短編・中編
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嘘つきオオカミ
-5- ※荒北視点
念のためと言いつつ教え合ったメールアドレス。
連絡帳に追加された『汐見』という文字の並び。
先程からかけようかかけまいかと10分ほど迷って部屋をうろうろしていた指先がついに発信ボタンを押した。
つい、数時間前に駅まで送り届けたばかりの人物にわざわざ電話をするなんてらしくもねェ行動に戸惑ってはいるが。
数回のコール音の後に、聞き慣れた声。夜の10時前だしさすがに起きてたか。女子に電話をかける事自体も、汐見に電話をかけるのも初めてで、妙に体が強張っちまう。
「あのよォ、アレだ。明日ヒマ?」
……もうちっと他にいい聞き方なかったァ?
我ながら不器用っぷりに心の中で失笑した。
しかも、ンなこと帰り道に聞けよって程度の事で。聞こう聞こうと思ってたが部活の話ばっかしてて、気がついたら駅に着いちまってタイミングを逃したんだ。つまんねー言い訳だがよ。
「うん、空いてるよ。荒北くんにはいつもお世話になってますから、いつでも空けておくよ!」
“帰り道に聞いてくれればよかったのに”、なんて文句ひとつ言わず汐見は明るい声で満点の返しをしてくれた。特に世話してるっていう自覚もあんまねェけど。
五月の連休初日だしもう各々予定があるとは思ってたから、誘ったのはダメもとだったが運がいい。その日、二人で繁華街まで出かける約束をした。
目的は妹たちに頼まれた土産を買う事。どうやら箱根限定のキャラクターグッズがあるらしく、それを土産にして帰って来ないと承知しないと妹二人に脅された。帰ったところで鍵をかけられ締め出されかねない。女だからと侮っちゃいかん事を俺は知ってる。本気でやるような妹たちだ。ただ、そのキャラクターものがある店は恐らく男一人ではだいぶ入りづらい。
そこで、汐見の協力が必要なわけだ。あらかじめ協力を兼ねてって事を伝えると、声を立てて笑っていた。“優しいお兄ちゃんだね”って。いや、脅されて仕方なくって流れも説明したんだけどォ、聞いてた?
毎日の鬼のような練習があるチャリ部もGWは休みだ。監督も休みをとってるし、寮住まいの奴らもだいたい実家に帰るのが定番の過ごし方。俺も今年は内二日間だけは実家に帰ることにした。
去年は長期休みでも帰省せず練習三昧してたら、同じ年の年末に帰ったときに散々文句を言われたからな。たまには顔を見せなさいって…、俺ァ部活優先なんだから仕方ねんだ。
親からは、夏は帰れないんだったらせめてGWと年末は帰って来いと忠告された。でないと仕送りを止めるとまで言われた。そりゃ困る。仕送りが止められたらチャリの備品も買えネェ。
「じゃあ、11時に駅の時計台の前でね。おやすみなさい」
「おう、オヤスミィ」
電話を切って俺は長い息を吐いた。かけようかと迷っていたわりには、話してしまえばいつものようにちゃんと話せる。だが、やはり休日に女子を誘うのは緊張していたようでドッと気疲れした。
我が儘で横暴で実家にいるときは口喧嘩が絶えなかった妹らだったが、無茶な土産のオーダーをしてくれたおかげで汐見を誘う口実が出来たわけだ。不本意だがそこは感謝しておくことにする。
女子を誘って二人きりで出かけるなんてガキの頃以来だ。小学校の頃、駄菓子屋に行ったとかそんなレベルの。
あいつとその店に行ってキャラクターグッズを買った後はどうする?メシか?買い物ならすぐ終わっちまうし……。
こんな時、誰に相談したらいいかも分からず、アドバイスをもらえそうな新開や東堂が思いついたが100%からかわれそうなのでやめておいた。福ちゃんは、俺が言うのも何だがそーゆーのは頓着なさそうっつーか。どうだろな。
結局、人からアドバイスされんのが苦手な俺は誰にも電話したりしなかった。
携帯で明日の店を調べてから、ベッドに横になる。寝返りを打って、また打って…寝付けない。馬鹿馬鹿しい。チューボーか。ニセ彼氏のくせにデートみたいなことすんのか、明日。
電話ひとつで緊張ちまったし、明日のことを考えてもそわそわと落ち着かないのは、俺が単に女に慣れてないだけだと思いたい。
