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►赤司25歳(職業:棋士)、夢主26歳
『毎朝、君に会いたい』
――やっと週末が来た。
早目に夕飯をあり合わせもので済ませお風呂で半身浴をした後、スキンケアもして眠る準備は万端の状態。
でもすぐには寝ない。私は休日前のこの夜の時間が大好きだ。いつ寝てもいいように用事を早く終わらせておくと、その後の時間はゆっくりと過ごせる。
テレビ前で厚手の大きなストールを羽織ながら温かいハーブティーを飲む。
狭いけれど一人暮らしには充分なワンルーム。部屋にはベッドとテレビと小さなテーブルがある。ベッドによりかかって座り私は至福のひとときを満喫していた。
マグカップに注いだ熱々の中身に息をかけながらニュースを見ていると、画面の中には見覚えのある顔が写った。
『王座戦優勝!若き棋士、王座の保持者へ』
そこには赤司くんがたくさんのインタビュアーに囲まれて映っていた。
インタビューされながらカメラのフラッシュが光って赤司くんは少し眩しそうに目を細めていた。
東京で行われたプロ将棋の8大タイトルのうちの1つ、王座戦の決勝が本日行われた。
今日はどうしても仕事を休むことが出来ず、決戦の生中継は間に合わなかったけれど、ネットに載っていた対局のダイジェスト版を見てからテレビをつけて今に至る。
こうしてテレビ越しに見ると遠くに感じてしまうなぁ。ただ、赤司くんならばこれからもいくつものタイトルに挑み続け、総嘗めする未来はそう遠くないかも知れないとさえ思える。
そんな前代未聞なことを当たり前のようにやってのけてしまうのが彼だ。昔からそうだから。
私と赤司くんが出会ったのは洛山高校。友達に誘われて入学してすぐにバスケ部のマネージャーになった私、そして1年後に入部してきた赤司くん。
部員とマネージャーの関係だった二年間、彼から色々アプローチをされていたにも関わらず肝心な告白はなかなかされなかったので、ただ気に入られていただけなのかと思っていたのだが…卒業式の日に呼び出されて告白された。意外とベタなことをするんだなという一面に、彼の意外な一面を垣間見て嬉しくなった。
もし彼から言ってくれなかったとしても、私は玉砕覚悟で自分から伝えていたと思う。
彼はどこか、近い距離にいるようで心がどこか遠くにいるような気がしたから。
好きだと言ってもらえた時、傍にいていいんだと私は安心したのと嬉しいのとで泣いてしまった事をよく覚えている。
洛山高校卒業後は、当たり前のように主席で京大に入学、主席で卒業した後、赤司くんはプロ棋士になった。
大学三年の夏まではバスケ部に所属していたのだが、部活を引退してからは棋士の道へ進むと決めて独学で勉強していた。
元々の才能あってか、着実に力をつけ、数々の大会に参加しては優勝するのも珍しいことではなくなった。
ただ、今回は8大タイトルのうちの1つ。彼もタイトルを獲ったのは初めてだった。タイトル初挑戦にしての獲得なのでこれで一気に赤司くんの名前が広まるだろう。
『――初のタイトル獲得ですが今どんなお気持ちですか?』
『自信を持って挑んだので、結果には驚いていません』
ニュースを見ればインタビューに相変わらず淡々と冷静に応じる彼。記者達から立て続けにされる質問に簡潔に答えていた。
自分事のように喜んでいるのも本当だ。けれど、テレビに映るほど有名な人になってしまったなぁと思うと寂しい気持ちが拭えない。
こんな本音を打ち明けたら子供っぽいと笑われるだろうか。
王座戦は東京で行われたので彼が帰ってくるのは明日だろう。疲れていたら会えるのは明後日かもしれない。
取材が飛び込みで入るかもしれないし、来週になってしまうかもしれないけど…がまん、がまん。
メールくらいなら入れておいてもいいよね、と自分に言い聞かせて携帯を手にした――、その時、玄関のチャイムが鳴った。
こんな遅くに誰だろう?と恐る恐るドアに近づくと、私が開ける前にその鍵は外側から開けられた。
その人物が誰かを察知するより早く、扉が開く。目に飛び込んできたのは燃えるような赤い髪色。
