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仰げば尊し
三月一日、暦の上では春なのに朝からかなり肌寒かった。
山の上に位置するこの学園の中庭の桜が開花するのはまだ先になりそうだ。
出来れば暖かな陽気の中、桜が満開の下で卒業式を迎えたかったな。ドラマでよく見る卒業式のワンシーンでは桃色の花弁が散って綺麗だったのに、都心よりも標高が高いこの立地では叶わないことだ。
それでも天候に恵まれた今日――卒業式は滞りなく終わり、体育館の外に出れば太陽の光が眩しく照らしていた。日が出ればそれなりにポカポカと感じる。ふぅ、深呼吸して、高ぶった気持ちを落ち着かせた。
受験で忙しかった人もそうでない人も、卒業式までには進路が決まっていて、泣いても笑っても学園から去る日を迎える。去年も参加したから、在校生の送辞も卒業生代表の答辞も聞き慣れているはずなのに、何故だか『仰げば尊し』を歌ってる途中から涙が溢れていた。私の周囲でも歌声に混ざって泣き声が聞こえていた。勉強、部活、恋愛…人によってそれぞれだけど、何かを一生懸命頑張ったり打ち込んだりしてたからこそ感極まってしまうんだろう。
式が終わり教室に戻ると、クラスの友達と卒業アルバムを交換して寄せ書きをし合い、たくさん思い出話をした。放課後はほとんど部活だったけれど、一緒にお昼を食べたり、部活のない放課後にファミレスでテスト勉強したり、駅前のスイーツを食べに行ったり…とても楽しかった。いい友達に恵まれたなと実感してる。各々新生活に向けて忙しくなるけど、卒業してもまた会おうねと約束をして解散となり、私は中庭へ向かった。これから、そこを経由して自転車競技部の部室へ行くつもりだ。どうやら、一年生と二年生で送別会を準備してくれてるらしい。優しい後輩たちを持ったなぁと、ありがたい気持ちでいっぱいになった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
広々とした中庭は予想以上に生徒で賑わっていた。生徒に囲まれている人気の先生、校舎を背に写真を撮る人たち、卒業を機に連絡先を交換し合う人たちなどなど――様々だが、私の視線は一瞬で“ある一か所”を捉えた。かなり目立っているせいで自然と目が向いたと言った方が正しい。
まだほとんど咲いてない桜の木の前で一等目立っている行列に、私は目を見張った。
二年、三年の女子生徒がズラリと行列を成している。時折黄色い声で色めき立ち、胸を躍らせているのが伝わってくる。この状況に動揺してるのは私だけでなく、周囲の男子生徒も不思議そうに見つめていた。
「この写真、家宝にします…!」
「ワッハッハ!大袈裟だな。だがいい心がけだ」
天高く響く笑い声とその口調にハッとして、列の先を見れば天が三物を与えた彼が立っ……降臨していた。
くっきりとした中性的な目鼻立ちにアメジスト色の瞳、艶やかな黒髪はカチューシャでまとめ上げられ、その美形は前髪に隠れることなく際立っていた。ピンと背筋を張った立ち姿は美しく、後輩と写真を撮った後の立ち振舞いも丁寧かつ上品だ。遠くから見てもキレイだなぁと感心してしまった。
女子の群れ、手にはファンクラブの子がよく応援グッズで持って来ているうちわ。このアトラクションばりの列は、尽八くんと記念写真を撮るための行列だと、数秒で理解した。