目を閉じて4月からの事を思い返しながら眠ろうとしたら、余計に眠れなくなった。
咄嗟に声に出た嘘からからはじまった俺たちの関係。汐見との距離。困っていたとはいえ、何て迷惑な嘘をつくんだと怒られても仕方ないような嘘だった。
なのに、汐見は怒らないどころか律儀に感謝ばかりしてくる。嫌われたり疎まれることはあっても、こんなに人から感謝されんのは生まれて初めてだった。
□ □ □
結局、たいしてよく眠れないままやって来た翌日。携帯のアラームで目覚め、いつもの起きる時間よりは遅い。眠りが浅いせいで寝起きがシャキッとしなかった。
ロードで学校周辺コースを走ってから寮に戻り、シャワーを浴びてから俺は待ち合わせに間に合うように駅に向かった。
部活がない日もロードに毎日乗らないと気が済まなくなってきてる程、練習癖が染みついちまってる。ロードに出会ったあの日から毎日欠かさず練習してきてるからだ。あの頃は、ここまで夢中になるとは思ってもなかった。
汐見の性格からして時間にはキッチリ来るタイプだろうと、俺も10分前に待ち合わせ場所に到着……する少し手前で、あいつは既に到着していることに気が付いた。妙にそわそわした様子だ。鞄から小さな鏡を出して前髪を整える仕草。同時に、俺の胸にグッと何かがつっかかる。男がそれやってもナルシストかと反感買うだけの仕草も、女がやりゃ可愛く見えちまうんだから。
鏡を仕舞ったタイミングで近づいて声をかけると、汐見は「おはよう!」と、元気よく挨拶した。
「お店もう開いてるよね。じゃあ行こっか」
実は行ったことあるお店なんだ、と、俺を誘導するように先に歩き始める汐見の後を追う。本人が気づいてないのを良いことに歩く度に揺れるスカートに思わず視線が移動した。今日の私服は水色のカーディガンに白いワンピース。制服やジャージ姿は何度も見ているが私服は初めてだった。部活中はいつもひとつに束ねている髪も今日は下ろして、雰囲気がグッと大人っぽい。こーゆー制服の時と私服の時の印象が変わるのも、女子の特典だな。正直スゲーイイ。
駅からちょっと歩いた場所にあるショップは、案の定男一人ではとても入れるような雰囲気じゃなかった。男が居てもだいたいカップルか親子だ。入る手前で俺が店内の様子に怖じ気づいてたら、汐見は俺の手を引いて店に入った。あったかくて柔らかい一回り小さい手が俺の指先をギュッと握り、心臓が跳ねる。
「ササッと買って出れば大丈夫だよ」
「そ、……だな」
体温が上昇しちまう。どうにか堪えろと自分の体に命令したい。
混雑した店内で繋いだ手はそのままで、目的のものを見つけてからレジ前で離して自分の手の平を見てみた。そこから熱がじんわりと放出してる感じで、照れくさい。
妹らから頼まれたキャラクターグッズはすぐ見つかった。店内はだいぶ広くカラフルなもんが沢山並んでるし、俺にはどれも同じに見えちまってたが、妹から届いていた参考画像の写メを汐見に見せたらすぐにどの辺りに並んでいる商品か分かったようだ。おかげで無事買えたし、これで堂々と帰省できる。
会計を済ませて店を出た後は、もうさっきみたいに手を繋いできたりはしなかった。当たり前か。さっきは店に入りずらそうにしていた俺を引っ張りたかっただけだからな。
何となく来た道を戻りながら、二人で並んで歩く。
連休初日で繁華街も賑わっていた。ザワついた人混みは苦手だが、晴れてる日に出かけるってのも、たまにはいいもんだ。
「おかげで妹たちにも怒られずに済むわ」
「お役に立てたみたいでよかったよ」
「……付き合いついでにこの後、なんだけどさァ」
図々しいとは思ったが、用事があった自転車専門店にもついてきてもらった。買い足そうと思ってた備品やらを物色しつつ、退屈してないか汐見を横目で見れば、新品のロードバイクを目を輝かせて見ていた。そして、ビアンキの前で立ち止まって目を見開いて俺の方に顔を向けた。指さした先には値段表記。俺も初めて見たその値段に思わず「ウォ!」と声を上げる。
「荒北くんの乗ってるやつってこんな高いんだね!今並んでるロードを見てた中で一番高いよ?」
「や、アレ、福ちゃんから貰ったヤツなんだけど……こんっなすんのか!?」
