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►東堂21才(大学生)・夢主(契約社員:ホールマネージャー)
シュプリームフォーチュン
あの笑顔が苦手な巻ちゃんが、カフェでバイトを始めた事を知ったのは最近の話だ。飯に誘っても断られてばかりだったので不信に思い、おそらく同じバイト先で働いているメガネ君を問い詰め聞き出したところ、確かな情報を得た。奴を追いかけ同じ職場の面接を受ければ、当たり前のように採用されてホール担当となった。溢れる気品、上品な振舞いにこの唯一無二の美しさは隠しきれないのだから、接客に適していると判断されても仕方がない。
バイト初日――支給された白いシャツに蝶ネクタイ、黒いベストにギャルソンエプロンを身に纏いホールへ出ると、先にシフトに入っていた巻ちゃんが俺の顔を見るなりゲッと声を発した。ゲッ!とはなんだ、ゲッ!とは。登れる上にトークも切れる、更にこの美形…天はから三物も授かった俺に、そんな蛙が潰れたような声で出迎えるのはこの世で巻ちゃんだけだぞ!失礼な!
確かにシフトが重なる日まで、同じ店で働くことを黙っていたのは悪かったが、そのリアクションはないだろう。
「…知らなかった。東堂くんは裕介くんのお友達だったんだね」
「はい。俺と巻ちゃんは生涯の友でありライバルです」
「一部、違うショ」
のんびりした口調で話しながら近づいてきたのは、今日から俺の教育係となる汐見琴音さん。俺たちと同じ21歳だが、彼女は高校の頃からこのカフェのバイトを始め、現在は契約社員として働いている先輩だ。俺と巻ちゃんから正反対な返答を受けて、彼女は声を立てて笑っていた。“生涯の友”をさりげなく否定され悲しくなってしまったが、そろそろ初日の仕事の時間だ。スイッチを入れねば。
老舗旅館の嫡男として生まれた俺は、既にもてなしの所作が堂に入っている。接客なら教わればすぐにでも役に立てる自信があったし、料理運びを効率よく回すなど造作もないと高を括っていた。教育係を付けてもらうのも一週間で充分だろう。
「……東堂、なに同じ店で働こうとしてんだァ?」
「俺たち生涯の友でありライバルだろ?」
「理由になってねェショ。何遍も言うな。琴音にヘンな関係って勘違いされるだろ」
「…ん?巻ちゃんが女性を名前で呼ぶなんて珍しいな。そっちこそどういう関係だ?」
聞けば適当にはぐらかされ、ちょうど呼び出しボタンが押されたタイミングで巻ちゃんはホールに向かって歩いて行ってしまった。
何だ、付き合っているのか?気があるのか?――勘繰りながら、まじまじと上から下まで彼女に視線を配っていたら、汐見先輩は頬を赤らめて慌てていた。初対面の女性に失礼なことをしてしまったと、非礼を詫びればすぐに許してくれた。その人がどんな性格なのか、少しの観察でだいたい分かる。バイト仲間からも信頼され、物腰も柔らかく朗らかな人柄の女性だ。
一週間程、付きっきりでレクチャーしてくれたおかげで、俺は一通りの仕事を覚えることが出来た。教育係としての最終日、『同い年なんだから好きに呼んでいいし、敬語じゃなくてもいいよ』と汐見先輩は気さくに告げてきた。そういえば、巻ちゃんも新開も荒北も、彼女を名前で呼んでいたな。
「では、俺も親しみを込めて琴音と呼ばせてもらうよ。俺の事も好きに呼んでくれ」
「じゃあ、尽八くんで」
「ああ、それでいい。“汐見先輩”と呼べるのは今日が最後になるな。一週間、お世話になりました」
「そ、そんな丁寧にしなくていいよ!覚えが早くて手際もいいから教えるのも楽だったし…。尽八くんはあっという間に私なんか追い越しちゃうぐらい活躍できると思うよ」
素直に褒められて悪い気はしないが、大袈裟だと思った。いくら俺が器用だからと言っても、高校の頃から長年働き現在は契約社員である琴音を簡単に追い越せるなど、ありはしない。そうなったら流石に彼女の沽券にかかわる。優しい性格だがプライドもあるだろう。