主に並んでいるのは『東堂尽八ファンクラブ』の皆様。その実態は入会した者のみが知ることが出来、謎に包まれている私設ファンクラブだ。次に多いのは卒業式に参加してくれた二年女子。その次に多いのは同学年の三年女子だ。普段は近寄りがたくて話しかける勇気がない子も、滅多にない機会に並んでるに違いない。
……私も一緒に撮ってもらいたいな。
わくわくとした気持ちを抑えることが出来ず、気づいたら列に並んでいた。本当は中庭を抜けて部室に行くはずだったけれど、尽八くんがここで捕まってる間はまだ送別会は始まらないだろう。なにせ存在感は部内でも随一と言える程だ。
今日まで学園中の誰にもバレずに、尽八くんとは密かな交際を続けて来た。彼女という立場なのだから卒業後も会えるとしても、卒業したばかりの彼と一緒に撮れるのは今この瞬間しかない。
彼氏として、というよりは、学園内でファンクラブが存在してしまうほどの人気者の“東堂尽八くん”と、思い出を残したい。
「東堂様!三年間、尊いお姿を拝むことが出来て幸せでした…!これまでの輝かしい記憶は全部宝物です…!」
「東堂先輩!ずっと憧れました…大学に行っても応援してますっ!レース、絶対見に行きます!」
「東堂くーん!三年で同じクラスになれて嬉しかった!ずっと王子様みたいなイケメンでいてね!」
口々にファンや後輩やクラスメイトからの熱烈な言葉が、微かに後方まで聞こえてくる。その度に『ああ!』とか『うむ!』とか相槌を打ち、『ありがとう!』とお礼を伝える尽八くん、律儀だなぁ。
人気者と写真を撮るアトラクションが、確か千葉県にある大きなテーマパークにもあった気がする。大人気の有名な遊園地のキャラクターグリーティング……、今度行ってみたいなぁとぼんやり考えながら徐々に列が進んでいく最中、自分が並んでいる後ろから列がだいぶ乱れはじめていた。最初はキレイに一列だったのに。
気になり始めるとどうにもその場に留まってられず、私は一度列を抜けて鞄からB5のスケッチブックを取り出した。新しいページに“最後尾”と、紙いっぱいに大きくマジックで書いて、何となく最後尾から列整備をしはじめると、キチンと綺麗な列に戻ったので安心した。スケッチブックやレコードを記録するためのノート、マジックや小さなテープやハサミをマネージャーの癖で常に持ち歩いていたのが役に立つとは。
自分より後ろに人が並び始めたら、スケッチブックを掲げるように持ってもらうよう願いすればいい…そう思っていたのに。今にも零れ落ちそうな涙を目の中に溜めて、頬が赤らんだ二年生女子が後ろに並んできた。桃色の唇が微かに震えている。この子はファン的な意味ではなく、尽八くんに恋をしているのだと瞬時に悟った。
考えるより先に体が動いて、咄嗟に自分の前に並ぶよう誘導して前に入ってもらった。ここはもう列整備をするファンクラブの一員になりきるしかない。
万人に――主に女子に愛される尽八くんの“彼女”である私は、列の最後でいい。別に優越感を味わいたいわけじゃないけれど、今後なかなか会えなくなる子たちを優先したくなったのだ。
色んな偶然が重なって彼の恋人になれたけれど、私だって付き合う前まではファン側にいる自分しか想像出来なかったから、少しは理解しているつもりだ。手の届かない切なさも、会えなくなる寂しさも――、最後まで告白できず目を赤くして列に並んでいる“別の世界線の自分”がそこにいるみたいで、胸が軋んだ。
・・・
・・・・・
・・・・・・
一時間も過ぎた頃、最後の二人が撮影を終えてついに残りは私一人となった。さっきのはファンクラブの人達だろう。嗚咽に近い泣き声を漏らしながら、尽八くんに頭を下げて去っていった。
