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►黒子23歳(職業:保育士)・夢主26歳
『ようやく幸せにする準備ができました』
「おやすみなさい」
寝室にて、囁くような彼の声が耳元に聞こえた。薄い唇が私の頬に触れる。
眠っている私の頬に優しいキスが降りてきて、テツヤくんは私の隣で眠り始めた。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきて本当に眠っているのを確信した後、私は目をパチリと開けた。
薄暗い部屋、真っ先に飛び込んできたのは見慣れた天井。ふう、とため息をついてもう一度目を閉じる。
土曜日の深夜二時。
本当は起きていたのに寝たフリをしていたこと、気づかれていないだろうか。
目を閉じている間にされたキスに、今頃になって頬が熱くなった。呼吸を整えないと隣で寝ているテツヤくんを起こしかねない。
…最近、テツヤくんは多忙を極めている。
同棲をはじめて4年目の春。お互い急がしい時期を越えてGWも過ぎた頃、少しはのんびりした期間がくるのかなと思いきや、テツヤくんの仕事は増えていた。
基本、二人の仕事は平日のみ。
彼の“保育園の先生”の仕事も土曜日出勤は偶数週だけだったのに、ここ最近は全ての土曜日も出勤していた。…いや、土曜日だけでなく日曜日もだ。
平日も帰りが遅いのに、土日まで朝早く出て夜遅く帰って来る。近頃はそんな毎日だ。
二人で過ごす時間が少なくなり、夕飯も一緒に食べる機会も減り、私が先に寝てしまうことも珍しくなくなった。
最初はテツヤくんが帰ってくるまで起きていたのだが、彼は私を「先に寝ててくださいね」とやんわりとお願いしてきたのだ。
お仕事だから仕方のないことなのだけども、…過労で倒れたりしないかとても心配だ。睡眠時間だって短いし…。
自分に何かできることないかなと考えていても、家事を頑張ることぐらいしか思いつかない。
もどかしい気持ちを抱えながら、テツヤくんの寝息を隣で聞きながら私は眠りについた。
・・・
・・・・・
・・・・・・
白いカーテン越しに差し込む太陽の光で目を覚ました時、既に隣にはテツヤくんの姿はなかった。
あんなに遅くに眠ったのにもう起きてるなんて。お仕事行っちゃったかな?と思ったら、キッチンの方から物音がしたのでまだ居てくれたことに安心した。
お見送りぐらいはちゃんとしたかったから。
寝室を出るとコーヒーのいい香りが漂ってきて、ダイニングのテーブルには朝食が用意されていた。
焼きたてのマフィンと、スクランブルエッグにベーコン。ゆでたまごが得意料理だった彼も今ではこれも得意な卵料理の1つになった。
テツヤくんが作るとふわふわしてて柔らかくて特別美味しい。…って、朝食!?
いい香りに頬が緩んでしまった私がハッと我に返ったところで、テツヤくんは笑顔で「おはようございます」とキッチンの方から顔を出した。
「おはよう。朝ごはんの用意させちゃった…テツヤくん疲れてるのにごめん!起こしてくれればよかったのに…」
情けなく両手をあわせる私に、コーヒーカップを持ちながらテツヤくんは優しい笑みを向けてきた。
その笑顔に何度も許されて、何度甘えさせてもらったことか。
もっと頼っていいし、たまには怒ってもいいのに、テツヤくんは私のマヌケな性格さえまったく気にしない様子だ。
「気持ちよさそうに寝ていたので起こしたら可哀想かと…。それに僕がたまたま早く目が覚めただけですから、気にしないで大丈夫ですよ」
…そんなに私を甘やかしてはいけないよ?、と心の中で独り言ちた。
私も椅子に座るようにと促し二人はテーブルを挟んで向かい合う。
淹れたてのコーヒーの香りが鼻をくすぐる。どれも美味しそうだなぁ。朝食を用意してもらった申し訳なさもあるものの、テツヤくん特製のスクランブルエッグを久々に食べれるのは嬉しいかも。
ふわふわの卵はチーズ入りだ。口いっぱいに頬張って幸せを感じていると、いつの間にかテツヤくんはこちらを見つめていた。
目が合うも、私がもぐもぐと口を動かしているとテツヤくんはフッと声を出して笑った。
口いっぱいにしてリスみたいですね、と言われたので、私もつられて笑ってしまう。
朝のわずかなのんびりした時間がいつも以上に大事な時間に思えた。今日もまた仕事で帰りも遅いのかなぁ。
