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ひざまくらの魔法
連日猛暑が続く夏休み真っ只中でも、体育館で毎日のように練習が行われていた。
今年のインターハイには出場できず、決勝リーグで敗退してしまった誠凛は、今度こそウィンターカップに出場するためにこれまで以上に練習して強くなると誓った。
負けてしまったが、終わった事を悔いてばかりいても仕方ない。僕たちが次、見据えるのは冬だ。
優先出場枠で出れることが確約されているわけではないのだから、冬の大会への切符も勝ち進んで手にしなければならない。
一丸となって戦うことの大切さは勿論、個々でも成長していなければ勝てない。負けたことで得た事もゼロじゃなかった。
バスケ部を設立した木吉先輩も復帰をした今、――チームの気持ちはひとつになっていた。
…勝てなかった。何も出来なかった。
もう、あんな想いをするのは嫌だから。だからこそ、もっともっと強くなりたい。
体育館の中に充満する蒸し返す空気の中での練習は、まるで熱帯地域。温度計を見れば30度を示していた。
誠凛高校は去年出来たばかりの新設校なだけあって体育館にもエアコンは設備されている。しかし、夏休みのため節電を強いられエコモード運転が強いられていた。
つけないよりは遥かにマシだが、練習の運動量とコート上の熱気を考えても、エコモードでは室温を下げても追い付かない。
顔から、全身から汗が吹き出てくる。夏場の練習はいつもよりこまめに休憩を挟み、水分は充分過ぎるぐらい補給するように気をつけていたにも関わらず、僕は今日、油断した。
気合を入れ直すべきこの時期にありえない油断を。
とっくに中身が空になっているボトルに気づいていながら、次の休憩の時でいいかと休憩明けのミニゲームに参加してしまったのだ。
塩飴でも食べて塩分だけ補給しておこうととりあえずで済ませた。自販機がある場所まですぐだが、財布は部室にあるし、そういえば小銭があったかどうか…思い出せない。
“熱中症”で毎日倒れて運ばれた人の人数が報道されているニュースで、『気づいた時にはもう遅い』や、『喉が渇いてなくても水分補給を』としつこいぐらいに繰り返していた事を、頭がぼんやりしはじめてから思い出すなんて。
いつもだったら琴音さんがまめにドリンク補給が出来るようにボトルを回収しては新しいものを持ってきてくれたり、レモンの蜂蜜漬けを配って回ったりするのだが、今日は彼女は別の予定があって来れないそうだ。
大学生の彼女は、授業の課題やバイトもあって忙しいのに、時間を見つけては臨時マネージャーとして手伝いに来てくれている。僕も、皆もとても感謝していた。
僕にとって彼女はマネージャー以上の存在――琴音さんは、優しくて朗らかでかわいい、僕の大切な恋人だ。
頭がさらにぼんやりしてきて、聞こえるはずのない声が聞こえたような気がした。
――『はい、黒子くん。新しいドリンク。ちゃんと冷えてるよ』
耳に心地よい声。休憩中に琴音さんがいたら笑顔で持ってきてくれる冷たいドリンク。
今日、彼女はまだ来ていないからもちろんアテにできるわけもないので自分で水分補給は気をつけなくてはいけなかったのに。
顔が熱い…力が抜ける…。
ミニゲーム中だというにその場に立っていられず僕は膝をついた。
すぐに異変に気づいたカントクがホイッスルを鳴らし試合を中断。
チームメイトたちが駆け寄って声をかけてくれる中心で、僕は「大丈夫です」と顔をあげた時に、ふと違和感。
鼻の奥がスースーして、水が出てるみたいだ。汗を拭うつもりで顎下に触れたら手についた赤い血。
「くっ、黒子お前!鼻血出てるぞ…!」
「あ…、どうりでフラフラするかと…」
慌てて降旗くんが持って来てくれたタオルで鼻を押さえながら僕は答えた。視界が揺らぐ。立ち上がることが難しそうだ。
情けないことに火神くんに肩を貸してもらって僕はしばらく部室で休ませてもらうことにした。
自らの意思というよりは、カントク命令だった。
つい先日、初期不良を起こした部室のエアコンの修理が終わっていた事は不幸中の幸いとも言える。
充分冷たい水分を摂ってから、部室に置いてある長椅子に横たわった。