肌寒い中立ちっぱなしでファンへ対応していたからか、さすがに疲れが出たのだろうか。尽八くんはフーッと息を吐いて、こちらに視線を向けた。そして、予想していなかった私の登場に目を丸くしていた。あえて気づかれないようにスケッチブックで顔を隠しながら並んでいたから、驚くのも無理はない。
「…っ琴音!?もう送別会が始まるからと呼びに来たのか?」
「違うよ。一緒に写真を撮って欲しくて並んでたの」
「今日でなくとも、いつだって撮れるだろう?」
「女子の大行列を成した人気者の、“卒業式の東堂尽八くん”は今日だけだから」
顔を覗き込んで小さく笑うと、尽八くんは面食らった様子を見せてから頷いた。伝えた言葉の真意を汲み取ってもらえたみたいだ。そうだよ、もっともっと自覚して欲しい。こんなにたくさんの女子を魅了してる尽八くんは特別なんだってこと。
誰かにシャッターをお願いしたくて周囲を見渡してると、彼は私が鞄にしまい忘れたスケッチブックを一瞥した。
「ん?何だこれは…、『最後尾』って…」
「成り行きというか思い付きというか、これ持って列整備しながら並んでたんだ」
「……いや、答えが斜め上過ぎて恐れ入ったよ」
尽八くんは眉をひそめて口元を綻ばせていた。
やれやれと言ったその表情に、呆れられているとしても嬉しくなる。
近くにいたクラスメイトの男子に声をかけて、尽八くんと2ショットを撮ってもらうことに成功した。彼は反射的に私の肩に手をかけようとしたが、触れる前に離れていった。でも、それでよかった。私も列に並んでいた子たちと同じような距離感で撮ってもらいたかったから。
やわらかな風が吹いて髪を揺らす。きっと桜の花が咲いていたら、桃色の花弁が散ってもっと美しい光景だっただろう。しかし、この場所には太陽のように明るくて花のように美しい彼がいる。桜が咲いてなくても、補って余りある程に。
「卒業おめでとう」
「お互いにな」
「これからも応援してるね」
「ああ、一番近くで頼む」
「……東堂尽八くんが、大好きです」
「っ…、そうか、ありがとう」
ファンのように気持ち伝えると、尽八くんは返事をしてくれたものの、その声には違和感がある。動揺を誤魔化すように彼は背を向けて歩き出した。
「……そろそろ部室に向かった方がいい頃だ」
慌てて追いかけようとした時、突然振り返ってそう告げられた。耳がじんわり赤くなっていて、意外にも照れている。並んでいた女子の誰とも違う反応を自分だけに見せてくるなんて、反則だ。私の耳も、つられて同じ色に染まっていった。
・・・・・・
部室棟へと並んで歩きながら、ふと、私の前に写真を撮ってもらっていた二人組を思い出した。他のファンの子と尽八くんの対応も変わっていた気がするし、ブレザーを確認するとやはりボタンがなかった。何気なく聞いてみると、彼は誇らしそうに教えてくれた。
「ファンクラブの会長と副会長のことか。三年間の感謝を込めてブレザーのボタンを取って渡したのだよ。時に熱烈なファンもいたが、さしてトラブルにならずに過ごせたのは彼女たちがまとめてくれたおかげだからな」
「そうだったんだ…。それは感動して泣いちゃうよね」
尽八くんの感謝が込められたあのボタン…、さぞ嬉しかっただろうなぁ。ファンクラブがどういう活動をしていたのかは知らないけれど、きっとそれなりにルールがあって礼節を重んじて活動していたのだと想像した。
渡すべき人は間違っていない…と納得してるのに、せめて第二ボタンだけでも残っていたら欲しかったなんて身勝手に落ち込んでしまいそう。落ち込んだとしても表に出さないようにしないと。そもそもブレザーにはボタンが二つしかないし、あの列に並んでいた全員が欲しかった物だ。