食べ終えた頃、食器を片づけようと私が立ち上がると、「琴音さん、」と呼ばれた。
何となくテツヤくんが改まって何か言おうとしている気がしたので再び椅子に座ると、彼は話始めた。
「ここ最近忙しかったのには理由があるんです」
すると、テツヤくんはまるで隠し事を白状するように話しはじめた。
職場で事務員の仕事がパンク状態らしく、それを手伝えば臨時手当が今回だけ特別に貰えるらしいので自ら手伝いを志願したこと。
アルバイト情報誌で探したり、黄瀬くんの伝で紹介してもらったりと、色んな方法で業種問わず日雇いのバイトを回してもらっていること。
要するに、テツヤくんはお金を稼ごうとしているってことだ。
「ちゃんと話さないといけないとは思っていたんですが、遅くなってしまってすいません。保育園の仕事が増えたのは事実ですがそれも自分から望んだことですし、それ以外にも日雇いのバイトをはじめたんです。…心配させてしまいましたね」
しゅんとなって頭を下げる彼に怒るわけもないが、ただ過労で倒れたりしないかすごく心配していたのは事実だ。
日雇いのバイトもしていたから、土曜日だけでなく日曜日も仕事に行っていたのか。
怒ってますか?とおずおずと聞かれたところで、そんな顔してるテツヤくんに何も言えないよ。
むしろ、久々にゆっくりと過ごせた朝食タイムに話してくれただけでもよかったのかも。
ただ、1つ不思議な点がある。もしかして、何か――
「欲しいものでもあるの?」
「はい。どうしても買いたいものがあって」
「そこまでテツヤくんが欲しがるものって珍しいね。もしかして…」
思考を巡らせた末に浮かんできた答えに、私が「あっ!」と大きな声をだすと、テツヤくんは一瞬、ビクリと肩を震わせた。
「前に家電を見に行った時に欲しがってたノートパソコン?」
「…」
「…当たり?」
「はい、当たりです。結構値が張るので…」
「最新のだからかなり高かったよね」
テツヤくんは頷いて意気込んだのを見て、私も陰ながら応援しようと思った。
付き合っている時から知っていたが、彼には物欲がない。
高い服やブランド物にも興味はないし、バスケに関連するものだって、有名スポーツメーカーの高すぎるものは使っていなかった。
ただ、本当に稀に欲しい物が見つかった時は即買いしたり、時間をかけてでもお金を貯めて必ず買う傾向。
普段物欲がないだけに欲しい物があったときの反動がすごかった。
それは、長い間付き合っている私でも、年に一度あるかどうかのレアな事例だった。
…それでここのところ働き詰めだったわけだ。
『私もお金出すよ?』って言っても断られてしまうのは目に見えている。『貸す』と言っても断られるだろう。どこまでも律儀なのだ、テツヤくんは。
「目標額まであと少しなんです。もう予約もしてあります」
白い肌の彼は眼の下にうっすらとクマを作りながらもテツヤくんは嬉しそうに頬を緩ませていた。よほど気に入ったんだなぁ。
こんな顔見ちゃったら、ますます応援したくなっちゃう。
「あと少し頑張ってね。家のことは任せて!」
私が声を張ってニッコリ笑うと、テツヤくんはこれまた丁寧に頭を下げたのだった。
家事をこなすぐらいしか力になれないのがもどかしいけれど。どんな理由だって、テツヤくんが頑張ってる姿を見たらそれだけで私は誰よりも応援したくなる。
充分に食休みをした後、テツヤくんは日雇いのバイトへ向かって行った。
後ろ姿に手を振って見送ってから、とりあえず洗濯からはじめようと私はぐっと背伸びをした。
□ □ □
その後の翌週いっぱいもテツヤくんは相変わらず忙しく、応援したい気持ちも山々なのだがちょっと寂しい気持ちも出てきてしまったり。
土曜日の夜はせめて夕飯は一緒に食べたいなと思い、早々に夕飯の支度をして、食器などを並べて準備だけ終わらせておいた。
あとはテツヤくんが帰ってくるまでテレビでも見て待ってようかなとソファに腰かけた時、玄関の方からガチャリと音がした。
お出迎えに行くより早く、テツヤくんがリビングのドアを開けて姿を見せた。
「おかえりなさい!テツヤくんお疲れ様」
「ただいまです。…もしかして夕飯食べないで待っててくれたんですか?」
視線を私からテーブルの上に移動させ、並べている二人分の箸や食器に彼は気づいたようだ。