しかし三ヵ月後…、彼女の予想は現実となった。
・・・・・・
俺は誰よりも効率良く仕事が出来る男だと自負していた。確かに自負していたが、こんなに早くホール担当のバイトがホールマネージャーに昇格するなんてことが、あるのだな。これは開店史上初だと周囲は驚いていた。
カフェCadenceでバイトを始めた噂がファンの間でも広まり、女子たちが度々店に訪れたことで集客アップし、売り上げに繋がった。
ファンが来る日は必然的に自分中心の接客となり、厨房との連携、手早い料理運びに完璧な接客をしながら、時にはイヤホンマイクで他の者に指示を送るリーダー的なポジションをこなした。
『指差すやつやって~!』と頼まれれば惜しみなく指差しポーズを決めるサービス精神。すると、強制したわけでもないのに客はもうひとつ追加でデザートや飲み物を頼む。これが更に売り上げに繋がり、過去最高の売り上げ金額を達成したと店長から聞いた。異例の昇格を受けるも琴音の顔が一瞬頭に過り、辞退しようか迷ったが、半ば強引にホールマネージャーとなった。
「尽八くん、昇格おめでとう!三ヵ月でマネージャーなんて最短出世、この店でも初めてだよ!」
知らせを受け、休憩室で鉢合わせした琴音は満面の笑みで拍手を送ってくれた。契約社員のプライドがどうこうと、そんな心の狭い女ではなかった。僅かでも愚推した事に気が咎める。自分事のように喜ぶ彼女を前に、不思議と心臓が鼓動していた。
働いている中で気づいた点がある。仕事モードの時はシャキッとしているが、素の部分は随分幼さを感じ、よく笑う彼女と一緒にいるのは心地がいい。
琴音と目が合うと、心が弾ける感覚。それに本格的に気づいたのは数日後のことだった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
日が傾き始める夏の夕方――、カランとドアのベルが鳴り店の扉が開く。入店の音に気付いてレジカウンターまで近づくと、見慣れた女性がいつもと違う装いでそこに立っていた。
普段、化粧っ気がない頬はチークで薄桃色に染まり、睫毛もいつもより長い。目尻まで細く引かれたアイラインとオレンジ色のアイシャドウで、目元が美しく際立っている。艶やかな唇は赤色が透けるように色づき、仕事の時に無造作に束ねている髪はキレイに巻かれ大人っぽい。いつもは真っ直ぐ下ろしている前髪も横に流れ、眉や表情がハッキリと見える。オフショルダーのトップスからは肩や鎖骨が露出して、やたらと色気が出ていた。
一瞬、別人かと思い普段通りに「いらっしゃいませ」と接客してしまった。
――今日は休日のはずの琴音が、店に訪れていた。
「どうした?店に忘れ物か?」
「ううん、忘れ物じゃなくて……、尽八くんの接客を体験しに来たの。ちょうど外出の用事も済んだし、ここで夕飯も食べて行こうかなって」
「そうかそうか!勉強熱心なことだ。ゆっくりしていくといい」
「うん、ありがとう」
彼女の微笑む顔などとうに知っているはずだが、先ほどからドドドドと心音がやかましい。化粧で女は化けるというが、化けたというかあれは――磨かれたと言った方が適格だ。元より愛嬌のある顔をしていたが、めかしこむとあんなに可愛いのか。そして来店してる間は俺の接客を勉強したいとは、なんという真面目な奴だ。休みの日までたいしたものだなと素直に感心した。
純粋な瞳がしばしば俺の動きを追って見つめているので緊張してしまうが、今日も今日とてホールを上手く回さねばならない。女子のファンもじきに来店するだろう。
テーブル席に座りメニュー表を開いてる琴音の後ろ姿を盗み見ては、胸騒ぎが止まらない。巻ちゃんは注文を受けに行きがてら、彼女に話しかけていた。どことなく奴も浮かれてる気がするのだが?