あと少しで部室まで到着するという時、尽八くんは突然、部室棟の裏へ行こうと言い出し踵を返した。言われるままに後を追うと、園芸部の花壇の前で彼は足を止めた。ひと気がない事を確認してからこちらに向き直ると、おもむろに臙脂色のネクタイを外し始めた。結び目に人差し指をひっかけ、緩める姿に色気を感じてドキドキしてしまう。
「もうボタンはないが、その代わりにひとつ交換しよう」
「ネクタイ…と、もしかして制服のリボン?」
「当たりだ。ボタンよりも心臓近くにあったものだからな……まぁ、そんな意味だ」
「えっ、す、すごく嬉しいけど…!交換したまま送別会に行ったら私たちのことバレちゃうよ?カップルでしかやらないような事だし……」
「構わんよ。卒業式はもう終わったのだから、もう秘密にする必要はない。やっと周りに知らしめる事が出来る」
「今日は色々聞かれそうだなぁ」
「皆に聞かせてやろうではないか、俺とお前の馴れ初めを!」
意気揚々と声を弾ませながら解いたネクタイを渡され、私もリボンを解いて尽八くんに渡した。慣れてないせいで上手く出来ず、お互いに結び合うことにした。セーラーの襟の下を通して結んでくれたので、長さが合わずネクタイが短くなってしまった……なんてことも気にならないぐらいに、間近で胸元を見つめ真剣に結んでくれる彼に、心臓が波打つ。
「さぁ、結んだぞ。そっちのリボンも結んでくれ」
そう促され、私は尽八くんの襟元に手を伸ばした。襟の下にリボンを通し、前でちょうちょ結び。なんだか変わった制服になってしまい、二人で顔を見合わせて笑い合った。
……でも、これはこれで可愛いかも?
何より、たったひとつしかないものを交換しようと提案して来てくれた事――これ以上ない、最高の卒業祝いをもらってしまった。鼻の奥がツンとして、気が緩んだら感動して泣いてしまいそうだった。
リボンの輪っかの左右差が気になって、もう一度結び直している最中に彼は私の耳元に唇を寄せた。
「俺の可愛い恋人、汐見琴音。卒業おめでとう」
優しい甘い囁きに涙で視界がぼやけてしまう。愛情と労いが混ざったような声色だった。指が震えて上手く結びなおせない。熱を帯びていく頬を手で押さえ、目尻から零れそうな涙を指で拭った。色んな感情が混ざって溢れてくる。
「あ、ありがとう…」
「はは、さっきのお返しだ」
「なんだか泣きそうだよ。やっぱり寂しくなるね」
「互いに新生活が始まるからな。頻繁に会えなくなるが、今生の別れではあるまい」
「慣れるかなぁ……」
私は都内の専門学校に通いながら一人暮らし、尽八くんは茨城の大学で寮暮らしが始まる。新生活に忙しくなり、微妙に離れた距離。会える回数も格段に減るだろう。
「心配せずとも、寂しさとは無縁の日々がいずれ訪れるだろう。俺が保証する」
不安を感じ、思わず動きが止まった指の上から彼の指が重なってリボンをキュッと結び直される。尽八くんは握るように私の手を取って、部室に向かって足早に歩き出した。半歩前を進み、先導して連れて行くみたいに。
「主役は遅れて登場するものだが、少しばかり急ぐか」
リボンを上手く結んであげられなかったなぁとか、早歩きだから転ばないようにしなきゃとか、思考は巡り巡るが……頭の中は尽八くんの気になる一言の謎解きから解放されずにいた。視界の端で流れていく景色など、もはや気にもならない。
……同棲?はたまた、プロポーズの予告?