明日は日曜日だし寝るのか遅くなっても私は大丈夫だからと伝えると、照れくさそうに微笑んでお礼を言われた。
待っていたのはただ私が寂しかったからだし、一緒に食べたかったからだ。一緒に食べた方が食事もより美味しく感じる。
夕飯を食べながらテツヤくんとお話する時間もすごく大切で、楽しみの1つなんだ。
私が早速準備をしようと立ち上がったら「座ったままで、」と両肩に手を置かれて再びストンとソファに座った。
「…?」
小首を傾げつつもおとなしくしていると、テツヤくんは薄手のコートをハンガーにかけてからすぐに私の隣に座った。
ちょうど二人掛けのソファなので、距離がすごく近い。テツヤくんから何か話したそうな雰囲気を感じたのでで、シチューを温めなおすのは話を聞いてからでいいかな。
至近距離で向かい合えば、彼は真剣な眼差し。思わずゴクリと喉を鳴らした。
「実は今日、仕事の帰りに買いに行ってきました」
「え!ついに?おめでとう!」
目標額まで到達したんだ!と、思わず拍手をした私の両手を、テツヤくんの一回り大きな手が包んだ。
それから手を開いて、お互いの手の平を合わせてハイタッチするのかと思ったら、違った。
そのまま、テツヤくんの指が私の指にきゅっと絡んだ。恋人の手の繋ぎ方。
買いたいものが買えて思わず手を握りたくなってしまったのかと、その時の私は勘違いしていた。
…ただ、何故だか胸がほんの少しだけざわつく。
テツヤくんが目を細めて笑ったので、その笑顔にドキッとしながらも私もニコリと笑った――その刹那、
きっと、私がまばたきした瞬間の出来事。それはまるで手品みたいに。
するりと、私の左手の薬指に、キラキラと光る宝石のついた指輪がはめられていた。
―――え?
言葉を失って瞬きも忘れて呆然と指輪を凝視している私に苦笑しながら、テツヤくんは「驚きましたか?」と穏やかに尋ねた。
驚いたどころではない。今いったい何が起きているのか、想定外すぎて頭が追いついていないところだ。
この後、玄関にわざと置いて用意しておいた品を持ってきて、買いました!…みたいな、感じで珍しくテンション高いテツヤくんと共に念願のノートパソコンをお披露目するのかなと、てっきり…。
じゃあ、テツヤくんが毎日忙しく、目の下にクマを作ってまで稼いで買いたかったものっていうは…、この…、
「本当に買いに行ったものはコレだったんです。やっと、…やっと買えました」
未だ呆然としている私に真っ直ぐ見つめて、テツヤくんは話しはじめた。
宝石の光が私の目に反射して、視界に入るもの全てが煌めいて映る。テツヤくんの瞳も、明るいアクアブルーの輝きを増す。
「社会人2年目になってから指輪を買うために少しずつ貯金してたんです。あと少し頑張れば目標額に届きそうだったので、ちょっと頑張ってみました」
ふぅ、と息をつく彼の緊張が伝染してきて、私も体を強ばらせた。
話は耳に入ってきてるのに反応できなくてもどかしい。
だって、知らなかった。2年も前からだなんて。そんなに早くから、真剣に考えていてくれたなんだ。
テツヤくんは絡めていた指を一度離し、ゆっくりとした仕草で私の両手を自分の手で包み込んだ。
テツヤくんが手に汗をかいているのが分かった。やっぱり緊張しているんだ。
「ようやくあなたを幸せにする準備ができました。 琴音さん、僕と結婚して下さい」
目を見開いた視線の先にテツヤくんが居る。
途端、我慢の糸が切れたように、感情が一気にこみ上げてくる。全身も脳も心が全てを理解して、喜びを訴えかけてくる。
このシーンを、今までに思い描いてないと言えば嘘になる。
いつかそうなればと待ち望んでいたのが、今、この瞬間なんだ。
目の中にいっぱいの涙が溜まり、それはいとも簡単に零れ落ちた。
言葉よりも涙が先にぽろぽろと零れ、自分でも驚く程震えた声で「――はい」と一言、彼に告げながら頷いた。
人生で最高に嬉しいサプライズだ。私を喜ばせてくれるのはいつだってテツヤくんだ。私の幸せの在処こそ君なんだ。
「テツヤくん、すごく嬉しい…」
止めどなく流れる涙を拭うことはしなかった。
私の両手は、テツヤくんに握られたままのがいいから。泣きながらも口元だけは笑ってみせた。嬉しくてこんなに泣けてくるなんてこと、本当にあるんだ。
これまでだって、両手の指ではとても数え切れないほど、喜びを、愛しさを、テツヤくんから両手いっぱいに貰っている。