カントクが冷蔵庫から取り出したアイスノンを頭の上に乗せてくれたので随分、楽になった気がする。顔の熱が少しずつ引いていく。
申し訳なくなってドリンクの事を話して謝罪したら、案の定寝ている上から怒声が浴びせされた。
怒られて当たり前だ。自分が気をつけいれば起きなかった事態だから。
「休憩の度に必ず、充分な水分を摂るコト!鼻血が完全に止まるまで起き上がらないコト!軽い熱中症だろうから今日は無理せず、最低でも一時間は横になって休むコト!いい!?」
「はい…、すいません」
「誠凛の切り札に倒れられたら困るんだから…。頼むわよ、黒子くん」
小さく頷くと、カントクは『よし!』と言ってまた体育館へ戻って行った。思わず、自分の失態に深いため息をつく。
静まり返った部室に僕は一人きり、仰向けになって寝ている。
締め切った窓の外から聞こえる蝉の鳴き声と、グラウンドで響く野球部のかけ声。冷風でどんどん部屋を涼しくしていくエアコンの音。
アイスノンのおかげで頭の熱が少しずつ冷やされていき、冷静になれば、ますます、自分の油断が惨めに感じてきてしまう。
――これが大事な試合前日だったら、と思うと、冷や汗が滲んだ。
『熱中症は気づいた時にはもう手遅れ』って、本当だ。今程それを実感したことはない。
…何をやってるんだ、僕は。迷惑をかけた分、早く回復して練習に戻らないと。
アイスノンを額から火照った頬にも当ててまた額に戻す。
最初より随分楽になってきたがまだ頭がぼんやりとしている。
最低でも一時間は休まないと体育館に戻っても監督に怒られるだけだろう。体調を万全にするためにも少しの間眠るのが一番の近道だと、僕は静かに目を閉じた。
□ □ □
どれぐらい眠ったか感覚はないけれど、自然と目を覚ましたときにはだいぶ思考もクリアになっていた。鼻血もすっかり止まったようだ。
椅子の上で仰向けになって寝ていたときとは違う感覚があるとすれば…頭が高い位置にあるような。
「あ、起きた」
「…僕は夢でも見てるんでしょうか」
「あれ?ちょっと寝ぼけてる?」
上から顔を覗き込んできた琴音さんの顔を見て、一瞬、軽い熱中症の名残で夢でも見てるのかと思った。
そうじゃなければ、こんな、ありがたい状況になっているわけがないんだ。
自分の油断で倒れてる僕に、彼女が膝枕をしてくれるだなんて、こんな、贅沢な状況が。
薄いタオルを枕代わりにしていた感触とは打って変わって、柔らかくてすべすべした太ももが今、僕の頭を支えてくれていた。
夢なら醒めるなと、僕は正直に心の中で願った。
熱中症とは別の意味で、鼓動が速まり顔が熱くなりそうだった。
「今日来る予定じゃなかったんだけど、用事が早めに終わったから覗きに来たんだ。リコちゃんから聞いたよ?暑さで倒れちゃったって聞いて心配になって部室見に来たの」
不安そうに告げる琴音さんに、心が痛くなった。心配してくれて様子を見に来てくれたのは嬉しいけれど、情けないところを見られて恥ずかしさのが上回ってしまう。
できれば、見られたくなった、です。
ふわふわと柔らかい幸せな膝枕は名残惜しいけども、だいぶ回復してきたしおそらく眠ってから一時間は経っただろう。
僕が上半身をゆっくり起こすと、琴音さんは僕の両肩を掴んでまた寝かせようとしてきた。
「名残惜しいですが、もう大丈夫です。練習に戻らないと――」
「ダメだよ!まだ顔色悪いよ?もう少し休んだほうがいいと思う」
“大丈夫です”と“ダメ”の押し問答が何度か繰り返された後、僕は意を決して立ち上がった。
その拍子に後ろから僕の両肩に置かれていた彼女の手はあっけなく離れてしまう。
立ち上がった僕が長椅子に座ったままを見下ろすと、困った表情で琴音さんはこちらを見上げていた。
眉がハの字になってる。唇を尖らせて、上目遣い。
熱さにやられた後だとしても、僕が彼女を困らせていて、そしてその彼女の困った顔がとても可愛らしいって事ぐらいは理解できた。
「黒子くん、もう少しだけちゃんと休もう?また倒れたりしたら大変だよ。ね、お願い」
確かに一時間は休んだけども、立ち上がった感じだとまだ体がふわっとして力が入らないのは事実だった。
「…そんな可愛い顔してお願いしてもダメです」