ビアンキ。カラーはチェレステ。店に置いてある新品のそれはボディもピカピカつやつやしていた。福ちゃんから貰ったビアンキはだいぶカスタマイズもしてあったのできっとこれ以上の値段がかかっているはずだろう。悪ィからちゃんと払うっつっても強情に、「それはもうお前の自転車だ」と聞き入れてくれなかったもんだから、たいした値段じゃネェのかと……思ってたし、運び屋としての働きっぷりで返してやるとか思ってたが、軽々ともらっていい額じゃなかった。
「結婚指輪みたいな金額だね」
「気色悪ィ事言うんじゃネェって!」
口に手を当てて肩を震わせながら笑う汐見は、おそらく妙な想像をしてるに違いない。値段を見ちまったところで、福ちゃんは金を受け取らないだろう。そーゆーヤツだ。
・・・
・・・・・
・・・・・・
買い物を終え正午を回ったところで、今日の礼にメシでも奢ろうと汐見をファミレスに連れて来た。ここなら和食も洋食も何でもあるから無難だろ。汐見は俺に奢られる事を遠慮していたが、わざわざ休日を使って出てきてもらってんだから、そこは奢らせろと押し通した。たくさんあるメニューの中で、色々迷った末、俺と同じのを頼んでいた。食の趣味、似てんのかな。
たまたま案内された席が通りに面した窓際の席で、万が一うちの学校の奴らや部活の奴らに見られたら面倒だなと心配になったが、そりゃいらん心配だった。今は付き合ってることになってるし。周りの奴らには俺は汐見の彼氏だってことになってるからな。
美味しそうにゆっくり頬張る顔がリスっぽい。不思議と和む。
けど、芯が強い女だってことは知ってる。努力家で弱音は吐かない。そんないいところを福ちゃんも認めてるからこそ、今でもいい関係の幼馴染なんだって納得した。
食後に俺はベプシ、汐見はアイスティーを飲みつつ、さっきのビアンキの話になった。
「一年の時に出た真鶴周回レースの時に貰ってよォ。『部室の借り物フレームじゃゴール前の瀬戸際で差が出てくる』って言われて、それからだ。俺はずっとソレに乗ってんだ」
もう二年も前になる話を頭の中で思い返していた。福ちゃんが俺に『全ての力を使って進もうとしなきゃ、自転車は速くならない』って教えてくれた事。アイツにゃ感謝してもしきれねぇぐらいの恩があるが、口に出した事は一度もない。その代わりに俺に出来んのは、全力の走りで福ちゃんを運び続ける事だけだ。
「真鶴のレース見てたよ。“突如現れた新星、荒北靖友”くんが優勝したレース」
汐見は瞬きを数回した後に俯いて、ぽつりと呟いた。はじめてこいつの口から俺の名前が呼ばれた事に、胸がドキッとした。
でも、そのレースで俺がはじめて優勝したことを何で知ってる?
驚いて彼女を見れば、口元を緩ませて顔を上げ、それから紅茶を飲んでから俺の方をジッと見つめた。テーブルに置いたカップの中の氷が、くるくると揺れている。
「あのレース、寿一くんが出るって聞いて見に行ってたの。だから荒北くんのゴールも見てたよ。ゴール瞬間のアナウンスが印象的でよく覚えてる。入部して荒北くんを見たときに、すぐにあのレースで優勝した人だって本当は気が付いてたんだ」
何となく言うタイミングを逃して今まで言えなかったんだけどって、汐見は照れくさそうにはにかんだ。
照れが伝染する。顔に昇る熱を誤魔化すように俺は窓際の方に顔を向けて舌打ちをした。
「覚えてんなよ、んなコト」
見ていてくれてる奴がいたなんて。素直に礼が口から出てこない自分が嫌になる。汐見はそんな言葉欲しくて話したわけじゃないだろうけど。
「だってすごかったから」
「…あっそ」
「ほんとにすごかった」
「さっきからすごかったしか言ってネェけどォ!?」
「だってホントにすごくカッコよかったから!」
汐見は両手をぐっと握って前のめりになり、真っ直ぐな瞳を向けて誉めてくるもんだから、こそばゆくなっちまう。
もう誉めんなって。勘弁してくれ。初優勝だって俺の力じゃねんだよありゃ。ギリギリのところまで福ちゃんが俺をアシストしてくれたからなんだ。
溜息混じりに俺は頬杖をついた。目前に、氷が溶けてだいぶ薄まり、炭酸が抜けたベプシが残っているが、飲む気が起きなかった。