「浮かれてるな、巻ちゃん」
『そりゃオメェだろ東堂』
「俺が?そう見えるのか」
『ああ、そーだ』
「……」
マイクを通してからかってやろうとしたら、逆に言い当てられて不覚にも口を噤んでしまった。それが可笑しかったのか、イヤホン越しに喉を鳴らして笑う巻ちゃんの声が聴こえた。
夕飯時になり店が混みはじめ各々が忙しなく働く中、ピークタイムを超えて一息ついた頃に呼び出しボタンが押された。テーブルに向かえばそこには琴音が座っており、夕飯にと注文したビーフシチューオムライスをキレイに平らげて、今度はデザートメニューを選んでいた。
「お待たせしました。ご注文をお伺いします」
テーブルの横に立てば、座っている彼女は自然と俺を見上げる。上目遣いになってしまうのは必然。口の端についたシチューさえも愛らしいと感じるのは、どうかしている。教えてやると琴音は慌てて口の周りをテーブルに置かれている紙ナプキンで拭っていた。
「追加で…デザートセットの、苺のフランボワーズケーキとホットコーヒー、あと指差すやつ下さい」
「おいッ!メニューに混ぜてついでに頼むな!!」
「だ、だってファンの子に頼まれたらお店でもやってるし……」
「お前は俺のファンなのか!?」
「今日からファンになっちゃダメ?」
「……今日は俺の接客を勉強しに来たのだろう?」
「そのつもりだったんだけどね。あまりにも尽八くんのお仕事姿が素敵だったから、見とれてただけになっちゃった」
照れくさそうにはにかむ琴音を前に、俺の心は完全に奪われていたのだと自覚した。
落ちるにしてはありきたり過ぎる、恋。
はじめはただの教育係だった。
三ヵ月後にはホールマネージャーという同じ役職につき、職場ではそれなりに親しみを持って接したが、俺にとっては同僚に過ぎない。それ以上踏み込む理由もなかったが、その運命が変わったのは琴音と巻ちゃんの仲が良かった事が起因する。二人はよく遅番の帰りに寄り道をし、俺もその輪に混ざりたいと時々飯を共にしたのがキッカケだ。どうせ煮え切らないであろう巻ちゃんを応援するためにという名目もあった。だが、奴が琴音に惚れてるのではという憶測は外れ、異性の友人として仲が良いだけだった。世話を焼く必要もなくなったが、単純に三人での食事を楽しむ日々は続いた。ファミレスだったり居酒屋だったり小洒落たバーだったりと様々な場所で彼女の一面を知る程、惹かれていったのだと、今、理解した。
出会ってからの期間の長さなど関係ない。
そこに至上の縁があるのなら、俺が落ちるのはありきたりの恋で構わない。
浅く息を吐いて指さしポーズをビシッと向ければ、琴音は小さく拍手をして『やったぁ』と無邪気に喜んでいた。人差し指をゆっくりとそのまま彼女の額に静かに充て、顔を近づけ瞳を覗き込んだ。
俺ばかりドキドキしているのは、どうにも不公平だ。
「ファンになってはダメかと聞いたな。お前だけはダメだ、絶対に認めんよ。何故なら、俺はファンには手を出さない主義だからな」
淡々と宣言するように告げると、琴音はポカンとした表情でこちらを見ていた。テーブルの上の空いた皿を下げ、一礼して姿勢を整えその場から離れた。この言葉の真意を理解出来ないほど、子供じゃないはずだ。ついでに、注文はしかと受けたので問題ない。
ふと、皿をキッチン前のカウンターまで下げに来た途端、視線が集まるのを感じた。巻ちゃん、新開、荒北まで、唇を震わせておかしな顔を俺の方へ向けていた。
『東堂、マイクONになってんぞォ』と、肩を戦慄かせ笑いを堪えている荒北の一言によって、俺の顔色はトマトのように赤くなっていくのだった。遠回しな告白が他の奴らに丸聞こえとは、人生史上最大の失態だ。
ちなみに、俺と彼女の恋の行く末は山の神のみぞ知る。山神はおめえじゃねえのかよと、頭の中で巻ちゃんが呟いた気がした。
シュプリームフォーチュン
あの笑顔が苦手な巻ちゃんが、カフェでバイトを始めた事を知ったのは最近の話だ。飯に誘っても断られてばかりだったので不信に思い、おそらく同じバイト先で働いているメガネ君を問い詰め聞き出したところ、確かな情報を得た。奴を追いかけ同じ職場の面接を受ければ、当たり前のように採用されてホール担当となった。溢れる気品、上品な振舞いにこの唯一無二の美しさは隠しきれないのだから、接客に適していると判断されても仕方がない。
バイト初日――支給された白いシャツに蝶ネクタイ、黒いベストにギャルソンエプロンを身に纏いホールへ出ると、先にシフトに入っていた巻ちゃんが俺の顔を見るなりゲッと声を発した。ゲッ!とはなんだ、ゲッ!とは。登れる上にトークも切れる、更にこの美形…天はから三物も授かった俺に、そんな蛙が潰れたような声で出迎えるのはこの世で巻ちゃんだけだぞ!失礼な!