これ以上深く考えてはいけないと内心でかぶりを振った。どういうつもりで告げたのかわからないけれど、尽八くんの横顔は得意げに微笑んでいるように見えた。
卒業という旅立ちの日――、晴れ晴れとした顔で送り出してもらいたかったのだが、赤面したまま登場して後輩達に心配されそうだ。それに、二人で手を繋いで登場してネクタイとリボンを交換してる時点で、どういう事かと詰め寄られて冷やかされるに決まっている。どのみち顔は紅潮することになっていただろう。尽八くんのおかげで、寂しさより幸せな気持ちが上回ってしまう忘れられない一日になった。
“今こそ別れめ、いざさらば”――には、ならない。二人の延長線上に、永遠を誓い合う未来が待っていて欲しいと心から願った。
三月一日、暦の上では春なのに朝からかなり肌寒かった。
山の上に位置するこの学園の中庭の桜が開花するのはまだ先になりそうだ。
出来れば暖かな陽気の中、桜が満開の下で卒業式を迎えたかったな。ドラマでよく見る卒業式のワンシーンでは桃色の花弁が散って綺麗だったのに、都心よりも標高が高いこの立地では叶わないことだ。
それでも天候に恵まれた今日――卒業式は滞りなく終わり、体育館の外に出れば太陽の光が眩しく照らしていた。日が出ればそれなりにポカポカと感じる。ふぅ、深呼吸して、高ぶった気持ちを落ち着かせた。
受験で忙しかった人もそうでない人も、卒業式までには進路が決まっていて、泣いても笑っても学園から去る日を迎える。去年も参加したから、在校生の送辞も卒業生代表の答辞も聞き慣れているはずなのに、何故だか『仰げば尊し』を歌ってる途中から涙が溢れていた。私の周囲でも歌声に混ざって泣き声が聞こえていた。勉強、部活、恋愛…人によってそれぞれだけど、何かを一生懸命頑張ったり打ち込んだりしてたからこそ感極まってしまうんだろう。
式が終わり教室に戻ると、クラスの友達と卒業アルバムを交換して寄せ書きをし合い、たくさん思い出話をした。放課後はほとんど部活だったけれど、一緒にお昼を食べたり、部活のない放課後にファミレスでテスト勉強したり、駅前のスイーツを食べに行ったり…とても楽しかった。いい友達に恵まれたなと実感してる。各々新生活に向けて忙しくなるけど、卒業してもまた会おうねと約束をして解散となり、私は中庭へ向かった。これから、そこを経由して自転車競技部の部室へ行くつもりだ。どうやら、一年生と二年生で送別会を準備してくれてるらしい。優しい後輩たちを持ったなぁと、ありがたい気持ちでいっぱいになった。
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広々とした中庭は予想以上に生徒で賑わっていた。生徒に囲まれている人気の先生、校舎を背に写真を撮る人たち、卒業を機に連絡先を交換し合う人たちなどなど――様々だが、私の視線は一瞬で“ある一か所”を捉えた。かなり目立っているせいで自然と目が向いたと言った方が正しい。
まだほとんど咲いてない桜の木の前で一等目立っている行列に、私は目を見張った。
二年、三年の女子生徒がズラリと行列を成している。時折黄色い声で色めき立ち、胸を躍らせているのが伝わってくる。この状況に動揺してるのは私だけでなく、周囲の男子生徒も不思議そうに見つめていた。
「この写真、家宝にします…!」
「ワッハッハ!大袈裟だな。だがいい心がけだ」
天高く響く笑い声とその口調にハッとして、列の先を見れば天が三物を与えた彼が立っ……降臨していた。
くっきりとした中性的な目鼻立ちにアメジスト色の瞳、艶やかな黒髪はカチューシャでまとめ上げられ、その美形は前髪に隠れることなく際立っていた。ピンと背筋を張った立ち姿は美しく、後輩と写真を撮った後の立ち振舞いも丁寧かつ上品だ。遠くから見てもキレイだなぁと感心してしまった。