涙目で見つめたら、優しく微笑み返してくれた彼はふとこんなことを言った。
「いつか”あのとき”のお返しをしなくちゃってずっと思ってたんです」
『あのとき』というと…。
付き合ってからはじめて迎えるテツヤくんの誕生日に、私がバイトを頑張ってお金を貯めてバッシュをサプライズでプレゼントしたこと。
彼は7年も前のことなのに覚えててくれていたんだ。
その回想にキッカケに、二人で過ごしたかけがえのない思い出が頭の中に映し出されていく。
たくさん、たくさん…、出会ってから7年間の思い出。
全部が私にとって宝物で、薬指で光るダイヤモンドに負けないぐらい輝いている。
何1つ忘れたくない、テツヤくんとの思い出。
感動で胸がつまって苦しい。嬉しくて息が止まりそうだ。テツヤくんが好きで、大好きで、堪らなくなる。
「琴音さん。僕はずっとあなたの傍に居たい。そしてあなたにもずっと、僕の傍に居て欲しいです」
出会った頃と変わらないやわらかな声が私を包む。
テツヤくんが優しく笑えば、あたたかい空気で満ちて、景色がキラキラと輝きだす。好きになった時から不思議に感じていた。いったいどんな魔法を使ったんだろうって。
彼の言葉に、想いに、幸せに目が眩みそうになりながらも、私はもう一度しっかりと頷いた。
――もちろん、喜んで。
ダイヤモンドの宝石の言葉が「永遠の絆」と知り、私に渡す婚約指輪はどうしてもダイヤモンドがいいと決めていたみたい。
だから、多少自分が無理をしてでも絶対買いたかったんです、と。そのことをテツヤくんから直接聞いて私が再び嬉し泣きしてしまうのは、また後日のお話。
『ようやく幸せにする準備ができました』
「おやすみなさい」
寝室にて、囁くような彼の声が耳元に聞こえた。薄い唇が私の頬に触れる。
眠っている私の頬に優しいキスが降りてきて、テツヤくんは私の隣で眠り始めた。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきて本当に眠っているのを確信した後、私は目をパチリと開けた。
薄暗い部屋、真っ先に飛び込んできたのは見慣れた天井。ふう、とため息をついてもう一度目を閉じる。
土曜日の深夜二時。
本当は起きていたのに寝たフリをしていたこと、気づかれていないだろうか。
目を閉じている間にされたキスに、今頃になって頬が熱くなった。呼吸を整えないと隣で寝ているテツヤくんを起こしかねない。
…最近、テツヤくんは多忙を極めている。
同棲をはじめて4年目の春。お互い急がしい時期を越えてGWも過ぎた頃、少しはのんびりした期間がくるのかなと思いきや、テツヤくんの仕事は増えていた。
基本、二人の仕事は平日のみ。
彼の“保育園の先生”の仕事も土曜日出勤は偶数週だけだったのに、ここ最近は全ての土曜日も出勤していた。…いや、土曜日だけでなく日曜日もだ。
平日も帰りが遅いのに、土日まで朝早く出て夜遅く帰って来る。近頃はそんな毎日だ。
二人で過ごす時間が少なくなり、夕飯も一緒に食べる機会も減り、私が先に寝てしまうことも珍しくなくなった。
最初はテツヤくんが帰ってくるまで起きていたのだが、彼は私を「先に寝ててくださいね」とやんわりとお願いしてきたのだ。
お仕事だから仕方のないことなのだけども、…過労で倒れたりしないかとても心配だ。睡眠時間だって短いし…。
自分に何かできることないかなと考えていても、家事を頑張ることぐらいしか思いつかない。
もどかしい気持ちを抱えながら、テツヤくんの寝息を隣で聞きながら私は眠りについた。
・・・
・・・・・
・・・・・・
白いカーテン越しに差し込む太陽の光で目を覚ました時、既に隣にはテツヤくんの姿はなかった。
あんなに遅くに眠ったのにもう起きてるなんて。お仕事行っちゃったかな?と思ったら、キッチンの方から物音がしたのでまだ居てくれたことに安心した。
お見送りぐらいはちゃんとしたかったから。
寝室を出るとコーヒーのいい香りが漂ってきて、ダイニングのテーブルには朝食が用意されていた。
焼きたてのマフィンと、スクランブルエッグにベーコン。ゆでたまごが得意料理だった彼も今ではこれも得意な卵料理の1つになった。
テツヤくんが作るとふわふわしてて柔らかくて特別美味しい。…って、朝食!?