僕のTシャツの裾を引っ張ってもう一度長椅子に寝かせようとする琴音さん。
それだけでなく、腕をつついたり手を握って引っ張ったり、僕を寝かせようと必死だ。
本当に心配してくれているのが伝わってきて有難い反面、内心で邪な感情が働く。
先ほどまで頭を乗せていた彼女の太ももに視線を移せば、感触を思い出す。白くて、弾力があって、心地よかった。
ショートパンツを履いているのせいで琴音さんが座ると太もものほとんどがさらけ出されていた。
無言で見つめてしまって、あ、まずい、と思った矢先、琴音さんは自分の太ももをポンポンと手で叩いた――その瞬間、僕は自分が折れるのだと悟る。
「ね…、寝るなら枕もあるよ。ここに!」
「……え、」
「ほら、早く寝転がって。あともう一時間寝ればきっと顔色もよくなるし体に力も入ると思うよ。だから、ここにどうぞ!」
この人、何でこんなにいちいち可愛らしい事を言うのだろう。永遠に解けない謎のよう。
理由を付けるとすれば、琴音さんが琴音さんである所以だろう。
思わず、声を出して笑ってしまった。
そして一言、『参りました』、という言葉が自然と出てきた。
僕は、口元を緩ませて一度長椅子に横たわった。もちろん、頭はお気に入りの『枕』へ。
彼女に膝枕をしてもらったのは今日がはじめてだけど、今度はまた別の機会に改めてお願いしてみようと思った。
素直に休むことを決めた僕に、琴音さんは安心して胸を撫で下ろしていた。
どうしょうもなく子供だ、僕は。
バスケ部のみんなにも、彼女にも、迷惑かけて、心配かけて、意地を張って、情けないばかりだ。彼女の気遣いまで無下に扱うところだった。
「これ以上カッコ悪いところ見せたくなくて、意地を張ってすいません…」
「全然、カッコ悪くなんてないよ」
「…琴音さんの誘惑に負けたことも?」
「ふふ、ちゃんと誘惑できたようで何よりです」
彼女の優しい指が僕の前髪を、静かに撫でていく。心が安らいでいく魔法みたいだ。
『体調万全にして、また黒子くんのカッコいいところ見せてね』と、眠りに落ちる直前、彼女の囁きが聞こえた。
…勿論です。チームの期待にも、あなたの期待にも応えられるように。
僕はもっと強くなりますから。
連日猛暑が続く夏休み真っ只中でも、体育館で毎日のように練習が行われていた。
今年のインターハイには出場できず、決勝リーグで敗退してしまった誠凛は、今度こそウィンターカップに出場するためにこれまで以上に練習して強くなると誓った。
負けてしまったが、終わった事を悔いてばかりいても仕方ない。僕たちが次、見据えるのは冬だ。
優先出場枠で出れることが確約されているわけではないのだから、冬の大会への切符も勝ち進んで手にしなければならない。
一丸となって戦うことの大切さは勿論、個々でも成長していなければ勝てない。負けたことで得た事もゼロじゃなかった。
バスケ部を設立した木吉先輩も復帰をした今、――チームの気持ちはひとつになっていた。
…勝てなかった。何も出来なかった。
もう、あんな想いをするのは嫌だから。だからこそ、もっともっと強くなりたい。
体育館の中に充満する蒸し返す空気の中での練習は、まるで熱帯地域。温度計を見れば30度を示していた。
誠凛高校は去年出来たばかりの新設校なだけあって体育館にもエアコンは設備されている。しかし、夏休みのため節電を強いられエコモード運転が強いられていた。
つけないよりは遥かにマシだが、練習の運動量とコート上の熱気を考えても、エコモードでは室温を下げても追い付かない。
顔から、全身から汗が吹き出てくる。夏場の練習はいつもよりこまめに休憩を挟み、水分は充分過ぎるぐらい補給するように気をつけていたにも関わらず、僕は今日、油断した。
気合を入れ直すべきこの時期にありえない油断を。
とっくに中身が空になっているボトルに気づいていながら、次の休憩の時でいいかと休憩明けのミニゲームに参加してしまったのだ。
塩飴でも食べて塩分だけ補給しておこうととりあえずで済ませた。自販機がある場所まですぐだが、財布は部室にあるし、そういえば小銭があったかどうか…思い出せない。
“熱中症”で毎日倒れて運ばれた人の人数が報道されているニュースで、『気づいた時にはもう遅い』や、『喉が渇いてなくても水分補給を』としつこいぐらいに繰り返していた事を、頭がぼんやりしはじめてから思い出すなんて。