女子の群れ、手にはファンクラブの子がよく応援グッズで持って来ているうちわ。このアトラクションばりの列は、尽八くんと記念写真を撮るための行列だと、数秒で理解した。
主に並んでいるのは『東堂尽八ファンクラブ』の皆様。その実態は入会した者のみが知ることが出来、謎に包まれている私設ファンクラブだ。次に多いのは卒業式に参加してくれた二年女子。その次に多いのは同学年の三年女子だ。普段は近寄りがたくて話しかける勇気がない子も、滅多にない機会に並んでるに違いない。
……私も一緒に撮ってもらいたいな。
わくわくとした気持ちを抑えることが出来ず、気づいたら列に並んでいた。本当は中庭を抜けて部室に行くはずだったけれど、尽八くんがここで捕まってる間はまだ送別会は始まらないだろう。なにせ存在感は部内でも随一と言える程だ。
今日まで学園中の誰にもバレずに、尽八くんとは密かな交際を続けて来た。彼女という立場なのだから卒業後も会えるとしても、卒業したばかりの彼と一緒に撮れるのは今この瞬間しかない。
彼氏として、というよりは、学園内でファンクラブが存在してしまうほどの人気者の“東堂尽八くん”と、思い出を残したい。
「東堂様!三年間、尊いお姿を拝むことが出来て幸せでした…!これまでの輝かしい記憶は全部宝物です…!」
「東堂先輩!ずっと憧れました…大学に行っても応援してますっ!レース、絶対見に行きます!」
「東堂くーん!三年で同じクラスになれて嬉しかった!ずっと王子様みたいなイケメンでいてね!」
口々にファンや後輩やクラスメイトからの熱烈な言葉が、微かに後方まで聞こえてくる。その度に『ああ!』とか『うむ!』とか相槌を打ち、『ありがとう!』とお礼を伝える尽八くん、律儀だなぁ。
人気者と写真を撮るアトラクションが、確か千葉県にある大きなテーマパークにもあった気がする。大人気の有名な遊園地のキャラクターグリーティング……、今度行ってみたいなぁとぼんやり考えながら徐々に列が進んでいく最中、自分が並んでいる後ろから列がだいぶ乱れはじめていた。最初はキレイに一列だったのに。
気になり始めるとどうにもその場に留まってられず、私は一度列を抜けて鞄からB5のスケッチブックを取り出した。新しいページに“最後尾”と、紙いっぱいに大きくマジックで書いて、何となく最後尾から列整備をしはじめると、キチンと綺麗な列に戻ったので安心した。スケッチブックやレコードを記録するためのノート、マジックや小さなテープやハサミをマネージャーの癖で常に持ち歩いていたのが役に立つとは。
自分より後ろに人が並び始めたら、スケッチブックを掲げるように持ってもらうよう願いすればいい…そう思っていたのに。今にも零れ落ちそうな涙を目の中に溜めて、頬が赤らんだ二年生女子が後ろに並んできた。桃色の唇が微かに震えている。この子はファン的な意味ではなく、尽八くんに恋をしているのだと瞬時に悟った。
考えるより先に体が動いて、咄嗟に自分の前に並ぶよう誘導して前に入ってもらった。ここはもう列整備をするファンクラブの一員になりきるしかない。
万人に――主に女子に愛される尽八くんの“彼女”である私は、列の最後でいい。別に優越感を味わいたいわけじゃないけれど、今後なかなか会えなくなる子たちを優先したくなったのだ。
色んな偶然が重なって彼の恋人になれたけれど、私だって付き合う前まではファン側にいる自分しか想像出来なかったから、少しは理解しているつもりだ。手の届かない切なさも、会えなくなる寂しさも――、最後まで告白できず目を赤くして列に並んでいる“別の世界線の自分”がそこにいるみたいで、胸が軋んだ。
・・・
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・・・・・・
一時間も過ぎた頃、最後の二人が撮影を終えてついに残りは私一人となった。さっきのはファンクラブの人達だろう。嗚咽に近い泣き声を漏らしながら、尽八くんに頭を下げて去っていった。