「ありゃ全部福ちゃんのおかげだ。俺一人じゃ無理だった。初心者をレースに出させてよォ、ついてこいだなんて無理なオーダー出しやがってあの鉄仮面。けど、俺ァ救われてんだ。」
淡々と告げる言葉に嘘はなかった。俺が認めてんのは福ちゃんだけだ。あの日、あの瞬間から。
この事を誰かに話したのは初めてだったし、特別話すつもりもなかったはずなのに、自然と語り出してた。
昔から福ちゃんを知ってるこいつの前だから、気が緩んだんだと思う。汐見は目を細めて柔らかそうに微笑む。まるで自分が誉められたみたいに嬉しそうな顔してる。
「寿一くん、確かにそーゆー無茶なとろあるよね。昔からそうだったからもう直らないかも。頼ることを知らないから時々心配だったけど、荒北くんみたいに信頼できる仲間がいるって知ってすごく安心したよ」
ニッコリと笑うその笑顔に、俺は思わず表情が固まってしまう。それに気づいた汐見は、何かおかしな事を言ったのかと小首を傾げた。自分じゃ気づいてねんだ、お前は。その屈託のない笑顔に福ちゃんだって癒されてるに違いない。幼馴染っつー味方がいることを、自分を心配して入部までしてくれた子を、心強く思ってるはずだ。
「汐見もその一人だろーが」
俺の一言に彼女は一拍間を置いてから、ぶわっと顔が赤くなっていった。顔の前で手を横に振って慌てている。
「私は違うよ…っ!途中入部だしマッサーとしてもまだまだ勉強中だし役に立ててるかどうか……あと、荒北くんにも迷惑かけちゃってるし」
「俺にしたら役得なもんだよ」
「もう、からかって……」
頬の熱を冷ますように、両手の平を当てて汐見は目を泳がせていた。誉められて動揺する姿が、まるで小動物だ。これが三年だってんだから、そりゃ後輩に狙われても仕方ない。俺が守ってやれる間は狙わせたりはしねェけど。
穏やかな空気の中、沈黙を破ったのはカランと鳴ったグラスの中の氷の音。だいぶ赤い顔が落ち着いてきたようで、汐見はおずおずと俺を上目遣いで見つめた。俺の頭には再び“女子の特典”というキーワードが浮かぶ。そんな風に見つめられちまったら、今度は俺の顔に熱が昇っちまうからやめてくれと願った。
「ありがとう、荒北くん」
「俺も、さっきは誉めてくれてあんがと」
素直に礼が言えたのは、汐見につられたからだ。でなきゃんなこと言えるキャラじゃねーし、俺は。二人で出かけなかったらこんなに話も出来なかったかもなァ。
・・・
・・・・・
・・・・・・
ファミレスを出た後、今度は汐見が観たいと言っていた映画に付き合うことになった。
最近じゃ映画館でもカップル割っつーのがあるらしい。カップル限定の特定の座席ならば安く鑑賞出来るってことで、迷わずそれにした。チケットを買って座席まで着たら小さなソファに絶句した。汐見も隣で絶句していた。
両端に二人で座っても真ん中が窪んでるせいで自然と寄り添う形になっちまう、しょーもなく気の利いたカップルシート。
チケット買い直すか!?って焦って汐見に視線を向ければ、安く観れるなら気にしないよ!と、頬を赤らめて笑っていた。
お前がいいなら俺も別にいいけど。
安く観るためなんだと心の中で何度も復唱し、ピタリとくっつく座席は気にならないように努力した。
汐見は上映直前までは気恥ずかしそうにしていたが、そのうち映画がはじまるとスクリーンに夢中になり、ハンカチを握りしめてボロボロと涙をこぼしていた。どうやら観たかった映画はシリアスな感動ものらしい。俺はというと、触れた肩と腕に体温を感じながら泣き顔を盗み見ていたせいで、まったく映画の内容が頭に入ってこなかった。涙を拭ってやりたい、抱きしめてやりたいと思っちまうのは本能なのか。
男ってのはつくづくバカな生きもんだと、ニセ彼氏のくせして図々しいコト考えてんじゃねーよと、念を押すように己を戒めた。
――なのに、“今日が楽しかった”って、一日の終わりに、眠る前に思うんだろって事もわかっちまう。俺の意志とは関係なしに心臓の音が加速していくばかりで、らしくない自分が嫌になる。引退までニセ彼氏を保てるのか、平静を装えるか、途端に自信がなくなってきた。
ったくホントによォ。なんなんだ、俺。
なんでホントに好きになっちまってんだ!?