「やぁ、ただいま」
当たり前のようにそう挨拶した彼に私は驚きつつも、「おかえりなさい!」と反射的に返した。
先程までテレビに出て有名人になって存在が遠く感じるなぁ…なんて思っていた、赤司くん本人だった。
対局が終わったのは夕方のはずだからもう今日は戻ってこないのかと思ったのに、まさか私の家に来るなんて。
赤司くんのコートをハンガーにかけてからコーヒーを淹れてテーブルに置くと、彼は少し疲れた様子でため息をついた。
大会に取材に移動に疲れているのも無理はない。私だったら新幹線に乗ってその日中に帰ってくるなんて体力的に無理だろう。
「最終の新幹線に間に合うように取材を早めに切り上げてもらったんだ」
湯気が立つコーヒーを飲みながら私が尋ねる前に彼は教えてくれた。
ここ最近忙しかったので会うのも久しぶりだし、こうして誰かの為にコーヒーを淹れるのも久しぶりだった。
私はココアか紅茶があれば十分だけど、赤司くんはドリップコーヒーが好きだから、いつ彼が来てもいいように買い溜めしてあった。
小さなテーブル1つ挟んで向かい合っているのだが、小さめのテーブルなのでお互いの距離がすごく近い。綺麗なオッドアイが私を捉えて口元は微笑を浮かべていた。
珍しく疲れが見えるその表情に色気を感じる。疲れてる顔が色っぽいってずるいなぁ。
赤司くんは20代になっても美青年のまま。学生の頃から今も変わらず、彼は綺麗な顔立ちのまま大人になり色白の肌は滑らかできめ細かい。
「お腹は空いてない?あり合わせのものしか作れないけど何か作ろうか?」
急いで京都へ戻ってきたのなら、もしかしたら何も食べていないかもしれない。
取材も殺到してゆっくり食事どころじゃなかっただろう。ドリップコーヒーだけでなく簡単に食べれる軽食みたいなのもストックしておけばよかったなぁ。
「新幹線の中で弁当を食べてきたから大丈夫だ。あまり食べたことなかったんだが結構美味しいものだね」
「最近のお弁当は凝ってるし美味しいよね」
ふふ、と笑って私が付け足すように言うと、彼も柔らかく微笑んだ。
彼はなるべく手作りで薄味のものを好む。お弁当となると、塩味を強いものが多いので食べてる途中で飽きてしまうこともしばしばでほとんど買わないそうだ。
しかし最近の駅弁は進化しているので、彼の口に合うものが合ったみたいだ。私があり合わせのもので作るごはんよりは東京駅で売っているお弁当の方がはるかに美味しいと思うので、食べてきてくれてよかった、かな…?
「…、そうだ」
ハッ、として赤司くんは視線を私から自分の鞄へ移し、そこから何かを取り出した。
急いで選んだから好みの味でなかったら申し訳ないけれど、と言って渡してきたのはお土産だった。
すごく疲れているはずなのに…お土産なんてよかったのに。昔からそうだけど、こういう彼の気遣いに私はいちいち感動してしまう。
予選やトーナメントや取材で、都内や地方を行ったり来たり、そして大きなタイトルを獲得…、赤司くん本当にお疲れ様。労いたい気持ちで一杯だ。
ここ最近は、王座戦に向けて集中したいかなと思いあえて私から連絡はとらなかった。
メールと電話を少しだけ。会いたいと願えば彼の重荷になってしまうからと思って我慢した。
長年付き合ってるカップルにありがちな倦怠期というのは、ありがたいことに私達の間にはなかった。
忙しくて会えない日が続けば「会いたい」と願い想いが募る。やっと会えたときには心から「嬉しい」と感じる。
今日だって、疲れてて休みたいはずなのに最終に飛び乗ってまで京都に戻って来て、真っ直ぐに私に会いに来てくれた。
私はこの上ないぐらい大事にされていると思う。もしかしたら赤司くん以外の人とお付き合いしていたのなら倦怠期もあっただろう。
ただ、赤司くんに対して私がマンネリのように感じることは何1つなかった。逆に、私がいつ飽きられてしまうか心配なぐらいだ。
変わった事と言えば、私がおばさんになってしまったことぐらい。
お土産の箱を見つめて改めて大事にされていることを実感していたら、胸の奥が熱くなった。
「琴音」