いつもだったら琴音さんがまめにドリンク補給が出来るようにボトルを回収しては新しいものを持ってきてくれたり、レモンの蜂蜜漬けを配って回ったりするのだが、今日は彼女は別の予定があって来れないそうだ。
大学生の彼女は、授業の課題やバイトもあって忙しいのに、時間を見つけては臨時マネージャーとして手伝いに来てくれている。僕も、皆もとても感謝していた。
僕にとって彼女はマネージャー以上の存在――琴音さんは、優しくて朗らかでかわいい、僕の大切な恋人だ。
頭がさらにぼんやりしてきて、聞こえるはずのない声が聞こえたような気がした。
――『はい、黒子くん。新しいドリンク。ちゃんと冷えてるよ』
耳に心地よい声。休憩中に琴音さんがいたら笑顔で持ってきてくれる冷たいドリンク。
今日、彼女はまだ来ていないからもちろんアテにできるわけもないので自分で水分補給は気をつけなくてはいけなかったのに。
顔が熱い…力が抜ける…。
ミニゲーム中だというにその場に立っていられず僕は膝をついた。
すぐに異変に気づいたカントクがホイッスルを鳴らし試合を中断。
チームメイトたちが駆け寄って声をかけてくれる中心で、僕は「大丈夫です」と顔をあげた時に、ふと違和感。
鼻の奥がスースーして、水が出てるみたいだ。汗を拭うつもりで顎下に触れたら手についた赤い血。
「くっ、黒子お前!鼻血出てるぞ…!」
「あ…、どうりでフラフラするかと…」
慌てて降旗くんが持って来てくれたタオルで鼻を押さえながら僕は答えた。視界が揺らぐ。立ち上がることが難しそうだ。
情けないことに火神くんに肩を貸してもらって僕はしばらく部室で休ませてもらうことにした。
自らの意思というよりは、カントク命令だった。
つい先日、初期不良を起こした部室のエアコンの修理が終わっていた事は不幸中の幸いとも言える。
充分冷たい水分を摂ってから、部室に置いてある長椅子に横たわった。
カントクが冷蔵庫から取り出したアイスノンを頭の上に乗せてくれたので随分、楽になった気がする。顔の熱が少しずつ引いていく。
申し訳なくなってドリンクの事を話して謝罪したら、案の定寝ている上から怒声が浴びせされた。
怒られて当たり前だ。自分が気をつけいれば起きなかった事態だから。
「休憩の度に必ず、充分な水分を摂るコト!鼻血が完全に止まるまで起き上がらないコト!軽い熱中症だろうから今日は無理せず、最低でも一時間は横になって休むコト!いい!?」
「はい…、すいません」
「誠凛の切り札に倒れられたら困るんだから…。頼むわよ、黒子くん」
小さく頷くと、カントクは『よし!』と言ってまた体育館へ戻って行った。思わず、自分の失態に深いため息をつく。
静まり返った部室に僕は一人きり、仰向けになって寝ている。
締め切った窓の外から聞こえる蝉の鳴き声と、グラウンドで響く野球部のかけ声。冷風でどんどん部屋を涼しくしていくエアコンの音。
アイスノンのおかげで頭の熱が少しずつ冷やされていき、冷静になれば、ますます、自分の油断が惨めに感じてきてしまう。
――これが大事な試合前日だったら、と思うと、冷や汗が滲んだ。
『熱中症は気づいた時にはもう手遅れ』って、本当だ。今程それを実感したことはない。
…何をやってるんだ、僕は。迷惑をかけた分、早く回復して練習に戻らないと。
アイスノンを額から火照った頬にも当ててまた額に戻す。
最初より随分楽になってきたがまだ頭がぼんやりとしている。
最低でも一時間は休まないと体育館に戻っても監督に怒られるだけだろう。体調を万全にするためにも少しの間眠るのが一番の近道だと、僕は静かに目を閉じた。
□ □ □
どれぐらい眠ったか感覚はないけれど、自然と目を覚ましたときにはだいぶ思考もクリアになっていた。鼻血もすっかり止まったようだ。
椅子の上で仰向けになって寝ていたときとは違う感覚があるとすれば…頭が高い位置にあるような。
「あ、起きた」
「…僕は夢でも見てるんでしょうか」
「あれ?ちょっと寝ぼけてる?」
上から顔を覗き込んできた琴音さんの顔を見て、一瞬、軽い熱中症の名残で夢でも見てるのかと思った。