-5- ※荒北視点
念のためと言いつつ教え合ったメールアドレス。
連絡帳に追加された『汐見』という文字の並び。
先程からかけようかかけまいかと10分ほど迷って部屋をうろうろしていた指先がついに発信ボタンを押した。
つい、数時間前に駅まで送り届けたばかりの人物にわざわざ電話をするなんてらしくもねェ行動に戸惑ってはいるが。
数回のコール音の後に、聞き慣れた声。夜の10時前だしさすがに起きてたか。女子に電話をかける事自体も、汐見に電話をかけるのも初めてで、妙に体が強張っちまう。
「あのよォ、アレだ。明日ヒマ?」
……もうちっと他にいい聞き方なかったァ?
我ながら不器用っぷりに心の中で失笑した。
しかも、ンなこと帰り道に聞けよって程度の事で。聞こう聞こうと思ってたが部活の話ばっかしてて、気がついたら駅に着いちまってタイミングを逃したんだ。つまんねー言い訳だがよ。
「うん、空いてるよ。荒北くんにはいつもお世話になってますから、いつでも空けておくよ!」
“帰り道に聞いてくれればよかったのに”、なんて文句ひとつ言わず汐見は明るい声で満点の返しをしてくれた。特に世話してるっていう自覚もあんまねェけど。
五月の連休初日だしもう各々予定があるとは思ってたから、誘ったのはダメもとだったが運がいい。その日、二人で繁華街まで出かける約束をした。
目的は妹たちに頼まれた土産を買う事。どうやら箱根限定のキャラクターグッズがあるらしく、それを土産にして帰って来ないと承知しないと妹二人に脅された。帰ったところで鍵をかけられ締め出されかねない。女だからと侮っちゃいかん事を俺は知ってる。本気でやるような妹たちだ。ただ、そのキャラクターものがある店は恐らく男一人ではだいぶ入りづらい。
そこで、汐見の協力が必要なわけだ。あらかじめ協力を兼ねてって事を伝えると、声を立てて笑っていた。“優しいお兄ちゃんだね”って。いや、脅されて仕方なくって流れも説明したんだけどォ、聞いてた?
毎日の鬼のような練習があるチャリ部もGWは休みだ。監督も休みをとってるし、寮住まいの奴らもだいたい実家に帰るのが定番の過ごし方。俺も今年は内二日間だけは実家に帰ることにした。
去年は長期休みでも帰省せず練習三昧してたら、同じ年の年末に帰ったときに散々文句を言われたからな。たまには顔を見せなさいって…、俺ァ部活優先なんだから仕方ねんだ。
親からは、夏は帰れないんだったらせめてGWと年末は帰って来いと忠告された。でないと仕送りを止めるとまで言われた。そりゃ困る。仕送りが止められたらチャリの備品も買えネェ。
「じゃあ、11時に駅の時計台の前でね。おやすみなさい」
「おう、オヤスミィ」
電話を切って俺は長い息を吐いた。かけようかと迷っていたわりには、話してしまえばいつものようにちゃんと話せる。だが、やはり休日に女子を誘うのは緊張していたようでドッと気疲れした。
我が儘で横暴で実家にいるときは口喧嘩が絶えなかった妹らだったが、無茶な土産のオーダーをしてくれたおかげで汐見を誘う口実が出来たわけだ。不本意だがそこは感謝しておくことにする。
女子を誘って二人きりで出かけるなんてガキの頃以来だ。小学校の頃、駄菓子屋に行ったとかそんなレベルの。
あいつとその店に行ってキャラクターグッズを買った後はどうする?メシか?買い物ならすぐ終わっちまうし……。
こんな時、誰に相談したらいいかも分からず、アドバイスをもらえそうな新開や東堂が思いついたが100%からかわれそうなのでやめておいた。福ちゃんは、俺が言うのも何だがそーゆーのは頓着なさそうっつーか。どうだろな。
結局、人からアドバイスされんのが苦手な俺は誰にも電話したりしなかった。
携帯で明日の店を調べてから、ベッドに横になる。寝返りを打って、また打って…寝付けない。馬鹿馬鹿しい。チューボーか。ニセ彼氏のくせにデートみたいなことすんのか、明日。
電話ひとつで緊張ちまったし、明日のことを考えてもそわそわと落ち着かないのは、俺が単に女に慣れてないだけだと思いたい。
目を閉じて4月からの事を思い返しながら眠ろうとしたら、余計に眠れなくなった。