凛とした声が私の耳元で囁かれ、心臓が高鳴る。
先程までテーブルを挟んで向かい合わせで座っていたはずの赤司くんが隣に来ていたから。音もなくいつの間に。
私が返事をするより早く頬にキスをされ、顔がさらに熱くなった。そういえばちゃんとまだ伝えてなかったなと思い、私もお返しに頬にキスをしたら赤司くんが少し驚いていた。
「…初のタイトル獲得おめでとう。やっぱり赤司くんてすごいね。有名人になっても私を置いて行かないでね」
正面にいる彼の肩に額をくっつけて私が呟くように言うと、私より一回り大きい手が優しく髪を撫でた。
そんなことを考えていたのか、と赤司くんは苦笑したけれど、私にとっては大事なことだ。
平々凡々で秀でている特技もなく、ごく普通に生きてきたこんな私のどこに魅力を感じて赤司くんが告白してくれたのか。
あの卒業式以来、私の頭の中では迷宮入りしている。
有名人になって雑誌に出たり時にはテレビに出たりして、芸能人とも知り合う機会が増えたりなんかしたら…、誰かに盗られちゃうのかな。私はさらに不安に駆られ自信喪失しそうだ。
本当はずっと私に執着してくれればいいのにと思う。
こんなに独占欲が強くなってしまうのは、赤司くんが歳を重ねる毎に魅力的になっていくからだ。きっとそうだ。
「少しゆっくりしたら帰るつもりだったんだが…、今日は泊まっていくことにするよ」
穏やかな柔らかい声を聞いた途端に体の中の熱がさらに増して、意識がぼうっとなる。
髪を撫でていた彼の手が私の背中に回ってきた。肩にくっつけていた額を離して赤司くんを見るとその唇は薄く笑む形を作っていた。
私がゆっくりと頷くのを確認してから、彼の唇が近づいた。それと同時に目を閉じれば、微かにコーヒーの香りがした。
□ □ □
窓から細く差し込む朝陽と小鳥の声で私は自然と目を覚ますと、まだ午前7時。
普段の休日はゆっくり寝ているのでまずこんな時間に起きることはない。昨夜は眠るのが遅かったので、この時間でも目を覚ましそうな赤司くんも静かな寝息をたてて隣で眠っていた。
出来るだけ起こさないように静かにベッドから出て、軽くシャワーを浴びて部屋着に着替えてから私は朝食の支度をはじめた。
昨日は特に何も作ってあげられなかったから、せめて朝食ぐらいはちゃんとしたものを作らなくちゃ。
赤司くんの好物を日々練習していたけれどなかなか食べてもらえるチャンスがなかったから、そのチャンスが到来したので何だか嬉しい。
トントントン、とネギをまな板の上で刻む音も自然とリズミカルになる。
今日の朝食は、練習がてらにつけておいた鯖の西京漬け、揚げ出し豆腐とふのりとネギの味噌汁。
西京漬けはちゃんと薄味に調整してある。気に入ってもらえるといいんだけど。
楽しい気分で朝食の支度をしていたら効率よく出来た。
思っていたより早く完成したので、私は最後に味噌汁の味の調整をしてからベッドで眠っている赤司くんに足音を立てずに近づいた。
長い睫に白い肌。美しい顔立ちはまるで外国の人形のよう。
毎回、赤司くんは私に大切に触れてくれる。
何度そんな夜を過ごしても翌日には昨夜のことは夢なんじゃないかと思ってしまう。
しばらく見つめていても一向に起きる様子がないのでよほど疲れているんだろなぁ。
しかし…眠っている人を見ると悪戯心が駆り立てられるのは何故だろう。
ベッドの脇に座って見つめているだけだった私は慎重に身を乗り出して、その頬にキスをしようと――触れるか触れないかギリギリのところで、止めた。
これで起こしちゃったら可哀想だから。ふう、と息をついたら鋭い視線を感じたので、赤司くんを見ると両眼がバッチリと開いていた。
驚いて思わず私は肩はビクッと震わせた。
「…君は昔から僕が寝ていると悪戯しようとするんだな」
「ご、ごめん…」
本気で咎められてるわけでないと分かりつつもつい口癖のように謝ってしまう私に、赤司くんは首を横に振った。
謝らなくていい、という意味だろう。
「恋人のキスで目覚めるほど幸せな朝はないよ。僕は、毎朝一番に君に会いたい。こうして君に起こされる朝を誰よりも望んでる」
朝食のいい香りが、部屋とキッチンを隔てるドアの隙間から漂ってくる。