確かにシフトが重なる日まで、同じ店で働くことを黙っていたのは悪かったが、そのリアクションはないだろう。
「…知らなかった。東堂くんは裕介くんのお友達だったんだね」
「はい。俺と巻ちゃんは生涯の友でありライバルです」
「一部、違うショ」
のんびりした口調で話しながら近づいてきたのは、今日から俺の教育係となる汐見琴音さん。俺たちと同じ21歳だが、彼女は高校の頃からこのカフェのバイトを始め、現在は契約社員として働いている先輩だ。俺と巻ちゃんから正反対な返答を受けて、彼女は声を立てて笑っていた。“生涯の友”をさりげなく否定され悲しくなってしまったが、そろそろ初日の仕事の時間だ。スイッチを入れねば。
老舗旅館の嫡男として生まれた俺は、既にもてなしの所作が堂に入っている。接客なら教わればすぐにでも役に立てる自信があったし、料理運びを効率よく回すなど造作もないと高を括っていた。教育係を付けてもらうのも一週間で充分だろう。
「……東堂、なに同じ店で働こうとしてんだァ?」
「俺たち生涯の友でありライバルだろ?」
「理由になってねェショ。何遍も言うな。琴音にヘンな関係って勘違いされるだろ」
「…ん?巻ちゃんが女性を名前で呼ぶなんて珍しいな。そっちこそどういう関係だ?」
聞けば適当にはぐらかされ、ちょうど呼び出しボタンが押されたタイミングで巻ちゃんはホールに向かって歩いて行ってしまった。
何だ、付き合っているのか?気があるのか?――勘繰りながら、まじまじと上から下まで彼女に視線を配っていたら、汐見先輩は頬を赤らめて慌てていた。初対面の女性に失礼なことをしてしまったと、非礼を詫びればすぐに許してくれた。その人がどんな性格なのか、少しの観察でだいたい分かる。バイト仲間からも信頼され、物腰も柔らかく朗らかな人柄の女性だ。
一週間程、付きっきりでレクチャーしてくれたおかげで、俺は一通りの仕事を覚えることが出来た。教育係としての最終日、『同い年なんだから好きに呼んでいいし、敬語じゃなくてもいいよ』と汐見先輩は気さくに告げてきた。そういえば、巻ちゃんも新開も荒北も、彼女を名前で呼んでいたな。
「では、俺も親しみを込めて琴音と呼ばせてもらうよ。俺の事も好きに呼んでくれ」
「じゃあ、尽八くんで」
「ああ、それでいい。“汐見先輩”と呼べるのは今日が最後になるな。一週間、お世話になりました」
「そ、そんな丁寧にしなくていいよ!覚えが早くて手際もいいから教えるのも楽だったし…。尽八くんはあっという間に私なんか追い越しちゃうぐらい活躍できると思うよ」
素直に褒められて悪い気はしないが、大袈裟だと思った。いくら俺が器用だからと言っても、高校の頃から長年働き現在は契約社員である琴音を簡単に追い越せるなど、ありはしない。そうなったら流石に彼女の沽券にかかわる。優しい性格だがプライドもあるだろう。
しかし三ヵ月後…、彼女の予想は現実となった。
・・・・・・
俺は誰よりも効率良く仕事が出来る男だと自負していた。確かに自負していたが、こんなに早くホール担当のバイトがホールマネージャーに昇格するなんてことが、あるのだな。これは開店史上初だと周囲は驚いていた。
カフェCadenceでバイトを始めた噂がファンの間でも広まり、女子たちが度々店に訪れたことで集客アップし、売り上げに繋がった。