咄嗟に声に出た嘘からからはじまった俺たちの関係。汐見との距離。困っていたとはいえ、何て迷惑な嘘をつくんだと怒られても仕方ないような嘘だった。
なのに、汐見は怒らないどころか律儀に感謝ばかりしてくる。嫌われたり疎まれることはあっても、こんなに人から感謝されんのは生まれて初めてだった。
□ □ □
結局、たいしてよく眠れないままやって来た翌日。携帯のアラームで目覚め、いつもの起きる時間よりは遅い。眠りが浅いせいで寝起きがシャキッとしなかった。
ロードで学校周辺コースを走ってから寮に戻り、シャワーを浴びてから俺は待ち合わせに間に合うように駅に向かった。
部活がない日もロードに毎日乗らないと気が済まなくなってきてる程、練習癖が染みついちまってる。ロードに出会ったあの日から毎日欠かさず練習してきてるからだ。あの頃は、ここまで夢中になるとは思ってもなかった。
汐見の性格からして時間にはキッチリ来るタイプだろうと、俺も10分前に待ち合わせ場所に到着……する少し手前で、あいつは既に到着していることに気が付いた。妙にそわそわした様子だ。鞄から小さな鏡を出して前髪を整える仕草。同時に、俺の胸にグッと何かがつっかかる。男がそれやってもナルシストかと反感買うだけの仕草も、女がやりゃ可愛く見えちまうんだから。
鏡を仕舞ったタイミングで近づいて声をかけると、汐見は「おはよう!」と、元気よく挨拶した。
「お店もう開いてるよね。じゃあ行こっか」
実は行ったことあるお店なんだ、と、俺を誘導するように先に歩き始める汐見の後を追う。本人が気づいてないのを良いことに歩く度に揺れるスカートに思わず視線が移動した。今日の私服は水色のカーディガンに白いワンピース。制服やジャージ姿は何度も見ているが私服は初めてだった。部活中はいつもひとつに束ねている髪も今日は下ろして、雰囲気がグッと大人っぽい。こーゆー制服の時と私服の時の印象が変わるのも、女子の特典だな。正直スゲーイイ。
駅からちょっと歩いた場所にあるショップは、案の定男一人ではとても入れるような雰囲気じゃなかった。男が居てもだいたいカップルか親子だ。入る手前で俺が店内の様子に怖じ気づいてたら、汐見は俺の手を引いて店に入った。あったかくて柔らかい一回り小さい手が俺の指先をギュッと握り、心臓が跳ねる。
「ササッと買って出れば大丈夫だよ」
「そ、……だな」
体温が上昇しちまう。どうにか堪えろと自分の体に命令したい。
混雑した店内で繋いだ手はそのままで、目的のものを見つけてからレジ前で離して自分の手の平を見てみた。そこから熱がじんわりと放出してる感じで、照れくさい。
妹らから頼まれたキャラクターグッズはすぐ見つかった。店内はだいぶ広くカラフルなもんが沢山並んでるし、俺にはどれも同じに見えちまってたが、妹から届いていた参考画像の写メを汐見に見せたらすぐにどの辺りに並んでいる商品か分かったようだ。おかげで無事買えたし、これで堂々と帰省できる。
会計を済ませて店を出た後は、もうさっきみたいに手を繋いできたりはしなかった。当たり前か。さっきは店に入りずらそうにしていた俺を引っ張りたかっただけだからな。
何となく来た道を戻りながら、二人で並んで歩く。
連休初日で繁華街も賑わっていた。ザワついた人混みは苦手だが、晴れてる日に出かけるってのも、たまにはいいもんだ。
「おかげで妹たちにも怒られずに済むわ」
「お役に立てたみたいでよかったよ」
「……付き合いついでにこの後、なんだけどさァ」
図々しいとは思ったが、用事があった自転車専門店にもついてきてもらった。買い足そうと思ってた備品やらを物色しつつ、退屈してないか汐見を横目で見れば、新品のロードバイクを目を輝かせて見ていた。そして、ビアンキの前で立ち止まって目を見開いて俺の方に顔を向けた。指さした先には値段表記。俺も初めて見たその値段に思わず「ウォ!」と声を上げる。
「荒北くんの乗ってるやつってこんな高いんだね!今並んでるロードを見てた中で一番高いよ?」
「や、アレ、福ちゃんから貰ったヤツなんだけど……こんっなすんのか!?」