そんな空間で赤司くんが私に向けた言葉が心の奥に届いて来た。その言葉の意味はどういうことなのか。
それとも意味なんてないのか。考えすぎてはダメだ、と頭の中でわかっていても私の顔はみるみると紅潮していき、視界が涙でぼやけた。
あとほんの少し、彼が何かを追い打ちのように告げたならこの涙は零れてしまうだろう。
どのぐらい沈黙していたのか分からない。すごく長く感じたけれど実際は1分ぐらい、だと思う。
「あ、赤司くん…」
「苗字を同じにしてしまえば、もう『赤司くん』とは呼べないな。何度も名前で呼んで欲しいと言ったはずだが、とうとう君のその癖は抜けなかったようだね」
固まったように動けない私に彼の方から半身を起こして身を乗り出してきた。
エスコートするように私の左手を取ると、ベッドの上にいる彼からキスが降りてくる。
頬でなく、唇でなく、私の左手の薬指に、柔らかな唇が触れた。
瞬時その意味を悟ると同時に私の目からは涙が零れた。
熱をもった涙の粒が頬を濡らしていくと、彼の指は涙の粒を掬うように頬に添えられた。
「8大タイトルのうち、手始めに1つでも獲れたら伝えようと思っていた。琴音…、君を幸せにするのは僕しかいない。僕の命令は絶対だ」
あまりにも優しく微笑みながら告げられた言葉は、人生至上、最高に嬉しい“命令”だった。YES以外の選択肢がない。
待ち望んでいたプロポーズの言葉は彼らしく、私はフフッと笑ってしまった。
嬉し涙はまだ止まりそうにない。
学生時代から今まで、赤司くんと過ごした思い出が一気に脳裏に過ぎった。
体中が幸せで満ちていく。いつもいつも、赤司くんは誰よりも私を大切に思ってくれてたんだ。
――幸せにしてね。
私も、征十郎くんを幸せにするから。
『毎朝、君に会いたい』
――やっと週末が来た。
早目に夕飯をあり合わせもので済ませお風呂で半身浴をした後、スキンケアもして眠る準備は万端の状態。
でもすぐには寝ない。私は休日前のこの夜の時間が大好きだ。いつ寝てもいいように用事を早く終わらせておくと、その後の時間はゆっくりと過ごせる。
テレビ前で厚手の大きなストールを羽織ながら温かいハーブティーを飲む。
狭いけれど一人暮らしには充分なワンルーム。部屋にはベッドとテレビと小さなテーブルがある。ベッドによりかかって座り私は至福のひとときを満喫していた。
マグカップに注いだ熱々の中身に息をかけながらニュースを見ていると、画面の中には見覚えのある顔が写った。
『王座戦優勝!若き棋士、王座の保持者へ』
そこには赤司くんがたくさんのインタビュアーに囲まれて映っていた。
インタビューされながらカメラのフラッシュが光って赤司くんは少し眩しそうに目を細めていた。
東京で行われたプロ将棋の8大タイトルのうちの1つ、王座戦の決勝が本日行われた。
今日はどうしても仕事を休むことが出来ず、決戦の生中継は間に合わなかったけれど、ネットに載っていた対局のダイジェスト版を見てからテレビをつけて今に至る。
こうしてテレビ越しに見ると遠くに感じてしまうなぁ。ただ、赤司くんならばこれからもいくつものタイトルに挑み続け、総嘗めする未来はそう遠くないかも知れないとさえ思える。
そんな前代未聞なことを当たり前のようにやってのけてしまうのが彼だ。昔からそうだから。
私と赤司くんが出会ったのは洛山高校。友達に誘われて入学してすぐにバスケ部のマネージャーになった私、そして1年後に入部してきた赤司くん。
部員とマネージャーの関係だった二年間、彼から色々アプローチをされていたにも関わらず肝心な告白はなかなかされなかったので、ただ気に入られていただけなのかと思っていたのだが…卒業式の日に呼び出されて告白された。意外とベタなことをするんだなという一面に、彼の意外な一面を垣間見て嬉しくなった。
もし彼から言ってくれなかったとしても、私は玉砕覚悟で自分から伝えていたと思う。
彼はどこか、近い距離にいるようで心がどこか遠くにいるような気がしたから。
好きだと言ってもらえた時、傍にいていいんだと私は安心したのと嬉しいのとで泣いてしまった事をよく覚えている。
