱くなってきて、挙動がおかしい私を楓くんは不思議そうに見つめていた。
「…?」
「……心臓がもたない」
「どーした」
「だっ、大丈夫!元気!」
火照る顔を手で仰ぎながら、熱を冷ます。でも、自分のトレーに戻されたアイスティーは緊張して飲めなかった。
ちらりと顔を盗み見れば変わらず鋭い眼差しが私を捉えていた。先ほどから楓くんがキラキラして――星を纏ってるような…美形度が増して映る。あれ?こんな感じだったっけ?幼い頃に出会ってから成長の変化の過程を見て来たはずなのに、目の前にいる美青年が彼氏である現実に、心臓が高鳴り出し終始落ち着かなかった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
その後は…、何だか頭がぽやぽやして記憶が朧気だ。楓くんとスポーツショップに行って、彼は気に入ったバッシュを購入していた。
その後は駅ビルを適当にウィンドウショッピングをしつつも、気もそぞろになる。道行く女性とすれ違えば、彼女たちは楓くんを振り返って見つめていた。
夕方になってバス停に並び、定刻通りのバスに乗って揺られて帰るその途中、二人掛けの席に座ると楓くんがウトウトと舟をこぎ出した。案の定、彼の頭が私の肩にもたれかかる。部活の後、シャワー浴びたのかな。シャンプーのいい香りが鼻を掠めた。
…結局、ファーストフード店を出てからドキドキそわそわしっぱなしだったな。これまで接してきた態度と同じように出来るのか、自身に対して心配になってきた。意識すればするほど難しい。
あっという間に自宅最寄りのバス停に到着し、二人並んで歩き始める。寝起きの楓くんは、瞼が落っこちそうになりながらゆっくりと瞬きを繰り返していた。よろよろして車道に出たら危ないから、手を繋いで歩道に誘導した。時々、手のかかる弟のようだ。男らしい言動を取られるより、こっちのぽやっとした楓くんの方が私が慌てなくて済むなぁと、心の騒めきがやっと落ち着き始めた。
自宅前に到着して立ち止まると、楓くんはパチッと目を見開いた。辺りをキョロキョロと見渡し、見慣れた自宅前の景色に気づいたようだ。歩きながら寝てたのかな。身長が伸び体格は逞しくなり、顔立ちも大人びて美青年になっても、中身はあの頃のままなのかも知れない。通学班での登校中、よくうたた寝しながら歩いて低学年の子にまで心配されていたのを思い出した。
「今日は楽しかった。ありがとう」
「…おう。じゃーな」
「うん、また――」
“ね”…を言い終える前に、私の顔に影がかかった。向かい合わせで立ってる状態から、彼は上半身を屈めて私の右頬に唇を寄せる。一瞬、柔らかなものが触れて離れていった。
それが何なのか頭の理解が追いつかないうちに、楓くんは踵を返して真向いの自宅玄関のドアを開けて帰って行ってしまった。
今のは夢か幻か…、じわじわと恥ずかしさが襲って、触れられた部分を指先でなぞる。しばらくは、夕方の冷たい風を顔に受けていないと熱が冷めないだろう。
デート帰りの“別れ際の挨拶”も調べてきたのか、それとも自然に体が動いただけ?楓くんの情報源の謎は、深まるばかりだった。
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