肌寒い中立ちっぱなしでファンへ対応していたからか、さすがに疲れが出たのだろうか。尽八くんはフーッと息を吐いて、こちらに視線を向けた。そして、予想していなかった私の登場に目を丸くしていた。あえて気づかれないようにスケッチブックで顔を隠しながら並んでいたから、驚くのも無理はない。
「…っ琴音!?もう送別会が始まるからと呼びに来たのか?」
「違うよ。一緒に写真を撮って欲しくて並んでたの」
「今日でなくとも、いつだって撮れるだろう?」
「女子の大行列を成した人気者の、“卒業式の東堂尽八くん”は今日だけだから」
顔を覗き込んで小さく笑うと、尽八くんは面食らった様子を見せてから頷いた。伝えた言葉の真意を汲み取ってもらえたみたいだ。そうだよ、もっともっと自覚して欲しい。こんなにたくさんの女子を魅了してる尽八くんは特別なんだってこと。
誰かにシャッターをお願いしたくて周囲を見渡してると、彼は私が鞄にしまい忘れたスケッチブックを一瞥した。
「ん?何だこれは…、『最後尾』って…」
「成り行きというか思い付きというか、これ持って列整備しながら並んでたんだ」
「……いや、答えが斜め上過ぎて恐れ入ったよ」
尽八くんは眉をひそめて口元を綻ばせていた。
やれやれと言ったその表情に、呆れられているとしても嬉しくなる。
近くにいたクラスメイトの男子に声をかけて、尽八くんと2ショットを撮ってもらうことに成功した。彼は反射的に私の肩に手をかけようとしたが、触れる前に離れていった。でも、それでよかった。私も列に並んでいた子たちと同じような距離感で撮ってもらいたかったから。
やわらかな風が吹いて髪を揺らす。きっと桜の花が咲いていたら、桃色の花弁が散ってもっと美しい光景だっただろう。しかし、この場所には太陽のように明るくて花のように美しい彼がいる。桜が咲いてなくても、補って余りある程に。
「卒業おめでとう」
「お互いにな」
「これからも応援してるね」
「ああ、一番近くで頼む」
「……東堂尽八くんが、大好きです」
「っ…、そうか、ありがとう」
ファンのように気持ち伝えると、尽八くんは返事をしてくれたものの、その声には違和感がある。動揺を誤魔化すように彼は背を向けて歩き出した。
「……そろそろ部室に向かった方がいい頃だ」
慌てて追いかけようとした時、突然振り返ってそう告げられた。耳がじんわり赤くなっていて、意外にも照れている。並んでいた女子の誰とも違う反応を自分だけに見せてくるなんて、反則だ。私の耳も、つられて同じ色に染まっていった。
・・・・・・
部室棟へと並んで歩きながら、ふと、私の前に写真を撮ってもらっていた二人組を思い出した。他のファンの子と尽八くんの対応も変わっていた気がするし、ブレザーを確認するとやはりボタンがなかった。何気なく聞いてみると、彼は誇らしそうに教えてくれた。
「ファンクラブの会長と副会長のことか。三年間の感謝を込めてブレザーのボタンを取って渡したのだよ。時に熱烈なファンもいたが、さしてトラブルにならずに過ごせたのは彼女たちがまとめてくれたおかげだからな」
「そうだったんだ…。それは感動して泣いちゃうよね」
尽八くんの感謝が込められたあのボタン…、さぞ嬉しかっただろうなぁ。ファンクラブがどういう活動をしていたのかは知らないけれど、きっとそれなりにルールがあって礼節を重んじて活動していたのだと想像した。
渡すべき人は間違っていない…と納得してるのに、せめて第二ボタンだけでも残っていたら欲しかったなんて身勝手に落ち込んでしまいそう。落ち込んだとしても表に出さないようにしないと。そもそもブレザーにはボタンが二つしかないし、あの列に並んでいた全員が欲しかった物だ。
あと少しで部室まで到着するという時、尽八くんは突然、部室棟の裏へ行こうと言い出し踵を返した。言われるままに後を追うと、園芸部の花壇の前で彼は足を止めた。ひと気がない事を確認してからこちらに向き直ると、おもむろに臙脂色のネクタイを外し始めた。結び目に人差し指をひっかけ、緩める姿に色気を感じてドキドキしてしまう。