洛山高校卒業後は、当たり前のように主席で京大に入学、主席で卒業した後、赤司くんはプロ棋士になった。
大学三年の夏まではバスケ部に所属していたのだが、部活を引退してからは棋士の道へ進むと決めて独学で勉強していた。
元々の才能あってか、着実に力をつけ、数々の大会に参加しては優勝するのも珍しいことではなくなった。
ただ、今回は8大タイトルのうちの1つ。彼もタイトルを獲ったのは初めてだった。タイトル初挑戦にしての獲得なのでこれで一気に赤司くんの名前が広まるだろう。
『――初のタイトル獲得ですが今どんなお気持ちですか?』
『自信を持って挑んだので、結果には驚いていません』
ニュースを見ればインタビューに相変わらず淡々と冷静に応じる彼。記者達から立て続けにされる質問に簡潔に答えていた。
自分事のように喜んでいるのも本当だ。けれど、テレビに映るほど有名な人になってしまったなぁと思うと寂しい気持ちが拭えない。
こんな本音を打ち明けたら子供っぽいと笑われるだろうか。
王座戦は東京で行われたので彼が帰ってくるのは明日だろう。疲れていたら会えるのは明後日かもしれない。
取材が飛び込みで入るかもしれないし、来週になってしまうかもしれないけど…がまん、がまん。
メールくらいなら入れておいてもいいよね、と自分に言い聞かせて携帯を手にした――、その時、玄関のチャイムが鳴った。
こんな遅くに誰だろう?と恐る恐るドアに近づくと、私が開ける前にその鍵は外側から開けられた。
その人物が誰かを察知するより早く、扉が開く。目に飛び込んできたのは燃えるような赤い髪色。
「やぁ、ただいま」
当たり前のようにそう挨拶した彼に私は驚きつつも、「おかえりなさい!」と反射的に返した。
先程までテレビに出て有名人になって存在が遠く感じるなぁ…なんて思っていた、赤司くん本人だった。
対局が終わったのは夕方のはずだからもう今日は戻ってこないのかと思ったのに、まさか私の家に来るなんて。
赤司くんのコートをハンガーにかけてからコーヒーを淹れてテーブルに置くと、彼は少し疲れた様子でため息をついた。
大会に取材に移動に疲れているのも無理はない。私だったら新幹線に乗ってその日中に帰ってくるなんて体力的に無理だろう。
「最終の新幹線に間に合うように取材を早めに切り上げてもらったんだ」
湯気が立つコーヒーを飲みながら私が尋ねる前に彼は教えてくれた。
ここ最近忙しかったので会うのも久しぶりだし、こうして誰かの為にコーヒーを淹れるのも久しぶりだった。
私はココアか紅茶があれば十分だけど、赤司くんはドリップコーヒーが好きだから、いつ彼が来てもいいように買い溜めしてあった。
小さなテーブル1つ挟んで向かい合っているのだが、小さめのテーブルなのでお互いの距離がすごく近い。綺麗なオッドアイが私を捉えて口元は微笑を浮かべていた。
珍しく疲れが見えるその表情に色気を感じる。疲れてる顔が色っぽいってずるいなぁ。
赤司くんは20代になっても美青年のまま。学生の頃から今も変わらず、彼は綺麗な顔立ちのまま大人になり色白の肌は滑らかできめ細かい。
「お腹は空いてない?あり合わせのものしか作れないけど何か作ろうか?」
急いで京都へ戻ってきたのなら、もしかしたら何も食べていないかもしれない。
取材も殺到してゆっくり食事どころじゃなかっただろう。ドリップコーヒーだけでなく簡単に食べれる軽食みたいなのもストックしておけばよかったなぁ。
「新幹線の中で弁当を食べてきたから大丈夫だ。あまり食べたことなかったんだが結構美味しいものだね」
「最近のお弁当は凝ってるし美味しいよね」
ふふ、と笑って私が付け足すように言うと、彼も柔らかく微笑んだ。
彼はなるべく手作りで薄味のものを好む。お弁当となると、塩味を強いものが多いので食べてる途中で飽きてしまうこともしばしばでほとんど買わないそうだ。
しかし最近の駅弁は進化しているので、彼の口に合うものが合ったみたいだ。私があり合わせのもので作るごはんよりは東京駅で売っているお弁当の方がはるかに美味しいと思うので、食べてきてくれてよかった、かな…?