そうじゃなければ、こんな、ありがたい状況になっているわけがないんだ。
自分の油断で倒れてる僕に、彼女が膝枕をしてくれるだなんて、こんな、贅沢な状況が。
薄いタオルを枕代わりにしていた感触とは打って変わって、柔らかくてすべすべした太ももが今、僕の頭を支えてくれていた。
夢なら醒めるなと、僕は正直に心の中で願った。
熱中症とは別の意味で、鼓動が速まり顔が熱くなりそうだった。
「今日来る予定じゃなかったんだけど、用事が早めに終わったから覗きに来たんだ。リコちゃんから聞いたよ?暑さで倒れちゃったって聞いて心配になって部室見に来たの」
不安そうに告げる琴音さんに、心が痛くなった。心配してくれて様子を見に来てくれたのは嬉しいけれど、情けないところを見られて恥ずかしさのが上回ってしまう。
できれば、見られたくなった、です。
ふわふわと柔らかい幸せな膝枕は名残惜しいけども、だいぶ回復してきたしおそらく眠ってから一時間は経っただろう。
僕が上半身をゆっくり起こすと、琴音さんは僕の両肩を掴んでまた寝かせようとしてきた。
「名残惜しいですが、もう大丈夫です。練習に戻らないと――」
「ダメだよ!まだ顔色悪いよ?もう少し休んだほうがいいと思う」
“大丈夫です”と“ダメ”の押し問答が何度か繰り返された後、僕は意を決して立ち上がった。
その拍子に後ろから僕の両肩に置かれていた彼女の手はあっけなく離れてしまう。
立ち上がった僕が長椅子に座ったままを見下ろすと、困った表情で琴音さんはこちらを見上げていた。
眉がハの字になってる。唇を尖らせて、上目遣い。
熱さにやられた後だとしても、僕が彼女を困らせていて、そしてその彼女の困った顔がとても可愛らしいって事ぐらいは理解できた。
「黒子くん、もう少しだけちゃんと休もう?また倒れたりしたら大変だよ。ね、お願い」
確かに一時間は休んだけども、立ち上がった感じだとまだ体がふわっとして力が入らないのは事実だった。
「…そんな可愛い顔してお願いしてもダメです」
僕のTシャツの裾を引っ張ってもう一度長椅子に寝かせようとする琴音さん。
それだけでなく、腕をつついたり手を握って引っ張ったり、僕を寝かせようと必死だ。
本当に心配してくれているのが伝わってきて有難い反面、内心で邪な感情が働く。
先ほどまで頭を乗せていた彼女の太ももに視線を移せば、感触を思い出す。白くて、弾力があって、心地よかった。
ショートパンツを履いているのせいで琴音さんが座ると太もものほとんどがさらけ出されていた。
無言で見つめてしまって、あ、まずい、と思った矢先、琴音さんは自分の太ももをポンポンと手で叩いた――その瞬間、僕は自分が折れるのだと悟る。
「ね…、寝るなら枕もあるよ。ここに!」
「……え、」
「ほら、早く寝転がって。あともう一時間寝ればきっと顔色もよくなるし体に力も入ると思うよ。だから、ここにどうぞ!」
この人、何でこんなにいちいち可愛らしい事を言うのだろう。永遠に解けない謎のよう。
理由を付けるとすれば、琴音さんが琴音さんである所以だろう。
思わず、声を出して笑ってしまった。
そして一言、『参りました』、という言葉が自然と出てきた。
僕は、口元を緩ませて一度長椅子に横たわった。もちろん、頭はお気に入りの『枕』へ。
彼女に膝枕をしてもらったのは今日がはじめてだけど、今度はまた別の機会に改めてお願いしてみようと思った。
素直に休むことを決めた僕に、琴音さんは安心して胸を撫で下ろしていた。
どうしょうもなく子供だ、僕は。
バスケ部のみんなにも、彼女にも、迷惑かけて、心配かけて、意地を張って、情けないばかりだ。彼女の気遣いまで無下に扱うところだった。
「これ以上カッコ悪いところ見せたくなくて、意地を張ってすいません…」
「全然、カッコ悪くなんてないよ」
「…琴音さんの誘惑に負けたことも?」
「ふふ、ちゃんと誘惑できたようで何よりです」
彼女の優しい指が僕の前髪を、静かに撫でていく。心が安らいでいく魔法みたいだ。
『体調万全にして、また黒子くんのカッコいいところ見せてね』と、眠りに落ちる直前、彼女の囁きが聞こえた。
…勿論です。チームの期待にも、あなたの期待にも応えられるように。
僕はもっと強くなりますから。