いい香りに頬が緩んでしまった私がハッと我に返ったところで、テツヤくんは笑顔で「おはようございます」とキッチンの方から顔を出した。
「おはよう。朝ごはんの用意させちゃった…テツヤくん疲れてるのにごめん!起こしてくれればよかったのに…」
情けなく両手をあわせる私に、コーヒーカップを持ちながらテツヤくんは優しい笑みを向けてきた。
その笑顔に何度も許されて、何度甘えさせてもらったことか。
もっと頼っていいし、たまには怒ってもいいのに、テツヤくんは私のマヌケな性格さえまったく気にしない様子だ。
「気持ちよさそうに寝ていたので起こしたら可哀想かと…。それに僕がたまたま早く目が覚めただけですから、気にしないで大丈夫ですよ」
…そんなに私を甘やかしてはいけないよ?、と心の中で独り言ちた。
私も椅子に座るようにと促し二人はテーブルを挟んで向かい合う。
淹れたてのコーヒーの香りが鼻をくすぐる。どれも美味しそうだなぁ。朝食を用意してもらった申し訳なさもあるものの、テツヤくん特製のスクランブルエッグを久々に食べれるのは嬉しいかも。
ふわふわの卵はチーズ入りだ。口いっぱいに頬張って幸せを感じていると、いつの間にかテツヤくんはこちらを見つめていた。
目が合うも、私がもぐもぐと口を動かしているとテツヤくんはフッと声を出して笑った。
口いっぱいにしてリスみたいですね、と言われたので、私もつられて笑ってしまう。
朝のわずかなのんびりした時間がいつも以上に大事な時間に思えた。今日もまた仕事で帰りも遅いのかなぁ。
食べ終えた頃、食器を片づけようと私が立ち上がると、「琴音さん、」と呼ばれた。
何となくテツヤくんが改まって何か言おうとしている気がしたので再び椅子に座ると、彼は話始めた。
「ここ最近忙しかったのには理由があるんです」
すると、テツヤくんはまるで隠し事を白状するように話しはじめた。
職場で事務員の仕事がパンク状態らしく、それを手伝えば臨時手当が今回だけ特別に貰えるらしいので自ら手伝いを志願したこと。
アルバイト情報誌で探したり、黄瀬くんの伝で紹介してもらったりと、色んな方法で業種問わず日雇いのバイトを回してもらっていること。
要するに、テツヤくんはお金を稼ごうとしているってことだ。
「ちゃんと話さないといけないとは思っていたんですが、遅くなってしまってすいません。保育園の仕事が増えたのは事実ですがそれも自分から望んだことですし、それ以外にも日雇いのバイトをはじめたんです。…心配させてしまいましたね」
しゅんとなって頭を下げる彼に怒るわけもないが、ただ過労で倒れたりしないかすごく心配していたのは事実だ。
日雇いのバイトもしていたから、土曜日だけでなく日曜日も仕事に行っていたのか。
怒ってますか?とおずおずと聞かれたところで、そんな顔してるテツヤくんに何も言えないよ。
むしろ、久々にゆっくりと過ごせた朝食タイムに話してくれただけでもよかったのかも。
ただ、1つ不思議な点がある。もしかして、何か――
「欲しいものでもあるの?」
「はい。どうしても買いたいものがあって」
「そこまでテツヤくんが欲しがるものって珍しいね。もしかして…」
思考を巡らせた末に浮かんできた答えに、私が「あっ!」と大きな声をだすと、テツヤくんは一瞬、ビクリと肩を震わせた。
「前に家電を見に行った時に欲しがってたノートパソコン?」
「…」
「…当たり?」
「はい、当たりです。結構値が張るので…」
「最新のだからかなり高かったよね」
テツヤくんは頷いて意気込んだのを見て、私も陰ながら応援しようと思った。
付き合っている時から知っていたが、彼には物欲がない。
高い服やブランド物にも興味はないし、バスケに関連するものだって、有名スポーツメーカーの高すぎるものは使っていなかった。