「…、そうだ」
ハッ、として赤司くんは視線を私から自分の鞄へ移し、そこから何かを取り出した。
急いで選んだから好みの味でなかったら申し訳ないけれど、と言って渡してきたのはお土産だった。
すごく疲れているはずなのに…お土産なんてよかったのに。昔からそうだけど、こういう彼の気遣いに私はいちいち感動してしまう。
予選やトーナメントや取材で、都内や地方を行ったり来たり、そして大きなタイトルを獲得…、赤司くん本当にお疲れ様。労いたい気持ちで一杯だ。
ここ最近は、王座戦に向けて集中したいかなと思いあえて私から連絡はとらなかった。
メールと電話を少しだけ。会いたいと願えば彼の重荷になってしまうからと思って我慢した。
長年付き合ってるカップルにありがちな倦怠期というのは、ありがたいことに私達の間にはなかった。
忙しくて会えない日が続けば「会いたい」と願い想いが募る。やっと会えたときには心から「嬉しい」と感じる。
今日だって、疲れてて休みたいはずなのに最終に飛び乗ってまで京都に戻って来て、真っ直ぐに私に会いに来てくれた。
私はこの上ないぐらい大事にされていると思う。もしかしたら赤司くん以外の人とお付き合いしていたのなら倦怠期もあっただろう。
ただ、赤司くんに対して私がマンネリのように感じることは何1つなかった。逆に、私がいつ飽きられてしまうか心配なぐらいだ。
変わった事と言えば、私がおばさんになってしまったことぐらい。
お土産の箱を見つめて改めて大事にされていることを実感していたら、胸の奥が熱くなった。
「琴音」
凛とした声が私の耳元で囁かれ、心臓が高鳴る。
先程までテーブルを挟んで向かい合わせで座っていたはずの赤司くんが隣に来ていたから。音もなくいつの間に。
私が返事をするより早く頬にキスをされ、顔がさらに熱くなった。そういえばちゃんとまだ伝えてなかったなと思い、私もお返しに頬にキスをしたら赤司くんが少し驚いていた。
「…初のタイトル獲得おめでとう。やっぱり赤司くんてすごいね。有名人になっても私を置いて行かないでね」
正面にいる彼の肩に額をくっつけて私が呟くように言うと、私より一回り大きい手が優しく髪を撫でた。
そんなことを考えていたのか、と赤司くんは苦笑したけれど、私にとっては大事なことだ。
平々凡々で秀でている特技もなく、ごく普通に生きてきたこんな私のどこに魅力を感じて赤司くんが告白してくれたのか。
あの卒業式以来、私の頭の中では迷宮入りしている。
有名人になって雑誌に出たり時にはテレビに出たりして、芸能人とも知り合う機会が増えたりなんかしたら…、誰かに盗られちゃうのかな。私はさらに不安に駆られ自信喪失しそうだ。
本当はずっと私に執着してくれればいいのにと思う。
こんなに独占欲が強くなってしまうのは、赤司くんが歳を重ねる毎に魅力的になっていくからだ。きっとそうだ。
「少しゆっくりしたら帰るつもりだったんだが…、今日は泊まっていくことにするよ」
穏やかな柔らかい声を聞いた途端に体の中の熱がさらに増して、意識がぼうっとなる。
髪を撫でていた彼の手が私の背中に回ってきた。肩にくっつけていた額を離して赤司くんを見るとその唇は薄く笑む形を作っていた。
私がゆっくりと頷くのを確認してから、彼の唇が近づいた。それと同時に目を閉じれば、微かにコーヒーの香りがした。
□ □ □
窓から細く差し込む朝陽と小鳥の声で私は自然と目を覚ますと、まだ午前7時。
普段の休日はゆっくり寝ているのでまずこんな時間に起きることはない。昨夜は眠るのが遅かったので、この時間でも目を覚ましそうな赤司くんも静かな寝息をたてて隣で眠っていた。
出来るだけ起こさないように静かにベッドから出て、軽くシャワーを浴びて部屋着に着替えてから私は朝食の支度をはじめた。