ビアンキ。カラーはチェレステ。店に置いてある新品のそれはボディもピカピカつやつやしていた。福ちゃんから貰ったビアンキはだいぶカスタマイズもしてあったのできっとこれ以上の値段がかかっているはずだろう。悪ィからちゃんと払うっつっても強情に、「それはもうお前の自転車だ」と聞き入れてくれなかったもんだから、たいした値段じゃネェのかと……思ってたし、運び屋としての働きっぷりで返してやるとか思ってたが、軽々ともらっていい額じゃなかった。
「結婚指輪みたいな金額だね」
「気色悪ィ事言うんじゃネェって!」
口に手を当てて肩を震わせながら笑う汐見は、おそらく妙な想像をしてるに違いない。値段を見ちまったところで、福ちゃんは金を受け取らないだろう。そーゆーヤツだ。
・・・
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・・・・・・
買い物を終え正午を回ったところで、今日の礼にメシでも奢ろうと汐見をファミレスに連れて来た。ここなら和食も洋食も何でもあるから無難だろ。汐見は俺に奢られる事を遠慮していたが、わざわざ休日を使って出てきてもらってんだから、そこは奢らせろと押し通した。たくさんあるメニューの中で、色々迷った末、俺と同じのを頼んでいた。食の趣味、似てんのかな。
たまたま案内された席が通りに面した窓際の席で、万が一うちの学校の奴らや部活の奴らに見られたら面倒だなと心配になったが、そりゃいらん心配だった。今は付き合ってることになってるし。周りの奴らには俺は汐見の彼氏だってことになってるからな。
美味しそうにゆっくり頬張る顔がリスっぽい。不思議と和む。
けど、芯が強い女だってことは知ってる。努力家で弱音は吐かない。そんないいところを福ちゃんも認めてるからこそ、今でもいい関係の幼馴染なんだって納得した。
食後に俺はベプシ、汐見はアイスティーを飲みつつ、さっきのビアンキの話になった。
「一年の時に出た真鶴周回レースの時に貰ってよォ。『部室の借り物フレームじゃゴール前の瀬戸際で差が出てくる』って言われて、それからだ。俺はずっとソレに乗ってんだ」
もう二年も前になる話を頭の中で思い返していた。福ちゃんが俺に『全ての力を使って進もうとしなきゃ、自転車は速くならない』って教えてくれた事。アイツにゃ感謝してもしきれねぇぐらいの恩があるが、口に出した事は一度もない。その代わりに俺に出来んのは、全力の走りで福ちゃんを運び続ける事だけだ。
「真鶴のレース見てたよ。“突如現れた新星、荒北靖友”くんが優勝したレース」
汐見は瞬きを数回した後に俯いて、ぽつりと呟いた。はじめてこいつの口から俺の名前が呼ばれた事に、胸がドキッとした。
でも、そのレースで俺がはじめて優勝したことを何で知ってる?
驚いて彼女を見れば、口元を緩ませて顔を上げ、それから紅茶を飲んでから俺の方をジッと見つめた。テーブルに置いたカップの中の氷が、くるくると揺れている。
「あのレース、寿一くんが出るって聞いて見に行ってたの。だから荒北くんのゴールも見てたよ。ゴール瞬間のアナウンスが印象的でよく覚えてる。入部して荒北くんを見たときに、すぐにあのレースで優勝した人だって本当は気が付いてたんだ」
何となく言うタイミングを逃して今まで言えなかったんだけどって、汐見は照れくさそうにはにかんだ。
照れが伝染する。顔に昇る熱を誤魔化すように俺は窓際の方に顔を向けて舌打ちをした。
「覚えてんなよ、んなコト」
見ていてくれてる奴がいたなんて。素直に礼が口から出てこない自分が嫌になる。汐見はそんな言葉欲しくて話したわけじゃないだろうけど。
「だってすごかったから」
「…あっそ」
「ほんとにすごかった」
「さっきからすごかったしか言ってネェけどォ!?」
「だってホントにすごくカッコよかったから!」
汐見は両手をぐっと握って前のめりになり、真っ直ぐな瞳を向けて誉めてくるもんだから、こそばゆくなっちまう。
もう誉めんなって。勘弁してくれ。初優勝だって俺の力じゃねんだよありゃ。ギリギリのところまで福ちゃんが俺をアシストしてくれたからなんだ。
溜息混じりに俺は頬杖をついた。目前に、氷が溶けてだいぶ薄まり、炭酸が抜けたベプシが残っているが、飲む気が起きなかった。