ファンが来る日は必然的に自分中心の接客となり、厨房との連携、手早い料理運びに完璧な接客をしながら、時にはイヤホンマイクで他の者に指示を送るリーダー的なポジションをこなした。
『指差すやつやって~!』と頼まれれば惜しみなく指差しポーズを決めるサービス精神。すると、強制したわけでもないのに客はもうひとつ追加でデザートや飲み物を頼む。これが更に売り上げに繋がり、過去最高の売り上げ金額を達成したと店長から聞いた。異例の昇格を受けるも琴音の顔が一瞬頭に過り、辞退しようか迷ったが、半ば強引にホールマネージャーとなった。
「尽八くん、昇格おめでとう!三ヵ月でマネージャーなんて最短出世、この店でも初めてだよ!」
知らせを受け、休憩室で鉢合わせした琴音は満面の笑みで拍手を送ってくれた。契約社員のプライドがどうこうと、そんな心の狭い女ではなかった。僅かでも愚推した事に気が咎める。自分事のように喜ぶ彼女を前に、不思議と心臓が鼓動していた。
働いている中で気づいた点がある。仕事モードの時はシャキッとしているが、素の部分は随分幼さを感じ、よく笑う彼女と一緒にいるのは心地がいい。
琴音と目が合うと、心が弾ける感覚。それに本格的に気づいたのは数日後のことだった。
・・・
・・・・・
・・・・・・
日が傾き始める夏の夕方――、カランとドアのベルが鳴り店の扉が開く。入店の音に気付いてレジカウンターまで近づくと、見慣れた女性がいつもと違う装いでそこに立っていた。
普段、化粧っ気がない頬はチークで薄桃色に染まり、睫毛もいつもより長い。目尻まで細く引かれたアイラインとオレンジ色のアイシャドウで、目元が美しく際立っている。艶やかな唇は赤色が透けるように色づき、仕事の時に無造作に束ねている髪はキレイに巻かれ大人っぽい。いつもは真っ直ぐ下ろしている前髪も横に流れ、眉や表情がハッキリと見える。オフショルダーのトップスからは肩や鎖骨が露出して、やたらと色気が出ていた。
一瞬、別人かと思い普段通りに「いらっしゃいませ」と接客してしまった。
――今日は休日のはずの琴音が、店に訪れていた。
「どうした?店に忘れ物か?」
「ううん、忘れ物じゃなくて……、尽八くんの接客を体験しに来たの。ちょうど外出の用事も済んだし、ここで夕飯も食べて行こうかなって」
「そうかそうか!勉強熱心なことだ。ゆっくりしていくといい」
「うん、ありがとう」
彼女の微笑む顔などとうに知っているはずだが、先ほどからドドドドと心音がやかましい。化粧で女は化けるというが、化けたというかあれは――磨かれたと言った方が適格だ。元より愛嬌のある顔をしていたが、めかしこむとあんなに可愛いのか。そして来店してる間は俺の接客を勉強したいとは、なんという真面目な奴だ。休みの日までたいしたものだなと素直に感心した。
純粋な瞳がしばしば俺の動きを追って見つめているので緊張してしまうが、今日も今日とてホールを上手く回さねばならない。女子のファンもじきに来店するだろう。
テーブル席に座りメニュー表を開いてる琴音の後ろ姿を盗み見ては、胸騒ぎが止まらない。巻ちゃんは注文を受けに行きがてら、彼女に話しかけていた。どことなく奴も浮かれてる気がするのだが?