昨日は特に何も作ってあげられなかったから、せめて朝食ぐらいはちゃんとしたものを作らなくちゃ。
赤司くんの好物を日々練習していたけれどなかなか食べてもらえるチャンスがなかったから、そのチャンスが到来したので何だか嬉しい。
トントントン、とネギをまな板の上で刻む音も自然とリズミカルになる。
今日の朝食は、練習がてらにつけておいた鯖の西京漬け、揚げ出し豆腐とふのりとネギの味噌汁。
西京漬けはちゃんと薄味に調整してある。気に入ってもらえるといいんだけど。
楽しい気分で朝食の支度をしていたら効率よく出来た。
思っていたより早く完成したので、私は最後に味噌汁の味の調整をしてからベッドで眠っている赤司くんに足音を立てずに近づいた。
長い睫に白い肌。美しい顔立ちはまるで外国の人形のよう。
毎回、赤司くんは私に大切に触れてくれる。
何度そんな夜を過ごしても翌日には昨夜のことは夢なんじゃないかと思ってしまう。
しばらく見つめていても一向に起きる様子がないのでよほど疲れているんだろなぁ。
しかし…眠っている人を見ると悪戯心が駆り立てられるのは何故だろう。
ベッドの脇に座って見つめているだけだった私は慎重に身を乗り出して、その頬にキスをしようと――触れるか触れないかギリギリのところで、止めた。
これで起こしちゃったら可哀想だから。ふう、と息をついたら鋭い視線を感じたので、赤司くんを見ると両眼がバッチリと開いていた。
驚いて思わず私は肩はビクッと震わせた。
「…君は昔から僕が寝ていると悪戯しようとするんだな」
「ご、ごめん…」
本気で咎められてるわけでないと分かりつつもつい口癖のように謝ってしまう私に、赤司くんは首を横に振った。
謝らなくていい、という意味だろう。
「恋人のキスで目覚めるほど幸せな朝はないよ。僕は、毎朝一番に君に会いたい。こうして君に起こされる朝を誰よりも望んでる」
朝食のいい香りが、部屋とキッチンを隔てるドアの隙間から漂ってくる。
そんな空間で赤司くんが私に向けた言葉が心の奥に届いて来た。その言葉の意味はどういうことなのか。
それとも意味なんてないのか。考えすぎてはダメだ、と頭の中でわかっていても私の顔はみるみると紅潮していき、視界が涙でぼやけた。
あとほんの少し、彼が何かを追い打ちのように告げたならこの涙は零れてしまうだろう。
どのぐらい沈黙していたのか分からない。すごく長く感じたけれど実際は1分ぐらい、だと思う。
「あ、赤司くん…」
「苗字を同じにしてしまえば、もう『赤司くん』とは呼べないな。何度も名前で呼んで欲しいと言ったはずだが、とうとう君のその癖は抜けなかったようだね」
固まったように動けない私に彼の方から半身を起こして身を乗り出してきた。
エスコートするように私の左手を取ると、ベッドの上にいる彼からキスが降りてくる。
頬でなく、唇でなく、私の左手の薬指に、柔らかな唇が触れた。
瞬時その意味を悟ると同時に私の目からは涙が零れた。
熱をもった涙の粒が頬を濡らしていくと、彼の指は涙の粒を掬うように頬に添えられた。
「8大タイトルのうち、手始めに1つでも獲れたら伝えようと思っていた。琴音…、君を幸せにするのは僕しかいない。僕の命令は絶対だ」
あまりにも優しく微笑みながら告げられた言葉は、人生至上、最高に嬉しい“命令”だった。YES以外の選択肢がない。
待ち望んでいたプロポーズの言葉は彼らしく、私はフフッと笑ってしまった。
嬉し涙はまだ止まりそうにない。
学生時代から今まで、赤司くんと過ごした思い出が一気に脳裏に過ぎった。
体中が幸せで満ちていく。いつもいつも、赤司くんは誰よりも私を大切に思ってくれてたんだ。
――幸せにしてね。
私も、征十郎くんを幸せにするから。