「ありゃ全部福ちゃんのおかげだ。俺一人じゃ無理だった。初心者をレースに出させてよォ、ついてこいだなんて無理なオーダー出しやがってあの鉄仮面。けど、俺ァ救われてんだ。」
淡々と告げる言葉に嘘はなかった。俺が認めてんのは福ちゃんだけだ。あの日、あの瞬間から。
この事を誰かに話したのは初めてだったし、特別話すつもりもなかったはずなのに、自然と語り出してた。
昔から福ちゃんを知ってるこいつの前だから、気が緩んだんだと思う。汐見は目を細めて柔らかそうに微笑む。まるで自分が誉められたみたいに嬉しそうな顔してる。
「寿一くん、確かにそーゆー無茶なとろあるよね。昔からそうだったからもう直らないかも。頼ることを知らないから時々心配だったけど、荒北くんみたいに信頼できる仲間がいるって知ってすごく安心したよ」
ニッコリと笑うその笑顔に、俺は思わず表情が固まってしまう。それに気づいた汐見は、何かおかしな事を言ったのかと小首を傾げた。自分じゃ気づいてねんだ、お前は。その屈託のない笑顔に福ちゃんだって癒されてるに違いない。幼馴染っつー味方がいることを、自分を心配して入部までしてくれた子を、心強く思ってるはずだ。
「汐見もその一人だろーが」
俺の一言に彼女は一拍間を置いてから、ぶわっと顔が赤くなっていった。顔の前で手を横に振って慌てている。
「私は違うよ…っ!途中入部だしマッサーとしてもまだまだ勉強中だし役に立ててるかどうか……あと、荒北くんにも迷惑かけちゃってるし」
「俺にしたら役得なもんだよ」
「もう、からかって……」
頬の熱を冷ますように、両手の平を当てて汐見は目を泳がせていた。誉められて動揺する姿が、まるで小動物だ。これが三年だってんだから、そりゃ後輩に狙われても仕方ない。俺が守ってやれる間は狙わせたりはしねェけど。
穏やかな空気の中、沈黙を破ったのはカランと鳴ったグラスの中の氷の音。だいぶ赤い顔が落ち着いてきたようで、汐見はおずおずと俺を上目遣いで見つめた。俺の頭には再び“女子の特典”というキーワードが浮かぶ。そんな風に見つめられちまったら、今度は俺の顔に熱が昇っちまうからやめてくれと願った。
「ありがとう、荒北くん」
「俺も、さっきは誉めてくれてあんがと」
素直に礼が言えたのは、汐見につられたからだ。でなきゃんなこと言えるキャラじゃねーし、俺は。二人で出かけなかったらこんなに話も出来なかったかもなァ。
・・・
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ファミレスを出た後、今度は汐見が観たいと言っていた映画に付き合うことになった。
最近じゃ映画館でもカップル割っつーのがあるらしい。カップル限定の特定の座席ならば安く鑑賞出来るってことで、迷わずそれにした。チケットを買って座席まで着たら小さなソファに絶句した。汐見も隣で絶句していた。
両端に二人で座っても真ん中が窪んでるせいで自然と寄り添う形になっちまう、しょーもなく気の利いたカップルシート。
チケット買い直すか!?って焦って汐見に視線を向ければ、安く観れるなら気にしないよ!と、頬を赤らめて笑っていた。
お前がいいなら俺も別にいいけど。
安く観るためなんだと心の中で何度も復唱し、ピタリとくっつく座席は気にならないように努力した。
汐見は上映直前までは気恥ずかしそうにしていたが、そのうち映画がはじまるとスクリーンに夢中になり、ハンカチを握りしめてボロボロと涙をこぼしていた。どうやら観たかった映画はシリアスな感動ものらしい。俺はというと、触れた肩と腕に体温を感じながら泣き顔を盗み見ていたせいで、まったく映画の内容が頭に入ってこなかった。涙を拭ってやりたい、抱きしめてやりたいと思っちまうのは本能なのか。
男ってのはつくづくバカな生きもんだと、ニセ彼氏のくせして図々しいコト考えてんじゃねーよと、念を押すように己を戒めた。
――なのに、“今日が楽しかった”って、一日の終わりに、眠る前に思うんだろって事もわかっちまう。俺の意志とは関係なしに心臓の音が加速していくばかりで、らしくない自分が嫌になる。引退までニセ彼氏を保てるのか、平静を装えるか、途端に自信がなくなってきた。
ったくホントによォ。なんなんだ、俺。
なんでホントに好きになっちまってんだ!?