ただ、本当に稀に欲しい物が見つかった時は即買いしたり、時間をかけてでもお金を貯めて必ず買う傾向。
普段物欲がないだけに欲しい物があったときの反動がすごかった。
それは、長い間付き合っている私でも、年に一度あるかどうかのレアな事例だった。
…それでここのところ働き詰めだったわけだ。
『私もお金出すよ?』って言っても断られてしまうのは目に見えている。『貸す』と言っても断られるだろう。どこまでも律儀なのだ、テツヤくんは。
「目標額まであと少しなんです。もう予約もしてあります」
白い肌の彼は眼の下にうっすらとクマを作りながらもテツヤくんは嬉しそうに頬を緩ませていた。よほど気に入ったんだなぁ。
こんな顔見ちゃったら、ますます応援したくなっちゃう。
「あと少し頑張ってね。家のことは任せて!」
私が声を張ってニッコリ笑うと、テツヤくんはこれまた丁寧に頭を下げたのだった。
家事をこなすぐらいしか力になれないのがもどかしいけれど。どんな理由だって、テツヤくんが頑張ってる姿を見たらそれだけで私は誰よりも応援したくなる。
充分に食休みをした後、テツヤくんは日雇いのバイトへ向かって行った。
後ろ姿に手を振って見送ってから、とりあえず洗濯からはじめようと私はぐっと背伸びをした。
□ □ □
その後の翌週いっぱいもテツヤくんは相変わらず忙しく、応援したい気持ちも山々なのだがちょっと寂しい気持ちも出てきてしまったり。
土曜日の夜はせめて夕飯は一緒に食べたいなと思い、早々に夕飯の支度をして、食器などを並べて準備だけ終わらせておいた。
あとはテツヤくんが帰ってくるまでテレビでも見て待ってようかなとソファに腰かけた時、玄関の方からガチャリと音がした。
お出迎えに行くより早く、テツヤくんがリビングのドアを開けて姿を見せた。
「おかえりなさい!テツヤくんお疲れ様」
「ただいまです。…もしかして夕飯食べないで待っててくれたんですか?」
視線を私からテーブルの上に移動させ、並べている二人分の箸や食器に彼は気づいたようだ。
明日は日曜日だし寝るのか遅くなっても私は大丈夫だからと伝えると、照れくさそうに微笑んでお礼を言われた。
待っていたのはただ私が寂しかったからだし、一緒に食べたかったからだ。一緒に食べた方が食事もより美味しく感じる。
夕飯を食べながらテツヤくんとお話する時間もすごく大切で、楽しみの1つなんだ。
私が早速準備をしようと立ち上がったら「座ったままで、」と両肩に手を置かれて再びストンとソファに座った。
「…?」
小首を傾げつつもおとなしくしていると、テツヤくんは薄手のコートをハンガーにかけてからすぐに私の隣に座った。
ちょうど二人掛けのソファなので、距離がすごく近い。テツヤくんから何か話したそうな雰囲気を感じたのでで、シチューを温めなおすのは話を聞いてからでいいかな。
至近距離で向かい合えば、彼は真剣な眼差し。思わずゴクリと喉を鳴らした。
「実は今日、仕事の帰りに買いに行ってきました」
「え!ついに?おめでとう!」
目標額まで到達したんだ!と、思わず拍手をした私の両手を、テツヤくんの一回り大きな手が包んだ。
それから手を開いて、お互いの手の平を合わせてハイタッチするのかと思ったら、違った。
そのまま、テツヤくんの指が私の指にきゅっと絡んだ。恋人の手の繋ぎ方。
買いたいものが買えて思わず手を握りたくなってしまったのかと、その時の私は勘違いしていた。
…ただ、何故だか胸がほんの少しだけざわつく。
テツヤくんが目を細めて笑ったので、その笑顔にドキッとしながらも私もニコリと笑った――その刹那、
きっと、私がまばたきした瞬間の出来事。それはまるで手品みたいに。
するりと、私の左手の薬指に、キラキラと光る宝石のついた指輪がはめられていた。
―――え?