「もうボタンはないが、その代わりにひとつ交換しよう」
「ネクタイ…と、もしかして制服のリボン?」
「当たりだ。ボタンよりも心臓近くにあったものだからな……まぁ、そんな意味だ」
「えっ、す、すごく嬉しいけど…!交換したまま送別会に行ったら私たちのことバレちゃうよ?カップルでしかやらないような事だし……」
「構わんよ。卒業式はもう終わったのだから、もう秘密にする必要はない。やっと周りに知らしめる事が出来る」
「今日は色々聞かれそうだなぁ」
「皆に聞かせてやろうではないか、俺とお前の馴れ初めを!」
意気揚々と声を弾ませながら解いたネクタイを渡され、私もリボンを解いて尽八くんに渡した。慣れてないせいで上手く出来ず、お互いに結び合うことにした。セーラーの襟の下を通して結んでくれたので、長さが合わずネクタイが短くなってしまった……なんてことも気にならないぐらいに、間近で胸元を見つめ真剣に結んでくれる彼に、心臓が波打つ。
「さぁ、結んだぞ。そっちのリボンも結んでくれ」
そう促され、私は尽八くんの襟元に手を伸ばした。襟の下にリボンを通し、前でちょうちょ結び。なんだか変わった制服になってしまい、二人で顔を見合わせて笑い合った。
……でも、これはこれで可愛いかも?
何より、たったひとつしかないものを交換しようと提案して来てくれた事――これ以上ない、最高の卒業祝いをもらってしまった。鼻の奥がツンとして、気が緩んだら感動して泣いてしまいそうだった。
リボンの輪っかの左右差が気になって、もう一度結び直している最中に彼は私の耳元に唇を寄せた。
「俺の可愛い恋人、汐見琴音。卒業おめでとう」
優しい甘い囁きに涙で視界がぼやけてしまう。愛情と労いが混ざったような声色だった。指が震えて上手く結びなおせない。熱を帯びていく頬を手で押さえ、目尻から零れそうな涙を指で拭った。色んな感情が混ざって溢れてくる。
「あ、ありがとう…」
「はは、さっきのお返しだ」
「なんだか泣きそうだよ。やっぱり寂しくなるね」
「互いに新生活が始まるからな。頻繁に会えなくなるが、今生の別れではあるまい」
「慣れるかなぁ……」
私は都内の専門学校に通いながら一人暮らし、尽八くんは茨城の大学で寮暮らしが始まる。新生活に忙しくなり、微妙に離れた距離。会える回数も格段に減るだろう。
「心配せずとも、寂しさとは無縁の日々がいずれ訪れるだろう。俺が保証する」
不安を感じ、思わず動きが止まった指の上から彼の指が重なってリボンをキュッと結び直される。尽八くんは握るように私の手を取って、部室に向かって足早に歩き出した。半歩前を進み、先導して連れて行くみたいに。
「主役は遅れて登場するものだが、少しばかり急ぐか」
リボンを上手く結んであげられなかったなぁとか、早歩きだから転ばないようにしなきゃとか、思考は巡り巡るが……頭の中は尽八くんの気になる一言の謎解きから解放されずにいた。視界の端で流れていく景色など、もはや気にもならない。
……同棲?はたまた、プロポーズの予告?
これ以上深く考えてはいけないと内心でかぶりを振った。どういうつもりで告げたのかわからないけれど、尽八くんの横顔は得意げに微笑んでいるように見えた。
卒業という旅立ちの日――、晴れ晴れとした顔で送り出してもらいたかったのだが、赤面したまま登場して後輩達に心配されそうだ。それに、二人で手を繋いで登場してネクタイとリボンを交換してる時点で、どういう事かと詰め寄られて冷やかされるに決まっている。どのみち顔は紅潮することになっていただろう。尽八くんのおかげで、寂しさより幸せな気持ちが上回ってしまう忘れられない一日になった。
“今こそ別れめ、いざさらば”――には、ならない。二人の延長線上に、永遠を誓い合う未来が待っていて欲しいと心から願った。