「浮かれてるな、巻ちゃん」
『そりゃオメェだろ東堂』
「俺が?そう見えるのか」
『ああ、そーだ』
「……」
マイクを通してからかってやろうとしたら、逆に言い当てられて不覚にも口を噤んでしまった。それが可笑しかったのか、イヤホン越しに喉を鳴らして笑う巻ちゃんの声が聴こえた。
夕飯時になり店が混みはじめ各々が忙しなく働く中、ピークタイムを超えて一息ついた頃に呼び出しボタンが押された。テーブルに向かえばそこには琴音が座っており、夕飯にと注文したビーフシチューオムライスをキレイに平らげて、今度はデザートメニューを選んでいた。
「お待たせしました。ご注文をお伺いします」
テーブルの横に立てば、座っている彼女は自然と俺を見上げる。上目遣いになってしまうのは必然。口の端についたシチューさえも愛らしいと感じるのは、どうかしている。教えてやると琴音は慌てて口の周りをテーブルに置かれている紙ナプキンで拭っていた。
「追加で…デザートセットの、苺のフランボワーズケーキとホットコーヒー、あと指差すやつ下さい」
「おいッ!メニューに混ぜてついでに頼むな!!」
「だ、だってファンの子に頼まれたらお店でもやってるし……」
「お前は俺のファンなのか!?」
「今日からファンになっちゃダメ?」
「……今日は俺の接客を勉強しに来たのだろう?」
「そのつもりだったんだけどね。あまりにも尽八くんのお仕事姿が素敵だったから、見とれてただけになっちゃった」
照れくさそうにはにかむ琴音を前に、俺の心は完全に奪われていたのだと自覚した。
落ちるにしてはありきたり過ぎる、恋。
はじめはただの教育係だった。
三ヵ月後にはホールマネージャーという同じ役職につき、職場ではそれなりに親しみを持って接したが、俺にとっては同僚に過ぎない。それ以上踏み込む理由もなかったが、その運命が変わったのは琴音と巻ちゃんの仲が良かった事が起因する。二人はよく遅番の帰りに寄り道をし、俺もその輪に混ざりたいと時々飯を共にしたのがキッカケだ。どうせ煮え切らないであろう巻ちゃんを応援するためにという名目もあった。だが、奴が琴音に惚れてるのではという憶測は外れ、異性の友人として仲が良いだけだった。世話を焼く必要もなくなったが、単純に三人での食事を楽しむ日々は続いた。ファミレスだったり居酒屋だったり小洒落たバーだったりと様々な場所で彼女の一面を知る程、惹かれていったのだと、今、理解した。
出会ってからの期間の長さなど関係ない。
そこに至上の縁があるのなら、俺が落ちるのはありきたりの恋で構わない。
浅く息を吐いて指さしポーズをビシッと向ければ、琴音は小さく拍手をして『やったぁ』と無邪気に喜んでいた。人差し指をゆっくりとそのまま彼女の額に静かに充て、顔を近づけ瞳を覗き込んだ。
俺ばかりドキドキしているのは、どうにも不公平だ。
「ファンになってはダメかと聞いたな。お前だけはダメだ、絶対に認めんよ。何故なら、俺はファンには手を出さない主義だからな」
淡々と宣言するように告げると、琴音はポカンとした表情でこちらを見ていた。テーブルの上の空いた皿を下げ、一礼して姿勢を整えその場から離れた。この言葉の真意を理解出来ないほど、子供じゃないはずだ。ついでに、注文はしかと受けたので問題ない。
ふと、皿をキッチン前のカウンターまで下げに来た途端、視線が集まるのを感じた。巻ちゃん、新開、荒北まで、唇を震わせておかしな顔を俺の方へ向けていた。
『東堂、マイクONになってんぞォ』と、肩を戦慄かせ笑いを堪えている荒北の一言によって、俺の顔色はトマトのように赤くなっていくのだった。遠回しな告白が他の奴らに丸聞こえとは、人生史上最大の失態だ。
ちなみに、俺と彼女の恋の行く末は山の神のみぞ知る。山神はおめえじゃねえのかよと、頭の中で巻ちゃんが呟いた気がした。