言葉を失って瞬きも忘れて呆然と指輪を凝視している私に苦笑しながら、テツヤくんは「驚きましたか?」と穏やかに尋ねた。
驚いたどころではない。今いったい何が起きているのか、想定外すぎて頭が追いついていないところだ。
この後、玄関にわざと置いて用意しておいた品を持ってきて、買いました!…みたいな、感じで珍しくテンション高いテツヤくんと共に念願のノートパソコンをお披露目するのかなと、てっきり…。
じゃあ、テツヤくんが毎日忙しく、目の下にクマを作ってまで稼いで買いたかったものっていうは…、この…、
「本当に買いに行ったものはコレだったんです。やっと、…やっと買えました」
未だ呆然としている私に真っ直ぐ見つめて、テツヤくんは話しはじめた。
宝石の光が私の目に反射して、視界に入るもの全てが煌めいて映る。テツヤくんの瞳も、明るいアクアブルーの輝きを増す。
「社会人2年目になってから指輪を買うために少しずつ貯金してたんです。あと少し頑張れば目標額に届きそうだったので、ちょっと頑張ってみました」
ふぅ、と息をつく彼の緊張が伝染してきて、私も体を強ばらせた。
話は耳に入ってきてるのに反応できなくてもどかしい。
だって、知らなかった。2年も前からだなんて。そんなに早くから、真剣に考えていてくれたなんだ。
テツヤくんは絡めていた指を一度離し、ゆっくりとした仕草で私の両手を自分の手で包み込んだ。
テツヤくんが手に汗をかいているのが分かった。やっぱり緊張しているんだ。
「ようやくあなたを幸せにする準備ができました。 琴音さん、僕と結婚して下さい」
目を見開いた視線の先にテツヤくんが居る。
途端、我慢の糸が切れたように、感情が一気にこみ上げてくる。全身も脳も心が全てを理解して、喜びを訴えかけてくる。
このシーンを、今までに思い描いてないと言えば嘘になる。
いつかそうなればと待ち望んでいたのが、今、この瞬間なんだ。
目の中にいっぱいの涙が溜まり、それはいとも簡単に零れ落ちた。
言葉よりも涙が先にぽろぽろと零れ、自分でも驚く程震えた声で「――はい」と一言、彼に告げながら頷いた。
人生で最高に嬉しいサプライズだ。私を喜ばせてくれるのはいつだってテツヤくんだ。私の幸せの在処こそ君なんだ。
「テツヤくん、すごく嬉しい…」
止めどなく流れる涙を拭うことはしなかった。
私の両手は、テツヤくんに握られたままのがいいから。泣きながらも口元だけは笑ってみせた。嬉しくてこんなに泣けてくるなんてこと、本当にあるんだ。
これまでだって、両手の指ではとても数え切れないほど、喜びを、愛しさを、テツヤくんから両手いっぱいに貰っている。
涙目で見つめたら、優しく微笑み返してくれた彼はふとこんなことを言った。
「いつか”あのとき”のお返しをしなくちゃってずっと思ってたんです」
『あのとき』というと…。
付き合ってからはじめて迎えるテツヤくんの誕生日に、私がバイトを頑張ってお金を貯めてバッシュをサプライズでプレゼントしたこと。
彼は7年も前のことなのに覚えててくれていたんだ。
その回想にキッカケに、二人で過ごしたかけがえのない思い出が頭の中に映し出されていく。
たくさん、たくさん…、出会ってから7年間の思い出。
全部が私にとって宝物で、薬指で光るダイヤモンドに負けないぐらい輝いている。
何1つ忘れたくない、テツヤくんとの思い出。
感動で胸がつまって苦しい。嬉しくて息が止まりそうだ。テツヤくんが好きで、大好きで、堪らなくなる。
「琴音さん。僕はずっとあなたの傍に居たい。そしてあなたにもずっと、僕の傍に居て欲しいです」
出会った頃と変わらないやわらかな声が私を包む。
テツヤくんが優しく笑えば、あたたかい空気で満ちて、景色がキラキラと輝きだす。好きになった時から不思議に感じていた。いったいどんな魔法を使ったんだろうって。
彼の言葉に、想いに、幸せに目が眩みそうになりながらも、私はもう一度しっかりと頷いた。
――もちろん、喜んで。
ダイヤモンドの宝石の言葉が「永遠の絆」と知り、私に渡す婚約指輪はどうしてもダイヤモンドがいいと決めていたみたい。
だから、多少自分が無理をしてでも絶対買いたかったんです、と。そのことをテツヤくんから直接聞いて私が再び嬉し泣きしてしまうのは、また後日のお話。